重慶 豊都鬼城

重慶旅行記2016春

真武山道観

06:30頃、起床するが雨が降っている。これだと洛表行きはダメかな・・・。代わりに重慶への途中にある瀘州を目指そうかな。

08:30頃、雨が止んだので裏山の翠屏公園へ行く。翠屏山と真武山で構成された公園で真武山の方へ向かう。09:00頃、真武山道観にやってきた。川南第一道観と称され四川省南部を代表する道教寺院である。明代から清代の建築物が残されている。

09:10頃、雨が降ってきたので山を下りる。この天気では洛表、瀘州どころではないな。さっさと重慶へ移動だな。09:35頃、宿に戻る。

10:00頃、速8酒店をチェックアウトする。10:09頃、人民広場のバス停から高客站行き4路のバスに乗車。エアコン無しのボロバスで運賃1元。宜賓は一方通行の道路が多いので路線バスは往路と復路で停車するバス停が違うので要注意だ。

宜賓→重慶

10:25頃、終点の高客站に到着。バスターミナルの宜賓高速公路客運站から重慶へ移動だ。まずは手荷物のX線検査を済ませる。

チケット売場は列ができているので誰もいない自動券売機へ。この券売機は現金、支付宝には非対応でキャッシュカードのみ対応だ。券売機が空いているのはありがたいが支払い手段がバスターミナルによって違うというのは少々不便だ。

重慶行きチケットを購入しようとするがピンインで重慶(ChongQing)のCを入力しても空港の重慶機場しか表示されない。もしかして重(Chong)でなく重(Zhong)なのかとZを入力したら重慶が表示された。

重慶のピンインが間違って登録されているではないか!これは大阪(おおさか)を大阪(だいさか)と登録しているようなものだ。チャイナクオリティの罠が仕掛けられていたが何とか回避だ。

キャッシュカードを入れて暗証番号を入力。

支払いが完了して発券中。

無事に発券される。

10:40発車、宜賓→重慶のチケットを何とか購入。運賃は111元だ。

5分後には発車なので、そのまま改札を通過してバスに乗車。10:45頃に5分遅れで発車する。

高速道路の出入口近くなので、すぐに高速に入り爆走体制に入る。

12:30頃、白鹿服務区でトイレ休憩になる。雨は降ったままなので重慶も天気は雨なのだろう。休憩でトイレへ行く者もいればタバコを吸う者もいるがおサルさんが多いようで吸い殻はその辺にポイ捨てになる。

12:58頃、バスが発車し再び高速を爆走する。13:03頃、四川省と重慶市の境界を越える。重慶市に入ったが外は田舎の風景で市内はまだまだ先だ。

13:50頃、高速のジャンクションで渋滞にはまる。この先で事故のようで封鎖になり、次のジャンクションまで走ることになる。高速を降りる前だったのですぐに本線へ戻れたが降りていたら完全に身動きがとれなくなっていただろう。

14:25頃、高速を降りて重慶市内へと入っていく。14:40頃、バスターミナルの重慶汽車站の脇の道路で降ろされる。重慶汽車站の隣は重慶駅になり、さらに近くには重慶長途汽車站もあり交通の要衝になる。

重慶駅は菜園壩火車站(菜园坝火车站)とも呼ばれている。鉄道駅、バスターミナルが集まった交通の要衝であるのだが重慶駅は盲腸線の終点になっており高速鉄道への対応もされず、重慶の玄関口の地位を重慶北駅に譲り列車の本数や利用客はかなり減少した。

15:13頃、重慶駅前の路線バス乗り場から503路のバスに乗車して朝天門へ移動する。公交ICカードを使い運賃1.8元。15:20頃、終点の朝天門で下車する。まずは宿の確保が必要なので重慶瓦舍·玺院青年旅舍を目指す。ここは8年前の2008年に宿泊したことがあるので大体の場所は覚えている。当時は重慶国際青年旅舎の看板で営業していたが名称が変わっている。経営者でも変わったのか?

で、行ってみたら平日でも満室だった。三峡下りの重慶港にも近く、8年も同じ場所で営業しており中国では老舗の部類に入りつつあるので人気店と化しているようだ。今回は読みが甘かった。

重慶尚悦明清国際青年旅舍

野宿はできないのでQunar.comで近くの外人OK宿を探すと徒歩5分ほどの所に重慶尚悦明清国際青年旅舍があるではないか!そのまま予約と支払いを済ませてドミトリーを確保して移動開始。湖広会館の前を通り奥へ進む。そして、会館脇の路地を歩いて行くと看板が見えてきた。

16:05頃、重慶尚悦明清国際青年旅舍(重庆尚悦明清国际青年旅舍/Sunrise Ming Qing International youth Hostel)に到着。Booking.comにも掲載されている宿だ。登記は問題なく完了し今日の寝床は確保できた。建物は明清古建築で300年以上の歴史を持つ四合院になり雰囲気は良好である、

部屋は1泊40元の6人ドミトリーになる。各ベッドにコンセント、照明あり。Wi-Fiも問題なく使える。共用のトイレ・シャワーは1箇所しかなくボロイので要注意だ。

重慶港

16:35頃、重慶港へ調査へ向かう。重慶港周辺は朝天門と呼ばれる地域で結構カオス度が高い。どれぐらいカオス度が高いかというと半露天状態の食堂が軒を連ねていたりするほどである。

16:45頃、重慶港のチケット売場に到着するが場所が以前とは違っている。重慶港周辺は朝天門で再開発が始まっており仮説のチケット売場になっている。おまけに「2016年1月1日から乗船券は実名制やで!」の横断幕まであるよ。三峡下りも実名制か・・・。まあ、普通はフェリーでは乗客名簿を作成するから実名制というのは当たり前なのだが、ここで言う実名制は政府や共産党が個人の行動を監視するという意味である。

とりあえず三峡下りの出港時間と料金表を確認しておく。フェリーは21:00に4号埠頭から出港のようだ。

運賃の方は宜昌まで三等室下段ベッドで330元か・・・。このチケット売場以外にも周辺には旅行会社が多数あり三峡下りの乗船券を扱っている。で、値段も違うし、船も違うし、出発時刻、立ち寄る観光地の数や時間も違ってくる。この辺は問い合わせて調べるしかない。当然ながら外国人用の船はランクが上がるので高い。

埠頭はこんな感じで三峡下りの船から成金や土豪のためのナイトクルーズの船が待機していたりする。

露天ではライチが売られていたりする。本格的にライチの季節に入ってきたようだ。

重慶港周辺の朝天門は再開発でご覧のとおり。朝天門の再開発は大規模なのでバスターミナルの朝天門汽車站が跡形もなく消え去っていた。あるのは高層ビルができそうな工事現場だ。

重慶長途汽車站

17:40頃、朝天門から503路のバスで重慶駅へ移動。18:00頃、重慶駅の斜め向かいにある重慶長途汽車站で明日の豊都行きチケットを購入する。自動券売機で購入しようとしたら重慶の券売機は二代身分証がないと購入できないようになっていた。重慶は規制が厳しいようだ。

仕方ないので窓口で購入するが、窓口では身分証確認なしであった。何で窓口は身分証確認無しなんだ?重慶→豊都の運賃は55元。で、購入後に「そういえば高速鉄道でも豊都へ行けたな・・・」と思った。まあ、長江沿いをバスで下っていくか。18:15頃、重慶駅から503路のバスに乗車するが逆方向のバスに乗ってしまい途中で乗り換える。

麻婆豆腐

19:00頃、夕飯は麻婆豆腐(12元/約216円)と米飯(1元/約18円)を食べる。あの半露天状態の食堂を利用してみた。ちょうど夕飯時なので工事現場から帰る民工のおっちゃんたちで食堂は賑わっている。今回は定番の中華料理なのだが唐辛子は少なめなので辛くない麻婆豆腐だ。山椒が入っており痺れるけど・・・。ご飯は食べ放題なので2回お代わりして満腹だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13元
宿泊費 40元 1泊40元×1
バス 8.2元 路線バス
バス 111元 宜賓→重慶
バス 55元 重慶→豊都
合計 227.2元

豊都→豊都のはずが

今日も朝から雨が降ったままだ。07:20頃、ユースホステルをチェックアウトする。07:30頃、朝天門から503路のバスに乗車。07:40頃、バスが発車、運賃1.8元、07:50頃、重慶駅のバス停になる菜園壩火車站(菜园坝火车站)で下車する。

斜め向かいのバスターミナルの重慶長途汽車站から08:30発、豊都行きバスに乗車する。豊都までの運賃は55元だ。

大型バスだけどオンボロで車内のカオス度が高い。客層は完全に地元民だけだ。08:30頃、バスが発車する。乗車率は5割ぐらいだ。高速鉄道の方が便利なのでバスの利用客は少ないようだ。

重慶からは高速道路を走っていくが、10:30頃に高速を降りて田舎の山道を走っていく。まだ豊都まで50km以上あるので、この様子だと13:00頃に到着か?高速鉄道なら1時間で到着だが、バスは遅いし、値段高いし、カオス度高いし、危険と4拍子も揃っている。おまけに天気悪すぎだし・・・。

昼を過ぎてもバスは山道を走っている。乗客たちは途中の集落で少しづつ下車していく。もう完全に農村を走る地元民用バスだ。

12:30頃、イベント発生!豊都まで行くはずのバスが豊都の約20km手前の社壇(社坛)という町で終点になってしまった。運ちゃんに豊都までのチケット買っている事をいうと、豊都行きのバスに乗り換えになるということで運ちゃんに連れられ町の中心へ。どうやら豊都行きのバスは実際は社壇が終点で豊都への客は運ちゃんが社壇→豊都のバスまで連れて行くという方式のようだ。

で、運ちゃんにどこから来たか聞いてくるので「日本」と答えると「宜賓から旅行にきたのか」と変換されてしまった。まあ、経験上よくあることだ。日本人と言っているのに宜賓人にされてしまうのは・・・。経験上は広東省とかの南方人はよくあるのだが、宜賓人にされてしまうのもある。四川訛りの発音ではないはずなのだが・・・。

町の中心で社壇→豊都のバスに乗車。運ちゃんが知り合いのバスのおばちゃんに10元払う。何とか乗り換えできてバスの発車を待つ。

12:40頃、バスが発車。豊都へ向かう道中でQunar.comで宿を予約して支付宝で支払いも済ましておく。バスが田舎を走り長江に架かる橋を渡り豊都の県城へ入る。

豊都汽車客運站

13:40頃、バスターミナルの豊都汽車客運站に到着。時刻表とかは出ておらず収穫無し。予約しておいた宿へ向かう。

IU酒店

13:50頃、予約しておいた豊都の中心街あるIU酒店に到着。Booking.comだと外人お断りで、Qunar.comだと外人OKになっているのだが追い出されず外人OKであった。豊都の貴重な外国人OK宿?なのだが、登記の際に複合機の調子が悪くパスポートのコピーを取るのに失敗しているのに登記完了に・・・。どうも老板が派出所へ行ってくるのが面倒なようで内緒にするようだ。面倒でも外人OK宿になっているのだから、なぜ内緒にする?

ちなみIU酒店7天酒店の铂涛集团の新ブランドである。
中国各地で見かけるビジネスホテルの7天酒店の系列ということだな。

部屋は1泊129元の1人部屋で広め。

テレビも付いている。設備面は大手ビジネスホテルチェーンというだけあって文句なし。

トイレ・シャワーは新しく問題なし。

シャワーは湯量良好。Wi-Fiも快適にネットに繋がる。料金高いけど料金分の設備は十分に有ります。

豊都鬼城

14:25頃、豊都鬼城へ移動開始。豊都の県城から対岸の鬼城へは路線バスで移動可能だ。14:35頃、峡南溪のバス停から109路のバスに乗車。109路のバスは名山景区と名山政府の2種類の行き先があり名山景区に豊都鬼城がある。乗車時に運ちゃんに確認しておかないと途中で降ろされることになるので要注意だ。

14:40頃、バスが発車、運賃2元で名山景区へ向かうが雨が降ってきた。このタイミングで雨が降るとは・・・。高速鉄道の豊都駅への分かれ道で数人の乗客が降りていく。歩いて駅まで行けるようだな。

15:05頃、終点の名山景区に到着するが小雨が降っている。とりあえず長江を見ながら散歩する。長江には新しい橋が建設中で完成すれば豊都の県城から鬼城まで遠回りせずに来ることができる。

埠頭にはクルーズ船が停泊している。観光客が鬼城を見物しているのだろう。

対岸には豊都の県城が見える。田舎なのだがビルもあり町外れは建設ラッシュなのでバブルの気配が・・・。鬼城の対岸に鬼城が完成なんて事になりそうな・・・。

雨が止んだので鬼城を見物していくことにする。

当然のことだが土産物屋とかが並んでおりボッタクリ価格で営業中だ。鬼城は鬼たちのいるあの世ということなのだが、この土産物屋街は観光客にとっての鬼たちが住んでいる。

ここで観光客は銭を巻き上げられていくのだ。

ここは游客中心で入場券売場になる。こんな立派な建物があるので完全に高そうな観光地の気配が漂っている。

入場料はボッタクリの100元だ。地獄の沙汰も金次第ということか・・・。

鬼城の階段を登って行くとドイツ人の団体が山から降りてくる。人数の多さからして長江に停泊しているクルーズ船の一行だろう。他にも中国人の団体もいくつか見かける。こちらはバスのツアーだな。

この鬼城は2000年以上の歴史があるそうだが建物が新しい。建物の土台は明代などの歴史があるのだが、上物は1980年代や2008年に建て直されたりしている。

名山の頂上にある天子殿が鬼城の最後の見せ場で地獄の様子が再現されている。

再現されているが、この辺も新しい物ばかりだ。

で、こんな感じで地獄の様子が再現されている。

地獄というのは分かるのだが・・・。

何かガッカリ感が漂っているのは気のせいか?

どう考えても100元の価値はなく、30元で十分だろう。

テレビでも紹介されている観光地だから期待していたのだが、話に聞くのと見るのでは全然違う。16:30頃、鬼城を出る。16:55頃、運賃2元で豊都県城へ戻る109路のバスに乗車。17:20頃、終点の峡南溪のバス停で下車する。7分ほど歩いて宿に戻ってきた。

糖醋白菜

夕飯は近くの食堂で糖醋白菜(10元/約170円)と米飯(1元/約17元)を食べる。名前の通り砂糖と黒酢を使った白菜の炒め物だ。といっても、洋白菜を使っているのでキャベツの炒め物だな。

食後は近くのスーパーマーケットで重慶ビール468ml(4元/約68円)を購入。重慶にいるのだから地ビールの重慶ビールは飲んでおかないと。夜は明日の列車の切符をQunar.comで購入しておく。豊都→宜昌東の二等座は本来は123元だがQunar.comのクーポンを使って5元割引の118元だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 21元
宿泊費 129元 1泊129元×1
バス 5.8元 路線バス
鉄道 118元 二等座 豊都→宜昌東
鬼城 100元
合計 373.8元

豊都→宜昌東

07:00にeLongで今日の宜昌東→北京西の切符を予約しておく。次の目的地は決まった。一気に内モンゴル自治区巴林右旗の慶州白塔を目指す。ここは去年しくじっているので再挑戦だ。

07:30頃、酒店をチェックアウトして、バス停へ向かうがちょうど火車站行きのバスが通り過ぎる。バス停でしばらく待つことになるがボリタクの運ちゃんたちが声をかけてくる。どうやらカモに見えるようだ。

07:57頃、峡南溪のバス停というか交差点でバスに乗車。豊都駅まで運賃は2元だ。08:05頃、豊都駅に到着。

まずは切符売場で宜昌東への切符を受け取るが窓口1つしか開いていないので行列が・・・。自動券売機は空いているのに・・・。20分ほど並んで切符を受け取り待合室へ。

入口でいつも身分証と切符の照合、手荷物のX線検査を済ませる。あとは改札が始まるまで待合室で待つだけだ。高速鉄道の駅なので駅舎は新しいのだが利用客の方は・・・。痰吐き、手鼻とお約束の行動が見受けられ、利用客におサルさんが紛れ込んでいる。せっかくの最新設備の駅がこれでは勿体ない。

今日は09:17発、重慶北→北京西のG310次、運賃123元、席は二等座で宜昌東へ移動する。昨晩、Qunar.comでの購入時にクーポン使って実際の運賃は5元引きの118元になる。重慶市から湖北省宜昌市への移動で宜昌は三峡下りの終点になる都市だ。

09:07頃に改札が始まりホームへ移動し、しばらくすると列車が到着。今回の編成はCRH380Aで8両編成だ。

09:17に定刻通り発車して、宜昌東までは約3時間の乗り鉄だ。速度は190km/h程度になりCRH380Aの本来の性能は全く出ておらず宝の持ち腐れになっている。

宜昌東まではトンネル区間が多く山の中を走っていく。こんな山の中に高速鉄道を通して採算とれるのか気になるが乗客はそこそこいる。湖北省に入り恩施駅に到着すると緑皮車が停車している。やはり在来線と併用であったか。途中から速度が160km/h以下だし、スラブ軌道ではないし、線路脇に信号機があったので怪しいと思っていたが・・・。

湖北省宜昌

12:33に宜昌東駅に到着。湖北省宜昌までやって来た。駅の外へ出て、まずは宜昌東駅の駅舎を撮影。最新の駅舎なのでとにかく巨大だ。

続いて切符売場へ行き列に並んで北京西行きの切符を受け取る。列車の発車時間は夜なのでかなり待ち時間がある。待ち時間を利用して三游洞か三国志遺跡の夷陵古戦場へ行くという選択肢もあるが天気が悪いので途中で雨が降ってくると困る。それに2カ所とも入場料の高い観光地だし・・・。

今回は宜昌博物館の見物にしておく。博物館は入場料無料で屋内なので天気が悪くても問題ない。三国志関連の文物もあるかもしれないし。駅の手荷物預かり所でバックパックを預ける。預かり料は10元で18:00頃に戻るとおばちゃんに伝えて宜昌観光開始。

13:25頃、宜昌東駅の隣にあるバスターミナルの宜昌汽車客運中心站を訪れる。時刻表は出ていないが白帝城の豊節、張飛廟の雲陽、長坂坡の当陽、荊州などのバスが複数出ており、各地の三国志遺跡への中継地に使える。自動券売機は身分証無しでも購入可能なので窓口でおサルさんたちの割り込みの確率も低い。

駅前の路線バスターミナルからはB37路のバスで夷陵古戦場へ行ける。下車するバス停は猇亭古战场になる。この場所は劉備が陣営を構えていた場所で陸遜に焼き討ちに遭った場所だ。

13:50頃、B9路のバスに乗車する。運賃は2元、頭にBが付くバスはBRT方式で運行されている。宜昌がBRTを導入するような都市になっているとは!14:20頃、果園二路のバス停で下車する。

近くに宜昌長途汽車客運站があったので調査してみるが市内にあって便利だと思うが周辺の渋滞がな・・・。自動券売機は身分証無しでも購入可能だ。

宜昌博物館

14:35頃、宜昌博物館を見物。

三国志関連の出土品を期待していたがなかった。建物は古く展示内容も物足りない。土家族の展示には力が入っているようだが。

郊外に新館を建設中でネットニュースだと外観は完成したようで2016年末に内部も完成予定のようだ。15:00頃、宜昌博物館を出る。

熱干麺

15:20頃、遅めの昼食に熱干麺(4元/約68円)を食べる。武漢名物だが湖北省に来たので熱干麺を食べておこう。スープ無しの麺では乾拌麺と並ぶ美味さだと思う。ハズレの店はダメだが・・・。

食後は長江沿いを散歩する。

三峡游客中心

16:00頃、三峡游客中心に到着。ここは宜昌港になり重慶へのクルーズ船の出発地にもなる。下流の宜昌から上流の重慶へ向かうので三峡上りになる。

宜昌港の斜め向かいにはウォルマートがある。宜昌もウォルマートが進出するような都市のようだ。

宜昌東→北京西

16:20頃、運賃2元でB1路のバスに乗車。17:00頃、宜昌東駅に戻ってきた。預けておいたバックパックを回収して待合室へ向かう。入口で身分証と切符の照合、手荷物のX線検査を済ませて待合室で改札が始まるのを待つ。待ち時間の間に明日の北京北→赤峰の硬座の切符をeLongで予約しておく。北京北→赤峰まで運賃は61元だ。

これから乗車するのは20:49発、宜昌東→北京西のZ4次、席は硬座、運賃は177.5元だがeLongのクーポンを使い実際の支払額は2元割引で175.5元だ。約13時間かけて宜昌東から北京へ向かう。始発駅から終点までの乗車なので寝過ごしの心配なく寝たまま移動できる。

19:10頃、19:24発、恩施→北京西、T50次の改札が始まる。田舎者の農民工のおっちゃんから都会人まで客層が幅広い。出稼ぎ列車でもあり北京へ帰る列車でもある。

で、改札口を観察していると改札が渋滞している。農民工のおっちゃんたちが扉が開かないので改札機叩いているし・・・。改札機から出てきた切符を回収しないと扉は開かないのだが。自動改札機は普及してきているようだが使用方法は依然普及していないようだ。

20:00頃、改札口の先頭を陣取り乗車バトルに備える。始発駅なので心配する必要はそれほど無いのだが念のためだ。

ほどなくして後方はご覧の通りのカオス状態。なぜ列を作って並ばない?

20:25過ぎに磁気切符でない紅票の方が先に改札が始まる。磁気切符の方はシステム上、設定された時間にならないと自動改札機の扉が開かないようになっている。予想される設定時刻は発車前30分、20分、15分、10分と思われる。個々の列車により多少の差はあるだろうが。

そして、おそらくこういった事情を知らずに隣で割り込み体制に入っているバアサンたちが騒いでいる。バアサンたちは無視して改札機の画面表示された時刻を見る。20:29ちょうどになると自動改札機が開くようになった。宜昌東が始発だと20分前が改札開始に設定されているようだ。

自動改札機は先頭を切っていったが、既に紅票の乗客たち多数がホームへ向かっている。ホームではいつもの行先票を撮影して乗車車両へ。Z列車なので客車は25Tでの編成になっている。25Tなら160km/h運転可能だ。

20:35頃、列車に乗車して荷物の置き場所を確保して発車を待つ。車内はすぐに農民工のおっちゃんたちが肥料袋やバケツを持って乗車してくる。約1時間前に見た北京西行きT50次の改札で薄々気づいていたが、Z列車と言っても硬座は出稼ぎ列車であった。本物のZ列車は寝台の硬臥と軟臥だけのようだ。

定刻通り20:49に列車が発車するが、車内の空調効いているのに腹出し族が出現したりカオス度が高い。自分のボックスシートと隣のボックスシートは左隣の兄ちゃん以外は農民工のおっちゃんばかりで固められている。前後のボックスシートもほとんどが農民工のおっちゃんたちだ。無事に北京西駅に到着できるか?ヒマワリの種やカップ麺とかでゴミ溜めと化すのか?

21:30頃に寝る。農民工のおっちゃんたちの酒盛りで目が覚める。完全に農民工列車だ。Z列車に乗車したはずが・・・。酒盛りの盛り上がり具合からすれば西成警察署の隣に住んでいるおっちゃんたちとは意気投合するだろうな。

23:10頃、漢口駅に到着。これで武漢まで移動してきた。この先は湖北省から河南省へ入る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 6元
鉄道 175.5元 硬座 宜昌東→北京西
鉄道 61元 硬座 北京北→赤峰
バス 6元 路線バス
荷物預け 10元
合計 248.5元

広西チワン族自治区巴馬・長寿村 鉄道で洛陽へ

巴馬汽車総站

巴馬得哥国際青年旅舍朝から猛烈な暑さで目が覚める。これだと昼間は扇風機を使ってもほとんど意味がない。09:00頃、ユースホステルを出てバスターミナルの巴馬汽車総站へ向かう。今日は巴馬郊外にある長寿村(平安村巴盤屯)へ向かう。

巴馬汽車総站09:25頃、巴馬汽車総站に到着する。

巴馬汽車総站運賃表まずはバスの運賃時刻表を確認する。

巴馬汽車総站運賃時刻表長距離は南寧や金城江へのバスは多いが、その他は少ないので移動は少し不便かもしれない。

巴馬汽車総站時刻表ただし、ロンリープラネット広西の情報を参考にすると、河池市の金城江へ移動すると、桂林や柳州へのバスが多いので金城江へ一度抜けるのも有りかもしれない。

巴馬汽車総站時刻表巴馬は南寧の空港へのバスが開通していた。このバスで巴馬と空港を直通で移動できる。

巴馬・長寿村へ

長寿村行きバス続いて窓口で長寿村までのチケットを買おうとするが、乗車後に運賃を支払う方式だったので、そのままバスに乗車する。10:00頃、バスが発車して長寿村までの運賃は5元だ。

長寿村省道208号を走り、11:00頃、長寿村近くに到着。バスを降りると目の前を白人の姉ちゃんがジョギングしている。この暑さでジョギングなんかしてたら熱中症になってしまうだろうに・・・。長寿村として世界的に有名とのことだが、欧米人がいるということは本当に有名なのだろう。

長寿村道路脇の盤陽河は上流で雨が降ったようで増水している。盤陽河の畔で暑さをしのぎ休憩する。盤陽河に架かる橋を渡り、11:30頃、長寿村(平安村巴盤屯)に到着する。長寿村と呼ばれているので古鎮みたいに古い建物と少数民族のヤオ族が暮らしているというイメージであったが、第一印象は寂れた温泉街である。

土産物屋川沿いに賓館や土産物屋が並んでおり、工事中の建物も多く観光開発の真っ最中で村の奥では開発業者によるリゾート開発も行われていた。地元民はヤオ族なのだろうが民族衣装は着ておらず・・・。

長寿村周辺は山に囲まれ自然環境は素晴らしいのだが、ちょっと期待外れであった。

長寿村巴馬周辺には他にも水晶宮などの観光地があるのだが、いづれも有料で150元や70元など悪意の感じる高額の入場料になっている。12:50頃、巴馬行きのバスに乗車する。運賃は5元だ。

麦肯基と美味基

麦肯基13:40頃、巴馬に戻り麦肯基の前で下車する。そう、巴馬には、あのケンタッキーフライドチキン(肯德基)とマクドナルド(麦当劳)を合体させたパクリとして一部の人達に有名な麦肯基があるのだ。

美味基そして、その隣には本家本元のKFCが営業しているのだ!いや、KFCではなくDFCだった。看板には美味基の文字とカーネルおじさんに似たマスコットのおっちゃんが描かれている。これは麦肯基よりも商標上の問題が出てきそうな気がする。というか、色々とケンタッキーと訴訟になりそうなファストフード店が並んで営業しているというのは、ある意味で中国らしい。

快餐昼食に8元の快餐を食べてユースホステルへ戻る。もう暑くてやる気なし。夕飯は近くの包子屋で1個0.5元の包子を8個購入。何種類かあったの肉包以外はよくわからないので老板娘に適当に選んでもらう。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19.5元
バス 10元 路線バス
合計 29.5元

巴馬の街

今日も暑さで目が覚める。エアコンなしの扇風機部屋はつらい。08:30頃、ユースホステルの向かいにある公園の山へ登る。おそらく頂上の亭からは巴馬の街が一望できるはずだ。まずは近くの包子屋で1個0.5元の肉包を4個購入しておく。肉包を食べながら階段を上り頂上を目指す。

巴馬の街09:00頃、頂上の亭に到着する。

巴馬の街頂上からは巴馬の街が一望できるが暑い。

長寿博物館

長寿博物館10:00頃、山を下りて川沿いにバスターミナルを通り過ぎて、10:20頃、長寿博物館に到着。入場料無料で登記して見物するが、台帳を見る限り見学者は少ないようだ。宣伝が足りなく博物館自体が観光客には知られていないようで、どうも典型的な箱物の気配が・・・。管理人のお姉ちゃんも一人で暇そうだし。展示内容はパネル展示で巴馬の長寿村が中心だ。見物は15分もあれば十分だ。

10:40頃、長寿博物館を出てユースホステルへ戻るが部屋はエアコン無しの扇風機で暑くて何も出来ない。夕方になり12306.cnで明日の柳州→襄陽の切符を購入しておく。硬座で運賃は148.5元だ。明日は久しぶりに鉄道での移動だ。

切符は確保したので、続いて巴馬汽車総站で明日の巴馬→柳州のバスチケットを購入。運賃は130元だが、身分証の確認がありパスポートを提示する。チケットは実名制ではないので、とりあえずの確認か?

ご飯特盛り快餐夕飯は昨日と同じ8元の快餐を食べるが、おかずを1品少なくしてご飯大盛りでお願いしたら、おばちゃんが自分でご飯よそってということで遠慮無く大盛り、いや特盛りにしておく。

美味基と麦肯基

美味基と麦肯基食後はケンタッキーもどきの美味基と麦肯基を見に行ってみる。

20150630-06今まで麦肯基が商標上大丈夫なのかと思っていたが、美味基をおじさんを見てしまうと麦肯基は問題ないように見えてしまう。美味基と麦肯基の近くのスーパーマーケットで康師傅のミネラルウォーター1.5L(2.5元/約50円)を購入。ついでに他の商品も調べると、ペプシコーラ600ml(3元)、コカコーラ2L(6.8元)であった。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10.5元
バス 130元 巴馬→柳州
鉄道 148.5元 柳州→襄陽
合計 289元

巴馬→柳州

今日から7月だが巴馬の天気は曇りでも朝から蒸し暑い。08:00頃、ユースホステル近くの包子屋で1個0.5元の肉包と豆沙包を10個購入。これが今日の朝食兼昼食だ。今日はバスで柳州へ移動して鉄道で広西チワン族自治区を出て湖南省を越えて湖北省襄陽へ向かう。

巴馬→柳州のチケット09:40頃、ユースホステルをチェックアウトしてバスターミナルの巴馬汽車総站へ移動。

アヒル09:55頃、バスターミナルに到着しバスを待つが、待合室でアヒルの声がする。乗客がアヒルを持ち込んでいた。家禽類など家畜の持ち込みは禁止のような気がしたが・・。しばらくすると待合室に動物臭がしてくる。そして、アヒルの鳴き声が止んだ。バスターミナルのおばちゃんにアヒルは外へ追いやられていた。中国の田舎ならではの光景だろうか。

柳州行きバス10:25頃、改札が始まりバスへの乗車が始まる。乗客にはミネラルウォーターが1本配られるが、1人で2本持っていこうとする兄ちゃんが複数おりバスターミナルのおばちゃんに説教を受け返却させられる。ある意味で中国らしいイベントだ。

10:40に定刻通りバスが発車する。柳州までは約6時間、418kmの道のりだ。乗車率は9割ぐらいでほぼ満席だ。車内はエアコンが効いていて涼しく柳州まで快適に移動できそうだ。到着するバスターミナルは柳州駅近くの柳州汽車南站だ。乗客には観光客は自分だけで残りは地元民で会話が方言なので何言っているのか分からない。この車内の状況からして夏の巴馬は観光オフシーズンのようだ。

水牛バスは山道を北東へと走るが、途中で水牛に道を塞がれる。11:20頃、隣のおっちゃんが車酔いでゲロを吐く。何で中国人は頻繁に車酔いでゲロを吐くんだ?日本だと車酔いでゲロ吐くのは子供ぐらいだぞ!バスは順調に山道を快適に走り、隣のおっちゃんはゲロを吐きまくっている。

昼頃、東蘭に到着しガソリンスタンドでトイレ休憩になる。14:00頃、河池市金城江区に入り、14:15頃、バスターミナルの金城江城西汽車站に到着し、ここでトイレ休憩になる。巴馬と柳州の中間地点の金城江は河池の中心街になり巴馬よりはるかに都会でバスターミナルは新しく規模も大きく南寧、桂林などの主要都市から周辺地区へのバスも多い。でも南寧と比較すれば山に囲まれた田舎ともいえる。

柳州

柳州到着14:25頃、金城江を出発して高速道路に入り柳州へ向かう。17:10頃、柳州汽車南站に到着する。

柳州汽車南站時刻表バスの情報を確認するが柳州はそこそこ大きな都市なので運賃時刻表を見ると各地へのバスの本数も多い。バスターミナル前の通りを西へ10ー15分歩くと柳州駅に到着だ。

柳州駅切符売場昨日、12306.cnで購入しておいた襄陽行きの切符を受け取るために切符売場へ。17:30頃、切符売場の列に並ぶが予想通り混雑している。これだと1時間コースを覚悟して気長に待つ。

18:00頃、ようやく順番が来たと思ったら軍人優先窓口だったので横から来た軍人が先に切符を購入となるが、軍人は家族の分を含めて広州南行きを3枚購入しようとしたが、直前までネットで購入しようとしており、購入途中のままでネット上では切符を押さえたままだったので、ダフ屋防止とかのためで窓口では購入できなくなっていた。軍人対応で10分ほど待ち、ようやく切符を受け取る。日本で軍人優先窓口とかあったら共産党や社民党、それと秘書給与を搾取していた議員とかが大騒ぎするだろうな。

18:10頃、切符を受け取ったので待合室へ移動。駅入口で切符と身分証の確認があったが駅員はパスポートの中身を確認せずにスルー状態。外人には用はないようだ。続いて手荷物のX線検査を済まして待合室に入る。

K1474次の切符これから乗車する列車は21:42発、湛江→襄陽のK1474次、席は硬座、運賃は148.5元、距離1204km、所要時間20時間4分だ。上野-札幌の1214kmを走る北斗星とほぼ同じ距離だ。襄陽には明日の17:46到着予定だ。

柳州駅待合室約3時間の待機になるが乗車バトルに備えて改札口の先頭を陣取っておくが、待合室は蒸し暑く裸族のおっちゃんが複数出現している。なかなかハイレベルな環境だ。

列車遅延

電光掲示板20:30頃、電光掲示板に列車遅延を示す「晩点」の文字が・・・。約2時間半遅れになり、21:42発から明日の00:15発になっている。やばいよ・・・。サバイバルコース確定だ。

でも、2時間半遅れはマシな方だ。成都東からのK652次は7時間28分遅れの放送があったし・・・。成都や重慶からの列車は軒並み大遅延が発生しており事故か何かが発生しているのは間違いないのだが、遅延理由については一切説明がない。まあ、遅延理由が知られると都合が悪いのだろう。チャイナクオリティだな。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 5元
合計 5元

柳州→襄陽

電光掲示板日付が変わりK1474次はさらに遅れて01:15発に変更される。01:07頃、改札が始まるが、発車時刻は01:20に変更、01:13頃、乗車する。

行先票列車内は乗客が入れ替えのようで、ほとんど人がおらずゴミが残っているだけであった。

列車内空いていた座席はすぐに満席となり発車を待つだけになるが、さらに遅延が発生して01:30に発車する。さて、襄陽到着までに遅れを取り戻せるのだろうか?ようやく眠れる。

07:00頃、目が覚めるが眠い、疲れた。外は曇りで畑と水田、それとトン族の民家が見える。湖南省会同に約3時間半遅れで到着し、次は湖南省懐化だ。そして、車内販売が始まり朝食の販売もあるが、ゆで卵と饅頭4個、粥で15元は超ボッタクリだ。

中国版駅弁の盒飯

盒飯09:25頃、懐化に到着。ホームで盒飯(弁当)を10元(約200円)で売っていたので購入する。昨日の朝に食べた包子以来の食事だ。盒飯の内容はご飯と目玉焼き、野菜炒めでコンビニ弁当をしょぼくした感じだが、車内販売の饅頭と粥(15元)に比べれば豪華な内容だ。野菜中心の盒飯は10元なら妥当で肉の多い奴は20元になる。

それと車内販売の盒飯は20元とかが多いのだが販売時間が終了間際になると値段を半額まで下げてくるので、そこを狙うのもいいだろう。車内販売の果物も同様で、1パック10元だったのが5元や3パック10元という具合になる。

懐化を出ると遅れが4時間半に拡大しており、もはや遅れを取り戻す気はないようだ。
今日中に襄陽に到着するのか?13:30頃、張家界に到着し、ようやく湖南省の北までやってきた。

13:50頃、張家界を発車して湖南省から湖北省へと向かうが、遅延に関する車内放送はなくなっていた。もう遅延はどうでもよいと開き直ったようだ。

18:00頃、宜昌東に到着する。湖北省に入って最初の大きな駅で宜昌は長江三峡下りの終点でもあり交通の要衝だ。宜昌東で方向転換の為に機関車の着け換えをして、18:25に発車する。

襄陽到着

襄陽駅21:23頃、約3時間半遅れで襄陽に到着する。

米拉奇花園酒店駅を出て宿を探さなければならないが、一昨日eLongで駅近くの宿を予約しており向かう。21:40頃、米拉奇花園酒店に到着するが、問題は外人OKなのか不明なので追い出されるかもしれない。まずはレセプションで予約していたことを伝えスマートフォンに保存してある予約確認書を見せる。レセプションのお姉ちゃんはパスポートの写真をスマホで撮って登記は完了。何とか外人OKだったので宿は確保できた。

米拉奇花園酒店部屋は標準間で予約だと1泊88元、飛び込みは178元のところをスマホでの期間限定特価で44元だ。44元は今までeLongの貯めておいたキャッシュバックから支払うので今回の宿泊費は事実上0元である。

米拉奇花園酒店部屋は2人部屋でIPテレビが付いているしトイレとシャワーが別々に分かれている。

米拉奇花園酒店掃除はちゃんとしてあるしエアコンも効いている。これ44元はお得だ。88元でも十分価値はあるだろう。

素拉麺と蛋炒飯腹が減っているので駅前の食堂で素拉麺(6元/約120円)と蛋炒飯(7元/約140円)を食べるが、いつもなら楽勝の量なのだが炒飯の油が多くて苦戦する。もう歳なので脂っ濃いものはもうダメなのだろうか?これからは炒飯より蓋飯にしておいたほうがいいかな?帰りにコンビニで康師傅の茉莉花茶(3元/約60円)を購入。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 26元
合計 26元

襄陽汽車客運中心站

襄陽汽車客運中心站朝から曇りで天気が悪い。暑さはそれほど酷くはないが雨が振りそうな気配がする。07:30頃、駅前通りにあるバスターミナルの襄陽汽車客運中心站へ行く。

襄陽汽車客運中心站時刻表襄陽にはいくつかのバスターミナルがあるが襄陽汽車客運中心站が短距離から長距離までのバスの本数が多く使い勝手が良い。

襄陽汽車客運中心站時刻表

襄陽汽車客運中心站時刻表

襄陽汽車客運中心站時刻表

襄陽汽車客運中心站時刻表

襄陽汽車客運中心站時刻表とりあえず、いつも通りにバスの運賃時刻表を撮影しておく。

襄陽駅続いて08:00頃、襄陽駅を訪れる。襄陽駅は大きな駅なのだが駅前には武警は一人もおらず、公安もほとんどいない。武警や公安がやたらといるウルムチ、西寧、伊寧、蘭州などと比べると治安は相当よいのだろう。この様子から中国政府を脅かすテロの危険は少ないと見える。

襄陽駅前それに駅前でも白タクがおらず交通渋滞が発生していない。襄陽は他の都市と比べると法律がかなり機能しており中国でも法治が表面上は行き届いている様子だ。

K590次の切符襄陽駅では洛陽の関林行きの切符を購入する。予定では南陽へ行くつもりであったが天気が悪いので高い入場料払って雨の中で南陽武侯祠の見物は勘弁なので一気に洛陽へ向かう。午前中の列車で移動を考えたが無座しかなかったので昼の列車での移動となる。12:37発、重慶北→北京西のK590次、席は硬座、運賃は53.5元、距離370km、所要時間5時間19分だ。

素拉麺10:30頃、昨日のイスラム食堂で素拉麺(6元/約120円)を食べる。襄陽は牛肉麺や蛋炒飯が安いと7元くらいからあるが駅前は10元が相場のようだ。

米拉奇花園酒店12:00頃、ホテルをチェックアウトする。今回のホテルは久しぶりによい意味で大当たりであった。Wi-Fiにパスワード掛けていない点を除けば設備、服務員のお姉ちゃんとも文句なしだ。飛び込みだと178元の部屋であったがeLongのスマホでの期間限定特価44元は本当にお得であった。

襄陽→関林

襄陽駅待合室駅まで徒歩5分であるが曇りだった天気が雨に変わっていた。やはり、この天気だと南陽を飛ばして正解であったようだ。12:05頃、襄陽駅に到着し、いつもの切符とパスポート確認、手荷物のX線検査を済ませて待合室へ。パスポートの確認では駅員は中身を確認していないので襄陽でも外人には用はないのだろう。

K590次の行先票発車時間まで30分ほどであるにもかかわらず改札口は空いており先頭を陣取る。12:15頃、改札が始まるがK590次の乗客は少なく乗車バトルは発生せず。12:20頃、重慶北→北京西のK590次に乗車して発車を待つ。

列車内12:39に列車が発車する。乗車率は7割ぐらいで荷物棚は3割ぐらいしか埋まっていない。長距離でなく短距離の乗客が多いようだ。洛陽の関林には17:56到着予定だ。昼時なので10元で盒飯(弁当)の車内販売をやっており、盒飯やカップ麺を食べている乗客が多い。

外の景色は平地にトウモロコシ畑と水田が広がっており、山の中の広西チワン族自治区、湖南省とは大きく異なる。そして、水田が徐々に少なくなり畑だけの風景に変わる。襄陽の北が稲作と畑作の境界になっているようだ。

イベント盛り沢山

13:25頃、イベントが発生する。斜め前の母ザルが床にプラスチック容器を置き子ザルを抱えて「ニャオニャオ!」言っている。これは猫の鳴き声を真似しているのではない。「尿尿!」と言っているのだ。小便イベント発生だよ!座席の床で子ザルに小便をさせているのだ。ちなみに車両のトイレは空いています。

ここは道徳発祥の中国なので道徳上はここでトイレへ行くように注意しなければならないのですが、自分には母ザルを諭す中国語力はないし、外野の乗客に「小日本のくせに生意気だぞ!」「ここは中国だから中国人が何しようと自由だろ!ボケ!」と言われて袋叩きにされてしまいます。黙って静観するしかありません。

大人の事情で画像処理で、子ザルが床に小便するのかと思っていたら、床に置かれた容器に大きなコーヒー豆が・・・。小便でなくウンコでした。床に小便の光景は何度も経験しているが、床にウンコは初めてであった。母ザルは何事もなかったように子ザルの尻を拭いているが日本でやったら非難されるだろうし、アメリカなら児童虐待で刑事事件になってしまう。

母ザルはウンコ容器を紙で覆い何事もなかったかのように座席下へ追いやる。乗務員が定期的に車内清掃をするが乗務員も大変だ。ただでさえ床にゴミをポイ捨てされるのに、さらにウンコ地雷を仕掛けられるのだから・・・。地雷を踏んだら大変だ。いや、この場合は手袋越しで地雷を持つのかもしれない。

14:05頃、乗務員がホウキとチリトリを持って清掃を始めウンコ地雷を回収する。もちろん、ウンコ地雷とは知らずに回収していった。中身を知ったら激怒だろうな・・・。まあ、ウンコは回収されなくなった。今日も正常運転の中国だが孔子や孟子は泣いているだろうな。こちらもこんな中国を見せられて泣きたくなるわ!道徳の国「中国」はどこへいった?

16:15頃、平頂山西に到着してウンコの母ザルたちが下車する。これで平和になったかと思ったが、その考えは甘かった。新たに乗車してきた隣のガキが曲者であった。ガキが床に唾を吐くのだ。小学生ぐらいのガキなのに行動が完全に農民工のおっちゃんと同じだ。河南省が農民工供給地と知られているとはいえ、これはいくら何でもひどすぎる。子供の頃から床に唾を平気で吐くようになるとは・・・。

大人の事情で画像処理龍門石窟を過ぎて関林到着直前になり下車の準備をしていると近くのガキが通路にゲロを吐いた。周囲にゲロの臭いが立ち込めてきたのでデッキへ移動する。もちろんゲロは乗務員が掃除をします。ガキの親はゲロ掃除なんてしません!若手の乗務員が先輩乗務員の指示でゲロ掃除です。駅到着の忙しい時にゲロを吐かれるなんて気の毒としか言いようがありません。

関林(洛陽)到着

関林17:56頃、関林に到着。駅前にはボリタクが多数待機しており獲物を狙っている。

96路

53路ボリタクは無視して、ここから96路のバスに乗車して太康路龍門大道口東で下車して、100mほど歩いて龍門大道太康路口から53路のバスに乗り換えて、18:45頃、老集で下車して5分ほど歩く。

洛陽易家国際青年旅舎今回の宿は洛陽での定番ユースホステルの洛陽易家国際青年旅舎だ。駅近くの招待所とかの安宿にも突撃しろよと思っている人もいるかもしれないが、このユースホステルは立地条件、設備がそこそこよいの他を開拓する気が起きないのだ。何といってもネットが速いのが魅力だ。1泊35元(会員料金)の6人ドミトリーに6泊する。ユースホステルの会員カードが期限切れになっていたので50元で新しく作り直す。

ここで東北三省、北朝鮮国境への準備を整えるのだが、パスポートのオンライン登記で問題が発生する。何やら前回宿泊した時の情報が消えておらず登記ができないという。要するにチェックアウトの情報を入れ忘れて去年からずっと宿泊していることになっていたらしい。で、前回の宿泊情報を消して登記し直す。というか、半年以上も日本人が宿泊していて公安から問い合わせの連絡が来ないのか?

洛陽夜市19:30頃、夕飯食べに洛陽での行きつけのイスラム食堂へ行くが潰れて米粉屋に変わっていた。仕方がないので夜市を見物しながら別のイスラム食堂へ。

洛陽夜市夜市も色々とあるのだが、どうもボラれそうな気がするので利用したことがない。

牛肉烩麺もう1軒のイスラム食堂で牛肉烩麺(7元/約140円)を食べる。烩麺は河南省の麺料理で幅広麺になる。

ビールとか食後はスーパーマーケットの丹尼斯(Dennis)でサントリーのビール500ml(2.9元/約58円)と処分品のパン(3.5元/約70円)を購入する。ユースホステルへ戻りアマゾン中国でロンリープラネット山西、東北三省、内蒙古、蒙古の4冊を注文しておく。アマゾンだと新華書店で定価購入するより60元ぐらい安く買えた。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19.4元
宿泊費 210元 1泊35元(会員料金)×6
ユースホステル会員カード 50元
鉄道 53.5元 硬座 襄陽→関林
バス 2元 路線バス
ガイドブック 171元
合計 505.9元

湖北省旅行記~鐘祥・武漢

沙市→鐘祥

hubei24707:00前に宿を出てバス停で1,101,102,103路のバスを待つ。103路バスが来たので乗車して沙市汽車客運中心へ向かう。一医で下車して 07:30頃、沙市汽車客運中心に到着する。

hubei248鐘祥行きの切符を買い08:20発のバスに乗車するが、まだ乗客は自分だけだ。08:00を過ぎてようやく乗客が増えてきて08:20頃に満席ではないが出発する。

hubei249荊州古城の脇を通り207国道を北上する。料金所を通過すると道路左側に紀南故城の石碑を発見する。荊州古城の北に紀南故城があるのは知っていたが、これなら荊州古城内でレンタサイクルを借りて訪れることが十分可能だ。荊州古城からは998路のバスも通っているので簡単に訪れることが出来るだろう。11:50頃、鐘祥汽車客運中心に到着する。すぐに宿探しを始めてバスターミナル近くの龍門客桟に宿泊することにする。

鐘祥汽車客運中心

hubei25012:10頃、再び鐘祥汽車客運中心を訪れる。

hubei251まずはバスの運行状況を確認するが時刻表は特に見当たらず運賃表のみある。まあ、ちゃんと運賃表があるだけましだろう。

hubei252鐘祥汽車客運中心は見る限りまだ新しいバスターミナルのようだ。路線バスのバス停も「新車站」になっている。但し、まだ新しくちょっと町外れ にあるので餐厅は少ない。宿は比較的新しい安宿や賓館が周辺にかなりあった。これから周辺が発展していくのだろう。

世界文化遺産 明顕陵

hubei253鐘祥汽車客運中心での調査を終わらせて鐘祥での最大の目的地である明顕陵へ向かう。

hubei254明顕陵は鐘祥市東北の純徳山に位置しており、明の嘉靖帝の父である恭叡献皇帝朱祐杬と母である章聖皇太后の合葬墓である。2000/11/30にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。

hubei255湖北省の世界遺産といえば普通は武当山なのだが実は鐘祥にも世界遺産があるのだ。とりあえず、大体の場所は分かっているので徒歩で向かう。途中で莫愁湖の湖畔を歩いていると6路のバスが通り過ぎる。

hubei256事前の調査では2007/10/1から6路のバスが運行開始というのを知っていたが本当に運行していた。(元ネタ) 中国だから予定は未定だと思っていたが・・・。

hubei25713:30頃、明顕陵の入場券売場に到着する。入場料は50元だ。入場券売場から更に400mほど歩くがバ イクタクシーや線香売りのおばちゃんがしつこい。

hubei258入口の新紅門を通り奥へ進む。世界文化遺産なのだが平日とはいえ観光客がほとんどいない。ほとんど貸切り状態に近い。

hubei259陵墓のある明楼まで来てようやく観光客に遭遇した。世界文化遺産なのにこれほど空いているとは・・・。

hubei260明楼を見物して陵墓を一周してから戻るときになりようやく団体客が現れ観光地らしくなったのだが外国人は自分だけだ。

hubei261まあ、明顕陵を訪れる外国人はまだまだ少ないだろう。完全に穴場と化している。ロンプラや歩き方に紹介されれば状況は変わるかな?

hubei262明顕陵の入場券(表)

hubei263明顕陵の入場券(裏)

鐘祥駅

hubei26415:00頃、6路のバスで鐘祥市内へ戻る。とりあえず、終点まで行ってみるが途中の四医院で2路に乗換えれば鐘祥汽車客運中心と鐘祥駅へ行くことが分 かった。終点の承天広場から市内を歩きながら2路のバス停を探す。2路のバスに乗車してバスターミナルの新车站を経由して火车站へ向かう。

hubei265火车站に到着するとまだ新しい鐘祥駅があった。切符も販売しており宜昌、漢口への切符が買える。これは当然ながら明日の漢口行きの切符を購入する。明日は武漢に戻るのだ が漢口駅には子供のスリたちがいる。1度は捕まえたとはいえ明日も懲りずに盗もうと狙ってくるだろう。明日は厳戒態勢で漢口駅へ向かうことになる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 7元
宿泊費 15元
鉄道 28元 鐘祥→漢口
バス 4元 路線バス
バス 35元 荊州→鐘祥
明顕陵 50元
合計 139元

N342次、硬座で鐘祥→漢口

hubei26608:20頃、宿を出て2路のバスで鐘祥駅へ向かうがバスに肥料袋に荷物を詰めた農民工が多数乗車してくる。農民工が多数乗車してくるのは構わないのだが肥料袋を大量に持ち込んでくる。おかげで車内は荷物置き場と化し後から乗車してくる客が文句を言っている。

hubei267鐘祥駅に到着すると駅前に武漢の漢口、武昌へ行くバスが停車している。列車で武漢の漢口へ行く客をバスの客にするつもりのようだ。客引きも気合が入っており鉄道からバスに変える客もいる。因みに漢口、 武昌までのバスの運賃は30元でかなり安い。

hubei268バスターミナルだと武昌までの切符は53元で鉄道だと閑散期の割引で28元だ。鉄道とも十分競える運賃設定だが、バスターミナルからの運賃との差が大きすぎる。バスターミナルを利用しないという理由で安いのは分かるがこの運賃の差はどういうことだ?

hubei269鐘祥駅の侯車厅で改札を待つが、実は鐘祥駅には三品検査が無かった。どういうことかというと、入口での荷物検査が無いのだ。どこの駅(ド田舎の一部は除く)でもX線の検査機があるのだが鐘祥駅には無かった。

hubei270新しく立派な駅舎なのにどうして三品検査が無いんだ?これだと農民工が危険物を平気で持ち込むかも しれないのだが・・・。09:40頃、改札が始まりホームへ出る。

hubei271どうしてそんなにでかい荷物を持っているんだ?

hubei272肥料袋(荷物袋)を担いだ農民工や見た目は都会人の人民、軍人など多数の乗客がホームへ出るが車両に停車位置が表示されていない。これで、到着時に誰も並ばないのが確定した。列車が到着し我先にと並ばず乗車する人民に混じり乗車する。

hubei273定刻どおり09:58に鐘祥を発車して漢口へ向かう。車内では田園風景を眺めながらGPSで速度や位置を確認するが、隣の爺さんがGPSを覗き込んでくる。爺さんはGPSが珍しいらしいが、これが何かは分からないだろう。それにしても、どうして田舎の中国人はGPSやデジカメを使っていると覗き込んでくるんだ?上海や北京では覗き込んでくるのはいなかったのだが・・・。田舎だ とGPSはともかく、まだデジカメですら珍しいのか?

hubei27412:15頃、漢口駅に到着する。

hubei275予定だと1219着なので少し早く到着だ。

南京行きの切符を購入

hubei276改札を出てまずは售票厅で11/30の南京行きの切符を購入する。售票厅は混雑していたが並んでから5分もかからず順番が来たが、ここで姉ちゃんがすかさず割り込んでくるので「並べ」と言って撃退する。

hubei277他の窓口でも割り込んでくる民度の低い馬鹿どもが駅員に説教されたり、冷たくあしらわれて追い返されたり、並んでいて割り込まれた中国人の逆鱗に触れて怒鳴られたりしている。

售票厅では中国人の中にもちゃんと並ぶ人から意識改革が出来ず時代に取り残された民度の低い馬鹿まで今の中国を象徴するさまざまな種類の人を見ることが出来る。ある意味で中国の縮図といえるかもしれない。

やはり漢口駅には子供のスリがいた

切符を購入してバスに乗るのだがあの場所を通ってみると彼奴がいた。そう、あの1度は捕らえたウイグル系の子供のスリだ。しかも、大人たちと話をしている。やはり、仲間がおり組織化されているようだ。平日の昼間に漢口駅にいるということは当然ながら学校には行っていないのだろう。どう見てもまだ義務教育の年齢なのだが・・・。

ここで写真を撮りたいところだが面が知れているので気付かれると殺される可能性もあるので素通りする。武漢の公安は一体何をしているのだろうか?漢口駅にスリをのさばらせたままにしているとは・・・。武漢の公安は腐っているのか?

再び武漢探路者国際青年旅舎へ

14:30頃、再び武漢探路者国際青年旅舎へやって来た。武漢には他にも2軒のユースホステルがあるようだが一番料金が安いのが武漢探路者国際青年旅舎なのでここに戻ってきたわけだ。そして、宿の人も覚えていてくれて「荊州から帰ってきたの?」と声をかけてきた。部屋もベットも前回と同じだ。当然、この後の行動はシャワー兼洗濯といつものパターンだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11.5元
宿泊費 105元
鉄道 113元 硬座 漢口→南京
バス 3.7元 路線バス
合計 228.7元

フェリーで長江を渡ってみる

hubei27812:30頃、亀山公園の魯粛墓を見物しようと出かけるが色々調べてみると亀山公園の入場料は15元で以前は3元だったとか・・・。100体ぐらいあった 三国志の武将像は景観の問題でほとんどが撤去され見るものがほとんど無いという。魯粛墓も衣冠塚だし・・・。とりあえず、中華路まで出てきてみた。

hubei279対岸に 亀山公園が見えるがここでフェリー乗り場を発見する。対岸へ向かうフェリー、この場合は渡し舟の方が似合っているかな?まあ、とにかくフェリーが出ているので乗船してみることにする。

hubei280運賃は1元だが切符売場には乞食が待機している。「ここは社会主義国なのにどうして乞食がいるのだろう?」と疑問に思うが、 切符売場で5元札を出し切符とお釣りの4元を受け取る。ここで乞食がお碗を出して必死の訴えをするが、当然ながら銭をやるほど心が広くない。

むしろ中国で鍛えられ人間不信のひねくれた人間になった自分は乞食たちに1元札がしっかり見えるようにゆっくり釣銭を数えてお碗に1元札を入れる期待を持たせてからしっかり釣銭をポケットに入れる。我ながらここまで心の狭い人間になったかと認識する。

武漢港

hubei281フェリーで対岸へ向かうが亀山公園の辺りに行くかと思ったら少し下流の埠頭へ向かう。下船して周辺を探検するがすぐ近くに武漢港があった。武漢港と言っても港だけでなくバスターミナルもありバスも結構ありそうだ。

hubei282武漢港

hubei283乗船券売場

再びフェリーで長江を渡る

hubei28415:15頃、武漢関碼頭に戻りフェリーに乗船する。

hubei285運賃が1元なので船内はそこそこ混雑している。

hubei286こういった庶民の足の船は香港のスターフェリー以来 だ。いや、四川省の楽山大仏を見に行った時にも乗っていたな。でも、あれはフェリーと言うよりも本当に渡し舟だったな。

hubei287フェリーが出港し10分ほどで対岸へ到着する。

hubei288今日の行動はフェリーに乗ったのと武漢港を調べたので終わりとする。

hubei289帰りに処分価格のバナナを500g1元で1kg購入して夕飯の一部にする。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 9.7元
フェリー 2元
合計 11.7元

宿に籠もる

今日は宿に籠もってHP作成だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 8.5元
合計 8.5元

湖北省旅行記~荊州

監利→石首

hubei18407:20頃、宿を出て監利汽車客運站で石首行きのバスに乗車する。

hubei185石首には劉備と孫権の妹、孫尚香が結婚した場所である繍林山がある。三国志演義では甘露寺で挙式を行ったことになっているが実際は繍林山らしい。07:40になり監利汽車客運站を出発する。今回は珍しくバスが清潔で快適だ。しかも、いつもなら時間になってもある程度客が集まらないと出発しないのだが客が自分を含めて数人なのに出発した。

hubei186途中で客を拾いながら走り客が徐々に増えてくる。09:30頃、石首の三義寺汽車渡口に到着する。ここからカーフェリーで長江を渡るのだが30分ほど待つことになる。ちょうどフェリーが出た後でした。

hubei187フェリーの順番を待つ車列。

hubei188長江を渡り石首の城区へ入りすぐに石首汽車客運站に到着する。石首では繍林山だけしか見ないし、まだ時間も早いので荷物をどこかに預けていく ことにする。バスターミナル内に「寄存包」の看板を見つけバックパックを預ける。料金は3元だ。

繍林山

hubei18910:30過ぎ、石首汽車客運站から繍林山へ向かうが事前調査で分かっているのは石首市第一中学の裏山という事だけだ。とりあえず、バスターミナル前の建設路を西へ歩いてみるが途中で道が細くなり南へ向かっている。

繍林山は長江沿いにあるから北へ行かないと駄目な気がするので別の道を探す。中山路へ出て北 へ向かうと建設路に戻ってきた。周辺を歩いてみると石首汽車客運站の西にあるロータリーから皇叔街が北へ伸びているのを発見する。皇叔街とは、如何にもという通りの名前だ。近くには三義街もあるし怪しい。

hubei190皇叔街を北へ進みT字路を左(西)へ進むと学校が見えてきた。石首市第一中学に到着だ。裏山が繍林山なので石首市第一中学の脇の道を北へ進むと繍林山の麓に辿り着き山を登る階段があったので登ると繍林山公園の入口に到着する。

hubei191入口は閉まっていたが管理人がいたので入場料1元を支払い中へ入る。11:30頃、山頂に到着し孫尚香像を発見!石首での目的は達成した。

石首→荊州

hubei192昼頃、石首汽車客運站に戻りバスの運行状況を確認する。

hubei193荊州行きのバスは40分間隔で出ているようだ。因みに荊州は沙市とも呼ばれており沙市は荊州の新市街を指しているようだ。これなら今日中にこのまま荊州へ行けるので切符を購入しようとするが窓口ですぐに出発するから乗ってから切符を買うように言われる。

hubei194預けておいたバックパックを回収して荊州行きのバスに乗車するが乗車時に運ちゃんに荊州まで幾らか聞くと「荊州まで20元だよ」といわれる。バスターミナルには28元と表示があったので不思議に思っていると「切符を買うと28元で乗ってからだと20元なんだよ」といわれる。なぜかバスターミナルで乗車しても先に切符を買うのと車内で支払うので運賃が違うとは・・・。このバスだけだろうか?謎だ。

12:20頃、石首汽車客運站を出発し再び三義寺汽車渡口から長江を渡るが長江を渡っている間に運ちゃんたちが弁当を食べているが食べ終わって空容器を長江へ投げ捨てた。中国では既に弁当の容器は生分解性プラスチックの為にポイ捨てしても大丈夫なようだ。さすがリニアなど最先端技術を導入している中国だ。ゴミのポイ捨てをしても自然に分解されるので問題無しのようだ。

日本も中国を見習わなければ・・・。そんなわけ無いだろっ!どうして、ゴミのポイ捨てをするんだ!弁当の容器は発砲スチロールだぞ。石油製品が生ゴミと違うのを中国人は理解しているのか?長江を渡り15:30過ぎに荊州古城内の荊一客中心車站に到着する。

江夏旅社と荊一客中心車站

hubei195まずは宿を探さなければならないのだがバスターミナル近くの江夏旅社に泊まることにする。1泊30元で珍しくトイレ付きだ。登記の際にパスポートを提示するが老板は何故か日本人と気付かず、「どこから来た?」と聞いてくるので「日本から来ました」と答えてようやく目の前に日本人がいることに気付いた。パスポートにちゃんと「日本国」と漢字で書いてあるのにどうして気付かないのだろう?

hubei196そして、今までの宿と同じように「パスポートの見方が分からない」「身分 証番号(身份证号码)はあるの?」とか聞いてくるのビザの欄を見せて「ビザの番号(签证号码)があります」と言って問題は解決する。登記の際に老板は签证 号码だけ控えていた。日本のパスポート番号を控えるより签证号码の方が信用力があるようだ。

hubei197荷物を置いて早速出かける。まずは荊一客中心車站でバスの運行状況を調査してみる。荊一客中心車站からは主に湖北省南部への路線が集中していた。

hubei198荊一客中心車站

hubei199荊一客中心車站

hubei200荊一客中心車站

関帝廟

hubei20116:30頃、関帝廟に到着する。荊州古城の関帝廟は関羽の邸宅跡に建立された廟だ。明の洪武29年(1396)に建立され、1987年春に再建された。

hubei202関帝廟

hubei203関帝廟

hubei204関帝廟

hubei205廟内には立派な関羽像があり、さすが荊州の関帝廟と三国志ファンを喜ばせる立派さだ。そして何よりも珍しく建物が立派なのに入場無料という貴重な観光地だった。

荊州古城南門

hubei206

hubei207

hubei20816:40頃、関帝廟の正面にある南門を見物する。荊州古城の城壁は明・清代の物だが南門を見る限りは城壁の保存状態は良さそうだ。荊州古城の城壁は全長9.3㎞になるようなので明日以降城内を散策してみよう。

hubei209南門を見物後は昼食兼夕食を食べて散歩するが古城内は古い路地から新しいビルまであり新旧入り乱れた形になっている。

hubei210どうせなら古城内は全て明清街にして観光地化したほうがよいと思うのだが・・・。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11.5元
宿泊費 30元
バス 20元 石首→荊州
繍林山公園 1元
荷物預かり 3元
合計 65.5元

新東門と公安門

hubei21108:00過ぎに宿を出て荊州古城内の探検に出発する。まずは荊州古城南東にある公安門を目指す。公安門は当時の荊州城で唯一の水門であり荊州の南にある 公安県から劉備が荊州を訪れる際に、いつも船で水門を通っていたので公安門と名づけられた。公安門へ行く途中で新東門を見物する。新東門は道路を通すために作られた新しい門のようだ。

hubei212城壁沿いに南へ歩き08:30過ぎ、公安門に到着する。公安門の内側には刑務所があるので門外からの撮影だけにして退散する。

hubei213公安門周辺の城壁

張飛一担土

hubei21409:00頃、公安門の対岸にある張飛一担土に到着する。

hubei215張飛一担土は民間伝承で関羽と九仙女が築城競争をすることになり、関羽は城の東、九仙女は城の西 を築城する事になった。競争を知った張飛は公安から関羽の応援に土を担ぎ駆けつけたが既に関羽が競争に勝っており張飛は担いでいた土を捨てた場所が張飛一担土となった。張飛一担土に来てみたが小山というより草木が生えているだけで気付かない可能性が高い。

hubei216近くに一担土山庄の看板があるので何とか場所の特定は出来た。

東門

hubei21709:30頃、東門にやって来た。この辺りは観光地化されており土産物屋もあり観光客も見られる。城壁の入場料は20元でちょっと強気の料金設定だ。東門から次は小北門へ向かうが小北門はそれほど大きくは無かった。

hubei218蔵兵洞

hubei219ここからは城壁沿いに歩き途中で城壁に登り大北門へ向かう。

得勝橋と大北門

hubei22011:00頃、大北門に到着するが、まずは城外の得勝橋から見物だ。得勝橋は関羽が荊州城へ凱旋するときに通った橋だ。

hubei221石碑や橋は新しい物だが立派な三国志遺跡だ!

hubei222橋の傍では青空床屋が営業中で平和な光景だ。

hubei223北大門へ戻り見物するが城壁へ登るのは入場料10元になっているので下から見るだけにするが、ここで意外な物を発見する。

hubei224旧日本軍が「大日本バンザイ」と 城壁に刻んだ跡が残っているのだ。荊州にまで旧日本軍が来ていたとは驚きだ。説明には「大日本帝国万岁」と刻まれているとあるが見る限り「大日本バンザイ」と刻まれているだが・・・。帝国なんて文字はないぞ!説明が間違っているぞ。

hubei225

三国公園、荊州博物館

hubei226北大門に続いて三国公園、関公削骨療毒地を訪れる。三国公園は有料なので入口から見える劉備、関羽、張飛の像を見るだけにして荊州博物館へ向かう。

hubei227関公削骨療毒地

hubei228関公削骨療毒地

hubei22911:30頃、荊州博物館を訪れる。入場料が30元と高いが見ていくことにする。

hubei230館内は撮影禁止なのだが展示物に前漢の銅祖とかいう秘密の宝貝が展示されていたのでこっそり撮影する。房中術の必須アイテムだったようだ。

hubei231そして、荊州博物館の目玉の前漢文帝の頃のミイラを見物する。ミイラといっても干乾びておらず新鮮な状態で展示されている。とても紀元前167年のミイラとは思えない。ちゃんと脳や内臓も摘出され一緒に展示されていた。

何も知らずに「現代人の死体」と言われれば何も疑わないだろう。それほど保存状態がよいのだ。撮影禁止で警備が厳重なので撮影できなかったのが残念だ。残念ついでにもうひと つ。外にある関羽像の青龍偃月刀が破損していた。

卸甲山

hubei23213:45頃、新南門に到着する。ここで城壁に卸甲山と書かれているのを発見する。卸甲山は関羽が甲冑を脱いだ場所らしい。

hubei233近くにある説明書きには城内に 卸甲山、松甲山、擲甲山があり荊州三山と呼ばれているらしい。卸甲山は山というよりただの城壁なのだが城楼が建設中で卸甲山を整備して観光地化する計画のようだ。

hubei234新南門

荊州は物価が安い

荊州に来てみて思ったのだが物価が安いのだ。店にもよるが炒飯が3元でも十分量がある。バナナは500gで1.5元が相場のようだ。ミカンは最安で500gが0.4元というのがあった。最近の中国は物価上昇が著しいが久しぶりに物価が安いと実感した。

謝家橋一号墓

hubei235宿に戻りテレビを見ていると荊州電視台で沙市にある謝家橋一号墓の発掘の様子を特番で生中継していた。昨日のニュースで知ったのだが謝家橋一号墓は秦漢の頃の墓のようだが、かなりの大発見らしい。遺跡には見物人が押し寄せ武警が警備するほどになっている。

hubei236特番でも武警だか軍のお偉いさんらしき人まで出ている。地元のテレビ局とはいえ遺跡の発掘を特番で生中継するのは凄い。日本では考えられない。地元の新聞も写真をカラーで紹介しているほどだ。宿の老板までこの話をしてくるし田舎とはいえ荊州は市区で100万人以上の人口を抱える都市、荊州市民は考古学に大きな関心があるようだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 9元
宿泊費 30元
荊州博物館 30元
合計 69元

沙市駅へ行ってみるが

hubei23708:30頃、市委から18路のバスで沙市駅へ向かう。荊州にも鉄道が通っているのだが時刻表には載っていないので列車が運行されているかは分からない。そこで、現地へ行き沙市駅の現状を確認してくることにする。10:15頃、沙市駅に到着するが目に前には100万都市の荊州の鉄道駅とは思えないほどの小さな田舎の駅があった。どうやら、貨物列車しか運行していないようだ。

hubei238一応貨物列車が停車していた。

hubei239ただの田舎の駅だった。

沙市汽車客運中心

hubei24011:00頃、沙市区の中心付近にある沙市汽車客運中心を訪れる。沙市汽車客運中心は沙市長途汽車站と並ぶ沙市区の主要バスターミナルだ。

hubei241沙市区には他にも大橋客運站などいくつかバスターミナルがあるが沙市汽車客運中心だけで十分間に合う。

hubei242沙市長途汽車站も十分使えるのだがちょっと建物が古いので新しい沙市汽車客運中心の方が便利だろう。

hubei243荊州古城内はいくつかバスターミナルがあったようだが今では荊一客中心車站しか見当たらない。

hubei244他のバスターミナルは城外へ移転させられているようで荊一客中心車站も城内に残るかは不明だ。因みに荊一客中心車站は江陵車站とも呼ばれている。

フェリー乗り場を探してみるが

hubei245夕方にフェリー乗り場を探しに長江へ行くが対岸への渡し舟は見つかったが武漢、重慶、上海へ向かう船の售票厅が見つからない。土手沿いに歩いていると售票 厅を見つけるが誰もいない。どうも、移転したみたいだ。フェリーが運行しているかの確認は結局出来なかった。

hubei246宿に戻りテレビを見るが、荊州電視台では昨日 に続き、謝家橋一号墓の特番をやっていた。新聞とかだと荊州博物館に展示されている前漢のミイラが発掘された鳳凰山168号墓よりも重要な発見になるかもしれないとか。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11元
宿泊費 30元
バス 7.5元 路線バス
文房具 0.8元
合計 49.3元

湖北省旅行記~赤壁古戦場

D149次、2等座で武昌→赤壁

hubei13309:20過ぎに武漢探路者国際青年旅舎をチェックアウトする。バスで武昌駅まで行くことも考えたがバスが混んでいそうだし駅が工事で渋滞が酷そうなので徒歩で向かうことにする。約2㎞の道程を30分程かけて10:00前に武昌駅到着。

hubei134武昌駅は工事中だが侯車室は工事中の駅舎の中にある。まだ工事が終わっていない駅舎を普通に使うとは何でもありの中国は凄い。和諧号専用の侯車区で時間まで待つのだが椅子がいつもと違って高そうな椅子がある。

hubei135和諧号の乗客は 扱いが違うようだ。10:35頃に2番ホームへ向かい乗車する。

hubei136今回の列車はCRH1だ。初めて乗車するCRH1だが車内はずいぶんゆったりしている。さすが高い運賃を払っていることだけはある。

hubei137車内は今まで乗車して来た列車とは別世界。

hubei138こちらは一等座。更に上の自分が立ち入ることのできない世界だ。

hubei139興味津々で車内を見るのだが各座席には雑誌とCRH1のサービスマニュアルとCRHのロゴが入ったゲロ袋がある。マニアにはたまらない品々だ。

hubei140ゲロ袋とサービスマニュアル

hubei141雑誌に載っているのはCRH2だった・・・。

hubei14210:53定刻どおり武昌駅を発車するが加速力に驚く!この加速力は中国では初めて体験する加速力だ。数分で100㎞/hを超えて200㎞/hまで出すかと思ったら160㎞/hまでしか出さない。しかも、車内の揺れが激しい。日本の新幹線はここまで揺れは酷くなかったのだが中国ではまだ許容範囲内なのか?

もしかして、160㎞/hでこの揺れだから200㎞/hは出せないのだろうか?せっかく高い切符を買ったのにがっかりだ。これではCRHを走らせる意味が無いし、特快を走らせるだけで十分じゃないか!

hubei143不満が残る中で検札が始まるがミネラルウォーターを一緒に配っているではないか。確かチベットのミネラルウォーターを配っている筈だ。乗客は目の前にミネラルウォーターという餌があるために率先して切符を出している。今まで検札では乗客は嫌々切符を出していたがこういう時は別なようだ。

hubei144CRH専用です。

hubei145積まれていたミネラルウォーター。

hubei14611:56定刻どおり赤壁に到着する。

hubei147赤壁駅からは2路と4路のバスで市内へ行くことができるが2路のバスで市内へ向かう。

赤壁古戦場

hubei1482路のバスで長途車站で下車するはずだったが乗り過ごし徒歩で戻ることになる。おまけにバスターミナルが見つからないので、13:00頃、とりあえず市中心部にある赤壁招待所に1泊することにする。すぐに赤壁古戦場へ向かうべく城西停車場を探す。13:20頃、城西停車場を見つけ赤壁鎮行きのバスに乗車、客が集まり発車して1420頃、赤壁鎮に到着する。

hubei149正面には牌坊が2つあり古い牌坊をくぐり進むと入口に到着する。

hubei150入場料は40元で迷わず入場だ!まずは龐統が隠棲してた鳳雛庵から見物して拝風台、東風閣、赤壁大戦陳列館と見物していく。ここは鳳雛庵。龐統が隠棲してた場所。

hubei151拝風台

hubei152東風閣

hubei153赤壁大戦陳列館

hubei154そして、出来の悪い周瑜像の後に赤壁を見物する。

hubei155赤壁

hubei156対岸には烏林があるが明日は烏林へ行くつもりだ。赤壁の文字を見ることが出来て目的達成だ。帰り際に周瑜像をもう一体発見!こっちの方が遥かに出来が良いではないか。

hubei157それに桃園結義の像まであり、ちょっと赤壁の戦いから外れているが三国志ファンには満足できる場所であった。

hubei158赤壁市へ戻るバスに乗車するが運ちゃんが覚えていたようで「1時間で戻ってきたの?早いね。」と話しかけてきた。確かに1時間で見て回ったのは早かったと思う。

洪湖行き切符を購入

hubei15916:30頃、城西停車場に到着する。次は長距離バスターミナルを探さなければならないが車站路を歩いていたらすぐに浦圻客運站が見つかった。明日の洪湖行きの切符を購入する。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 12元
宿泊費 20元
バス 1元 路線バス
バス 16元 赤壁市⇔赤壁鎮
バス 17元 赤壁→洪湖
赤壁名勝風景区 40元
切手 32.4元
合計 138.4元

赤壁→洪湖

hubei16007:20頃、赤壁招待所を出て浦圻客運站へ向かう。洪湖行きバスに乗車して発車を待つ。

hubei16108:15にバスが発車して09:30頃、赤壁鎮に到着する。

hubei162ここでバスはフェリーに乗るために1時間ほど待つことになる。

hubei16310:45頃、フェリーで対岸へ向かうが、何とフェリー乗り場から赤壁が見られた。しょぼい周瑜像とか見る必要のない人にとってはフェリー乗り場で赤壁見 物をするので十分だろう。

hubei164フェリーからも赤壁が見えます。

hubei165昼前に洪湖汽車客運站に到着して、バスターミナル前の広順招待所に宿泊することにする。1泊30元だが部屋は広く綺麗だ。

烏林へ行こうとするが

hubei166昼過ぎに洪湖汽車客運站でバスの運行状況を確認する。

hubei167そして、今日の目的は烏林古戦場へ行くことだが赤壁のフェリー乗り場の北にあることが分かっており、フェリー乗り場まで戻れば何とかなる。

hubei168洪湖へ行く途中に2路のバスとすれ違っていたので2路のバスで近くまで行けそうだ。洪湖汽車客運站から1路のバスに乗車して老洪中で2路のバスに乗換えて終点の四屋門へ向かうが、ここで予想外の事態に遭遇する。
hubei169終点の四屋門に到着したが烏林まで約10㎞、フェリー乗り場まで約5㎞もあった。仕方ないのでそのまま道沿いに歩いていくが烏林行きや黄蓬行きのバスが通り過ぎる。

hubei170このバスに乗れば烏林へ行くことができるが、とりあえずフェリー乗り場のある胡范まで歩いてみる。胡范で黄蓬行きのバスに乗車して烏林へ向かうが途中で道路左に烏林村の入口を発見するがそのまま終点まで行ってみるがこの判断は間違いであった。14:00頃、終点の黄蓬に到着して近くの川沿いに烏林村のある西へ歩いていくが途中で犬に何度も吠えられるし道は悪いしGPSで烏林村の入口へ向かうが疲れるだけで散々な目にあった。

烏林古戦場

hubei17115:30頃、ようやく烏林村の入口に辿り着いた。

hubei172烏林村の入口。

hubei173烏林村へ入っていくとまずは烏林寨の石碑を発見!ここが烏林古戦場だ。しかし、曹操湾の石碑が見つからない。周辺を歩き回ったがそれらしい石碑は全て墓石だった。こうなっては人民に聞くしかないので烏林寨の石碑近くで聞き込み開始!

hubei174おばちゃんに聞いてみると「すぐそこ!」というので指差す方向へ行くと曹操湾ではなく曹公祠があった。

hubei175曹操湾ではなかったが、十分な収穫だ。そして、烏林村は曹さんが多いことも判明する。村の掲示板に戸口(戸籍)に関する掲示があり、ほとんどが曹姓であった。これは偶然か?それとも曹操との関係があるのか?曹操湾については聞き込みをしても「曹操廟はあっち!」とか言われ曹公祠ばかり案内される。

発音が悪いから通じないのだろうか?16:00を過ぎて夕 方になっているのでバスがなくなると困るので洪湖へ戻ることにする。帰りは嘉魚からバスに乗車して洪湖に戻るが嘉魚の他にも老湾、龍口へ行くバスも烏林村の前を通ることを確認した。洪湖汽車客運站で明日の監利行きの切符を購入して準備を整える。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 9.6元
宿泊費 30元
バス 3元 路線バス
バス 4元 烏林→洪湖
バス 22元 洪湖→監利
合計 66.6元

洪湖→監利

hubei17607:05頃、宿を出て洪湖汽車客運站で監利行きのバスに乗車する。07:30過ぎに出発し監利へ向かう。途中で濃い霧の中を走り09:30頃、朱河鎮を通過する。朱河鎮を通過すると次は上車湾鎮だ。上車湾鎮に今日の目的地の華容古道がある。北へ進み上車湾鎮に入りT字路を左折、西へ向かう。このT字路が紅南橋で華容古道を探す際の目印だ。

hubei177紅南橋から西へまっすぐ進み10:30頃、監利汽車客運站に到着する。すぐに宿を探し楚天飯店に1泊することにする。 宿代は20元だが登記無しだった。洪湖でも登記無しだったし、この辺は公安の監視が甘いようだ。

華容古道

hubei178監利汽車客運站から三洲行きのバスで上車湾鎮へ向かうがわざわざバスターミナルからバスに乗る必要は無かった。バスターミナル前の容城大道から朱河、尺八、剅口など上車湾へ行くバスが頻繁に出ていた。上車湾でバスを降りて徒歩で紅南橋へ向かう。なぜ、紅南橋までバスで行かないのかと思うだろうが、事前調 査で道路沿いに華容古道に関する史跡がありそうな雰囲気だったので上車湾から紅南橋まで歩いてみたが関廟村とか気になる名前の村があったが特に何も無かった。

ちょっと時間をロスしたが昼頃、紅南橋から東へ進み途中で北へ向かう。まずは太平橋を探す。因みに今日の目的地の華容古道は赤壁の戦いで敗走した曹操 が通った道だ。太平橋の大体の位置は分かってはいるが詳細は不明のままだ。GPSと手書きの地図を頼りに歩き途中までは地図通りに進むが、やはり道に迷っ た。華容古道の近くに来ているのは分かっているが太平橋へは辿り着けない。

太平橋には華容古道の石碑があるらしいのだが、疲れてやる気が無くなってきたの で帰ることにする。南へ伸びる道を歩き省道へ向かう。14:00頃、前方の道路脇に怪しげな石碑らしきものを見つける。いつもなら墓石というオチなのだがよく見ると華容古道の石碑だった。

場所は太平橋ではなく曹橋村だった。諦めていた華容古道に辿り着いたのだ。どうやら知らない間に華容古道を通り過ぎてい たようだ。これでは見つかるはずが無い!早速撮影だが牛がのんびりと草を食べている。

hubei179華容古道。奥は赤壁方面。

hubei180曹操が逃げた華容古道も今では農村のあぜ道になっていた。このまま東へ行けば太平橋なのだが太平橋の石碑は断念して曹橋村の石碑で今回の目的は達成と判断して南の省道へ向かう。

hubei18114:45頃、ようやく省道に出た。最短経路の入口は紅南橋の手前の関廟村と周門寺村の間の北へ伸びるドブ川(水路)脇の道だった。

hubei182右の橋は南への道。奥が東。左が北で華容古道への道。

hubei183監利行きのバスに乗車して15:15頃、監利汽車客運站に戻る。運賃は2.5元。監利汽車客運站で明日の石首行きの切符を購入して、遅い昼食兼早い夕飯を食べに行く。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 12元
宿泊費 20元
バス 4.5元 路線バス
バス 17元 監利→石首
合計 53.5元

湖北省旅行記~武漢

N328次、硬座で襄樊→漢口

hubei11307:00過ぎに宿を出て襄樊駅へ。駅の入口では考案の身分証確認が行われていたが、汚い格好をしているとはいえいかにも旅行者の自分は何も無く侯車室 へ。いかにも「農民工です!」という人民は公安に並ばされていた。

hubei11407:45頃、改札が始まり列車に乗車する。今回はN列車(管内快速)に乗車する。 しかも2階建て車両で空調付き!座席も硬座とはいえ民工御用達の緑の車体の緑皮車とは格が違う。07:59定刻より1分早く列車が発車する。久しぶりのN 列車は快適な旅を提供してくれた。

hubei115乗客の質も多少は良いようでタバコは連結部で吸っており、痰や唾は洗面台で吐き、手鼻も洗面台で噛んでいる。ちゃんと場所を選んでしているのは進歩が見られる。

hubei11611:36に漢口駅に到着するが定刻より4分早い到着だ。

hubei117遅れるよりは良いのだが早く発車して早く到着するのは問題無しなのか?

漢口駅前で子供のスリ達に遭遇!

hubei118漢口駅から武漢探路者国際青年旅舎へ向かうべく10路のバスに乗車し青年路で584路に乗換えて螃蟹甲で下車するのだが、路線バスのバスターミナルでは 10路のバス停が見当たらない。どうやら10路のバスは漢口駅前の通りから出ているようだ。

この時に異変に気付いたのだが、左手に子供の手が当たったのだ。しかも、軍資金の入った上着の左ポケットの近くだ。スリだろうか?確証が無いのでこの時は子供をそのまま無視したが背後とポケット付近をに警戒するようにして通りに移動する際に再び左手に子供の手が当たった。この時は上着の左ポケットに子供の指先が入っていたのを確認したので捕まえる。

hubei119子供のスリは漢族ではなくウイグル系の子供だった。これで最初の子供(こっちは漢族?)もやはりスリだという事が分かった。どうやら漢口駅は子供のスリ達が活動しているようだ。で、このウイグル系の子供のスリは何か言っているが、何を言っているのか全く分からない。公安へ引き渡すために首を掴んで引っ張って行こうとすると謎の人民A(これは漢族だと思う)が仲裁に入ってくる。しかし、人民Aが何を言っているかも自分の中国語能力では理解できなかったが「子供だから許してやれ」とでも言っているのだろう。

hubei120ここであることを思い出した。子供や病人の乞 食は常に親方が監視しているということだ。このウイグル系の子供のスリにも親方がいるのだろう。そうすると、この人民Aが親方だろうか?手下が危ないので救出に来たのか?そうなると、無理に公安に引き渡そうとすると実力行使で妨害してくるかもしれないし、武器を隠し持っていることも考えられる。

こちらの身も危ないのでウイグル系の子供のスリを解放する。しかし、解放して終わりという訳には行かない。ここで撮影開始である。ウイグル系の子供のスリの後姿を撮影していると気付いて棒を持って襲い掛かってくるではないか!相当機嫌が悪いらしい。もちろん、こちらも機嫌が悪い。せっかく解放したのだ からありがたく感謝してもらわなくては困る。まあ、HPに写真を掲載するけど・・・。因みにこの時ポケットに入っていた軍資金は203元5角である。

武漢探路者国際青年旅舎

ウイグル系の子供のスリが襲い掛かってきたので漢口駅を離れ通りを歩くとバス停を発見!10路のバスも走っている。更に乗換のバス停の青年路には603路も停車する。10路と603路のバスを待っていると603路が先に来たので603路に乗車するが運賃が1.2元と中半端な運賃設定だ。青年路で584路に乗換えて螃蟹甲で下車するが雨が降ってきた。

ちょっと探すのに手間取ったが14:30頃、武漢探路者国際青年旅舎に到着する。ここは6人ドミトリーが会員 で1泊35元だ。とりあえず3泊することにして11/6以来の洗濯と体を洗うことができた。

デジカメの画像が吹っ飛ぶ

最近デジカメの調子がおかしかったのだが、またSDカードの画像が読めなくなっている。せっかくの子供のスリの画像が・・・。ファイル復旧を試みるがSD カードをセクタ単位で検索するので時間が掛かる。検索速度から見て3日で復旧できない気配だ。とりあえず今日はこれで寝る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
宿泊費 105元
バス 2.7元 路線バス
日用品 2.5元 石鹸
合計 124.2元

データ復旧諦めるが奇跡が

08:00頃に起床する。SDカードの復旧作業はまだ続いている。既に12時間過ぎたが1週間掛かりそうな作業速度だ。11:30頃、諦めてSDカードをフォーマットする。せっかくの子供のスリの画像が消えた。往生際が悪いのだが、もう一度ファイルの復旧作業を試しにしてみると・・・。

何と消えたはずのファイルが検出されているではないか!フォーマットしたのにどういうことだ!しかも処理速度も速い。ありえない奇跡が起きた。普通はフォーマットなんかしたらもう駄目な筈なのにどういうことだ?とにかくこれで消えた画像は復旧できたがデジカメとSDカードの寿命が近づいているようだ。

武漢は物価が高い

昼食を食べに出かけた際に気付いたが、周辺の餐厅ではカップ麺と同じ大きさの容器をどこも使っているのだがテイクアウト用だけでなく食べていく客にも使用している。咖喱牛肉炒饭(4元)を昼食に食べたがはっきり言って量は少ない。食器を洗うのが面倒だからという理由だけで、容器を使うのは如何なものだろう。容器はゴミになるし資源の浪費と環境破壊を引き起こすだけだ。

咖喱牛肉炒饭では満腹にならずイスラム食堂で牛肉拌面(5元)を頼んだらちゃんと皿に 盛って出てきたし量も普通だ。牛肉麺とかはここも容器に入れて出てくるがちゃんと皿に盛って出す料理は量も普通だった。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16.2元
合計 16.2元

赤壁行きの切符を購入

hubei12110:00頃、宿を出て武昌駅へ向かう。今日は明日の赤壁行きの切符を購入するのだが34路のバスに乗車するも渋滞が酷いし、車内は大混雑だ。それにバス停に停車するたびに大きな荷物を抱えた人民が後ろのドアから乗車しようとする。しかも車内は一杯で乗れないのに無理に乗ろうとするのでドア付近の乗客たちと一緒に足で蹴って乗せないようにする。そして、渋滞は特に武昌駅が工事中で駅前が酷い。正直言って歩いたほうが楽であった。武昌駅では漢口駅で子供のスリに遭遇していたこともあり警戒しながら售票厅へ向かう。

hubei122赤壁には非空調の2161次で行くつもりだったが售票厅に掲げられた横断幕を見てD149次も赤 壁に停車することを知る。2161次なら9元、D149次なら37元だ。自分はD列車にはまだ乗車したことが無い。鉄としてはやはり乗りたい!でもD列車 は軟座しかない。軟座の切符は買わないと決めているのだが・・・。
hubei123悩んだ末に特例で予定変更してD149次の切符を買うことにするが電光掲示板で切符の販売状況を確認するとD149次、2161次の両方が売り切れになっている。これでは赤壁に行くことすらできない。しかし、今までの経験上では電光掲示板で売り切れになっていても実はまだあるということがあったので試しに窓口で聞いてみたら、やはり赤壁行きの切符はあった。何とかD149次の切符を購入するが、人民鉄路は本当に切符を売る気あるのか?

武昌駅前の航海汽車客運站を調査

hubei124切符を購入したので黄鶴楼でもみて宿に戻ろうと思ったが駅前にバスターミナル「航海汽車客運站」を見つける。運行しているバスを調べるため航海汽車客運站にちょっと寄ってみる。

hubei125バスが湖北省各地へ出ているのはもちろんだが、海南島の海口へのバスもある。長距離バスも半端ではない!安全性は分からない が・・・。

hubei126とりあえず運賃表を撮影するが近くの人民がカメラを珍しそうに見ている。ちゃんと撮れているか画像を確認していると人民が覗き込んできたりする。そんなにもデジカメが珍しいのか?中国人でもCanonやSONYの高いデジカメを持っているぞ!武漢にはデジカメが未だに珍しい田舎者がいるようだ。

辛亥革命博物館

hubei12711:30頃、黄鶴楼の南にある辛亥革命博物館に到着する。

hubei128ここは中国の歴史で重要な場所であり辛亥革命で中華民国の設立を宣言した場所だ。

hubei129博物館前には孫文像があり観光客で賑わっている。しかし、写真撮影をする自分にとっては観光客は邪魔である。人が写っていない写真を撮るため数分間、博物館の前で待機 する。人気の観光地だと撮影にも苦労する。撮影を終わらせ館内を見物しようと思ったら11:30で終わっていた。午後は14:30から開館となっている。 ここで待っているほど暇ではないので見物するのはやめて黄鶴楼へ向かう。

黄鶴楼

hubei13011:45頃、黄鶴楼に到着する。

hubei131入場料が50元なので外から見るだけにする。それに今の黄鶴楼は1985年に再建されたものだ。おまけにエレベーター完 備らしいので雰囲気台無し!見物する価値は到底感じられない。

hubei132入口にあった明清街を再現した黄鶴古肆を見物するだけにする。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
鉄道 37元 二等座 武昌→赤壁
バス 1元 路線バス
合計 52元

湖北省旅行記~宜昌・当陽・襄樊

宜昌に到着

hubei00103:00頃、一旦目が覚めるが船のエンジン音が聞こえないので宜昌に到着しているようだ。外は真っ暗で何も見えない。まあ、真夜中に追い出されずに朝まで寝ていられそうだ。05:50頃、起床する。06:00過ぎに船内放送があり宜昌に到着していることを確認する。外は未だに真っ暗で、この状況で追い出されると非常にまずい。夜が明けるまでか船を追い出されるまで船内に留まる事にする。

06:30頃、夜が明け始めてきたので下船する。宜昌港を出てバス停を探す。4路のバスに乗車して宜昌駅へ向かう。07:00頃、宜昌駅に到着する。まずは、宿を探さなければならないが相場の確認の為に宜昌駅の隣にある鉄路大酒店へ行く。一番安い部屋が1泊80元だったので当然ここには泊まらない。周辺の様子を伺いながら駅前の東山大道にあった宜建招待所に2人部屋を1泊 25元で宿泊する。

宜昌では三国志観光

09:00頃、宿を出て宜昌での三国志観光へ出かける。まずは10路と102路のバス停を探すのだが10路は宜昌港のバス停「三码头」から10路のバスが出ており宜昌駅からは夷陵広場か移動通信広場が近いことが分かっているので、とりあえず東山大道を歩いてみると102路のバスが通り過ぎる。

102路が駅前を通り過ぎるのを確認できたので、10路のバス停を探す。東山大道沿いに歩くと10路のバスを発見する。そのまま10路のバスに乗車して終点の三游洞へ向かう。途中で道路工事があり渋滞を通過するのにかなりの時間が掛かる。

三游洞で劉封城遺址、張飛擂鼓台

hubei00210:20頃、三游洞に到着。三游洞には劉封城遺址と張飛擂鼓台がある。三游洞の入場料は48元で高いのだが三游洞は唐の詩人・白居易、白行簡(白居易の 弟)、元稹や陸游らが訪れた地というのを前面に出しているので仕方ないだろう。劉封城遺址と張飛擂鼓台ならこんなに高いはずはない。

まあ、三游洞も見物することにして48元を支払う。恐らく、この旅行記を読んでいる人の中には「40元の張飛廟は見物せずにどうして48元の三游洞は見物するんだ?」と思う人もいるだろう。三峡下りで白帝城と張飛廟を見物しなかったのは三峡下りで日本人がけっこう訪れていそうだからだ。それに張飛廟は三峡ダム建設で移転して新しすぎる。それに予算の都合もあるので、どうせなら日本人が訪れそうもないような所を見物することにした。

hubei003白行簡、白居易、元稹の像。三游洞の主人公は唐代の詩人たちです。

hubei004まずは劉封城遺址から見物するが説明の石碑があるだけでがっかりする。でも、劉封城があったことは確認できた。

hubei005この説明の石碑だけが劉封城の存在を示しています。

hubei006張飛擂鼓台には張飛がこの地で練兵をしていたそうで太鼓を叩く?張飛像がある。これはなかなか様になっている張飛像だ。

hubei007石碑も用意されています。

hubei008更にここには張飛擂鼓台だけでなく三峡の起点を示す石碑まである。ある意味貴重だ。

hubei009こういう崖に遊歩道があったりします。

hubei010三游洞。

hubei011そして、三游洞は白居易達が訪れた場所なので宜昌では有名な観光地のようで観光客も多い。ここで白居易達が詩を詠んだらしいです。それに目の前に三峡の西陵峡が広がっている。

hubei012三游洞南宋軍事遺址。三游洞には南宋の遺跡まであります。

hubei013三游洞の入場券(表)

hubei014三游洞周辺には龍泉洞、白馬洞や嫘祖廟もあり宜昌の一大観光地のようだ。

猇亭古戦場

hubei01513:20頃、宜昌駅に戻り東山大道沿いにある宜昌長途汽車站のバス停から102路のバスで猇亭へ向かう。

hubei016猇亭は夷陵の戦いで劉備が陸遜に敗れた場所だ。

hubei01714:15頃、猇亭古戦場の前をバスが通過する。すぐに停車してもらうように頼むが車掌が「どこで降りるの?」と聞くので「猇亭古戦場で降りる」というと 「もう少しすると正門だからそこで止める」とのことで正門で下車する。立派な入口があり、しっかり整備されているようで期待できそうだ。

hubei018

hubei019入場料は40元で入場券を買うが何故か入場料は39元だった。料金表は40元とあるのだが一体どういうことだ?猇亭古戦場へ入るとそこは三国志テーマパークになっていたのだが客がいない。古戦場には関帝廟が2ヶ所ほどあったが1ヶ所は怪しげな坊さんがいるし、もう1ヶ所は荒れ果てて放置されていた。

hubei020というより、猇亭古戦場自体が荒れ果てており客がおらず何時潰れても不思議のない状態だ。

hubei021長江の崖に沿って猇亭古戦場があります。

hubei022玄徳御営というのがあるが既に廃墟に・・・。他にも関興営などあるが同じく廃墟に・・・。

hubei023桃園結義の像があるが破壊されて杯が無くなっているし、廃墟となっている建物もあるし、草は伸び放題、典型的な潰れそうなテーマパークだ。ただでさえ長江の崖に作られているのだから作りっぱなしで整備されずにそのまま立ち入り禁止の場所まである。これでは、劉備や陸遜も悲しんでいるだろう。39元返せ!

当陽行き切符を購入

hubei02416:00頃、宜昌駅で明日の当陽行きの切符を購入する。

hubei0251166次の切符

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16.5元
宿泊費 25元 宜昌→当陽
鉄道 5.5元
バス 8.5元 路線バス
三游洞 48元
猇亭古戦場 39元
合計 142.5元

1166次、硬座で宜昌→当陽

hubei02610:45過ぎに宿を出る。宜昌駅までは坂道を登るが徒歩5分ほどで到着する。入口の荷物検査を通過するが、公安が人民たちに「身份证登记一下」と身分証 の確認をしている。しかも、全員ではなく怪しそうな人民に身分証提示を求めている。自分は声もかけられずにそのまま侯車室へ向かう。

hubei027今回乗車する1166 次は11:33発だ。既に改札口には列というか群れができている。自分もこの群れに加わり改札が始まるのを待つ。11:00過ぎに改札が始まるが大きな混乱もなく無事に改札を通過する。人民達の割り込みは当然あったが・・・。列車に乗車して11:33に定刻どおり列車は発車する。車内では幸い痰吐きは無かったがタバコを吸っている人民がおり乗務員に注意されていた。

hubei02812:25頃、当陽に到着するが案内の放送とかは一切無いのでホームに入線したところで 「当陽」の文字を確認して、すぐに下車する。やはり、停車駅についても案内が無いのが人民鉄路の基本のようだ。駅前から1路のバスに乗車して当陽市内へ向 かう。終点がバスターミナルのようなので、とりあえずバスターミナルで降りることにするが、ちょうどバスターミナルが趙雲像の目の前だった。いよいよ当陽 での三国志観光の始まりだ!

長坂坡

hubei029趙雲像の目の前で下車して、すぐ近くの雄風賓館に宿泊することにする。1泊20元だ。

hubei030少し休憩して1400頃、まずは趙雲像を見物する。ここの趙雲像は凄くかっこいい!

hubei031趙雲は当陽でも英雄のようだ。趙雲像の次はすぐ近くの長坂坡を見物だ。

hubei032長坂坡は趙雲が阿斗(劉禅)を救い出す趙雲ファンにはたまらない名場面の場所だ。

hubei033長坂坡は公園として整備されているが、それも長坂坡での趙雲の活躍を再現した三国志ファンの為の公園になっている。こちらはちょっとぼろい趙雲像。懐には阿斗を抱えています。

hubei034劉備が阿斗を放り投げる場面。

hubei035趙雲像。

hubei036曹操と徐庶。

hubei037しかし、あまり手入れされていないようで各所で痛みが激しい。一部では既に廃墟と化している場所も・・・。それでも人民の憩いの場、そして、三国志ファン、特に趙雲ファンにはたまらない場所だ。

太子橋

hubei03815:00頃、太子橋に到着。太子橋は趙雲が曹操軍の包囲を突破して、劉備の元に阿斗を届けた場所だ。一応は公園というか広場として整備されているが太子 橋の石碑が無ければ気付かないだろう。ちょうど訪れた時は太子橋の石碑に地元の子供たちが群がっていた。

hubei039三国志の名場面の地だが完全に遊び場と化していた。

娘娘井を探すが・・・

太子橋の次は娘娘井へ行こうとするが、情報が少なくはっきりした場所が分からず途中で人民に聞いても「知らない」とか訛りがきつすぎて全く会話が成立しなかったりして諦めて宿へ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 7.5元
宿泊費 20元
バス 1元 路線バス
合計 28.5元

娘娘井を発見

hubei040今日は昨日発見できなかった娘娘井を再度探すことにして09:00頃、天気が雨で条件が悪い中、宿を出発する。昨晩、再度情報収集をしておりGoogle Earthでも確認できたので大体の場所は分かっている。09:20頃、当陽市畜牧局の裏手の路地にある娘娘井に到着。

hubei041石碑と井戸があるだけの広場だが、 ここで糜夫人が趙雲に阿斗を託して井戸に身を投げた場所だ。

hubei042娘娘井

周倉墓

hubei043当陽市内を散歩して昼過ぎに当陽市汽車客運站(客運中心とも呼ばれているらしい)から河溶行きのバスに乗車するが、售票厅で「两河行きの切符ください」というと「乗車してから切符買え」とのこと。バスターミナル内には河溶行きのバスが何台か停車しており、客が乗車しているバスを見つけ車掌のおばちゃんに 「两河へ行きますか?」と聞くと「两河?通るよ!乗って!」とのこと。

hubei044ついでに「周倉墓の近くは通りますか?」と聞くと「周倉墓、知ってるよ。周倉墓に行 くのね。」と、さすが地元民、周倉墓を知っていた。客が集まり12:45頃、当陽市汽車客運站を出発して1315頃、两河に到着。道の右には糜夫人像があった。

hubei045周倉墓はすぐ近くだ。糜夫人像を過ぎてすぐに周倉墓に到着しバスを降りる。周倉墓に到着したが特に「周倉墓」という看板とかは一切無い。門に閉ざされた墓があるので周倉墓というのはすぐに分かったが、門はしっかり鍵がかけられており中に入れないが撮影はできた。もし、管理人を探して鍵を開けさせると確実に入場料を取られるだろう。これ以上の深追いはやめておこう。

麦城遺址

hubei046周倉墓を見物したからには麦城遺址も見物しなければならないだろう。実は周倉墓は两河鎮にあるのだが、两河鎮麦城村にあるのだ。麦城といえば関羽が荊州を 奪われ逃れた地だ。周倉墓の東約1.5㎞に麦城遺址があるので周倉墓から糜夫人像の方へ少し戻った所にある東へ伸びる道を進む。

1400頃、麦城の脇を流 れる沮河に到着する。土手を登り周辺を見渡すがそれらしい石碑とかは見当たらない。とりあえず、周辺を探索してみる。周辺にはいくつか墓石があり麦城の石 碑かと思い見てみると墓石だったり、牛が放牧されているので、そこらじゅうが牛糞だらけ、雨で足元も悪く苦戦する。

15:00頃、近くに畑になっている丘の存在に気が付く。なんか怪しいので近づいてみると石碑があるではないか!文字は消えかかっているが麦城遺址の石碑だ。

hubei047ようやく麦城遺址に到着した。麦城遺址は遺跡ではなく人民の畑となっていた。石碑が無ければ地元民以外は分からないだろう。

hubei048麦城遺址

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15.9元
バス 10元 当陽⇔两河
合計 25.9元

廻馬坡

hubei04907:50頃、宿を出てすぐ隣の当陽市汽車客運站長坂坡発車点で遠安行きのバスに乗車する。運賃は12元。08:20頃、客が集まったので発車する。関陵の脇を通り過ぎ80㎞以上で飛ばしていく。途中で土砂崩れがあり迂回するが09:30頃、遠安客運西站に到着する。

hubei050ここで真金行きか馬良行きのバスに乗換えるのだが真金行きが先に出発するので真金行きに乗車する。廻馬坡までの運賃は5元だ。バスがすぐに発車して沮河に沿って走っていく。徐々に山道に入って行き10:15頃、道路の左側に廻馬坡の碑亭を発見し下車する。橋を渡り碑亭に到着。

hubei051ここが呉の軍勢に関羽が捕らわれた場所だ。今はこの碑亭がひっそりと残っているが石碑は清の同治7年に建立され碑亭は1983年に建てられている。

hubei052山の中で誰もいないのだが廻馬坡を訪れる人はいるようだ。その証拠に落書きが多い。石碑はもちろん、何故か亭の天井にも落書きや破壊された跡がある。石碑をよじ登らなければ天井に落書きはできない筈だ。

優秀な中華民族にとって関羽は尊敬する人物のはずだが、廻馬坡の惨状は一体?中国人にとっては関羽はもはや尊敬の対象ではなくなってしまったのだろうか?中国政府は人民どもに文化財を大切にするようにちゃんと教育しろっ!

hubei053わざわざ天井にまで落書きとは・・・。さすが優秀な中華民族、自分はここまで思いつきません!

hubei054廻馬坡

hubei05511:30頃、遠安客運西站に戻り当陽行きのバスに乗車する。11:50頃、遠安客運西站を発車、1300前に当陽市汽車客運站長坂坡発車点に到着する。

玉泉寺

hubei056長坂坡から2路のバスに乗車して13:20頃、玉泉路口に到着する。

hubei057ここから玉泉寺まで乗合タクシーが出ているが徒歩で向かう。14:20頃、玉泉寺の山門に到着するが遠くに「售票処」という文字の書かれた建物がある。有料らしいが建物には人の気配が無い。とりあえず山門をくぐり勝手に入っていく。售票処に人がいなくても別の場所で入場料の徴収をしている事があるので恐らく本殿の前とかで坊さんが待ち構えているのだろう。

hubei058玉泉寺は後漢の建安年間に普浄禅師により寺が開かれ、隋代には文帝より玉泉寺の名を賜る。北宋の天禧年間に最盛期を迎える。寺には北宋の嘉祐6年(1061)に建立された高さ16.9mの鉄塔が残っており、これは中国で最も保存状態の良い鉄塔である。

hubei059そして、忘れてはならないのが三国志演義の第77回で関羽の霊が出た場所でもある。

hubei060明の万暦年間に漢雲長顕聖處の石碑、清の嘉慶年間に最先顕聖之地の石碑が建立されている。

hubei061そして年代は不明だがが関公磨刀石が建立され現在も残っている。

hubei062三国志関連の遺跡を見物した後に玉泉寺を見物するのだが、あいにく工事中で見物できるような場所はわずかしかなかった。

hubei063まあ、1年もすれば新しい建物ができて観光客を呼び込むのだろう。

hubei064しかし、工事中の境内で見てはいけないものを見てしまった。鐘と鼎が無残に放置されている。いつの時代のものかは知らないが古そうだ。やはり中国はこういう部分はしっかり社会主義のようで宗教に対しての考えはこの程度の物なのだろう。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10元
バス 2元 路線バス
バス 24元 当陽⇔遠安
バス 10元 遠安⇔廻馬
合計 46元

張翼徳横矛處

hubei06507:45頃、長坂坡から1路のバスで当陽駅へ向かう。08:00頃、当陽駅に到着し駅前の通りを東へ歩き08:15頃、張翼徳横矛處に到着する。

hubei066張翼徳横矛處はここで張飛が立ちはだかり曹操軍を食い止めた長坂橋があった場所だ。今は橋は無く碑亭が残るだけで石碑は清の雍正9年に建立されたものだ。周辺を 見る限り長坂橋の名残は何も無い。この碑亭のみが語っていた。張翼徳横矛處を見物後は当陽駅で襄樊行きの切符を購入して1路のバスで長坂坡へ戻る。

関陵

hubei06708:50頃、長坂坡から4路のバスで関陵へ向かう。09:15頃、関陵に到着するが観光客の気配が無い。

hubei068当陽の関陵は関羽の胴体が葬られ、三大関帝廟のひとつの筈なのだが・・・。入場料30元払い中へ入るが、やはり観光客はいない。

hubei069しかし、見ごたえ十分だ。ほとんどの建物は明代に建設されたもので、さすがは三大関帝廟に数えられることだけはある。

hubei070関陵の入場券(表)

hubei071久しぶりに入場料と内容に納得できる場所を訪れることができた。

1166次、無座で当陽→襄樊

hubei07211:00頃、荷物をまとめて宿を出る。1路のバスで再び当陽駅へ。侯車室で時間まで待つのだがハエが多いし、人民が痰や唾を吐きまくっている。おまけに手鼻を噛むおっさんもいる。

hubei073サルや原始人の人民たちと一緒に改札が始まるのを待ち12:15頃、改札が始まる。田舎の駅なので乗車する乗客が少ないので比較的混乱も無くホームへ出られた。列車が到着して乗車するが空席が結構あり簡単に席が確保でき定刻どおり12:27に発車する。

hubei07414:30頃、襄樊に到着 する。

馬躍檀渓遺址

hubei075襄樊駅近くの実惠招待所に1泊20元で泊まることにして、すぐに駅前のバス停から15:25頃、14路のバスで環山路へ向かう。まずは馬躍檀渓遺址から見物するのだが馬躍檀渓遺址は蔡瑁に殺されそうになった劉備が的盧に乗り檀渓を飛び越え難を逃れた場所だ。

hubei07615:55頃、降りるはずだった環山路を何故かバスが通り過ぎてしまう。とりあえずそのまま行くことにすると道路右側に馬躍檀渓遺址があり通過する。ほどなくして次の終点の東風汽車電気公司に到着する。来た道を5分ほど戻ると馬躍檀渓遺址に到着する。

hubei077馬躍檀渓遺址

hubei078的盧の蹄跡。もちろん誰かが作った。

hubei079馬躍檀渓遺址には水は流れておらず、的盧が足をかけたとされる岩が残るだけではなく、ゴミ捨て場と化していた。そして、自分の背後には恐らく昔は檀渓だったドブ川が流れていた。人民はどうして文化財を大切にしないのだろうか?

バスターミナルを調査してみる

hubei080馬躍檀渓遺址を見物後は襄城汽車客運站に寄ってみる。水鏡庄や徐庶廟がある南漳行きのバスを確認するためだ。南漳行きは客が集まり次第出発するようなので頻繁に出ていそうだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11.5元
宿泊費 20元
鉄道 14元 無座 当陽→襄樊
バス 8元 路線バス
関陵 30元
合計 83.5元

朝から雨・・・

hubei08107:00過ぎに起床するが雨が降っている。雨の日は外に出るとろくなことが無いのだが早く武漢へ移動したいので強行軍で南漳の徐庶故里と水鏡荘を見物しに行くことにする。08:15頃、駅前から14路のバスで襄城汽車客運站へ移動する。襄城汽車客運站で南漳行きのバスに乗車する。運賃は11元。客が集まり09:15頃に出発する。10:30頃、南漳のバスターミナルに到着する。

水鏡荘

hubei082バスターミナル脇に徐庶路があったので徐庶故里から見物しようと徐庶路を北へ歩くが見つからない。徐庶故里を後回しにしてバスターミナル前の通りを西へ歩 き水鏡荘を目指す。歩いていると道路左手に水鏡荘の牌坊を発見し、南へ進むと川に掛かる吊橋に辿り着く。

hubei083奥には水鏡荘が見える。吊橋を渡るが板が腐ってい たりして少々危険であったが11:15過ぎ、水鏡荘に到着する。

hubei084水鏡荘

hubei085司馬徽像

hubei086水鏡荘は水鏡先生すなわち司馬徽が隠棲していた場所だ。

hubei087入場料30元を払い見物する。

hubei088内部は司馬徽が隠棲していた建物が再現され裏の玉玺山と見事に融合し隠棲するには最高の地という雰囲気を出している。

hubei089草庵

hubei090草庵

hubei091水鏡塚。即ち墓。なぜかここに司馬徽の墓がある。

hubei092あいにくの雨であったので観光客は自分ひとりだけであった。玉玺山にも登ってみたが雨が降っていたので何も見えず。山の中は霧が出ており仙人でも出てきそうな雰囲気でちょっと楽しい。

hubei093時間と体力の都合で山全体を調べることはできなかったがなかなか楽しめた。

徐庶故里

hubei094水鏡荘を後にして再び徐庶路に戻ってきた。バスターミナル近くに徐庶故里があるはずなので徐庶路をもう一度歩いてみると城関派出所の対面に怪しげな建物がある。近づいてみると・・・。徐庶故里であった。こんな近くにあるとは・・・。

hubei09512:55頃、徐庶故里に到着する。

hubei096まあ、これで南漳での目的が達成できそうだ。

hubei097まずは徐庶故里の右隣の博物館で入場料を払い門を開けてもらわなければならないのだが、博物館にいる犬に吠えられ管理人を探すことができない。犬を追い払っていると異常に気付き管理人がやってきた。管理人に徐庶故里を見物することを伝え入場料3元支払う。門を開けてもらい徐庶故里を見物する。

hubei098敷地は狭く建物も小さいが奥には徐庶像がある。入場料3元なら徐庶像があるだけで十分満足だ。

宿に戻るが・・・

hubei099水鏡荘、徐庶故里と南漳での目的は達成した。バスターミナルに戻り襄陽行きバスに乗車する。13:40頃、客が集まり出発する。14:25頃、襄城汽車客運站に到着。14路のバスで駅前に戻り宿に戻るが、何と部屋では雨漏りが発生しベットが水浸しになっていた。昨夜は天井裏を鼠が走っていたが、昼間は雨漏りか・・・。まだ、ベットがもう1つあるから何とかなる。この天気で宿を変えるのも面倒だし、頑張って、あと2泊乗り切ろう。武漢へ行けばユースホステルが待っている!

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10元
宿泊費 20元
バス 2元 路線バス
バス 22元 襄樊⇔南漳
水鏡荘 30元
徐庶故里 3元
合計 87元

漢口行きの切符を買って、襄陽城を見物

hubei10007:30頃に起床する。いつもより遅めに起きたが天気は曇りで雨は降っていないが寒い。08:30頃、襄樊駅で明日の漢口行きの切符を購入する。襄樊駅 は比較的大きな駅なのだが售票厅は空いており奇跡的に待ち時間無しで切符が買えた。次は襄陽城を見物するためバス停へ行こうとするが、售票厅の出入口付近で公安3人と床に座り込んで泣き出しそうな農民工1人を発見する。

農民工が何か事件を起こして逮捕されるのかと思い様子を伺うと、公安3人の口調が妙に落 ち着いて優しい。どうも農民工は逮捕される雰囲気ではない。むしろ保護されているようだ。農民工は半泣きで話をしているので何を言っているか分からなかったが、場所が駅だから切符でも失くしたのだろうか?

ここで撮影をしたいところだが、售票厅は人が少なく公安に見つかると面倒なことになりそうなので断念する。09:00頃、バス停へ行き1路のバスで東門口で下車し襄陽城の城壁へ登り歩いてみる。

hubei10109:30頃、襄陽城の東南にある仲宣楼に到着する。

hubei102仲宣楼は 劉表、曹操に仕えた王粲を記念して立てられた楼だ。10:00頃、襄陽城の中心にある鼓楼に到着し、北門へと歩く。

hubei103この辺は古い町並みが再現されているが、所々で裏にある普通のビルが見えたりして中途半端な街並みの再現だった。襄陽城も三国志の舞台になってはいるが、現在残っている城壁は明代のもので街並みも明代の街を再現しているのだろうか?

hubei10410:20頃、1路のバスで襄樊駅へ戻り512路のバスに乗換えて古隆中へ向かう。

古隆中

hubei10511:30過ぎ、古隆中に到着する。

hubei106古隆中は「三顧の礼」の舞台で諸葛孔明が隠棲していた場所だ。バス停から奥の道を歩いていくと10分ほどで入口に到着。

hubei107入場料は60元で高い!完全に観光客の足元を見ている。不満ではあるが「三顧の礼」の舞台では引き下がる事はできない。仕方なく入場料60元を支払 う。

hubei108三顧堂

hubei109孔明と劉備、あと一人は?

hubei110内部は草庵、三顧堂、武侯祠、畑などがあり、草庵は漢代の建築で再現されており孔明が晴耕雨読していた雰囲気が味わえるように観光整備されている。一部全く関係ない施設もあるが・・・。

hubei111草庵

hubei112でも、60元はぼったくりだ。観光客も少ないし・・・。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11元
鉄道 40元 硬座 襄樊→漢口
バス 4元 路線バス
古隆中 60元
合計 115元

長江三峡下り旅行記~三峡下り

重慶港へ

3xia01818:00前に重慶南濱国際青年旅舎を出て南坪の路線バスターミナルから382路のバスで朝天門へ向かう。19:00前、朝天門に到着する。降ろされた終点のバス停から重慶港までは徒歩10分ほどだ。重慶港に到着して3号码头(埠頭)へ行かなければならないのだが乗客たちは重慶港の售票大厅からケーブルカーで埠頭へ下りて行くが、このケーブルカーは有料で2元もする。

自分は金が勿体無いので歩いて行くことにするが徒歩ではどこから下りていけばよいか分からないので、とりあえず、荷物の検査を受けてそのままケーブルカーの方へ進むが予想通り切符を買っていないので係員から追い出される。係員に「歩いて埠頭へはどう行けばよいのですか?」と聞くが無視される。無視されて機嫌が悪くなったので改札口をわざと塞ぎ乗客が通れないようにして再び聞くが「切符を買え」「2元だ」とか言って教えてくれない。

後ろの乗客たちには悪いが改札口を塞いだままでしつこく聞くとようやく「4号埠頭から行け」と横柄な態度で返答。後ろの乗客たちは「韓国人だ!」とか騒いでいる。残念ながら韓国人ではなく小日本が目の前にいるのだが・・・。まあ、歩いて下りるので十分です。係員の態度も貧乏人には横柄だし。

3xia019售票大厅を出て朝天門広場へ向かうと 「4・5・6号码头」と書かれた表示を発見する。暗い階段を下りて行き途中の乞食を無視して進むと埠頭が見えてきた。ケーブルカーが降りていく所が3号埠頭なので周囲を確認して4号埠頭から3号埠頭へ行けそうな道を見つける。

3xia0204号埠頭を通り3号埠頭へ何とか辿り着き江山10号に乗船する。

江山10号で重慶港を出港

3xia021江山10号に乗船してフロントで部屋の割り当てを受けて部屋へ行く。宿泊する部屋は8人部屋でテレビ・トイレ・シャワー付きなのだがドアノブが壊れており、ついでにトイレのドアには鍵がない。4星級と言っても3等室だと星無しの扱いだ。

3xia022おまけに1番眺めが良さそうな最上階の5階は景観台(观景台)になっており60元払わなければ立ち入ることが出来ないし、3階の船首は喫茶店になっている。4階は操舵室、2階は乗客立ち入り禁止で船首から三峡を見ることは出来ない。遠まわしに「金のない貧乏人には用はない。客でなく荷物扱いだ。」と言われているようだ。旅游船と唄っているので金持ちには優しく貧乏人には厳しそうだ。

船内には白人旅行客も数人確認できたが1等室とかの乗客なのだろう。フロントで日程を確認すると11/6 23:00重慶発、11/10 02:30宜昌着となっている。真夜中に宜昌着とは・・・。それと、食料はカップ麺3個しかない。3等室で見かける乗客はカップ麺を1箱とかお菓子を大量 に買い込んでいる。船内や上陸地点では食料は高いから事前に準備しているのだろう。自分もカップ麺を1箱とか買い込んでおけばよかった。でも、中国のカッ プ麺は唐辛子をやたらと使っているので辛いだけで美味しくないから・・・。

3xia02322:00頃、部屋にいた乗客たちが寝始めたので自分も寝ることにする。明日は 06:30に豊都鬼城着となっているので皆早寝のようだ。寝ていると警笛が鳴るのでGPSで時間を確認すると23:00だった。出港したようだ。明日起きたら豊都鬼城だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 1元 路線バス
合計 21元

豊都鬼城

3xia02405:30頃に起床する。外はまだ夜が明けていないが乗客たちは既に起きている。06:30を過ぎても豊都鬼城には到着しておらず結局到着したの07:00頃だった。

3xia025豊都鬼城は09:30までに乗船、10:00出港でそれまでは自由行動だ。自分は徒歩で豊都鬼城へ向かうが乗客は電動カートで移動していく。豊都鬼城は伝説によれば人は死ぬと皆この地に帰ると言い伝えられており仏教と道教を合わせて地獄を表現している。まあ、日本の恐山のような所だ。

3xia02607:20過ぎ、豊都鬼城の入口に到着するが入場料は80元なので予定通り船へ引き返すことにする。分かっているが入場料高すぎだ!途中で朝食にワンタン麺(馄饨面)を5元で食べる。やはり観光地での食事は高い。通常は3元前後だろう。でも、カップ麺よりはましだろうか?悩むところだ。

3xia027五雲楼

3xia028江山10号

3xia02908:00頃、船に戻るがほとんど乗客はおらず静かだった。10:00になり出港の時間なのだが遅れているようで10:15頃に豊都鬼城を出港する。次の青龍瀑布は16:00到着になっている。それまでは、長江の景色を見て過ごすことになりそうだ。

青龍瀑布はバスで・・・

3xia03016:00頃、青龍瀑布埠頭(庆龙瀑布码头)に到着するがフェリーに乗船しているガイドに聞くと青龍瀑布まではここから更にバスで40分、見学は40分ということだった。

3xia031見学40分では青龍瀑布だけで甘寧墓までは見ることは出来ないだろう。それに入場料80元は高すぎる。青龍瀑布は止めておくことにしよう。船は青龍瀑布へ行く乗客を降ろすとすぐに出港する。先に進んで19:00頃に青龍瀑布へ行った乗客と万州で合流するということだった。

万州に寄港

18:30頃、万州に寄港する。ここで青龍瀑布から戻ってくる乗客を待つのだが下船することは出来ない。でも、埠頭の売店とかを利用するのは大丈夫だが外へは出られなくなっていた。19:00頃、青龍瀑布から乗客が戻ってきて19:30頃出港する。

予定より少し遅れているが22:00頃、次の張飛廟到着と知らされる。それまでは船内でくつろぐのだが、この江山10号の乗客の質は、まあ、はっきり言って凄い。そこらじゅうで優秀な中華民族が痰を吐く音を奏でている。同じ部屋の乗客も、あの「かー、ぺっ!」と音を出して痰を吐いている。やはり中国人が利用する観光フェリーということだ。乗客は皆、旅行客だから収入が高くてマナーもしっかりしていると思ったが、その辺の農民と同じだった。

張飛廟

3xia03222:00頃、張飛廟に到着する。下船して張飛廟まで歩いていくが入場料が40元なので入口を見て終わりにする。船に乗船しているガイドが「張飛廟見る の?」と聞くので「入口だけ」と答える。このガイドは船会社のガイドらしく乗船時に部屋の割り当てとかをしてくれた。それに、こちらが日本人ということも 知っている。各旅游景点で下船するたびに「見るの?」とか言って入場券の売り込みもしっかりしている。まあ、小日本がうろちょろしているので目に付くのだ ろう。

3xia033張飛廟は18:00には閉まってしまうのだが夜に三峡下りのフェリーが寄港するので実際はフェリーが来る限りは入れるようだ。張飛廟は見物するか迷ったがお金が勿体無いので張飛廟の入口だけ見物して船へ戻る。途中、食堂で素麺を4元で食べるが張飛廟から戻ってきた乗客達が「張飛廟は小さな廟だった」と話しているのが聞こえた。どうやら40元払って見物するほどの物ではなさそうだ。

3xia034船に戻り23:00頃、就寝する。明日は06:30頃、白帝城到着だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
合計 15元

白帝城到着と思ったら

3xia03506:30頃、白帝城に到着したと思ったら手前の奉節に到着していた。白帝城へ行く乗客はここから小型船に乗換えて向かうことになっていた。小型船は白帝城の入場券(90元)を買った乗客しか乗れないので自分は埠頭を散歩するしか出来なかった。

3xia036奉節の埠頭

3xia037三峡ダムの175m水位標識

3xia03810:00過ぎに白帝城から乗客が戻って来たが2隻の小型フェリーを繋げて戻ってきた。

3xia039連環の計をやっているようだ。風向きもちょうど良いので火舟を突入させたらと考えてしまう。

3xia04010:30に奉節を出港するが予定では10:00出港だったのだが・・・。

白帝城と瞿塘峡では痰、唾が降る

3xia041奉節を離れて10分ほどで白帝城を通過するが、ただの小島で三峡ダムのせいで想像とかなり違っていた。

3xia042白帝城を通過する頃から風景もいよいよ三峡らしくなってきた。瞿塘峡を通過するようだ。

3xia043瞿塘峡に入ると金持ちの中国人たちは5階と3階の船首から三峡下りを満喫するのだが、金のない貧乏人の小日本は2階の船首近くで瞿塘峡を見物する。でも、 前方に広がる瞿塘峡をすべて見ることは出来ない。今更60元払って5階の景観台から見物しようにも場所はないだろう。

3xia044まあ、貧乏人らしく通路から瞿塘峡を 見物するのだが、上から頻繁に痰、唾が降ってくる。白帝城を通過する頃からだ。そう、3階と5階にいる金持ちの中国人たちが吐いた痰、唾だ。痰、唾だけで はなく、ついでにゴミも降ってくる。さすが5000年の歴史を持つ中国だ。三峡下りでも痰吐き、ゴミのポイ捨ては健在だ。上から痰やゴミが降ってくる中で瞿塘峡の撮影を撮影をする。

3xia045瞿塘峡の景色は良いのだが上から絶えず痰が降ってくる。優秀な中華民族は三峡下りでも痰吐きは忘れないようだ。自分のような小日本にはとても真似出来ない。一等国の中国の人民たちの行動は三等国の小日本には理解することが出来ないだろう。小日本も優秀な中華民族に見習い三峡下りで痰を吐くようにしなければならないのだろうか?

中国政府は「痰を吐くな、ゴミのポイ捨てするな」と宣伝しているが、三峡は「痰吐き、ゴミのポイ捨て」が常識のようで中国政府の統治が行き届いていないようだ。

巫山から小三峡

3xia04612:15頃、巫山港に寄港する。ここから小三峡へ小型船で向かうのだがお金のない自分は小三峡の入場料210元が払えないので埠頭で小三峡へ向かう小型船とお金持ち中国人たちを見送る。もちろん、白人も数人いた。

3xia047巫山港は明日の05:00出港予定なのでそれまで自由行動なのだが、港から巫山の街まで登る気は起きないので港の食堂で4元の炒飯を食べるが三峡下りでようやくそこそこ量のある食事ができた。

3xia048今までは量が少ない餛飩や素麺とかだったが巫山で値段と量がまあまあ妥当な店があった。18:45頃、小三峡から乗客が戻ってきた。恐らく小三峡の景色は絶景だったのだろう。まあ、貧乏人の小日本には訪れることの出来ない場所だ。

ぼったくり食堂に遭遇

夕飯を食べに下船して港にある食堂で夕飯を食べるが、ここはぼったくり食堂だった。土豆丝と米饭を3杯で会計時にご飯が1杯3元とか老板がほざくので、文句を言うとメニュー表を老板が持ってきて「1杯3元だろ」とか言うがメニュー表には「米饭3元/人」と書いてある。「1人3元じゃないか」と言って8元払うが老板は「お前韓国人だろ」とか言うが無視する。

どうやら漢字が読めないと思って騙そうとしたようだ。韓国人でも漢字は読めると思うのだが・・・。どうして優秀な中華民族は騙して商売しようとするのだろうか?騙して商売するのは中華民族の伝統なのだろうか?

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
合計 20元

巫峡

3xia04906:00頃、巫山港を出港する。予定だと05:00出港だったのだが遅れての出港だ。恐らく夜明け前なので明るくなってから巫峡を通過するように調整したのだろう。06:30頃に夜が明けてきた。

3xia050早朝ということもあり外は結構寒い。

3xia051巫峡。

3xia05207:00頃、船内放送で女神峰を通過していることを知る。左舷には旅行客が溢れており皆撮影をしている。近くで団体客がガイドの説明を聞いており一緒に 説明を聞く。女神峰を見てすぐに船内へ戻る。さすがに長時間外にいるのは寒くて辛い。

3xia053船内に戻り07:30頃、重慶市から湖北省へ入る。
3xia054巫峡

巴東を過ぎて屈原故里へ

3xia055湖北省へ入り巴東を通過する。10:20頃、梯帰の屈原故里に到着する。

3xia056屈原は春秋戦国時代の楚国の政治家、詩人である。屈原故里は入場料が90元なので当然ながら見物しない。

3xia057旅游区に入るだけでも2元取られるので埠頭から屈原故里を見るだけにする。

西陵峡

3xia05813:00頃、西陵峡を通過する。

3xia059西陵峡が三峡下り最後の峡谷のようで一番の見せ場らしい。

3xia060トラックを積んだ船を追い越します。

3xia061西陵峡は三峡ダムを通過したあたりまであるようだ。

3xia062西陵峡を眺めながら過ごす。

三峡ダム

3xia06314:15頃、三峡ダムに到着する。ここで三峡ダム近くの太平渓港に寄港して三峡ダムを見物する乗客が下船していく。更に宜昌へ行かずに武漢へ行く団体? の乗客は荷物を持って下船し、三峡ダム見学後にそのままバスで武漢へ向かう。ここで気付いたのだが、この船には白人が16人乗船していることが分かった。 まあ、恐らくもっといるかもしれない。
3xia064自分は当然のことながらお金がないので太平渓港を見物して船に戻る。予定では17:00出港なので、それまでHP作成で過ごすことにする。

三峡下り最大の失敗

17:00頃、三峡ダムから乗客たちが見物から戻ってきた。船内放送では夕食の案内を放送しており、最後の食事だからと2階の餐厅へ行く。ここで什锦炒饭 (10元)と青椒土豆丝(8元)を食べるが、何とご飯が食べ放題だった。この時、三峡下り最大の失敗に気付く。ご飯が食べ放題ならわざわざカップ麺を食べたり、港や観光地の高い食堂を利用する必要はなかった。

1日2食、青椒土豆丝だけで十分乗り切れたのだ。ご飯1杯1元と換算しても4,5杯は十分食べられ るので余裕で元は取れるではないか!反省しながら什锦炒饭と青椒土豆丝を食べるが少しでも元を取るべく、更にご飯を3杯食べるが、ここで追い討ちをかけるように緊急事態発生!ご飯のお代わりに行っている間にテーブルの青椒土豆丝が片付けられているではないか!すぐに服務員に言ったが既に時遅しで青椒土豆丝は処分されていたが、代わりに麻婆茄子(10元位)を持ってきてくれた。

まあ、炒飯食べて更にご飯を食べている客なんて普通はいないから片付けられても不思議はない。でも、代わりに麻婆茄子とは・・・。茄子は嫌いなのだが・・・。しかし文句は言っていられない。麻婆茄子もしっかり食べて満腹の状態で餐厅を後にする。大食いで米さえ食べられれば良い人にとっては江山10号はある意味で天国だ。自分は天国を見つけるのが遅すぎた。

三峡ダムを通過

3xia065ちょうど餐厅で食事をしているときに江山10号が太平渓港を出港して三峡ダムへ向かう。

3xia066三峡ダムのロック式ゲートを通過するのだが、このゲートがやたらとでかい。ゲート内には既に何隻かの船がいます。さすが中国が誇る三峡ダムだ。18:45頃、ゲートへ突入する。

3xia067水位は156m前後です。

3xia068最初のゲートが閉まりました。

3xia069水位が徐々に下がります。

3xia070ゲート内の水位が下がり、次のゲートへ向かうのだが、この間に1時間近くの時間が掛かる。

3xia071船が次の区画に移動するとゲートが閉まります。

3xia072乗客も撮影に夢中です。

3xia073巨大な扉が閉まると放水が始まり水位が下がり次の区画へ進みます。初めは乗客たちと一緒に写真撮影をしていたのだが徐々に食後の眠気が・・・。部屋に戻り寝ることにする。ゲート通過後に三峡ダムを撮影しようと思ったが夜ではほとんど見えない可能性があるので宜昌まで寝ることにする。宜昌には明日の02:00到着予定だ。

三峡下りを振り返る

今回の三峡下りを振り返ってみるが江山10号については不満が多い。船首部分から三峡の風景を楽しむには5階の展望台と3階の喫茶店からしか見ることが出来ない。5階の展望台は60元を払わなければ立ち入ることはできないし、3階の喫茶店は当然利用することもない。これは金のない客の締め出しで金持ちしか利用できない。

貧乏人は船尾から三峡の全景を見ることができるが船首から見るのと比べれば見劣りするだろう。船室はドアノブが壊れているしトイレの鍵はない。シャワーはあるがトイレとシャワーが一体になっているので鍵無しで使うのは・・・。

乗客についてはほとんどは中国人で常に痰吐きの音を聞いたり、長江に痰を吐いたりゴミを捨てる光景が目撃できる。白人の乗客もいるが白人は一等室とかだろうからあまり不快な思いはしてはいないだろう。餐厅はご飯が食べ放題だから大食いにとっては非常に助かる。まあ、総合的に考えれば今回の三峡下りは料金の割にはあまり良いとはいえなかった。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18元
合計 18元