香格里拉→徳欽
0720頃に起床する。A氏もちょうど起きており自分は出発準備を始めると欧米人が新たに昆明からやって来た。どこの国の人かは知らないがA氏と英語で会話をしている。A氏は英語が堪能で欧米人と楽しく会話をしている。うーん、凄い!0830頃、準備が整ったのでA氏と欧米人に別れを告げて出発する。1路 のバスで香格里拉汽車客運站へ移動するが徳欽行きのバスはまだ来ていなかった。
0920過ぎにバスが発車して香格里拉の街を出て観光地の納怕海の脇を通るのだが生憎自分は右窓側の席で納怕海を撮影することは出来なかった。左窓側なら納怕海の撮影に最適だった。
納怕海を過ぎて山道越えて1100過ぎに金沙江に沿って走り始める。
この時も金沙江は左側にあったのだが太陽谷で橋を渡り金沙江が右側になり撮影に最適の位置になった。
1130頃、徳欽県奔子欄鎮の入口で加水(冷却水補給)で休憩となる。ここでの金沙江の眺めはなかなかの物でここは世界自然遺産 三江併流の一部だ。
奔子欄鎮周辺は香格里拉→徳欽で一番標高が低く標高2000mぐらいだが奔子欄鎮を過ぎると一気に山道を登り金沙江とも別れて標高3000m以上の雪で覆われた山道を進んでいくが道が細くなり落石が発生していたりと道路状況はかなり悪い。
雲南省最北の街・徳欽
まずは宿を探すのだが徳欽は雲南省最北の小さな街だが安宿からそこそこの宿まであるので宿探しには困らない。徳欽客運 站の近くにある呈祥旅社に1泊20元で泊まる事にするが登記の際にパスポートをスキャナーで読み込んだりと田舎の宿なのにかなりのハイテクだ。しかも、使用しているソフトは公安から配布されたもののようで身分証番号や民族などの入力項目があった。
宿が決まり次は徳欽客運站で明日の維西行きの切符を購入する。切符の購入も済み徳欽の街を散歩してみるが標高3300mぐらいに所にあるので3月でもまだ寒く山には雪が残っている。街を歩いていると飛来寺へのバスを発見する。徳欽は飛来寺と梅里雪山が観光地として有名らしい。
徳欽の街はチベット風の造りになっている。小さい町だがタクシーが走っており周辺の観光地への足にはなるが料金は不明。
まあ、今回は寺や山を見に来た訳でなく北へ約90㎞でチベット自治区という雲南省最北の街がどういう所かと瀾滄江(メコン川)に沿って維西へ抜けてみようと思って来たのだ。徳欽は歩いて周れるほどの街でチベット風の建物が多いのだが民族衣装を着た住民はほとんどいない。物価も辺境なので日本のスキー場にある不味いラーメン屋と同じように高い。ジャガイモ炒飯6元、青椒肉絲6元、牛肉麺大盛7元で昆明より1元ほど高いような・・・。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 19元 | |
宿泊費 | 20元 | |
バス | 63元 | 徳欽→維西 |
合計 | 102元 |
徳欽→維西
0615頃に起床する。維西行きのバスは0700発なので手早く準備を整え徳欽客運站へ向かう。維西行きのバスに乗ろうとするが寒さでエンジンがかからずに近くの食堂のおばちゃんや別のバスの乗客たちと下り坂まで押しがけをする。エンジンがかかりバスに乗車するが乗客は自分とおっさんの2人だけだ。
検票員が切符の確認に来たが切符を回収したままでバスが発車しようとするのでおっさんが文句を言うと何故か運ちゃんが一旦払い戻しということにしたい事を言うがおっさんは納得しないようで騒ぎ始める。自分も維西へ本当に行くのか怪しいので一緒に騒ぐが運ちゃんが維西到着時に切符を渡すということでおっさんが騒ぐのをやめたので0715頃、徳欽客運站を発車する。
徳欽を出ると西に梅里雪山を筆頭に6000m級の山々が見える。と言っても、どれが梅里雪山かは分からない。
梅里雪山?
6000m級の山々を西に見ながら南へと進むが道路状況は悪く道を外れれば100m以上の谷底が待っている。因みに徳欽→維西のバスの保険は4元なのだが通常は1元か2元なのでそれだけ危険な道ということなのだが自分は切符購入時に保険を断っている。
瀾滄江(メコン川)に沿って南下
6000m級の山々と別れ0815頃、谷底に瀾滄江(メコン川)が流れているのが見えてきた。
ここから維西の近くまでメコン川に沿って南下することになるが道路から余裕で100m以上の谷底を瀾滄江が流れている。
徳欽を出るまでは瀾滄江(メコン川)にタルチョが渡されているのを何度か見かけます。
瀾滄江の近くまで降りてくるといくつかの集落を通り過ぎるが瀾滄江にタルチョが渡されているのを何度か見かける。この辺りはチベット仏教の影響が大きいようで雲嶺で乗客が乗り込んでくる際にチベット仏教の坊さんも乗り込んできた。
燕門を過ぎて通行止めに
何時通行止めが解除されるか分からないので気長に待つしかなくバスを降りて周辺を見物するとすぐ近くの橋が茨中橋でどうやらここは茨中らしい。茨中には茨中天主教堂とかいう古い教会があって観光地らしい。
1000過ぎに通行止めが解除されバスが再び走り始 める。道路のあちらこちらに落石の跡がありかなり危険な場所を通過しているようだ。しばらくすると徳欽と維西の境界を越える。
滑車で瀾滄江を・・・
バスは瀾滄江に沿って南下を続け段々畑に菜の花が咲いているのが見えてきた。どうやら標高が下がって暖かくなってきているようだ。
昼過ぎに対岸に集落がある場所で乗客を降ろしていると対岸から滑車を使っておっさんが瀾滄江を渡ってくる。
バスは一旦動き出すがすぐに停車しておっさんが乗車して来た。テレビで滑車を使って川を渡る光景を見た事があるが実際に見られるとは思ってもいなかった。
おっさんはこの後バスに乗車します。滑車で川を渡る光景はテレビで見た事があったが実際に見られるとは・・・。
渋滞で立ち往生
原因は道幅が狭いのに馬鹿な人民どもが所構わずに路上駐車や路上に店を出すからだ。他人の事は構わずに荷物の積み下ろしをしたり互いに道を譲らなかったりと路上に出した店が道路の半分を占拠したりと民度はかなり低いようだ。
女性たちが道を塞ぐ
1500頃、小維西を通過するがこの時に観光地の小維西天主堂の近くを通り過ぎる。この辺りはキリスト教の影響が強いようだ。小維西を過ぎると一緒に南下していた瀾滄江とも別れ東へと進み始めるが維西までの途中の集落で3度ほど民族衣装を着た女性たちが集団で道を塞ぎ通行する車輌に寄付だか勝手に通行料を徴収している。
香格里拉→徳欽でも同じ光景を見たので香格里拉-徳欽-維西では女性たちによる寄付だか通行料の徴収が日常的に行われているようだ。運ちゃんたちにとっては迷惑かもしれないが民族衣装を着た女性たちを見る機会でもある。
維西
1645頃、維西客運服務中心站に到着する。バスを降りる際に運ちゃんから切符を受け取るが徳欽→維西の切符ではなく何故か維西→徳欽の切符で、しかも日付は今日の日付だ。途中で維西→徳欽のバスとすれ違う際に運ちゃん同士で話をしていたが切符も受け取っていたようだ。一体何故こんな事をしているんだ?何か不正の匂いがするのは気のせいか?
大理の下関行きのバスは既に無いので今日は維西で1泊する事になりバスターミナルから坂を3分ほど上った所の瑞豊旅社に宿泊するが、ニーハオトイレで糞をしていると3人の人民が小便をしに来るが3人とも小便をし終わった後に水を流さなかった。人民は水の流し方を知らない のか知ってて流さないのだろうか?確実にいえることは一部を除き大部分の中国人はトイレの水を流さないということだ。勿論自分は糞をし終わったらちゃんと水を流した。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 14元 | |
宿泊費 | 20元 | |
合計 | 34元 |