安徽省合肥 包公墓・李鴻章墓・李典墓

安徽省旅行記2015秋

朝食

07:25頃、餐庁へ行きビュッフェ式朝食を食べる。2皿ぐらい食べておきたいところだが列車の発車時間が迫っているので1皿に抑えて急いで食べて、07:38頃、部屋へ戻る。

すぐにレセプションへ行きチェックアウトの手続きをするが朝の混雑する時間帯なので自分の後にチェックアウトのラッシュが発生。少し待って07:51頃、ホテルをチェックアウトする。芍花路を歩き、約1.7km離れた毫州駅へ向かう。

毫州→合肥

08:10頃、毫州駅に到着する。切符と身分証の確認、手荷物検査を済ませ待合室へ。既に改札口には列はできておらず、群れができている。

今回乗車するのは08:35発、毫州→合肥のK8415次だ。席は硬座、運賃は50.5元、合肥まで325kmの距離を4時間35分で走る。

08:15頃、改札が始まりホームへ移動。

いつもの行先票を撮影して乗車車両へ向かう。

列車内は比較的平和で荷物棚には空きもあるが、発車間近になると尿素袋がやたらと目に付く。08:35に定刻通り発車し南へと走る。今回のK8415次は毫州始発というある意味で重要度の高い列車である。なぜ毫州始発に設定されているのだ?11:30頃になると盒飯の車内販売が始まる。1個10元だがどう見ても弁当ではなくエサである。ホテルの朝食の方が明らかに豪華だ。

一応平和な車内だと思っていたがとなりのおっちゃんが床に痰を吐いている。服を着たおサルさんが紛れ込んでいた。やはり中国、イベント無しで目的地まですんなりと移動させてくれない。昼頃になると前のおばちゃん6人組が歌い始める。中国だと公共の場でもカラオケBOX代わりの空間になってしまう。スマホで選曲して大合唱だ。日本で同じ事やったら精神病院を案内されそうだが中国では問題無しだ。中国だと突然一人で歌い出すのとかもいるからな・・・。

合肥

13:28頃、18分遅れで合肥駅に到着する。300km程度の短距離なのに遅延が発生している。駅前は工事が行われており臨時のバス停が設けられていたりする。

13:45頃、駅前から10路のバスに乗車。運賃1元、14:20頃、省第二人民医院で下車する。

合肥万能国際青年旅舎

10分ほど歩いて予約しておいたユースホステルの合肥万能国際青年旅舎(合肥万能国际青年旅舍/Hefei Valent International Youth Hostel)に到着する。1泊42元(会員料金)で4泊する。予約金を差し引いた残額151元を支払う。

部屋は8人ドミトリーだが部屋が暗いし湿気がこもっている。各ベッドにコンセントはあるが照明は下段のベッドにだけ付いている。ロッカーは小型のが人数分ある。Wi-Fiの電波は良好だがパスワードかかっていない。

トイレ・シャワーは部屋にあるが鍵付いてません。部屋にシャワーがあるから湿気が酷いようだ。

青椒土豆蓋麺

15:00頃、包公園へ向かう。途中イスラム食堂で青椒土豆蓋麺(10元/約200円)を食べる。

ピーマンとジャガイモの炒め物が麺の上に乗っている定番麺料理だ。

ちなみに合肥のイスラム食堂だと麺料理とかの値段はこんな感じだ。牛肉拉麺や刀削麺が8元だ。

炒飯は8元からになる。

包公祠

15:50頃、包公園に到着。8年ぶりの包公園だ。公園自体は無料だが公園内の包公祠(20元)、包公墓、浮庄は有料だ。まずは包公祠から見物だ。入場料は20元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

包公祠は北宋の名判官である包拯を祀っている。河南省開封にも包公祠はあるが合肥は包拯の故郷であり墓があるので包拯を記念して祠が建てられた。

殿内には金ピカの包拯や王朝、馬漢、張龍、趙虎の像があります。包青天の視聴者からするとお馴染みの面々ですが公孫先生と展護衛がいません。この2人の像もないと完璧とはいえません。

包公祠の隣には蝋人形館があり包青天の名場面が再現されています。これは打龍袍の場面です。

包公墓

16:20頃、公園内の包公墓を訪れます。これが包拯の墓です。

墓室も公開されており地下の墓道を通っていきます。

ここが墓室になります。

蘑菇青菜蓋飯

夕飯はユースホステル近くのイスラム食堂で蘑菇青菜蓋飯(10元/約200円)を食べる。キノコと青菜の炒め物がご飯の上に乗っています。

これはメニュー表で牛肉拉麺は8元になっている。

炒飯は7元からあるが蓋飯は10元からになっている。全体的に値段は高めになっており食料品はインフレ傾向にある感じだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
宿泊費 151元 1泊42元(会員料金)×4
バス 2元 路線バス
合計 173元

李鴻章墓

朝のうちにネットで25日の広州東行きの切符購入と広州でのユースホステルの予約をしておく。

08:20頃、稲香楼のバス停から6路のバスに乗車。
運賃1元、09:00頃、李鴻章享堂のバス停で下車し来た道を3分ほど歩き李鴻章享堂に到着。入場料無料で入口で台帳に登記して見物となる。天気は霧雨で外を出歩くのには条件が悪いが仕方がない。

李鴻章享堂には李鴻章の墓がある。李鴻章は清朝の北洋軍閥の総帥であり日清戦争で下関条約調印時の清朝全権代表である。合肥出身、1823年生まれで1901年に亡くなり1903年に故郷の合肥で埋葬された。墓は李鴻章、趙氏夫人との合葬墓である。

墓園は神道碑、神道、墓からなっている。神道碑は李鴻章の一生と朝廷よりの封賞などが記されている。

そして、ポメラで説明をメモしていると見物しに来ているおっちゃんたちが後ろから覗き込んでくる。中国だとメモを取っているとやたらと後ろから覗き込まれる。日本では覗き込まれることはないのだが・・・。中国では他人のメモを覗くのが流行っているのか?

李鴻章は一等侯を追封されており神道の両側には文官、武官、馬、虎、羊の石像が安置されている。

こちらは文官像。

3つの御制碑は光緒帝より賜った御制祭文碑と碑文碑になり左右の2つは実物であるが中央の1つは複製品である。

享堂の前堂には日清戦争時に下関での講話条約交渉で小山豊太郎に狙撃された際の服が展示されている。

服には血の痕が残っているのだが、これ本当に李鴻章が着ていた服なのかな?ここに展示していたら盗まれないか?複製品のような気がする。本物なら安徽博物院で展示した方が安全だろう。

享堂の寝室には李鴻章の位牌が安置されている。10:10頃、李鴻章享堂を出る。

逍遥津公園

10:20頃、106路のバスに乗車する。運賃1元、10:50頃、逍遥津で下車。

逍遥津公園に到着。

入口では張遼像がお出迎えだ。

逍遥津は後漢の建安20年(215)に10万の大軍を率いる呉の孫権を張遼が800の兵で打ち破った場所である。三国志演義では第67回の舞台であり重要な三国志遺跡である。

公園内には張遼墓と張遼衣冠塚がある。張遼衣冠塚は霧雨で見えないのであきらめる。衣冠塚のある島の前ではボートに乗ったカップルがいちゃついていた。

公園の一角ではコスプレの撮影会が行われていた。いや、一角ではなかった。各所で行われていた。

張遼墓

11:30頃、張遼墓に到着。

破壊されずに8年前と変わらず無事だ。

明教寺・教弩台

昼頃、明教寺に到着するが修復工事で閉鎖されている。ここには三国志遺跡の教弩台があるのだが、大型クレーンまで投入して工事しているので来年中に工事完了するかな?

安徽省博物館

12:05頃、逍遥津のバス停から2路のバスに乗車する。運賃1元、博物館で下車する。

安徽省博物館に到着するが、こちらは旧館で別の場所に新館がある。展示内容の半分ぐらいが抗日戦争だったのだが国民党軍の活躍がほとんどなく新四軍と八路軍の活躍ばかりでつまらない。

興味を引かれたのは安徽省の古村落の展示だ。徽商に関する展示もあったりなかなか興味深い。新館ではもっと充実した展示なのだろう。

そして、展示物を見ているとイベント発生。目の前のおっさんが床に痰を吐きやがった。何故おサルさんが博物館に紛れ込んでいるのだ?12:50頃、安徽省博物館を出る。

廬州府城隍廟

13:00頃、廬州府城隍廟を訪れる。城隍廟は北宋の皇祐3年に創建され、現存する建築物は清の光緒3年に李鴻章が資金を募り再建されたものである。

で、撮影していると地元民の爺さんがわざわざカメラの前に来てガン見している。それほど撮ってほしいのか?それとも何しているか気になるのか?爺さん邪魔なんだけど。

城隍廟は思恵楼と娘娘殿があるぐらいで正直言って見なくても良かった。上海城隍廟みたいなのを想像していたが全く違った。
これは思恵楼。

こちらが娘娘殿。

酸白菜拌麺

昼食はイスラム食堂で酸白菜拌麺(10元/約200円)を食べる。

洋葱鶏蛋蓋麺

夕飯は洋葱鶏蛋蓋麺(12元/約240円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 24元
宿泊費 22元 予約金:広州江畔国際青年旅舎
鉄道 211.5元 硬座 合肥→広州東
バス 3元 路線バス
合計 260.5元

紫蓬山風景区

08:15頃、ユースホステルを出てバス停へ。今日は李典墓のある紫蓬山へ向かう。合肥のバス停は次のバスがどれくらいで到着するかが分かるようになっているので非常に便利である。

08:25頃、曙光新村のバス停から226路のバスに乗車。運賃1元、徽園で下車し紫蓬山行きの80路のバスを待つ。5分ほど待って80路のバスに乗車。終点の紫蓬山まで運賃は1元。

09:40頃、紫蓬山に到着して、そのまま道なりに紫蓬山風景区へ向かう。

09:50頃、紫蓬山風景区の山門に到着。2007年に訪れたときは有料だったのだが入場券売場見あたらず無料になったようだ。

景区の地図には李典墓があるので、まずは目印になりそうな西盧寺を目指す。

10:15頃、桜花園、紫徽園を通過するが案内の看板見ると、わざわざ日本と日の字を削って消している。正直笑ってしまった。日本嫌いは個人の自由だから別にいいけど公共物の破壊はダメだろう。

西盧寺まで来たが寺は有料なので素通りして李典墓へ向かう。遊歩道には標識が出ているので迷うことはないだろう。2007年に訪れた際は迷って李典墓は未達に終わっているからな。

標識の通りに進みます。

李典墓

10:30頃、三国志遺跡の李典墓に到着。仙人洞の隣に李典墓はあった。意外にもわかりやすかった。李典は曹操に仕えた武将で張遼とともに合肥を守備している。

で、李典墓にも説明の標識があるのだが、日本語の説明だけわざわざ削り取られている。削り具合からして最初は平仮名だけ削っていたようだが途中から面倒になったのか漢字も一緒に削り取っているというか中途半端に削っている。漢の字まで削っているよ。

あと脇に「日本狗还写在上面」と落書きしてある。日本嫌いなのは自由だけど公共物は大切にしようよ。

そして、李典墓にも落書きが・・・。中国人は何故遺跡の破壊をするのだ?とりあえず李典の祟りがあることを期待する。11:00頃、李典墓を離れる。11:35頃、景区山門まで戻ってきた。11:50頃、紫蓬山バス停に到着。11:55頃、80路のバスに乗車。運賃1元、徽園で下車する。12:45頃、226路のバスに乗り換える。運賃1元、13:45頃、中緑広場に到着。

合肥駅

13:55頃、合肥駅到着。

明後日の広州東行きの切符を受け取る。切符売場は空いており待ち時間無しで受け取る。

切符売場には新100元札のポスターが貼られ新しい偽造防止機能を紹介していた。中国の事なので来年には新しい偽札も出まわるような気が・・・。

牛肉炒飯

14:05頃、イスラム食堂で遅めの昼食に牛肉炒飯(9元/約180円)を食べる。久しぶりの牛肉炒飯だ。油少なめだったので食べやすかった。

逍遙津公園

14:30頃、中緑広場から801路のバスに乗車。運賃1元、15:00頃、逍遙津で下車、逍遙津公園に到着。

まずは昨日に続き逍遙津公園で張遼像を見物。

張遼像は気合いの入った作りでカッコいい!

続いて昨日見えなかった張遼衣冠塚を見物。衣冠塚のある島の前をスワンボートが通過する。

こちらはボートで行く気はないので岸から見るだけだ。

葱爆牛肉拌麺

16:10頃、イスラム食堂で葱爆牛肉拌麺(12元/約240円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 24元
バス 5元 路線バス
合計 29元

安徽博物院

朝から雨が降っている。
天気予報だと昼間には雪も降るようだが中国の天気予報は当たらないので雪は降らないだろうな。08:20頃、安医附院のバス停から103路のバスに乗車。運賃1元、09:05頃、平塘站で下車する。

09:20頃、安徽博物院に到着、入場料無料だ。三国志関連の展示があるか期待してやってきたがありました。

曹氏家族墓群からの出土品が展示されており曹騰墓から出土した煉瓦に刻まれた「曹騰」の文字が読みとれる。

他にも「曹忠」「曹君」と刻まれた煉瓦もある。

呉の朱然墓からの出土品も展示されている。

三国志以外だと北宋の名判官である包拯の墓誌が展示されている。

それと徽商(安徽省の商人)の展示内容も充実している。徽商は塩、材木、茶、質屋の四業種での経営がもっとも盛んであり、明代の南京では約500軒の質屋を徽商たちが開いていた。清代になると胡貫三が長江中下流域で36軒の質屋を開き江南六大富商之一と称された。徽州での茶葉生産も盛んで屯緑、祁門紅茶が知られ、特に祁門紅茶はヨーロッパへ輸出され世界三大紅茶のひとつとされる。

安徽省の古建築では梁の部分の装飾が展示されている。その装飾に長坂坡で阿斗を救った趙雲と張郃が戦う場面が再現されている。

景山から観戦する曹操も彫られている。11:30頃、安徽博物院を出てバス停へ向かう。

中華式バリアフリー横断歩道

途中の横断歩道であることに気がつく。中国にもバリアフリーの横断歩道が設置されているのだ。

車椅子が通れるバリアフリーの横断歩道なのだが、よく見ると渡りきると植え込みで歩道へは行けず。これはチャイナクオリティなのか?それとも中華式バリアフリーということか?

葱油拌麺

昼食はイスラム食堂で葱油拌麺(10元/約200円)を食べる。葱油拌麺は江南地方の麺料理で葱と油を麺と混ぜて食べる。
油そばに近い感じだ。

蘑菇青菜蓋飯

夕飯は蘑菇青菜蓋飯(10元/約200円)を食べる。キノコと青菜の炒め物が美味い!

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 2元 路線バス
合計 22元

包公祠

昨晩、雪が降り歩道橋に雪が少し残っており、かなり寒い。09:00頃、包公園を訪れる。今日は広東省広州へ向かうのだが出発前に包公園をもう一度訪れた。まずは包公祠から見物だ。入場料20元だが陝西旅游年票を使い無料で見物。

朝の時間帯なので観光客少なく静かだ。カッコいい包拯像はいいのだが、やはり公孫策や展昭の像がないので物足りない。王朝、馬漢、趙虎、張龍の像はあるのに何故2人がいないのだ?

包公墓・清風閣

続いて、包公墓と清風閣を見物。入場料は35元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

ここも観光客少なく静かで雰囲気がよい。神道、享堂を通り墓へと向かう。

これが北宋の名判官である包拯の墓だ。

地下の墓室が公開されているので墓道を通っていく。

墓室は誰もおらず貸し切り状態だ。

続いて清風閣を見物。こちらは新しい楼閣で包拯に関するパネル展示がメインになる。最上階から周辺を見渡すこともできる。

ウォルマート

10:05頃、包公園を出てウォルマートへ向かうがおっちゃんが痰吐いている。偉大な中国が崩壊し学校で習った中国とひどい乖離が発生している。

10:15頃、包公園の南東にあるウォルマートで広州までの食料に饅頭を購入する。3袋で14.6元、これで広州までの食糧は確保完了。ユースホステルへ戻り出発の準備を整える。

合肥駅

11:20頃、ユースホステルをチェックアウトして226路のバスに乗車する。11:55頃、終点の中緑広場に到着。駅へ歩いていくと前を歩いていた姉ちゃんが痰吐きやがった。合肥はこんな未開の土地ではないはずなのだが・・・。包拯の生まれ故郷で何故こんなおサルさんがいるのだ?

12:05頃、合肥駅に到着、いつもの切符と身分証の確認を済ませる。

続いて手荷物検査を済ませて待合室へ。

12:47頃、自動改札機の先頭を陣取る。自分が陣取ると他の乗客も並ぶというか改札機周辺に群れだした。で、合肥駅でも自動改札機の使い方を研究しているおっちゃんたちがいる。2008年の北京オリンピックにあわせて自動改札機を見かけるようになって7年ぐらいになるが、まだ自動改札機の使い方を知らない人がいるとは・・・。

合肥→広州東

これから乗車する列車は13:47発、合肥→広州東のK311次だ。席は硬座、運賃は211.5元、1417kmの距離を19時間49分で走る。ちなみに日本の北斗星は1214kmなので、ちょっとだけ距離が長い。

13:17頃、改札が始まりホームへ移動。

いつもの行先票を撮影。

乗車して荷物置き場を確保。改札口で先頭を陣取っていたので余裕で確保。あとは発車を待つだけだ。広州東行きなので天秤棒担いだおっちゃんがいたりカオス度が高めだがイベントもなく無事に広州東に到着できるかな?でも、対面の席はおむつをした又割れズボンのガキを抱えた夫婦だ。座席でウンコイベントが発生する危険性がある。この夫婦がおサルさんでないことを祈る。

しかし、発車前にイベントが発生する。ガキが放尿したようでおむつを取りゴミ箱へ捨てる。新しいおむつを付けるのかと思ったらおむつ無しのままだ。これで次の放尿は通路確定だ。いや、通路にウンコかもしれない。

13:47に定刻通り列車が発車する。乗車率は満席で無座の乗客も少しいる。安徽省合肥から南へ走り南国の広州東駅には明朝09:36到着予定だ。

15:40頃、桐城に到着。ここで又割れズボンのガキを抱えた夫婦が降りた。これで通路に放尿とかのイベントは回避された。でも空いた席では婆さんがひまわりの種を食べながら皮は床へ。おサルさんは乗車したままであった。乗務員のおっちゃんは掃除が大変だ。

停車駅ごとに乗車率が下がり17:00過ぎには5割ぐらいにまで下がる。寝台も空きがあるようで停車駅ごとに車内放送で案内がある。

で、乗務員のおっちゃんに行き先を聞かれ広州東と答えたら空いている3列席で寝られると案内され移動する。通常は3列席を占領していると乗務員の説教が待っているのだが、ここまで空いているので逆に寝られると案内されてしまった。他の広州東への乗客も同じように空いている3列シートを案内され移動、中には1人でBOX席まるごと6人分を「六个座位,随便坐」と案内される者までいる。乗客が少ないと乗務員のおっちゃんは気前がよい。

19:06頃、江西省九江に到着。安徽省から江西省へ入った。

南昌西駅到着前の車内はご覧の通り空席だらけだ。

21:05頃、南昌西駅に到着。江西省の省都・南昌まで南下してきた。

ホームへ降りて撮影。南昌西駅は高速鉄道駅で大きいのだが乗車してきた乗客は少なく乗車率は5割以下だ。やはり快速で一晩かけて広州より、高速鉄道で一気に広州へ行く利用客ばかりなのだろう。

空いているので通路に足が投げ出されていたりする。いや、満席でも投げ出されているな。21:30頃、南昌西駅を発車。朝まで一眠りだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14.6元
バス 3元 路線バス
合計 17.6元

安徽省亳州 三国志遺跡巡り・曹操の故郷

安徽省旅行記2015秋

河南省を離れる

07:40頃、ビュッフェ式の朝食を食べる。昨日は気づかなかったが他の客がお代わりしているの自分もお代わりだ。ただし、自分は大量に食べるので服務員のおばちゃんに気付かれないようにこっそりとモヤシの炒め物とかを大量に皿へ盛る。これで夕方までのエネルギー源を確保。

09:00頃、ホテルをチェックアウトしてバスターミナルへ移動する。今日は河南省を離れ曹操の故郷である安徽省亳州へ移動する。鉄道でも行けるのだが亳州行きの列車は全て商丘南駅からの発車になっているので、商丘駅から路線バスで移動しなければならないし、商丘南駅は途中駅なので乗車バトルも待っている。それに亳州まで70kmくらいしか離れていないので駅での待ち時間を考えるとバスで行った方が楽だし早く到着する。運賃は高いけど・・・。

商丘→亳州

09:30頃、商丘駅前の商丘中心汽車站に到着。09:40発、亳州行きのバスチケットを購入、バスは20分に1本なのでバスの本数は心配ない。運賃は24元、購入時に身分証確認がありパスポートを提示。09:35頃、バスが到着して乗車、09:40に発車。途中で客を乗せたりするが半分ぐらいしか埋まらない。

11:15頃、亳州客運西站に到着。とりあえずバス情報確認するが豪州から西へのバスが出ているようだ。。

客運西站の隣が路線バスの発着場になっており、ここから市内へ移動となる。亳州駅へは10路、15路のバスで移動可能だ。17路のバスで予約してあるホテル近くの市政府東門のバス停を目指す。ちなみに17路のバスは曹操公園にも行く。11:40頃、17路のバスに乗車して市内へ向かう。

新貴都城市酒店

12:15頃、市政府東門でバスを降りて3分ほど歩いてQunar.comで予約しておいた新貴都城市酒店に到着するが市政府の東隣で外観が立派すぎるし4ツ星ホテルであった。

どう考えても場所からして金持ちと党幹部御用達で貧乏バックパッカーには縁のないホテルだ。でも、ここぐらいしか外人OKの中で条件に合うところが無かった。ここは外人OKの宿なのだがQunar.comには一度騙されてホータンで酷い目に遭っているからな・・・。

レセプションで予約確認書を見せて登記をする。パスポートはコピー取ったり公安に届けたりするようで一時預かりで後で取りに来てという事になる。追い出されず外人OKであった。

部屋は1泊138元で3泊する。めちゃ高いのだがQunar.comから1泊につき30元のキャッシュバックがあるので実質108元になる。部屋は1人部屋で広めだ。テレビや電気ケトルがあり標準的な設備だ。Wi-Fiはパスワードかかっていないが速度は問題なし。

トイレ・シャワーは、ちょっと狭めだが問題なし。ただ扉が木製なので湿気にやられている。水回りの扉はプラスチックにするのが一番いいと思うのだが・・・。13:25頃、ホテルを出て曹操公園へ向かう。

曹操公園

13:35頃、曹操公園に到着。

公園内の魏武祠(曹操紀念館)を見物するのだが、まずは曹操像が巡礼者をお出迎えしてくれる。

魏武祠

魏武祠の入場料30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物。

曹操を祀った祠であるが資料館になっている。もちろん曹操像があり参拝できるようになっている。やはり曹操の地元だけはあり曹操像にはかなり力が入れられている。

曹四孤堆

続いて同じ曹操公園内にある曹四孤堆を探す。辟邪の像があったのですぐに見つかる。神道が整備されて墓として整備されている。

ここは曹氏の墓が4つ残っている。誰の墓かは分からないが曹氏一族の墓であることには間違いない。14:35頃、曹操公園を離れ魏武大道を北へ歩き曹操家族墓へ向かう。

曹操家族墓(張園漢墓)

14:50頃、曹操家族墓(張園漢墓)に到着。入場料は20元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

曹氏の墓であるが度重なる盗掘にあっており墓主は未確定のままのようだ。墓の周辺を整備中で資材が大量に運び込まれていた。

地下の墓室が開放されているので見物するが湿気がかなり溜まっており蒸している。

墓室には何も残っていないが墓室の扉に龍虎図などが残っている。15:10頃、曹操家族墓から曹騰墓へ向かう。

曹騰墓

15:20頃、曹騰墓に到着。入場料20元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

曹騰は曹操の祖父になる。祖父といっても宦官なんですけどね。

ここも地下の墓室が公開されている。

奥の墓室には玉衣の複製品が展示されている。15:40頃、曹騰墓を離れる。

亳州市客運站が閉鎖されていた

16:00頃、亳州市客運站に到着するが閉まってる。でかい案内板を読むと2015年10月18日で市内4カ所のバスターミナルが一斉に閉鎖されている。運営されているのは臨時客運南站、客運西站、客運東站の3つになる。

時刻表が出ていたので撮影しておく。これは南バスターミナルの臨時客運南站の時刻表。南、南東、南西へのバスが運行されている。

こちらは西バスターミナルの市客運西站の時刻表。西、北へのバスが運行されている。

こちらは東バスターミナルの市客運東站の時刻表。東、北東へのバスが運行されている。

これは豪州の路線バスの運行図。バスターミナルが大幅に変更されたので路線バスも変更されている。

東観稼台

閉鎖された亳州市客運站の近くに東観稼台があるのだが、高徳地図で確認しながら行くと民家の立ち並ぶ区画に到着。そのまま奥へ行こうとすると地元民のおばちゃんたちが「过不去」と言っている。通り抜け不可のようだ。

おばちゃんたちにスマホみせて「ここに行きたいんやけど」と聞いてみるが、おばちゃんたちの後ろにある石碑は・・・。16:15頃、東観稼台に到着。

「これ!これ!」と騒いでいたらおばちゃんたち退いてくれて写真を撮らせてもらうがゴミが凄いことになっている。東観稼台は曹操が屯田制を敷いた時に監督していた場所なのだがゴミだらけになっているとは・・・。

蒜苔肉絲蓋麺

夕飯は近くのイスラム食堂で蒜苔肉絲蓋麺(12元/約240円)を食べる。蒜苔(ニンニクの芽)と牛肉、赤ピーマンの炒め物を麺に乗せた中華スパゲッティだ。

夜はチャイナ・ユニコムの携帯通話料を100元チャージしておく。ネットでチャージなので1.5元割引だ。基本料金は毎月8元なので、これで1年分の基本料金は払い込んだことになる。それと合肥での宿も予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 12元
宿泊費 418元 1泊138元×3(Qunar.com)
宿泊費 16.8元 予約金:合肥万能国际青年旅舍
バス 2元 路線バス
バス 24元 商丘→亳州
携帯通話料 98.5元 100元チャージ
合計 571.3元

亳州駅

07:40頃、2Fの餐庁でビュッフェ式の朝食を食べるが何やら種類が豊富だ。今までで一番豪華な朝食だカメラ部屋に置いたままだ!明日はカメラ持参だ。部屋に戻り12306.cnで明後日の合肥行きの切符を購入して、08:40頃、ホテルを出て徒歩で亳州駅へ。

09:00頃、亳州駅に到着。駅前の曹操像の前にはバスターミナル閉鎖などの案内が設置されている。昨日、閉鎖された亳州市客運站にあったのと同じ内容だ。もう一度読んでみると2015年中に新北バスターミナル、新南バスターミナルが着工のようだ。そうすると新バスターミナルが完成すると路線バスにも大幅な変更があるということだな。

この案内看板があるおかげで駅前の曹操像は暫くの間は撮影不適だな。春節の後に撤去されるか、それとも地元民の破壊で無くなるのが早いか?まあ、しばらくは撮影の邪魔になるな。曹操像の次は切符売場へ行き5分ほど並んで21日の合肥行きの切符を受け取る。これで移動の準備は整った。

魏武故里

09:20頃、1路のバスに乗車。運賃1元、09:30頃、工会大楼で下車し、人民路を東へ。天気予報では曇りなのだが雨が降ってきた。天気予報はあてにならない。

建安路まで来ると目印の建安小学が見えてきた。近くには建安路口のバス停があり亳州駅から10路のバスで到達可能だ。建安小学の脇の路地を進むと柵に囲まれた銀杏の古木が見えてきた。

09:50頃、魏武故里に到着。

魏武故里は曹操の邸宅址になり、現在は2本の銀杏の古木が残りお参りできるようになっている。曹操ファンの巡礼地の一つである。地元民の視線を浴びるので、10:05頃、魏武故里を離れ八角台へ向かう。

八角台

10:30頃、八角台に到着するが公園建設予定地になり壁に囲まれ封鎖されていたが裏側は壁がなく入れるようになっていた。

しかし、文物保護単位の石碑周辺はゴミの不法投棄地になりウンコ地雷が多数仕掛けれていた。なぜここでウンコするのだ?ここだと壁があっても周囲からケツ丸見えだぞ!曹操に恨みでもあるのか?10:35頃、八角台を離れる。

白衣律院

11:00頃、交通路と魏武大道の交差点近くの歩道で華佗像を発見する。何故こんな所に華佗像があるのだ?

近くに白衣律院という寺があるので見物していく。白衣観音が祀られ地元民がお参りに来ている。

白衣律院は白衣庵とも呼ばれ、中国四大律院のひとつである。清の順治6年(1649)に僧侶の尽休により創建され、乾隆25年(1760)に豪商の董氏の寄付により拡張され、民国時期の戦乱により寺は荒廃し現在に至る。現在は観光開発により各所で工事が行われている。11:30頃、白衣律院を離れる。

曹操運兵道

11:55頃、人民路の曹操運兵道に到着。入場料は50元だが陝西旅游年票を使い無料で入場券を受け取る。

まずは譙望楼を見物。譙望楼は曹操が建設した楼閣だが曹操運兵道の近くに復元されている。

この譙望楼の地下から曹操運兵道へ入れるようになっている。曹操運兵道は後漢末期に建設が始まった地下道で伝説では曹操が建設したとされている。この地下道は発見されているだけで長さ6km近くになり約700mが修復され公開されている。通路が塞がれている部分もあり、この先が未修復の部分のようだ。地下道からは漢唐宋の各時代の剣、陶器、古銭が出土している。13:00頃、曹操運兵道から華佗庵へ向かう。

華祖庵

13:15頃、華祖庵に到着。入場料は50元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

華祖庵は華佗廟とも呼ばれ、華佗を祀った廟である。

創建は唐宋時期に何度かの修復を繰り返して、現在は華祖庵、華佗故居、碑園、古薬園、中医薬文化博物館が一体となった華佗テーマパーク?になっている。14:00頃、華祖庵を離れる。

南京巷銭庄

14:20頃、南京巷銭庄に到着。入場料は40元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

南京巷銭庄は清の道光5年(1825)に建てられ最も保存状態の良い古銭庄である。銭庄は銀行のような金融機関になる。

花戯楼(大関帝廟・張飛廟)

14:40頃、南京巷銭庄を離れ、14:45頃、花戯楼に到着。入場料は60元だが陝西旅游年票を使い無料で入場券を受け取る。

花戯楼は大関帝廟、張飛廟、岳飛廟、朱公書院、火神廟からなる。正直言って名称からして戯楼だから見てもつまらないだろうと思っていたら大関帝廟と張飛廟があるので急に面白くなってきた。

張飛廟

張飛廟の前身は蘇公祠であり、清の康熙57年(1718)に創建され、元々は知州の蘇灝を祀る廟であった。光緒9年(1883)に肉屋たちが資金集め蘇公祠を修繕し会館としても使用した。肉屋は張飛を始祖としていたために殿内に張飛像が祀られ徐々に張飛廟へと変わっていった。

ここの張飛像は金色で張飛っぽくない。

張飛廟の脇では華佗が祀られている。

大関帝廟

大関帝廟は山陝会館とも称され、清の順治13年に山西省と陝西省の薬商たちが資金を出し創建され350年以上の歴史を持つ。

山門は他の関帝廟とは違い石造りだ。

大関帝廟の関羽は珍しく春秋を読んでいない。

大関帝廟の山門の裏手が戯楼の花戯楼になっている。

岳飛廟

大関帝廟の隣にあるのが岳飛廟。16:00頃、花戯楼を離れ、16:20頃、華祖庵近くの新東方商城のバス停から5路のバスに乗車。運賃1元、市政府で下車してホテルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 6元
鉄道 50.5元 硬座 亳州→合肥
バス 2元 路線バス
合計 58.5元

ビュッフェ式朝食

07:30頃、餐庁でビュッフェ式朝食を食べる。種類が豊富なので皿に色々と盛って食べまくります。普段は肉なんて滅多に食べられないので肉多めに食べます。

で、まだ食べ足りないのでお代わりです。これでも足りないのですが食べ過ぎると追い出されてしまうのでこの辺でやめておきます。とりあえず朝食を食べたので出発準備です。

亳州博物館

09:15頃、亳州博物館を訪れる。入場料無料でパスポートを提示して見物。

館内には曹操たちの像があり曹操ファンのための博物館である。

曹操たちの胸像に目がいってしまうが、亳州博物館の一番の目玉は曹操の父親である曹嵩の銀縷玉衣であろう。他にも曹操家族墓群からの出土品が多数展示されている。

10:20頃、市政府のバス停から2路のバスに乗車。運賃1元、太平橋で下車。橋を渡り公園へ向かう。

湯王陵

10:45頃、湯王陵公園に到着。公園内を歩いて湯王陵に到着。

湯王陵は湯王墓とも呼ばれ伝説では湯王の衣冠塚と伝えられている。成湯は商の首領であったが夏王朝を滅ぼし商王朝を建てた。湯王陵は明の嘉靖23年(1544)に建立され幾度も破壊と修復を繰り返し現在に至る。

陵墓の墓碑には商成湯王陵と刻まれている。公園内にあるという事もあり地元民の憩いの場になっており犬が走り回ったり、子供の遊び場と化かしている。なので、子供が石碑の亀頭にまたがっていたり、老人が背中を亀頭でグリグリしていたりと遊具や健康器具として使われており、ガキや老人がいなくなるまで撮影できず。衣冠塚といえども、あの世で湯王は自分の墓が遊具や健康器具として利用されているとは思っていないだろう。

陵墓には民国時期の石碑、清の乾隆36年の石碑ともう一つ清代の石碑がある。11:30頃、湯王陵公園を出る。

ウォルマート

12:20頃、魏武大道の魏武広場脇にあるウォルマートに寄る。

ここで品質保持期限が迫り処分品になっていた梨汁飲料470ml(1.5元/約30円)を購入。亳州で4つ星ホテルに泊まっていても基本は貧乏人なので処分品とかの安物しか購入できない。

鶏蛋炒飯

夕飯はイスラム食堂で鶏蛋炒飯(6元/約120円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 7.5元
バス 1元 路線バス
合計 8.5元

江南旅行記~紹興・黄山

1152次 硬座で西安→杭州

jiangnan_00110:00頃、611路のバスで西安駅へ向かう。10:30頃、西安駅に到着する。

jiangnan_002待合室は既に人民のサル山と化しており改札口には人民たちが座り込んでトランプをしていたり、寝ていたり、カップ麺を喰っていたりと色々な意味で日本では見る事が出来ない偉大な中国五千年の歴史が育んだ非常に貴重な光景が見られた。

jiangnan_003これから乗車する1152次は非空調で切符が安かったのと沿海部の大都市杭州へ行く列車なので農民工(出稼ぎ労働者)で溢れる事は予想はしていたのだが、どうやら杭州までは予想を上回る旅、いや、冒険が待っていそうだ。

jiangnan_00411:30頃、改札が始まり列車まで人民たちと競争である。客層が中国社会の最下層の人民たちがほとんどの様なので乗車する時に並ぶという事は出来ずにサ ルのように群れる事しか出来ない様である。共産党の人民どもに対する調教はまだまだ足りないようだ。列車に乗車して荷物の置き場所を確保してひとまず安心だ。

定刻通り11:52に発車して杭州へ向かうが席無しの無座の客が多いので乗務員がプラスチックの椅子を10元で車内販売している。そう、中国を旅した事のある人なら誰でも知っていそうな快餐とかの安食堂で見かけるあの椅子だ。おい!おい!無座切符を乱発しておいて更に車内販売で荒稼ぎかよ!

そして、車内では人民たちが乗務員の目を盗んで商売を始める。ミネラルウォーターや麻辣鶏を売って荒稼ぎだ。19:00過ぎに河南省鄭州に到着する。ここで車内の状態は埼京線並みになり身動きが取れなくなった。どうやら、このまま農民工と一緒に産地直送で杭州まで行きそうだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 1元
合計 1元

バスで杭州汽車東站→紹興市公路客運中心

jiangnan_00508:30頃、目が覚めるが何やら列車が1時間遅れている。10:15過ぎ、1時間遅れで杭州に到着する。出口を出て切符売り場へ着いた時には10:30を過ぎて次の紹興行きの列車は13:40頃まで無い。大変遺憾ではあるのだが時間が勿体無いのでK518路のバスに乗車して杭州汽車東站へ移動。

jiangnan_006バスで紹興へ移動する事にする。バスは高速(25元)と普通(20元)の2種類が合ったのだがもちろん普通で紹興へ向かう。

jiangnan_00711:39発のバスに乗車して 13:00頃、紹興市公路客運中心に到着する。ここから39路のバスに乗車して府山西路府山橋で下車する。

紹興国際青年旅舎

jiangnan_00813:40頃、紹興国際青年旅舎に到着する。今年開業したばかりのユースホステルなので新しく綺麗だ。

jiangnan_00910人ドミに宿泊する事にして部屋に荷物を置き魯迅故里へ向かう。

無料になった魯迅故里

jiangnan_010今回、紹興へ来た理由のひとつは魯迅故里が無料化されたという情報があったからだ。それと紹興にもユースホステルが開業したという事で「観光地無料化+ ユースが開業=貧乏バックパッカーの観光地」という方程式が成立した。

jiangnan_011なので、改めて紹興を見物することにしたのだ。で、紹興といえば紹興酒と小説家の魯迅の故郷で有名だ。

jiangnan_01214:55頃、游客中心で入場券を貰い魯迅祖居から見物をする。

jiangnan_013魯迅祖居

jiangnan_01415:05頃、魯迅紀念館を見物する。日本人のツアー客が多い・・・。

jiangnan_015魯迅像

jiangnan_01615:15頃、魯迅故居を見物する。ここは中国人のツアー客が多かった・・・。

jiangnan_017魯迅故居

jiangnan_018魯迅寝室

jiangnan_01915:30頃、三味書屋を見物する。

jiangnan_02030分ほどで見て回ったが魯迅の事を理解出来ていないので、どのくらい凄い所なのか全く分からなかった。

水郷古鎮紹興

jiangnan_02116:00頃、八字橋を訪れる。

jiangnan_022八字橋周辺は水郷古鎮としての紹興が残っており古い町並みを楽しむことが出来る。

jiangnan_023八字橋からの眺め

jiangnan_02416:30頃、王羲之で有名な題扇橋へやって来た。

jiangnan_025題扇橋

jiangnan_026この辺りも比較的古い町並みが残っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15.2元
宿泊費 40元
バス 3元 路線バス
バス 20元 杭州→紹興
合計 78.2元

5082次 無座で紹興→宣城

jiangnan_02707:15頃、起床して紹興駅へ切符を買いに行く。今日は黄山へ移動するので、まずは途中の宣城への切符を購入するが無座だ。恐らく混雑していて座れないだろう。

jiangnan_02810:20頃、紹興国際青年旅舎をチェックアウトして35路のバスで紹興駅へ向かう。

jiangnan_029紹興駅に到着した時には既に改札が始まっておりすぐに列車が到着する。混雑していて座れないと思っていたのだが予想に反してあっさり座れてしまった。

しかし、座れたのと引き換えに乗客はサルばかりで車内はゴミの山だ。目の前の席にいる人民の夫婦もオスザルとメスザルで昼頃にカップ麺を食べ始めるが床には蓋とかの残骸が・・・。そして、メスザルが床に唾を吐いた。 共産党の教育・・・。いや、調教が全く行われていないようだ。もっとしっかりしろよ共産党!サルどもをちゃんと調教しろよ!

更には今日はイベントフラグが多く立っている様で車内に乞食が登場する。乞食の爺さんが泣きながら乗客に集っている。おい!おい!何で社会主義国に乞食がいるんだよ!そして、自分にも集って来た・・・。偉大なる中華民族の面子を守ってあげる為に「走!走!」と乞食の爺さんに言って追い払う。

中国は戦勝国なのだから、いくら乞食だからといって敗戦国の人間に集るなんて許されない事だろう。人民はきっと「我らが偉大なる中国は小日本なんぞに集ることはしない!」と考えているはずだ。でも、 戦勝国は中華民国だな・・・。

K67次 無座で宣城→黄山

jiangnan_03015:10頃、宣城に到着する。

jiangnan_031切符売り場へ行き黄山行きの切符を購入する。

jiangnan_03215:38発のK67次に乗車して黄山へと向かう。K67次は車内は空いており1人で3列シートを占領して昼寝をしている人民がいるほどだ。でも、サルは少ないようで床にゴミが散乱していない。乗務員がこまめに清掃をしているようで、この列車の乗務員の士気は高いようだ。

jiangnan_03318:30頃、黄山に到着する。駅を出て12路のバスに乗車して昱中花園で下車する。

屯渓老街

jiangnan_034歩行街を歩いて行き屯渓老街の牌坊をくぐり19:00頃、黄山老街国際青年旅舎に到着する。4人ドミに宿泊する事にして、まずは夜の屯渓老街を散歩してみる。

jiangnan_035屯渓老街は宋代に作られ明清代には周辺地域からの物資集積地として発展していたそうだ。

jiangnan_036現在でも明清建築の建物が保存されており観光地として開発されている。

jiangnan_037屯渓老街

jiangnan_038屯渓老街

jiangnan_039

本日の出費
項目 金額 備考
食費 11元
宿泊費 36元
バス 2元 路線バス
鉄道 24元 硬座 紹興→宣城
鉄道 29元 無座 宣城→黄山
合計 102元

黄山市汽車客運総站→宏村

jiangnan_04008:30頃に目が覚めて準備を整えて9路の路線バスでバスターミナルへ向かう。昨晩、ユースホステルでバスターミナルから宏村と西递への交通手段の情報を入手したので大体の見当がついている。09:30頃バスターミナルの黄山市汽車客運総站に到着する。

jiangnan_042バスの本数は少ないのだがここから旅游バスで宏村と西递へ行く事が出来る。

jiangnan_043屯渓→宏村のバスの切符

jiangnan_044旅游バスの時刻表

jiangnan_045旅游バス以外だとバスターミナルから普通に黟県行きのバスに乗車して黟県汽車站で宏村と西递行きのバスに乗換える方法がある。こちらは乗換えが必要だがバスの本数が多いので問題は無い。まあ、とりあえず10:00発の旅游バスで宏村へ行く事にして切符(15元)を購入して乗車する。

バスは発車後その辺で客を拾いながら走って行くので旅游バスといっても普通のバスとほとんど変わらない。10:30頃、斉雲山に到着する。斉雲山は道教四大名山に数えられるほど の道教聖地らしいが今回は素通りする。

11:00頃、西递に到着する。西递も宏村と共に世界文化遺産に登録されている古民居集落だ。ここは後で寄るので降りずに素通り。

世界文化遺産 宏村

jiangnan_04611:30頃、宏村に到着する。

jiangnan_047観光バスが多数停車しており観光客で賑わっている。入場料は80元なのだが外から見るだけにしておく。どこかに抜け道はあるかと探してみるものの宏村へ通じる道には地元民がしっかり見張っている。観光客が1人来る度に80元が村の収入になるのだからしっかり金儲けするのは当たり前だな。

jiangnan_048遠くからでもいいのでどこかに撮影ポイントがあるか探してみる。宏村の裏手に山があるのを見つける。山の上から全景が撮れるかもしれないと思 い山の中へ入って行く。山の中は茶畑があり道に沿って山を登って行くが宏村の全景が見える場所が見つからない。

jiangnan_049諦めて山を越えてそのまま宏村の入口へ戻ろうと川沿いの道を歩いて行く。途中で馬に遭遇したりして集落の中を突っ切って行くが何故か観光客が歩いている。・・・。

jiangnan_050いつの間にか宏村に入ってしまったようだ。

jiangnan_051豚肉が吊るされていた。

jiangnan_052入場券を買っていないのだが迷い込んでしまったので、このまま退散するのも勿体無いので遠慮せず見物して行く事にする。

jiangnan_053古い伝統建築がいい雰囲気を出している。

jiangnan_054宏村は北宋の紹熙年間(1190— 1194年)に建設が始まり汪一族が住んでいた。現在でも明清古民居が140余保存されており2000/11/30に世界文化遺産に登録された。

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jiangnan_057路地を歩いたりしながら古民居の雰囲気を楽しむのだが、宏村の通りには中国農業銀行の店舗があったりして「ここ本当に世界文化遺産?」と思ってしまう。まあ、麗江と似ているような気もする。

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jiangnan_060思いがけずに宏村をタダで見物して12:30頃、宏村からバス(2元)で黟県汽車站へ移動する。

世界文化遺産 西递

jiangnan_061黟県汽車站に戻り近くの食堂で昼食に拉麺を食べて西递行きのバス(2元)で移動する。

jiangnan_062因みに黟県汽車站から宏村と西递以外にも関麗と南坡の2ヶ所の古民居集落へのバスも運行されている。関麗と南坡の知名度は低いが世界文化遺産への登録申請をしているらしい。

jiangnan_06314:30頃、西递に到着する。ここは宏村と比べると観光客が少なめで静かだ。

jiangnan_064でも、入場料は宏村と同じで80元だ。外から見るだけにして農道沿いに歩いて西递を撮影する。

jiangnan_065途中で西递に入れる道もあったのだが入口から丸見えなので調子に乗って入って行くと地元の人民たちに見つかって袋叩きに遭う可能性があるので西递には入らずに外から見るだけに留める。西递は北宋の皇佑年間に李一族により建設され現在でも明清古民居が124余保存されている。 2000/11/30に世界文化遺産に登録された。

jiangnan_066西递は世界文化遺産なのだが駐車場脇は人民たちのゴミが無造作に捨てられており人民たちに世界文化遺産がどれほどの物か理解できていないようだ。金のなる木だという事は理解できているだろうけど・・・。そういう自分も世界文化遺産の価値についての理解度は人民と五十歩百歩だが・・・。

jiangnan_067それと、電線や携帯電話の基地局は何とかならないのかな?西递の景観を大きく損ねていると思うのだが・・・。中国政府は電線地下化とか投資するところはしっかり投資しなきゃいけないだろう。それと人民の教育もだ!15:30頃、黟県汽車站に戻り屯渓行きのバス(12.5元)で屯渓へ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18.5元
宿泊費 36元
バス 2元 路線バス
バス 15元 屯渓→宏村
バス 2元 宏村→黟県
バス 4元 黟県⇔西递
バス 12.5元 黟県→屯渓
合計 90元

黄山国際青年旅舎

jiangnan_06806:30頃に起きて荷物をまとめて黄山老街国際背年旅舎をチェックアウトする。

jiangnan_069屯渓老街の牌坊。

jiangnan_0709路のバスに乗車して黄山駅へ移動し黄山駅近くの黄山国際青年旅舎へ向かう。ドミトリーは空いており1泊する事にして部屋に荷物を置いて07:30頃、黄山駅で明日の南京西行きの切符を購入してから9路のバスでバスターミナルへ移動する。

バスで屯渓→歙県

jiangnan_071屯渓は9路のバスが黄山駅、屯渓老街、バスターミナルを結んでいるので利用価値が高い。

jiangnan_072因みに屯渓は黄山駅、屯渓老街、バスターミナルを結ぶ9路のバスが一番便利だ。バスターミナルで歙県行きのバス(5.5元)に乗車するがバスは黄山駅前を通ったのでわざわざバスターミナルへ行く必要はなかった。

今日はこれから歙県にある棠樾牌坊群を見物しに行くのだがバスが歙県に入ると途中で棠樾牌坊群へ行く4路のバスとすれ違う。ここでバスを降りて4路のバスに乗換えても良いのだがそのまま歙県汽車站まで行く事にする。

jiangnan_07309:00頃、歙県汽車站に到着、 4路のバス(2元)で棠樾牌坊群へ向かう。

棠樾牌坊群・鮑家花園

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jiangnan_075棠樾牌坊群に到着して目の前に入場券売場が見える。入場料は80元で高い!どこか脇道から棠樾牌坊群へ行けないか歩いてみるが村民用の村の入口には見張り番がいるので通る事は出来ない。

それなら迂回して行けば何とかなると思ったが、ここは平地で周囲は水田と畑で隠れる所が無いので逃票しようとしているのが 一目瞭然だ。見つかったら袋叩き確実だ。

jiangnan_076棠樾牌坊群は久しぶりに絶対見る価値はあると思っているので、1025頃、同じ景区内にある鮑家花園で泣く泣く入場券を買う。80元は高いなあ・・・。日本円にすれば1200円ぐらいなのだが中国の物価からすれば滅茶苦茶高い!

jiangnan_077どれくらい高いか説明すると、例えば中国では350ml缶のコカ・コーラは2元(30円)ぐらいで売られている。そうすると入場料80元はコカ・コーラ40本に相当する事になる。日本でコカ・コーラ40本は4000円くらいだろう。 日本で入場料が4000円もする観光地に入るのと同じ感覚なのだ!

jiangnan_078まあ、これ以上愚痴を言っても仕方が無いな・・・。まずは金を払ったからには元を取らなければならないので鮑家花園から見物して行く。盆栽とか展示されているが、はっきり言ってつまらない。他人の家の庭を見て何が面白いんだ!鮑家花園は15分くらい見物しただけで終了である。さっさと本命の棠樾牌坊群へ向かう。

jiangnan_07910:45頃、棠樾牌坊群に到着する。

jiangnan_080ここには鮑氏が立てた明代の牌坊が3つ、清代の牌坊が4つ、計7つの牌坊が田園風景の中を1本の道に等間隔で並んでおり中国を代表する牌坊と言っていいほど中国国内では知られている。

jiangnan_081清の乾隆帝が江南地方を巡幸した際にこの地を訪れ鮑氏一族は「慈孝天下無双里、袞綉江 南第一郷」という言葉を賜っている。

jiangnan_082ここは敦本堂(男祠)で鮑氏一族の位牌が祀られている。

jiangnan_083清の嘉慶6年(1801)に建立された。先祖の霊を祀っている所なので建物も立派である。当時の鮑氏の財力はかなりの物だったと思える。

jiangnan_084牌坊も凄いのだが敦本堂も見ごたえがあって十分楽しめる。

jiangnan_085敦本堂(男祠)

jiangnan_086敦本堂(男祠)

jiangnan_087敦本堂(男祠)

jiangnan_08811:30頃、4路のバスで歙県汽車站へ戻り昼頃、太平行きのバスに乗車して黄山へ向かう。

黄山

jiangnan_09013:10頃、黄山への入口のひとつである湯口に到着する。ここでバスを降りてとりあえず歩く。目の前に黄山が見えているので黄山の方へ歩いて行くと道路脇に屯渓行きバスが停車しており運ちゃんが昼寝をしていたりする。

jiangnan_091屯渓行きのバスとかはその辺に停まっている。

jiangnan_09213:30頃、「黄山」と書かれた牌坊に到着する。ここが黄山の入口らしいが入場券売場は見当たらない。恐らくもっと奥に入場券売場はあるのだろう。たまに旅游バスが奥へ入って行くのを見たが疲れたのでこれ以上先へ行く気が起こらない。

牌坊脇の停車場に屯渓行きのバスがあったので乗車するが、何時まで経っても発車する気配が無い。というか、客は自分1人だけだし・・・。しばらくして、タクシーで降りて来た4人組が乗車するが、こいつらが曲者でバスが発車する気配が全く無いので運ちゃんに喧嘩を売り始めた。運ちゃんが嫌々ながら発車して湯口の街中を行ったり来たりしながら客を拾ってようやく屯渓へ走り始める。15:40頃、黄山駅に到着する。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10元
宿泊費 30元
鉄道 54元 硬座 黄山→南京西
バス 5元 路線バス
バス 5.5元 屯渓→歙県
バス 18元 歙県→湯口
バス 15元 湯口→屯渓
棠樾牌坊群 80元
合計 217.5元

合肥旅行記

2039次で商丘から合肥へ

hefei00108:00前に糞招待所を抜け出す。深夜3時半に売春の斡旋に来るな!商丘駅の待合室で時間を待つ間周辺の乗客を観察してみた。主に民工と呼ばれる出稼ぎ労働者はスーツケースなどが買えないので尿素などの化学肥料の袋に生活用品を詰めて運んでいる。改札が始まり列車に乗り込む。車内は満席になったのだが珍しく網棚が空いている。

hefei002列車は3分遅れの09:03に出発する。

hefei003列車は約6時間かけて14:50頃に合肥到着。出口ではいつもながら切符を持たない連中が 強行突破を試み駅員に捕まっていた。

宿は慎重に選ぶ

昨日は愚かにも売春を斡旋する宿に宿泊してしまったので、今日は慎重に選ぶ。何軒か外から様子を伺いつつ料金を確認する。何件か回るうちに何とか今日の宿を決めた。1泊30元でちゃんと窓と格子がある部屋だ。20元の部屋もあったが窓の無い暗い部屋だったのでやめておいた。

いつもながら登記の際は宿のおばちゃんが日本のパスポートを見て少し驚く。おまけに読み方が分からないとか言うから査証の部分を見せても分からないとか言う。査証は広東省公安庁発給だぞ!おばちゃんに連れられ別に部屋に行くとおばちゃんの家族(たぶん姉妹と婆ちゃん)が4人ぐらいいた。家族総出でパスポートを見るが分からないとか言うので査証を見せて「これがパスポート番号で、こっちが査証の番号」というと1人が「査証の番号を控えれば大丈夫だよ」という。まあ何とか登記は済んだ。査証を見ても分からないということは自国のパスポートを見ても分からないのかな?

包公園へ行くが

hefei00416:00頃に駅前から226路で包公園へ向かう。ここには包公墓があるのだが入場料が包公墓だけなら25元、包公園だと50元と高い。しかし、ここなら50元の価値がありそうな気がするが デジカメの電池切れで明日出直すことにする。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 8.5元
宿泊費 30元
雑貨 3.9元 電池
合計 42.4元

逍遥津公園

hefei005合肥に来たからには三国志ファンお約束の逍遥津公園を訪れるべきだろう。07:00過ぎに801路のバスで逍遥津到着。

hefei006門をくぐると張遼像がお出迎えであ る。張遼像の後は張遼衣冠塚を見に行くが湖の小島にあるが橋が架かってないので渡れない。張遼衣冠塚は諦め張遼墓へ向かう。

hefei007張遼墓は綺麗に整備されており小さいながらも神道まで作られている。

hefei008こちらが張遼墓。

hefei009張遼墓の隣には三国歴史文化館があるのだが、朝早くに来たからだろうか閉まっていた。帰り際にやはり張遼衣冠塚を見たいので貸しボートで張遼衣冠塚まで行くことにする。

hefei0101時間20元でアヒルボートで張遼衣冠塚へ向かう。

hefei011

hefei012張遼衣冠塚に到着。

hefei013この時間貸しボートを利用しているのは自分だけである。30過ぎのおっさんがアヒルボートで張遼衣冠塚の周辺を行ったり来たりしているので周囲の人民から「あのおっさん朝から頭おかしいんじゃねえか?」と思われただろう。

明教寺

hefei014逍遥津の南にある明教寺を09:00過ぎに訪れる。

hefei015ここは曹操軍500人の兵に弩の訓練をしたという教弩台があった場所だ。

hefei016教弩台の跡には南北朝の頃に寺が建立され今は明教寺として参拝客でにぎわっている。

hefei017屋上井

hefei018ちゃんと大切に井戸が保存されています。

hefei019普通の寺院と化しているが教弩台の石碑と屋上井が三国志関連の遺跡である。

紫蓬山で李典墓探索に失敗

hefei020昼頃に紫蓬山へ行くがバスの運ちゃんが終点のひとつ手前で運行を打ち切ってしまった。どうやら昼飯が食いたいらしい。他の客と共にバスを降り徒歩で紫蓬山へ向かう。

hefei021この時から不運が始まっていたのだろう。紫蓬山へ入り李典墓を目指すが案内標識や門票に書かれた地図がいい加減で山の中で道に迷う。

途中幾つかの集落に迷い込んだりして引き返したりしながら、2時間かけてようやく李典墓の標識を見つける。標識に従い進むが途中いくつもの分かれ道があり山中で再び道に迷う。山道を突き進みようやく舗装された道路に出たものの既に疲れ果てもはや李典墓を探す体力・気力もない。GPSを頼りにバス停の方角を歩くが暑さで5kmの道は辛い。16:30頃に何とかバスに乗り合肥市内へ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 8.7元
宿泊費 30元
バス 3元 路線バス
バス 10元 西門換乗中心→紫蓬山
逍遥津 5元
紫蓬山森林公園 10元
合計 66.7元

三国新城遺址公園

hefei02206:00に駅前から801路のバスで城隍廟へ向かう。城隍廟で下車して50mほど進むと安徽省博物館の前に路線バスのバスターミナルがあるので、ここで 300路に乗車して約1時間の道のりを進む。三国新城遺址公園で下車して徒歩10分ほどで三国新城遺址公園に到着するが開園は09:00で到着したのが07:45過ぎだった。

hefei023開園まで道端に座り込んで待つ。

hefei02409:00になりようやく入場する。目の前には土塁が残っており正にここに城があったことが分かる。園内は各所で工事が行われており、どうやら発掘跡に当時の建物を再現するつもりのようだ。1年経てば大きく変貌しているだろう。

hefei025資料館の三国文物陳列館を見物。

hefei026出土品も豊富で興味深いです。

hefei027三国志ファンにとって貴重な三国志遺跡だ。

切符を買うがスリに遭う

14:00過ぎに合肥駅で明後日の1019次の東莞東行きの硬臥切符を購入に行く。切符売り場は大混雑で1時間待ちを覚悟したが30分ほどで購入できた。 待っている間は割り込みの人民と保安との戦いを見ながらだったので退屈はしなかった。この混雑の中でも保安が民度の低い人民を摘み出しているのには頭が下がる。たちの悪い人民だと保安と公安で外に摘み出す徹底振りだ。

切符購入後に包公園へ行くためバス停で待つ。今日は昨日に続き運が悪く、ここでスリに遭遇する。バスが来た時、いつもながら人民は並ばず我先に乗車しようとするがこの乗車の際の混乱に乗じてスリがデジカメを盗んだ。すぐに気が付いて「小偷!」 と叫んだら地面にデジカメが落とされた。スリは現行犯逮捕を逃れるためデジカメを放棄した。スリが誰かはおおよそ見当が付いているがデジカメを盗んだ瞬間を目撃していなかったので逮捕には踏み切れなかった。もっとも武装している可能性もあるので非武装の自分では太刀打ちできない。

まあ、少し傷ついているが デジカメは戻ってきた。やはり、バスに乗る際は注意が必要だ。今回スリに遭った原因はデジカメを腰に付けていたのとリュックを抱えて如何にも観光客という姿だったのが最大の原因だ。春や冬は上着の内ポケットにデジカメや地図を入れていたのだが夏はTシャツ1枚で仕方なくリュックを抱えたりデジカメを腰に付けたりしたが対策を練らなければ。この件で中国人(知識層、富裕層は除く)が信用できなくなってきた。

包公園

hefei028スリからデジカメが戻り226路のバスで包公園へ向かう。15:30頃まずは包公墓から見学することにする。合肥に来た最大の目的はこの包公墓を見学するためである。

hefei029神道を通り享堂の奥に包公墓がある。ようやく念願の包公墓を見ることが出来た。

hefei030包公墓を見たので後は包公祠へ行くだけかと思ったら、墓室や夫人たち一族の墓まであるではないか!これは予想外の収穫だ。

hefei031墓室入口

hefei032奥が棺がある石室です。

hefei033特に墓室は凄い。発掘調査で包拯の遺骨まで出土している。ただ、出土品は運び出され現在は何も残されていなかった。

hefei034包公墓の次は包公祠を見物。

hefei035金色の包拯たちが祀られています。

hefei036包公祠は名前の通り包拯を祀った祠だ。金色の包拯と馬漢、張龍、趙の像が祀られていた。公孫策と展昭が居ないのがちょっと不満だ。

hefei037最後に清風閣を見物するが登って合肥市内が一望できるだけだと思っていたら地下に包公故事の人形展示があるではないか!

hefei038しかも、暗い地下という場所で不気味な人形たちがお出迎えだ。鳥盆記の一場面。犯人の処刑場面です。

hefei039いくら包公故事の場面を再現しているとはいえお化け屋敷と大差が無い。題名は忘れましたが包拯があの世の乗り込んで裁判をする故事です。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 7.8元
宿泊費 30元
鉄道 183元 硬臥 合肥→東莞東
バス 4元 路線バス
三国新城遺址公園 25元
包公園 50元
合計 299.8元

李鴻章享堂

hefei040今日はどうも天気が悪い。外に出るか迷ったが少し日が差してきたので李鴻章享堂へ向かうことにする。駅から226路のバスに乗り包公園で6路に乗り換え李 鴻章享堂で下車する。事前に李鴻章享堂については何も調べておらずバス停の標識に「李鴻章享堂」の文字を見つけて見に行くことを決めた程度だ。バス停から少し戻ると李鴻章享堂に到着。説明を読むと李鴻章享堂には李鴻章墓があることが分かった。

hefei041これは意外な収穫になりそうだ。しかし、また雨が降り始める。入場券を購入すると窓口のおばちゃんが傘を貸してくれた。

hefei042これでずぶ濡れにならずに済みそうだ。まずは李鴻章夫妻の墓から見物することにする。

hefei043墓を見た後は享堂を見学だがなかなか綺麗で故建築の雰囲気も出ている。

hefei044

hefei045展示品には李鴻章が下関条約締結前に狙撃された時に着ていた服があり血の跡が残っている。天気が悪い中でも来てみたが15元ででこの内容なら文句はないが相変わらず天気が怪しいのでこれで宿に戻ることにする。李典墓にも再挑戦したかったが次の機会があれば再挑戦だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 7元
宿泊費 30元
バス 4元 路線バス
李鴻章享堂 15元
日用品 1.1元 石鹸
合計 57.1元