山西省旅行記2015
祁県へ
痰吐きの音で目が覚める。ドミトリーが古城の通りに面しているので朝の静寂なかで成金のおサルさんや地元のおサルさんたちの痰吐きの音がよく響いてくる。ここは世界遺産って分かっているのかな?
07:00頃、古城の北にある平遥汽車站に到着。祁県行きのバスチケットを購入するが、08:50発の祁県行きのバスが最初のバスということであった。
酸辣米線
中途半端に時間が空くので古城内を散歩して、07:25頃、四川料理の食堂で酸辣米線(6元/約120円)を食べる。四川料理の食堂だったのでスープの唐辛子が滅茶苦茶効いており口の中が火事だ。四川料理を甘く見ると痛い目というか辛い目に遭う。
平遙→祁県
08:35頃、再び平遥汽車站へ。祁県行きのバスに乗車するが喬家大院と表示されているので喬家大院まで行くようだ。バスは既に乗客でほぼ埋まっている。
渠家大院
09:30頃、祁県の駅前通り新建南路で下車する。09:55頃、 昭馀古城の渠家大院に到着。入場料は40元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。
祁県の県城にある清代古民居で規模はそこそこある。清の乾隆年間に晋中の豪商である渠氏により建てられ200年以上の歴史がある。周辺には渠氏最大の茶庄である長裕川茶庄などがあり渠家大院と共に公開されている。
あまり整備はされていないので建物内は空になっているか鍵が掛けられている。特に資料展示とかもなく、そのまま建物を見物となる。
明清民居の中では有名ではないようなので観光客はほとんどおらず管理人のおばちゃんたちがいるぐらいで敷地内は静か。10:40頃、渠家大院を離れる。
渠家大院の前は晋商老街になっており古鎮として古い街並みが保存されている。
日本製品ボイコットの横断幕
晋商老街を散歩していると骨董品屋で面白いものを見つける。日本製品ボイコットの横断幕だ。「勿忘国耻 坚决抵制日货 从我做起」(国辱を忘れるな 日本製品ボイコット 私から始めよう)なんてあるのだが、こんな所で反日横断幕に出くわすなんて思わぬ収穫である。この骨董品屋の老板には是非とも頑張って日本製品ボイコットを実践してもらいたい。スマホや家電製品の買い替えの時に日本製の部品が使われていないか確認するのが大変だろうけど・・・。スマホなんかで日本の部品無しを探すのは至難の業だろうな。
まあ、とにかく日本製品ボイコット頑張ってくれ!自分は中国製品ボイコットとか絶対にありえないから!こちら生産国に関係なく品質と価格で選んでいるから。
三国志遺跡 王允墓
次は祁県の北西にある三国志遺跡の王允墓を目指すがグーグルマップに出てくる4路のバスが見あたらない。県城を出て国道沿いに西へ歩き、途中で郷道を北へ向かう。余所者が歩いているので村民たちがガン見でこちらを見ている。目を合わせると目を逸らすし・・・。何か後ろめたいことでもあるのかよ?
修善村、里村村と入り村の通りを西へと歩く。里村小学、里村中学、修善小学の前を通過して通りの突き当たりを右(北)へと歩くと修善村村民委員会に到着する。ここで王允墓の標識を見つける。
そして、標識の近くには三賢善館とかいう記念館みたいなのがある。三賢善館は閉まっていたので王允墓へ向かう。
西へ歩くと左(南)にそれっぽい壁が見える。壁の方へ行ってみると案内板が見てきた。12:40頃、王允墓に到着する。グーグルマップは実際のGPS座標から東へ600mずれていた。
王允はいわずと知れた後漢の司徒、貂蝉の養父で董卓殺害の首謀者である。王允は修善村が故郷であり死後に修善村に埋葬された。
13:00頃、王允墓を離れ祁県へ向かう。修善村には漢の光武帝の頃に活躍した温序の墓もあるが、興味が沸かずにスルーになる。村民にガン見されながら郷道を歩いてバスに遭遇することなく、14:15頃、国道まで戻ってきた。
近くの双友包装厂のバス停から1路のバスに乗車するが運賃箱がない。後払いと思っていたら乗車してくる乗客は運賃を払わず下車しているではないか!どうやら祁県の路線バスは無料化されているようだ。だから長距離の4路は消えたのか?
14:50頃、祁県汽車客運站に到着するがバスターミナルは運用されていなかった。建物は完成しているが何故か運用されていない。路線バスの停車場として運用はされてはいるが・・・。
14:55頃、とりあえず国道で平遥方面へ向かうバスを止めるが高速に乗るバスだったので平遥は素通りという事で次のバスを待つ。15:00頃、介休行きのバスに乗車して平遥へ向かう。運賃は10元、15:30頃、平遥に到着し国道の交差点で降ろされる。バスターミナルには寄らないので国道から南へ1kmほど歩くと平遥古城の北門だ。
だが、この交差点は降車ポイントになっているので常にボリタクが待ち構えている。ボリタクの運ちゃんが声をかけてくるが「金無い」と返答したら「古城までの5元払えないのか!」とか文句言ってるし。ブチ切れているので無視しておく。
香菇炒飯
16:00頃、古城近くのイスラム食堂で香菇炒飯(10元/約200円)を食べる。香菇は椎茸なので椎茸炒飯だ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 16元 | |
バス | 8元 | 平遥→祁県 |
バス | 10元 | 祁県→平遙 |
合計 | 34元 |
平遙→太谷
向かいの宿の団体客のやかましい声で目が覚める。金持ちの団体客は朝から移動のようで電動カート待ちで外にいるがやかましい。まあ、目覚まし代わりにはなったので良しとするか。
06:55頃、バスターミナルの平遥汽車站に到着する。太谷行きのチケットを購入してバスに乗車する。太谷までは15元だ。
バスは07:20発、太谷経由の晋中(楡次)行きだが時間になっても発車しない。時刻表通りに運行されない中国では遅れるのはいつものことだ。07:40頃、20分遅れでようやく発車する。
太谷汽車站
09:05頃、太谷に到着するがバスターミナルには入らないので太谷汽車站近くで下車する。
太谷汽車站の時刻表を確認しておくがバスは少ない。まあ、国道で待っていれば太原や平遥行きのバスがいくらでも通るので利用価値は低いだろう。
太谷汽車站前のバス停からT01路のバスに乗車して県城へ向かう。運賃は1元で、09:50頃、購物中心のバス停で下車して徒歩5分ほどで無辺寺に到着する。入場料は太谷鼓楼とのセットで25元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。
無辺寺
無辺寺は県城の南寺街に位置しており、元は白塔村と呼ばれており、北周の建徳6年(557)に徒県が置かれていた。言い伝えでは「先有白塔村、后有太谷城」(先に白塔村があり、後に太谷城がある)と言われている。
無辺寺の創建は西晋の泰始8年(272)で、無辺寺の名称は「仏法無辺」の意味から名付けられた。寺には白塔があり北宋の治平年間に修復され、「普慈寺」と改額される。北宋の元祐5年(1090)にも修復が行われ、現在の塔は宋代の風格を留めている。元、明、清代に修復が繰り返され、清の光緒年間の修復で旧名の「無辺寺」に戻る。
境内は静かで観光客は少ない。僧侶はおらず管理人が住んでいるようだ。寺と言うより博物館になっている感じだ。
そして、寺を出るとこんなプレートを見つける。この寺は伝説の抗日ドラマ「亮剣」の撮影地であった。「亮剣」はドラマに出てくる日本兵が全て日本語を話していることになっているのだが、その日本語のクオリティの酷さから一部の日本人にも知られている。10:40頃、無辺寺を離れ鼓楼へ向かう
太谷鼓楼
10:50頃、太谷鼓楼に到着する。陝西旅游年票を使い入場料は無料だ。
鼓楼の創建は明の万歴43年(1675)になり、清の康熙21年(1682)、乾隆26年(1761)、光緒34年(1908)などで修復がされてきた。現存する鼓楼にも明末清初の風格が残されている。
建物はかなり傷んでいるが当時の状態が留められているので歴史を感じさせる。
周辺は古鎮の太谷古城として町おこしで売り出し中のようで観光開発が始まりつつある。現時点では古い街並みが残っているのだが5年後は土産物屋とレストランが建ち並んでいる可能性がある。
古い街並みはカオス度が高いのだが、それが田舎の古い街並みの雰囲気を引き立てているともいえる。11:10頃、太谷鼓楼を離れる。
孔家大院(孔祥熙宅園)
11:15頃、孔家大院の孔祥熙宅園に到着する。入口だけ見て終了。
刀削麺
イスラム食堂で昼食に刀削麺(7元/約140円)を食べる。山西省といえば刀削麺が名物の麺料理だ。刀削麺と一口で言っても麺を削る料理人の腕で削り具合、太麺から細麺まで様々にある。この店は他の店より細目の麺が特徴だ。お好みで唐辛子とお酢を入れて食べます。
三多堂(曹家大院)
11:55頃、T06路のバスに乗車する。運賃は1元、12:10頃、終点の三多堂(曹家大院)に到着する。入場料は72元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。
三多堂は太谷県城の南西5kmにある北洸村に位置しており、曹家大院とも呼ばれ、明、清代の豪商の太谷曹家の堂名である。三多堂の三多は邸宅内にある多子堂、多寿堂、多福堂を指している。三多堂の建設は明末清初になり邸宅には部屋数は277部屋になり、壁は厚く楼は高く砦の様になっている。
太谷曹家は明末期から明国26年(1937)、約300年間に国内外大小640余りの酒造、運送、金融などを展開していた。大半は中国であるが、東京、パリ、ロンドン、モスクワなどにも進出していた。国内資産は1200万テールになり、37000人以上を雇用していた晋商の筆頭である。
しかし、清朝末期の1900年に国立銀行が設立され票号といった銀行に相当する民間金融業が衰退し曹家も損失を出す。
そして、張作霖などの軍閥台頭により曹家は東北部での財産を失い、日中戦争により日本軍が太谷を占領し曹家の繁栄は終わる。最終的には日本軍が曹家の家財を運び出していったという事です。
三多堂は曹家の財力を物語っており広大な敷地に砦のような楼閣、分厚い壁で邸宅が囲まれている。
建物内には古民家の家具が展示されており、収蔵点数はかなり多い。家財は日本軍が運び出したとなっているので、周辺から買い集めて展示しているのだろうか?
で、ここも抗日ドラマの「亮剣」の撮影地になっていました。ここは山西省だから晋綬軍が戦っていた場所ですね。
14:00頃、三多堂を出て約1km北の国道108号へ向かう。14:15頃、国道108号に出て平遥方面のバスを待つ。しばらくして霊石行きのバスが通るが空席だらけなのに運ちゃんに無視される。14:40頃、平遥行きのバスに乗車、運賃は15元だ。15:30頃、平遥汽車站に到着するがボリタクの運ちゃんがしつこい。古城まで徒歩10分位なのに何でボリタクに乗る必要があるんだよ!ボリタクを回避して平遙駅へ向かう。15:45頃、平遙駅で明後日の太原南行きの切符を受け取る。
大碗麺
16:00頃、駅前の食堂で大碗麺(5元/約100円)を食べる。注文を受けてから製麺機で麺を作り鍋へ麺を投入。手で引っ張って麺を作るのではないので拉麺ではない。まあ、日本のラーメン屋もほとんどは業者から生麺を仕入れているわけだし、これは自家製生麺といったところかな?おそらく醤油系のスープでトッピングに卵が乗っかっている。味玉付きといったところかな。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 17元 | |
バス | 15元 | 平遥→太谷 |
バス | 15元 | 太谷→平遥 |
バス | 2元 | 路線バス |
合計 | 49元 |
平遥古城散歩
07:20頃、平遥古城の散策に出かける。今日は遠出せずに古城内を歩く。喬家大院も考えたが大院はお腹いっぱいといった感じで次の機会に・・・。
この時間だと店は閉まっているが観光客は結構外を歩いている。城壁に上れる南門は団体の観光客がかなり集まっておりやかましい。
このまま10月の国慶節までは観光シーズンで賑わっているのだろう。朝食と昼食は昨日購入しておいた饅頭で乗り切る。
木耳鶏蛋蓋麺
夕飯は行きつけのイスラム食堂で木耳鶏蛋蓋麺(10元/約200円)を食べる。スパゲッティの親戚とも言える蓋麺。キクラゲと卵にピーマン、玉ねぎを加えて炒め麺の上に乗せている。キクラゲの食感が最高!
いつもの通り西門を通るが城壁に立ち小便の跡が・・・。世界遺産に立ち小便とは恐れいった。やはり武警を警備につけて中国の宝でもある平遥古城保護のためにおサルさんを駆除するのが一番のような気がする。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 10元 | |
合計 | 10元 |