24時間で河口からシャングリラへ
河口から鉄道で大理到着
06:15頃、目が覚める。まだ外は夜が明けていない。昆明で機関車を交換して進行方向が変わっている。大理到着は、07:22であと約1時間ほどだ。昨日、寝るまでの車内は空いていたが、予想通り乗客で混雑している。自分の寝台の区画は欧米人が5人寝ていた。やはり大理行きの列車は欧米人にも人気があるということかな?06:20頃になり、乗務員が切符と換票証の交換を始まり乗客が起きる。
大理駅到着前に車内放送で大理到着後に8号車で麗江行きの切符を販売すると放送している。このK9690次は大理到着後に麗江行きの列車になるので、そのまま車内精算という形で麗江行きの切符を販売して切符売り場の混雑緩和ということかな?
07:10頃、定刻より12分早くK9690次が大理駅に到着する。
列車を降りるが始発駅の河口では半袖でちょうどよかった服装だが、大理ではさすがに半袖は寒すぎる。上着を着なければだめだ。
鉄道で大理→麗江
駅を出て、そのまま切符売り場へ行き12306.cnで予約購入しておいた大理→麗江のK9629次の切符を受け取る。切符売り場は少し列が出来ていたが発券自体は1分ほどで終了。そのまま、駅2Fの待合室へ移動。
入口で切符とパスポートの確認、荷物のX線検査を受けて待合室で2時間ほど待機するが、朝から痰吐きと手鼻の音が頻繁に響く。タイ、ベトナム、台湾の駅では、このような音は響かないので中国独特の光景といってよい。
改札口の先頭で待機していたので、改札口での乗車バトルはなく楽に乗車する。車内はまだ空いておりホームでは乗車の光景を撮影する。
K9629次の発車時間は09:25なので発車まで少し時間があるので先頭の機関車を撮影に行く。機関車は韶山型のSS7Cで塗装が黄色なのは珍しい。今まで見た韶山型は緑系の塗装が多かったので、黄色の塗装は大理だけなのか?
そして、行先票は列車番号が多く複雑な運行になっているのがうかがえる。
定刻より2分早い09:23に列車が発車する。麗江までは約2時間の道のりだ。車内は平和でヒマワリの種を食べている乗客がいる。定刻より2分早い11:45に麗江到着。
麗江の天気は晴れで暖かいというより涼しいといった感じだ。Tシャツの上にもう一枚着ていれば十分である。駅前は自動小銃を持った武警が警備しており、警備がかなり厳重だ。去年の夏はこれほど警備は厳しくなかったのだが、やはり全人代の会期中ということで警備が厳しいのだろうか?
麗江客運站
麗江駅からは18路のバスで古城の近くまで行き、徒歩でバスターミナルの麗江客運站へ向かう。
12:30頃、麗江客運站に到着し、バスの時刻表と運賃を確認するが去年の夏に訪れた時と変わっていないようだ。
バスで麗江→シャングリラ
13:00発、シャングリラ行きのバスのチケットを購入する。運賃は67元、観光客が多い路線なのでバスは結構綺麗だ。
13:00に定刻通りバスが出発して高速道路を北へと爆走していく。14:15頃、トイレ休憩で停車するが有料トイレで料金徴収の爺さんがおり、文句言っている中国人がいた。
15:50頃、シャングリラの30km手前で検問がある。乗客全員が下車して身分証登記を行う。自分はパスポートを警官に提示するが登記はなしで顔写真との照合とビザを確認しただけで終了。全人代の関連の警備強化かと思ったが、ここはチベットだ。2008年3月14日のラサ暴動から7年になるが、やはり3月14日が近づくと外国人が多数訪れるシャングリラでも大人の事情で警備が厳しくなるようだ。
16:25頃、シャングリラの入口で再び検問。自動小銃を持った公安が乗車してきて身分証確認。自分はパスポートを提示するとパスポートの情報を台帳に記入して返却。特に問題はなし。
2路の路線バス終点である白塔には自動小銃を持った武警が3人で警備中。シャングリラの警備が厳しい。普段とは違う緊迫したシャングリラなので、こっそり武警の活躍する姿を撮影しておく。
17:00頃、徳欽行きバスの状況を確認してから7路のバスに乗車する。運賃は1元だ。大きな交差点を通過すると武警が警戒にあたっており、シャングリラがいつもと違う状況に置かれていることがうかがえる。
一体何を恐れているのだろうか?シャングリラでテロでも起きるのか?4つ目の信号機のある交差点手前の二中路口のバス停で下車してユースホステルの香格里拉国際青年旅舎へ向かう。
香格里拉国際青年旅舎
バスを降りて徒歩10分ほどで香格里拉国際青年旅舎に到着する。予約なしで乗り込んだけと寝床は確保できた。部屋は12人ドミトリーで1泊25元(会員料金)だ。
ニーハオトイレなのだが宿代が安いし近くには食堂やスーパーもあるので、何だかんだ文句を言ってもここが一番である。古城内だと宿代が安くても周辺には高くて量の少ない観光用のレストランやボッタクリ食堂しかないので、総合的には高くついてしまう。
夕飯は行きつけの食堂で香菇鶏麺(10元/約200円)と酸菜肉絲炒飯(10元/約200円)を食べるが、インフレで1元づつ値上がりしていた。
去年は10元で大盛りだったのが、10元で中盛になってしまった。20:00頃、部屋で溜まったデータを整理していると同じ部屋の若者たちがこの後チベットへ行くなど楽しそうに旅行の計画を話している。
外国人の自分からするとシャングリラでの武警の警備状況からして中国の若者は何も違和感を覚えないのだろうか?なぜシャングリラにこれほどの武警が配置されているか考えないようにしているのだろうか?全人代の会期中というだけの理由でないことは薄々気付いているとは思うのだが・・・。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 20元 | |
宿泊費 | 75元 | 25元×3泊 |
バス | 67元 | 麗江→香格里拉 |
バス | 2元 | 路線バス |
合計 | 164元 |
古城近くの百鶏寺
07:30頃、起床するが3000m以上の高地にあるシャングリラの朝は冷え込む。シャングリラには表向きは高地順応のための滞在だが、裏の目的は、3月14日のシャングリラの様子を確認だ。
09:45頃、ユースホステルから徒歩で独克宗古城へ向かう。朝の散歩をかねて30分ほどかけていくが武警の巡回に遭遇する。何かのテロを警戒しているのか?シャングリラではアルカイダやイスラム国のテロ警戒ではなさそうだが・・・。
去年の大火災から1年経過して一部では新しい建物の建設が始まっているが、まだ古い土台が残ったままの場所もあり復旧はまだまだ先のようだ。
古城近くの山にある百鶏寺へ向かい、11:00頃、百鶏寺に到着する。GPSを確認すると3428mの場所で富士山より高い場所だ。
チベット仏教の小さな寺院だが、地元民が参拝に訪れている。さすがに寺には公安はおらず表向きは平和そうだ。
百鶏寺は元代にチベット仏教カギュ派の寺院として創建され、清の康煕13年にゲルク派の寺院に改められる。その後、災害が発生するたびに寺には祈祷のために鶏が放たれ百羽、千羽と増えていくうちに百鶏寺と呼ばれるようになった。
13:00頃、スーパーで大理V6ビール470ml(2.8元/約58円)と康師傅のインスタントラーメン2袋(1袋3元/約62円)、統一のインスタントラーメン2袋(1袋2.5元/約62円)を購入する。「高地にいるのにビールなんか飲んでいるのか?」というツッコミはなしで!ユースホステルへ戻り昼食にインスタントラーメンを食べてビールを飲む。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 23.8元 | |
合計 | 23.8元 |
警備の厳しいシャングリラ
09:30頃、シャングリラの独克宗古城へ向かう。今日は3月14日で中国政府にとってはチベット人の居住地に外国人が一番いてほしくない日とも言える。チベット自治区はパーミットの発給を停止して外国人を閉め出しているが、そのほかの地域は表向きは外国人旅行者は訪れることが出来る。
まあ、シャングリラとかまで立ち入り禁止にすると欧米のマスコミが喜んで記事にしてしまうので、中国政府も表向きは外国人観光客歓迎ということだ。まあ、今の時期はオフシーズンだから外国人が少なく影響も少ないのだろう。
で、シャングリラの街を歩いてみると公安や武警が大きな交差点では警備についている。本当は写真を撮りたいのだが観光客がいないので、すぐバレて熱烈な指導を受けてしまいそうなので撮影は出来ない。
昼食は節約のためインスタントラーメンで乗り切り、夕飯は回鍋肉炒飯を食べる。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 21元 | |
合計 | 21元 |
シャングリラ→徳欽→飛来寺
バスで徳欽へ
06:30頃、起床して出発の準備を整える。今日は徳欽の飛来寺まで移動する。07:50頃、ユースホステルをチェックアウトしてバス停へ向かうが今日のシャングリラの天気は曇りでかなり冷え込む。
昨日、一昨日は春の陽気であったが今日は冬の天気だ。7路のバスでバスターミナルのシャングリラ汽車客運站へ移動する。運賃は1元だ。昨日まで大きな交差点では朝から武警や公安が警備していたのだが、今日は誰もいなくなっており、どうやら3月14日を過ぎれば警備は解除のようだ。
08:20頃、シャングリラ汽車客運站に到着し、窓口で徳欽行きのチケットを購入しようとすると、08:20発のバスにまだ乗車できるということで検票口で精算して乗車する。
運賃は67元で座席は一番先頭の補助席であった。08:26頃、バスが発車して国道214号を北上する。
09:50頃、奔子欄の手前で検問により停車し運ちゃんが乗客の身分証を回収、登記しに行く。自分はパスポートを運ちゃんに渡す。登記が終わるまで休憩となり自撮り棒で金沙江を背景に記念撮影している乗客などがいる。
検問所は公安以外にも自動小銃を持った武警が監視塔から警備しており田舎に似つかわしくない厳しい警備体制だ。
10:05頃、登記が終わり運ちゃんが戻ってきてバスが出発となる。外国人の徳欽行きは従来通り特に規制なしのようだ。10:20頃、金沙江大湾(金沙江第一湾)を通過する。
10:55頃、トイレ休憩で停車する。天気は晴れになり日差しは強いが気温は低く周辺の山は雪化粧したままだ。11:05頃、バスが出発して山道を登っていく。
世界自然遺産 三江併流・白馬雪山
11:30頃、峠を越えたところで5分間の休憩となり白馬雪山を撮影する。
白馬雪山は自然保護区に指定されており、世界自然遺産・三江併流の一部である。12:30頃、運ちゃんが飛来寺行きの乗客がいるか聞いてきた。そして、飛来寺行きの乗客が全部で10人おり1人5元で飛来寺まで行ってくれることになる。
12:40頃、徳欽汽車站に到着。12:55頃、バスが臨時で飛来寺へ出発する。運賃は5元だ。13:00頃、西当から徳欽へ戻るバスとすれ違う。雨崩村へ行く場合は、西当へのバスに乗車して終点の西当温泉で下車し、その先は徒歩か馬になる。
13:10頃、飛来寺に到着する。正確には飛来寺景区の景観台の前に到着だ。
飛来寺覚色滇郷青年旅舍
ここから徒歩5分ほどでユースホステルの飛来寺覚色滇郷青年旅舍に到着する。
オフシーズンなので宿泊客はほとんどおらず1泊20元(会員料金)の10人ドミトリーは自分を含めて3人だけだった。
国道沿いに歩いて梅里雪山や麓の西当村、瀾滄江(メコン川の上流)の景色を見るが梅里雪山は雲に隠れている。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
宿泊費 | 20元 | |
バス | 67元 | シャングリラ→徳欽 |
バス | 5元 | 徳欽→飛来寺 |
合計 | 92元 |
梅里雪山
飛来寺明珠拉卡景観台
07:30頃、起床して梅里雪山の見物へ向かう。外はかなり冷え込んでいるが天気は晴れですでに飛来寺景区(飛来寺明珠拉卡景観台)には観光客が多く訪れている。
入場料は金沙江大湾とかのセット券で150元するが、昨夏に明永氷河や雨崩村へ行った時の入場券があり、まだ飛来寺景区は未使用で試しに使ってみたらそのまま使えた。
昨日は雲に覆われていた梅里雪山だが、今日は朝から天気が良く梅里雪山が一望できる。
朝のうちは観光客で賑わっているが、ほとんどが雨崩村へ行ったり、シャングリラや麗江へ戻るので、09:00頃になると観光客はほとんどいなくなる。いるのは巡礼で訪れているチベット人ぐらいになる。
10:30頃、ユースホステルへ戻るが宿泊客ほとんどチェックアウトしており残っているのは自分ともう一人だけだ。去年の夏に宿泊した時は賑わっていたのだが、閑散期になるとこれほど客がいなくなるとは・・・。まあ、他の宿も開店休業状態で似たような感じだ。
でも、11月-3月が晴天の確率が一番高く梅里雪山を見るのには最適な季節だが、かなり冷え込む季節というのが難点であるが・・・。
昼前にユースホステルをチェックアウトして国道沿いで徳欽の県城へ向かうバスが通過するのを待つ。昼ぐらいに西当温泉から徳欽へ戻るバスが発車しているはずなので、13:00前後に飛来寺を通過するので、それを狙って待つのだが老板が徳欽の県城へ行く用事があるようでタクシーで一緒に徳欽の県城へ向かう。タクシー代は10元だ。
徳新楼
昼頃、徳欽の県城に到着しバスターミナルで茨中行きのバスがあるか確認したら今日は既にバスがなく明日朝の維西行きのバスで茨中橋から徒歩ということだった。まあ、バスがないので徳欽で1泊することになり、去年も利用した徳新楼へ。1泊40元だが外国人OKの宿なので追い出される心配はない。
時間が出来たので何も見るところのない徳欽の街を散歩して過ごす。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 14.6元 | |
宿泊費 | 40元 | |
タクシー | 10元 | 飛来寺→徳欽 |
合計 | 64.6元 |
フランス人宣教師が建てた茨中教堂
徳欽→茨中橋
06:40頃、起床するがすでに巡礼者と思われるチベット人たちは起きて出発の準備をしている。こちらも出発の準備を整えるがウンコしにトイレへ行くと茶色い大きなバナナが山盛りだ。ウンコぐらい流せよ!どうやら、中国人のチベット人はダライ・ラマたちのチベット人とは全く違うのかもしれない。
07:20頃、宿をチェックアウトして徒歩2分ぐらいのバスターミナルへ移動。茨中行きのチケットを買おうとしたが茨中への直通バスは運行されておらず、茨中の入口になる茨中橋までチケットを購入。
08:00頃、バスが発車して省道233号を瀾滄江に沿って南下していく。バスは25人乗りだが乗客は自分を含めて4人だけだ。維西へは、12:30-13:30到着ということであった。
そして、当然だが途中で客を乗せながらバスは走る。維西への道は7年前の2008年とは違い新道ができており道路状況はよいが梅里雪山は見えなくなっていた。旧道は道が悪くても梅里雪山が見える絶景だったのだが・・・。
標高3200mの徳欽から峡谷を下っていくが途中で雨が降り始める。標高2600mぐらいまで下がってくると瀾滄江沿いに樹木が見え始める。徐々に高山帯の気候から変わっているようだ。
茨中橋から徒歩で茨中へ
09:20頃、茨中橋手前の燕門を通過して、09:40頃、茨中橋に到着する。ちょうど雨はやんで晴れ間が見えてきた。茨中橋で下車したのは自分一人だ。瀾滄江の対岸にある村に教会が見えるので、あれが茨中教堂(茨中天主教堂)だろう。
峡谷の下にある吊り橋が茨中橋だ。7年前に通ったときは道路は橋の脇を通っていたが、今は旧道は放置され新道が峡谷の上を通っている。
谷を下り吊り橋の茨中橋を渡るが「危橋」の標識がある。吊り橋はかなり傷んでいるようだ。吊り橋の脇ではコンクリートの新しい橋が建設中だ。今は歩いて吊り橋を渡っていくという秘境への旅という雰囲気が出ているが、あと1年もすれば新しい橋が完成して茨中への交通の便がよくなれば秘境ではなくなるだろう。
橋を渡り村とは逆の左(南)へ道が延びている。道なりに上り坂を歩いて行くと道が左右に分かれ、ここで右(北)へと歩いていく。そして、ひたすら未舗装の道を歩いていくと茨中教堂が見えてきた。10:30頃、茨中教堂に到着する。とりあえず、教会の近くにあるナシ族の納西閣劉老客桟に1泊する事にする。
部屋は3人ドミトリーで1泊40元だ。設備からすると料金は高いが辺境の土田舎でも茨中教堂というそこそこ有名な観光地があるので、この料金なのだろう。
でも、トイレは壁と屋根と穴があるだけだ。しかも、穴にしたまま水を流さないニーハオトイレなので穴の底はウジだらけの地獄絵図だ。夏はハエが大量発生して衛生状態はかなり悪いといえる。
茨中教堂
茨中は食堂とかがなさそうな村なので老板娘に昼食と夕飯を1食30元ということでお願いしておく。11:00頃、茨中教堂へ行ってみるが神父が昼食の準備で教会を閉めるということで追い出される。
入口の貼り紙には午前中の見学は08:00ー12:00となっているのだが・・・。仕方がないので村の中を歩いて撮影場所を探す。
周辺を歩いて茨中教堂を撮影しつつ村の中を探検してみるが教会以外には特に見どころはない。
14:00頃、遅めの昼食になり老板娘たちとお昼ご飯を食べる。30元も取るので二葷一菜で食べ放題というか量多すぎだ。あとバター茶付きだ。料理の味は申し分なし!まさに本格中華料理だな。
残しては悪いと思い遠慮なくどんどん食べていくが、おかずがなくなりかけると老板娘がおかずを補充してきた。ナシ族でも食べきれないほどの食事を出すという中国伝統の悪習があるのか?残してはもったいないと思いどんどん食べたが、やはり食べきれなかった。
残ったおかずがもったいないのだが、この客桟には豚が飼われており、豚の餌になるのだろう。しっかり、リサイクルシステムが確立されてはいるのだが、老板娘がせっかく作った料理が豚の餌になってしまうのは少々納得がいかない。
食後に周辺を散歩するが建設中の橋が完成すると茨中への交通の便が格段によくなるのだが、橋ができると村の中にそれなりの道路が通ることになる。そうすると観光開発の波が押し寄せて教会のある静かな村が・・・。
茨中教堂は2年か3年後には騒がしいレストランや土産物屋だらけの観光地になりそうな気配が・・・。すでに橋の建設現場周辺の畑には教会の方へ向けて規制線がある。これは道路を通すという意味か?
教会へ向かいながら麦畑とブドウ畑を見ていく。麦畑はちょうど実がなっており来月辺りには刈り入れになるのだろう。
ブドウ畑は枝から芽が出ており、これから育っていくといったところだ。ブドウの収穫は9月中旬辺りのようなので半年も先になる。
15:30頃、教会へ行くが観光客は誰もいない。いるのは神父だけであった。茨中教堂(茨中天主教堂)はプロテスタントの教会で元々は19世紀にキリスト教の伝道のためにやってきたフランス人宣教師によって茨中村の南にある茨姑村 に教会が建てられたが清の光緒31年(1905)にキリスト教排斥運動で破壊され、清の宣統元年(1909)にフランス人宣教師によって茨中村で再建が始まり1921年に完成した。
そして、フランス人宣教師がキリスト教と共にワインの製造技術とブドウの苗を伝えた。このブドウの苗がローズハニーと呼ばれる品種でフランスでは絶滅してしまった品種で、このローズハニーを使ったワインは珍品として世界中のワイン愛好家に知られている。
教会のその後は文化大革命で小学校として使用されていたため他の教会や寺院などのような壊滅的な破壊は免れた。現在はチベット仏教が信仰される地域に残る教会、そして、フランス人宣教師が建てた教会とローズハニーで作られたワインという歴史的背景により、茨中教堂は広く知られている。
15:55頃、茨中橋を渡るバスを発見する。よく見ると徳欽-茨中のバスであった。昨日は茨中行きのバスはないといわれていたのだが、隔日運行とかなのか?それともバスターミナル発でなく乗り合いタクシーとかの乗り場から出ているのか?
まあ、どちらにせよ徳欽-茨中のバスが運行されていることはわかった。この時間に茨中橋を通っているので、徳欽を14:00ー14:30ぐらいに出発かな?16:30頃、タルチョの見える岩山に上ってみると茨中の村が一望できる場所であった。
この村はチベット仏教とキリスト教が共存する村であった。村を散歩してみて分かったのが看板の出ている宿は4軒だけであった。売店は教会の近くで1軒営業していた。
夕食後は教会とブドウ畑以外は何もない村なのであとは寝るだけとなる。老板娘たちは中国のドラマで最大の娯楽ともいえる抗日ドラマを見ており、時折変な日本語が聞こえてくる。ドラマの中で無理に日本語を使おうとしてデタラメな日本語になるのだろう。視聴者は正しい日本語がわからないのでデタラメな発音や文法でも問題ないようだ。抗日ドラマで手っ取り早く視聴率を稼ぐが視聴者の無知につけ込んでいい加減な日本語でも問題なしということか?
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 60元 | |
宿泊費 | 40元 | |
バス | 26元 | 徳欽→茨中橋 |
合計 | 126元 |
徒歩で茨中→茨中橋
05:00頃、ウンコしたくなったので外のニーハオトイレへ行く。もちろん、灯りはないのでヘッドライトをつけてでないと真っ暗でなにも見えず板を踏み外してウジの湧いたウンコへ落ちてしまう。かなり上級者向けのトイレだ。
07:00頃、起床する。08:00頃、客桟を出て谷の向かい側の省道へ向かう。
瀾滄江を越えて再び谷を上り、08:45頃、省道233号に到着。道路脇には売店があり、ここで物資補給したり、バスが来るのを待つことができる。
それと、売店の隣は武警の詰め所になっており、道路上にはパイロンが置かれ車は一時停止するようになっている。バイクはそのまま素通りしているので、ここはそれほど警備は厳しくない。身分証確認なしで車内を一目見るだけで終わっている。
茨中橋→維西
09:00頃、昨日、徳欽から茨中へ来たバスが通り徳欽へ戻っていった。おそらくバスは毎日運行の可能性がある。省道脇の売店で維西行きのバスが通のを待つが、昨日、徳欽から来たときには、09:40頃、茨中橋に到着したので30分ほどの待機で済むだろう。
09:15頃、予想より早く維西行きのバスがやってきた。バスに乗車して瀾滄江に沿って維西へ向かう。運賃は60元だ。
09:35頃、烏弄龍水力発電所で通行規制のため停車となる。10:30頃、通行規制が解除されバスが出発する。10:45頃、維西からの徳欽行きバスとすれ違う。10:50頃、巴迪郷を通過してトイレ休憩となる。
ウンコしたいので1元の有料ニーハオトイレへ駆け込む。ニーハオトイレはウンコまみれの地獄絵図を覚悟していたが、運良くウンコが流れていく側溝は水が流れておりウンコなしで、シャングリラバスターミナルのウンコ山盛り有料トイレと比べれば100万倍以上良好であった。ちゃんと掃除してあれば有料のニーハオトイレでも料金は払ってもいいだろう。ウンコしたら掃除のおばちゃんに1元払ってバスへ戻る。
11:05頃、バスが建設中の里底水力発電所の脇を通過する。瀾滄江ではいくつかの水力発電所が建設されている。水量のある瀾滄江ならかなりの発電量を期待できるだろうが、ダムで水をせき止めたりするのでメコン川下流域の国々への影響が心配だ。12:15頃、小維西を通過。12:45頃、維西→徳欽のバスとすれ違う。
維西客運服務站
13:10頃、維西のバスターミナルである維西客運服務站に到着する。昨日食べ過ぎたので、またウンコしたくなってバスターミナルの1元の有料ニーハオトイレへ行く。すでに先客3人ほどがウンコ中であった。
ウンコをした後は窓口のオバちゃんに剣川行きのバスがあるか聞いてみるが、剣川行きはなく、今日の麗江やシャングリラ行きのバスも終わっているということなので明日朝の麗江行きのチケットを購入する。とりあえず維西のバスの運賃時刻表も確認しておく。
興隆賓館
続いて宿探しだが周辺にはボロ宿から値段の高そうな賓館まで揃っている。今回はバスターミナルの斜め向かいにあった興隆賓館に宿泊することにする。
1泊40元でトイレ共同、シャワーなしだが、窓のある部屋なのでまあ良いだろう。登記の際にオンラインでパスポート情報を入力できず、台帳に記入していたので本当は外国人の宿泊はダメな宿のようだが何とか泊めてくれた。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 18.5元 | |
宿泊費 | 40元 | |
バス | 60元 | 茨中橋→維西 |
バス | 69元 | 維西→麗江 |
トイレ | 2元 | |
合計 | 189.5元 |