河南省許昌 三国志遺跡巡り

河南省旅行記2015秋

石家荘→許昌

10:45頃、宿をチェックアウトして石家荘駅へ向かう。駅の隣の区画に宿があるので5ー10分歩いて到着。まずは入口でいつもの切符と身分証の確認、手荷物のX線検査を済ませて待合室へ。

石家荘駅は北京南駅のように巨大だ。利用客はそれほど多くはないので巨大待合室はかなり空いている印象だ。待合室にはケンタッキーやマクドナルドもあったりして食べるのにも困らない。駅の規模に対し利用客が少ないので設備過剰にも思える今後利用客が増える見込みか?

今日は河北省石家荘を離れ河南省許昌まで南下する。許昌は許都とも呼ばれ曹操の本拠地であり後漢の都でもあり三国志遺跡満載の都市だ。11:27発、北京西→昆明のZ53次で許昌まで乗り鉄、席は硬座、距離494km、4時間33分の乗車予定だ。

改札口は既に行列というか群れができており乗車バトル確定だ。列車が遅延しており、11:25頃、改札が始まる。自動改札機があるのだが何故か自動改札機は使用せず有人改札になる。自動改札機は故障ではなく稼働しているのに有人改札、原因不明だが相変わらずのチャイナクオリティだ。

ホームへ降りると発車ベルが鳴っているが当然ながら全員乗車できていない。行先票だけ撮影してホームを走り乗車するが車内は無座の客であふれてカオス度高い。既に列車は発車しているが、こちらは席に未だたどり着けず。荷物置き場は席から離れたところに何とか確保。

無座の乗客が多いのでZ列車なのにカオス度が高い。Z列車で無座切符なんか販売するなよ。元々Z列車は特快や快速とは格が違うはずなのだが、どうも和諧号が登場してから扱いが悪くなっている。

石家荘を出てから停車駅ごとに乗車率は下降する。安陽を過ぎる頃にはカオス度が低下し平和になる。石家荘では天気は曇りであったが南下していくと天気は雨に変わる。天気予報だと許昌は雨のようなので明日の天気が気になる。

15:27頃、15分遅れで鄭州駅に到着。停車時間は6分、鄭州は河南省の省都なので、ここでほとんどの乗客が下車して入れ替わる。程なくして鄭州からの乗客が一気に乗車してきて乗車バトルの戦場と化す。乗降客多いのに停車時間6分というのはダイヤに無理があるだろう。

そして、停車時間の6分を越えて遅延する。15:42頃、定刻より24分遅れで鄭州駅を発車する。車内は乗車率100%でカオス度上昇である。

16:27頃、27分遅れで許昌に到着する。ここも下車する乗客が多く半分ほどが下車となる。

許昌の天気は曇りで幸い雨は降っていない。16:40頃、許昌駅からQunar.comで予約しておいた宿へ向けて北東へ歩いて行く。

16:50頃、許昌黎園賓館に到着。外人OKの賓館を予約しておいたので追い出されずに登記は問題なし。1泊58元の部屋に2泊する。

部屋はかなり広く半分以下の広さでも十分だ。設備はテレビ、エアコン、電気ケトル、電話がある。Wi-Fiはパスワード掛かっておらず速度はまあ普通かな。

トイレ・シャワーは扉が完全に閉まらないが、この辺は許容範囲内だろう。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(6元/約120円)を食べる。胡麻ダレと漬物がいい感じで麺と絡み合って美味い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13.2元
宿泊費 116元 1泊58元×2(Qunar.com)
合計 129.2元

春秋楼

09:25頃、賓館を出て春秋楼へ向かう。昨夜は雨が降っていたのだが今日は晴れており三国志観光には条件がよい。09:35頃、春秋広場近くで赤兎馬像を撮影。

09:40頃、春秋楼に到着。入場料は25元だが陝西旅游年票を使い無料で見物。

春秋楼は関羽が曹操の元に居た時の邸宅跡だ。

ここは春秋楼で創建は元の至元年間になり、関羽が春秋を呼んでいたとされる場所になる。楼内には春秋を読む関羽像が安置されている。

こちらは関聖殿。

殿内には巨大関羽像が安置され、両脇にはおなじみの関平、周倉もいる。

そして、ここには寥化、王甫の像もあり珍しい組み合わせだ。これは周倉と寥化。

これは関平と王甫だが、いつもニコニコ顔の関平がここでは笑っていない。

関聖殿の東にあるのが甘糜二后宮。甘夫人と糜夫人が住んでいたとされる場所だ。

関聖殿の西にあるのが文廟で許州文廟とも呼ばれ大成殿には孔子が祀られている。

大成殿の創建は元代になり明代に再建され清代には修復がされている。11:00頃、春秋楼を出て曹丞相府へ向かう。この頃には青空が曇り空に変わっていた。

曹丞相府

11:15頃、曹丞相府の西隣にある魏武帝広場に到着。曹操像がお出迎え。

続いて曹丞相府を見物する。入場料は60元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。入場料が高額なので観光客は少なめで静かだ。

曹丞相府は丞相府の遺跡上に復元された三国志テーマパークだ。ここに丞相府があったとなると関羽の屋敷からかなり近い。

三国志テーマパークといってもパネル展示が多くテーマパークというより資料館に近い。パネル展示でも色々と見てしまうが蝋人形もあったりする。ここは官渡の戦いでの軍議のようだ。

こちらは曹洪と夏侯惇。12:20頃、曹丞相府を出て西湖公園へ向かう。

徳星亭

12:25頃、西湖公園に到着し公園内を歩き、12:35頃、徳星亭に到着。

徳星亭の前には9体の像が見えてきた。陳寔が荀淑を訪れる場面で右側が荀家、左が陳家で両家の賢人9人が集う場面である。

荀淑の息子8人は「荀氏八龍」として知られ、次男の荀緄の子が荀彧になる。13:00頃、西湖公園を離れ許昌駅へ向かう。

許昌汽車站

13:30頃、許昌駅の東隣にあるバスターミナルの許昌汽車站(許昌中心站)に到着。窓口のおばちゃんが怖そうなので運賃表撮影できず、とりあえず一部運賃のメモだけ。

鄭州18元
開封32元
少林寺32元
登封28元
南陽53元

自動券売機は現金とキャッシュカードに対応しており身分証は必要なし。ただし、読み取り機能はあるのでテロとかがあると身分証必須になるだろう。

許昌豪華汽車站

13:45頃、許昌駅の南隣の許昌豪華汽車站に到着。豪華と言っているが建物はプレハブ小屋みたいなので豪華ではない。
とりあえず時刻表だけ撮影しておく。長距離は北京、上海、深圳、青島、昆明などが1日1本運行されている。短距離は開封が30分毎、洛陽が20分毎に運行されている。

灞陵橋公園

14:05頃、許昌汽車站近くの火車站のバス停から5路のバスに乗車する。運賃1元、14:20頃、灞陵橋公園で下車する。

灞陵橋公園の入場料は20元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。しかし、雨が降ってきた。今日はこのまま引き上げて明日以降訪れようかと思ったがとりあえず見ておく。まだ夕方ではないのだが既に薄暗く撮影には向かない。関羽が曹操に別れを告げた灞陵橋を渡る。

許昌関帝廟を見物して今日は撤退する。明日以降もう一度だな。15:15頃、1元の5路のバスに乗車して戻る。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(7元/約140円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14.4元
バス 2元 路線バス
合計 16.4元

董妃墓

07:40頃、賓館を出て許昌駅へ移動。朝から天気は快晴だ。駅前で2路のバス停を探すと許昌汽車站の近くにバス停を発見。07:54頃、火車站、汽車站のバス停から2路のバスに乗車する。運賃1元、08:15頃、許昌迎賓館で下車する。

許昌迎賓館の隣にある貴妃苑へ入る。

公園内を歩き、08:20頃、董妃墓に到着する。

董妃墓は献帝の貴妃であり後漢の車騎将軍 董承の娘である董琳の墓である。父親の董承が曹操殺害を計画したために曹操に殺害され、董妃も殺害されている。

墓周辺は公園として整備されている。08:50頃、董妃墓を離れ漢荀氏八龍塚へ向かう。

09:10頃、董妃墓の東を通る魏文路の移動公司のバス停から7路のバスに乗車する。

漢荀氏八龍塚

運賃1元、09:25頃、陳庄で下車する。目の前の牌坊を潜りゴミだらけの道を東へ歩き路地に入り北へ歩く。

09:30頃、漢荀氏八龍塚に到着するが地元民が集まってお参りしている。てっきり誰もいないと思っていたのだが予想外である。今日は何かの日だろうか?

漢荀氏八龍塚は荀淑墓であり塚の上には伝説によれば荀淑の死後に息子たちが柏の木を一株づつ植えたとされ八龍塚は八柏塚とも呼ばれている。現在は柏の古木が6本残っているが樹齢千年以上あるようには・・・。荀淑墓の上には廟が建てられおり地元民がお参りをしている。

とりあえず地元民が去るのをひたすら待つ。余所者は大人しく待ちます。そして空いた所で撮影。廟内には像が安置されているが荀淑像か?

王允墓

10:00頃、漢荀氏八龍塚を離れ王允墓へ向かう。清潩河の西岸の遊歩道を歩いて魏都区人民政府の裏手辺りに来ると王允墓が見えてきた。10:35頃、王允墓に到着する。

後漢の司徒である王允は董卓殺害の首謀者で貂蝉の養父でもある。許昌にある王允墓は献帝が許昌に遷都してから造営された衣冠塚である。

10:45頃、王允墓を離れ、11:05頃、清潩河東側の文峰路にある市広播電台のバス停から4路のバスに乗車。運賃1元、11:30頃、火車站、汽車站で下車する。

11:40頃、許昌豪華汽車站で繁城行きの301路のバスに乗車する。劉庄路口で下車するのだが自分は四声が下手くそなので乗務員のおばちゃんに言葉通じず。スマホで「刘庄路口」と表示して見せるがおばちゃん老眼で見えないので隣のお姉ちゃんに読んでもらいようやく通じる。

ただでさえ余所者で目立つのに更に目立ってしまった。まあ、おかげで乗客全員が「この田舎者は劉庄路口で下車する」と覚えたので乗り過ごしの危険性はなくなった。運賃は3.5元、省道を南下して12:10頃、劉庄路口で下車し東へ歩く。

伏皇后墓

12:20頃、伏皇后墓に到着する。

伏皇后は名を伏寿と呼び、徐州琅邪東武(山東省諸城)の出身になり後漢の興平2年(195)に献帝の皇后となるが曹操暗殺計画が露見し伏皇后は殺害され、2人いた皇子も殺害される。

墓の前には廟があり廟内には伏皇后像が安置されているが扉には鍵がかけられている。扉の脇に管理人の名前と電話番号が記されているので連絡して開けてもらうのだろう。

廟には伏皇后祖母娘、伏皇后殿、祖母娘墓と記されており伏皇后は祖母娘とも呼ばれているようだ。

陵墓は劉庄村の外れにあり周辺は畑である。12:55頃、伏皇后墓を離れ次は西へと向かう。

徐母墓

来た道を戻り省道を渡り、そのまま西へと歩くと、道の左手に石碑が見えてきた。13:05頃、徐母墓に到着する。

徐庶の母の墓で許昌県志に記載されている。おなじみの劉備の軍師だった徐庶が偽手紙により曹操に仕えることになってしまうが、徐庶の母は不忠不孝を嘆き自殺してしまう。

1952年秋に村民がサツマイモを掘り起こし収穫していると墓室の扉に当たり開けてみると円形のレンガ造りの墓室があった。しかし、文化大革命で墓室は破壊され現在残っているのは墓前にある清の乾隆21年(1756)に建立された「漢大賢徐母之墓」と書かれた石碑のみである。13:37頃、徐母墓を離れる。

徐母墓から60mほど離れ所にある歇馬殿を訪れるが門が閉まっている。門の隙間から内部を見るが関帝廟というところまでは確認できた。内部に入れないのでは仕方がないので省道へ戻る。

13:50頃、301路のバスに乗車、運賃3.5元で14:20頃、許昌豪華汽車站へ戻る。14:30頃、火車站、汽車站のバス停から5路のバスに乗車する。運賃1元、14:50頃、灞陵橋公園で下車する。

再び灞陵橋公園へ

昨日雨が降ってきて引き上げたが、今日は晴れており再び訪れる。陝西旅游年票を使い無料で入場。まずは曹沖称象処から見ていく。曹操の息子である曹沖が孫権から贈られてきた象の重さを量るという場面だ。

続いて灞陵橋を見ていくがこの橋は新しいので素通り。この橋の勾配では馬車通れるのか?

許昌関帝廟

許昌関帝廟の創建は清の康熙28年(1689)になり、三進院九殿一閣の建築様式になる。

許昌関帝廟の特徴は関羽と共に曹操も祀られており関羽が馬上から錦袍を受け取る場面が再現されており他の関帝廟とは一線を画している。

これは曹操像。

奥の碑廊には元々あった灞陵橋が移設されている。これも清代の橋で新しいのだが、まあこちらは勾配がなく馬車が通れるから本物の灞陵橋に近いだろう。

で、碑廊で石碑を物色します。

碑廊で何かないかと探していたら「漢荀氏八龍塚」の石碑を見つける。「大清道光元年許州牧」とあるが「中華民国22年」「重立」とも刻まれており中華民国の頃に再建された石碑のようだ。こんな所にも掘り出し物があった。

15:50頃、灞陵橋公園を出て5路のバスで市内へ戻る。賓館に戻り延泊の手続きをしておく。1泊58元で3泊延長だ。

鹵肉熱乾麺

夕飯は鹵肉熱乾麺(7元/約140円)を食べる。具材に胡麻ダレが掛かりモヤシや漬物の他に鹵肉(煮込み豚肉)が乗っている。

撈麺

撈麺(8元/約160円)を食べる。麺の具材にインゲン、モヤシ、キクラゲ、トマト、卵焼き、レタスが乗っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
宿泊費 174元 1泊58元×3
バス 5元 路線バス
バス 3.5元 許昌→劉庄路口
バス 3.5元 劉庄路口→許昌
合計 201元

許昌→張潘

08:50頃、許昌豪華汽車站で201路のバスに乗車。盆李までは運賃5元、チケットをもらい保管。今日は許昌の東にある張潘鎮周辺の三国志遺跡を廻る。

張潘の手前でチケット確認があり提示する。張潘を通り過ぎて、道路左側(北)に廟が見えてきた。09:50頃、盆李の小さな関爺廟(関帝廟)の前で降ろされる。

とりあえず関爺廟を見物しておく。

徐晃墓

まずは約2km北東にある城角徐村の徐晃墓を目指し、GPSと高徳地図で確認しながら北へ進む。

10:35頃、徐晃墓に到着する。徐晃墓は許昌県張潘鎮城角徐村に位置している。徐晃は曹操配下の武将で「五子良将」の一人である。

墓は畑の中にあり遠くから文物保護単位の石碑が見えたので楽に到達できた。墓の北側には高速道路が通っていた。

郄慮墓

10:45頃、徐晃墓を離れ北西約1kmにある郄庄村の郄慮墓へ向かう。高速道路を越えて畑のあぜ道を歩いていく。村の中に入るが村人の視線を感じるというか村人たちはこちらをガン見だ。目を合わせても目をそらさないし・・・。

11:25頃、郄慮墓に到着。郄慮墓は許昌県張潘鎮郄庄村の村内南西に位置している。

郄慮は献帝の御史大夫を務めた人物で曹操暗殺計画が発覚し曹操に殺害され、この場所に葬られた。11:40頃、郄慮墓を離れ南西約3kmにある門道張村の漢張公祠へ向かう。

漢張公祠

12:30頃、門道張村の漢張公祠に到着する。

漢張公祠は張飛廟とも呼ばれ許昌県張潘鎮門道張村の西に位置している。創建年代は不明だが、明清代に幾度か修復が行われている。漢張公祠は村人たちが匪賊から身を守るために砦の機能を持たせているため小山の上に建設されている。

殿内には北宋の名判官である包拯の像があり、包公寨とも呼ばれていた。現在は砦はなくなり現存するのは山門、張公殿、包公殿などになる。

張公殿などは鍵が掛けられており殿内には入れず。隙間から張飛像を見物する。

こちらは包公殿の包拯。

包公殿には包拯と関羽が一緒に祀られていた。2人とも中国では人気が高いのでかなり興味深い組み合わせだ。13:20頃、漢張公祠を離れ南東約1.5kmの古城村にある漢魏許都故城へ向かう。

漢魏許都故城

13:55頃、漢魏許都故城に到着。道路北側の脇に河南省文物保護単位の石碑がある。

道路南側には牌坊と全国重点文物保護単位の石碑があり南に毓秀台がある。

漢魏許都故城は別名で張潘故城とも呼ばれ、後漢の建安年間の都城、魏の東都である。元々は周代の許国の都城遺址である。

牌坊をくぐり700mほど南へ行くと左(東)に廟が見えてきた。14:20頃、毓秀台に到着する。

毓秀台は献帝が祭祀を行った場所で小山になっている。

現在は毓秀台の上には天爺廟があり道教寺院となっている。14:55頃、毓秀台を離れ北西約2.1kmにある伏完墓へ向かう。

伏完墓

15:40頃、伏完墓に到着する。伏完墓は許昌県張潘鎮劉庄村の東に位置している。

伏完は後漢の侍中を務め、桓帝の長女 陽安公主である劉華を妻に娶る。娘の伏寿は献帝の皇后となる。皇后 伏寿は曹操を恐れ伏完に曹操暗殺の手紙を送るが伏完は行動を起こさず世を去る。伏完の死後、この事が露見し建安19年(214)に曹操は皇后を廃し伏寿と2人の皇子、伏徳ら伏氏100人余りを殺害する。

15:55頃、伏完墓を離れ南西約1kmある張潘鎮の漢愍帝陵を目指す。

漢愍帝陵は門番手強い

16:20頃、張潘鎮の漢愍帝陵のある政府跡地に到着。许昌县惠民现代农业合作社などが入っており入口で交渉か・・・。門番のおっちゃんに「見せてーな」と交渉するがダメであった。「単位規定」ぐらいしか聞き取れなかったが交渉不成立というか、おっちゃんの訛がわからず会話自体成り立たず。おっちゃんは門に南京錠掛けて小屋に籠もってしまう。しつこく優しく呼びかけて粘ってみたがやっぱダメ。中国だから賄賂渡さないとダメなのかな?
17:15頃、201路のバスに乗車し許昌豪華汽車站へ戻る。張潘鎮から許昌までの運賃は4元。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(6元/約120円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 6元
バス 5元 許昌→盆李
バス 4元 張潘→許昌
合計 15元

南陽行きチケット購入

08:10頃、許昌駅前の許昌汽車站(許昌中心站)で明日の南陽行きバスのチケットを購入。今回は窓口でなく誰も利用していない自動券売機で購入してみた。二代身分証は必要ないので外人でも問題なく購入。窓口は列ができているのだが、なぜ誰も自動券売機を使わないのだ?

許昌汽車西站

08:15頃、火車站、汽車站のバス停から8路のバスに乗車。運賃1元、西バスターミナルへ向かうが運ちゃんの朝食購入でバスが途中小休憩。日本ではありえん。08:40頃、客運西站で下車する。

許昌汽車西站のバス時刻表を確認。

華佗墓

08:45頃、許昌汽車西站から308路のバスに乗車。張月庄まで運賃は4元。

09:10頃、張月庄で下車し金属製の村の牌坊をくぐり東への道を約1.5km歩く。村の入口には華佗墓の標識がある。

GPSと高徳地図で華佗墓を確認するが高徳地図にも華佗墓が載っていたので楽勝だ。張月庄村を抜けると未舗装の農道になり畑が広がる。

09:25頃、橋の手前左側に華佗墓園の入口が見えてきた。

楽勝で華佗墓到着。

華佗墓は許昌県蘇橋鎮石寨村の南西、張月庄村の東に位置している。墓の北には石梁河、東隣には穎汝干渠が流れている。墓前には清の乾隆17年(1752)の石碑があり、この地の医者たちが資金を出し合い石碑を建立した。華佗は言わずとしれた後漢の名医で曹操に殺されている。誰もいないと思っていたが意外にも墓園には地元民がお参りをしている。

墓はかなり立派で墓前には石碑が多数建立されているが墓の保護のために周囲は柵が設けられて近づけないようにしている。これは落書き防止か?それとも墓の土持ち去り防止か?華佗墓だから病気に効くとかいう迷信があるのだろうか?楊貴妃墓の土が持ち去られるのと似たような事があっても不思議ではないな。

墓園には廟もあり道教寺院となっている。

廟には白い巨大華佗像がある。

他にも華佗と関羽の像が一緒に祀られていたりしてなかなか良い雰囲気だ。10:10頃、華佗墓を離れ張月庄へ戻る。10:30頃、張月庄からバスに乗車。運賃4元で、11:00頃、許昌汽車西站に到着。8路のバスに乗り換え市内へ戻る。

許昌文峰塔

11:50頃、許昌塔文化博物館に到着。入場料無料、塔に登るのは10元。

許昌文峰塔は文峰塔、文明寺塔とも呼ばれ、明の万歴43年(1615)に許州知州であった鄭振光の指揮により創建される。高さ51.3m、八角形、13層の楼閣式レンガ塔で、地下宮、基座、塔身、塔刹の4部分からなる。塔文化博物館ということなので塔に関する展示があったので見物して、12:30頃、許昌塔文化博物館を出る。

雑醤熱乾麺

昼食は雑醤熱乾麺(8元/約160円)を食べる。具材に醤、モヤシ、キュウリ、ネギが入っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
バス 2元 路線バス
バス 4元 許昌→張月庄
バス 4元 張月庄→許昌
バス 53元 許昌→南陽
合計 77元