1540次で深圳→鄭州へ
今日は深圳から鄭州へ移動するのだが、シルクロードの旅なら西安を目指すのが基本でK446/K447次に乗車して深圳→西安が一番楽な経路なのだが、どうしても1540次は乗りたかったのだ。理由は1540次が深圳発の列車で唯一の空調普快だからだ。即ち深圳発で最も等級の低い列車なのだ。それでも空調はしっかり付いているので料金は高い。ユースホステルを出る前に食糧を買い込み0830過ぎに地下鉄で羅湖へ向かう。
0900頃、羅湖に到着。地上に出れば深圳駅だ。深圳駅から初めて列車に乗車するが今までで最も綺麗で近代的な駅だった。さすが中国で最も発展している深圳だ。
改札が始まりホームへ降りて急 いで乗車する。何とか荷物の置き場所は確保できた。
1540次は客のマナーも良く快適
0945発だが3分遅れで発車する。途中で隣の線路からCRHが追い越していく。
深圳からの乗客は文明人が多いようで車内も綺麗で痰を吐くような奴もいない。のんびりと外の風景を眺めていたいところだが明日に備えて十分寝ることにする。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 10元 | |
地下鉄 | 5元 | |
合計 | 15元 |
原始人が乗車する1101次 硬座で鄭州→蘭州へ
0950過ぎに鄭州到着。まあ、ここまでは快適な旅であったが鄭州から乗車する1101次は硬座で蘭州まで移動だ。夜間の硬座での移動は久しぶりだ。まあ、どんな状況かは経験上好ましくない事態になりそうだが今回はどうだろうか?
昼頃になると待合室はかなり込んできた。1415発でまだ時間があるが硬座なので改札に並ぶことにする。早めに並ばなければ荷物の置き場所が確保できない可能性があるからだ。おまけに硬座だとスリ置引きに遭う確率が高そうなので写真撮影は控えることにした。
1345頃に改札が始まるが表示の出ていない改札口から改札が始まり周辺は大混乱。改札を通過するのに手間取り乗車したときには車内はかなり混雑していた。自分の座席から少し離れた場所に荷物を置いて後は発車を待つのみだが既に始発の鄭州で無座の乗客が溢れていた。定刻から2分遅れで発車するが車内放送で「2人がけは3人、3人がけは4人で協力して座ってください」などとなめた事を言っている。
こちらとしては「どうしてこちらは座席指定なのにわざわざ無座の客まで座らせてやる必要があるんだ」という心境である。時間が経つにつれ無座の客が座席に割り込み始めた。今回自分は通路側なので無座の客の為に席を詰める寛大な心は持ち合わせていない。既に3人がけの席を3人で座って蘭州まで行くことが目的になっている。
夜になり爺さんが座席の端に座ってきたので「不是你的座位(あんたの席ではない)」と言って追い出す。まあ、何か文句言っていたが無座の爺さんを無視する。爺さんは何度か席に座ろうと試みるがことごとく追い出し何とか諦めてくれて床に座り込んでくれた。まあ、孫娘は床で寝ているからちょうど良いだろう。このようにほとんど眠れず無座の客との戦いが続いた。
しかし、無座の客だけが敵ではなかった。後ろの席ではおっさんたちが酒盛りを始めるが窓からゴミを投げ捨て挙句の果てにはビール瓶まで投げ捨てていた。人民の中にもこれほどの原始人がいるとは予想外だった。しかも、おっさんたちだけでなく乗客全てが原始人だった。ペットボトル、カップ麺の容器を床に捨て、禁煙の車内でタバコを吸い、痰を吐く。1101次は今までの中で最低の人民、いや現代人の姿をした原始人が乗車していた。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 5元 | |
合計 | 5元 |
不快指数100で蘭州到着
ほとんど眠れずこの原始人どもの中に日本人1人はある意味拷問だ。朝になっても席の端に座ろうとするおっさんがおり追い出すが「这个年轻人太小气(この若造はケチだ)」とか言っているが、こちらは心の中で「原始人に座らせる席は無い」と叫ぶ。0710頃に蘭州到着。
時刻表に書かれていた時間より早く到着した。7月になってダイヤが変更になったのだろうか?とにかく列車を降り原始人の群れから解放された。きっと中国で最も文明人である深圳市民もこんな列車には乗りたくないだろうな。
さて、蘭州での寝床を探さねばならないのだが蘭州にはユースホステルが1軒あるので向かう。1路のバスで公交集団下車して徒歩3分ほどで到着。ドミトリーは1泊20元で安くて、まあ綺麗に掃除されていたが、トイレを見てやはり中国だった。糞が詰まったままで強烈な臭気を漂わせていた。シャワーはお湯が出ないし水量も少ない。以前白人がチャイニーズスタンダードという言葉を言っていたのを思い出した。これがチャイニーズスタンダードなのだと。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 6.5元 | |
宿泊費 | 20元 | |
バス | 1元 | 路線バス |
合計 | 27.5元 |
五泉山公園へ行く
まずは蘭州駅で銀川行きの切符を購入をしなければならない。切符売り場は空いていたので3分ほど並んで明後日の銀川行きの切符を購入する。0830頃、駅前から302路のバスで五泉山へ向かう。五泉山下車後は南に見える五泉山へ向かい10分ほど歩くと広場に到着。
広場の奥に五泉山公園の入口があった。五泉山公園は名前の通り5つの泉がある山なのだが、ここは前漢の武帝の頃に驃騎将軍の霍去病が匈奴遠征で駐屯した際に水不足に陥り剣を地面に突いたところ水が湧き出したという伝説が残っている。公園に入ると霍去病の銅像が出迎えてくれます。記念撮影をする人も多く霍去病の人気の高さが伺えます。
入場料は6元で安いのだが微妙な料金設定だ。公園といっても遊園地と寺があり蘭州市民の憩いの場になっている。
山全体が公園になっているようで各地で工事が行われており今後も拡張されそうだ。山を登っているとロープウェイが見え、どうやら麓の広場から山頂へ行ける 様だ。さすが中国、公園といっても規模は半端じゃない。
五泉のひとつで最も美味い水といわれる甘露泉。だけど、飲めるような状態ではなかった。他も泉も含めて飲んだら確実に腹を壊します。
1時間ほど公園を散歩と言うよりも山歩きをして1000頃、18路のバスでバス停の公交集団へ向かう。1030頃、宿に戻り今日と明日の宿泊費を支払う。
中山橋、白塔山公園
中山橋は黄河第一橋とも称され黄河で初めて架けられた鉄橋である。元々は明代に船を並べて浮橋としていたようだが清の光緒年間に鉄橋が架けられ現在に至っている。
蘭州の有名観光地のようで観光客で賑わっている。黄河を見ながら橋を渡り白塔山公園へ向かう。白塔山公園も入場料6元だったが、こちらは記念はがきになっていた。五泉山公園は7元で記念はがきの入場券を売っていたが白塔山公園は良心的だ。
白塔山公園はチンギス・ハンに謁見するためにチベットから派遣されたチベット僧が蘭州で病死したためにこの地に寺院が建立された。明の正統年間に再建され、清の康熙54年(1715)に拡張された。
山頂の寺院には白塔があるのだが長年風雨に晒されている為に茶色になっている。
蘭州はあまり暑くない
深圳→鄭州→蘭州と移動してきたが蘭州は深圳より暑くない。暑くないと言うより蒸していないので過ごしやすい。実際に来る前は蘭州は既にシルクロードの灼熱の世界だと思い込んでいたが全く違っていた。
だけど思い込んでいた通りのこともあった。イスラム風建築の建物が目立つようになった事とイスラム教徒のレストランである清真食堂がたくさんあることだ。もちろん、清真食堂で蘭州名物の牛肉拉麺は昨日の夕食で食べている。蘭州は漢民族の中華文化圏ではなく回族 などのイスラム文化圏になっている。
蘭州では久しぶりに悪い意味だが乞食が多いと感じた。甘粛省は中国でも有数の貧困地域といわれるがそれに伴い乞食も多いのだろうか?だいたい乞食は地元で物乞いをするのでなく沿海部の大都市に乞食の出稼ぎに行くと思っていたが沿海部までの交通費すらないのだろうか?
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 19.2元 | |
宿泊費 | 40元 | 1泊20元×2 |
鉄道 | 34元 | 硬座 蘭州→銀川 |
バス | 5元 | 路線バス |
五泉山公園 | 6元 | |
白塔山公園 | 6元 | |
理髪 | 5元 | |
合計 | 115.2元 |
踏み切りで撮り鉄
今日はのんびりと寛ぎながら明日の準備をする。昼頃に昼食と散歩に出かける。近くの市場を見物していたら何やら踏み切りの音がするので音のするほうへ行くと踏切が閉まっているではないか!これは良い撮影の機会と判断して撮影を開始する。
踏切の番をしているおばちゃんは「変な奴がいるなぁ」と思っているだろう。撮影をして今回の旅で初めて踏切を渡る。
近くの清真食堂で牛肉拉麺を食べて再び踏切で撮影だ。今度はラサ行きの列車が通過した。鉄分補給をした後は市 場でライチを1斤(500g)2元で購入して帰る。蘭州でもライチがこれほど安いとは驚きだ。深圳では5元近くしていたのに・・・。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 18.3元 | |
日夜品 | 11.4元 | トイレットペーパー |
合計 | 29.7元 |
2636次で蘭州→銀川
今日は蘭州から銀川へ移動する日だ。朝のうちに近くで包子を買い込んで食糧の準備をしておく。0840頃に宿を出て127路のバスで蘭州駅へ向かう。 0915頃に蘭州駅到着。
ちょうど2636次の改札案内の放送があったので急いで待合室へ行き改札を通過する。
駅員さんは特に切符の確認もしておらず蘭州といえども田舎の駅だと実感する。そういえば、身分証確認も珍しくやっていなかった。
乗車して荷物を置いて後は発車を待つだけになる。0950に定刻どおり発車する。途中で黄河を渡り北へと進む。
車窓も大きく変わり乾燥地域の風景が見えてくる。だんだんシルクロードらしくなってきた。
砂漠も見えてきて風に巻き上げられた砂が車内に入ってくることもあった。目の前に砂漠があるといっても車内は灼熱地獄でもない。風が入ってくると心地よく非空調車でも十分である。
砂漠があったと思ったら水田がありました。黄河の水を灌漑用水に利用しているのでしょうか?
駅前には信号は無く車も少ない。これでも寧夏回族自治区の中心地なのだろうか?予想以上の田舎だが銀川での拠点 にする宿を探す。安宿の相場は10~30元ぐらいのようだ。駅前の凌波招待所に2人部屋を1泊30元で泊まることにする。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 8.5元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 1元 | 路線バス |
合計 | 59.5元 |
旅游汽車站へ行ってみるが・・・
0530頃に起床する。銀川は北京よりかなり西に位置しているために外はまだ暗い。0630頃、駅前から11路のバスで旅游汽車站へ向かう。旅游汽車站はバスターミナルだが「旅游」と名前が付くので西夏王陵行きのバスがあるかもしれないので確認してみようと思う。
事前に調べた限りだと西夏王陵への直通バスは無いようでツアーに参加するかタクシーで行くしか方法がないらしい。0715頃、旅游汽車站に到着。バスの運行状況を調べてみると西夏王陵行きのバスは無かった。旅游汽車站は周辺の田舎へ行くバスが発着しているだけだった。ここにいても仕方ないので一旦宿へ戻る。
中国銀行で香港ドルの預金に行く
0830過ぎに駅前の中国銀行へ手持ちの香港ドルを預金する為に行く。窓口でキャッシュカードと6500香港ドル、パスポートを提出する。すると、行員に通帳は無いか聞かれ「持ってきていない」と答える。外貨預金はどうやら通帳がないと駄目なようだ。仮に通帳を持ってきても開設地以外の省などだと通帳は使えないはずだ。更に何処の口座かも聞かれ「上海の口座です」と答える。
自分も行員も困っていると横から警備員が「人民元に両替して預金するのは駄目なの?」と聞いたので「両替して預金します」と返答する。これで何とか手続き開始。書類に必要事項を記入している間に何人かの行員で紙幣を確認している。まあ、銀川のような地方都市に香港ドルを預金や両替に来る人は滅多にいないだろう。当然、行員も香港ドルを見たことがあるかも疑問である。
しかし、行員たち は香港上海銀行の紙幣は透かしを見るとかしているが何故かスタンダードチャータード銀行の紙幣だけは更に紙幣の両端をくっつけて確認している。さすが中国銀行!田舎の行員でも香港ドルの確認方法を知っているようだ。確認と手続きで30分ほどで両替と預金が完了した。
西夏王陵は遠い
0900過ぎに2路のバスで終点の軍区へ行く。西夏王陵への直通バスは無いが2路バスの終点が西夏王陵に最も近いとの情報で軍区に来てみたが実際は人民解放軍の施設があるだけで違っていた。ここで諦めてはいけないのでGPSを頼りに西夏王陵のある南西へ歩いていく。距離は16kmもある。ただ西へ向かってバスが走っているのが見えたので他にも近くへ向かうバスがありそうだ。
1000頃に北京西路まで来たがこの時点で持ってきた水がなくなったので近くのスーパーで水を買い込む。近くのバス停でとりあえず一番遠くに行きそうな路線を探してみる。17路のバスが停車するバス停が多いので乗車する。1030頃、終点の園林場に到着。西に見える山の麓に西夏王陵があるので少し近づいたようだ。北京西路をひたすら西へ向かう。
歩いていると緑色のバスが通り過ぎていくがよく見ると「2」と表示されている。これも2路のバスのようだが?この時、気付いた。これは2路でも中巴2路だ。「2路のバスの終点が西夏王陵に近い」というのは「2路」ではなく「中巴2路」のことだった。これで中巴2路に乗れば良いのだが恐らく終点が近いような気がする。中巴2路に乗らずもう少し歩いてみると目の前を飛行機が横切るのが見えた。
さっきから上空を戦闘機が飛んでいる理由が分かったのと飛行場の近くまで来ているのが確認できた。Google Earthだと飛行場の脇を西夏王陵へ向かう道路が通っていたので道が正しいことが確認できた。飛行場の近くまで来るとバス停があるので確認すると「西夏 広場」と表示されている。これが一番近いバス停のようだ。
近くには西夏王陵の看板もある。但し、あと7.2kmもある。周囲にはバイクタクシーもおらず歩くしかなさそうだ。仮にバイクタクシーがいても平気で100元とか要求しそうなので乗らないけど・・・。1100に西夏広場から110国道を徒歩で南下する。上空を低空で戦闘機が飛んでいるので爆音を楽しみながら歩く。しばらくすると遠くに西夏王陵が見えてきた。
国道をはずれ荒地を少し歩いてみるとテレビや本で見たことのある盛り土がいくつも見える。周囲は荒地で自由に出入りできそうな感じだ。一応は有刺鉄線で柵があるけど破れており逃票可能な状態だ。柵を越えて少し歩いてみるが荒地の中を車が通っている。 何も無い荒地だと遠くからでも見つかってしまいそうなので逃票が発覚した時にどんな目に遭うか心配だ。やはり、入口から入るのがよさそうだ。
逃票を断念して国道へ戻り再び南下すると今度は対空レーダーが見えてきた。飛行場があるからレーダー施設があるのは当然だが西夏王陵の上空を戦闘機が飛んでいるとは観光客は予想していなかっただろうな。自分も戦闘機が飛んでいるとは思っていなかったし。レーダー施設を過ぎるとようやく西夏王陵の標識が見えてきた。
1230頃、西夏王陵の入口に到着する。西夏広場から徒歩で90分ほどかかった。
入場券を買うときに気付いたのだが入場券が必要なのは3号陵遺址、西夏博物館、西夏史話芸術館、西夏碑林だけで他の陵墓は自由に見られるようで逃票では無かった。入場券を買って西夏王陵風景区へ入る。
西夏王陵
まずは西夏博物館と西夏史話芸術館を見学する。次に3号陵遺址を見学する。
博物館は観光客がそこそこいたが3号陵遺址は誰もいなかった。おかげで写真撮影は自由にできて十分楽しめた。
周辺には他にも陵墓があるのだが遠すぎて歩いていくのは無理がある。見学は3号陵だけにして帰ることにする。
国道に出れば巴音→銀川の長距離バスが通っているのでヒッチハイクすれば銀川まで楽に帰れる。1400頃、110国道を北上するが、やはり他の陵墓も見たいので国土をはずれて畑を横切り荒地を進む。周囲は何も無いので陵墓へ真っ直ぐ進む。
1500頃に陵墓に到着。どの陵墓かは案内の看板も無いので分からないが西夏王陵の真っ只中にいることは確かだ。道路に出て歩くと1510頃、6号陵に到着。ここは規模が大きいのでしっかりと見ていく。再び道路に出て北上する途中で軍のトラック1台が通り過ぎるぐらいで他の車は通らず道の真ん中を歩く。
少しすると飛行場の柵で立ち入り禁止になっている。しかたがないので柵に沿って国道を目指す。この時あることに気が付いた。西夏王陵に行くときに超えた柵は西夏王陵の柵ではなく飛行場の柵であったことだ。戦闘機が離着陸する飛行場ということは軍の施設であることは間違いない。どうやら、軍の施設に勝手に入っていたようだ。あのまま進んで狙撃や逮捕されても文句は言えないだろう。引き返して良かったのと「柵はちゃんと直しておけ!」と言いたい。
戦闘機を撮影
戦闘機が離着陸訓練をしているので危険だが写真撮影をする。ただ、良い写真はなかなか撮れないが上空を戦闘機が旋回しているのを見ながら国道へ向かう。
途中で飛行場との境界にある盛り土に身を隠しながら撮影したりと明らかに不審者の行動をしている。
別にスパイ活動をしているわけではないが見つかると厄介なのでそういう行動をしてしまう。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11.6元 | |
宿泊費 | 30元 | |
鉄道 | 126元 | 硬臥 銀川→嘉峪関 |
バス | 7元 | 路線バス |
西夏王陵 | 40元 | |
切手 | 2元 | |
両替・預金手数料 | 31.2元 | |
合計 | 237.8元 |
鼓楼、玉皇閣、南門
昨日、西夏王陵を見てきたので銀川では他にこれといった観光地は思い浮かばない。とりあえず、市内を少し見物してみようと思い1030頃に宿を出る。銀川は主に2つの区域に分けられて東を旧城区、西を新城区と呼んでいるようだ。
銀川駅は新城区にあり西夏王陵は銀川郊外の南西30㎞ほどの所に位置している。観光地は旧城区周辺に多いらしいが特にこれといったものは無さそうなので旧城区の中心にある鼓楼と玉皇閣を見物していく。
南関清真寺
銀川に滞在しているのに鼓楼など中華文明の建物しか見ていないような気がする。ここは寧夏回族自治区だ。一応はイスラム世界と言っても良いはずだ。清真食堂はよく見るのだがイスラム文化の観光地は見ていない。
ということで、昼頃に南門近くの南関清真寺を訪れてみる。南関清真寺は明代末期に建立されたモスクで400年以上の歴史がある由緒あるモスクだ。入場券を買うのだが入場券売り場に人がいない。近くの回族のおっちゃんたちに聞くと「知らない。あそこにいるおばちゃんに聞いてみて!」というので入場券売り場の隣の食堂のおばちゃんに聞くと入口で入場券を買えばよいことが判明する。入口で入場券を購入するが入場料は12元のはずが20元出してお釣りが10元だった。値下げしたのだろうか?
中に入ると外とは雰囲気が違いイスラム世界の雰囲気満点だ。まずは展庁を見学するのだが共産党や海外のイスラム教関係者の偉い人たちが訪問した写真ばかりでモスクの歴史やイスラム教に関する資料は少ない。
唯一メッカの模型ぐらいが目を引くぐらいだ。それにしても共産党のお偉いさんたちの写真やサイン色紙がやたらと目立つ。何か深い意味でもあるのだろうか?
展庁を見学し終わると管理人のおばちゃんが「礼拝堂は見たのか?」など色々聞いてくるので「まだ見ていません」と答えると案内してくれた。もちろん、免費 (無料)だ。平日に観光客が来るので珍しいのだろうか礼拝堂に関して色々説明してくれる。聞いている自分は3割ぐらいしか理解していないけど・・・。
1日5回の礼拝があり、ちょうど2回目の礼拝の時間でモスクの中はお祈りをする回族が多数いる。おばちゃんは「モスク内の撮影はいいけど、中に入っちゃだめだよ!」と言って戻っていった。モスク内を撮影するが、その間にも回族が礼拝に訪れている。だけど、礼拝の時間は過ぎているのだけど・・・。礼拝に遅刻するのは大丈夫らしい。戒律に厳しいはずのイスラム教だが、ここではアラーは大目に見てくれるようだ。
南関清真寺を見学した後は清真食堂で牛肉拉麺を食べる。蘭州と銀川を訪れて気付いたのだがイスラム文化圏になると牛肉拉麺は3元前後で安いのだが炒飯や刀削麺などの中華料理は最低でも4~5元と高くなっている。食後は南門広場にあるスーパーの北京华联で明日の移動に備えて水を買い込む。ちょっと食費がオーバーしてしまうが仕方ないか。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 22元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 3元 | 路線バス |
清真寺 | 10元 | |
切手 | 24元 | |
合計 | 89元 |