雲南省大理 茶馬古道の巍山古城・諾鄧古鎮

雲南省旅行記2016

大理→巍山

09:40頃、ユースホステルをチェックアウトする。人民路口のバス停から4路のバスに乗車。運賃2元で荷花村のバス停で下車、2路のバスに乗り換える。昆明の公交ICカードを使い運賃0.9元。10:40頃、客運南站のバス停で下車。

今日は南バスターミナルの大理興盛客運站から巍山へ移動する。

窓口は相変わらずの混雑だ。

自動券売機は誰もいないので巍山行きのバスチケットを購入しようとするが巍山は表示されているが購入できず。近くの係員のおっちゃんが短距離は非対応だと一言。非対応なのに巍山が表示されているのはどういうこと?チャイナクオリティだな。

仕方ないので窓口で巍山行きバスチケットを購入。大理(下関)→巍山の運賃は15元、客が集まり次第の出発だ。

チケットに印字されたナンバーのバスを見つけて乗車して待つ。

11:05頃、バスが発車する。山道を走り峠を越えて巍山へと爆走していく。

巍山イ族回族自治県

12:30頃、バスターミナルの巍山汽車客運站に到着。

まずはバス情報を確認するが大理行き以外は昆明と南澗県へのバスが少しある。

残りは近郊の農村へのバスだけだ。

運賃表を見るとほとんどが近郊へのバスだけとわかる。

巍山古城を歩いて予約してあるユースホステルへ向かう。

高徳地図を確認しながら古城を南へ20分ほど歩いていく。

雲上的日子青年旅舍

13:00頃、予約しておいたユースホステルの雲上的日子青年旅舍(云上的日子青年旅舍/Beyond The clouds Youth Hostel)に到着。ここはYHA Chinaの加盟店だ。老板が外出中だったので先に部屋に案内されチェックインは老板が帰ってきてからということになる。

部屋は8人ドミトリーできれいに片づいている。各ベッドにコンセントは無くOAタップが代わりにあり電源は何とか確保できる。照明は有ったり無かったりだ。中型ロッカーがあるが5個しかないので早い者勝ちだ。Wi-Fiは問題なし。

共用のトイレ・シャワーは一体型の奴だが許容範囲内。シャワーのお湯の出は良好。

共用スペースには書籍が多数ある。もちろん中国語である。

周辺の様子はこんな感じ。

巍山古城1日目

14:40頃、巍山古城を散歩してみる。大理古城よりは静かであるが巍山イ族回族自治県の県城にあるので古鎮にしては車や電動スクーターが多い。

巍山古城の中に巍山イ族回族自治県人民政府がある。

巍山古城を歩いているとこんな貼り紙を見つける。巍山から兵隊へ行く人員の名簿が公開されている。わざわざこんなもの貼りだすなんて・・・。日本ではあり得ない光景だ。

中国の自称平和団体の人たちから「若者を戦場へ送るのか!」と抗議殺到じゃないか?
いや、中国に日本みたいにそのような平和団体が存在するのか?某国が日本の軍国主義復活とか騒いでいるが、こんな名簿公表している国と比べると日本なんて平和ボケだよ。

巍山古城の北の牌坊までやって来た。

牌坊の近くには「茶馬古道重鎮蒙化」の記念碑がある。巍山も茶馬古道の一部だったようだ。腹減っているので説明は明日読もう。

餌絲

16:00頃、イスラム食堂で餌絲(8元/約136円)を食べる。牛肉がそこそこ載っており牛肉麺より肉が多そうだ。

17:00頃、ユースホステルに戻るが老板はまだ外出したまま。いつ帰ってくるんだ?

18:30頃、老板が帰ってきてようやく登記する。予約時に10元支払い済みなので1泊25元(会員料金)×4の残金90元を支払う。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
宿泊費 90元 残金:1泊25元×4
バス 2.9元 路線バス
バス 15元 大理(下関)→巍山
合計 122.9元

巍山古城2日目

08:30頃、巍山古城を歩くが朝から痰吐きの音が鳴り響いている。爺さんだけでなく婆さんまで痰吐きをしている。おっさんの歩きタバコも酷いし、巍山のマナーはかなり悪いようだ。

08:45頃、巍山古城南の楼閣になる星拱楼に到着。

星拱楼は文筆楼とも呼ばれ、明の洪武23年(1390)に建設され、清の康熙50年(1711)に再建され、咸豊7年(1857)に崩壊するが咸豊10年(1860)に杜文秀パンゼーの乱での左参軍の馬国忠により再建される。

文廟

09:15頃、文廟にやってきたが山門でオバハンが痰を吐いている。文廟は孔子を祀る中国人にとって非常に重要な場所のはずなのだが・・・。現代中国では孔子は無用の長物と化してしまったようだ。孔子を祀る文廟の山門で痰吐きとは孔子もびっくりだろう。

巍山文廟は明の洪武年間(1368ー1398)に建立され、万暦40年(1619)に再建される。清の咸豊、同治年間(1851ー1874)に杜文秀のパンゼーの乱で蒙化を守る反乱軍の将軍である李芳園、馬国忠たちにより修復と拡張が行われる。

建物は新しく再建されたようで古さは感じられない。

廟内にある古木が文廟の歴史を物語っている。

文廟は立派に整備され雰囲気は良好だ。

大成殿には孔子像が祀られているが参拝客はおらず、外で管理人のおばちゃんが廟内を掃除しているぐらいだ。

粑肉餌絲

10:20頃、遅めの朝食で文廟近くの食堂で粑肉餌絲(7元/約119円)を食べる。粑肉は扒肉とも表記したりするが、粑は本来は米偏なのだが大理や魏山では火偏になっている。
だが火偏での漢字は存在しない。
西安のBianBian麺と同じで誰かが勝手に作った非公式の漢字なのだろう。

南詔博物館

10:35頃、南詔博物館を訪れる。2015年10月1日に開館した新館で新しい。

南詔国の展示が中心になっているが重要な出土品は昆明へ持って行かれているようで展示品は少ない。

南詔国以外では少数民族の展示がありイ族が中心になっている。

あとは粑肉餌絲や一根麺といった魏山の食べ物が紹介されている。南詔博物館は珍しく赤い展示がなく普通の博物館になっている。

拱辰楼

昼頃、魏山古城の中心部にある拱辰楼にやってきた。拱辰楼は2015年1月3日に火災で焼失しており、再建工事の真最中であった。外観の工事はほぼ完了しており内装工事が残っているようだ。

茶馬古道重鎮蒙化

12:15頃、魏山古城北の牌坊へやってきた。

昨日の「茶馬古道重鎮蒙化」の石碑を再度確認。魏山は古くは蒙化と呼ばれ南詔国発祥の地になる。蒙化はミャンマーやインドへの通商の要道になり「茶馬古道重鎮」となっていた。清代の「普洱府志」によれば、唐代にできた茶馬互市により交易が盛んになり、茶馬古道の滇藏古道、滇川古道、滇緬古道は全て蒙化を通っていた。

この3本の交易路は「三進三出」と呼ばれ、「三進」の第一は勐海、思茅、普洱、鎮沅、景東を通り蒙化へ入る経路。第二は耿馬、双江、臨滄、雲県、公郎を通り蒙化へ入る経路。
第三は風慶、犀牛渡、茶房寺、鼠街を通り蒙化へ入る経路。

「三出」の第一は隆慶関、雲南驛、南華、昆明、成都、西安を経て北京へ至る経路。第二は瓦房哨、下関、剣川、麗江、中甸(シャングリラ)、ラサ、ネパール、インドへの経路。
第三は三鶴、江橋、漾濞、永平、保山、騰沖、芒市(潞西)、畹町、ミャンマーへの経路。唐代から1960年代まで茶馬古道は交易路として利用されていた。

大理ビールV8

超市で冷えた大理ビールV8 575ml(4元/約68円)を購入。標高1700mの魏山は昼でもまだ暑いので冷えたビールは貴重だ。

アルコール度数は2.5%で少し低めだ。14:20頃、疲れてユースホステルへ戻り寝込む。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 21.5元
合計 21.5元

燜肉餌絲

09:25頃、朝食に燜肉餌絲(7元/約119円)を食べる。昨日は粑肉の方を食べたのだが、燜肉より巍山名物の粑肉の方が美味いな。

南薫橋

今日は巍山古城から3kmほど離れた所にある圓覚寺へ向かう。09:50頃、古城の南側で南薫橋を見つける。1999年に修復されているようだが巍山に古くからある吊り橋のようだ。

さすがに吊り橋を渡るのは危険な気がするので見るだけにしておく。

玄龍寺

山道を登って行き、10:45頃、玄龍寺に到着。

玄龍寺は玄珠観とも呼び、創建は南詔国の頃になり、明の永暦10年(1656)に再建され、清の同治年間に戦乱により破壊され、光緒年間に再建される。

小さな寺で修復はされているが古そうな感じだ。

僧侶はおらず地元民の婆ちゃん2人が管理人をやっているようだ。

龍華寺

続いて隣の龍華寺を見物。こちらも小さな寺で明朝の文官だか将軍が祀られている。

参拝客はおらず地元民がいるぐらいだ。

僧侶はおらず境内に茶館があるようで地元民が集まり麻雀をやっていた。

寺というより地元民の憩いの場のようだ。

11:15頃、龍化寺を離れ山道を歩いていく。

圓覚寺

11:30頃、圓覚寺に到着。

寺には「维护祖国统一 维护民族团结 维护社会稳定」のスローガンが掲げられている。「祖国統一、民族団結、社会の安定を守る」という意味になるが、はっきり言ってこんなアホなスローガンは寺には関係ないだろう。

日本の寺にこんな横断幕掲げていたら「住職キチガイ?」とか思われるだろうな。中国は寺にもこんなスローガンを掲げないといけないほど必死になっているようだが、それだけヤバイ状態なんだな。

圓覚寺は明の成化年間(1465-1487)に蒙化府土知府の左氏により建立され、万暦年間に修復されるが破壊され、天啓2年(1622)に再建、清の康熙年間に修復される。

寺には僧侶はおらず管理人のおっちゃんとおばちゃんがいるだけだ。

参拝客はおらず境内は静かで雰囲気は良く騒がしい観光地の寺とは全く違う。12:10頃、圓覚寺を離れ山を降りる。

武宣王府

12:30頃、武宣王府に到着。

詳細は不明。

楽堡ビール

13:00頃、巍山古城に戻ってきた。超市で楽堡ビール500ml(4元/約68円)を購入。

アルコール度数3.1%でデンマークのTuborgブランドのビールだが大理ビールが生産している。味はすっきりしており昨日飲んだ大理ビールV8と同じような・・・。

回鍋肉蓋飯

夕飯は回鍋肉蓋飯(10元/約170円)を食べる。ホイコーローの豚肉とニラがしっかり炒めてあり美味い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 25元
合計 25元

巍山古城4日目

朝のうちに明日の諾鄧古鎮での宿を予約しておく。09:00頃、巍山古城を散歩。

巍山古城は雰囲気はまずまずなのだが電動スクーターが古城内を縦横無尽に走ったりしているので危険である。一応進入禁止の柵があるのだが役立たずである。

一根麺

朝食は巍山名物の一根麺(8元/約136円)を食べる。一根麺は1本の麺で作られた麺料理になる。巍山名物だが西安とかでも一根麺は食べられる。

食後は古城を北へと歩いて行く。

建物の屋根に草が生えているのは本当の古建築のようで、この辺は古鎮のいい雰囲気が出ている。

北壇寺

10:10頃、巍山古城の北にある北壇寺を訪れる。北壇寺は明の崇禎15年(1642)に建立された古刹である。

寺の規模は小さいが地元民が常駐して井戸端会議中。

本殿に描かれた壁画はなぜか三国志の名場面が多数描かれている。

「桃園の誓い」「三顧の礼」「空城の計」などお馴染みの場面が描かれている。

督郵が鞭で打たれる場面まで描かれている。なぜ三国志が描かれているのかは不明だ。10:35頃、北壇寺を離れ巍山古城へ戻る。

汆湯餌絲

11:30頃、餌絲屋へ行くが粑肉が売り切れだったので汆湯餌絲(8元/約136円)を注文。

汆湯は「さっと茹でる」というような意味があり挽き肉とネギが具材の餌絲だ。巍山古城の餌絲屋は昼過ぎぐらいには閉店の所が多く営業時間が短い。

16:00頃、再び巍山古城を散歩。

夕方になっても、まだ結構暑い。

古城内の土産物屋には竹細工が結構あるが売れている様子はない。

古城の中心にある拱辰楼にやって来た。再建工事は今年中には終わるのだろうか?

燕京鮮啤

夕飯に饅頭食べて、食後に冷えた燕京鮮啤595ml(4元/約68円)を飲む。

アルコール度数3.6%の生ビールになる。燕京ビールなのだが生産地は雲南省昆明で、ちょっと微妙だな。燕京ビールなら北京でないとな・・・。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 25元
宿泊費 3元 予約:大理諾鄧驢窩驛国際青年旅舍
合計 28元

巍山→大理

07:40頃、ユースホステルをチェックアウト、朝の巍山古城を通り抜けてバスターミナルへ向かう。

08:00頃、バスターミナルの巍山汽車客運站に到着。大理(下関)までのバスチケットを購入するが窓口のおばちゃんは世間話に忙しく接客対応最悪で、投げ銭、投げチケットだよ。

巍山→大理(下関)の運賃は15元、客が集まり次第の発車だ。

バスに乗車して出発を待つ。利用客は地元民ばかりで観光客は小日本1匹だけである。

08:08頃、バスが発車する。

09:25頃、大理興盛汽車客運站に到着。

09:35頃、客運南站のバス停から21路のバスで華端市場へ移動。昆明の公交ICカードは使用できるが割引無しの1元。

大理→雲龍

09:40頃、華瑞市場のバス停で下車して大理快速汽車客運站に到着。自動券売機で大理(下関)→雲龍のバスチケットを購入。

支払いは支付宝にのみ対応なのでスマホでQRコードを読み取って決済。

バスは10:50発、大理(下関)→雲龍の運賃は39元。ハエがやたらと多い待合室でしばらく待機となる。

待ち時間を利用してバスの運賃時刻表を確認しておく。

10:35頃、ボロバスに乗車して発車を待つ。10:45頃、運ちゃんのチケット確認が始まるが、後ろのおサルさんが窓から豪快に痰を吐いている。今日も野生の王国は絶好調、さすが中国だ。

10:50頃、雲龍に向けてバスが発車する。乗客は地元民ばかりだ。

西へと高速道路を走り永平県から山道へ入っていく。12:05頃、トイレ休憩で10分ほど停車。

再び山道を走っていく。

14:00頃、雲龍県の県城へ入りバスターミナルの雲龍客運站に到着。

まずはバスの確認。昆明行きのバスが午前中に2本あるが、基本は一番本数が多い大理(下関)行きだ。大理行きを抑えておけば何とかなるな。

バスターミナル前からは4路のバスが諾鄧古鎮へ行くようだ。バスターミナルが「客运站」で諾鄧古鎮が「千年白族诺邓」になる。ただし、バスが来る気配が全く無い。県城では1路のバスを1台しか見かけていない。

とりあえずバスだと諾鄧古鎮まで3元になる。バイクタクシーの運ちゃんは20元とか舐めたこと言っているので無視。事前に調べた情報だと面包車(ワゴン)だと人数集まれば1人5元だ。

今回は諾鄧古鎮まで徒歩で向かうことにする。バスターミナルから諾鄧古鎮までは5-6kmの道のりになる。14:15頃、バスターミナルを出発して、高徳地図を確認しながら歩いて行く。

まずは川沿いに北へと歩いて行く。沘江に沿って歩いて行き、途中で山道へと進路を変える。

15:20頃、諾鄧古鎮の入口に到着。奥に集落が見える。

駐車場が整備されており観光開発が始まっているようだ。

駐車場から諾鄧古鎮へ入るが、この先は車や自転車は通れない。階段になっており徒歩か馬でしか古鎮の中は廻れない。

諾鄧古鎮の中に予約しておいたユースホステルがあるので路地の階段を登って行くが、迷路のようになっており疲れる。

路地には案内の看板が出ているので何とか迷わずに進める。

大理諾鄧驢窩驛国際青年旅舍

15:40頃、予約しておいた大理諾鄧驢窩驛国際青年旅舍(大理诺邓驴窝驿国际青年旅舍/DALI NUODENG LV WO INTERNATIONAL HOSTEL)に到着。

部屋は1泊30元(会員料金)の8人ドミトリーを予約しておいたのだが、4人ドミトリーにしてくれた。各ベッドにはコンセント有り、照明無し。人数分のロッカー有りだ。Wi-Fiは繋がるけど少し遅いなと思っていたら、Twitterとかが使えるのでVPN経由になっている。共用のトイレ・シャワーは別々になっているので使いやすい。

ペー族の建築物なので雰囲気はかなり良い。

諾鄧古鎮1日目

16:00頃、諾鄧古鎮の散策に出かける。まずは諾鄧玉皇閣から見物で入口には古建築の木牌坊がある。

木牌坊をくぐると放牧から戻る途中の黒ヤギたちが突撃してくる。黒ヤギたちが去るのを待って参道を登っていく。

諾鄧玉皇閣は明の嘉靖年間(1522-1566)に創建され、崇禎10年(1639)に拡張、清の道光7年(1827)、11年(1831)に修復、咸豊7年(1857)に兵火で焼失、光緒年間(1875-1908)に修復され民国年間に関聖廟が再建された。現存建築は玉皇閣を主体に文廟、武廟、静室、木牌坊で構成されている。

ここは文廟になり孔子が祀られてる。

廟内には立派な孔子像が中央に鎮座している。

続いては三国志の関羽を祀る武廟。

壁画には「桃園の誓い」が描かれている。

廟内には関羽、関平、周倉のお馴染みの像が鎮座している。メインとなる玉皇閣は工事で閉鎖中。

玉皇閣の次は新寺山塩馬古道を見物。新寺山塩馬古道は茶馬古道の一部になり諾鄧で産出される塩が交易品としてチベットへと運ばれたため塩馬古道とも呼ばれている。

この新寺山塩馬古道を進めば沙溪古鎮、麗江、シャングリラ、徳欽を経てチベットへ入る。古道の一部が復元されているが行き交うのはキャラバン隊ではなく放牧から戻る黒ヤギと牛たちである。

諾鄧古鎮を歩くとペー族の四合院が残されているのを見かける。

こちらは提拳司衙門。1383年に明朝が全国7箇所に「塩課提拳司」が設置され、雲南には4つ置かれた。諾鄧はそのうちの一つになり「五井塩課提拳司」の跡地になる。後に提拳司衙門は外部へ移転し諾鄧黄氏一族の邸宅の一部となり、科挙功名の題名坊となる。

古鎮内には土壁の古い建物が残っている。

山の斜面にペー族の住居が密集している。

こちらは諾鄧古鎮に残る塩井の一つになる。

現在でも塩井から塩水が組み上げられて観光用の土産として塩が作られているが、茶馬古道の時代はチベットへの交易品として塩が作られていた。

火腿炒素菜

夕飯はユースホステル近くの食堂で火腿炒素菜(30元/約510円)と米飯(2元/約34円)を食べる。食堂というか民家の2Fなのだが・・・。

火腿炒素菜は名物の諾鄧火腿の野菜炒めだ。ハムの脂身が美味くご飯がすぐに無くなる。米飯は食べ放題なのでおかわりしながら食べていく。諾鄧古鎮の名物はハムの諾鄧火腿と塩井から作られた塩になる。夜は明日の大理→昆明の切符と明後日の昆明→成都の切符を予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 32元
宿泊費 27元 残金:1泊30元(会員料金)
鉄道 64元 硬座 大理→昆明
鉄道 141.5元 硬座 昆明→成都
バス 15元 巍山→大理(下関)
バス 39元 大理(下関)→雲龍
バス 1元 路線バス
合計 319.5元

諾鄧古鎮2日目

朝から雨が降っている。これでは古鎮の散策ができそうもない。今日は大理へ戻らないといけない。

10:30頃、雨が止んだので諾鄧古鎮を散策する。

観光客がほとんどおらず地元民も少なく、古鎮で聞く音はブタの鳴き声ぐらいだ。

静かな諾鄧古鎮を歩いていると欧米人が意外にも多い。少なくとも10人以上はいる。

でも、やかましい例の観光客たちとは違い上品なので静かな古鎮は保たれている。

諾鄧古鎮→雲龍県城

11:30頃、ユースホステルをチェックアウトする。諾鄧古鎮は静かで商業化が進んでいないのでのんびりするのにはいいだろう。ただし、村の中に売店が数件あるが非常食とかは持参しておいた方がよい。階段を下りて諾鄧古鎮の駐車場へ向かう。路線バスは停車していなかったので歩いて雲龍県の県城へ向かう。今日は大理へ戻り、鉄道で大理→昆明→成都まで移動する。順調にいけば明後日の朝には四川省成都に到着だ。

雲龍へ戻る道は下り坂になるので昨日よりは楽だ。

途中、土砂崩れの現場を通過。

12:07頃、4路のバスとすれ違う。運行されているのは確認できたが本数が少なさそうなので役立たずの状態だ。県城まで戻ってきたが4路のバスは見かけず。運行本数は1時間に1本より少ない様子だ。

雲龍→大理

12:55頃、雲龍客運站に到着。大理(下関)行きのバスチケットを購入。

13:10発、雲龍→大理(下関)は運賃39元になる。

バスターミナルには4路のバスが停車しているが需要が少ないようで運行している様子は無し。

13:18頃、8分遅れでバスが発車する。

山道と高速を走り大理へ向かう。

大理駅

16:15頃、大理快速汽車客運站に到着する。バスターミナルから100ー200m離れた華瑞市場のバス停から21路のバスに乗車。

昆明の公交ICカードを使い運賃1元、16:35頃、火車站で下車して大理駅に到着。

まずは切符売場で昆明行きの切符を受け取る。ちょうど空いている時間帯だったようで待ち時間無しで切符を受け取る。

粑肉餌絲

16:50頃、大理駅近くの餌絲屋で、朝食兼昼食兼夕食い粑肉餌絲(10元/約170円)を食べる。

粑肉以外の具材はお好みで自由に追加だ。

大理→昆明

17:10頃、再び大理駅へ。切符と身分証確認、荷物のX線検査を済ませて待合室へ。3時間半ほどの待機になるが、おっさんたちがゴミ箱へデカイ音を立てて痰吐きをしている。これは床に痰を吐いていないだけ進化しているということか?おサルさんからチンパンジーぐらいに進化か?いや、外見は人だがやっぱりおサルさんだな。

で、大理駅ではいつも通り2Fの待合室で待っていたが電光掲示板を見ると、今回の列車は3Fの待合室であった。荷物まとめて3Fへ移動し待機となる。

今回乗車する列車は、20:50発、K9644次の大理→昆明、席は硬座、運賃64元になる。

19:00過ぎになると待合室が徐々に混雑してくる。19:30頃、改札口の先頭を陣取り乗車バトルに備えておく。発車20分前に改札が始まるだろうから1時間ほど改札口で待機だな。

大体経験上、自分が改札の先頭を陣取ると急に並び出したり、荷物を置いて場所取りしたりする。並んで列が出来るのはいいのだが、群れが出来ると乗車バトル確定だ。

20:15頃、改札が始まりホームへ一番乗り。

まずは行先票の撮影。

乗車バトルに巻き込まれず無事乗車。誰もいないがすぐに満席になる。車両は珍しくYZ25Kだ。硬座はこの1両のみで残りは寝台の硬臥だ。

20:45に扉が閉まり発車かと思ったら、しばらくそのまま。定刻より1分早い20:49に発車する。途中の停車駅はなく、そのまま昆明へ向かう。一眠りして起きれば昆明到着、昆明経由四川省成都までの乗り鉄の始まりだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10元
バス 39元 雲龍→大理(下関)
バス 1元 路線バス
合計 50元