雲南省 世界遺産 丙中洛の三江併流&三国志遺跡 太保山武侯祠

雲南省旅行記2016

大理快速汽車客運站

07:30頃、ユースホステルをチェックアウト。人民路口のバス停から4路のバスに乗車。まずは新市街の下関へ向かう。運賃2元、陽洱小区のバス停で下車して外貿大楼のバス停から12路のバスに乗車。運賃は昆明の公交ICカードで0.9元。08:20頃、貨運站のバス停で下車してバスターミナルの大理快速汽車客運站に到着。

昨日スマホをセットアップし直したので誰も並んでいない自動券売機で六庫行きチケットを購入。

支払いは支付宝のオンライン決済だ。窓口は行列で相変わらず混雑している。

すぐに発券され購入完了。

大理→六庫

今回のバスは09:20発、大理→六庫で運賃は88元になる。六庫は怒江自治州にあり、ちょうど世界遺産の三江併流の保護区域になり六庫経由で怒江上流の丙中洛を目指す。

08:50頃、バスへの乗車が始まる。

09:20頃、バスが発車して大理から高速道路に入る。孟獲が捕らえられた三国志遺跡の江風寺の脇を通過して西へ走る。ちょうど蜀軍の進路と同じかな?

11:20頃、メコン川上流の瀾滄江に架かる瀾滄江大橋を越えて高速道路を降りる。

11:40頃、瓦窯客運站(瓦窑客运站)で数人の客を降ろして、近くの売店で15分ほどトイレ休憩。

瀾滄江沿いに上流へ走り、その後は西へ向かう山越えの道。

13:05頃、怒江を越えて、怒江大峡谷沿いに上流へと走る。

13:08に料金所かと思ったら辺防検査站に到着。自動小銃を持った武警が警備している。少し待っていると武警の身分証確認があり、外人は全員下車して登記といっても外人は自分とアメリカ人の2人だけ。

怒江での滞在予定日数、目的、怒江の次の行き先、職業、日本の住居など聞かれ全て問題なく答えるが、最後に武警の兄ちゃんがカンボジアビザを見て「これどこの国?」と聞いてきて答えるが発音下手だったのでうまく通じず。武警の兄ちゃん「CAMBODIA」とメモして「バスに戻っていいよ」となる。最後のカンボジアは職務に関係ない個人的興味だな。

13:22にバスが再出発。怒江沿いに上流へと向かう。

六庫客運站

13:50頃、怒江リス族自治州瀘水市のバスターミナルになる六庫客運站に到着。ここは標高800mになる。


六庫から丙中洛まで移動したいのだが、まずはバス情報を確認する。時刻表はなく運賃表しかない。

窓口のおばちゃんにバスを確認すると、丙中洛行きは08:00発の1日1本、貢山行きは13:00が最終になっている。途中の福貢なら16:00発があるということで福貢行きバスチケットを購入。

六庫→福貢

16:00発、六庫→福貢、運賃35元になる。

待合室で2時間ほどバスターミナルで待機となる。

16:00になり18人乗りで乗客6人で発車する。福貢まで約4時間の道のりだ。

途中で客を乗せて満席となる。

怒江大峡谷に沿ってひたすら上流へと走っていく。

福貢

日が暮れて夜になり、20:25頃、標高1200mの福貢のバスターミナルに到着。とりあえず高徳地図で場所を確認、Qunar.comで大丈夫そうな宿を予約して向かう。10分ほど歩いて雅客賓館(雅客宾馆)に到着。外国人OKなようでパスポートでも追い出されずに済む。

部屋は1泊88元の2人部屋。

IPTV、電気ケトル、扇風機が付いており、まあ標準的な設備だろう。Wi-Fiは問題なく使用可。

部屋にあるトイレ・シャワーはいつもの一体型で換気扇がないので開けっ放しでないと湿気が籠る。

土豆絲炒飯

21:00頃、晩ごはんに土豆絲炒飯(12元/約204円)を食べる。辺境の田舎でもまだやっている食堂があった。田舎なので昆明や大理と比べ値段は高め。

食後は近くの超市がまだ営業していたので大理ビールV8の470ml(3元/約51円)と昆明生産の缶ビール330ml(1元/約17円)を購入。辺境の田舎でもなぜかビールの価格は低めに抑えられて頑張っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16元
宿泊費 88元
バス 2.9元 路線バス
バス 88元 大理→六庫
バス 35元 六庫→福貢
合計 229.9元

福貢→貢山

08:00頃、福貢のバスターミナルへ行ってみるが福貢発の貢山へのバスはなく六庫からのバスを拾うかタクシーを拾うしかない。福貢客運站発のバスは六庫、昆明、大理の下関だけのようだ。

朝食に1個1元の花巻と豆沙包を2個づつ購入。久しぶりに朝食を購入した。昨日は夜到着だったので街の様子がよく分からなかったが辺境の街にしては人や建物が意外にも多い。

賓館の近くには市場まであるし、怒江大峡谷の中にあるので街の東西は山に囲まれている。08:30頃、賓館をチェックアウトしバスターミナルへ。バスターミナル周辺には各地へのタクシーが集結しているので貢山行きのタクシーを探す。

で、バックパックなんか背負っているので運ちゃんがすぐに声をかけてきて貢山行きタクシーに乗車。貢山までは1人40元、Lonely Planet China2015年版の情報通り。タクシーはこれなのだが、まあ自家用車、白タクですね。地元民の重要な交通手段でもあり、副業の手段でもある。

すぐ後ろには田舎でよく見かける「農村客運」と表示された、ちゃんとしたタクシーもある。これでは営業許可の有無は関係ないのでは?

10:20頃、ようやく客が集まり出発する。

怒江大峡谷に沿って車が北へと走る。

途中、小さな街を通過したりしていく。

田舎でも生活物資は溢れている印象だ。

12:35頃、貢山トールン族ヌー族自治県に入り公安検査站で停車。で、何故か隣のおっちゃんと自分だけ身分証提示を求められる。余所者だけ検査対象か?パスポート提示したら中身見て黙って返してきた。隣のおっちゃんには色々と言っていたが、小日本には関わってはいけないと判断したようだ。公安の検問は無事に通過して怒江上流へと車が走る。

貢山トールン族ヌー族自治県

13:25頃、標高1500mの貢山トールン族ヌー族自治県の県城に到着。中心部の茨開北路(茨开北路)にバスターミナルがあり、白タクが集結している。貢山民族体育場(贡山民族体育场)の前に丙中洛行きのバスが停車していたので、運ちゃんに発車時刻を聞いたら13:40ということで乗車。

近くには独龍江(独龙江)行きのミニバスも待機している。

13:40頃、丙中洛行きのバスが発車。貢山県の県城を出て怒江上流部へと向かう。

道路状況は一部土砂崩れが発生していたりするが景色は非常に良い。

14:30頃、飛来寺のある徳欽への分岐点となる橋を通過する。

貢山から徳欽まで徳貢公路が開通しており道路標識には徳欽県の文字もあるのだが、土砂崩れが多いようで道が険しくバスはおろか、ボリタクすら通っていない。ランクルあたりでないと峠を越えられないようだ。

丙中洛の入口まで来ると世界遺産の石碑が見えてきた。そして、入場券売場らしき建物が見える。金取られるのかと思ったらそのまま通過。まだ有料化はしていないようだ。15:10頃、怒江第一湾を通過。15:25頃、丙中洛に到着。標高は1700mになる。

阿洛国際青年旅舍

バス到着地点から阿洛国際青年旅舍(阿洛国际青年旅舍/Aluo International Youth Hostel)が見えていたので迷わず到着。ここはYHA Chinaの加盟店になり部屋は1泊30元(会員料金)で4泊する。

部屋は6人ドミトリーで各ベッドにコンセント有り、照明は無し。広めに部屋でよけいな物もなく片づいている感じだ。窓大きく風通しはよいが冬は極寒かも。共用のトイレ・シャワーは別々に独立しており掃除はしてあるのだが、なぜかトイレの水は桶の水を汲んで流す方式。でも、トイレ・シャワーは広め。

丙中洛の物価は高い

夕飯は食堂で炒白菜(10元/約170円)、炒空芯菜(12元/約204円)、米飯(3元/約51円)を食べる。辺境の土田舎なので物価が高い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 29元
宿泊費 120元 1泊30元(会員料金)×4
バス 15元 貢山→丙中洛
乗り合いタクシー 40元 福貢→貢山
合計 204元

普化寺

08:25頃、ユースホステルを出て丙中洛の西にある普化寺へ向かう。ちょうど谷の向こう側にあるチベット仏教の寺院だ。道沿いに谷を迂回して寺へ向かう。谷底に架かる橋を渡り近道することもできるのだが高低差と夜明け前に降っていた雨の影響を考えると避けた方が良さそうだ。

09:25頃、三叉路に到着し、傷んだ標識を確認して普化寺へ向かう。

09:35頃、普化寺に到着。古い建物もあるが新しい本殿が建設中のようだ。寺の歴史については説明がないので不明だ

ここも観光地として開発が始まりそうな気配が・・・。

今のうちに見物するのがいいのだろうな。

10:00頃、普化寺から東の怒江沿いの重丁へ向かおうとする。村からの出口には御犬様たちがおり通してくれそうもない。10:15頃、御犬様たちのいない道を通り、ようやく水田に出る。

ここからは水路に沿って歩き道を探す。

11:00頃、水路の水が農道に溢れており先に進めない。引き返して谷底に架かる橋への道を進む。

谷底への道は思ったほど道は悪くない。でも、油断するとあの世行きなのでゆっくりと慎重に進む。

11:23頃、谷底の橋に到着。

透明な川の水がこの先の茶色く濁った怒江へ流れ込む。12:00頃、丙中洛への道に出る。
ようやく元の道に戻った。

定期市

丙中洛に戻ると通りが市場と化していた。

朝から準備をしているのは見かけたが通り全体に店が出ている。

日用雑貨の店が多い感じで、次に食料品の店だな。

米や飼料が積まれていたりする。

米線

昼食は米線(8元/約136円)を食べる。米線は雲南が本場で丙中洛でも食べておかなくては!米線や麺類は比較的安い。

ユースホステルに戻り午後の計画を練っていると、老板が「マーケット見てきた?」「毎週火曜の定期市だよ」と教えてくれる。通りでやっていたのは定期市であった。

重丁天主教堂

13:00頃、丙中洛の北にある重丁村へ向かう。山に囲まれた農村の風景が広がる。

途中、道路脇にチベット仏教のチョルテンがあったりする。

13:45頃、重丁天主教堂に到着するが門は閉じられている。重丁天主教堂はフランス人宣教師によって1935年に建設されるが文化大革命で破壊され、1996年、跡地に再建された。

新しく再建された礼拝堂であるが外から一部が見える。

丙中洛の南側の山道を登っていく。15:50頃、遠くに午前中に行ってきた普化寺が見える。

16:20頃、丙中洛の中心部が見える。

もちろん、怒江も遠くに見えます。

16:25頃、チョルテンがある所までやって来た。

小さな展望台みたいなのがあり丙中洛が一望できるようになっている。

更に山道を登って行くが17:00頃に引き返す。車が通っていたので、どこかの集落につながっているのだろうが暗くなる前に丙中洛へ戻ろう。18:00頃、丙中洛に戻り夕飯は炒飯(12元/約204円)だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
合計 20元

世界遺産 三江併流

朝から雨が降っており、これでは遠出ができない。丙中洛さらに奥の秋那桶まで足を伸ばしたいのだが・・・。とりあえずタクシーの運ちゃんに秋那桶まで行くか聞いてみると、秋那桶や霧里へは行けないということであった。

08:30頃、食堂で米線(8元)を食べながら計画を練り直す。遠出は無理なので近場だと怒江第一湾が無難かな。高低差もそれほどなさそうだし距離もそれほどではないし。

09:20頃、怒江第一湾へ向けて出発。貢山行きのバスに乗車すれば5分ほどで到着するのだが怒江を見ながら歩いて向かう。

09:40頃、雨の降る中で丙中洛の入口にある展望台の丙中洛観景台に到着。ここから眼下に怒江が見え怒江が大きく湾曲しているが、ここは怒江第一湾ではなく桃花島である。桃花島と聞くと浙江省の桃花島を思い浮かべるのだが、この怒江が湾曲して半島状になっている部分も桃花島と呼ばれている。

春になると半島部分の村で桃の花が咲くので桃花島と呼ばれるようになったそうだ。

怒江第一湾

10:30頃、怒江第一湾に到着。雨が降っており雨が止むのを待つ。15分ほど待つと雨が止み日が差してくる。

この峡谷で怒江が大きく湾曲して流れている。

この怒江第一湾にも半島部分に村があり畑と住居が見える。11:30頃、来た道を戻り丙中洛へ向かう。

丙中洛の田園風景

11:50頃、展望台の丙中洛観景台に戻ってきた。

丙中洛観景台からは怒江だけでなく丙中洛の街や田園風景も見ることが出来る。

結構な急斜面に住居、畑、水田が点在しており、のどかな風景が広がっている。

丙中洛の中心部は斜面の中腹辺りで建物が密集している部分だ。

米線

昼食は米線(8元/約136円)を食べておく。米線は腹持ちが良くないので、自分にとっては主食というより軽食やおやつに近い。

滇藏公路は通行止め

ユースホステルに戻り老板に秋那桶や霧里へ行く車がないか聞いてみたが、滇藏公路が土砂崩れの復旧工事や新道建設による車両通行止めで秋那桶や霧里へは車では行けないということであった。当然だが滇藏公路でチベットのザユル県(察隅县)へ抜けることは出来ない。でも、徒歩での通行は可能ということであった。

午前中に撮影しておいた工事現場に貼られた交通規制のお知らせや公告を読み直してみると何となく状況がわかってきた。昨日行った重丁天主教堂の先に検問所があったが、あそこで工事車両と地元民の車両だけ通していたのだな。土日は車両通行可のようだが道路状況は劣悪だろうな。滇藏公路の工事は2017年12月24日までのようで、まだ1年以上も工事が続くのか。

それと老板に貢山から徳欽に抜ける徳貢公路についても聞いてみたが、車両は通れず徒歩での通行は可能ということであった。徒歩は通行可能でも峠を越える自信はないのでダメだな。車で徳欽へ抜けられないとなると六庫まで戻らないといけないということか・・・。

炒豆芽

夕飯は炒豆芽(10元/約170円)と米飯(2元/約34円)を食べる。炒豆芽はモヤシの炒め物になる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16元
合計 16元

怒江大峡谷の奥へ

今日も朝から雨が降っている。雲で怒江が流れる峡谷が霞んでいる。07:45頃、六庫行きバスの発車場所を確認しておく。通りにバスが停車しているのですぐに見つかる。明日は六庫へ戻るのでバスの発車場所と発車時間が分かれば大丈夫だろう。朝食に米線(8元/約136円)を食べてユースホステルへ戻る。六庫行きバスがいなくなっていたので、事前の情報通り08:00発であった。

09:30頃、ユースホステルを出て丙中洛から霧里村を目指す。今日は怒江沿いに滇藏公路を歩き丙中洛の奥へ行ってみる。まだ雨が降っているが強行軍だ。

10:00頃、重丁天主教堂を通過。

10:05頃、重丁村の出口にある検問所を通過。

10:20頃、怒江沿いに峡谷を歩いて行く。

重丁村から先は未舗装の工事区間が延々と続く。雨が降っているので埃はないが足元は泥濘みになっている。

石門関

10:35頃、石門関が見えてきた。石門関は怒江大峡谷が狭くなっている場所だ。峡谷の両岸が絶壁になっており、まさに天然の要害だ。

10:40頃、石門関を通過。

怒江が大きな音を立てて流れていく。名前通りの大河と言ってもいいだろう。世界遺産 三江併流の保護区域になるが、あまりに奥地にあるので観光客がいない。観光客は怒江第一湾とか定番観光地へ行くのだろうか?

霧里村

11:30頃、霧里村に到着。この頃になると雨が止んで少し天気が良くなる。トウモロコシ畑の中に民家が点在しており、のどかな風景が広がっている。

この霧里村は怒江の対岸にあるので橋を渡らなければならない。

少し下流に吊橋が架かっているので渡る。

見た目は大丈夫そうなので落ちたりはしないだろう。

吊橋から見る怒江だが峡谷と言っても川幅は結構ある。

続いて怒江沿いの桟道を歩いて行くが、道幅は人一人がやっと通れる幅だ。

途中、こんな感じで木が組まれていたりと危険な場所もある。落ちたらそのまま怒江で泳ぐはめになります。泳ぐ前に魚の餌確定だが・・・。

12:15頃、ようやく霧里村の中に入る。

だが、道はトウモロコシ畑の中へ続いており、このまま奥へ行っても畑の中を歩くだけのような気がするので引き返す。まあ、そのまま進んで村を抜けられると思うが山道を登ったりするのは勘弁だな。

戻る途中の桟道から見える怒江大峡谷。世界遺産の保護区域だが観光客がいない。こんな奥地まで来る物好きは少ないようだ。

霧里村から滇藏公路を20kmほど歩くとチベット自治区ザユル県(察隅县)に入るが、さすがにそこまで行けるような道路状況ではない。12:30頃、霧里村を離れて来た道を戻る。13:55頃、重丁村の手前まで戻ってきた。14:50頃、ユースホステルまで戻ってきて、何とか無事帰還。

炒土豆絲

夕飯は炒土豆絲(10元/約170円)と米飯(2元/約34円)だ。ジャガイモの炒め物とご飯の簡単なものであるがご飯食べ放題なので3杯食べて満腹です。

夜になり明日早く出て行くのでチェックアウトの手続きだけしておく。これで寝坊さえしなければ明日は六庫行きのバスに乗車するだけだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
合計 20元

丙中洛→六庫

朝から雨が本降りだ。チェックアウトの手続きは昨晩の内に済ませてあるのでシーツを洗濯機の所へ置いて出発準備を整えユースホステルを出る。バスは佳源賓館の前から出発なので3分ほど歩く。

07:45頃、六庫行きのバスに乗車と思ったら、まだ運ちゃん来ておらず。08:05頃、乗客9人で丙中洛を出発。標高1700mの丙中洛から怒江大峡谷を下っていく。

08:40頃、徳欽への徳貢公路との分岐点で武警の辺防検査がある。10人ぐらいの武警がおり自動小銃を携帯している。身分証確認がありパスポートを出すと武警の兄ちゃんが偉い人の所へパスポートを持って行き隊長の登場だ。丙中洛での目的、次の行き先を聞かれただけで特に問題なし。

08:45頃、バスが再び発車する。丙中洛へ行くときは何もなかったのだが、何かあったのか?

貢山

09:25頃、標高1500mの貢山を通過する。天気は相変わらず悪く雨が降っている。省道228号を怒江大峡谷に沿って南下していく。六庫まで約220kmの距離になる。道路状況は舗装はされているがカーブが多く道幅が狭いので危険だ。道から外れれば怒江に突っ込むことになる。

10:20頃、公安検査站に到着。正式名称は貢山県森林公安局茨開林区派出所のようだ。ここでも公安の身分証確認かと思ったら、今日は武警が警備していた。パスポートを提示すると、隊長の所へパスポートが行き隊長直々の質問だ。まあ、目的聞かれただけなので「旅游」と返答して終了。

10:25頃、バスが発車する。今日は警備が厳しいようだが何かあったのか?

11:30頃、石月亮郷の手前で工事渋滞にはまる。この時間を利用して運賃徴収が行われる。丙中洛→六庫の運賃は80元で六庫→丙中洛の81元より1元だけ安い。11:40頃、石月亮郷を通過する。

福貢

13:10頃、標高1200mの福貢客運站に到着。天気は雨から曇りへ変わり、ここで昼休憩になり30分ほど停車する。福貢客運站からは昆明行きの寝台バスが待機しているので、昆明行きの乗客は福貢で乗り換えになる。六庫まで行っても夕方到着ではバスがないので福貢で乗り換えだが、運行本数や発車時間は不明だが昆明行きの寝台バスは4台確認できた。

後でQunar.comでバスを確認したら昆明→福貢が18:30、19:00にあるので1日2本運行されているようだ。夕方発、翌朝着なので時間的には問題無いだろう。反対の福貢→昆明も同じような時刻表だろう。

それとバスターミナルには交通事故現場の写真が掲示されている。日本ではあり得ないことだが中国はショック療法で事故現場の写真が掲示されており、いい具合に顔面崩壊したり死体が転がっている写真が掲示されている。

13:50頃、バスが福貢を出発する。15:10頃、匹河客運站に到着。15:20頃、怒江に架かる橋を渡る。この頃になると青空が見えてきた。

六庫

18:25頃、バスターミナルの六庫客運站に到着。標高800mになり丙中洛→六庫は所要時間約10時間半の道のりであった。さて、ここから宿探しなのだがバスターミナル周辺には招待所などの宿はない。バスターミナルは新城区にあり周辺は工事中の建物かテナントの入っていないビルが目立つ。完成しているのは政府機関の建物ばかり。新城区には期待できないので老城区で宿探しだ。

風花雪月酒店

2kmほど歩いて老城区にやって来ると賓館の看板が見え始める。とりあえず通りにあった風花雪月酒店で部屋を聞いてみると1泊80元であるということで、ここに決定。問題の外人OKかどうかだがパスポート提示しても追い出されず大丈夫であった。

部屋は1人部屋でテレビ、エアコン、電気ケトル、電話、PC付きだ。Wi-Fiも使える。

トイレ・シャワー付きで広めで許容範囲内だ。

夕飯は雑醤米線(7元/約119円)と回鍋肉蓋飯(12元/約204円)を食べる。

食後は瀾滄江ビール620ml(3元/約51円)を購入。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 22元
宿泊費 80元
バス 80元 丙中洛→六庫
合計 182元

六庫→保山

09:00頃、酒店をチェックアウトする。約2km歩いて09:25頃、六庫客運站に到着。保山行きのバスチケットを購入してすぐに乗車。タイミング良くバスがちょうど発車間近であった。

今回のバスは09:30発、六庫→保山、運賃50元だ。09:33に発車してまずは怒江沿いに南へと走る。

順調に保山へ向かうと思ったらガソリンスタンドで軽油を給油。日本ではあり得ないのだが中国では出発直後に客を乗せたまま給油というのが当たり前になっている。事前に給油するということは想定されていない。ちなみに軽油1Lの価格は5.92元(約101円)になっていた。09:55頃、給油が完了して再び走り出す。

10:15頃、六庫の入口にある辺防検査站に到着。ここは先週登記した所で武警が自動小銃を持って警備している。出ていくのはノーチェックかなと思ったら、武警の兄ちゃん2人が乗車してきて身分証確認だ。で、自分は後ろの席に座っていたので最後の方でパスポートを提示すると、先週登記した所でもう一度登記となる。

他に外人はおらず自分一人だけでバスを降りて窓口で登記。他の乗客は何事だという感じで見ている。窓口では職業、目的、どこへ行ってきたか、次の目的地を聞かれる。先週受けた質問とほぼ同じだ。

今回はパスポートの撮影があるが公安みたいに個人のスマホで撮影とかではない。ちゃんとした銀行とかでも見かける撮影用の機械で撮影。武警はちゃんと機材購入の予算があるようだ。公安も機材購入の予算はあると思うのだが宴会費用になっているのか?登記は問題なく終了して10:30頃、出発する。

11:50頃、田舎の売店で約10分のトイレ休憩になり車外に出るが痰吐いてる兄ちゃんがいる。どうやら、おサルさんが乗車していたようだ。まあ、中国ではおサルさんがバスに乗車しているのはよくある光景だ。

保山は外人お断り多い

12:50頃、バスターミナルの保山客運站に到着。この辺りは標高1600mになる。とりあえずQunar.comで予約しておいた賓館へ行ってみるが、老板が派出所に問い合わせて外人お断りで追い出される。

しかし、バスターミナル周辺には宿が多くあるので楽勝だと思い次の宿へ行くが5軒連続で追い出される。保山は公安が厳しいらしく高いホテルばかり案内される。330元コースの蘭都飯店や530元コースの官房大酒店とか・・・。舐めんとんのかサル!

これは保山には外人に見られては困るものが隠されていると考えるべきか?こうなると最終手段の野宿ではなくバスターミナルに荷物を預けて観光、保山脱出というパターンだな。バスターミナルの保山客運站に戻り、13:30頃、大理の下関行きバスチケットを購入。
16:40発、運賃72元だ。手荷物預かり所でバックパックを預けて行動開始だ。荷物の預かり料は3元で良心的。

保山での目的は三国志遺跡の太保山武侯祠だ。まずは路線バスの情報を確認するが高徳地図と全く違う。どうやら運行路線が新しくなっているようだ。諸葛営站とか気になるバス停があるが太保山武侯祠を最優先で行動だ。

13:45頃、とりあえず客運站(公交中站とも呼んでいる)のバス停から7路のバスに乗車。
運賃2元で保山市内へ移動。GPSで現在位置を確認しながら太保山の近くで下車して玉泉路を西へ歩いていく。

永昌府城

14:10頃、玉線路を西へ歩いていると脇道に文物保護単位の石碑が見える。確認しに行くと永昌府城仁寿門とある。永昌府城は唐の天宝2年(743)に南詔王の皮羅閤により土壁の城として築かれ、明の洪武年間に煉瓦の城壁に改築され太保山も永昌府城の城壁の内側になる。

城門を通り城壁の内側にも文物保護単位の石碑がある。

これが城門の通路。車は通れず歩行者と電動バイクが行き交っている。

太保公園

太保山を登る遊歩道へ入り進む。14:30頃、太保公園の保山歴史名人堂に到着。保山の歴史上の人物を紹介しているの三国志関連で何かあるかなと思い見物していく。

するとやはりありました。

蜀漢名臣として呂凱が紹介されている。

そして、永昌太守の王伉も紹介されている。

三国志遺跡 太保山武侯祠

14:40頃、太保山武侯祠に到着する。

太保山武侯祠は明の嘉靖14年(1535)に金騰兵備副使の任惟賢が諸葛亮を祀るために建立。康煕26年(1687)に修復され、光緒5年(1897)に拡張され、前殿、過庁、正殿で構成されている。

やっと三国志遺跡の太保山武侯祠まで来たが山門が閉まっている。

山門に貼られた貼り紙を読むと修復工事をするから閉鎖とある。せっかく来たのに閉鎖とは残念であるが仕方がない。

でも、ちょうど作業員のおっちゃんが中へ入ろうとしていたので山門から内部を1枚だけ撮影させてもらう。

太保山に残る永昌府城の安定門を通り太保山を降りて市内へ戻る。

下山する途中では保山の街並みが見ることが出来る。

バス停でバスを待っている間に大理での宿を予約しておく。それとバスの路線一覧表があったので撮影しておく。

これで保山の路線バスの情報が手に入った。

今頃、保山の路線バス一覧表が手に入ってもあまり意味ないけどね。15:40頃、9路のバスに乗車してバスターミナルへ向かう。運賃1元、終点の公交中站で下車する。

16:00頃、バスターミナルの保山客運站に戻ってきた。遅めの昼食でバスターミナル横の食堂で餌絲(9元/約153円)を食べるが激マズだ。典型的な駅やバスターミナル前の食堂だ。

保山→下関(大理)

餌食べてエネルギー補充をしたのでバスターミナルでバスを待つ。

今回乗車するバスは16:40発、保山→下関、運賃72元。大理の新市街になる下関行きのバスだ。

16:25頃、バスに乗車。16:45にバスが発車し乗車率は6割ぐらいだ。

高速を東へ走り大理へ向かうが「AH14」の標識を何度も見る。どうやらアジアハイウェイ14号線を走っているようだ。18:10頃、サービスエリアの永平服務区で10分のトイレ休憩。

大理

19:35頃、大理南バスターミナルの大理興盛汽車客運站(大理兴盛汽车客运站)に到着。ボリタクの運ちゃんたちが待ちかまえていたが、そのままバス停へ移動。

19:40頃、南客運站のバス停から2路のバスに乗車。昆明の公交ICカードが使え運賃は0.9元、20:00頃、大理公交4路車站のバス停で下車。大理古城へ行く4路のバスの出発地点になっているので、待機している4路のバスに乗り換える。4路のバスは昆明の公交ICカードが使えないので運賃は2元。20:10頃、バスが発車し人民路口のバス停で下車。

大理金玉縁中澳国際青年旅舍

20:45頃、大理金玉縁中澳国際青年旅舍(大理金玉缘中澳国际青年旅舍/The Jade Emu International Guesthouse)に到着。今回はeLongの特価で1泊18元になっており2泊する。

部屋は6人ドミトリー(トイレ・シャワー共用)を予約しておいたが、先月の宿泊時と同様で8人ドミトリー(トイレ・シャワー付)になる。で、前回と同じ部屋に戻ってきた。

腹減ったので大理古城へ行くと洋人街近くの快餐屋が1軒やっていたので夜食を食べる。素菜3品とご飯で5元(約85円)だ。ユースホステルへ戻り巍山での宿を予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
宿泊費 36元 18元×2
宿泊費 10元 予約:巍山古城雲上的日子国際青年旅舍
バス 5.9元 路線バス
バス 50元 六庫→保山
バス 72元 保山→大理
荷物預け 3元
合計 190.9元

物資補充

昼過ぎに快餐屋で昼食。素菜3品とご飯で5元(約85円)だ。

食後は大理古城を散歩しながら、三月街へ向かう。

三月街の近くにあるクビライ・ハーンの元世祖平雲南碑を見物。

16:00頃、下関にあるウォルマートで日用品を購入して大理古城へ戻る。

大理の乞食

夕飯食べてユースホステルへ戻る途中で乞食を見かける。

洋人街の牌坊前で観光客が多いが皆スルーだ。大理は世界的に有名な観光地だが闇の部分もある。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11.2元
バス 4元 路線バス
日用品 29.8元
合計 45元

河北省の世界遺産 清西陵・清東陵

北京・天津・河北省旅行記2016

麗澤長途汽車站

06:30頃、ユースホステルをチェックアウトする。北京青年酒店に12泊したが今日でお別れである。今日は世界遺産 清西陵のある易県へ移動する。

06:35頃、まずは宿の近くにある北京三十九中学のバス停から14路のバスに乗車。運賃1元、和平門内のバス停で下車して5分ほど歩いて和平門東のバス停へ移動。

06:50頃、和平門東のバス停から67路のバスに乗車。運賃1元、麗澤橋のバス停で下車。

5分ほど歩いて、07:15頃、バスターミナルの麗澤長途汽車站(丽泽长途汽车站)に到着。

とりあえず時刻表を確認。

ほとんどが易県行きのバスのようだが西陵と表記されているのもある。

ただ時刻表は古そうだし時刻表にない行き先も多数ありそうな気配がする。

北京→易県

自動券売機はないので窓口に並んで易県行きのチケットを購入。購入時に身分証の提示が必要で易県までの運賃は35元だ。窓口のおばちゃんは外国のパスポート見たことがないようで端末の入力に手間取る。結局パスポート番号間違えているし、名前も途中で入力やめて発券する。外人は未入力でいいのでは?

07:30発のバスで発車まで10分切っているので急いで乗車。

07:30に定刻通り発車するがほとんど空席。案の定バスターミナル出て200mほどですぐに客待ちの停車。バスターミナルの意味ないやん!07:40頃、再び発車して客を拾いながらノロノロ運転。

07:55頃、高速道路に入り南へと走る。北京から河北省へ入り、08:20頃、涿州へと入る。涿州といえば三国志の「桃園の誓い」の舞台になった場所だ。涿州は2015年に訪れているので今回は通過である。08:55頃、高速を降りる。

09:25頃、易県汽車站に到着。ボリタクの運ちゃんたちが待ちかまえていたが相手にせず。

まずバスの時刻表を確認。北京と保定行きのバスが多いようだ。あとは天津、大同、張家口行きのバスもある。

09:30頃、易県の中心部にある予約した宿へと向かう。バスターミナル前の同興東路(同兴东路)を西へ歩き最初の交差点を左へ進む。開元北大街(开元北大街)を南へ歩き朝陽路(朝阳路)との交差まで来ると速8酒店が見えてきた。

09:55頃、Qunar.comで予約しておいた速8酒店に到着。1泊99元の特価部屋に2泊する。予約時に料金は支払い済みだ。料金表には168元となっているので飛び込みはカモになるようだ。外人OK宿になっていたのでレセプションのお姉ちゃんに追い返されることなく登記完了。

部屋は2人部屋で無駄に広く半分以下の広さでも十分なぐらいだ。

エアコン、IPTV、電気ケトル、LANコンセントもある。

2016年に開業したばかりで設備は新しくトイレ・シャワーは問題なし。

Wi-Fiも問題なくつながる。

易県→清西陵

10:30頃、清西陵へ出発する。まずはバスターミナルへ移動。10:55頃、易県汽車站の西隣の易州停車場に到着。

近隣へのバスがここから出ているようで「西陵」と表示されたバスも数台停車している。とりあえず西陵鎮を通過する紫荊関行きのバスに乗車。11:00頃、バスが発車し、客を拾いながら紫荊関へ向けてノロノロ走る。西陵鎮まで運賃6元だ。

世界遺産 清西陵を歩く

11:25頃、西陵鎮の手前の梁格庄鎮で下車する。

梁格庄鎮から崇陵へ向けて歩く。途中で9路のバスとすれ違う。旅游専線と表示されていたので清西陵へのバスのようだ。

11:45頃、永福寺に到着。ここで清西陵の入場料を確認しておく。通票120元、泰陵45元、崇陵45元、昌西陵20元、慕陵20元、永福寺15元となっている。入場券売場のおばちゃんにセット券の通票の有効日数を聞いてみるが当日限りということであった。2日有効なら歩きで回れそうなのだが、1日だとバス乗り継いで急いで回らないと・・・。

12:10頃、崇陵に到着。崇陵は光緒帝の陵墓だが今日は素通りで見物は明日だ。

ラストエンペラーの墓

12:30頃、華龍皇家陵園に到着。ここに清朝最後の皇帝である溥儀の墓がある。

道路にも案内の標識が出ている。

入口には立派な牌坊があり民間墓地にもなっている。元々は溥儀の墓は北京の八宝山にあったのだが、この墓地が誘致したようだ。で、溥儀墓を見物と思ったら保安のおっちゃんたちが昼休みなので見物できるのは14:00からになる。

近隣に無料で見物できる所がなさそうなので、そのまま待つことにする。そのまま待っていると保安のおっちゃんが話しかけてきた。
保安「どこから来た?」
小日本「日本からきた」
保安「何だって!日本から来たのか!」
小日本「そう日本から来た」
保安「中で休んで行けよ」

日本から来たと言ったら保安のおっちゃんが急に優しくなって冷房の効いた詰め所で待つことになる。で、待っているとおっちゃんたちに「給料いくらだ?」とかお約束の質問攻めの展開に・・・。13:00頃、保安の兄ちゃんが溥儀墓に案内してくれることになる。小日本に居座られるよりさっさと溥儀墓を見せて帰らせるのが最善と判断したようだ。

溥儀墓は牌坊をくぐり奥にあるが民間の墓地なので途中には墓が並んでいる。坂を登って行くと溥儀墓に到着。溥儀墓の両脇には婉容と譚玉齢の墓もある。

こちらは皇后の婉容の墓。

こちらは貴人の譚玉齢の墓。

こちらが清朝最後の皇帝である溥儀の墓である。13:15頃、溥儀墓を離れる。保安の兄ちゃんにお礼を言って来た道を戻る。

清西陵 公主園寝

13:45頃、公主園寝に到着。公主園寝は嘉慶帝の第5皇女の慧安和碩公主と第9皇女の慧愍固倫公主が埋葬されている。公主は戦国時代より使われ始めた単語で帝王の娘に使われる称号、漢王朝では皇帝の娘に対する称号として使用された。清の崇徳元年(1636)以前は清朝では「公主」は統一して「格格」と称されていた。「格格」は満州語になり、漢語では「小姐」の意味になる。ホンタイジの治世で皇后の娘を「固倫公主」と定めた。「固倫」は満州語で「国」「国家」の意味を表す。妃嬪の娘は「和碩公主」と定め、「和碩」は満州語で「四方四角」の意味を表す。

ここも清西陵で世界遺産の一部なのだが非公開で門は閉まったままだ。門の隙間から内部を見ることは出来る。14:10頃、公主園寝を離れる。

清西陵 端親王園寝

14:15頃、端親王園寝に到着。端親王園寝は雍正帝の長男である端親王弘暉が埋葬されており、弟の弘昀、弘昐、福宜も附葬されている。弘暉は康熙43年(1704)に8歳で逝去する。乾隆2年(1737)11月にこの地に埋葬された。端親王園寝も非公開で門が閉じられたままである。

清西陵 阿哥園寝

続いて隣の阿哥園寝へ移動。ここは皇子たちの陵墓で門が閉じられたままである。14:40頃、阿哥園寝を離れる。

清西陵 泰妃園寝

15:15頃、泰妃園寝に到着するが工事中で門にすら近づけず。泰妃園寝には雍正帝の21人の妃嬪が埋葬されている

入口の石橋だけ見物して、15:20頃に泰妃園寝を離れる。

清西陵 泰陵

16:00頃、泰陵に到着。泰陵は明日見物するので外から見るだけにする。

神道を歩いて大紅門へ向かう。

この神道がかなり長い。

神道を抜けると大紅門に到着。今日はこれで宿に戻ることにする。17:15頃、国道で易県行きのバスに乗車。易県までの運賃は6元。途中でガソリンスタンドで軽油を給油していく。原油相場が50ドル割れして久しいので軽油は1Lで3.75元になっていた。17:45頃、バスターミナル隣の易州停車場に到着。

炸醤熱乾麺

夕飯は近くの武漢名物の熱乾麺の店へ。

何種類かの熱乾麺があったが炸醤熱乾麺(7元/約119円)を注文。炸醤、ピーナッツ、ネギが載っている。炸醤の味噌味が美味く麺に絡めて食べます

嶗山ビール

食後は近くのスーパーマーケットへ買い出しへ。

超市の入口には一部で有名な麦香基がある。

嶗山ビール(崂山啤酒)600ml(2.5元/約42円)を購入。

山東省嶗山が生産地かなと思ったが、ラベルを見る生産地は河北省張家口になっている。本物なのだがダメだな。嶗山ビールなら生産地が山東省でないと。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14.8元
バス 2元 路線バス
バス 35元 北京→易県
バス 6元 易県→西陵
バス 6元 西陵→易県
合計 63.8元

世界遺産 清西陵2日目

06:45頃、ホテルを出てバスターミナルへ移動。今日の天気は曇りで暑いけど日差しがないので昨日よりはマシだ。07:10頃、易県汽車站の西隣の易州停車場に到着。清西陵行きの清西陵旅游专线と表示された9路のバスに乗車。

07:15頃、出発しノロノロ運転で街中を走りながら客を拾う。そして、客だけでなく饅頭、卵、ネギなどの野菜が積まれる。宅配もやっているようだ。9路のバスは永福寺、崇陵への分かれ道を経由して泰陵へ向かう。途中の村の超市で饅頭とかを降ろしたり、地元民を乗せたりする。

清西陵 泰陵

08:00頃、泰陵に到着し運賃6元だ。9路のバスは更に奥へ進んでいくので昌西陵、慕陵あたりまで行きそうだな。まずは入場券売り場へ行くがまだ閉まっている。08:00営業開始なのだが多少の遅刻は問題なしか?いや、数人のおばちゃんたちが待っているので鍵持ちの奴が遅刻しているようだ。

08:15頃、ようやく営業開始。泰陵の入場料は45元だが、今回は泰陵45元、崇陵45元、昌西陵20元、慕陵20元、永福寺15元がセットになった連票120元を購入。

泰陵は清朝第5代皇帝である雍正帝の陵墓になり、1730-1736年にかけて建設された。

清西陵で第一陵とされ最も規模が大きく観光客が最も多く訪れる陵墓である。清西陵といえば大体はこの泰陵を指す。

陵墓の規模は本当に大きく入場券売場から入口まで5分ぐらい歩く。建物はかなり傷んでおり一部が修復工事で閉鎖されていたりする。

これは陵寝門でこの奥に陵墓がある。

陵寝門を通ると明楼だ。明楼の裏山が陵墓になる。

朝一番で入場したので観光客はまだおらず。いるのは掃除のおばちゃんぐらいだ。泰陵は一番観光客が訪れるので朝一番での入場が狙い目のようだ。

明楼の裏側から撮影。

明楼から陵墓を囲む城壁を歩いて一周する。09:10頃、泰陵を離れる。

清西陵 昌陵

09:17頃、昌陵に到着。昌陵は清朝第7代皇帝である嘉慶帝の陵墓である。雍正帝の泰陵の西に位置しているのだが修復工事中で封鎖されていた。

見物できるのは昌陵の神道のみだ。

清西陵 昌妃園寝

09:50頃、昌妃園寝に到着。嘉慶帝の妃の陵墓だが門はしまっており非公開。

清西陵 昌西陵

10:10頃、昌西陵に到着。昌西陵は嘉慶帝の皇后である孝和睿皇后の陵墓である。

見所は回音壁である。いや、見所でなく聞き所かな?回音壁は壁に音が反射して響いて聞こえるのが特徴だ。日光東照宮の鳴き龍みたいな感じだ。10:30頃、昌西陵を離れる。

清西陵 慕東陵

11:15頃、慕東陵に到着。慕東陵は清朝第8代皇帝の道光帝の妃である孝静成皇后の陵墓である。

ここも非公開で修復工事中なので壁に添って一周するだけ。

清西陵 慕陵

11:40頃、慕陵に到着。慕陵は清朝第8代皇帝である道光帝の陵墓である。

清西陵では一番西にある陵墓になる。要するに一番奥にある陵墓だ。

なので、昼近くでもほとんど観光客がいない。

陵墓は所々で修復工事が行われており一部見られない場所もある。12:10頃、慕陵を離れる。12:45頃、昌西陵を通過、13:15頃、泰陵を通過。13:00頃、9路のバスとすれ違う。
朝は頻繁にすれ違っていた覚えがあるが昼間は1時間に1本のようだ。

清西陵 泰東陵

泰陵から泰東陵へ向かうと道の修復工事が行われている。そうすると陵墓も工事だな。

13:35頃、泰東陵に到着。泰東陵は雍正帝の妃で第6代皇帝である乾隆帝の生母である孝聖憲皇后の陵墓である。非公開で修復工事中であった。

13:45頃、道に出てバスを待つ。もう足が疲れて動けないのバスで移動だ。13:50頃、泰陵へ向かう9路のバスが通過。バスを待っているとボリタクの運ちゃんに声をかけられるがカモになるつもりはないので無視する。

清西陵 崇陵

14:30頃、9路のバスに乗車、運賃5元で14:40頃、崇陵にて下車。14:45頃、崇陵に到着。清西陵では泰陵に次ぐ規模を誇る陵墓が崇陵だ。

崇陵は清朝第11代皇帝である光緒帝の陵墓になり、1909年から1915年にかけて建設された。この光緒帝の陵墓が中国最後の皇帝陵墓になる。光緒帝は在位34年(1875ー1908)と長く「戊戌変法」による改革を行うが103日で西太后のクーデターにより改革は失敗してしまう。

1908年11月、西太后が死去する前日に光緒帝が崩御するが死因は調査により2008年に砒素中毒と判明する。これは光緒帝が毒殺されたことを意味している。

光緒帝の陵墓は生前には建設されておらず、溥儀が皇帝に即位してから崇陵の造営が始まる。辛亥革命により1912年に溥儀が皇帝を退位するが、中華民国により崇陵の造営が続けられた。

崇陵の地下宮殿は公開されており内部を見物することが出来る。内部は外とは違い夏でも涼しくひんやりしている。

地下宮殿は軍閥により盗掘されており、現在は墓室の奥には棺が残されている。

手前が光緒帝、奥が孝定景皇后の棺になる。

で、外に出ると前方から金持ちの観光客たちがやってきた。

でも、今日は暑いので腹出し族も混じっている。15:35頃、崇陵を離れる。

清西陵 永福寺

15:55頃、永福寺に到着する。永福寺は1787ー1788年にかけて建設された寺院になり清朝皇家陵寝御用寺廟である。

観光客は殆どおらず境内は静かだ。

とりあえず本殿の仏像を見物。16:42頃、9路のバスに乗車して易県へ戻る。運賃5元、17:00頃、易県に到着。

麦香基

夕飯は昨日見つけた麦香基へ行ってみる。どうも麦当劳と肯德基を足したように思ってしまうのは気のせいか?

とりあえずカウンターへ行ってみるが日本のファストフード店のようなスマイルはなくツンツンしたお姉ちゃんが対応だ。ある種の趣味を持ったアキバあたりに生息する一部のブタには非常に魅力的だろう。とりあえずメニュー表見て奥尔良烤鸡腿堡(10元/約170円)、牛肉堡(7元/約119円)とホットミルク(3.5元/約60円)を注文。

これが牛肉堡でハンバーガーなのだがピクルスが生キュウリになっているのが中華式のようだ。味の方は普通のハンバーガーでマクドナルドと大差なしのような気がする。

こちらは奥尔良烤鸡腿堡で鶏肉のハンバーガーでレタスが挟まっており牛肉堡より美味いような。麦香基は意外にも不味くないファストフード店であった。まあ、値段は高めに設定されているので自分はイスラム食堂で十分かな。

食後は超市でビール味炭酸飲料を購入して宿へ戻る。速8酒店に戻るがエレベーターを使おうとしたら上の階から裸族のおっちゃんがタバコ吸いながら降りてきた。エレベーターは禁煙なのだが・・・。で、エレベーターで部屋のある階へ行くが扉が開くと同時におサルさんが突撃した乗り込んでくる。こちらに当たっても何も言わず。

中国では地下鉄とかで「先下后上」というのを呼びかけているのだが効果が上がっていないようだ。まあ、おサルさんだから長い目で進化するのを待つしかないかな。冷めた目で見守ってあげましょう。少なくとも自分が生きている間におサルさんたちがそこまで進化することはない。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 28.1元
バス 6元 易県→泰陵
バス 5元 泰陵→崇陵路口
バス 5元 永福寺→易県
清西陵連票 120元
合計 164.1元

易県→北京

06:20頃、速8酒店をチェックアウトする。まだ早朝なので車は少なくクラクションの音を聞かず比較的平和だ。でも、手鼻の音は既に聞こえている。今日も中国は平和だな。06:40頃、易県汽車站に到着。

北京行きのチケットを購入。北京までは35元。

北京行きのバスはバスターミナルからの発車でなく、バスターミナル前に路駐しているので一度外に出てバスに乗車。

07:00頃、バスが発車する。高速道路を北へと爆走して行くが車内の様子はこんな感じでおサルさんの楽園になっている。おサルさんが肘掛けに足を置いてくつろいでおります。北京から少し離れただけなのにおサルさんの楽園が広がっているとは中国は本当に野生の王国だ。

学校では中国がこんな野生の王国だなんて習っていなかったので、もう驚きだ。学校で習った中国は世界中からキャラバン隊が唐の長安を訪れており、中国は世界の中心で文明の最先端だということだったのだが・・・。自分は何も知らない井の中の蛙で無知である。日本の教育は間違っており、もっと中国について勉強しなくては!

北京でバスターミナルの移動

08:55頃、バスターミナルの麗澤長途汽車站に到着。易県から北京まで約3時間の道のりであった。バスターミナルの出口では身分証確認と手荷物のX線検査があり列ができている。ウルムチみたいに警備が厳重だがバスターミナルに到着する前に下車した客はどうするの?突っ込みどころのある北京の警備のような・・・。

で、保安の兄ちゃんにパスポートを提示すると中身を確認しているが混乱している様子だ。一応は写真確認してパスポート返却で終了。地下鉄の西局駅へ歩いていく。

09:15頃、地下鉄の西局駅に到着し10号線に乗車する。国貿駅で地下鉄1号線に乗り換え、10:08頃、四惠駅で下車。

北京→遵化

連絡通路を通り四惠長途客運站へ移動。途中の通路で保安が身分証確認をしており保安に「身分証出示一下」と言われるが、身分証なんて持っていないので普段受けている「没有」攻撃を逆にやってみる。で、パスポート出したら中身確認せず「行っていいよ」になる。小日本には用はなかったようだ。

続いて窓口で遵化行きのチケットを購入。遵化までの運賃は55元。購入時に身分証が必要なのでパスポートを提示するが窓口のおばちゃんは入力が面倒なようで文句言いながら入力していたが途中でやめて発券する。やはり外人は未入力でいいのでは?

バスは10:20発で3分後に発車ではないか!急いで改札へ向かいバスに乗車するが5分遅れで出発。高速道路に入り北京から東へとバスが爆走していく。

11:20頃、隣のおっさんがゲップを吐く。おサルさんがバスに乗車していたのか・・・。まだゲップを吐いているだけだが、そのうちゲロ吐きに変わると恐ろしい光景が広がるだろう。何とかゲロ吐きはしないでくれ!

遵化汽車客運站

北京市を出て、11:40頃、天津市薊県に入り高速を降りて河北省へ入る。13:20頃、バスターミナルの遵化汽車客運站に到着。

まずは時刻表を確認するが少し古そうな気配がする。一応だが北京、天津、唐山、東陵が主要路線としてある。




運賃表の方は電光掲示板で表示されているので正確なようだ。




世界遺産 清東陵のある東陵までは運賃8.5元になっている。

速8酒店

続いてQunar.comで予約しておいた速8酒店へ移動。易県で速8酒店に宿泊して遵化でも速8酒店だ。バスターミナルの斜め向かいなので立地は良好だ。予約時は外人OKか不明だったが大丈夫であった。まあ、アメリカ生まれのビジネスホテルチェーンなのに外人お断りではおかしいからな。1泊96元の部屋に2泊する。予約時に支払いも済ませておけば1泊88元だったのだが、外人OK宿か不明だったので8元高い到着時の支払いにしておいた。

部屋は窓無し1人部屋で広さはビジネスホテルらしく小さくて調度良い。

エアコン、IPTV、電気ケトル、LANコンセント付きだ。Wi-Fiもあってちゃんと繋がる。

トイレ・シャワーも問題なしだ。

小姐の貼り紙

寝床を確保したので周辺の調査へ出かけるが暑い。暑いので遠出せずに近場の散歩になってしまう。で、足元の歩道には小姐の貼り紙が・・・。遵化でも小姐が特殊服務をやってくれるらしい。

電柱にも美女服務の貼り紙がある。でも、電話しても小姐や美女は来ないだろ。来るのは胖姐、大姐とかの類だな。

鶏蛋炒飯

少し遅目の昼食にイスラム食堂で鶏蛋炒飯(7元/約119円)を食べる。7元の炒飯にしては量が多いではないか!北京なら10元でこれより少ない。遵化は田舎なので物価が少し安く牛肉麺7元、牛肉拌麺10元となっている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 21.2元
宿泊費 192元 1泊96元×2
地下鉄 5元
バス 35元 易県→北京
バス 55元 北京→遵化
合計 308.2元

停電発生

03:30頃、ウンコしたくなって起きたら停電だ。窓無し部屋での停電なので完全に真っ暗だ。ここでヘッドライトの出番で、川口弘探検隊のようにヘッドライト装着でトイレへ。中国は日本ではありえないほど頻繁に停電があるのでヘッドライトがないとトイレへたどり着けずに漏らす確率が高くなる。

06:30頃に起床するが停電したままだ。バスターミナル前の信号も消えたままなので交通ルールは存在していない。元々ルールなんて守っているのかというのは考えないようにしておいて・・・。今更ながらレセプションで停電か聞いてみたら、やっぱり停電だった。で、朝食も停電の影響で遅れるということなので清東陵へ行くことにする。今日も天気は晴れだが朝から暑くやる気を削がれる。

世界遺産 清東陵へ

07:00頃、バスターミナルの遵化汽車客運站で東陵行きチケットを購入。運賃は8.5元、07:10発のバスになるが時間になってもバスが来ない。まあ、時刻通り運行しないのは基本。

08:05頃、東陵行きのバスが来た。運ちゃんに東陵行きか聞いてみると東陵行きであったが、08:10発のバスであった。自分の持っているチケットは07:10発のバスで、どういうことだ?

で、1時間待っていたことを言うとどこかへ電話している。そして、話の内容から07:10発のバスの運ちゃんに電話しており、「バスターミナルに入らなかっただろ!」というのが聞き取れた。解ったのは07:10の運ちゃんがバスターミナルへ入らず路上から出発していたということであった。他にも07:30発とかのバスも全てバスターミナルへ入っていなかったというのも判明、これではいつまでたっても来ないわけだ。

まあ、中国なので決められた場所以外の発車もありだな。とりあえず、このまま東陵行きバスには乗車できる。遵化へ戻る最終バスは17:00頃というのも確認しておいた。本当に17:00頃かは怪しいが・・・。

10分遅れの08:20にバスが発車する。乗客は自分を含めて7人で、さっそくバスターミナル前の交差点で客を乗せる。バスターミナルの意味ないのでは・・・。どうやら路上で東陵行きのバスを拾うのが良いようだ。とにかく客を乗せながら東陵へ向かい、遵化を出る頃には満員になる。

清東陵 慈禧陵(西太后の陵墓)

09:30頃、東陵に到着。慈禧陵、裕陵妃園寝(香妃墓)、裕陵のすぐそばの駐車場が終点だ。游客服務中心に行くのかと思っていたら違っていた。ここから游客服務中心は約9kmも離れていた。

まずは慈禧陵で入場券を購入。入場料は裕陵62元、慈禧陵62元、セットの連票122元になる。

連票122元を購入して見物開始だ。

慈禧陵は西太后の陵墓であり同治12年(1873)から光緒5年(1879)に建設され銀227万両が費やされた。1928年7月に軍閥の孫殿英に盗掘され財宝は持ち去られている。

西太后の陵墓ということはあって規模は大きい。まずは隆恩殿から見物。

続いて明楼だ。この奥が宝頂で墓になる。

慈禧陵は地下宮殿が公開されており見物ができる。盗掘されているので財宝は失われてしまったが墓室には棺が安置されている。

地下宮殿の上は、このように土が盛られ小山になっている。

清東陵 慈安陵

続いて慈禧陵の西隣にあるのが慈安陵で東太后の陵墓になる。慈安陵は同治12年(1873)から光緒5年(1879)に建設され銀266万両が費やされた。東太后は清朝第9代皇帝である咸豊帝の皇后で正式には孝貞顕皇后と呼ぶ。西太后の慈禧陵と東太后の慈安陵を合わせて定東陵とも呼ぶ。

門は閉ざされ非公開となっている。10:30頃、慈安陵を離れる。

清東陵 裕陵妃園寝(香妃墓)

10:40頃、裕陵妃園寝に到着。裕陵妃園寝は乾隆帝の妃嬪たちの陵墓になり36人の妃たちが埋葬されている。特に容妃(香妃)が埋葬されていることで知られている。そう、ここは香妃墓である。香妃墓は新彊ウイグル自治区カシュガルにもあるのだが、清東陵にある香妃墓が本物である。

以前、自分はカシュガルの香妃墓を本物だと思っていたが清東陵に本物があることに驚いたというか納得した。今までは何で香妃だけ故郷に墓があるのかと思っていた。だがこれで新たな疑問が出てきた。カシュガルにある香妃の棺は誰の棺?

この裕陵妃園寝で一番大きいのが純恵皇貴妃の陵墓だ。1人だけ明楼があり規模が大きく地下宮殿が公開されている。

そして、説明が表示された墓が香妃墓になる。香妃墓の地下宮殿は公開されており内部を見物することができる。

規模は小さいのだが墓室に棺が安置されている。11:05頃、裕陵妃園寝を離れる。

清東陵 裕陵

11:15頃、裕陵に到着。裕陵は清朝第6代皇帝である乾隆帝の陵墓になり清東陵では西太后の慈禧陵と人気を競う陵墓だ。

猛暑の中でも観光客が多く賑わっているが、後ろのおっさんがゲップしている。世界遺産でゲップするとは、乾隆帝もびっくりであろう。というか、なぜ中国にはゲップするおっさんが多いのだ?

裕陵の地下宮殿は公開されており見物することができるが、1928年に軍閥の孫殿英により盗掘されている。

地下宮殿は外とは違いが涼しく快適だ。墓室への通路の壁には菩薩やチベット文字が彫られており地下宮殿にチベット仏教の世界が広がっている。

墓室には乾隆帝と妃たちの棺が安置されている。地下宮殿から外へ出ると物凄い暑さが待っていた。やる気を削がれる暑さだ。夏の河北省は来るべきではないな。12:15頃、裕陵を離れる。

清東陵 孝陵

続いて孝陵へ向かう。途中で神道に出たので歩いて行く。この奥に孝陵があるのだろう。

少し歩くと孝陵が見えてきた。

12:30頃、孝陵に到着。孝陵は清朝第3代皇帝である順治帝の陵墓である。

まずは隆恩殿から見物するが金持ちの中国人観光客が隆恩殿の前で痰を吐いている。順治帝は自分の陵墓で中国人に痰を吐かれるとは思っていないだろう。こちらとしては順治帝が中国人にとってその程度の存在だったということに驚きだ。

陵寝門は閉じられており奥の陵墓は非公開になっている。12:45頃、孝陵を離れる。

清東陵 孝東陵

13:00頃、孝東陵に到着。順治帝の皇后と28人の妃嬪たちの陵墓である。門は閉まっており非公開だ。

外から様子を窺うことしかできない。13:10頃、孝東陵を離れる。

清東陵 景陵

13:45頃、景陵に到着。景陵は清朝第4代皇帝である康熙帝の陵墓である。

景陵も隆恩殿までは公開されている。

陵寝門は閉じられ奥へは進めない。

奥に見える明楼や宝頂といった肝心な部分は非公開になっていた。観光客はほとんど訪れず入口のおばちゃんたちは世間話中。

暑さは厳しさを極めつつあり腹出し族でなく裸族のおっちゃんまで出現するほどだ。14:10頃、景陵を離れる。

14:15頃、遵化行きのバスがちょうど通りがかったので乗車する。もう暑すぎてダメだ。
非公開の陵墓まで見物する気力がない。遵化までの運賃は6元、東陵でも途中からの乗車なので少し安い。

黄燜鶏米飯

夕飯は近くの食堂で黄燜鶏米飯(17元/約289円)を食べる。黄燜鶏米飯は山東省済南の名物料理だ。土鍋で煮こまれた鶏肉が柔らかく美味い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19元
バス 8.5元 遵化→東陵
バス 6元 東陵→遵化
清東陵 122元
合計 155.5元

北京・世界遺産 周口店の北京原人遺跡

北京・天津・河北省旅行記2016

北京原人の周口店へ

07:10頃、ユースホステルを出てバス停へ。07:20頃、西四路口西のバス停から3路のバスに乗車し北京西駅へ移動。運賃1元で07:45頃、北京西站のバス停で下車。08:10頃、901快のバスに乗り換える。周口店猿人遺址までは直線距離で約40kmになる。運賃3.5元で9:00頃、閻村のバス停で下車。

09:15頃、房38路のバスに乗り換えて周口店へ向かう。周口店鎮の中には新しくできた博物館があるが、そちらは有料なのでそのまま通過だ。10:00頃、猿人遺址のバス停で下車する。運賃は2元。

世界遺産 周口店の北京原人遺跡

すぐ近くの線路を渡ると世界遺産 周口店の北京原人遺跡に到着。入場料30元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い入場券を受け取り見物。

観光客を避けて誰もいない場所から見物していく。

洞窟の中には入れる所もある。

ここは猿人洞になり1959年に北京原人の下顎が発見されている。

保護工事で封鎖されているが1929年に北京原人の頭蓋骨発見地点が見える。

言わずと知れた周口店で今日は土曜日ということもあり家族連れや欧米人の団体が多い。それでも世界遺産にしては観光客は非常に少なく穴場ともいえる。で、観光客のおっちゃんやおばちゃんが狙ったかのように目の前で痰を吐いてくれる。

なんで世界遺産におサルさんが紛れ込んでいるのだ?いや、場所的に考えれば北京原人が生きた化石で生息しているということか?というか、中国全土に多数の北京原人やおサルさんの類が生息していそうな気がするのは気のせいか?

11:45頃、周口店北京原人遺跡を出る。12:15頃、猿人遺址のバス停から房38路のバスに乗車。運賃2.5元で13:10頃、拱辰南街のバス停で下車、地下鉄の高架に向かい歩いていく。13:20頃、地下鉄房山線の良郷南関駅に到着。西四駅まで運賃7元で地下鉄を乗り継いで行く。14:40頃、地下鉄4号線の西四駅に到着

中国地質博物館

D出口を出て目の前が中国地質博物館だ。国土資源部の隣にある博物館で、日本で言えば国土交通省の隣に博物館がある感じかな。入場料30元だが年票を使い無料で見物する。

地質博物館なので鉱物の展示が多い。

土曜日なので家族連れが多い。

歴代帝王廟

15:20頃、国土資源部の斜め向かいにある歴代帝王廟を訪れる。入場料20元だが年票を使い入場券を受け取る。

歴代帝王廟は明の嘉靖9年(1530)に創建され480年以上の歴史を持ち、明、清の皇帝たちが歴代王朝の皇帝や名臣たちを祀り祭祀を執り行っていた場所である。

この歴代帝王廟には歴代の皇帝たちの位牌と共に劉備の位牌があるのが特徴だ。ちなみに三国時代は魏の皇帝たちと劉備の位牌だけで劉禅の位牌はないし、孫権たち呉の皇帝たちも祀られていない。このことから劉備の扱いが特別であることが伺える。

東配殿と西配殿には歴代王朝の名臣たちが祀られており、その中には諸葛亮と趙雲が祀られている。だが名臣たちの位牌はなくパネル展示になっている。
16:25頃、歴代帝王廟を出る。

黄燜鶏米飯

夕飯は近くの食堂で黄燜鶏米飯(18元/約306円)を食べる。黄燜鶏米飯は山東料理で鶏肉と野菜の土鍋ご飯になる。鶏肉は長時間煮こまれているので骨まで柔らかくなっている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 27.05元
地下鉄 7元
バス 9元 路線バス
合計 43.55元

東直門から懐柔区

06:10頃、ユースホステルを出て西四路口北のバス停から3路のバスで東直門へ移動。運賃1元で07:05頃、終点の東直門枢紐站で下車して東直門外のバス停へ。今日は万里の長城の響水湖長城(响水湖长城)へ向かう。07:15頃、東直門外のバス停に到着。紅螺寺行き867路のバスに乗車して07:30頃、バスが発車する。

紅螺寺は世界遺産 慕田峪長城の手前にある北京の古刹でかなり有名な寺らしい。ただし入場料54元なので行かないというか、高くて行けない。運賃5.5元、867路のバスで懐柔汽車站を過ぎたところの于家園のバス停で09:10頃に下車。

于家園からはH34路のバスで響水湖長城まで行けるのだが、午前中は06:45と10:30の2本しかバスがない。他にはH23路のバスで響水湖路口(响水湖路口)まで行き約3km歩くという方法がある。ちなみにH34路とH23路はバス停の標識はないので地元民とバスの動きを観察する必要がある。

09:30頃、H23路のバスに乗車して響水湖路口のバス停で下車するはずが2つぐらい手前で降りてしまい歩くことに・・・。とりあえず運賃は2.5元。

響水湖長城

10:40頃、響水湖長城(响水湖长城)との分かれ道の響水湖路口(响水湖路口)に到着。ここで降りておけば良かったようだ。まあとにかく今は前へ進むのみ。

強い日差しの中を遠くに見える万里の長城目指して歩いていく。でも、天気予報だと北京の最高気温は36度のようだ。真夏日で明らかに外を出歩く天気ではない。

11:20頃、響水湖長城(响水湖长城)の入口に到着。入場料32元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い入場。長城へ向かって歩いているとH34路のバスに追い抜かれる。これだと本数少なくてもH34路で響水湖長城へ行った方が楽だな。景区入口の奥にさらに游客中心があり、ここでも入場券購入可能だ。H34路のバスで来たら入口で降りずに游客中心まで行った方が長城に近いな。

響水湖長城(响水湖长城)は世界遺産 慕田峪長城の西隣に位置する万里の長城であり、響水湖長城、磨石口関、驢鞍嶺長城、連雲嶺長城で構成されている。

まずはダム湖になっている磨石口関から長城を登る。磨石口関は明の永楽2年(1404)に建設され「双関子」とも呼ばれていた。元々は北斉が建設した万里の長城があり、その跡に磨石口関が建設された。ダムの建設に伴い磨石口関はほとんどが破壊されてしまったが湖底には当時の水門関が残されている。

磨石口関にはダムが建設されダム湖になっているのだがダムは完全に干上がり機能を失っている。北京の水不足と砂漠化を表した光景ともいえるだろう。

ダムのある磨石口関から東側の響水湖長城は観光整備されており綺麗に修復されている。日曜日なので家族連れの観光客が多いが、この猛暑の中では長居する観光客はほとんどおらず早々に帰ってしまう。

ダムの西側の驢鞍嶺長城、連雲嶺長城はほとんど修復されておらず明代の万里の長城の姿がそのまま残っている。

雰囲気はよいのだが崩壊している部分が多く足下はかなり危険だ。

歩くことが出来るのが驢鞍嶺長城で連雲嶺長城は立ち入り禁止になっている。

これは左手前が驢鞍嶺長城になり、奥が響水湖長城になる。響水湖長城の更に山の向こう側に慕田峪長城がある。

13:45頃、游客中心の駐車場に戻ってきた。懐柔へ戻るH34路のバスは15:15発なのでしばらく待機だ。暑さで動く気に離れないので駐車場の木陰で大人しくする。14:00頃、金持ちの家族連れが駐車場に車を止めていくが、おっちゃんがでかいゲップをしている。
なぜ中国はゲップをする奴が多いのだ。

懐柔から北京市内へ

15:05頃、懐柔からのH34路のバスが游客中心の前を通過する。これが15:15発のバスだな。15:25頃、懐柔へ戻るH34路のバスに乗車する。響水湖長城景区を出ると地元民が大量の乗車してきて大混雑になる。16:15頃、終点の于家園のバス停に到着、運賃は3元。

東直門外まで戻る867路のバス停は道なりに南へ歩いて交差点を渡った所にある。16:43頃、紅螺寺から東直門外まで戻る867路のバスに乗車、運賃は5.5元。幸い空いており余裕で席に座れるしエアコンが効いているので涼しく快適だ。18:35頃、東直門外のバス停に到着、東直門枢紐站へ移動するが3路のバス停までがファイナルファイトの世界でカオス過ぎる。18:55頃、運賃1.5元で3路のバスに乗車してユースホステルへと戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10.5元
バス 19.5元 路線バス
合計 30元

暑さで籠る

昨日の万里の長城を猛暑の中で歩いたので遠出する気が起きない。それに今日は月曜で博物館とかは休みなので近場もダメだな。今日はエアコンの効いたドミで休息だ。Qunar.comで易県の速8酒店を予約して清西陵へ行く準備をしておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 7.5元
宿泊費 198元 予約:速8酒店
合計 205.5元

世界遺産 万里の長城・水関長城

07:10頃、ユースホステル近くの北京三十九中学のバス停から55路のバスに乗車。運賃1元、07:20頃、徳勝門にて下車。徳勝門から919路のバスで水関長城や八達嶺へ行ける。

919路のバスに乗り換えるが後ろに並んでいるおっさんの痰吐きの音が鳴り響く。そして、乗車後は横のおっさんがゲップを吐いている。1回でなく2回だ。今日も朝から精神的にやられっ放しだが中国はいつも通り平和で絶好調のようだ。

07:30頃、バスが発車し水関長城へ向かい、08:50頃、水関長城に到着。運賃は5.5元だ。

水関長城の入場料は40元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い無料で見物する。水関長城は八達嶺長城と居庸関の間にある万里の長城の一部で世界遺産でもある。

北京市内は暑かったのだが標高約500mの水関長城は曇りで風が吹いており涼しい。長城を登るには好条件だが曇っているので撮影には向かないな。

長城を登っていき敵楼に入ると標識に眼が止まる。

「厳禁大小便」の文字が目立つ。そう万里の長城は野糞ポイントになっているのだ。ここ世界遺産なのだが・・・。原因は不明であるが中国では立ち小便や野糞がやたらと多い。草むらとかでは犬の糞より人糞に遭遇する確率のほうが高いだろう。万里の長城では周囲から見えにくい所では野糞の跡があったりする。

そんな野糞禁止の水関長城であるが遠くへ続く城壁の迫力はすごい。

世界遺産で北京でも知られた観光地の水関長城だが八達嶺ほど混雑はしておらず空いている。ただ長城はかなり急な階段になっているので年寄りにはきついだろう。

長城をひたらすら登って行くと徐々に観光客が少なくなってくる。階段が急なので登らずに引き返してしまう観光客が多いのだろう。

09:30頃、標高約630mの水関長城の北の端までやってきた。入口からの高低差は約130mになる。この先を進むと八達嶺につながっているが通行禁止で保安が警備している。

雨が降ってきたので戻ることにする。09:39頃、おっちゃんがタバコ吸いながら世界遺産 万里の長城を上っている。

世界遺産で吸うタバコは格別の味なのだろう。

でも、この水関長城は禁煙なのだが・・・。文明旅游!

で、更に水関長城は落書き禁止でもあるのだが、外国人でも遠慮せずに落書きするようです。10:30頃、入口に戻ってきた。

近くに詹天佑旧居があるので見物していく。

中国鉄道の父として知られる詹天佑が八達嶺のスイッチバック建設時に住んでいた場所のようだ。

10:50頃、運賃1.5元で919路のバスに乗車して八達嶺で下車する。水関長城からは北京市内へ戻るバスがないので八達嶺まで抜ける必要がある。11:00頃、八達嶺のバス停から八達嶺駅へ向かう。

八達嶺駅からS2線で北京北駅へ行こうと思ったが次の列車が13:40発だったので、そのまま八達嶺長城を通り抜ける。今日は天気が悪いので八達嶺長城は霧に隠れてほとんど見えないし観光客は少なく空いている。雨が降ったり止んだりしており観光には向かない天気だ。

11:45頃、八達嶺長城のバス停に到着。12:00頃、徳勝門行き877路のバスに乗車する。運賃6元、13:20頃、徳勝門に到着。55路のバスに乗り換えて后庫のバス停で下車してユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10元
バス 15元 路線バス
合計 25元

東岳廟

西安門のバス停から109路のバスに乗車、運賃1元で神路街のバス停で下車。08:45頃、東岳廟に到着。入場料10元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い見物。

東岳廟は元の延祐6年(1319)に創建され泰山神東岳大帝を祀っており、歴代王朝の庇護により華北地区最大の道観(道教寺院)である。現在残っている建築物は清代の物が多く門には康熙帝御筆の扁額があり清朝から手厚い庇護を受けていたことが伺える。

境内の左右には御碑亭があり、左側が乾隆御碑。

右側が康熙御碑になる。

正面には東岳大帝を祀る岱嶽殿があるが内部は撮影禁止。

岱嶽殿の扁額も康熙御筆だ。

境内には道教の神々が祀られており多くの神像が安置されている。

ただし手入れが余りされていないようで埃をかぶり色あせている。

神像が多いだけでなく石碑も多く碑林のようになっていたりもする。

華北最大の道観であるが観光客は少なく空いている。これなら北京市内の穴場の観光地ともいえるだろう。

11:40頃、麗澤長途汽車站にやってきた。ここから清西陵のある易県行きのバスが出ているので確認しに訪れたが空いているので特に問題なさそうだ。

12:15頃、地下鉄の西局駅から10号線に乗車して大回りして西四駅へ向かう。

刀削麺

昼食は久しぶりにイスラム食堂で刀削麺(10元/約170円)を食べる。
北京のイスラム食堂はどこも高いのだが、ここの店は珍しく牛肉麺と刀削麺が10元に価格設定されている。ウナギの寝床のように間口が狭いという悪条件なので安くして客を引き込む作戦だろうか?他の麺や蓋飯とかは値段高いけど。おまけにイスラム食堂なのに燕京ビールが提供されている。自分たちで飲むわけではないから問題ないようだ。

肝心の刀削麺は珍しくスープが濃い口の醤油系になっている。北京は濃い口でないと客が集まらないのか?

本日の出費
項目 金額 備考
食費 22.65元
地下鉄 4元
バス 3.5元 路線バス
合計 30.15元

北京の千年古刹・大覚寺

07:30頃、ユースホステルを出てバス停へ、今日は海淀区の大覚寺へ向かう。07:55頃、西四路口南のバス停から332路のバスに乗車する。運賃1元で08:30頃、中国農業科学院にて下車。08:40頃、651路のバスに乗り換える。運賃2元、09:25頃、楊家庄のバス停で下車。09:55頃、633路のバスに乗り換え、運賃1元で10:15頃、大覚寺のバス停にて下車。

10:25頃、北京市内から約2時間半かけて大覚寺に到着。入場料20元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い無料で見物する。

大覚寺は遼代に創建された千年古刹になる。遼、金の頃は清水院と呼ばれ、金の章宗皇帝の頃には西山八大水院之一とされ、霊泉寺とも呼ばれた。明の宣徳3年(1428)には明朝により修復と拡張が行われ「大覚寺」の名を下賜される。その後、明の正統11年、成化14年及び清の康熙年間、乾隆年間に修復と拡張が行われ現在の規模になる。

2007年に一度訪れているのだが綺麗に整備され観光客もそこそこいる。建築物は明代と清代の物が残っている。

大雄宝殿には西太后によって書かれた扁額が飾られているが殿内入口の真上に飾られているので説明を読んでいないと気づかない可能性が高い。

殿内は撮影禁止であるが安置されている仏像はかなり古く一見の価値有りだ。外からこっそり望遠で撮影。

境内にある遼碑は1068年の物になり大覚寺で最も古い文物になる。大覚寺の正確な創建時期は不明だが、この遼碑により1068年には寺があったことがわかる。

他にも遼代の石獅子も残っていたりする。

寺なのだが奥の方は庭園みたいになっており11:45頃、大覚寺を離れ、11:50頃、大覚寺のバス停に到着。12:00頃、運賃1元で633路のバスに乗車、12:20頃、楊家庄のバス停で651路のバスに乗り換える。運賃2元で13:00頃、中国農業科学院のバス停にて下車。運賃1元で332路のバスに乗り換え西四路口南のバス停で下車しユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 28.25元
バス 8元 路線バス
合計 36.25元

醇親王墓

06:20頃、ユースホステルを出て88路のバスで大鐘寺のバス停へ移動。運賃1元、06:50頃、大鐘寺のバス停で下車。584路のバスに乗り換え、運賃1元で07:30頃、国防大学のバス停で下車する。346路のバスに乗り換え、運賃2元で08:20頃、西埠頭のバス停で下車する。

今日は清の光緒帝の父である醇親王奕譞の陵墓を訪れる。昨日、大覚寺を訪れた際に周辺案内図に醇親王墓があったので行くことにした。

来た道を少し戻り七王坟路へ入る。

七王坟路を西へ歩き山の方へ向かう。まだ朝なのだが既に日差しが強く汗が噴き出る。北京は蒸し暑い。

七王坟路をひたすら歩いて線路を越えていく。

七王坟村の入口に醇親王墓の説明がある。醇親王が道光帝の第七子だったため村の名が七王坟になったとある。

09:10頃、醇親王墓に到着。醇親王奕譞は清の道光帝の第七子で光緒帝の父である。そして、ラストエンペラー傅儀の祖父でもある。

入口周辺で地元民が井戸端会議していたが階段を上ると静かで蝉の声が響いている。階段は所々崩壊している。墓は西山の麓にあるが放置された状態で誰もいない。

階段を上ると碑亭がある。おサルさんたちに落書きされないのように柵で囲まれ保護されている。

橋を渡り奥へと進む。

奥に進むと門がある。

門が閉じられており内部には入れないのかと思ったら脇に小さな入口がある。

崩れかかった階段を上ると醇親王墓が見えてきた。10:00頃、醇親王墓を離れる。

孚郡王墓

この近辺に九王坟という地名があるのでおそらく墓があると思い高徳地図で調べてみるとやはり墓がある。孚郡王墓は道光帝の第九子である奕譓の墓だ。ちょっと行ってみることにする。

11:00頃、孚郡王墓に到着するが門閉まっている。おまけに門に携帯の番号が貼られている。管理人に連絡して開けてもらう方式か・・・。そうすると入場料を勝手に徴収というパターンだな。

11:10頃、九王坟のバス停に到着。バスを乗り継いで13:30頃、ユースホステルへ戻る。

順天府超市

14:00頃、近くの順天府超市でビールを買い込む。

冷えた青島ビール600ml(4.3元/約73円)と特売だけど温い青島ビール氷醇600ml(1.98元/約31円)、藍帯ビール銀装550ml(2元/約34円)、饅頭(2.8元/約48元)の合計11.08元だ。支払いは公交ICカードを使い釣り銭の心配なしだ。

携帯の国際ローミングが

17:00頃、チャイナユニコム(中国联通)の営業庁へ行ってくる。ドコモショップみたいな所で契約変更とかの処理が全てできる店舗だ。実は日本へ帰っている時にネットで国際ローミングの契約を解除して、すぐにまた契約をするというのを試してみたのだが解除はできたけど何故か国際ローミングの再契約ができなかった。

なので、チャイナユニコム(中国联通)営業庁で国際ローミングを設定してもらおうとしたら・・・。
小日本「国際ローミング使えるようにしてちょ!」
窓口の兄ちゃん「電話番号教えて」
小日本「番号これ」(携帯見せる)
兄ちゃんが端末を操作するが・・・。
窓口の兄ちゃん「これどこの番号?」
小日本「西安!」
窓口の兄ちゃん「西安の番号はここじゃ処理できない。北京の番号しかできない。」

日本ではありえないのですが、中国の携帯は全国共通サービスでなく地域ごとでサービスが違うのです。一応は全国共通の料金プランとかがあるのだが地域独自の料金プランもあったりする。ということで、北京では北京のSIMカードしか処理ができないのです。

同じチャイナユニコムのSIMカードでも省を跨げば別会社扱いになってしまう。要するに「西安で契約変更してきな!一昨日来やがれ小日本!」ということである。今回わかったことは省を跨ぐと別会社扱いで処理できないという事、むやみに国際ローミングを解除するなという事である。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 29.08元
バス 7.5元 路線バス
合計 36.58元

羊雑刀削麺

今日は朝から籠っているが、ここ数日同じドミにいるドイツ人たちがいつも早朝に出掛けて空になっているベッドに野郎がいたので驚いていた。明日は北京を一旦離れるので今日は情報収集で過ごす。

夕飯は近くの麺屋へ行く。正宗山陝面館と看板を掲げているので山西省と陝西省の麺料理がメインだと分かる。

とりあえずメニュー表をみて羊雑刀削麺(15元/約255円)を注文。

色々と料理があるが北京は物価が高いので15元ぐらいないと苦しいかな。

今回は羊雑刀削麺なので具材は羊ホルモンで、スープは透明で透き通っており薄口で若干の塩味がする。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20.7元
合計 20.7元

北京・世界遺産 明十三陵 昭陵・長陵

北京・天津・河北省旅行記2016

羽田空港

22:00頃、羽田空港国際線ターミナルにやってきた。01:30発、羽田→上海、春秋航空9C8516便で上海へ移動する。羽田は24時間空港なので深夜便が運行されている。早く着いてしまったので、まだ搭乗手続きは始まっていない。暇つぶしに3Fと4Fのレストラン街を見物するが貧乏旅行者の自分には縁のない場所だったので下のチェックインカウンターを眺める。

22:30頃、チェックインカウンターに並ぶ。前に並んでいる金持ちの中国人観光客の荷物は温水便座、炊飯器の箱が目立つ。爆買いはまだ沈静化していない様子だ。

今回も春秋航空を利用なのだが運賃とかは以下の通りになる。
春秋航空9C8516便
羽田01:30発→上海03:40着
13770円

本当は関空発で移動したかったのだが関空発の航空券は高く羽田発が安かったので羽田→上海となった。搭乗手続きが始まりしばらくすると順番が来て搭乗手続きが11:00頃に完了。

11:10頃、保安検査の列に並ぶが深夜便が多いので長蛇の列だ。夜だからといって利用客が少ないわけではなく混雑している。11:25頃、出国手続き完了。

搭乗開始は00:45なので約1時間ほど時間があるが搭乗口で待機しておく。搭乗口にはほとんど人はいないが程なくして上海行きの乗客で混雑してくる。

羽田→上海

日付が変わりまもなく搭乗開始だ。

足を椅子に投げ出しているおっちゃんももうじき靴を履くだろう。家に帰れば好きなだけ足を投げ出せるな。

00:45頃、搭乗開始になりバスに乗車して、00:50頃、バスが発車するが天気は雨だ。LCCなので外でタラップを上るのだが雨だよ。まあ、LCCなので仕方ないなと思っていたがバスの運ちゃんが上手くタラップの横につけてくれてほとんど濡れずに済む。

01:25頃、扉が閉まり出発。離陸したらそのまま一眠り。

上海浦東国際空港

03:40頃、上海浦東国際空港に到着するが天気は雨だ。タラップを下りるがバスはタラップに横付けしてくれず乗客は傘を差すか、ずぶ濡れになってバスに乗車。

04:05頃、イミグレーションに並ぶ。04:15頃、入国完了、あとは預けた荷物が出てくるのを待つ。04:45頃、荷物を回収して次は税関だが誰もいないのでそのまま出口へ。この時間は税関に誰もいないので密輸し放題である。上海浦東国際空港は夜明け前の到着でも入国、荷物回収、税関を通過して出口を出るまで約1時間のようだ。

とりあえずまだ動いていない地下鉄へ向かう。04:55頃、地下鉄2号線の駅まできたが06:00からの運行でシャッター下りたままなので待機になる。

浦東国際空港→上海駅

05:45頃、駅のシャッターが開いてホームへ。人が多いので初電は見送り1本遅らせて06:05発の列車で移動。上海駅までの運賃は7元になる。地下鉄2号線は広蘭路駅で乗り換えが必要になる。浦東国際空港-広蘭路は4両編成になり、広蘭路駅から市内へは8両編成で運行されているからだ。

世紀大道駅から地下鉄4号線に乗り換えて、07:25頃、上海駅で下車するが中国では降りる人が先ではなく我先になので乗車する乗客が目の前に立ちはだかる。なので、ラグビーやアメフトのように突撃しなければならない。

上海→北京

まずは切符売場で10分ほど並んで北京行きの切符を受け取り、いつもの身分証と切符の照合、手荷物のX線検査を済ませて待合室へだが、身分証と切符の照合ではパスポートの中身は確認されず。外人は用無しのようだ。

上海駅のエキナカを通り待合室へ向かうが朝から人多い。07:45頃、待合室へ入るとちょうど改札が始まったところで小規模の民族大移動が起きている。

今回は12:18発、上海→北京の1462次に乗車する。席は硬座、運賃は156.5元だ。このまま4時間ほど待機となる。

11:20頃、自動改札機の先頭を陣取る。

11:48に改札が始まりホームへ移動。

まずは行先票を撮影。

車内は空いているがすぐにカオス度急上昇で出稼ぎ列車になる。12:18に定刻通り発車する。眠いのですぐ寝る。

14:45頃、公安に起こされる。身分証確認だったのでパスポート提示すると珍しく中身を確認している。今日の公安は真面目だ。通常は中身確認せずに見なかったことにされるのだが、ちゃんと確認しているということはやる気のある公安のようだ。問題なかったので再び寝る。

本日の出費
項目 金額 備考
地下鉄 7元
合計 7元

北京駅到着

10:49頃、北京駅に到着する。さすがに深夜便で羽田から上海へ移動して、そのまま上海駅から鉄道で北京駅まで約1400kmの乗り鉄は疲れる。東京から鹿児島まで座席での移動に近いかな。

まずは北京駅から地下鉄と思ったが地下鉄の入口が人民の海と化しているのでバスを乗り継いでいくことにする。駅の東から北京南駅行き20路のバスに乗車して前門へ向かう。始発のバス停なので座って移動になり公交ICカードで運賃は1元。前門のバス停で22路のバスに乗り換えるがバス停が離れているので5分ほど歩く。

北京青年酒店(金榜縁賓館)

22路のバスは前門が始発なので座って移動になる。運賃1元だが商業街の西単を通るので渋滞がひどく時間がかかる。西四路口北のバス停で下車して10分ほど歩いて北京青年酒店(金榜縁賓館)(北京青年酒店(金榜缘宾馆)/Beijing Sunrise Youth Hostel Beihai Branch)に到着。

今回は長期の滞在で1泊40元×10と1泊48元×2の合計496元になる。で、宿の兄ちゃんが以前宿泊していたのを覚えていてくれたが、おそらく「あー!また来たよ!」とでも思っているのだろう。

部屋は以前と同じ10人ドミトリーだ。ネットは激遅なのだが宿代が安いのと近くに地下鉄の駅やスーパーマーケットの順天府超市があるので便利な点だ。

さて、寝床は確保したので淘宝で錦綉江山全国旅游年票一卡通(98元)を注文しておく。錦綉江山全国旅游年票一卡通は毎年買っていた陝西年票の仲間になる。今回は北京版になるので陝西年票とは少し内容が違っている。

今年最初のライチ

近くのスーパーマーケットの順天府超市ライチ500gで7.5元(約120円)だったので約1kgを購入。他にも饅頭とかの夜食も購入。

土豆絲拌麺

夕飯は近くの山西料理の食堂で土豆絲拌麺(10元/約170円)を食べる。やはり麺料理は中国で食べるのが一番だな。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 34.79元
宿泊費 496元 1泊40元×10
1泊48元×2
バス 2元 路線バス
錦綉江山全国旅游年票一卡通 98元
合計 630.79元

西紅柿鶏蛋蓋飯

11:30頃、昼食を食べにその辺の胡同を歩いて見つけた食堂で西紅柿鶏蛋蓋飯(13元/約221円)を食べる。ちょうど昼時なので地元民でほぼ満席だ。

錦綉江山全国旅游年票一卡通が届く

食後にユースホステルへ戻る途中に携帯が鳴っているの出ると宅配の兄ちゃんから「荷物持ってきたで~!」の連絡であった。タイミングよくユースホステルに戻り荷物を受け取る。

届いた荷物は昨日、淘宝で注文しておいた錦綉江山全国旅游年票一卡通だ。

二連(エレンホト)行き切符購入

12306.comで7月13日、北京→二連(エレンホト)のK3次の切符を購入しておく。包厢硬臥(寝台コンパートメント)で運賃は130元。何で随分先の切符を購入するんだと思われるかもしれないが、実はこの列車はモンゴル・ウランバートル経由のモスクワ行き国際列車なのだ。そのモスクワ行き国際列車を二連(エレンホト)まで乗り鉄するのだ。

今日もライチ

夕飯食べて順天府超市で夜食を買おうと思ったら昨日買ったライチが処分価格で1kg5元(約85円)になっていた。昨日買った時は500g7.5元だったのに一気に3分の1まで値下げされている。残り少ないのでもちろん購入だ。

で、値札が何故か「木瓜」になっている。パパイヤでなくライチなのだが、処分品だから在庫管理もいい加減なのか?

本日の出費
項目 金額 備考
食費 30元
鉄道 130元 包厢硬臥 北京→二連(エレンホト)
合計 160元

中国鉄道博物館東郊館

11:15頃、地下鉄の西四駅近くから3路のバスに乗車するが渋滞がひどい。運賃1元、12:00頃、塔園村のバス停で下車。運賃1元で403路のバスに乗り換え、12:30頃、終点の環行鉄道で下車。

15分ほど歩いて、12:45頃、中国鉄道博物館東郊館に到着。まずは屋外展示の車両から見物していく。

こちらは今では見る機会の減った詔山3型。

そして、定番の東風4型。

解放型蒸気機関車の展示されている。屋外展示の車両は無料で見物できるのだが、屋内展示の車両は入場券が必要だ。入場料は20元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い入場する。

9年ぶりに訪れたのだが、以前は入場券売場におばちゃんがいるだけだったのが館内に保安に兄ちゃんが3人もいるではないか!おまけに土産物屋まであるぞ。物凄い待遇改善だ。

まずはお約束の毛沢東号と朱徳号から見物。

この2両の蒸気機関車の為に中国鉄道博物館東郊館が存在していると言っても良いくらいに毛沢東号と朱徳号の扱いは違う。

毛沢東号は蝋人形が配置され臨場感が出されており他とは扱いが完全に別格だ。

そして、2013年から展示されているのが中華之星。和諧号の陰に埋もれ存在をほとんど知られずに引退してしまった車両だ。

和諧号が登場しなければ高速鉄道は中華之星で開発されていた可能性が高く、試験走行では321.5km/hを記録し、270km/hでの営業運転を目指していたようだが故障の頻発により実際は160km/hでの営業運転にとどまっていた。知る人ぞ知る本物の中国独自開発の高速鉄道車両とも言えるだろう。14:10頃、中国鉄道博物館東郊館を出る。

北京駅で切符を受け取る

14:30頃、環行鉄道のバス停から403路のバスに乗車。運賃1.5元で終点の北京站東まで移動。16:10頃、北京駅に到着。

切符売場で12306.cnで購入しておいた二連(エレンホト)行きの切符を受け取るために15分ほど並ぶが後ろのおっちゃんがおサルさんで床に唾を吐いている。ここ北京は首都のはずだが・・・。いつからサルの惑星になったのだ?

16:25頃、切符を受け取る。16:30頃、北京站東のバス停から20路のバスに乗車。運賃1元で前門東のバス停にて下車。

中国鉄道博物館正陽門館を見物しようと思ったら、16:00で入館終了になっていた。仕方ないので前門のバス停から22路のバスに乗車。運賃1元で西四路口北のバス停で下車してユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16.78元
バス 5.5元 路線バス
合計 22.28元

地下鉄で昌平区へ

07:25頃、ユースホステルを出て地下鉄駅へ向かう。今日は昌平区にある明十三陵の長陵と昭陵を見物する。昌平区までは地下鉄で行けるので、07:35頃、地下鉄4号線の西四駅から西直門駅へ移動。昌平東関駅までは運賃7元だ。

07:40頃、西直門駅から地下鉄13号線に乗り換える。13号線は地下鉄と言っても地上を走っている。08:05頃、西二旗駅で下車する。

昌平線に乗り換えるが昌平から到着する列車はすし詰めで殺人的な混雑だ。昌平線が開通するまでは昌平区から徳勝門まで345快のバスで渋滞の中を移動だったが、昌平線で渋滞知らずになったが埼京線並みの混雑は解消されずだ。これは北京の埼京線といっても良いほどで市内へ向かう人の波で駅は大混雑だ。

逆に昌平へ行く列車は空いておりタイミングさえ合えば座れる。08:15に西二旗駅を発車する。この先は昌平東関駅でバスに乗り換え長陵と昭陵へ向かう。昌平線は十三陵景区駅があるのだが、長陵、定陵、昭陵へ行く場合は昌平東関からバスで移動した方が便利である。明十三陵の入口になる神道へ行く場合は十三陵景区駅から徒歩でも行ける。08:45頃、昌平東関駅に到着。

東関からは路線バスになるが、まずバス停でバス情報の確認だ。314路が定陵、長陵行きになる。

昌67路が定陵、昭陵行きのバスだ。08:55頃、昌67路のバスに乗車。運賃2元、09:30頃、終点の昭陵で下車する。

世界遺産 明十三陵・昭陵

停車場から昭陵村の奥へ5分ほど歩いて、世界遺産 明十三陵・昭陵に到着する。まずは入場料の確認だ。昭陵30元、長陵45元、定陵60元、神路30元になっている。4箇所のセット券は130元だ。

入場料30元であるが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い入場券を受け取る。

昭陵は大峪山東麓に位置しており明朝第13代皇帝である隆慶帝 朱載垕と3人の皇后の合葬陵である。

今日の北京は天気が非常に良く青空が見えている。こういう天気の時に北京の世界遺産を見物できるのは運がよい。

2007年に一度訪れているのだが綺麗に整備されているような気がする。昭陵村は農村のままで変わっていないけど・・・。観光客は少ないので静かに見物が可能だ。今回は欧米人の団体さんを随分と見かけたが海外でも昭陵は有名なのか?

ここは昭陵の明楼になり、この奥の山が隆慶帝の墓になる。

墓は城壁で囲まれており歩いて一周できる。城壁からが隣の定陵や天気が良ければ長陵が見える。10:35頃、昭陵を出て徒歩で長陵へ向かう。

世界遺産 明十三陵・長陵

11:30頃、世界遺産 明十三陵・長陵に到着する。入場料45元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い入場券を受け取る。

長陵は明朝第3代皇帝である永楽帝 朱棣の陵墓である。

長陵は北京市内の徳勝門からバスが出ているので平日でも観光客多いかと思ったら意外にも空いていた。

青空が広がり撮影には良さそうな天気だがツバメが営巣しており撮影しても青空に飛んでいるツバメが黒い点として写り込んでしまう。ツバメのいる時期は撮影には向かないようだ。

ここは長陵の明楼になり、この奥の山が永楽帝の墓になる。

明楼には「成祖文皇帝之陵」と銘された石碑がある。

世界遺産 明十三陵・神道

12:30頃、長陵を離れ定陵へ歩いていく。13:00頃、定陵のバス停から314路のバスに乗車、運賃1元で13:20頃、南新村のバス停で下車。世界遺産 明十三陵・神道があるのだが外から見るだけにしておく。目的はタダで見物できる大紅門だ。

14:00頃、大紅門を離れ地下鉄昌平線の十三陵景区駅へ向かう。15分ほど歩いて田舎の村を通っていくと十三陵景区駅に到着するが農村にある地下鉄駅なので入口がいきなりこれです。壁に小さい穴があいており、ここから駅の敷地に入るのだ。

壁の内側に地下鉄駅があり壁の外側が農村になっている。これが都市と農村の壁になっているようだ。

駅構内は普通の新しい地下鉄駅で、とても農村にあるとは思えない。農村に現れた地下鉄駅なので数年以内に不動産開発で周辺住民は業者に雇われたチンピラによって追い出され高級マンションが建つのだろう。

14:25頃、十三陵景区駅を発車して西二旗駅で13号線に乗り換え、西直門駅で2号線に乗り換え前門駅で下車する。前門まで運賃は7元。

中国鉄道博物館正陽門館

15:50頃、前門近くの中国鉄道博物館正陽門館にやってきた。

昨日は来るのが遅かったので閉館していたが今日は間に合った。入場料は20元だが錦綉江山全国旅游年票一卡通を使い入場券を受け取る。

昨日の東郊館が車両の実物展示が中心になり、今日の正陽門館は資料展示が中心となっている。高速鉄道の模型の展示とかもある。

こちらは高速鉄道の運転シミュレータだ。有料で10元なのだがどの程度の完成度かは見ていないので不明。

ここは高速鉄道の資料展示。

地下には青海チベット鉄道の路線図のジオラマがある。天安門広場近くにある博物館なので金をかけた展示物が多い。16:40頃、中国鉄道博物館正陽門館を出て前門のバス停から22路のバスで西四北路口のバス停で下車してユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16.8元
地下鉄 14元
バス 4元 路線バス
合計 34.8元

四川省の世界遺産 楽山大仏・峨眉山&芭石鉄道

四川省旅行記2016春

峨眉山→楽山

昨日から雨が降っているが、今日も雨だ。予定では報国寺とか見物してから楽山へ移動しようと思ったが、これでは見物は無理だな。まあ、楽山で宿を予約しているのでとにかく移動だ。

09:45頃、宿をチェックアウトして徒歩2分ほどの峨眉山旅游客運中心へ移動するが折りたたみ傘壊れる。楽山行きチケットを購入してバスに乗車する。楽山までの運賃は11元。

10:00頃、バスが発車する。乗客は自分を含め4人。10:19頃、成昆鉄路の峨眉駅の近く、北西にある名山広場站で客が乗り込んでくる。

肖壩旅游車站

楽山まで客を拾いながら走り、10:50頃、バスターミナルの肖壩旅游車站(肖坝旅游车站)に到着する。

まずはバス情報を確認しておく。時刻表を見ると成都と峨眉山行きのバスは多そうだ。

峨眉山行きは報国寺(报国寺)と表記されているのが峨眉山旅游客運中心へ行くバスだ。

続いてバス停で路線バスを確認する。1路と2路は楽山市の北にある楽山聯運汽車站(乐山联运汽车站)、8路は楽山大仏の観光フェリーが出ている楽山港、13路が楽山大仏(乐山大佛)へ行くバスだ。

10:58頃、8路のバスに乗車。運賃1元、11:10頃、海棠公園站で下車する。雨が降る中、来た道を400m-450m戻ると道の向かい側にユースホステルが見えてきた。

楽山海韵国際青年旅舍

11:20頃、ユースホステルの楽山海韵国際青年旅舍(乐山海韵国际青年旅舍/Leshan Haiyun International Youth Hostel)に到着。YHA Chinaの加盟店だがQunar.comで予約しておいた。1泊35元で3泊、既に予約時に料金は支払い済みで登記は問題なし。料金表見ると飛び込みだと8人ドミトリー50元になっているのでネットで予約したほうが良さそうだ。

部屋は8人ドミトリーで各ベッドに照明とコンセント、小物を置く台、仕切りのカーテンもある。部屋はかなり広めでエアコン、洗面台、電気ケトルがある。人数分の中型ロッカーもある。Wi-Fiは電波良好でネットは問題なし。共用のトイレ・シャワーは許容範囲内だ。

香菇炖鶏麺

12:30頃、近くの麺屋で香菇炖鶏麺(9元/約153円)を食べる。シイタケと煮込んだ鶏の骨付き肉が具材に載っている。長時間煮こまれているので骨は柔らかくそのまま食べられる。スープは鶏ガラのようで透明であっさり系だ。

楽山港

雨が降っているので宿に戻るが、14:30頃、雨が止んだので楽山市内の調査に出発。15分ほど歩いて楽山港に到着。楽山大仏の観光フェリーがここから出ており70元もする。

一昔以上前は楽山港から岷江を下り宜賓や重慶へのフェリーがあったようだが、現在は姿を消し楽山大仏の観光フェリーのみになる。

15:20頃、楽山港の路線バスを確認しておく。8路が肖壩旅游車站(肖坝旅游车站)、9路と12路が楽山客運中心站(乐山客运中心站)へ行く。15:25頃、運賃1元で9路のバスに乗車して客運中心站(客运中心站)へ移動。

楽山客運中心站

15:55頃、バスターミナルの楽山客運中心站(乐山客运中心站)に到着。

バス情報を確認するが距離表しか見当たらず。自動券売機があったので芭石鉄道の犍為県(犍为县)行きのバスがあるか確認すると犍為県行きのバスが運行されていた。

路線バスは3路が高速鉄道の楽山駅(高铁乐山站)と楽山大仏(乐山大佛)、9路と12路が楽山港、21路が高速鉄道の楽山駅(高铁乐山站)と楽山聯運汽車站(乐山联运汽车站)へ向かう。16:05頃、21路のバスに乗車、運賃1元、聯運汽車站(联运汽车站)で下車する。

楽山聯運汽車站

16:25頃、バスターミナルの楽山聯運汽車站(乐山联运汽车站)に到着。

バスを確認すると時刻表があった。近郊へのバスが多いようだ。芭石鉄道の犍為県(犍为县)行きのバスは10分間隔の運行のようだ。予約サイトの四川汽车票务网だと芭石鉄道の嘉陽(嘉阳)行きもあるのでバスターミナルの時刻表は古いようだ。

路線バスは21路が高速鉄道の楽山駅(高铁乐山站)と肖壩旅游車站(肖坝旅游车站)、1路が肖壩旅游車站(肖坝旅游车站)へ行く。

楽山にもあるウォルマート

16:40頃、1路のバスに乗車、運賃1元、土橋街で下車。3分ほど歩いて、17:00頃、ウォルマートに到着。楽山にもウォルマートがあった。しかも泊まっているユースホステルから直線距離で約400mだ。

ウォルマートで折りたたみ傘を買おうとしたがダサイタマな柄物しかない。なぜシンプルな黒の折りたたみ傘がないのだ?傘は他で買えばいいか。

今回はウォルマートでライチが売られているのを見つける。海南省海口産、500gで13.8元(約235円)になる。いよいよライチの季節に入ったようだ。まだ値段が高いが6月になれば広東省産が流通し始めて流通量が増えて価格も下がるだろう。

ウォルマートで購入したのはフランスパン(3.5元/約57円)を2本。

傘は露天で購入。25元(約425円)の安物なので1年持てばいいほうかな?

鶏湯紹子麺

夕飯は鋪蓋麺の店で鶏湯紹子麺(10元/約170円)を食べる。鋪蓋麺は麺が四角く伸ばされているのが特徴の重慶名物の麺料理だ。スープは鶏ガラ系のようで透明であっさり味だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 26元
バス 4元 路線バス
バス 11元 峨眉山→楽山
25元
合計 66元

世界遺産 楽山大仏

07:45頃、ユースホステルを出て、海棠公園のバス停から13路のバスに乗車。運賃1元、楽山大仏(乐山大佛)へ移動。

08:20頃、楽山大仏の北門に到着。入場料は90元になるが、2009年から90元のままでやっているようだ。まあ、値上げしたら反発を招くだろうからな。

楽山大仏は唐の開元元年(713)に貴州の海通和尚により岷江の水害を治めるために、弥勒菩薩の大仏を作り始めた。海通和尚が亡くなると工事は一時中断するが、開元27年(739)に剣南節度使の章仇兼瓊による寄付により工事が再開されるが、その後中断される。貞元元年(785)に西川節度使の韋皐により工事が再開され、貞元19年(803)に大仏が完成する。

1996年に峨眉山とともに世界遺産に登録されている。

08:35頃、凌雲寺に到着。

凌雲寺の創建は唐代になり楽山大仏が開削される前から存在している。唐の開元元年(713)、大仏開削時に寺が拡張され、その後修復が繰り返されてきた。

08:50頃、楽山大仏を見物。間近で見ると本当に大きい。

大仏の脇には成金や土豪といった金持ちの観光客で溢れている。

続いて大仏の足元へ桟道になっている階段を降りるのだが、観光客が多いので混雑している。

この階段は途中に撮影ポイントがあるので記念撮影をする観光客が多い。大仏だけ撮影なら問題にならないのだが、ポーズ取られたりして撮影すると渋滞が発生する。

大仏の足元に到着。

足元から見る楽山大仏の迫力はすごい。

こちらは階段を降りてくる観光客。この急な階段が大仏の足元へ行く唯一のルートのようだ。

大仏は岷江に面した場所にあるので、観光船で見物する金持ちたちもいる。09:30頃、楽山大仏を離れる。

麻浩崖墓

10:00頃、麻浩崖墓に到着。麻浩崖墓は後漢の頃の古代墓になる。後漢の頃に四川で流行した墓で山に穴を掘って墓としたために崖墓と呼ばれた。麻浩崖墓は凌雲山と烏尤山の間の崖に分布しており、数は500余りになる。

ここも楽山大仏の一部で世界遺産なのだが観光客はほとんどいない。ほとんどの観光客は楽山大仏のみ見物して帰ってしまうようだ。

この様に後漢の古代墓が公開されており観光客がほとんどいないので世界遺産を独り占めできる。

そして興味深いのが、この古代墓には「荊軻刺秦」という壁画がある。荊軻が秦王の政(始皇帝)を暗殺しようとする場面を描いている。暗殺は失敗してしまい荊軻は殺されてしまう。この事件が後漢の古代墓に壁画として描かれている事は興味深い。10:30頃、麻浩崖墓を離れる。

烏尤寺

10:40頃、烏尤寺に到着。烏尤寺も楽山大仏景区の観光地の一つになる。

こちらも観光客は殆どおらず静かだ。

山の上にあるが寺の規模は大きめだ。羅漢堂が五百羅漢が見どころだろう。11:05頃、烏尤寺を離れ山を降りる。

楽山→峨眉山

11:20頃、烏尤寺のバス停に到着。11:25頃、運賃1元で13路のバスに乗車して肖壩旅游車站へ移動する。12:00頃、バスターミナルの肖壩旅游車站(肖坝旅游车站)に到着。

昨日、雨で報国寺などを見物せずに楽山へ移動したので、11元で報国寺(报国寺)へのチケットを購入、次のバスは12:30なので待機となる。バスの行き先が報国寺(报国寺)になっているが、実際に到着するのは峨眉山の麓の峨眉山旅游客運中心になり、これが峨眉山行きのバスになる。

12:22頃、バスに乗車して発車を待つ。12:30頃、バスが発車する。13:20頃、峨眉山旅游客運中心に到着。

報国寺

13:35頃、報国寺に到着。

入場料は8元で比較的良心的な料金設定た。

報国寺は元々は会宗堂と呼ばれ、明光道人により明の万歴43年(1615)に建立される。その後、清の順治年間に聞達禅師により修復が行われ、康煕42年(1703)に報国寺と改名される。

峨眉山の麓にある寺では一番有名らしい。

報国寺には宿もあり観光客が宿泊できるようになっている。英語でも表記されているようなので外国人もOKかな?料金設定は8元から880元まで幅広い。安い部屋というかドミトリーは大雄宝殿とか古い建物で僧坊だな。14:10頃、報国寺を離れる。

伏虎寺

14:30頃、伏虎寺に到着する。入場料は6元。

伏虎寺は唐代に心庵禅師により創建された千年古刹になる。

観光客は多いが山の中なので雰囲気は良い方だ。

境内は比較的広めだ。14:55頃、伏虎寺を離れる。

善覚寺

15:40頃、善覚寺に到着。明の万歴年間になり道徳禅師により創建され、当時は「降龍院」と呼ばれ、清代初期に元亨禅師が修行する。康煕年間に「善覚寺」の名を下賜される。

寺の規模は小さめだが大雄宝殿に信徒が集まり読経していた。15:50頃、善覚寺を離れる。

素炒竹笋

16:15頃、バスターミナルの峨眉山旅游客運中心まで戻ってきた。少し早目の夕食にレストランで素炒竹笋(15元/約270円)と米飯(2元/約36円)を食べる。あと消毒済みのラッピングされた食器(1元/約18円)を使うが、衛生的な環境で消毒されたのかは不明だ。

素炒竹笋はタケノコ炒めになり、ネギ、生姜、ニンニクと一緒に炒められている。峨眉山の登山道では地元民たちがタケノコを売っていいたので旬の野菜のようだ。

峨眉山→楽山

16:50頃、峨眉山旅游客運中心で楽山行きのチケットを購入。運賃11元で次のバスは17:00発車だ。

バスに乗車すると車内が物凄く汗臭い!エンジン止めているので乗客のおっちゃんたちの汗の臭いが車内に充満している。16:57頃、エンジンが掛かりエアコン全開になり、悪臭が徐々に消えていく。17:00頃、バスが発車する。18:05頃、楽山のバスターミナルの肖壩旅游車站(肖坝旅游车站)に到着。運賃1元の1路のバスに乗車してユースホステルへ戻る。

ユースホステル近くのウォルマートで処分品の康師傅の茉莉蜜茶550ml×4(2元/約34円)を購入する。

賞味期限が1ヶ月を切っているので激安だ。

夜になりSDカードスロットの壊れたポメラDM100をUSB接続で今日のファイルを回収しようとしたらエラーが出てテキストファイルが消えやがった!今日一日の行動記録が・・・。今日の日記は写真の撮影時刻、GPSデータ、自分の記憶を元にして一から書き直している。

22:00頃、下のベッドの中国人のおっさんがうるせえ。白人さんが夢の中なのに、気にもせずデカイ声で電話してやがる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 3元 路線バス
バス 11元 楽山→峨眉山
バス 11元 峨眉山→楽山
楽山大仏景区 90元
報国寺 8元
伏虎寺 6元
合計 149元

楽山→犍為

今日は朝から霧が出ている。ただの霧か、PM2.5などたっぷりの毒霧かは・・・。07:25頃、海棠公園のロータリーにやってきた。ロータリーの湖宿泊所のバス停から1路のバスに乗車して聯運車站へ向かう。

今日は犍為県の芭石鉄道を調査しに行く。調査と言っても今回は行き方と乗り方を調べる簡単なものだ。芭石鉄道は嘉陽小火車とも呼ばれるナローゲージの鉄道だ。蒸気機関車が現役で走っており海外でも知られており情報も多い。

07:45頃、バスターミナルの楽山聯運汽車站に到着。

犍為行きのチケットを購入、運賃は17元である。

07:52頃、バスが発車する。乗車率は3割ぐらいでかなり空いている。途中で客や配達の荷物を拾いながら国道213号を南へと走る。

犍為汽車站

09:20頃、バスターミナルの犍為汽車站(犍为汽车站)に到着。犍為に2つあるバスターミナルの1つになり、もう一つは北門車站である。

まずはバス情報を確認。

犍為→三井

09:30頃、バスターミナル対面のバス停へ。路線バスも確認しておく。

バス停前に三井行きバスが停車していたので乗車。とりあえず三井まで行くことにする。三井まで運賃4元。09:35頃、北門汽車站を通過。10:15頃、終点の三井に到着。

芭石鉄道

バスの発着場所近くには游客中心があり、観光案内の地図もある。話には聞いていたがかなり観光地化されている。どうも訪れるのが遅かったようだ。10年前なら昔ながらの田舎の姿を見られたのだろう。

300mほど離れた芭石鉄道の躍進駅へ向かうと、ちょうど蒸気機関車が入線してきて、10:30発の芭溝行き観光列車の乗車が始まる。

ホームの向かいには立派な駅舎がある。

駅には地元民が利用する普通客車の運賃表があり1駅5元とあり石溪-黄村井の全区間に乗車すると40元になる。

観光列車は乗車せずにまず撮影だ。

10:30に芭溝行き観光列車が1両編成で発車していく。この観光列車の運賃は片道80元、往復130元になっていた。調子こいて値上げしている。

まあ、観光列車は今回の目的ではない。GPSデータの収集と普通列車への乗車だ。やはり乗車するなら地元民が乗車する普通列車だな。次の列車は13:00のようだが駅や游客中心には時刻表がない。これは観光客を何としてもボッタクリの観光列車に乗車させるための作戦か?それともダイヤ改正でもするのか?

次の列車まで2時間半待機となる。その間に石炭輸送の電気機関車を撮影しておく。

12:45頃、観光列車が帰ってきた。1両編成なので物足りないな。

これは芭石鉄道の行先票。

12:55頃、石溪駅からの列車が入線してきた。

地元民や物好きな少数の観光客に混じって普通客車に乗車する。

客車ごとに乗務員のおばちゃんがおり運賃を徴収してくる。
終点の黄村井までは35元だ。

13:00頃、黄村井行きの普通列車が発車する。4両編成のうち1両は観光用客車だ。

車内は乗車率100%で大混雑。足元には卵など食料品が置かれている。

途中駅で地元民が降りていくのを期待して乗り鉄です。

途中のスイッチバックを行う蜜蜂岩駅には動かなくなった蒸気機関車が展示されている。放置とも言うが・・・。

のどかな田舎の風景を見ながら乗り鉄をしていくが、いつの間にか地元民が下車して座れるようになる。

14:00頃、芭溝駅に到着。駅舎には芭蕉溝とも表記されている。ここでほとんどの観光客が下車する。

14:10頃、終点の黄村井駅に到着。機関車の付け替えが行われ作業完了後にすぐ発車となる。

黄村井→石溪は運賃40元だ。黄村井駅から帰りは乗客少なく空席が目立つ。芭溝駅でも乗客が少なく確実に座れる状況だ。この時間は帰る観光客が少ないようだ。

途中駅ではホームが無かったりするが地元民の利用が多い感じだ。

仙人脚駅では観光客車の観光客が下車する。機関車が蒸気を噴き出して走行し撮影会が始まる。観光客が再び乗車して再び通常走行だ。15:20頃、躍進駅に到着。乗客のほとんどが下車する。ここで観光用客車を切り離す。15:27頃、躍進駅を発車。

15:40頃、石溪駅に到着。しばらく蒸気機関車は機関庫に籠もっている。よく見ると水と石炭の補給をしている。

補給が終わり機関庫から出てきて客車に連結される。16:15頃、石溪駅を離れる。3分ほど歩いて犍為への道に出ると、ちょうど三井→犍為のバスが来て乗車する。犍為まで運賃2元。

16:45頃、北門車站外校のバス停で下車する。

北門車站