河北省の世界遺産 清西陵・清東陵

北京・天津・河北省旅行記2016

麗澤長途汽車站

06:30頃、ユースホステルをチェックアウトする。北京青年酒店に12泊したが今日でお別れである。今日は世界遺産 清西陵のある易県へ移動する。

06:35頃、まずは宿の近くにある北京三十九中学のバス停から14路のバスに乗車。運賃1元、和平門内のバス停で下車して5分ほど歩いて和平門東のバス停へ移動。

06:50頃、和平門東のバス停から67路のバスに乗車。運賃1元、麗澤橋のバス停で下車。

5分ほど歩いて、07:15頃、バスターミナルの麗澤長途汽車站(丽泽长途汽车站)に到着。

とりあえず時刻表を確認。

ほとんどが易県行きのバスのようだが西陵と表記されているのもある。

ただ時刻表は古そうだし時刻表にない行き先も多数ありそうな気配がする。

北京→易県

自動券売機はないので窓口に並んで易県行きのチケットを購入。購入時に身分証の提示が必要で易県までの運賃は35元だ。窓口のおばちゃんは外国のパスポート見たことがないようで端末の入力に手間取る。結局パスポート番号間違えているし、名前も途中で入力やめて発券する。外人は未入力でいいのでは?

07:30発のバスで発車まで10分切っているので急いで乗車。

07:30に定刻通り発車するがほとんど空席。案の定バスターミナル出て200mほどですぐに客待ちの停車。バスターミナルの意味ないやん!07:40頃、再び発車して客を拾いながらノロノロ運転。

07:55頃、高速道路に入り南へと走る。北京から河北省へ入り、08:20頃、涿州へと入る。涿州といえば三国志の「桃園の誓い」の舞台になった場所だ。涿州は2015年に訪れているので今回は通過である。08:55頃、高速を降りる。

09:25頃、易県汽車站に到着。ボリタクの運ちゃんたちが待ちかまえていたが相手にせず。

まずバスの時刻表を確認。北京と保定行きのバスが多いようだ。あとは天津、大同、張家口行きのバスもある。

09:30頃、易県の中心部にある予約した宿へと向かう。バスターミナル前の同興東路(同兴东路)を西へ歩き最初の交差点を左へ進む。開元北大街(开元北大街)を南へ歩き朝陽路(朝阳路)との交差まで来ると速8酒店が見えてきた。

09:55頃、Qunar.comで予約しておいた速8酒店に到着。1泊99元の特価部屋に2泊する。予約時に料金は支払い済みだ。料金表には168元となっているので飛び込みはカモになるようだ。外人OK宿になっていたのでレセプションのお姉ちゃんに追い返されることなく登記完了。

部屋は2人部屋で無駄に広く半分以下の広さでも十分なぐらいだ。

エアコン、IPTV、電気ケトル、LANコンセントもある。

2016年に開業したばかりで設備は新しくトイレ・シャワーは問題なし。

Wi-Fiも問題なくつながる。

易県→清西陵

10:30頃、清西陵へ出発する。まずはバスターミナルへ移動。10:55頃、易県汽車站の西隣の易州停車場に到着。

近隣へのバスがここから出ているようで「西陵」と表示されたバスも数台停車している。とりあえず西陵鎮を通過する紫荊関行きのバスに乗車。11:00頃、バスが発車し、客を拾いながら紫荊関へ向けてノロノロ走る。西陵鎮まで運賃6元だ。

世界遺産 清西陵を歩く

11:25頃、西陵鎮の手前の梁格庄鎮で下車する。

梁格庄鎮から崇陵へ向けて歩く。途中で9路のバスとすれ違う。旅游専線と表示されていたので清西陵へのバスのようだ。

11:45頃、永福寺に到着。ここで清西陵の入場料を確認しておく。通票120元、泰陵45元、崇陵45元、昌西陵20元、慕陵20元、永福寺15元となっている。入場券売場のおばちゃんにセット券の通票の有効日数を聞いてみるが当日限りということであった。2日有効なら歩きで回れそうなのだが、1日だとバス乗り継いで急いで回らないと・・・。

12:10頃、崇陵に到着。崇陵は光緒帝の陵墓だが今日は素通りで見物は明日だ。

ラストエンペラーの墓

12:30頃、華龍皇家陵園に到着。ここに清朝最後の皇帝である溥儀の墓がある。

道路にも案内の標識が出ている。

入口には立派な牌坊があり民間墓地にもなっている。元々は溥儀の墓は北京の八宝山にあったのだが、この墓地が誘致したようだ。で、溥儀墓を見物と思ったら保安のおっちゃんたちが昼休みなので見物できるのは14:00からになる。

近隣に無料で見物できる所がなさそうなので、そのまま待つことにする。そのまま待っていると保安のおっちゃんが話しかけてきた。
保安「どこから来た?」
小日本「日本からきた」
保安「何だって!日本から来たのか!」
小日本「そう日本から来た」
保安「中で休んで行けよ」

日本から来たと言ったら保安のおっちゃんが急に優しくなって冷房の効いた詰め所で待つことになる。で、待っているとおっちゃんたちに「給料いくらだ?」とかお約束の質問攻めの展開に・・・。13:00頃、保安の兄ちゃんが溥儀墓に案内してくれることになる。小日本に居座られるよりさっさと溥儀墓を見せて帰らせるのが最善と判断したようだ。

溥儀墓は牌坊をくぐり奥にあるが民間の墓地なので途中には墓が並んでいる。坂を登って行くと溥儀墓に到着。溥儀墓の両脇には婉容と譚玉齢の墓もある。

こちらは皇后の婉容の墓。

こちらは貴人の譚玉齢の墓。

こちらが清朝最後の皇帝である溥儀の墓である。13:15頃、溥儀墓を離れる。保安の兄ちゃんにお礼を言って来た道を戻る。

清西陵 公主園寝

13:45頃、公主園寝に到着。公主園寝は嘉慶帝の第5皇女の慧安和碩公主と第9皇女の慧愍固倫公主が埋葬されている。公主は戦国時代より使われ始めた単語で帝王の娘に使われる称号、漢王朝では皇帝の娘に対する称号として使用された。清の崇徳元年(1636)以前は清朝では「公主」は統一して「格格」と称されていた。「格格」は満州語になり、漢語では「小姐」の意味になる。ホンタイジの治世で皇后の娘を「固倫公主」と定めた。「固倫」は満州語で「国」「国家」の意味を表す。妃嬪の娘は「和碩公主」と定め、「和碩」は満州語で「四方四角」の意味を表す。

ここも清西陵で世界遺産の一部なのだが非公開で門は閉まったままだ。門の隙間から内部を見ることは出来る。14:10頃、公主園寝を離れる。

清西陵 端親王園寝

14:15頃、端親王園寝に到着。端親王園寝は雍正帝の長男である端親王弘暉が埋葬されており、弟の弘昀、弘昐、福宜も附葬されている。弘暉は康熙43年(1704)に8歳で逝去する。乾隆2年(1737)11月にこの地に埋葬された。端親王園寝も非公開で門が閉じられたままである。

清西陵 阿哥園寝

続いて隣の阿哥園寝へ移動。ここは皇子たちの陵墓で門が閉じられたままである。14:40頃、阿哥園寝を離れる。

清西陵 泰妃園寝

15:15頃、泰妃園寝に到着するが工事中で門にすら近づけず。泰妃園寝には雍正帝の21人の妃嬪が埋葬されている

入口の石橋だけ見物して、15:20頃に泰妃園寝を離れる。

清西陵 泰陵

16:00頃、泰陵に到着。泰陵は明日見物するので外から見るだけにする。

神道を歩いて大紅門へ向かう。

この神道がかなり長い。

神道を抜けると大紅門に到着。今日はこれで宿に戻ることにする。17:15頃、国道で易県行きのバスに乗車。易県までの運賃は6元。途中でガソリンスタンドで軽油を給油していく。原油相場が50ドル割れして久しいので軽油は1Lで3.75元になっていた。17:45頃、バスターミナル隣の易州停車場に到着。

炸醤熱乾麺

夕飯は近くの武漢名物の熱乾麺の店へ。

何種類かの熱乾麺があったが炸醤熱乾麺(7元/約119円)を注文。炸醤、ピーナッツ、ネギが載っている。炸醤の味噌味が美味く麺に絡めて食べます

嶗山ビール

食後は近くのスーパーマーケットへ買い出しへ。

超市の入口には一部で有名な麦香基がある。

嶗山ビール(崂山啤酒)600ml(2.5元/約42円)を購入。

山東省嶗山が生産地かなと思ったが、ラベルを見る生産地は河北省張家口になっている。本物なのだがダメだな。嶗山ビールなら生産地が山東省でないと。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14.8元
バス 2元 路線バス
バス 35元 北京→易県
バス 6元 易県→西陵
バス 6元 西陵→易県
合計 63.8元

世界遺産 清西陵2日目

06:45頃、ホテルを出てバスターミナルへ移動。今日の天気は曇りで暑いけど日差しがないので昨日よりはマシだ。07:10頃、易県汽車站の西隣の易州停車場に到着。清西陵行きの清西陵旅游专线と表示された9路のバスに乗車。

07:15頃、出発しノロノロ運転で街中を走りながら客を拾う。そして、客だけでなく饅頭、卵、ネギなどの野菜が積まれる。宅配もやっているようだ。9路のバスは永福寺、崇陵への分かれ道を経由して泰陵へ向かう。途中の村の超市で饅頭とかを降ろしたり、地元民を乗せたりする。

清西陵 泰陵

08:00頃、泰陵に到着し運賃6元だ。9路のバスは更に奥へ進んでいくので昌西陵、慕陵あたりまで行きそうだな。まずは入場券売り場へ行くがまだ閉まっている。08:00営業開始なのだが多少の遅刻は問題なしか?いや、数人のおばちゃんたちが待っているので鍵持ちの奴が遅刻しているようだ。

08:15頃、ようやく営業開始。泰陵の入場料は45元だが、今回は泰陵45元、崇陵45元、昌西陵20元、慕陵20元、永福寺15元がセットになった連票120元を購入。

泰陵は清朝第5代皇帝である雍正帝の陵墓になり、1730-1736年にかけて建設された。

清西陵で第一陵とされ最も規模が大きく観光客が最も多く訪れる陵墓である。清西陵といえば大体はこの泰陵を指す。

陵墓の規模は本当に大きく入場券売場から入口まで5分ぐらい歩く。建物はかなり傷んでおり一部が修復工事で閉鎖されていたりする。

これは陵寝門でこの奥に陵墓がある。

陵寝門を通ると明楼だ。明楼の裏山が陵墓になる。

朝一番で入場したので観光客はまだおらず。いるのは掃除のおばちゃんぐらいだ。泰陵は一番観光客が訪れるので朝一番での入場が狙い目のようだ。

明楼の裏側から撮影。

明楼から陵墓を囲む城壁を歩いて一周する。09:10頃、泰陵を離れる。

清西陵 昌陵

09:17頃、昌陵に到着。昌陵は清朝第7代皇帝である嘉慶帝の陵墓である。雍正帝の泰陵の西に位置しているのだが修復工事中で封鎖されていた。

見物できるのは昌陵の神道のみだ。

清西陵 昌妃園寝

09:50頃、昌妃園寝に到着。嘉慶帝の妃の陵墓だが門はしまっており非公開。

清西陵 昌西陵

10:10頃、昌西陵に到着。昌西陵は嘉慶帝の皇后である孝和睿皇后の陵墓である。

見所は回音壁である。いや、見所でなく聞き所かな?回音壁は壁に音が反射して響いて聞こえるのが特徴だ。日光東照宮の鳴き龍みたいな感じだ。10:30頃、昌西陵を離れる。

清西陵 慕東陵

11:15頃、慕東陵に到着。慕東陵は清朝第8代皇帝の道光帝の妃である孝静成皇后の陵墓である。

ここも非公開で修復工事中なので壁に添って一周するだけ。

清西陵 慕陵

11:40頃、慕陵に到着。慕陵は清朝第8代皇帝である道光帝の陵墓である。

清西陵では一番西にある陵墓になる。要するに一番奥にある陵墓だ。

なので、昼近くでもほとんど観光客がいない。

陵墓は所々で修復工事が行われており一部見られない場所もある。12:10頃、慕陵を離れる。12:45頃、昌西陵を通過、13:15頃、泰陵を通過。13:00頃、9路のバスとすれ違う。
朝は頻繁にすれ違っていた覚えがあるが昼間は1時間に1本のようだ。

清西陵 泰東陵

泰陵から泰東陵へ向かうと道の修復工事が行われている。そうすると陵墓も工事だな。

13:35頃、泰東陵に到着。泰東陵は雍正帝の妃で第6代皇帝である乾隆帝の生母である孝聖憲皇后の陵墓である。非公開で修復工事中であった。

13:45頃、道に出てバスを待つ。もう足が疲れて動けないのバスで移動だ。13:50頃、泰陵へ向かう9路のバスが通過。バスを待っているとボリタクの運ちゃんに声をかけられるがカモになるつもりはないので無視する。

清西陵 崇陵

14:30頃、9路のバスに乗車、運賃5元で14:40頃、崇陵にて下車。14:45頃、崇陵に到着。清西陵では泰陵に次ぐ規模を誇る陵墓が崇陵だ。

崇陵は清朝第11代皇帝である光緒帝の陵墓になり、1909年から1915年にかけて建設された。この光緒帝の陵墓が中国最後の皇帝陵墓になる。光緒帝は在位34年(1875ー1908)と長く「戊戌変法」による改革を行うが103日で西太后のクーデターにより改革は失敗してしまう。

1908年11月、西太后が死去する前日に光緒帝が崩御するが死因は調査により2008年に砒素中毒と判明する。これは光緒帝が毒殺されたことを意味している。

光緒帝の陵墓は生前には建設されておらず、溥儀が皇帝に即位してから崇陵の造営が始まる。辛亥革命により1912年に溥儀が皇帝を退位するが、中華民国により崇陵の造営が続けられた。

崇陵の地下宮殿は公開されており内部を見物することが出来る。内部は外とは違い夏でも涼しくひんやりしている。

地下宮殿は軍閥により盗掘されており、現在は墓室の奥には棺が残されている。

手前が光緒帝、奥が孝定景皇后の棺になる。

で、外に出ると前方から金持ちの観光客たちがやってきた。

でも、今日は暑いので腹出し族も混じっている。15:35頃、崇陵を離れる。

清西陵 永福寺

15:55頃、永福寺に到着する。永福寺は1787ー1788年にかけて建設された寺院になり清朝皇家陵寝御用寺廟である。

観光客は殆どおらず境内は静かだ。

とりあえず本殿の仏像を見物。16:42頃、9路のバスに乗車して易県へ戻る。運賃5元、17:00頃、易県に到着。

麦香基

夕飯は昨日見つけた麦香基へ行ってみる。どうも麦当劳と肯德基を足したように思ってしまうのは気のせいか?

とりあえずカウンターへ行ってみるが日本のファストフード店のようなスマイルはなくツンツンしたお姉ちゃんが対応だ。ある種の趣味を持ったアキバあたりに生息する一部のブタには非常に魅力的だろう。とりあえずメニュー表見て奥尔良烤鸡腿堡(10元/約170円)、牛肉堡(7元/約119円)とホットミルク(3.5元/約60円)を注文。

これが牛肉堡でハンバーガーなのだがピクルスが生キュウリになっているのが中華式のようだ。味の方は普通のハンバーガーでマクドナルドと大差なしのような気がする。

こちらは奥尔良烤鸡腿堡で鶏肉のハンバーガーでレタスが挟まっており牛肉堡より美味いような。麦香基は意外にも不味くないファストフード店であった。まあ、値段は高めに設定されているので自分はイスラム食堂で十分かな。

食後は超市でビール味炭酸飲料を購入して宿へ戻る。速8酒店に戻るがエレベーターを使おうとしたら上の階から裸族のおっちゃんがタバコ吸いながら降りてきた。エレベーターは禁煙なのだが・・・。で、エレベーターで部屋のある階へ行くが扉が開くと同時におサルさんが突撃した乗り込んでくる。こちらに当たっても何も言わず。

中国では地下鉄とかで「先下后上」というのを呼びかけているのだが効果が上がっていないようだ。まあ、おサルさんだから長い目で進化するのを待つしかないかな。冷めた目で見守ってあげましょう。少なくとも自分が生きている間におサルさんたちがそこまで進化することはない。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 28.1元
バス 6元 易県→泰陵
バス 5元 泰陵→崇陵路口
バス 5元 永福寺→易県
清西陵連票 120元
合計 164.1元

易県→北京

06:20頃、速8酒店をチェックアウトする。まだ早朝なので車は少なくクラクションの音を聞かず比較的平和だ。でも、手鼻の音は既に聞こえている。今日も中国は平和だな。06:40頃、易県汽車站に到着。

北京行きのチケットを購入。北京までは35元。

北京行きのバスはバスターミナルからの発車でなく、バスターミナル前に路駐しているので一度外に出てバスに乗車。

07:00頃、バスが発車する。高速道路を北へと爆走して行くが車内の様子はこんな感じでおサルさんの楽園になっている。おサルさんが肘掛けに足を置いてくつろいでおります。北京から少し離れただけなのにおサルさんの楽園が広がっているとは中国は本当に野生の王国だ。

学校では中国がこんな野生の王国だなんて習っていなかったので、もう驚きだ。学校で習った中国は世界中からキャラバン隊が唐の長安を訪れており、中国は世界の中心で文明の最先端だということだったのだが・・・。自分は何も知らない井の中の蛙で無知である。日本の教育は間違っており、もっと中国について勉強しなくては!

北京でバスターミナルの移動

08:55頃、バスターミナルの麗澤長途汽車站に到着。易県から北京まで約3時間の道のりであった。バスターミナルの出口では身分証確認と手荷物のX線検査があり列ができている。ウルムチみたいに警備が厳重だがバスターミナルに到着する前に下車した客はどうするの?突っ込みどころのある北京の警備のような・・・。

で、保安の兄ちゃんにパスポートを提示すると中身を確認しているが混乱している様子だ。一応は写真確認してパスポート返却で終了。地下鉄の西局駅へ歩いていく。

09:15頃、地下鉄の西局駅に到着し10号線に乗車する。国貿駅で地下鉄1号線に乗り換え、10:08頃、四惠駅で下車。

北京→遵化

連絡通路を通り四惠長途客運站へ移動。途中の通路で保安が身分証確認をしており保安に「身分証出示一下」と言われるが、身分証なんて持っていないので普段受けている「没有」攻撃を逆にやってみる。で、パスポート出したら中身確認せず「行っていいよ」になる。小日本には用はなかったようだ。

続いて窓口で遵化行きのチケットを購入。遵化までの運賃は55元。購入時に身分証が必要なのでパスポートを提示するが窓口のおばちゃんは入力が面倒なようで文句言いながら入力していたが途中でやめて発券する。やはり外人は未入力でいいのでは?

バスは10:20発で3分後に発車ではないか!急いで改札へ向かいバスに乗車するが5分遅れで出発。高速道路に入り北京から東へとバスが爆走していく。

11:20頃、隣のおっさんがゲップを吐く。おサルさんがバスに乗車していたのか・・・。まだゲップを吐いているだけだが、そのうちゲロ吐きに変わると恐ろしい光景が広がるだろう。何とかゲロ吐きはしないでくれ!

遵化汽車客運站

北京市を出て、11:40頃、天津市薊県に入り高速を降りて河北省へ入る。13:20頃、バスターミナルの遵化汽車客運站に到着。

まずは時刻表を確認するが少し古そうな気配がする。一応だが北京、天津、唐山、東陵が主要路線としてある。




運賃表の方は電光掲示板で表示されているので正確なようだ。




世界遺産 清東陵のある東陵までは運賃8.5元になっている。

速8酒店

続いてQunar.comで予約しておいた速8酒店へ移動。易県で速8酒店に宿泊して遵化でも速8酒店だ。バスターミナルの斜め向かいなので立地は良好だ。予約時は外人OKか不明だったが大丈夫であった。まあ、アメリカ生まれのビジネスホテルチェーンなのに外人お断りではおかしいからな。1泊96元の部屋に2泊する。予約時に支払いも済ませておけば1泊88元だったのだが、外人OK宿か不明だったので8元高い到着時の支払いにしておいた。

部屋は窓無し1人部屋で広さはビジネスホテルらしく小さくて調度良い。

エアコン、IPTV、電気ケトル、LANコンセント付きだ。Wi-Fiもあってちゃんと繋がる。

トイレ・シャワーも問題なしだ。

小姐の貼り紙

寝床を確保したので周辺の調査へ出かけるが暑い。暑いので遠出せずに近場の散歩になってしまう。で、足元の歩道には小姐の貼り紙が・・・。遵化でも小姐が特殊服務をやってくれるらしい。

電柱にも美女服務の貼り紙がある。でも、電話しても小姐や美女は来ないだろ。来るのは胖姐、大姐とかの類だな。

鶏蛋炒飯

少し遅目の昼食にイスラム食堂で鶏蛋炒飯(7元/約119円)を食べる。7元の炒飯にしては量が多いではないか!北京なら10元でこれより少ない。遵化は田舎なので物価が少し安く牛肉麺7元、牛肉拌麺10元となっている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 21.2元
宿泊費 192元 1泊96元×2
地下鉄 5元
バス 35元 易県→北京
バス 55元 北京→遵化
合計 308.2元

停電発生

03:30頃、ウンコしたくなって起きたら停電だ。窓無し部屋での停電なので完全に真っ暗だ。ここでヘッドライトの出番で、川口弘探検隊のようにヘッドライト装着でトイレへ。中国は日本ではありえないほど頻繁に停電があるのでヘッドライトがないとトイレへたどり着けずに漏らす確率が高くなる。

06:30頃に起床するが停電したままだ。バスターミナル前の信号も消えたままなので交通ルールは存在していない。元々ルールなんて守っているのかというのは考えないようにしておいて・・・。今更ながらレセプションで停電か聞いてみたら、やっぱり停電だった。で、朝食も停電の影響で遅れるということなので清東陵へ行くことにする。今日も天気は晴れだが朝から暑くやる気を削がれる。

世界遺産 清東陵へ

07:00頃、バスターミナルの遵化汽車客運站で東陵行きチケットを購入。運賃は8.5元、07:10発のバスになるが時間になってもバスが来ない。まあ、時刻通り運行しないのは基本。

08:05頃、東陵行きのバスが来た。運ちゃんに東陵行きか聞いてみると東陵行きであったが、08:10発のバスであった。自分の持っているチケットは07:10発のバスで、どういうことだ?

で、1時間待っていたことを言うとどこかへ電話している。そして、話の内容から07:10発のバスの運ちゃんに電話しており、「バスターミナルに入らなかっただろ!」というのが聞き取れた。解ったのは07:10の運ちゃんがバスターミナルへ入らず路上から出発していたということであった。他にも07:30発とかのバスも全てバスターミナルへ入っていなかったというのも判明、これではいつまでたっても来ないわけだ。

まあ、中国なので決められた場所以外の発車もありだな。とりあえず、このまま東陵行きバスには乗車できる。遵化へ戻る最終バスは17:00頃というのも確認しておいた。本当に17:00頃かは怪しいが・・・。

10分遅れの08:20にバスが発車する。乗客は自分を含めて7人で、さっそくバスターミナル前の交差点で客を乗せる。バスターミナルの意味ないのでは・・・。どうやら路上で東陵行きのバスを拾うのが良いようだ。とにかく客を乗せながら東陵へ向かい、遵化を出る頃には満員になる。

清東陵 慈禧陵(西太后の陵墓)

09:30頃、東陵に到着。慈禧陵、裕陵妃園寝(香妃墓)、裕陵のすぐそばの駐車場が終点だ。游客服務中心に行くのかと思っていたら違っていた。ここから游客服務中心は約9kmも離れていた。

まずは慈禧陵で入場券を購入。入場料は裕陵62元、慈禧陵62元、セットの連票122元になる。

連票122元を購入して見物開始だ。

慈禧陵は西太后の陵墓であり同治12年(1873)から光緒5年(1879)に建設され銀227万両が費やされた。1928年7月に軍閥の孫殿英に盗掘され財宝は持ち去られている。

西太后の陵墓ということはあって規模は大きい。まずは隆恩殿から見物。

続いて明楼だ。この奥が宝頂で墓になる。

慈禧陵は地下宮殿が公開されており見物ができる。盗掘されているので財宝は失われてしまったが墓室には棺が安置されている。

地下宮殿の上は、このように土が盛られ小山になっている。

清東陵 慈安陵

続いて慈禧陵の西隣にあるのが慈安陵で東太后の陵墓になる。慈安陵は同治12年(1873)から光緒5年(1879)に建設され銀266万両が費やされた。東太后は清朝第9代皇帝である咸豊帝の皇后で正式には孝貞顕皇后と呼ぶ。西太后の慈禧陵と東太后の慈安陵を合わせて定東陵とも呼ぶ。

門は閉ざされ非公開となっている。10:30頃、慈安陵を離れる。

清東陵 裕陵妃園寝(香妃墓)

10:40頃、裕陵妃園寝に到着。裕陵妃園寝は乾隆帝の妃嬪たちの陵墓になり36人の妃たちが埋葬されている。特に容妃(香妃)が埋葬されていることで知られている。そう、ここは香妃墓である。香妃墓は新彊ウイグル自治区カシュガルにもあるのだが、清東陵にある香妃墓が本物である。

以前、自分はカシュガルの香妃墓を本物だと思っていたが清東陵に本物があることに驚いたというか納得した。今までは何で香妃だけ故郷に墓があるのかと思っていた。だがこれで新たな疑問が出てきた。カシュガルにある香妃の棺は誰の棺?

この裕陵妃園寝で一番大きいのが純恵皇貴妃の陵墓だ。1人だけ明楼があり規模が大きく地下宮殿が公開されている。

そして、説明が表示された墓が香妃墓になる。香妃墓の地下宮殿は公開されており内部を見物することができる。

規模は小さいのだが墓室に棺が安置されている。11:05頃、裕陵妃園寝を離れる。

清東陵 裕陵

11:15頃、裕陵に到着。裕陵は清朝第6代皇帝である乾隆帝の陵墓になり清東陵では西太后の慈禧陵と人気を競う陵墓だ。

猛暑の中でも観光客が多く賑わっているが、後ろのおっさんがゲップしている。世界遺産でゲップするとは、乾隆帝もびっくりであろう。というか、なぜ中国にはゲップするおっさんが多いのだ?

裕陵の地下宮殿は公開されており見物することができるが、1928年に軍閥の孫殿英により盗掘されている。

地下宮殿は外とは違いが涼しく快適だ。墓室への通路の壁には菩薩やチベット文字が彫られており地下宮殿にチベット仏教の世界が広がっている。

墓室には乾隆帝と妃たちの棺が安置されている。地下宮殿から外へ出ると物凄い暑さが待っていた。やる気を削がれる暑さだ。夏の河北省は来るべきではないな。12:15頃、裕陵を離れる。

清東陵 孝陵

続いて孝陵へ向かう。途中で神道に出たので歩いて行く。この奥に孝陵があるのだろう。

少し歩くと孝陵が見えてきた。

12:30頃、孝陵に到着。孝陵は清朝第3代皇帝である順治帝の陵墓である。

まずは隆恩殿から見物するが金持ちの中国人観光客が隆恩殿の前で痰を吐いている。順治帝は自分の陵墓で中国人に痰を吐かれるとは思っていないだろう。こちらとしては順治帝が中国人にとってその程度の存在だったということに驚きだ。

陵寝門は閉じられており奥の陵墓は非公開になっている。12:45頃、孝陵を離れる。

清東陵 孝東陵

13:00頃、孝東陵に到着。順治帝の皇后と28人の妃嬪たちの陵墓である。門は閉まっており非公開だ。

外から様子を窺うことしかできない。13:10頃、孝東陵を離れる。

清東陵 景陵

13:45頃、景陵に到着。景陵は清朝第4代皇帝である康熙帝の陵墓である。

景陵も隆恩殿までは公開されている。

陵寝門は閉じられ奥へは進めない。

奥に見える明楼や宝頂といった肝心な部分は非公開になっていた。観光客はほとんど訪れず入口のおばちゃんたちは世間話中。

暑さは厳しさを極めつつあり腹出し族でなく裸族のおっちゃんまで出現するほどだ。14:10頃、景陵を離れる。

14:15頃、遵化行きのバスがちょうど通りがかったので乗車する。もう暑すぎてダメだ。
非公開の陵墓まで見物する気力がない。遵化までの運賃は6元、東陵でも途中からの乗車なので少し安い。

黄燜鶏米飯

夕飯は近くの食堂で黄燜鶏米飯(17元/約289円)を食べる。黄燜鶏米飯は山東省済南の名物料理だ。土鍋で煮こまれた鶏肉が柔らかく美味い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19元
バス 8.5元 遵化→東陵
バス 6元 東陵→遵化
清東陵 122元
合計 155.5元