山西省臨汾 三皇五帝の堯廟・古城大院

山西省旅行記2015

運城駅前の関羽像

運城駅09:00頃、ユースホステルをチェックアウトして地鉱大楼のバス停から12路のバスで運城駅へ向かう。

関羽像09:25頃、運城駅に到着し黄金関羽像の撮影。今気付いたが関羽が乗っている馬は赤兎馬だな。赤でなく黄金だったので気付かずにいた。

そして、駅前には装甲車と武警がいる。運城に来たときはいなかったのだが・・・。9月3日の抗日戦争勝利の式典に備えて田舎の運城でも警備が強化されているのだろう。まあ、運城は田舎といっても中心の塩湖区だけでも人口50万人以上なので日本の仙台や相模原に匹敵する田舎だ。管轄している周辺の県級市までいれると513万になるので日本とは田舎の基準が違いすぎる。警備の強化は分かるが天津港の爆発を考えると駅前の警備より薬品倉庫の抜き打ち検査の方が重要だと思うが・・・。

運城→臨汾

切符売場でネットで予約しておいた切符を受け取り待合室へ移動。いつもの切符と身分証の確認、手荷物のX線検査があるが、今回は駅員が珍しくパスポートを確認しているがビザ欄を見ていたので名前が切符は漢字、ビザはローマ字表記で違っているので駅員考え込むが特に質問もなく何事もなかったかのように返却する。聞いてくれればパスポートの署名欄を見てもらうのだが・・・。まあ、抗日戦争勝利の式典が近く警備が強化されても外人は用無しということのようだ。

4628次の切符今回乗車する列車は11:00発、運城→臨汾の4628次だ。席は硬座、運賃は18.5元、距離133km、所要時間2時間2分だ。始発から終点までの乗車だが途中駅は侯馬の一駅だけという列車だ。

10:35頃、改札が始まりホームへ移動して乗車と思ったら、まだ列車が到着しておらず待機になる。北京からのK603次が折り返し4628次になるのだが到着が遅れている。

並ばない乗客10:40頃、K603次が到着し乗客を降ろしてようやく4628次に乗車となるが誰も並んでいない。

4628次行先票乗車バトルに参戦する気は無いので行先票を撮影したりバトルを観戦しながら空いてくるのを待つ。

10:50頃、ようやく乗車する。臨汾までの二駅だけの運行なので利用客は地元民で一応列車内は平和だ。無座客は当然おらず全員が座れている。なのになぜ並ばず乗車バトルをしているのだ?

11:00発だが6分遅れで発車する。田舎の路線で和諧号が走らないので線路はロングレールとかではないので継ぎ目が多くいい具合に「ガタンゴトン」と振動が来て眠くなる。

臨汾

臨汾駅13:04頃、2分遅れで臨汾に到着する。とりあえず、駅周辺の様子だが壷口瀑布の看板が目立ち旅行会社が多いようだ。やはり臨汾は壷口瀑布への拠点となっているようだ。

臨汾浪迹青年旅舍

臨汾での宿はbooking.comで予約しておいた臨汾浪迹青年旅舍だ。まずは宿を目指して臨汾の街を歩く。GPSを頼りに歩いていくとアパート群の中に到着する。どうも違う気がする。

仕方ないので電話して聞いてみるが、こちらの中国語が下手なのでほとんど通じない。電話の向こうから「広東人」と聞こえてくる。どうやら広東省の田舎者だと思われている。まあ、何とか目印になる場所を聞いて再び移動開始。

市骨科医院と如家酒店市骨科医院と如家酒店の近くということなので高徳地図で確認しながら骨科医院と如家酒店の前にやってきた。

市骨科医院と如家酒店再び電話すると市骨科医院と如家酒店の間にある交通運輸執法局(交通运输执法局)の中に入り奥に行くとあるということであった。

交通执法「交通执法」とかある敷地内か?どうも庶民から恨みを買っている「城管执法」の仲間にしか見えないのだが・・・。

交通执法の敷地内「なぜ行政機関の敷地内に?」と半信半疑で敷地の奥へ入ると確かに奥に看板が見える。

臨汾浪迹青年旅舍看板の方へ歩いて行く。

臨汾浪迹青年旅舍15:00頃、臨汾浪迹青年旅舍に到着する。で、老板たちは火鍋を食べに行っており不在で1ヶ月ぐらい宿泊している兄ちゃん・・・。いや、住み着いている兄ちゃんが老板が帰ってくるまで応対してくれる。

15:30頃に老板たちが帰ってきて登記と宿泊費225元(1泊45元×45元)を支払う。老板たちが「今までどこの国へ行ったの?」とか言いながらパスポートを見ていると、あのスタンプを見て固まる。あの国の出入国スタンプ「中華民国」だ!ようするに台湾のスタンプなのだが、中華民国はこの世には無い事になっている中国大陸なのだが、現実には中華民国は存在しているので某政府が言っていることと現実の違いに老板たちは困惑している。

臨汾浪迹青年旅舍とりあえず、部屋に案内してもらうが6人部屋で予約しておいたが空いているので4人部屋に変更になってしまった。まあ、ランクが上がることになるので別に問題はないが・・・。部屋は4人ドミトリーだがエアコン無し、扇風機付きになる。まあ、思っていたより暑さは厳しくないので扇風機でも十分である。Wi-Fiの電波は良好でネットの速度も問題なしだ。共同のトイレ・シャワーは2つあるが一体型の奴なので使い勝手が悪い。トイレとシャワーが別々になっていればよいのだが・・・。

担担麺

担担麺16:00頃、朝から何も食べていないので近くの食堂で担担麺(6元/約120円)を食べるが、今まで食べたことのある担担麺とはずいぶん違う。具が殆ど無いし、スープも微妙な味だ。やはり貧乏人向けだと値段なりの中身ということなのだろう。

魚香茄子飯

魚香茄子飯担担麺だけでは満腹にならないので別の食堂で魚香茄子飯(9元/約180円)を食べる。ご飯の上に魚香茄子が乗っており蓋飯みたいな感じだ。魚香茄子は四川料理の一つで麻婆茄子に近い料理だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18元
宿泊費 225元 1泊45元×5
バス 1元 路線バス
合計 64元

三皇五帝の堯廟

臨汾の朝は涼しく過ごしやすい。07:45頃、ユースホステル近くの公交公司のバス停から11路のバスに乗車する。運賃は1元で臨汾駅を経由して堯廟汽車站のある終点の堯廟公交站で下車する。08:25頃、バスターミナルの堯廟汽車站でバス情報を確認するが時刻表は無し。運賃表は窓口のおばちゃんの所にあり撮影断念。主に侯馬や襄汾、吉県、郷寧、河底、翼城など南部、西部へのバスがあるようだ。

堯廟08:35頃、バスターミナル近くの堯廟を訪れる。入場料は50元だが陝西旅游年票を使い無料で見物。

堯廟牌坊牌坊を潜り奥へ進んでいく。

堯廟牌坊の額には「文明始祖」とあるがこれは非常に複雑な心境だ。教科書通りの隋や唐の中国なら堯が先祖で納得なのだが、痰吐きや割り込みの現代・・・。現状では堯が現代中国の始祖とは考えにくい。

堯廟堯廟は三皇五帝の一人である堯を祀る廟である。

堯廟現在残っている建物は主に清代の建築物になるが堯を祀る大殿の広運殿は1998年に火災で焼失し再建されたものである。

神農

禹堯を祀る廟であるが禹や舜を祀る殿もある。

堯廟参拝客はそこそこで線香や果物などのお供え物を供えたりしている。比較的静かに見物することができる。10:00頃、堯廟を出る。この頃になるとかなり暑くなってくる。

堯帝故居

堯帝故居11:00頃、堯帝故居に到着するが閉まっている。外から中の様子を確認するが、どうも整備中のようだ。どうしようもないので来た道を戻る

大雲寺

大雲寺11:55頃、堯廟汽車站から11路のバスに乗車する。運賃は1元、12:10頃、鼓楼南で下車する。

大雲寺12:20頃、山西師範大学近くの大雲寺に到着する。入場料は無料で現在は寺でなく臨汾博物館になっている。大雲寺(鉄佛寺)は唐の貞観6年(632)に創建され、仏塔が残っている。

12:40頃、大雲寺を離れて鼓楼南のバス停へ戻る。12:50頃、11路のバスに乗車。運賃は1元、13:20頃、中大街口で下車する。

古城大院

古城大院南へ歩いていくと復元された城壁が見えてきて、13:40頃、古城大院に到着。入場料10元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。古城大院は臨汾周辺にあった古民居を移築して展示している博物館だ。

張氏民居まずは張氏民居から見物する。

張氏民居

張氏民居張氏民居は元は魏村にあり清の光緒年間に建てられた四合院建築の邸宅である。

吉氏民居続いては吉氏民居である。

吉氏民居吉氏民居は元は土門鎮東澗北村にあり、清朝末期に建てられた砦式ヤオトン建築である。

吉氏民居一見すると四合院建築のように見えるが内部はレンガでヤオトンのように作られている。

吉氏民居居住と防御の両方を兼ね備えた造りである。

劉氏民居最後は劉氏民居である。

劉氏民居劉氏民居は元は土門鎮亢村にあり、「世済書院」と称されている。

劉氏民居清の康熙36年(1697)に村民の劉顔柱などが寄付を募り書院を建築し、郷村書院建築之精品とも呼ばれる。

小麦王ビール

小麦王ビール14:50頃、古城大院を出る。ユースホステルへ戻る途中でスーパーマーケットを見つけて昼食を調達。処分品のパンと特売の小麦王ビール500ml(1.8元/約36円)を購入。暑い夏に冷えたビールはダメ人間に最適の飲み物だ。おまけに値段がコーラより安い!

土豆絲蓋飯

土豆絲蓋飯夕飯は土豆絲蓋飯(7元/約140円)を食べる。ジャガイモの炒めものがご飯の上に乗っている中国の定番料理だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18元
路線バス 3元 路線バス
合計 21元

中国のスパーでは軍歌が流れる

山西省旅行記2015

新華書店で立ち読み

09:30頃、河東博物館へ行ってみる。三国志関連のネタでもあるかと思って高徳地図と百度地図を頼りに行ってみると博物館のある所に博物館がない。掃除のおっちゃんに聞いてみたら博物館は引っ越ししていることが判明。百度は間違った情報が掲載されていても驚かないが、評判の良い高徳地図の更新が遅れていたのには少し驚いた。

博物館がないのでは仕方ないので新華書店へ行き立ち読みをする。1F入口付近の某党関連のコーナーには客はおらず、経済や法律とかのコーナーに客がいる。自分は旅行関連のコーナーに用があるので探すと2Fにあった。とりあえず山西省のガイドブックを立ち読みして午前中を終えてユースホステルへ戻る。

胡萝卜素餃

胡萝卜素餃18:00頃、夕飯を食べに出かけるが雲行きが怪しい。近くの食堂で人参水餃子の胡萝卜素餃(10元/約200円)を食べるが雷鳴とともに雨が降ってきた。とりあえず人参水餃子を食べて雨が止むのを待つ。胡萝卜素餃は胡萝卜(人参)、素(素食)、餃(餃子)となり肉の入っていない人参餃子という意味だ。

油潑麵

油潑麵19:00頃、雨が止んだので店を出るが、まだ食べ足りないので別の店で油潑麵(7元/約140円)を食べる。油潑麵は陝西省の麺料理で幅広麺にスープの代わり油を掛けている。油そばみたいな感じだ。店によって具や薬味は変わるが今回はニンニクのみじん切りとレタスみたいな野菜の炒めものが入っていた。

道路冠水で宿へ戻れず

道路冠水油潑麵を食べてユースホステルへ戻ろうとしたら先ほどの雷雨の影響で道路が冠水してユースホステルへ戻れなくなっている。水が引くまで先へは進めないので立ち往生。

道路冠水中国はこういう部分でインフラが整っているかがよく分かる。運城はマンション建設が勢い良く進んでいるが下水道整備はやっていないようだ。30分以上待って20:00頃、ようやくユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19元
合計 103元

黄河文化博物館

黄河文化博物館10:30頃、黄河文化博物館を訪れてみる。昨日訪れた運城博物館が移転して黄河文化博物館になったようなので場所を調べて行ってみたが観光客は誰もいない。警備員の兄ちゃんに聞いてみたら博物館としてはまだ開館していないということであった。建物自体は2012年に完成しているのだが、まだ内部は未完成のようだ。これでは同しようもないので諦める。

扯麺

扯麺博物館近くの食堂で朝食兼昼食に扯麺(8元/約160円)を食べる。手で押して広げた幅広麺が特徴でネギ、香菜、ゆでたレタス、卵が入っている。

扯麺は陝西省、山西省、甘粛省で食べられる麺料理で三千年の歴史がある。扯麺の中でも陝西省宝鶏の西府扯麺が正統派の扯麺とされるが、山西省では運城市の隣に位置する永済市の永済扯麺が有名だ。

美特好超市

美特好超市11:15頃、ユースホステルへ戻る途中で美特好超市に寄って行く。山西省で展開しているスーパーマーケットだがオランダのスパーとも組んでおり看板にモミの木マークがある。

お客さんはそこそこ入っているのだが店内に流れている案内と曲が日本ではありえない内容になっていた。「抗日戦争勝利」とかの単語が聞こえてくる。どうやら抗日戦争勝利の特売をやっているようだ。

そして、店内に流れている音楽は、おそらく中国人なら誰でも知っている軍歌の「当兵的人」である。日本のスーパーマーケットで軍歌なんか流したらマスコミの餌食で、共産や社民とかの左の集団から抗議殺到です。某国は右傾化、軍国主義復活を許さないとか言っているようですが、スーパーマーケットで「当兵的人」が流れている状況からして大爆笑です。そいうえば、オランダのスパーでも軍歌流すのOKなのかな?

雪花ビールとりあえず手ぶらで外へ出るのは申し訳ないので小日本は抗日戦争勝利の特売品の雪花ビール500ml(2元/約40円)を購入。

酸菜肉絲麺(失敗例)

酸菜肉絲麺夕方になり近くの食堂で酸菜肉絲麺(7元/約140円)を食べるが店の選択を誤った。出てきた酸菜肉絲麺だが酸菜と肉絲と麺が既にごちゃ混ぜになっている。料理は間違ってはいないが見た目がアカン。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 1元 路線バス
合計 21元

関羽の故郷・山西省運城 三国志遺跡 解州関帝廟と常平関帝廟

山西省旅行記2015

解州関帝廟

関羽像07:00頃、12路のバスで運城駅へ向かう。運賃は1元、07:10頃、運城駅到着。まず、駅前の黄金関羽像を撮影。07:25頃、駅前から11路のバスで解州関帝廟へ向かう。おばちゃんに運賃4元支払い、08:15頃に到着。

解州関帝廟解州関帝廟の入場料は60元だがctripで予約しておいたので1割引の54元だ。

解州関帝廟解州関帝廟は隋の開皇9年(589)に創建され歴代王朝により修復と増築がされてきた道教建築の廟である。「関廟之祖」「武廟之冠」「関帝祖廟」とも称されており、現存する建築物は明、清代の物になる。

解州関帝廟天井には色々と額が収められていたりもする。

解州関帝廟牌坊も立派であるが少し傷みがあり歴史を十分に感じさせる。

解州関帝廟四大関帝廟(洛陽関林、当陽関陵、常平関帝廟、解州関帝廟)の一つとして三国志聖地としての重要度は非常に高い。

解州関帝廟朝の開門直後の時間帯だったので境内は比較的静かであるが、既に団体客がいるので近づいてくるとやかましいので団体客から離れて見物する。

解州関帝廟やはり土日を避けておいて正解であったようだ。平日でも朝から団体客がいるとなると土日に突撃したら大変なことになっていたであろう。

解州関帝廟さすがに三国志聖地だけのことはあり境内は広い。一部建物で修復工事が行われており見物不可になっていた。そして、殿内は全て撮影不可でおばちゃんが目を光らせている。なので、関羽像は眺めるだけ・・・。

解州関帝廟崇寧殿には乾隆帝が欽定した「神勇」の額がある。09:30頃になると観光客で混雑し始める。平日でも解州関帝廟には多くの観光客が訪れるようだ。10:10頃、解州関帝廟を出る。

10:25頃、11路のバスに乗車し運城駅へ向かう。運賃は4元だが、おっちゃんに5元札で支払うと釣り銭1元出さずにスルー。地元民のおばちゃんがおっちゃん呼んでくれて釣り銭1元取り戻すが余所者だから仕掛けたのか?田舎は油断できない。いや、中国人でさえ騙される中国だから油断できない。

運城関王廟

運城関王廟11:10頃、運城の街中で降りて池神廟の北にある21路のバス出発点を目指すが目の前に寺院が見えてきたので寄ってみると運城関王廟に到着。運城には関帝廟以外に関王廟まであった。関王廟の名称なので明代あたりに建立された古い廟である事が伺える。

運城関王廟は元代に創建され明の正徳5年(1510)から正徳7年(1512)にかけて拡張された。明の嘉靖34年(1555)に地震により倒壊し、万暦25年(1597)に巡塩御史の呉楷偕により再建される。

運城関王廟工事中であったが見物はできるので山門通り境内へ。廟の規模は小さく各所で工事中であった。奥に碑亭があり石碑がある。

運城関王廟壁画もあり文醜が斬られる場面とかがある。

常平関帝廟

11:25頃、関王廟を離れ、11:35頃、池神廟のバス停と運城二中のバス停の間で21路のバスに乗車。11:45頃に発車し、おばちゃんに運賃2.5元払う。12:15頃、常平関帝廟に到着する。入場料は30元だがctripで予約しておいたので1割引の27元になる。

常平関帝廟しかし、ここは中国でイベントは突然発生する。観光客のおっちゃんが常平関帝廟の門前でタバコの箱をポイ捨てした。

常平関帝廟目を疑う光景である。中国人が関帝廟の前でポイ捨てをしている。しかも、四大関帝廟ともいわれる常平関帝廟の門前だ。そして、タバコを吸っている。中国では文化財でタバコを吸うのは大丈夫なのか?

きっとおっちゃんたちは中国人ではないな。昨日の舜帝陵にいた服を着たおサルさんたちの仲間だ。共産党の飼育係の方々にはもっと頑張ってもらいたいのだが、天津港の倉庫爆発でおサルさんたちの調教どころではないのであろう。

常平関帝廟常平関帝廟は常平関帝祖祠、関羽家廟などとも呼ばれており、運城市の南西12kmの常平郷常平村に位置しており、この常平が関羽の故郷とされ関羽だけでなく関羽の祖先も祀られているのが最大の特徴である。

解州関帝廟とは8kmの距離になる。文献によれば常平関帝廟は隋初期に創建され創建時は常平関帝祖祠であったが金代になると廟の字が使われ始める。歴代王朝により修復と拡張が繰り返され、明の嘉靖34年(1555)以来、16度の修復と増築が行われており、現存する建築物の多くは清代の物になる。

常平関帝廟立派な牌坊があり雰囲気を盛り上げてくれます。

赤兎馬そして、山門には赤兎馬像があります。でも、これは新しそうな感じが・・・。

常平関帝廟境内にはいくつもの殿があり関羽や関平、関興の像もありますが、ここも殿内は撮影禁止でおばちゃんたちが目を光らせております。

常平関帝廟唯一撮影出来たのが碑廊にあった関羽像だけでした。

巨大関羽像

関帝聖像景区13:20頃、常平関帝廟を出て、常平関帝廟の南にある巨大関羽像へ行ってみることにする。

関帝聖像景区20分ほど歩くと関帝聖像景区に到着。入場料は30元のテーマパークになっているが周辺には開発途中で放置された建物が多数あり廃墟というか鬼城の気配がする。景区自体も建物が傷んで営業しているのか怪しかったが人や馬がいたので営業はしているようだ。

鬼城とりあえず景区周辺を探索するが開発途中で放置された廃墟が痛々しい。

鬼城これはどう考えても開発失敗だろう。

巨大関羽像

巨大関羽像巨大関羽像の裏手の山に関帝祖塋(関羽の祖父の墓)があるようだが、暑さで山を登る気が起きない。他の観光客と同じように巨大関羽像を拝んで、14:35頃、21路のバスに乗車する。運賃は2.5元、15:00頃、池神廟と運城二中の発着点に到着。15:10頃、9路終点の鐘楼小区で9路のバスに乗車。運賃は1元、地鉱大楼へ移動してユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 8元
バス 14元 路線バス
解州関帝廟 54元
常平関帝廟 27元
合計 103元

司馬温公祠

運城東バスターミナル07:30頃、9路のバスに乗車、運賃は1元、08:15頃、終点の東バスターミナルの東客運站に到着するが運用されておらず無人であった。建物は完成しているのになぜ運用されていないのだ?

再び9路のバスに乗車して禹王閣近くの摩托街のバス停で下車して禹都停車場へ。今日は司馬温公祠(司馬光墓)を目指すのだが運城の北にある夏県の水頭鎮と禹王郷の間に司馬光墓はある。

下晁行きのバスまず、バスを探さないと行けないのだが、まずは夏県行きのバスに乗車かなと思ったら、禹王という表示のある下晁行きのバスがあったので運ちゃんに司馬温公祠へ行くか聞いてみたら近くの司馬村を通るという事で、09:00頃、禹都停車場から下晁行きのバスに乗車する。車掌の兄ちゃんに話だと司馬で公交車(路線バス)に乗り換えて司馬温公祠へ行けるということであった。

司馬村のバス停09:10頃バスが出発、司馬まで運賃は7.5元だ。かなりの田舎道をバスが走り、09:50頃、省道232号とのT字路で降ろされる。目の前にバス停があり司馬村に到着。ここから路線バスで行けるようだがGPSを確認すると司馬温公祠まで直線距離で約1.6kmなので歩いていくことにする。省道232号を西へ歩いていくと6路の水頭(水头)-夏県(夏县)のバスとすれ違う。どうやら夏県から6路のバスで行けるようだ。

司馬温公祠の標識15分ほど歩くと地元民が道路脇で西瓜や葡萄などの農産物の販売をしている。どうやら観光地が近いという印だろう。道路脇に司馬温公祠の標識が見えてきた。

小晁のバス停10:15頃、省道から司馬温公祠の分かれ道に到着。ちょうど目の前には小晁のバス停があり、夏県から6路のバスでも来られる。司馬村のバス停から徒歩でも十分来られるがトレーラーやトラックの行き来が激しいの注意していないと轢き逃げされそうだ。

司馬温公祠入口分かれ道の所に司馬温公祠と書かれた石が置かれているので見落とすことはないだろう。

道路で干されるトウモロコシ司馬温公祠までの道は地元民たちが収穫したトウモロコシを干している最中であった。

司馬温公祠10:25頃、司馬温公祠に到着する。

司馬光像入口の前にある広場には司馬光像がある。入場料は40元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

司馬温公祠司馬光(1019-1086)は陝州夏県涑水鄉(現在の山西省夏県小晁村)の出身で涑水先生とも称され歴史家で「資治通鑑」の編者として知られ、仁宗、英宗、神宗、哲宗の4人の皇帝に仕え北宋の宰相を務めた人物である。

司馬温公祠故事も多数残っており「破瓮救友」(水瓶の中に落ちた子供を救うために石で瓶を割って救う話)は有名で日本でも知られている。この故事は小学生ぐらいの時に学校で習った覚えがあるが今でも習うのかな?死後に温国公の爵位が追封され司馬温公とも呼ばれ、祠も司馬温公祠と呼ばれている。司馬温公祠は司馬光ら一族が祀られた温公祠堂と墓のある墓区に分かれている。

司馬温公祠司馬光は中国ではかなり有名な人物なのだが観光客は少なく静かだ。解州関帝廟や常平関帝廟は観光客が多かったが、司馬光の知名度からしても司馬温公祠は穴場と言ってもいいかもしれない。奥にある温公祠堂には司馬光だけでなく一族の像が祀られているが撮影禁止でおばちゃんが目を光らせている。

司馬光墓

司馬光墓牌坊墓区の入口には牌坊があり通ると碑亭が見えてくる。

司馬一族の墓墓区には司馬光の親族の墓碑が並んでいる。ここは司馬光だけでなく司馬一族の墓になっているようだ。

司馬光墓神道司馬光墓はきちんと整備され神道もある。

司馬光墓石像綺麗に整備はされているが石像は古く風化しており歴史を感じさせる。

司馬光墓神道の奥に墓が3つあるのだが司馬光墓は真ん中ではなく左側の墓であった。

司馬光墓碑墓碑は新しくごく最近の物のようだ。12:15頃、司馬温公祠を離れる。12:40頃、小晁のバス停から6路のバスに乗車し夏県(夏县)へ移動。運賃は4元で、12:55頃、夏県に到着し終点で降ろされる。

とりあえずスマホで高徳地図を確認する。目の前の東西に伸びる通りが東風西街のようなので東へ歩いて行くと夏県の公安局と人民政府の前を通り過ぎる。地図は間違っていないので、そのまま東へ歩くと県城で最初の信号に当たる。ここで右(南)へ曲がり新建南路を南へ歩くと、13:15頃、運城行きのバスが停車しているのを見つける。鼓楼超市の向かいが発着点になっているようだ。

炒飯運城へ戻るルートが分かったので近くの食堂で昼食に炒飯(7元/約140円)を食べる。
13:45頃、鼓楼超市近くで運城行きバスに乗車。13:50頃、バスが出発、運賃は7元、途中で客を乗せながら運城へ。14:30頃、禹都停車場に到着、12路のバスに乗車して地鉱大楼のバス停で降りユースホステルへ戻る。運賃は1元。

酸菜肉絲麺

酸菜肉絲麺夕飯は近くの食堂で酸菜肉絲麺(8元/約160円)を食べる。酸菜肉絲麺は麺の上に酸菜(漬物)と肉絲(ひき肉の炒めもの)が乗っており、牛肉麺(蘭州拉麺)と並び中国を代表する麺料理である。インスタントラーメンやカップ麺でも酸菜麺が各社から発売されているほどの定番麺料理だ。夜に12306.cnで28日の運城→臨汾の切符を予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18元
鉄道 18.5元 硬座 運城→臨汾
バス 8元 路線バス
バス 7.5元 運城→司馬
バス 7元 夏県→運城
合計 59元

関羽の故郷・山西省運城 池神廟・舜帝陵

山西省旅行記2015

霊宝→運城

霊宝駅07:20頃、賓館というか民工宿をチェックアウトして霊宝駅へ移動。駅前では農民工のおっちゃんが「身分証がないと切符が買えない」と携帯でどこかと連絡を取っている。身分証持ってないと窓口のおばちゃんが切符売ってくれないのは当たり前だろ。というか、身分証不携帯でどうやって公安に捕まらずにここまで来たんだ?

K1887次の切符駅入口で切符を身分証の照合があったのだが駅員パスポートの中身確認せず切符にハンコ押す。どうも朝からやる気無しのようだ。手荷物のX線検査を受けて待合室で待機。今日は08:52発、張家界→太原のK1887次で運城まで移動する。席は硬座、運賃は32.5元だ。

08:45頃、改札が始まるが田舎の駅なので乗車バトルはなく平和だ。混乱もなくのんびりとホームへ向かい列車の到着を待つ。

和諧型電気機関車HXD3列車の到着が撮影でき乗車口へ。今回の機関車は和諧型電気機関車HXD3であった。

K1887次の行先票いつもの行先票を撮影して列車の乗車。7分遅れの08:59に発車となり運城へ向かう。河南省霊宝から山西省運城までは直線距離で60kmぐらいなのだが、鉄道だと大回りして陝西省華山を経由して運城へ入る。それでも、最短距離の三門峡経由のバスルートよりは安い。時間はかかるかもしれないが・・・。

乗車率は5割ぐらいで空いているので3列シート占領して寝ているおばちゃんがいたりといつもの光景だ。まあ、田舎を走る張家界→太原の列車なので空いているだろうなとは思ったが本当に空いていた。

でも、乗客にはおサルさんが混じっており対面のおっさんが床に痰を吐く。函谷関から西は中原の外なので中華文明の外ということか?中国はおサルさんが多くて困る。学校で習った中国とは全然違うじゃねえか。学校で習った中華文明はどこへ行けばあるのだ?

10:03に華山到着。ここで機関車を交換して進行方向が西から東に変わる。

山西省運城

運城駅12:15頃、運城駅に到着する。山西省運城までやってきた。

関羽像駅を出ると駅前広場には黄金の関羽像が出迎えてくれる。やはり関羽の故郷なので三国志で町おこしということかな。

潞塩青年旅舍

潞塩青年旅舍駅からユースホステルまでは12路のバスで行くのが普通だが何となく歩いていくことにするが、ユースホステルまで意外と距離があり真夏の暑さにやられながら、13:10頃、ユースホステルの潞塩青年旅舍(潞盐青年旅舍/The Ancient Salt Youth Hostel)に到着する。

潞塩青年旅舍予約無しであったが部屋は空いており6人ドミトリーで1泊35元(会員料金)だ。
潞塩青年旅舍ドミトリーにはトイレ・シャワー付きで思ったより広い。エアコン、電気ケトル、ロッカーもある。各ベッドには照明が付いているがコンセントの数が微妙に少ない。まあ、OAタップ追加すればよいので大した問題ではない。Wi-Fiの電波は良好でネットの速度は問題なし。

潞塩青年旅舍屋上が開放されているので酒盛り可能で洗濯物も干せる。徒歩10分圏内には食堂やスーパーマーケットもありそこそこ便利だ。路地にあるのでちょっと分かりにくいが三国志観光の長期滞在拠点としては十分使える。

蛋炒飯

蛋炒飯15:00頃、遅めの昼食にイスラム食堂で蛋炒飯(8元/約160円)を食べる。

雪花ビール食後はスーパーマーケットで特売品の冷えた雪花ビール330ml(2元/約40円)を購入。

山西省名物・刀削麺

刀削麺夕飯はイスラム食堂で刀削麺(9元/約180円)を食べる。山西省といえば刀削麺なので山西省の端っこでも本場の味だろう。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20.6元
宿泊費 215元 1泊35元(会員料金)×7
合計 235.6元

土日は人気観光地を避ける

06:00頃に起床して解州関帝廟や常平関帝家廟へ行く準備をする。ctripで入場券を購入しておこうとしたが今日は土曜日ではないか!田舎とはいえ夏休み中の土曜日では解州関帝廟とか混雑しそうな予感がする。金払って人民の海に飛び込むのは嫌なので、予定変更で人気の無さそうな所へ行くことにする。

07:50頃、地鉱大楼のバス停から9路のバスに乗車。運賃は1元、08:15頃、終点の鼓楼小区で下車。池神廟へ向かうが一つ手前の運城二中のバス停の方が近かった。運城二中と市急救中心のバス停の間で21路のバスが停車しているのを見つける。21路のバスで常平関帝廟へ行けるので場所を覚えておく。

池神廟

08:30頃、池神廟に到着するが開門は09:00なのでしばらく待機。池神廟周辺は観光開発の真っ只中で楼閣やら牌坊やらが建設中だ。

池神廟09:00過ぎに池神廟を見物する。入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

池神廟池神廟は中国有数の塩湖である解池の北側にあり解池の守り神として唐の大歴12年(777)に創建され修復を重ね、現在残っている三大殿は明の嘉靖年間に建立されたものであり、その他の建物は清代に建立された物になる。

池神廟廟自体は解池を見下ろすように建立されており、その規模から守り神としての風格が感じられるが、かなり寂れており参拝客は見あたらず。現在は廟というより解池や塩を中心とした運城の歴史を紹介する博物館として運営されている。

池神廟廟の近くでは楼閣の建設が行われており観光開発の真っ最中だ。唐や明の頃は広大な解池は城壁で囲まれ各王朝の重要な収入源となっており、城壁の一部を再現ということだろうか?

そして、この解池だが三国志の関羽ともいささか関係がある。伝説によると宋の大中祥符年間、解池に蚩尤が現れ災いをもたらすが、道士の張天師が伏魔大帝関羽を召喚し蚩尤を退治する。

しかし、よく晴れており暑い。でも、東京や大阪と違い乾燥した暑さだ。塩田には最適の気候なのだろうが、こちらは暑さにやられる。暑さを避けて北方を移動していたので、この本格的な暑さには体力の消耗が著しい。今日はこれ以上の行動は無理そうなので、10:00頃、池神廟を離れ9路のバスで地鉱大楼のバス停へ戻る。運賃は1元、10:30頃、ユースホステルに戻り寝込む。

蘑菇炒牛肉蓋飯

蘑菇炒牛肉蓋飯16:30頃、イスラム食堂で夕飯に蘑菇炒牛肉蓋飯(11元/約220円)を食べる。ご飯の上にキノコと牛肉の炒めものが乗っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16元
バス 2元 路線バス
合計 18元

三皇五帝の舜帝陵へ

07:40頃、地鉱大楼のバス停から9路のバスに乗車する。運賃は1元、運城二中で下車して、08:00頃、地神廟近くの停車場から3B路のバスに乗車。バス車内では運ちゃんたちが雑談中。日本なら休憩所で雑談だろうが、中国はどこで雑談しようがお構いなし。終点の舜帝陵まで運賃は1元だ。

09:05頃、舜帝陵に到着するが目の前で徳孝古鎮とかいう古鎮が建設中。そして、テナント募集中であった。これって古鎮とは呼べないのでは・・・。

塩湖区博物館

塩湖区博物館バス停から入口まで神道が整備されそこそこの距離があり、途中の塩湖区博物館に寄って見物する。博物館は無料で見学者そこそこいる。

塩湖区博物館展示内容は舜と塩湖の解池が中心という感じだ。屋外展示に周辺で出土した石像、石碑や墓誌がある。

舜帝陵

09:50頃、舜帝陵入口に到着。入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

舜帝陵舜帝陵は伝説上の三皇五帝の一人である舜の陵墓であり夏の禹により創建され、唐の開元26年(738)に廟が建立され、北魏から明、清まで1400年以上の間、歴代帝王から庶民にいたるまで祭祀が行われてきた。

舜帝像入口には舜の石像があるが作りが雑で残念状態だ。もう少しかっこいい石像に仕上げてくれれば・・・。

舜帝陵石像は残念だが山門は清代の様式で立派に作られている。

舜帝陵山門を通ると舜帝陵に到着。三皇五帝だから巨大な陵墓を想像していたのだが予想外に小さい。

舜帝陵陵墓には石碑が2つあり上が明の万歴年間の石碑になり万歴の文字が読みとれる。

舜帝陵下は元代の石碑になるが風化しているせいなのか元号の文字は確認できず・・・。

舜帝陵・関公祠

関公祠陵墓の隣には関公祠がある。舜帝陵にも関帝廟があり伝承によると関羽も舜帝陵を幾度も参拝しており、後世の人たちが関羽を記念して建立されたそうだ。1100年以上の歴史があるらしいが、はっきりした記録が残っているのは清の康熙年間(1717)に修復された記録である。

関公祠殿内にはおなじみの関羽、関平、周倉の像が祀られている。

関公祠しかし、この関公祠は本殿よりも関公祠書廊の壁画が重要である。関羽にまつわる故事が多数ある。

関公祠

関公祠桃園の誓いより前の関羽は何と髭無しの関羽だ。

関公祠他にもおなじみの華雄や顔良を斬る場面。

関公祠さらにはマイナー武将だけど一度聞いたら忘れない名前の卞喜を斬る場面。

関公祠黄忠との一騎打ちもある。舜帝陵の関公祠は重要度高めだ。

舜帝陵11:00頃、舜が祀られている養頤宮(寝宮)の前で、この旅行記を打ち込んでいるが、金持ち中国人の団体客がやってきた。そして、舜像の前でおっちゃんたちが痰を吐いた。
・・・。

このおっちゃんたち中国人ではないな。中国に生息する服を着たおサルさんに違いない!中国人が三皇五帝の前で痰を吐くなんてあり得ない。中華民族の復興には服を着たおサルさんの駆除が最優先だな。

中心汽車站

中心汽車站12:00頃、3B路のバスに乗車する。運賃は1元、12:40頃、中心汽車站で下車する。運城中心站は名前の通り運城に3つあるバスターミナルで中心となるバスターミナルだ。

中心汽車站省内外へのバスや近郊へのバスが発着している。ただし、内部のカオス度が少々高めだ

中心汽車站

太平興国寺塔

13:00頃、12路のバスに乗車する。運賃は1元、魏豹城の前を通り過ぎて、13:40頃、安邑鎮で下車する。バスを下車する前から仏塔が見えていたので予定変更で仏塔目指して歩く。13:50頃、太平興国寺塔に到着する。

太平興国寺塔太平興国寺塔は唐の貞観年間(627-640)に建立された仏塔で明の嘉靖34年(1555)と万暦年間の地震により塔が裂けた状態になった。訪問時は修復工事が行われており一般公開はまだまだ先のようだ。

魏豹城

魏豹城14:30頃、安邑の南にある魏豹城へ行ってみる。魏豹城は楚漢戦争の遺跡になり間接的に項羽と劉邦の舞台になる。この魏豹城での主役は西魏王の魏豹と漢の大将軍である韓信だ。韓信に魏豹城は攻め落とされている。

魏豹城現在は植物園と山西水利職業技術学院があり、まずは植物園の警備のおっちゃんに聞いてみるが魏豹を知らず会話が成立せず。隣の学校の警備のおっちゃんに聞いたら魏豹城を知っており、既に無くなっているとの事。ただし、石碑が残っているとか残っていないとか・・・。この石碑の話ははっきりしなかった。でも、魏豹城はここであっているということであった。

禹都停車場

禹都停車場時刻表魏豹城の西側に近郊へのバスが発着している禹都停車場がありバス情報を確認する。ここは夏県へのバスが出ている。司馬光墓へ行く場合は夏県へのバスに乗車だ。14:40頃、8路のバスに乗車する。運賃は1元。15:00頃、ユースホステルへ戻る。15:30頃、遅めの昼食に韮菜鶏蛋蓋飯(8元/約160円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13.9元
バス 5元 路線バス
合計 18.9元