2003次で成都から宜賓へ
0840過ぎに観華青年旅舎をチェックアウトして80路のバスで成都駅へ向かう。2週間以上も成都に滞在したが今日ようやく宜賓へ移動する。1006発の 2003次で約6時間半の移動になる。0910頃、成都駅に到着する。
いつもの通り荷物検査を終えて待合室で改札を待つ。0940過ぎに改札が始まり乗車して発車を待つ。
定刻どおり発車して宜賓までの鉄道の旅が始まる。だが、今回の乗客は今までと違っていた。ゴミを投げ捨てたり痰を吐くのはいつもと変わらなかったが、新たに車内で手や足が無かったり変形した障害者の乞食が登場した。
今まで車内での物乞いには遭遇しなかったが四川省では障害者の乞食が車内で物乞いをしている。障害者の乞食が3人いたのだが自分たちの窮状を訴えたり歌を歌ったりして金をせびっている。もちろん自分は乞食を無視して外の景色を楽 しむ。1650過ぎ、宜賓に到着する。
7407次で宜賓→巡場
宜賓からはさらに巡場行きの列車に乗車して約1時間半かけて移動する。
さすがに巡場に到着すると既に夜になっている。駅前に珙県(珙县)、洛表行きのバス が停車していたが既に席は無かった。無理をして乗車することもできたが色々な意味で夜なので危険度が高いと判断して巡場で1泊する事にする。駅近くのヘボ 招待所に宿泊することにして明朝、洛表へ日帰りで行くことにする。かなりの強行軍になりそうだ。とりあえず、巡場周辺の地図は珙県人民政府HPに地図がありましたので参考にどうぞ!
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 3元 | |
宿泊費 | 20元 | |
鉄道 | 3.5元 | 硬座 宜賓→巡場 |
バス | 1元 | 路線バス |
合計 | 27.5元 |
巡場→洛表、僰人懸棺へ
0600頃に起床する。今日は洛表鎮の僰人懸棺を見物しに行く。0700頃、巡場駅近くの宿を出て川沿いに南へ向かい途中で芙蓉大道を東へ向かう。芙蓉大酒店の前に珙県(珙县)行きの乗合タクシーが集まっていたが洛表行きのバスを見つける。運賃を聞くと15元なのでそのまま乗車する。
僰人(ボー人)は明代に明軍に滅ぼされたと言われる民族で懸棺と呼ばれる崖に棺を懸けて葬 る独特の風習を持っており懸棺は四川省から遠くは台湾にも分布するとされ今でも多くの謎に包まれている民族である。今でも洛表鎮には紅岩から麻糖には 300以上の懸棺が残っており最も懸棺が残っている地域だ。以前、NHKとディスカバリーチャンネルが共同取材した場所がここのようで両方の番組を見て僰人懸棺を実際に見てみたいと思った訳である。
0730過ぎに巡場を出発して途中で客を 乗せながら0800過ぎに珙県のバスターミナルに到着する。ここでほとんどの乗客は降りて洛表行きの乗客が乗り込んできた。0815過ぎに珙県を出発するが道路が各地で傷んでおり陥没していたり半未舗装の状態が多く、さらに山道なのでバスの速度は40㎞程度しか出ない。道路の補修工事も見かけたが人海戦術がお得意の中国といえども工事が追いつかないように感じられた。道路状況が悪いので途中の上羅で前の席の客2人が干兔肉(ウサギの干し肉)を買って食べていたが車酔いか中ったかは分からないが吐いていた。1030前に洛表客運站に到着する。
洛表客運站の先に目印の僰人故里の石碑があった。石碑周辺にはバイ クタクシーなどが集結していたがいつもの通り利用はしない。石碑の左の道が洛表の中心街、右が僰人懸棺への道だ。僰人懸棺目指して右の道を進んでいく。
僰人懸棺
1050頃、道の右側に全国重点文物保護単位の石碑を見つける。石碑には「僰人懸棺」と書かれていたが長年の風雨に晒され塗料が落ちていたがかろうじて確 認できた。これだと気付かない可能性が高いだろう。石碑があるという事は僰人懸棺が近くにあるという事だろう。
周辺の崖を見ながら歩いていくと崖に棺があるのを発見する。すぐに写真撮影をしていると通り過ぎる地元民の視線を浴びる。
こんな崖にどうやって棺を運んだのだか・・・。赤っぽい部分は壁画のようです。
更に道を進むと景区の入口に到着する。入場料は20元だが門票は在庫切れで貰えず、おまけに懸棺陳列館まで閉まっていた。景区内に入るが景区と言っても実際は入口周辺がちょっと整備されただけで奥は案内板すらない普通の中国の農村があるだけだ。
入口近くの懸棺は密集しており見応えあり。
まずは入口近くの懸棺を見物する。ここは観光客向けに階段と展 望台らしき場所が整備されており、訪れたときはちょうど団体観光客がおりガイドの説明を受けていた。
自分も団体客と一緒に上にある懸棺を見る。よくあんな所に棺を運んだものだと不思議に思うばかりであった。
景区入口の懸棺を見て奥へと進む。景区自体は相当広く、地図、案内標識は無いのでバイクタクシーで運ちゃんにガイドをさせないと全ては見切れないようだ。
まあ、自分は金と時間の都合で徒歩で入口周辺の懸棺だけを見物していくことにする。懸棺以外にはディスカバリーチャンネルで紹介されていたが僰人が明軍に抵抗した立て籠もった砦址があるらしいのだが探せずに景区を離れる。
洛表を見物後に巡場へ
僰人懸棺を見物して1300過ぎ、洛表へ戻り街を少し見物するが田舎の街という印象しかなかった。唯一目に留まったのが清の光緒年間に建てられたらしい牌坊の節烈総坊だけだ。節烈総坊は彫られた文を読む限り一般に言う貞節坊のようだ。大清光緒三十一年という文字も確認できるので歴史もあるようだ。
洛表客運站へ戻る途中に宿の数を確認したのだが洛表客運站の周辺には5軒の宿が確認できた。今回の僰人懸棺を見物して思ったのだが僰人懸棺をじっくり見物するなら やはり洛表に宿泊するのが一番だ。
洛表客運站へ戻り巡場行きのバスに乗車して出発を待つ。1330頃、洛表を出発して1615頃、巡場の芙蓉大酒店の前に到着する。
巡場に戻ってきたがとりあえず同じ芙蓉大道にバスターミナルがあるようなので東へ進むと珙県汽車客運中心を発見する。ここからは成都、重慶へのバスも出ているようだ。
それと巡場の路線バスは変わっており燃料タンクではなく燃料袋を搭載している。
招待所に戻り今晩の宿代を払い領収書を受け取る。中国の領収書 は日本の領収書と違っておりクジ付になっている。理由は色々あるのだが簡単に言うと脱税防止だ。スクラッチの部分を削ってみるが当然はずれである。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11.3元 | |
宿泊費 | 20元 | |
バス | 30元 | 巡場⇔洛表 |
僰人懸棺 | 20元 | |
合計 | 81.3元 |
7406次で巡場→宜賓
0545頃に起床して出発の準備を始める。今日は成都方面と重慶方面への分岐点である内江まで移動する。0630頃に宿を出るが入口で寝ている宿の人は起 きないのでそのまま駅へ向かう。保証金を払っていないので黙って出て行けて助かった。巡場駅には約5分ほどで到着、すでに改札口には並んでいる乗客がいる。
まずは切符を買わなければならないが巡場駅の切符は今までの切符と違い「慢车专用客票」というのが発行された。巡場⇔宜賓の1日2往復だけの田舎の駅だと発券システムが導入されていないようだ。
0705に定刻どおり発車する。地元民を乗せた列車は田舎をゆっくりと走る。乗客はほとんど宜賓まで乗車するのだと思っていたが実際には宜賓到着時には乗車率は3割程度に思えた。0845頃、宜賓駅に到着する。この後は1157発の1830次まで内江行きの列車を待つことになる。
遅れていた2640次で内江へ向かう
2番ホームから階段を登り1番ホームに降りる途中で昆明方面から列車が入線して来た。
列車は成都行きの2640次だった。どうやら遅れて到着したようで電光掲示板には「晩点」の文字が・・・。もしやと思い時刻表を確認すると2640次は内江に停車するではないか!
迷わずそのまま乗車するが乗務員に特に切符の提示は求められなかった。運良く2640次に乗車して列车长办公席で内江までの切符を車内精算する。
無座の切符だったが車内は空いており余裕で座って内江へ向かう。
1115頃、内江に到着する。駅を出ると乗合タクシーの運ちゃんたちが待ち構えており、成都、重慶、大足など各方面に向かう客を拾っていた。
このまま大足へ乗合タクシーで行く事も考えたが、鉄はやはり鉄道での移動でなければ意味がない。
と言う事で、運ちゃんたちを無視して切符売り場で明日の大足行きの切符を購入する。
切符購入後は宿の確保だ。値段表の出ていた駅前の鉄道飯店に20元の単人間で1泊する事にした。部屋はかなりボロボロだが老板は愛想が良さそうでこちらが日本人だと気付くと珍しそうにしていた。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11元 | |
宿泊費 | 20元 | |
鉄道 | 3.5元 | 無座 巡場→宜賓 |
鉄道 | 10元 | 無座 宜賓→内江 |
鉄道 | 7元 | 硬座 内江→大足 |
合計 | 51.5元 |