雲南省旅行記2015春2 茶馬古道・沙渓古鎮

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維西→麗江

朝から雨が降っており天気が悪い。07:30頃、宿をチェックアウトしてバスターミナルへ行くが、窓口のおばちゃんが「麗江行きの客が3人しかいないので、07:50発のバスがキャンセルで09:30発のバスに変更」と言ってチケットを回収する。
まあ、客が少ないのではキャンセルもあるだろうが予定が狂ってしまう。

07:45頃、窓口のおばちゃんが「やっぱ麗江行きあるから乗車して!」とバスに乗車するように言ってきて乗車する。おい!おい!さっきキャンセルで今度はやっぱりあるというのはどういうことだ?まあ、予定通りバスが出発するので問題ないが・・・。

08:00頃に乗客3人で発車する。維西を出ると天気は雨から雪に変わり雪道の省道303号をシャングリラ、麗江方面へ進む。

道路状況は舗装された田舎道だがバスは70km/h以上で爆走する。この頃には天気は再び雨になる。09:15頃、長めのトイレ休憩となる。

09:45頃、バスが出発し田舎道を爆走していく。其宗を過ぎると金沙江沿いに走り、10:30頃、小さな町の塔城を通過する。10:50頃、麗江→維西のバスとすれ違う。

11:10頃、巨甸に入り道が広くなる。11:30頃、鶴慶→麗江→維西のバスとすれ違う。この頃には天気が晴れに変わる。

11:35頃、麗江と老君山黎明景区への分岐点の黎明郷中興を通過する。観光地への中継地点なので店や宿が少しある集落になっており、長江第一湾のある石鼓までは約40kmになる。

11:45頃、麗江→維西と下関(大理)→巨甸のバスとすれ違う。12:20頃、石鼓鎮に入り長江第一湾を通過する。13:20頃、麗江市内に入りガソリンスタンドでエンジンをかけたまま軽油を給油する。

日本ではあり得ない給油方法だが、中国ではエンジンかけっぱなしの給油は問題なしのようだ。他にも中国のガソリンスタンドには防爆壁がなかったり日本のガソリンスタンドとは違いが大きい。ちなみに軽油は1Lで5.82元(約116円)、ガソリンはオクタン価93で1L6.55元(約131円)であった。

麗江→剣川

13:30頃、維西から約5時間半でバスターミナルの麗江客運站に到着、ここで剣川行きのチケットを購入するが次のバスが16:00発で2時間半ほど待機となる。
チケット購入の際に身分証が必要でパスポートを提示する。剣川までの運賃は22元だ。

15:50頃、バスに乗車して発車を待つ。15:56頃、乗客が集まったので4分ほど早くバスが出発する。剣川までは約2時間の道のりだ。

17:15頃、予想より早く剣川客運站に到着。

まずは時刻表でバスの状況を確認すると大理の新市街の下関(下关)行きのバスが15分おき出ており一番本数がある。それ以外の麗江、昆明、シャングリラなどは本数が少ない。

剣川→沙渓

バスターミナル前で客待ちしている沙渓行き乗り合いタクシーに乗車する。運賃は13元だ。17:30頃、客が集まり乗り合いタクシーが出発する。乗客は地元民5人とイスラエル人1人、自分の合計7人だ。

18:20頃、沙渓古鎮に到着する。

馬圏46国際青年旅舎

沙渓古鎮での宿は古戯台の隣にあるユースホステルの雲南沙渓馬圏46国際青年旅舎だ。

部屋は8人ドミトリーで1泊25元(会員料金)だ。白族の古民家を利用しており雰囲気は非常に良い。古民家だが入口はオートロックになっており防犯面もしっかりしている感じだ。

ユースホステルには4泊して成都を目指すので、3月23日の大理→昆明、3月24日の昆明→成都の切符をネットで予約購入しておく。それと成都での宿も予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
宿泊費 100元 1泊25元(会員料金)×4
バス 22元 麗江→剣川
ミニバン 13元 剣川→沙渓
鉄道 64元 大理→昆明
鉄道 252.5元 昆明→成都
合計 465.5元

茶馬古道の沙渓古鎮

茶馬古道の石橋・石鰲橋

09:30頃、沙渓古鎮周辺の散策へ出かける。
目的地は沙渓古鎮の南にある大理州最大の城隍廟と茶馬古道の遺跡である石鰲橋(石鳌桥)だ。まずは沙渓古鎮の東門になる東寨門から出て南北に流れる黒恵江に沿って南へ進む。

馬幇たちのキャラバン隊が行き交っていた時代は、大理からのキャラバン隊が東寨門から沙渓古鎮へ入っていった。黒恵江沿いから県道84号に入りひたすら南へ進む。

ロンリープラネット雲南によると南へ4kmの場所に城隍廟があるということであったが見あたらない。そのまま県道を南へ進み渓南村を過ぎると道路左側に石橋が見えてきた。11:45頃、石鰲橋(石鳌桥)に到着する。

沙渓古鎮の南約6kmの場所にある石鰲橋は清代に架けられた石橋で茶馬古道を行き交う馬幇たちのキャラバン隊が、ここから沙渓古鎮へ入っていった。今は石鰲橋以外に茶馬古道の痕跡は見あたらないが、この橋から川沿いに茶馬古道が沙渓古鎮へ延びていたのだろう。

沙渓城隍廟大照壁

12:15頃、橋を後にして県道を戻ると道路脇に怪しい古そうな白族の建物がある。近づいてみると「城隍」の文字が見える。

そして、文物保護単位の石碑を見つける。13:10頃、沙渓城隍廟大照壁に到着する。ロンリープラネット雲南には沙渓古鎮の南4kmとあったが実際は南2kmの場所であった。

沙渓城隍廟は大理ペー族自治州最大の城隍廟照壁が最大の特徴である。しかし、文化大革命では城隍廟は食糧庫として使用され現在も修復されず放置状態で門は閉ざされている。門の隙間から中を覗くと壁に当時の宣伝画が残っており文化大革命の跡がそのまま残されている。

マーケットが開かれる沙渓

13:30頃、沙渓古鎮に戻ってきた。通りではマーケットが開かれており結構賑わっている。7年前に訪れたときはこんなのなかったのだが・・・。

マーケットでは農機具から衣料、食料品、雑貨まで幅広く売られており、饅頭屋とかもあった。

沙渓古鎮はそこそこの規模のスーパーマーケットや安食堂もあるので大理古城なみに長期滞在が可能だ。

しかし、このマーケットの中でお経が聞こえてきた。こういった場所でお経が聞こえてくる場合は、やはり乞食が営業活動をしていた。日本だと乞食は禁止されているのだが、中国も表向きは乞食は禁止らしい。

でも、何故か乞食がいるのだ。今回は僧侶型乞食でお経を流していた。音響設備まで揃えているので職業乞食であることは間違いないであろう。毎月どれぐらいの稼ぎがあるのか興味深いところだ。

夕飯は回鍋肉炒飯(10元/約200円)を食べて、大理ビール610ml(3元/約60円)を飲む。昨日は別の店で6元の炒飯を食べたが、今日の店はスープと漬け物付きだ。

ビールは3元で安いのだが、コカコーラ500mlとペプシ600mlも3元だ。ビールとコーラが同じ値段というのは一体・・・。夜になりネットで成都→広元、広元→西安の切符を予約購入、広元での宿を予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13元
鉄道 46.5元 成都→広元
鉄道 75元 広元→西安
合計 134.5元

朝の沙渓古鎮

07:30頃、起床して朝の沙渓古鎮を散策する。3月下旬になるが朝はかなり冷え込み霜が降りている。玉津橋などを見て回るが朝から観光客が出歩いている。

7年前に訪れたときは昼間でも観光客がほとんどいなかったのに・・・。凄い変わりぶりだ。玉津橋は大理からやって来る馬幇たちのキャラバン隊が渡る橋だ。

現在は大理への茶馬古道は残っていないようだが、橋から東へ延びる畑のあぜ道が茶馬古道の跡なのだろう。

恐らくこの道を進むと大理古城までつながっているのかもしれない。周辺の畑ではすでに農作業が始まっていた。

朝の沙渓古鎮はまだ店が開いておらず観光客が途切れると静かな空間が広がっている。

興教寺

09:30頃、興教寺を見物する。入場料は20元だ。

興教寺は明の永楽13年(1415)に創建された密教寺院で雲南からチベットへ続く茶馬古道に現存する貴重な寺院である。

20元払って見物してみたのだが正直言って内部は見る価値なし!僧侶はおらず博物館として運営されていた。山門で記念撮影すれば十分といった感じだ。

山門の修復に金掛けすぎて内部はパネル展示とかで誤魔化している感じがする。一応は本殿に金ピカの仏像があるのだが山門の仏像に比べるとかなり手抜きのような気がする。

山門の仏像は迫力があり寺の内部も非常に期待を持たせるのだが、実際は期待外れであった。

石宝山景区

09:50頃、剣川行きのミニバンに乗車する。10:15頃、沙渓から約10km離れた途中の石宝山への分かれ道で下車する。運賃は剣川までと同じ13元だ。この分かれ道から石宝山まで2km歩く。

10:40頃、石宝山景区入口に到着する。

入場料は50元から65元に値上げされていた。

10:55頃、まずは海雲居に到着する。海雲居は別名を茶花寺と呼び、清の康煕年間に創建された密教寺院だ。

海雲居

寺は結構古く修復もされていない様子なので歴史を感じさせなかなか良い雰囲気だ。寺院内には何故か関羽像がある。

もちろん周倉と関平の像もあったが由来は不明だ。11:20頃、海雲居を離れ奥へと進む。

宝相寺

11:45頃、宝相寺の入口に到着する。ここには野生の猿がいた。入口から階段を上がっていくと途中で古木が倒れて道を塞いでいる。

昼頃に山門に到着する。宝相寺は元の至正年間に建立された密教寺院で、元々は祝延寺と呼ばれていた。清の康煕年間(1687)に火災で焼失し康煕年間(1690)に再建された。

寺の本殿は絶壁に貼り付くように建てられ、内部には様々な仏像があり見応えがある。

宝相寺には徐霞客の像がある。
徐霞客は明の万暦年間から崇禎年間にかけての地理学者、旅行家である。まあ、バックパッカーの魁のような人物だ。明の崇禎12年(1639)に徐霞客は石宝山を2度訪れている。

絶壁に仏像がありなかなか見応えがる。その分だが階段が多く体力の消耗は激しい。

13:10頃、宝相寺から降りて再び奥を目指す。14:40頃、獅子関石窟区の入口に到着、ここから道路を外れ遊歩道へ入る。

14:50頃、獅子関石窟区に到着するが石窟のある御堂は鍵が掛かっており隙間から中を覗くだけになる。

石鐘寺

しかし、絶壁にあるので対面にある石鐘寺がよく見える。14:55頃、獅子関を通り抜け急な階段を下りていき今度は階段を上っていく。

この時間はかなり暑く半袖でちょうどいい気候だ。朝は霜が降りるほどの寒さであったが昼間は気温が高くなり寒暖差が激しい。体力を著しく消耗して、15:10頃、石鐘寺に到着する。

寺なのだが僧侶はおらず石窟を管理する博物館として機能している。石鐘山石窟には南昭国や大理国時代の石窟が残されており石宝山景区の一番の見所である。

石窟以外には清の光緒年間などの石碑が残っているが石窟などの文物の撮影は禁止となっている。15:40頃、石鐘寺を離れる。

沙渓古鎮へ戻るために山道を下って行くが、ゴミ箱からゴミが溢れていたり、ゴミのポイ捨てとかが酷い。

まあ、中国だから今更驚かなくなったが山でのゴミのポイ捨てとかタバコの吸い殻が本当に多い。中国人は山火事になったらどうするのだろうか?

ひたすら山道を下って行くと途中で沙渓が一望できる場所に出る。菜の花畑による黄色い絨毯が広がっていた。

17:00頃、沙登箐石窟区に到着。南詔国時代の石窟があるが中には入れず外から見るだけになる。

沙渓の菜の花畑

17:10頃、山道を抜けて畑が見え始める。沙坪村を通り県道84号に出た。道路脇には菜の花畑が広がっている。

菜の花畑の中を通り沙渓古鎮へと向かう。

17:45頃、沙渓古鎮に戻る。

夕飯は郵便局近くの情縁飯店で鶏蛋苦菜炒飯(6元/約120円)と雑醤米線の大盛り(8元/約160円)を食べる。この店は沙渓古鎮で数少ない安食堂だ。おまけに量が多いので非常に重宝する。大理や麗江なら10元出さないと同じ量の物は食べられないだろう。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 17元
乗合タクシー 13元 沙渓→石宝山
石宝山景区 65元
合計 95元

欧陽大院

昼頃、沙渓古鎮にある欧陽大院を訪れてみる。欧陽大院は個人宅で現在も人が住んでいる古民家だ。そして、入場料は10元だ。

10元払って中を見るかどうか考えてみたが外から中を覗うと、どうも中は見なくてもいいような気がしてきた。中国の民家だとリビングに冷蔵庫があったりするので入口だけにしておく。

外から門を見る限りは非常に雰囲気が良いのだが、実際に人が住んでいるとなると邸宅の中に家電製品とかがあってがっかりする確率が高い。

雲南名物の餌絲

昼食は沙渓古鎮でのもう一軒の行きつけの食堂の美美飯店へ。

美美飯店で雲南名物の餌絲(饵丝)を大盛り(8元/約160円)で食べる。ここは漬け物とかがお好みでトッピングできるのが特徴だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16元
合計 16元