青海省班瑪(ペマ)から色達(セルタ)を目指す

チベット文化圏旅行記2016

西寧→班瑪(ペマ)

06:20頃に起床して出発の準備を始める。顔洗って部屋に戻ると物凄い口臭が・・・。寝ていたときは嗅覚が慣れて気付かなかったが外の新鮮な空に触れて戻ると部屋の空気の異常に気づいた。10人ドミトリーで誰か口を開けて寝ているようだ。とりあえず扉全開で空気を入れ換えながら出発準備だ。

07:05頃、ユースホステルをチェックアウトして、省医院のバス停から7路のバスに乗車。運賃1元で07:45頃、バスターミナルの南川西路客運站にて下車。まだ朝早いので空いており座って移動できた。昼間は座れない確率が高いので10分ほど歩いて西寧駅の路線バスターミナルから7路や27路のバスに乗車して南川西路客運站へ行くのがよいだろう。

南川西路客運站は青海省南部、南西部の玉樹、果洛(ゴロク)方面へのバスが多く出ているバスターミナルだ。チベット文化圏の青海省でもかなりチベット文化の濃い地域になるので利用客にはラマ僧の姿も多く見られる。

今回乗車するバスは09:00発、西寧→班瑪(ペマ)、運賃180.5元、距離775kmになる。

08:40頃、バスに乗車して発車を待つ。10分遅れの09:10頃、バスが発車。

交通事故多い

まずは西の共和方面へ走る。10:11頃、渋滞に遭遇するが前方で交通事故のようだ。

見事に追突して車体が変形している。

10:20頃、再び渋滞にはまる。

10:30頃、渋滞の先頭が見てきた。また事故のようだ。

今回も追突事故であった。だが破損状況は先ほどのと比べれば軽微だ。

12:30頃、標高約2900mの共和服務区で昼休憩になる。

13:15頃、バスが発車する。共和から玉樹方面へ国道214号を南下して草原と山の中をバスがひたすら走っていく。

15:00頃、事故現場に遭遇。派手に玉突き事故を起こしたようだ。

16:00頃、標高約3900mの温泉郷で10分のトイレ休憩。16:30頃、標高4475mの峠を越えていく。17:13頃、標高約4200mの花石峡を通過。

国道214号から省道204号へ入り高原を南東へと向かう。班瑪まで直線距離で残り約300kmになる。道路状況は悪くなり未舗装区間が多くなる。

19:20頃、事故現場を通過。

ダンプがひっくり返っていた。

草原を走っていると19:45頃、トイレ休憩で10分ほど休憩。運ちゃんの話だと班瑪到着は23:00頃になるようだ。真夜中到着は少々困ったものだ。宿探しで苦戦しそう・・・。20:00頃、達日県を通過。辺りは暗くなり始めている。

本日の出費
項目 金額 備考
バス 1元 路線バス
合計 1元

班瑪(ペマ)で野宿

01:05頃、雨の降りしきる班瑪(ペマ)に到着。最悪や!とんでもない時間に到着してしまった。宿探しをしようとするとセルタ(色達)行きの乗り合いタクシーの運ちゃんが声をかけてきた。こんな時間にも運ちゃんが客集めをしており車にはラマ僧たちが乗車している。セルタにも行きたいのだが班瑪を鳥葬台を見たかったので断ってしまうが、これが痛恨の判断ミスであった。夜討ち朝駆けの絶好の機会だったが・・・。この後の宿探しは1泊300元とか足元見られてしまい結局は野宿だ。

人民政府前で雨宿りしながら朝になるのを待つ。公安のパトカーは何度も前を行ったり来たりするが職務質問はしてこない。普通どう考えても職務質問の対象者だろ!

セルタ行き失敗

06:20頃、蓮花街の交差点へ向かう。既にセルタ行きの乗り合いタクシーがおり、セルタ県城まで運賃60元ということで乗車。

06:00ぐらいから農業銀行の前にタクシーが集結するようだ。そして、アバ、マルカム行きの乗り合いタクシーも客引き開始。07:00過ぎになると車が12台集結。

07:40頃、給油して乗客全部で6人で出発する。内訳は南京人の夫婦と上海人3人家族、小日本1匹である。セルタまでは所要時間6時間ぐらいだろうか?田舎道なのだが意外と四川省と青海省を行き来する車が多い。それと野良犬がやたらと多い。

4418mの峠の徳啄山垭口を越えて行くが景色は絶景である。

09:30頃、青海省班瑪側の知欽郷の公安検査站に到着するが素通りで何もなし。

09:56頃、四川省セルタの年龍郷の公安検査站は身分証確認している。予想通り外国人お断りで通してくれなかった。裏口の青海省側は非開放区だから外人は入れないから公安はお茶飲んでいるかと思ったら仕事していた・・・。

で、パスポートの写真と目の前にいる本人の写真撮影がある。まあ、自分は中国だから慣れてしまっているが欧米人だと揉めそうな・・・。というか、目の前で本人撮影しているのは公安の私物のスマホでないの?

ということで小日本1匹降ろされる。公安が運賃全額60元支払えというので60元運ちゃんに渡しておく。ちょうど降ろされた場所が班瑪(ペマ)とセルタの中間地点になるので運ちゃん30元返してきた。日本だと警察は民事不介入だが中国は平気で介入のようだ。

セルタはダメだがアバやマルカムへ行ってくれということ事になる。なので、公安が班瑪へ行く車を止めて話をつけてくれる。で、フォードのSUVに乗った夫婦が班瑪まで約70kmを無料で乗せて行ってくれることになる。嫌々なんだろうけど公安には逆らえないからね。

12:15頃、班瑪(ペマ)の街に戻ってきた。おっちゃんたちにお礼を言って今日の宿探しだ。昼時なので店は殆ど開いている。宿も同じくだ。とりあえず乗り合いタクシー集結場所近くの雪山茶芸旅社に1泊する。

4人ドミトリーで1泊30元、トイレは蝿ブンブンのニーハオトイレ。シャワーは無い。登記は無しで30元渡して朝になったら勝手に出ていく方式だ。

大チョルテン

12:50頃、班瑪の街の入口にある大チョルテンを訪れる。町の外からでもはっきり見えるほどの大きさでチベットでも有数の規模なのだろう。

内部はマニ車がありコルラできるようになっている。

ジャンリタン・ゴンパ

13:10頃、ジャンリタン・ゴンパ(江日堂寺)を訪れる。班瑪(ペマ)の東にあるのがチベット仏教ニンマ派のジャンリタン・ゴンパ(江日堂寺)で白札寺とも呼ばれている。

寺の手前には山の斜面に無数のタルチョがあり、その数に圧倒される。

タルチョが埋め尽くす斜面の下にはチョルテンがある。

更にチョルテンの近くに江日堂天葬台がある。鳥葬台があるのだ。この鳥葬台は一般的な鳥葬台とは違い近くの道路からも見えるようになっている。

鳥葬台には死体の臭いが漂っており人骨のかけらが散らばっている。

もちろん遺体解体のナイフなどの道具もある。

13:50頃、ジャンリタン・ゴンパ(江日堂寺)に到着。

歴史は古く1450年に江日堂の小山(閃光鉄山)の上にチベット仏教ニンマ派「江日堂閃光鉄山寺」を建立するが戦火で1749年に失われる。1760年、昌尼哈地区に再建され「江日宦覚寺」と改名しカトク寺(噶陀寺)に属する。1936年、再び現在の場所に再建され「下莫巴白札多卡寺」と命名され白札寺と呼ばれるようになる。

閃光鉄山には古い仏閣が残っており、周辺には108基のチョルテンが残っている。

牛肉麺

夕飯はチベタン食堂で牛肉麺(12元/約204円)を食べる。牛肉麺といえばイスラム食堂なのだが班瑪ではチベタン食堂になる。麺はもちろん手打ちで牛肉はヤク(牦牛)になる。

宿に戻り夜になると4人部屋に宿泊客にチベット人夫婦がやって来る。早々に寝るのだが22:00過ぎに宿の娘さんが「警察来了!」と叫びながら各部屋を回って身分証回収にやって来た。登記無しだと思っていたが公安が踏み込んできたので全員台帳に登記のようだ。

チベット人夫婦は文句言いながら身分証を渡している。せっかく寝ていたのに起こされてご機嫌斜めのようだ。自分はパスポート渡して公安が来るかなと待っていたのだが公安は来なかった。公安は外人には関わりたくないようだ。班瑪は非開放区だったと思うのだが・・・。パスポートや身分証が返却され再び寝る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 12元
宿泊費 30元
乗り合いタクシー 30元 班瑪→セルタの検問所
合計 72元

青海省非開放区の祁連 阿柔大寺・卓爾山・牛心山

チベット文化圏旅行記2016

西寧→祁連

06:50頃、ユースホステルをチェックアウトして36路のバスで西寧駅へ移動。07:35頃、駅前バスターミナルの西寧汽車客運中心に到着。

今日はバスで祁連へ移動する。祁連は青海省北部の祁連山脈南麓に位置する。西寧→祁連の運賃は58元、距離は288km。

08:00頃、バスへの乗車が始まる。比較的車内は平和そうだと思ったら、おっさんが豪快に音を出しゴミ箱に痰を吐こうとしている。運ちゃんが外で痰を吐くようにおっさんを外へ連れて行く。おサルさんも乗車しているのか。今回のバスは平和な野生の王国かな・・・。4分遅れの08:19にバスが発車、祁連到着は14:00頃になる。

まずは門源を目指してバスが走る。峠を登っていくが門源の菜の花観光の車が多く交通量が多い。そして、バスが良く揺れるのでゲロ吐きの乗客が多い。

10:55頃、門源の達板山観景台を通過する。

ちょうど菜の花の見頃で周囲は黄色に染まった菜の花畑が広がっている。道路脇は地元民の売店が並んでいる。蜂蜜を売っている売店もあるので地元民ではなく蜂客が売っているのだろう。

11:15頃、標高約2900mの門源の青石嘴汽車站に到着。トイレ休憩になる。
11:23頃、バスが発車し門源から祁連へ向かう。

しばらく門源の菜の花畑が続き祁連山脈へと向かう。

省道302号を西へと走るが道路はほとんどが片側2車線になっており田舎にしては道路が整備されすぎている。途中空港が建設中だったので先を見越しての道路整備だろう。阿柔大寺などの寺近くを通過して祁連県の県城が近づいてきた。

祁連に到着

13:45頃、バスターミナルの祁連県汽車站に到着。バスターミナルは標高約2700mに位置しており県城があるのが八宝鎮になる。八宝鎮は標高約2800mに位置しておりバスターミナルは八宝鎮の低い場所にある。祁連県は海北チベット族自治州に属しておりチベットのアムドと呼ばれる地域に含まれる。

央隆招待所

まずは宿探しだ。とりあえずバスターミナル近くの招待所から聞いていくが祁連は手強い。バスターミナル向かいの天境招待所は1泊100元とか舐めた金額を提示してくる。で、バスターミナルの隣りにある央隆招待所で聞いてみると1泊60元であったので老板娘に部屋を見せてもらう。

3畳ぐらいの部屋でトイレ・シャワーは共用になる。久しぶりの招待所の部屋だ。

一応部屋には液晶テレビと電気ケトルがありWi-Fiも使える。

トイレ・シャワーはこれ!シャワーと一体型の奴だが、とてもシャワーを使うきにはなれない。最低限の設備に近いな。1泊20元だろと言いたいが他を探すのも大変なので決まりだ。ここには3泊することにする。最大の難関である登記だがパスポートで何とかなった。本当は外人お断り宿だと思うが内緒にしておいてくれれば何事も無く3日後の朝には出て行く。

祁連県汽車站

14:20頃、バスターミナルの祁連県汽車站へ行く。バスターミナルは八宝鎮の新城の人民路と団結南路の交差点に位置している。

まずはバスの時刻表を確認だ。一番多いバスは西寧行き、次は張掖になる。他にも門源や西海などへのバスもある。最終バスは16:00発の張掖行きでバスターミナルは早く閉まってしまう。

こちらは運賃表で西寧行きは58元になる。これで次の移動計画が立てられる。

バス情報が手に入ったので祁連の街を歩いてみる。2014年にも訪れているのだが田舎にしては道路が広かったりと開発が結構進んでる。

乾拌麺

14:40頃、イスラム食堂で遅めの昼食に乾拌麺(10元/約170円)を食べる。やはり西北地域では麺料理が美味い。

再び祁連の街を歩いてみる。街の北側には丹霞地形の卓爾山(卓尔山)がそびえる。

街を出て南へ歩いて行くと牛心山が見える。牛心山はチベット仏教では聖山ともされている。

街の南は牛心山の山麓になっており祁連県の八宝鎮が一望できる。

さらに南へと歩くと牛心山に近づいてきたが雲が出てきて雷が鳴っているので街へ戻る。

祁連の路線バス

県城へ戻る途中でバス停を見つける。どうやら祁連でも路線バスが走っているようだ。いや、まだ走っているところを見ていないので、これから導入されるのだろう。2路線だけで新城と老城を走るのでバス停はほとんど共通している。一応覚えておきたいのは1路のバスターミナル最寄りの「一完小」くらいいかな。

街に戻ると八宝鎮の入口に祁連県博物館と天境大劇院の建物を見つける。博物館とボッタクリの娯楽施設が一緒になっているのか?

刀削麺

夕飯は刀削麺(8元/約136円)だ。食べたら招待所に戻って大人しくする。公安に見つかると面倒なので。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18元
宿泊費 180元 1泊60元×3
バス 1元 路線バス
合計 199元

朝から痰吐きうるさい

05:30頃に起きるが朝から招待所の宿泊客の痰吐きが酷い。よくそんなにもデカイ音を立てて痰が吐けるものだ。自分には到底真似できそうもない。

西海行きチケット購入

今日は朝から天気が良く青空が広がっている。標高が高いのでかなり冷え込んでいるが昼にはかなり暑くなるだろう。老板娘から「出て行ってくれ」とか言われなかったので大丈夫そうだ。

07:35頃、バスターミナルの祁連県汽車站で明後日の西海行きのチケットを購入する。運賃は50元、これで祁連からの脱出方法は確保した。

阿柔大寺

明後日のバスは確保したので中国農業銀行と新華書店のある八宝街と八宝路の十字路へ向かう。ここが祁連県で一番賑わっている場所になり阿柔大寺や俄堡古城への乗り合いタクシーの出発地点にもなっている。

まだ朝の早い時間帯で車が殆ど無かったがタクシーが1台だけ停車している。地元民のおばちゃん2人と運ちゃんがいるが発車しないので客待ちなのだろう。運ちゃんに阿柔大寺へ行くか聞いたら行くということで乗り合いタクシーで阿柔大寺へ向かう。運賃は7元、すぐに地元民のおばちゃんがもう一人乗車して乗客が集まり、07:55頃に出発。タクシーは90km/h以上で爆走していく。

08:20頃、阿柔大寺に到着。入口は地元民の売店が既に営業中で観光客も大勢訪れている。2014年に訪れた際は売店無し、観光客ほとんどいないという状態だったのに物凄い変貌ぶりだ。

おまけ入場券売場があり入場料20元。ついに有料化されてしまった。

阿柔大寺は1958年以前は僧侶が250人以上おり、そのうち活仏は16人いた。1958年以降は政治運動により破壊され寺は封鎖された。1962年に寺が再び開かれたときには僧侶は23人のみになっていた。1965年に文化大革命により再び寺は封鎖され僧侶たちは還俗させられ故郷へ帰された。1982年に寺が開かれた時には僧侶は23人いたが活仏はいなくなっていた。2008年10月時点では僧侶は37人おり、全員が阿柔部落の出身である。寺主は活仏の夏卜拉になる。

境内は中国人観光客が多く賑わっているが、いない方が撮影には好都合。なので、静かな場所を探して撮影していく。8基のチョルテンが並んでいるのが八宝如意塔になり2002年に建立された。

こちらはヤクの毛で作ったテントのようで地元民がお祈りしていた。経堂みたいな所かな?

内部はこんな感じで特に仏像は無しだ。

寺の建物は新しいので屋根は金色に輝いている。

境内の裏手にはタンカ台がある。

境内の外周部にはマニ車がありコルラできるようになっている。

まだ比較的新しい建物なので見た目は良いのだが電線が・・・。他の建物も同様で電線が結構邪魔である。電柱の地中化やってほしいような。

電線が入らないようにすれば雰囲気はとても良い!

これは大経堂の入口。静寂に包まれていそうなのだが、実は内部にはお金持ちの中国人観光客様たちが見物中である。人の流れが途切れるのを何分待ったことか・・・。

09:00過ぎになると団体の中国人観光客が立て続けにやってきて非常に賑やかになってきた。そして、おっちゃんたちがデカイ音を立てて痰を吐いたり手鼻をしている。2年前には静かであった阿柔大寺が中国人観光客が押し寄せる賑やかな立派な中国の観光地に発展した。痰吐きの音が鳴り響くような立派な観光地になり阿柔大寺も賑やかになったものだ。

10:30頃、阿柔大寺の裏山へ向かうが寺の門前を横切る省道304号を歩いて登れそうな場所へ向かう。そして、道路脇にはペットボトルが転がっている。

しかも、よく見るとそこら中に転がっている。これが中国の現実か・・・。

裏山へ通じる地元民用の道があったので登る。裏山からは阿柔大寺が一望できる。

もちろん阿柔大寺だけでなく周辺の草原も見渡せる。

そして、雰囲気ぶち壊しですが寺の門前には立派な片側2車線道路が通っています。道路ができたことにより観光客が押し寄せるようになったようだ。

祁連へ戻る

11:00頃、阿柔大寺の入り口に戻ってきた。ここでタクシーかバスが通るのを待つ。少なくとも昼ぐらいから門源や張掖方面からのバスが通り始めるので1時間待てば何とかなるだろう。

11:43頃、民楽→祁連のバスが通りがかり手を振って止める。念のため祁連までいくらか聞いて7元なので乗車。

12:10頃、祁連の県城へ到着。とりあえず中国農業銀行前のタクシー集結場所に戻る。タクシーと白タクの両方が待機中である。

乾拌麺

ちょうど昼時なので昨日のイスラム食堂で乾拌麺(10元/約170円)を食べる。

牛心山

食後は昨日に続き県城の南にある牛心山へ向かう。昨日通った道を進んでいく。天気は晴れで牛心山の山麓からは祁連の街が一望できる。

そして、牛心山の山麓では大規模な建設工事が行われている。おそらく牛心山の游客中心とか建設しているのだろう。来年あたりに完成して入場料を取るのだろうな。

道は途中で泥流の跡に変わり沢を登っていく。

かなり進んでくると羊の放牧に遭遇する。

更に登って行くと遠くの菜の花畑が見えてくる。

牛心山に近づいてきた。山頂にはまだ雪が残っている。

更に登り標高約3150mまで来ると祁連の街と卓爾山(卓尔山)が一望できる。

牛心山にかなり近づいて標高約3200mまで登ってきたが、これ以上は道がないので登るのは難しそうなので諦めることにする。

14:30頃、牛心山の山麓で放牧中の羊を見ながら休憩。近くで工事をしているのだが、どうも展望台を建設している様子だ。この羊達の放牧地も観光開発され観光客が押し寄せるようになるのだろう。きっと痰吐きの音で賑やかになるだろうな。開発が完了する前に来てよかったかもしれない。

山を下り祁連の街へと戻る。街に戻ってくると、こんな感じのハエがブンブン飛んでいるゴミ捨て場が・・・。祁連の街はハエが多くお世辞にも衛生環境は良くない。

おまけにマンホールの蓋は無いし。日本なら役所に苦情殺到のレベルだ。でも、これが中国では標準仕様のようだ。

乾拌麺

食堂を探しながら公安局の前を通るが特に呼び止められることもなし。夕飯は別のイスラム食堂で乾拌麺(10元/約170円)を食べる。今回は具材が多く青菜とキャベツの漬物が付いている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 25元
バス 50元 祁連→西海
バス 7元 阿柔大寺→祁連
タクシー 7元 祁連→阿柔大寺
阿柔大寺 20元
合計 109元

卓爾山

07:10頃、招待所を出て卓爾山(卓尔山)へ向かう。今回は卓爾山の西側から入り東へ抜けるルートでいく。街の西へ歩いて行くはバスターミナルから300mくらい西にある玉林商務賓館は渉外賓館の看板が出ており外国人OKのホテルだ。渉外賓館の看板が確認できたホテルは祁連賓館と玉林商務賓館の2軒だけだ。探せば他にもあるだろう。

まずは祁連の街の西から卓爾山への道を歩いていく。まだ朝早いのに既に観光バスが次々と卓爾山へと走っていく。観光バスが走っていなければ静かな田舎の道なのだが・・・。これは嫌な予感がするな。

08:00頃、卓爾山西麓の入口になる麻拉河游客中心に到着。駐車場には既に多数の観光バスと自家用車が・・・。これは中国の有名観光地へ仲間入り確定だな。

入場料は60元、観光バスは20元。60元は高いだろ!車はいらないので入場券のみ購入。

景区の簡単な地図が出ていたが、卓爾山頂上を経由して東麓へ抜けられそうだ。歩いて卓爾山の頂上へ向かう。金持ち中国人観光客たちはバス乗り場に一列にお行儀良く並んでいる。いや、並ばされているのかな?係員が頑張って整理しているし。

頂上への道を歩いていくが徒歩で向かうのは自分一人だけ。中国人観光客は観光バスで頂上へ向かう。

08:21頃、単車の公安に呼び止められる。「道から外れるな」「景点以外行くな」と言われる。「真っ直ぐ行けばいいんでしょ」「他は興味ないから」「行っていい?」と言ったら「行っていいよ」になった。特にどこから来たかは質問されず。卓爾山周辺には見られては都合が悪い何かが隠されているのだろうか?それとも単に畑を踏み荒らされたくないからか?

再び上り坂を進んでいくが徒歩の観光客とすれ違ったのは1人だけ。公安のパトカーは3台もすれ違う。徒歩の観光客は少ないので目立つようだな。

08:40頃、標高約2970mの卓爾山風景区の入口に到着。2回目の入場券確認があり、再び上り坂を登っていく。

金持ちの中国人観光客はバスで次々と頂上へ向かうが徒歩だと祁連山脈の山々をゆっくりと見物できる。

この辺りが卓爾山の丹霞地形なのだが張掖の丹霞地形と比べると規模はかなり小さい。

千兵崖(烽火台)

09:15頃、標高約3100mの千兵崖(烽火台)に到着。千兵崖(烽火台)の土台の高さは9.3mあり、古代の軍事上の連絡手段のひとつである。敵軍が昼間に進入した際は煙、夜間は火による明かりで敵軍の進入を知らせた。この烽火台は西夏王国の烽火台址に復元されたものである。西夏滅亡後は李睍は祁連にまで落ち延び、この地に4つの烽火台を建設し、これはそのうちの一つである。

この千兵崖(烽火台)は観光客で大混雑しており登るのに時間がかかるが眺めはよい。卓爾山の北側の山々が一望できる。眺めはよいが人口密度高過ぎなので退散する。

卓爾山の頂上からは南にある牛心山が一望でき観光客で賑わっている。

こういった観光地だと記念撮影している観光客が多い。

頂上付近にはチョルテンもあり、ここも賑わっている。やかましいとも言うが・・・。

チョルテンからは眼下に祁連の街が広がっている。

卓爾山の頂上にはいくつか展望台になっている部分があり、南の牛心山が一望できる。

天気がよいので頂上付近の残雪も確認できる。

卓爾山東麓には拉洞台村の菜の花畑が広がっている。

卓爾山は丹霞地形でチベット語で「ゾンムマユマ(宗姆瑪釉瑪)」と呼び、美しい赤い皇后の意味を持つ。伝説では仙女の宗姆瑪釉瑪が祁連を訪れ美しい風景の魅了され、更に山の神である阿咪東索を愛するが、龍王の怒りに触れ宗姆瑪釉瑪は卓爾山、阿咪東索は牛心山になり祁連を見守っている。まあ、祁連には色々と伝説が残っているようだ。

卓爾山からの眺めは良いのだが、とにかく日差しが強い。日陰を探してしばし休憩。昼頃になると観光客がかなり減ってきた。昼食か次の目的地へ移動のようだ。

12:35頃、卓爾山風景区の入口に戻ってきた。ちょうど入口の所から牛心山が見えるので撮影によいと思い撮影する。

しかし、1分もすると誰も興味を示していなかった場所が中国人の撮影ポイントと化す。
何で邪魔すんねん!

卓爾山東麓を下りながら拉洞台村の菜の花畑を見物していく。

拉洞台村から卓爾山を見ると山というより丘に見える。

13:30頃、卓爾山東麓にある拉洞台游客中心に到着。

菜の花畑を見物しながらのんびり坂を下っていく。14:20頃、省道304号の近くまでやってきた。ここでしばらく休憩。14:40頃、省道304号に沿って祁連の県城へ向かう。

途中、祁連県人民政府の前を通過。政府の建物の裏は卓爾山になる。

中国はテストの結果が貼り出される

続いてテストの成績が貼り出されているのを発見。中国では学校のテストの成績が貼り出され公開されるようだ。でも、上位の優秀者の成績だけのようだ。日本だと成績表の流失とかが問題になったりするが、中国では公共の場で公開されるので流失とかは関係ないようだ。15:30頃、招待所に戻る。

夕飯はイスラム食堂で乾拌麺(10元/約170円)を食べる。このところ乾拌麺ばかり食べているが、夏の時期は牛肉麺は控えめになる。熱いスープの牛肉麺は暑い夏には・・・。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11元
卓爾山 60元
合計 71元

祁連→西海

08:00頃、招待所をチェックアウトして隣のバスターミナルへ移動。今日は西寧へ戻るが、そのまま西寧行きのバスに乗車するのではつまらないので西海経由で西寧を目指す。

バスは08:30発、祁連→西海で運賃50元、距離211kmになる。

08:15頃、バスに乗車して発車を待つ。席は自由で早い物勝ちで幸い最前列の席を確保。

5分遅れの08:35頃、バスが発車する。39人乗りで乗車率は9割程度で少し空席があるが途中で客を拾うから満席になるだろう。08:45頃、祁連の街中で客待ち停車。08:52頃、ようやく発車。祁連の街を出て牛心山西麓の省道204号を南東へと走る。

09:39頃、標高4120mある峠の大冬樹山垭口を通過。峠を越えると目の前には草原が広がる。

09:50頃、標高約3790mの草原で10分ほどトイレ休憩。

トイレの向かい側にはチベット人の売店があり観光客で賑わっている。

再びバスが走り始めるが大草原の中ではヤク優先の交通ルールになる。さすがの中国人でも車をヤクにぶつけたくないようだ。

夏の観光シーズンはチャリダーたちも各地で出没している。隊列を組んで西寧方面や祁連方面を目指す。

バスがひたすら西海へ向けて大草原を爆走していく。地平線近くに山が見えるが、それ以外は全て大草原が広がっている。

草原にはチベット人たちが放牧をしており草原の中にテントが点在している。10:37頃、標高約3400mの默勒鎮で2回目のトイレ休憩で10分ほど停車。

10:50頃、西海→祁連のバスとすれ違う。そして、ヤクの道路横断に遭遇。

11:20頃、熱水鎮を通過。土田舎なのに信号機のある交差点が1つある。12:10頃、料金所を通過して国道315号に入る。

そして、ヤクの道路横断だ。12:30頃、西寧→天俊のバスとすれ違う。

西海鎮

12:50頃、西海のバスターミナルに到着。バスターミナルの名称は原子城汽車客運站。知っている人は知っているが西海鎮は核兵器開発施設があった場所である。なので、西海鎮は原子城とも呼ばれている。西海鎮郊外にある核施設は核開発の役目を終え観光地として有料で開放されている。街の中には原子城紀念館が無料で開放されているのだが大人の事情で外国人お断りになっている。外国人には見られては都合の悪い内容のようだ。

今回は西寧へ行く途中なので、そのまま西寧行きチケットを購入。13:00発のバスで西海→西寧の運賃は25元、距離は104km。

バスに乗車して発車を待つ。4分遅れの13:04にバスが発車する。

15:25頃、西寧駅前のバスターミナルの西寧汽車客運中心に到着。

青海恒裕国際青年旅舍

予約しておいたユースホステルの青海恒裕国際青年旅舍(青海恒裕国际青年旅舍/Qinghai Hengyu International Youth Hostel)に到着。1泊50元(会員料金)で2泊する。既に予約時に10元支払っており残金90元を払おうとするが何故か80元になる。90元ではないかと確認したが謎の割引で残金は80元になり支払う。

部屋はチベット風10人ドミトリーで雰囲気は良好。

16:15頃、7路のバスでバスターミナルの南川西路客運站へ向かう。運賃は1元。

16:50頃、南川西路客運站に到着。自動券売機が導入されていたが二代身分証がなければ購入不可。外人使用不可なので窓口へ。明後日の09:00発、西寧→班瑪のバスチケットを購入。運賃は180.5元で結構高い。

17:00頃、32路のバスで西寧の中心街になる大十字へ移動。以前に利用したことのある大十字の理髪店で坊主にする。理髪代は15元、坊主にしたので例の寺へ行く準備は整った。あとは現地で公安の検問があるかだな。

土豆羊肉拌麺

夕飯はイスラム食堂で土豆羊肉拌麺(13元/約221円)を食べる。

ジャガイモ、ピーマン、羊肉が具材で麺に掛けて食べます。

西寧の地ビール

ユースホステルの隣にあるスーパーマーケットで黄河青稞ビール500ml(3元/約51円)を2本購入。西寧の地ビールで原料に麦だけでなく青稞を使っているのが特徴。苦味が少なく飲みやすい。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19元
宿泊費 80元 残金:1泊50元×2
バス 3元 路線バス
バス 25元 西海→西寧
バス 180.5元 西寧→班瑪
理髪 15元
合計 322.5元

西寧駅

昼頃に西寧駅へ行ってみるが標高2200mの高地にある西寧でも夏は暑い。歩いているだけで汗が出てくる。まだ東京や大阪とは違い乾燥しているからマシだな。

西寧駅の巨大駅舎はいつ見ても凄いのだが列車の本数の割には過剰設備のような気も・・・。

今日も乾拌麺

昼食はイスラム食堂で乾拌麺(10元/約170円)を食べる。

ユースホステルへ戻る途中で饃を購入。ユースホステルで饃を食べながら地ビールの黄河青稞ビールを飲む。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19.6元
合計 19.6元

青海省ダライ・ラマの故郷へ潜入

チベット文化圏旅行記2016

大雨で遅れ

05:30頃、目が覚める。中衛を過ぎた所で蘭州まで約200kmの場所まで来たが列車が停車したまま動かない。この先の大雨で足止めを喰らっていた。既に2時間の遅れが発生しているようだ。06:00頃、列車が動き始める。天気の悪い中を列車が走るが遅れを取り戻すことは出来ないだろう。

12:30頃、軍用トラックなどの輸送列車に遭遇。

黄河を渡り蘭州が近づいてきた。

13:00頃、蘭州駅に到着。ほぼ全ての乗客が下車して、自分一人で1両占領となる。乗務員の会話から前後の車両の乗客を合わせ蘭州西まで乗客3人のみのようだ。全体だともう少しいるのだろうな。

蘭州駅での停車中にネットで高速鉄道の蘭州西→西寧の切符を購入しようとしたが西寧行きは夜の列車にならないと切符がない。こういう場合は途中までの切符を購入して車内精算に持ち込むしかない。ということで西寧の一駅手前の楽都南までの切符を購入。列車に大きな遅れが発生すると乗り換えが難しく切符購入のタイミングが難しい。

蘭州西駅

13:30に蘭州駅を発車して、13:49、250分遅れに蘭州西駅に到着。

電光掲示板に250分遅れと表示されているが4時間10分も遅れるとは・・・。

まずは切符売場へ移動して楽都南までの切符を受け取る。しかし、最新の高速鉄道対応の駅舎なのに窓口に群れが・・・。甘粛省の省都である蘭州の最新駅でなぜ一列に並んでいないのだ?最新設備なのに利用客はおサルさんが多い。

蘭州西駅の待合室は巨大の一言である。まだ駅舎の本格運用に入っておらず列車の本数が少ないので利用客が少なく空いている。

蘭州西→西寧

今回乗車するのは蘭州西→西寧のD2735次である。購入してある切符は蘭州西→楽都南、席が二等座で運賃40.5元だ。楽都南→西寧は車内精算して、終点の西寧まで乗り鉄という作戦だ。

14:53に改札が始まる。ホームへ向かうが何故か皆混雑しているエスカレーターへ進んでいく。階段の方が空いているのにどういうことだ?ホームでは既に列車が待機中である。

今回はCRH5Gでの編成で最高速度250km/hだ。

車内は2635次の出稼ぎ列車とは別世界だ。定刻通り15:08に扉が閉まり発車したと思ったら動かないぞ。7分遅れの15:15に発車する。

202km/hまで速度を出すが250Km/hは出さず。蘭新鉄路第二双線は250km/hまでの対応なのだが?

車内精算で西寧へ

16:00頃、ぼちぼち車内精算の補票をしようと思い端末を持った乗務員を探す。ちょうど乗務員の兄ちゃんが補票をしているのを見つけて声をかける。楽都南→西寧まで19.5元になる。車内精算なので内訳は運賃17.5元、手続費2元となる。これで西寧まで行けるようになり無事に補票作戦成功である。

楽都南駅を過ぎると最高速度を217km/hまで上げてきた。それでも、CRH5G本来の性能は最高速度250km/hなのでまだ余力がある。消化不良だな。

西寧駅

16:39に遅れて西寧駅に到着。地下通路を通り駅の路線バスターミナルへ移動。

バス停はこんな感じで乗車バトル中。お約束の展開だな。

なぜ一列に並べない?

17:00頃、36路のバスに乗車、運賃は1元。

河湟記憶青年旅舍

17:25頃、Qunar.comで予約しておいた河湟記憶青年旅舍(河湟记忆青年旅舍)に到着。外人OK宿ということであるがチベット関連で大人の事情を抱える西寧は公安が厳しくて本当に外人OKかは分からない。とりあえず大師兄と呼ばれている老板にパスポートを渡すとPCに情報入力し始める。外人OKであったが公安が厳しいので情報入力に時間が掛かる。やはり外人を泊める場合は公安に色々と言われているのだろう。

今回の部屋は1泊35元の8人ドミトリーに4泊する。8人野郎ドミで部屋の鍵はない。ドミトリーは狭いが各ベッドに照明とコンセントありだ。それと小型ロッカーもあり、Wi-Fiも使用可能だ。共用のトイレ・シャワーは特に問題なし。トイレの水はちゃんと流れるし、シャワーは熱いお湯がしっかり出る。予想以上に良さそうだ。

西寧の本屋

85路のバスで西寧の中心街になる大十字へ向かう。五中と西門のバス停が西寧の中心街になる。西寧書城へ行ってみるがロンリープラネット青海は古いのしか置いていない。

新華書店は19:00で閉店になっていた。明日出直すか。

白菜羊肉拌麺

夕飯はイスラム食堂で白菜羊肉拌麺(13元/約221円)を食べる。お馴染みの中華版スパゲッティだが今回の店は無料で麺大盛りOKである。貧乏人にはありがたい。今回は麺と具材が別々で出てきた。

麺に白菜と羊肉の炒め物を掛けておいしく頂きます。

牛肉拉麺

バスで宿近くまで戻るがまた腹が減ってきた。宿の近くのイスラム食堂で牛肉拉麺(7元/約119円)を2回めの夕飯で食べる。定番の麺料理だが牛肉入ってないよ!いや、牛肉のかけらが数個あった。インフレで牛肉減らさないと7元でやっていけないようだ。これなら牛肉無しでいいのでは?

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
宿泊費 140元 1泊35元×4
鉄道 40.5元 二等座 蘭州西→楽都南
鉄道 19.5元 無座 楽都南→西寧
バス 3元 路線バス
合計 223元

ロンリープラネット青海

朝から雨で完全に遠出不可能。午前中に85路のバスで西寧の中心街になる大十字へ向かう。運賃1元で五中のバス停で下車。

昨日は閉店で入れなかった新華書店へ。ロンリープラネット青海は6月に発行された2016年版が置いてあった。新華書店は定価で店員の態度が悪いので本当は買いたくないのだが、アマゾン中国だと定価より安く買えるが北京からの発送だったので西寧まで4日かかるので今回は仕方なく新華書店で購入。

ロンリープラネット青海(59元/約1003円)は購入できたが相変わらず接客は・・・。小売業で書籍販売をしているというより愚民どもに教養を持たせるために販売してやっているいう感じだ。おまけに外は雨が降っているのに袋とかカバーは無しで書籍をそのままお持ち帰りである。この本屋はよく潰れないなと思ってしまう。雨降っているので85路のバスで速やかに帰る。

炮仗麺

昼食はイスラム食堂で炮仗麺(12元/約204円)を食べる。青海省の名物麺料理で、炮仗は爆竹を意味して短めの麺を爆竹に例えている。スープ無しの麺に煮込んだ数種類の野菜が載っている。

八一路客運站

夕方に八一路客運站にやって来た。西寧駅前に新バスターミナルの西寧汽車客運中心が出来たので去年と比べるとかなり空いている感じだ。運行するバスの本数も変わってしまったので時刻表がなくなっていた。バスターミナル近くのスーパーマーケットで食料を調達。列車やバスでの非常食として飴を多めに購入しておく。

牛肉麺

夕飯はイスラム食堂で牛肉麺(7元/約119円)を食べる。定番の麺料理だが牛肉のかけらが数個あるだけ。スープは清湯で透き通っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 39.8元
バス 2元 路線バス
書籍 59元 ロンリープラネット青海
合計 100.8元

西寧汽車中心站

08:30頃、36路のバスに乗車して終点の西寧駅へ移動。

09:05頃、西寧駅前広場東の新バスターミナルの西寧汽車中心站に到着。時刻表は電光掲示板で表示されているが撮影困難であった。時刻表はqh.bus365.comで検索可能なので問題は少ないだろう。

玉樹、ゴルムド、祁連、大武、共和、同仁など青海省各地へのバスから蘭州、西安、許昌など省外への長距離バスも多数運行されている。青海湖への旅游バスもある。

窓口は長蛇の列で1時間コースで並ぶつもりでないといけない。当日のチケット購入は自殺行為なので、遅くても前日にはチケット購入をしないと行けない。自動券売機だと1週間先まで購入可能なので窓口も同様と思われる。券売機は糞なのでパスポートには未対応なので外人は利用不可。09:45頃、明後日の祁連行きチケットを購入。購入時は身分証必要なし、バスは08:15発、運賃は58元。

西寧→大通

そのまま駅前広場西の公交汽車站で大通行きバスに乗車。隣にはダライ・ラマの故郷である平安行きバスも停車中。10:00頃、大通行きバスが発車、運賃は6元。

11:45頃、大通の中心街で下車する。大通を訪れた場合、普通は街のすぐ東の老爺山を登るのだが、自分は老爺山へ行かず西へと歩く。

今日の目的地は明長城遺址になる。街も中心にも標識はあるので実際に長城は存在しているのだろう。

明長城遺址公園

町外れの線路を越えると牌坊が見えてきた。ここが明長城遺址公園になり山の上を目指す。

山を途中まで登ると老爺山と建設バブル真っ最中の大通の街が一望できる。

12:40頃、山腹に土塁が見えてきた。これが明長城遺址ー大通段になる。

青海省にも明代の万里の長城が現存しているのだ。西寧近郊の万里の長城は明代中頃の嘉靖25年(1546)に建設が始まり西寧兵備副使の王継芳、周京などの官吏が建設の指揮をし、隆慶元年、隆慶6年、万暦元年、万暦2年、万暦24年(1596)に大規模な工事が行われ51年間掛けて西寧近郊の万里の長城が完成する。

その後、西寧近郊の万里の長城は清代に2度修復工事が行われている。「西寧府新志・建置」によれば雍正10年、乾隆10年に修復されている。万里の長城は清代には放棄されたと思っていたが、青海省では西寧防衛に必要だったようだ。

現在残っている明長城遺址ー大通段は明代の万里の長城で最も標高の高い所に位置しており、50.245kmが現存している。

万里の長城は文化財保護の観点から周辺に柵が設けられ立入禁止になっている部分が多くなっている。ここも柵があるのだが一部にまだ柵がない所があり抜け道になっている。ただ柵のない部分も塞がれるのは時間の問題だ。

山の上を通る万里の長城は観光用に整備されておらず明代の姿を留めている。

山の上に伸びる万里の長城は遠くに伸びており絶景とも言える。13:30頃、雨が降ってきたので明長城を離れる。14:10頃、老爺山までやってきた。入口のすぐ近くに大通→西寧のバス乗り場がある。ただ新バスターミナルが建設中らしく今後移転の可能性ありだ。14:15頃、西寧行きバスが発車、運賃は6元。15:45頃、西寧駅近くで全員降ろされる。

茄子炒肉蓋麺

夕飯は近くの麺屋へ。

茄子炒肉蓋麺(14元/約238円)を注文。麺の上にナスと牛肉の炒め物が載っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
バス 2元 路線バス
バス 6元 西寧→大通
バス 6元 大通→西寧
合計 28元

西寧→平安

今日の西寧は朝から天気は晴れで遠出にはちょうど良さそうだ。宿を出て15分ほど歩くと八一路客運站に着く。途中おっさんやオバハンが道端で唾を吐いている。いつもの光景であるが西寧は女性の痰吐きや唾吐きに遭遇する確率が北京や上海と違い格段に高い。青海省の省都であってもおサルさんが大量に生息しているようだ。本来は文明国である中国がこのような野生の王国のはずはないのだが・・・。

07:30頃、八一路客運站の交差点から平安行きのバスに乗車。西寧-平安のバスはこの交差点が起点だったのだが西寧駅前に西寧汽車中心站が出来た影響で西寧駅前の公交汽車站が出発地点に変更となり、八一路客運站の交差点は途中の乗り場になっていた。平安までの運賃は5元でバスはノロノロ運転で客を乗せながら平安へと向かう。平安と言えばチベットの非常に徳の高い高僧の生まれ故郷だ。

08:35頃、平安に到着。平安驛駅前で降ろされる。駅前広場の中国銀行前から石灰窯(石灰窑)行きのバスが出ていたのだが、西寧行きバスの出発点に変わっている。石灰窯(石灰窑)から戻ってきたバスが駅前で客を降ろしているのは確認できたが乗車地点が見つからない。(帰ってきてから道路向かいになっていたことが判明)

周辺を歩いて探すが見つからないので、西寧方向へ歩いて戻り高速の入口付近で待っていると石灰窯(石灰窑)行きのバスが来た。10:00頃、石灰窯(石灰窑)行きのバスに乗車、紅崖村路口まで運賃は5元に値上がっていた。

ダライ・ラマ生家

11:00頃、標高約2600mの紅崖村路口で下車して橋を渡り坂道を上っていく。バスは更に奥の下河灘へと走っていった。

去年、地元民が通っていた抜け道からタクツェル(紅崖村)へ向かう。

急カーブの所からそのまま崖の方へ歩いて行く。

ここから細い地元民用の道があるので登っていく。

道を踏み外すとあの世行きなので要注意だ。

ひたすら登っていきます。

登っているとこういった景色が見られる。
山の中で遠くにチョルテンが見える。

11:30頃、抜け道から道路へ出る。抜け道は道路を歩くより10分は短縮できていると思う。

道路を歩くこと数分でダライ・ラマの故郷タクツェル(紅崖村)が見えてきた。11:40頃、標高約2800mのダライ・ラマ生家に到着。言わずと知れたチベット仏教最高指導者であるダライ・ラマ14世の生誕地である。土田舎の村なのだが電柱には何故か監視カメラが・・・。

過去2回訪れた時は門が堅く閉ざされていたのだが今回は何と門が開いているではないか!これは好機到来と考え中へ入る。

1回目訪問:青海省チベット文化圏旅行記2014夏4

2回目訪問:シルクロード旅行記2015その1

内部は家というよりチベット仏教の寺院といった感じだ。

これなんか個人宅というより完全に寺ではないか!

立派なマニ車もあります。奥の本殿からおっちゃんが出てきたので見物できるか聞いてみたらダメだった。「警察来的时候太麻烦」(警察来た時厄介)というので退散する。

やはり非開放区なのか?ダライ・ラマの故郷だから大人の事情で外国人には来てほしくないのか?その割にはダライ・ラマ生家は原型を留めないほど立派に改装されているようだが・・・。まあ、分かるように村の入口に外人お断りの看板でも立てといて欲しいな。

そういえば、あのおっちゃんはダライ・ラマ生家の鍵を持っていたという事は隣に住むダライ・ラマの甥の家族という事かな?

参考記事:ダライ・ラマ14世の生家を当局が「改修」、原形とどめず

このまま帰るのも勿体ないので裏からダライ・ラマ生家を見物。隣がダライ・ラマの甥の家になる。

これはタクツェルから見える風景。天気が良いと青空が広がっている。

11:55頃、標高約2800mのタクツェル(紅崖村)を出る。

再び地元民用の道を通り道を下っていく。

12:30頃、標高約2600mの紅崖村路口に戻ってきた。ちょうど遠くでバスのクラクションが鳴るのが聞こえたので、もうじき平安へ戻るバスが来るようだ。

1分ぐらいするとバスが来たので乗車する。平安までの運賃は5元。13:35頃、平安に戻ってきた。終点の平安驛駅前で降ろされるが、ここで新事実が判明。石灰窯(石灰窑)行きのバスを降りると、その場で新たな乗客が乗車している。そう今までの終点がそのまま出発地点になっていたのだ。要するに今まで駅前の中国銀行の前が出発地点だったのが、道路向かいの平安区中医医院の前になっていただけであった。

これが以前の出発地点の中国銀行前。西寧行きバスの出発点に変わっている。

こちらが中国銀行の道路向かいの平安区中医医院。

こんな感じでバスが待機中であった。灯台下暗しであった。

西葫芦炒肉蓋麺

遅めの昼食で駅前のイスラム食堂で西葫芦炒肉蓋麺(10元/約170円)を食べる。

道路陥没

14:15頃、西寧行きバスに乗車、運賃は5元。15:15頃、八一路客運站で下車する。宿へ戻る途中で道路が陥没しているところがあった。中国では道路陥没はよく見かけるが周囲を封鎖するとかはしない。一応カラーコーンみたいなのを置いているが、これではあまり意味は無いな。

擀拌麺

夕飯は近くの蘭州拉麺の店で擀拌麺(10元/約170円)を食べる。中華版スパゲッティで野菜と牛肉の炒め物が載っている。

擀拌麺を食べているとイベント発生。今日はいつものガキが小便とかの奴ではない。中国人の兄ちゃん2人組がイスラム教徒の蘭州拉麺の店で猪肉麺を注文している。猪肉麺と言っても猪ではない。中国語で猪肉は豚肉のことだ!

イスラム教ではブタは不浄の動物で禁忌とされている。当然ながら蘭州拉麺の店で豚肉は扱っていない。なのに、豚肉拉麺を注文とはアラーもビックリであろう。中国ではイスラム教がアルコールと豚肉は禁止というのは教えられていないようだ。これでは民族宗教問題が燻ぶるわけだ。中国人の兄ちゃん2人組が店から出て行くと店のおばちゃんたちは文句を言っていた。中国にISが侵入すると真っ先にこの手の中国人が血祭りにあげられそうだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 5元 西寧→平安
バス 5元 平安→西寧
バス 5元 平安→紅崖村路口
バス 5元 紅崖村路口→平安
合計 40元