夕食で腹壊しゲロを吐く
昨日の夕食に食べた炒麺で腹を壊したようで真夜中に気持ち悪くてトイレでゲロを吐く。恐らく炒麺に使っていた油が原因ではないかと思われる。おかげで朝まで数回に渡りトイレに足を運ぶことになる。
夏河→郎木寺
朝になっても調子が悪く歩くのも辛い状態だが今日は郎木寺へ行かなければならない。拉卜楞紅石国際青年旅館を出てバスターミナルまで歩くのも辛いので仕方なくぼったくりバイクタクシーで向う。本来は2元でいけるのだが足元見やがって5元要求してきた。こちらには戦う気力が無いので言い値でバスターミナルへ。
バスターミナルに到着すると既に0740発の郎木寺行きのバスは乗客で一杯だ。自分が最後の乗客だったので席に座るとすぐに出発する。本来なら郎木寺 までの道程は写真を撮ったりGPSで位置確認をするのだが調子が悪いのでひたすら眠ることにする。途中で合作を経由して1130頃、郎木寺に到着する。
郎木寺賓館
郎木寺に到着したので速やかに寝床を確保しなければならない。目の前に郎木寺賓館があったので、ここに泊まる事にする。4人ドミトリーで1泊15元、とりあえず3泊することにする。部屋に荷物を置いたらすぐに寝る。体力が回復するまでは観光はできないだろう。郎木寺は甘粛省と四川省の境界にある郷だが甘粛 省側には達倉郎木寺、四川省側には安多達倉郎木寺がある。この2ヶ所が郎木寺の観光地で明日以降の見物だ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
宿泊費 | 45元 | 15元×3 |
バイクタクシー | 5元 | |
合計 | 50元 |
達倉郎木寺(セルティ・ゴンパ)
まだ調子が悪いのだが0800頃に達倉郎木寺へ行く。朝からヤクの群れに遭遇です。
甘粛省側にある達倉郎木寺には鳥葬台(天葬台)があるので運がよければ鳥葬が見られるかもしれないがチベット自治区では自治区政府が観光客が鳥葬を見物するのを禁止(関連記事)しているので甘粛省はどうなっているか現場へ行ってみないと分からない。
鳥葬は0900頃にあるらしいのだが遺体が無ければもちろん鳥葬は無い。
途中で救急車が通り過ぎたので遺体を運んでいる可能性が高い。鳥葬台へ着くとやはり救急車が停車しているので遺体を運んでいたようだ。
すでに鳥葬台の入口には観光客が多数集まっていたが鳥葬台へは立入禁止なので入口で皆写真撮影をしている。
上空では鷹だか鷲が旋回して食事の時間を待っている。こちらは写真撮影をしていると夏河で知り合った台湾人と再会する。やはり鳥葬を見に来ていたようだ。
時間がたつにつれ白人の観光客が帰って行き、中国人も観光客も帰っていった。鳥葬は遺体が運ばれてから2、3時間しないと鷹だか鷲の食事の場面は見られないという情報があり、もう少し待とうと思ったが風が強く寒いし鳥葬台へは立入禁止で食事の光景は見られないので山を下りることにした。
安多達倉郎木寺(キルティ・ゴンパ)
1030頃、四川省側にある安多達倉郎木寺を訪れる。安多達倉郎木寺には何があるかは知らずに来てみたが白人の団体がチベット人のガイドに連れられて郎木寺峡谷の奥へ向うのが多数見られた。
どうやら白人には有名な観光地らしい。自分も郎木寺峡谷へ入っていくが疲れて途中で引き返すが白龍江源を見物して郎木寺峡谷を出る。
ここはチベット寺院よりも郎木寺峡谷のトレッキングのほうが人気のようだ。昼ごろに宿に戻る途中で鳥葬台に停まっていた救急車が山を下りてきたので鳥葬が終わったようだ。
白人の団体が奥に入っていきましたが自分は疲れて引き返しました。
郎木寺峡谷にもゴミが捨てられており徐々に環境破壊が進んでいるようです。
夕食時に乞食が3度襲来
午後は宿でのんびり過ごして夕方には体力が十分回復したので夕食を食べに出かけるが食堂に乞食が乱入してきて客に集っている。もちろん、自分のところにも来たが無視をする。しかし、郎木寺という小さな郷なのに乞食が3人も襲来してくる。道端での物乞いは見かけなかったが人が集まる食堂への訪問型の乞食が郎木寺では主流のようだ。
乞食が去った後はゆっくり食事をするのだが、ここでもチベット人への印象を悪くする光景を目撃してしまう。チベット人の客は床に痰を吐き、葡萄の皮と種も床に吐き捨てていた。今迄チベット人の印象を悪くする光景は多数目撃してきたが、やはりチベット人は漢族と同化しているようだ。でも、まだ痰を吐く回数は少ないが・・・。どちらにせよ多くの日本人が抱くチベット人の姿と現実のチベット人の姿がかけ離れているということだけは確実にいえるだろう。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 16元 | |
達倉郎木寺 | 16元 | |
安多達倉郎木寺 | 15元 | |
合計 | 47元 |
達倉郎木寺へ再び
0615過ぎに起床する。相部屋だった日本人と香港人バックパッカーは0700ぐらいに出発する四川省方面のバスに乗るために出て行く。自分は昨日の鳥葬の跡を見ようと達倉郎木寺へ向う。日本人バックパッカーの情報によれば達倉郎木寺の坊さんは早起きで0630ぐらいに外国人達と行ったら入場券売場は閉まっていたが坊さんが「入場券買え!」と待ち構えているとのこと。
0630頃、入口に着くと入場券売場は閉まっていたが、やはり坊さんが待ち構えていた。 他の観光客も坊さんの餌食になり入場券を嫌々ながら買ったり、引き返したりしている。自分はさすがに2日連続で入場券を買う気は無いので引き返すが諦めた訳ではない。他に入場券を買わずには入れるルートに心当たりがあるのだ。昨日の鳥葬を見物した際にすぐ近くを流れる白龍江の上流にチベット人の集落があり達倉郎木寺から集落へ道があったので白龍江の上流から達倉郎木寺へ行くことも可能だろう。
ということで、まずは対岸の四川省側の安多達倉郎木寺の入口で右へ曲がりイスラム寺院の脇を通り集落を通り抜けていく。集落の終端には放牧地との境界を示す柵があったが、柵はほとんど壊れていたので放牧地に入り白龍江の上流へ向い歩いていく。
白龍江沿いにも柵があるのでひたすら上流へ向い対岸の達倉郎木寺側のチベット人の集落が見えてくると柵が途切れた場所があったので渡河して達倉郎木寺へ入った。
さすがに坂道を登りチベット人の集落を抜けるのは危険なので川沿いの道を100mほど下って道の無い山を登っていく。 GPSで鳥葬台の位置を確認しながら山を登る。途中で人の声がするので身を隠し白龍江の方を確認するとチベット人と坊さんが歩いている。見つかったら無事には帰れないだろうが何とかやり過ごす。再び山を登ると鳥葬台が見えてきて道に出られた。道に出れば昨日既に周辺は確認済みなので鳥葬台へ向う。
鳥葬台へ
昨日は鳥葬があったので観光客が集まっていたが今日は鳥葬が無いので誰もいなかった。とりあえず「游客止歩(観光客立入禁止)」と入口に書かれているので柵沿いに近くで鳥葬台が見られる場所を探すが歩いていると足元に頭蓋骨が転がっている。柵の外なのにそこら中に頭蓋骨が転がっているではないか!
そして、 斜面を登っていくと鳥葬台が一望できて昨日運ばれてきた遺体が残っているのが見えた。遠くから見る限り鳥に食べられた形跡は無いし、事前に情報収集した際には遺体は鳥が食べやすいように解体されるとあったのだが解体されずにそのまま残っている。
昨日の鳥葬の跡を確認したので斜面を下り鳥葬台の入口へ向うと馬に乗ってきた観光客5人組が鳥葬台へ入って行くではないか!入口にいたチベット人の婆ちゃんに聞いてみたら「入ってもいいよ。馬に10元で乗らない?」 と言われる。馬は断って鳥葬台へ入っていく。先ほどの観光客5人組は既に鳥葬台の山頂へ向っていたが、遺体があった場所へ近づいてみると昨日運ばれた遺体があった。
遺体には鳥が食べた後なのか、それとも食べやすいように解体した跡なのか分からないが背中と右太ももに大きな傷があった。近くで見ると遺体は女性の遺体であった。周辺には以前運ばれた遺体の骨が散乱していた。
鳥葬台から出るときに更にもう1体の女性の遺体を見つける。この遺体は上半身だけで地面に転がっていた。鳥葬は鳥たちが骨以外は跡形も無くすぐに食べるものだと思っていたがどうも違うらしい。鳥葬台を出ると新たにやって来た観光客3人組が鳥葬台へ入っ ていった。
帰り際に更に裏道を発見
鳥葬台を見物したので帰るだけなのだが他にも抜け道が無いか探してみる。途中でチベット人の子供に絡まれながらも達倉郎木寺の東側が怪しいのでとりあえず大経堂へ行き周囲を確認する。
どうも大経堂の東にある僧坊から郎木寺のバスの集結場所へ道が続いているように見えたので僧坊を抜けて道を下っていくと、やはりバスの集結場所の近くの通りに出た。
但し、ここはご丁寧に抜け道の入口に「游客止歩(観光客立入禁止)」と書かれていた。この抜け道は既に使えないようだ。それに僧坊を抜けて行くのは危険すぎる。坊さんに見つかったらどんな目に遭うか分からない。
郎木寺の街を散歩してみる
明日の朝までやることがなくなってしまったので郎木寺の街を散歩してみる。散歩といっても郎木寺自体が小さな郷なので30分もあれば十分だ。散歩をしてみると新たな情報が手に入った。郎木寺の東、つまり郎木寺の入口には実はバスターミナルがあるのだが、まだ営業はしておらず建物だけが完成した状態だった。 恐らく郎木寺が観光開発の真っ只中なので開発完了と同時に営業開始だろうか?
バスターミナルを後にして郎木寺の中心地に来てみたが昼間でもバスはあるようだ。但し、碌曲行きが昼頃から客を乗せ始めて集まり次第出発というのだった。旅行客はまず碌曲へは行かないだろう。完全に地元民用だ。
旅行者が利用するのは0700頃に出発する夏河と若尔盖行きだ。中心部から西へ行くと土産物屋が何軒かあるが正直言って売れている様子は無い。それ以前に観光客が見当たらない。
土産物屋の様子を確認して宿に戻るべく来た道を戻るが途中で朝に達倉郎木寺へ行く際に発見したユースホステル「旅朋青年旅館」の前を通りがかる。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 4元 | |
合計 | 4元 |