シルクロード旅行記2015 張掖丹霞と世界遺産・嘉峪関

※HDDデータ消失により一部画像はございません

張掖丹霞国家地質公園

七彩丘陵景区

07:00に同じ敷地内の職業学校のラッパで目が覚める。職業学校なのに時報がラッパというのは・・・。本当は人民解放軍の駐屯地では?今日は張掖の西にある張掖丹霞国家地質公園へ向かう。昨日、同じドミトリーのスイス人が丹霞をかなり勧めていたので行ってみることにする。ロンリープラネットにも出ていたので行き方もすぐに分かった。

07:10頃、ユースホステルを出て4路のバスで汽車西タンへ行こうとしたがバスが来る気配がないので徒歩で向かうことにする。途中で餅と饅頭の店で饅頭(0.5元/約10円)4個を朝食に購入。今日の天気は晴れで遠出にはよい条件だ。朝の冷え込みはまだ厳しいけど・・・。まあ、天気の心配はもうしなくても大丈夫だろう。

07:40頃、張掖汽車站に到着する。張掖汽車站は蘭州、敦煌、西寧、武威などの長距離バスから周辺の短距離バスが出ているバスターミナルだ。汽車西站とも呼ばれている。チケット売場で窓口のお姉ちゃんにロンリープラネットを見せて張掖丹霞国家地質公園へのチケット購入する。運賃は10元で粛南行きのバスで南台子で下車のようだ。

08:00発だが5分遅れで出発する。乗車率は3割ぐらいなので途中で客を乗せながら走る。09:00頃、交差点に張掖丹霞国家地質公園の北門の大きな看板が見えるが通行止めになっている。最寄りの入口はまだ先ということでバスがそのまま走り、09:05頃、西門の入口で下車する。標識が出ていたので省道213号から南への通りを歩くとゲートが見えてきた。

09:15頃、張掖丹霞国家地質公園の七彩丘陵景区(彩色丘陵景区とも呼ばれる)の西門に到着する。

入場料は入場券の門票が40元、公園内のミニバスの観光車が20元の合計60元(約1200円)だが、門票は40元から100元への値上げの足音が近づいているようだ。

観光車に乗車して発車を待つ。09:25頃、観光車が出発して3分ほどで1カ所目の景点に到着。

坂道を5分ほど上ると目の前に丹霞地形の大パノラマが広がっている。

スイス人が勧めていただけのことはある。確かにこの景色は凄い!

10:20頃、停車場に戻り観光車を待つ。10:25頃、観光車が来て乗車し次の景点へ向かう。

3分ほどで2カ所目の景点に到着。2カ所目から3カ所目の景点は遊歩道でつながっていたので徒歩で移動。

ここの見所は七彩屏(彩色丘陵)で丘陵の丹霞地形が虹のようになっている。

11:15頃、3カ所目の景点の停車場に到着し観光車を待つ。

11:20頃、観光車がやってきたので乗車する。11:30頃、観光車が出発し3分ほどで最後の4カ所目の景点に到着する。

11:52頃、観光車で西門へ向かうが11人乗りに大人15人、子供2人乗せて走る。定員オーバーだが中国では問題なしのようだ。12:00に西門に到着し、張掖行きのバスが通る省道213号へ向かう。ゲートから省道への通りは賓館や食堂が数軒あり昼時ということもあり食堂にはそこそこ客が入っている。

賓館は外見はそこそこ良さそうなのだが休憩の鐘点房が100元とかホッタクリ料金のところがある。まあ、観光地なので強気の料金設定なのだろう。賓館の中には外賓接待点(外宾接待点)の表示があり外国人OKのところもある。料金は外国人OKの営業許可取るのに色々と接待とかで経費がかかっていると思うので高いだろう。

省道213号で張掖行きのバスを待つが、12:15頃、白タクの運ちゃんが張掖まで10元で行くと声をかけてきた。だいたいこの場合は要警戒なのだが、客に観光車で一緒だったおっちゃんとおばちゃんがいたのとりあえず大丈夫そうだし運賃もバスと同じだったので利用する。12:55頃、張掖汽車站の近くに到着する。運賃は10元。近くに牛肉麺の店があったので昼食に牛肉麺(5元/約100円)を食べる。

大佛寺

13:15頃、23路のバスに乗車して西夏国寺で下車する。運賃は1元で13:20頃に到着する。

西夏国寺は大佛寺のことで張掖市内での一番の観光地で入場料は41元だ。

大佛寺は西夏の崇宗永安元年(1098)に創建され、元の名称は「迦叶如来寺」であり、明の宣徳帝に「宝覚寺」の名を賜り、清の康煕帝より「宏仁寺」の名を賜るが、寺に釈迦牟尼涅槃像があるために大佛寺と呼ばれるようになった。

大佛寺の面積は60000平方メートル以上あり、中国最大規模で最も保存状態のよい西夏皇家寺院である。大佛殿には身長34.5mの釈迦牟尼涅槃像があるのだが内部は撮影禁止になっていた。涅槃像は一見の価値ありだが撮影禁止というのが痛い。

木塔

14:40頃、大佛寺を出て木塔へ向かう。14:45頃、木塔に到着する。

木塔は北周に創建され、隋の開皇2年(582)に再建され唐以降の歴代王朝でも修復が行われてきたが、清代末期に大風で倒壊し、現在の木塔は民国15年(1926)に再建されたものである。入場料は21元だが、どうも見物するほどのものではなさそうだ。

鐘鼓楼

15:25頃、鐘鼓楼に到着する。張掖の中心部にあり鼓楼とも鎮遠楼とも呼ばれる。

鐘鼓楼は明の正徳2年(1507)に建てられ河西回廊に現存する最大の鼓楼である。

ユースホステルへ戻る途中にスーパーで生姜を使った飲料の西涼姜飲(2.8元/約56円)を購入。生姜飲料なのだが麦芽とホップも使用しておりノンアルビールと思ったがかなり甘い。夕飯は麻辣麺(5元/約100円)を食べる。夜にインターネットで明後日の張掖→嘉峪関の切符を予約購入するが、無座切符しか残っていなかった。明後日の乗り鉄はキツイかも・・・。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16.8元
バス 10元 張掖→南台子
バス 1元 路線バス
白タク 10元 南台子→張掖
鉄道 37.5元 張掖→嘉峪関
張掖丹霞国家地質公園 60元
大佛寺 41元
合計 176.3元

謎の黒水国へ

07:50頃、起床して準備を整える。スイス人は今日出発で西寧へ戻るそうだ。08:10頃、ユースホステルを出て、08:45頃、張掖汽車站近くの天源小区のバス停から16路のバスに乗車する。運賃は4元だ。

今日は張掖の北西約15kmにある黒水国遺址を訪れるが、バスがユースホステルの前を通過している。市内まで行かずにユースホステルの前で待っていればよかった。09:30頃、終点の明永郷に到着し、3km北にある国道312号へ歩いていく。

10:25頃、国道に出る。300mほど張掖方向へ戻った道路脇に黒水国遺址の境界を示す標識を見つける。ほとんど字が消えかかっているが、この周辺が黒水国遺址のようだ。

黒水国漢代建築遺址

さらにここから畑のあぜ道を南へ歩いていく。2kmほど歩いて、11:25頃、黒水国遺址に到着する。

ここは黒水国漢代建築遺址で漢代の建物跡になるが周辺は畑で正直言って何もない。黒水国は祁連山脈から流れる黒河(黒水)のほとりにあった国で詳細は分かっていない謎の国である。遺跡の場所は張掖市甘州区明永郷下崖村の国道312号の南北に分布している。漢代の古墓、建築址や城壁址、明代の城壁址が残っている。

ここから南東へ約1.7km歩いて、もうひとつの黒水国遺址である黒水国南城遺址に到着する。

ここは明代の要塞だった場所で城壁が残っている。

この要塞は元は西夏王国の城として築城され、その後は元朝の頃には更に規模が拡張された。明代になり14世紀中頃に黒河の流れが変わり南城は放棄された。

12:40頃、黒水国南城遺址を離れて張掖市内へ戻るため東へ約2km歩く。黒水国遺址はあと2ヶ所ぐらいあるようだが場所がはっきりしないのと体力的に持ちそうもないので今回はここまで。

13:10頃、16路のバスが通る道路に出た。バスが来る気配がないので、そのまま北へ歩いて国道312号のT字路まで来た。14:00頃、下崖村から16路のバスに乗車、張掖市内まで運賃は3元だ。14:20頃、終点で下車する。

張掖汽車南站

14:30頃、張掖汽車站近くのロータリーから3路のバスに乗車して汽車南站で下車する。
運賃は1元だ。14:45頃、南バスターミナルの張掖汽車南站に到着。

張掖汽車南站は南古、民楽など近郊のバスが多いが蘭州、西寧、敦煌など長距離バスも出ている。馬蹄寺へのバスが08:30に出ているので馬蹄寺への旅行客にとっては重要度が高い。

張掖汽車東站

14:55頃、9路のバスで汽車東站へ向かう。運賃は1元だ。15:20頃、汽車東站で下車する。東バスターミナルの張掖汽車東站は蘭州、金昌、山丹などの東部へのバスが出ているが一番利用客が少ないバスターミナルだ。まあ、利用価値はそれほど高くはなさそうだ。15:30頃、張掖汽車東站を離れユースホステルへ戻る。夕飯は牛肉麺(5元/約100円)と麻辣粉(5元/約100円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13元
バス 10元 路線バス
合計 23元

鉄道で張掖→嘉峪関

09:30頃、ユースホステルをチェックアウトする。4路のバスに乗車する。運賃は1元。工商銀行で1路のバスに乗り換え張掖駅へ移動。運賃は1.5元で、10:15頃、張掖駅に到着する。

まずは切符売場でインターネットで予約購入した嘉峪関行きの切符を受け取る。行列はできていなかったが、おっちゃんが窓口のおばちゃんと戦闘中で5分ほど待つことに・・・。その間に自動発券機ではお姉ちゃんが楽勝でネットで予約購入した切符を受け取り去っていった。

自動発券機にパスポート読み取り機能があれば自分も待たずに済むのに・・・。画面に英語メニューがあるのに何故パスポート読み取り機能がないのだ!戦闘が終わりようやく切符を受け取り、いつもの切符と身分証確認、手荷物のX線検査を終えて待合室へ。身分証確認では駅員はパスポートの中身を確認せず。張掖では外国人はどうでもよいようだ。

今日は嘉峪関へ移動するが乗車する列車は、11:32発の宝鶏→アクス、K1661次で運賃は37.5元だが、座席は久しぶりにできれば避けたかった無座だ。無座は座席指定のない切符で良くいえば自由席、悪くいえば立ち席だ。

短距離の無座ならそれほど問題ないが、1000km、2000km以上の長距離夜行列車とかになると日本の大垣臨時夜行を遙かに上回るサバイバル仕様になるので体力、精神の両方を激しく消耗する。ある意味では中国の鉄道で最上級の切符だ。

11:20頃、改札が始まりホームで列車の到着を待つ。11:25頃、K1661次が1番ホームへ入線してきた。機関車は赤いHXD3Dだが、赤だからといって3倍の性能があるわけではない。

列車が到着し乗車するが、予想はしていたが荷物の置き場もないカオス状態だ。とりあえず車両連結部で嘉峪関まで中国人の行動観察をしながら過ごす。11:32に定刻通り列車が発車する。嘉峪関まで223km、2時間41分の移動だが、この民工列車はなかなかレベルが高い。

例えばカップ麺を食べ終わった後に容器をゴミ箱やゴミ袋に捨てるのだが中国人は容器の中にスープが残った状態でもゴミ箱やゴミ袋に捨てるのだ。中国人がスープを残すということはかなり不味いのか健康悪い成分でも入っているのだろうか?おかげでゴミ袋からスープが漏れ出て乗務員が掃除するのが大変だ。乗務員のおばちゃんがブチ切れながら掃除していた。日本の旅番組とかで紹介される中国とはずいぶん違う。この列車の場合は洗面台で麺が詰まらないようにスープを捨てるか、線路への垂れ流しのトイレへスープを捨てるべきであろう。

駅やバスターミナルの待合室や他の列車内でも同様の光景を頻繁に目撃することができるので、カップ麺の容器をスープが残ったままで捨てるというのは中国人の特徴のようだ。もしかしたら上流階級の中国人は違うかもしれないので、主に農民工の特徴かもしれない。まあ、もし海外でスープの入ったカップ麺の容器をゴミ箱に捨てているアジア人がいたら中国人の可能性が非常に高いだろう。そのうち日本でもよく見かける光景になるかも?

14:12に嘉峪関到着。嘉峪関駅での停車時間が長いので乗客はホームに降りてカップ麺などの食料を調達している。中国の駅ではホームに売店もあったりするが、基本はワゴンに商品を積んでホームの各所で待機しており、列車が到着するとカップ麺や飲み物、弁当の販売が始まる。

駅前で嘉峪関へ行く4路のバスに乗車する。運賃は1元で長距離バスターミナルの嘉峪関汽車站近くの社会矛盾大調解中心で下車する。何やら凄い名称のバス停だ!

嘉峪関での宿はeLongでバスターミナル近くの金葉賓館(金叶宾馆)を予約してあるのでそこへ向かう。ただし、問題があり外国人OKなのか分からない。武威で外人お断りを喰らっているのでちょっと心配だ。

15:10頃、バスターミナル斜め向かいの金葉賓館に到着する。レセプションでの登記は問題なくでき外国人OKであった。よく見るとレセプションに2つ星の表示がされている。
星付きホテルであった。あと、料金表がネットでの料金とは違っていた。部屋は1泊100元3人部屋で4泊なので400元支払う。今までで一番高いホテルだ!

で、肝心の部屋だがはっきり言って設備は古い。トイレ・シャワーは古めで、テレビはブラウン管だし・・・。部屋の広さは普通かな?まあ、立地条件はバスターミナルの斜め向かいなので申し分なしだ。3人部屋で1泊100元なので1人だと高いが3人なら十分安い。部屋の利用案内を見たら英語の案内があったので外国人OKのホテルであった。

で、何でわざわざ1泊100元もする馬鹿高いホテルに宿泊するのかというと、eLongのキャッシュバックがあるからだ。キャッシュバック対象の宿の宿泊日から30日以内に申請するとeLongのアカウントにキャッシュバックされるので次に利用するホテルが先払いの場合に溜まっているキャッシュバックで支払いができるのだ。

それで、今回は4泊予約してありキャッシュバックの金額は392元になる。支払った金額は400元でキャッシュバックが392元だと実質の宿泊費が8元になる。1泊2元になるということだ!中国でこんなうまい話は考えにくいのだが数日後に本当にキャッシュバックがあるかの結果がわかる。
(後日、本当にキャッシュバックされた)

16:00頃、嘉峪関汽車站を訪れバス情報を確認する。敦煌、トルファン、ウルムチ、蘭州などのバスがあり当然重要度は高い。路線図は撮影出来たが運賃時刻表は電光掲示板で目の前にバスターミナルのオバちゃんがおり因縁付けられそうな気配がするので撮影は断念。

遅めの昼食で牛肉麺(5元/約100円)を食べる。で、珍しく玉子付きであった。他の店だと牛肉麺は6元のところばかりだったので5元の店は嘉峪関だと貴重なようだ。昼食後は理髪店で髪を切る。10元(約200円)だ。

スーパーで黒ビール(1元/約20円)とコーンの缶詰(2元/約40円)の特売品を購入する。安い理由は消費期限が近いのと缶がボコボコになっているからだ。黒ビールは何やらコーヒーみたいな味でビールの味がしない。泡も少ないし本当にビールか?

本日の出費
項目 金額 備考
食費 12.5元
宿泊費 400元 1泊100元×4
バス 5.5元 路線バス
理髪 10元
合計 428元

世界文化遺産 嘉峪関

08:00頃、賓館を出て近くの市場で饅頭6個(4元/約80円)を買い込んで4路のバスで嘉峪関へ向かう。運賃は1元だ。08:30頃、嘉峪関のある終点の関城景区で下車する。嘉峪関は世界文化遺産に登録されている。入場料は繁忙期は120元だが閑散期で60元であった。

嘉峪関は万里の長城の西の端にある要塞で明の洪武5年(1372)に建設が始まり、嘉峪山の西麓に建設されたため嘉峪関と命名された。東の山海関より9年早い建設であった。嘉峪関が置かれた場所は南は雪に覆われた祁連山脈、北は起伏の激しい黒山に挟まれており、祁連山脈から黒山までの間は約30kmしかなく、河西回廊で最も狭まった場所で、「河西第一隘口」と称される。

明の征西大将軍の馮勝が河西回廊を明の支配下に置いた後に、この地で関の建設が始まり168年の時を経てシルクロードの要所に強固な要塞が完成した。嘉峪関は三重の城郭で守られ要塞の中に、さらに要塞があるという構造で防御に優れ難攻不落の要塞であった。

嘉峪関の中には関帝廟がある。

明の正徳元年(1506)の建立され明代、清代において河西回廊で最大規模の関帝廟であった。

廟内には関羽や赤兎馬にまつわる壁画があり、三国志の名馬面がみられる。現在の関帝廟は1998年に再建されたものである。

嘉峪関は閑散期で観光客が少ないので各所で修復工事が行われていた。夏の観光シーズンに向けての準備であろう。

09:50頃、嘉峪関楼に登る。嘉峪関楼は嘉峪関の西側の楼閣で、ここから西は嘉峪関の外になり、長城はなくなり狼煙台だけになる。シルクロードはここからさらに西へ続いておりキャラバン隊が敦煌、ハミ、トルファン、ウルムチへと向かった。

嘉峪関の外では観光客が楽しそうに記念撮影をしている。ポーズを決めて記念撮影しているので中国人だろう。あ、ここは中国だったな!

10:00頃、嘉峪関の西側に出る。

少し西に離れたところに清の嘉慶14年に建立された「天下雄関」の石碑がある。

ここから西は荒野が広がり、荒野の中を国道312号が西へと延びている。

10:15頃、嘉峪関から延びる西長城と呼ばれる万里の長城の沿って南へ約7kmの場所にある万里長城第一墩へ向かうが8年前の2007年に訪れたときと違い嘉峪関景区は柵に囲まれ国道へ出られないようになっていた。逃票対策と長城の保護の為のようだ。

しかし、少し歩く車両の出入口が開いており、そこから国道312号に出て万里長城第一墩への道へ入る。途中、万里の長城を貫く蘭新鉄路を貨物列車が通過していった。

11:40頃、万里長城第一墩の入口に到着する。

入場料は21元で、電動カートがあったのだが有料なので入口からさらに2kmほど歩いて行く。

12:00頃、万里長城第一墩に到着する。万里長城第一墩は別名を討賴河墩とも呼び、嘉峪関の両翼長城の南端に位置する墩台であり、明代の万里の長城最西端の墩台でもある。

長城第一墩は明の嘉靖18年(1539)に粛州兵備道の李涵により建設される。北の嘉峪関まで約7.5kmの距離があり、長城第一墩が位置するのは脇を流れる討賴河の高さ56mの崖の上である。12:35頃、万里長城第一墩を離れ嘉峪関へ向かう。

13:00頃、万里の長城と線路が交差する地点まで戻る。この線路は氷河のある鏡鉄山へ続く線路で2007年に訪れた時は非電化区間であったが、今回は電化区間になっていた。線路が万里の長城を突き抜けているのだが、線路には柵はない。万里の長城に柵があり登れないようにしてある。

通常は線路にも柵があるはずなのだが、旅客列車が1日1往復、残りは貨物列車という土田舎の路線なので柵は必要ないようだ。というか、周辺は荒野で人が住んでいないので柵は不要だな。すぐ近くに踏切があり監視員が常駐しており踏切は24時間閉じたままで、車が通る時だけ手動で開けてくれるという通常の踏切とは逆の動作になっている。

13:45頃、国道312号と蘭新鉄路の陸橋にやって来た。列車の撮影をしようと場所を探したら、明らかに撮影ポイントになる場所のフェンスが破られているのを見つける。どうやら中国にも鉄オタが存在するようだ。

ちょうどよい場所なので敗れたフェンスから貨物列車を撮影する。

蘭新鉄路は貨物列車は多いが旅客列車が少ないので1時間ほど陸橋で撮影をする。

14:50頃、再び嘉峪関へ向かう。車両用のゲートが開いたままなので、そこから景区へ入り嘉峪関へ歩いて行く。ゲートには誰も居ないので出入り自由だ。これだと逃票し放題じゃないのか?

15:20頃、嘉峪関に戻って来たが天気が徐々に悪くなってきた。

どうやら、黄砂のようだ。17:50頃、4路のバスで市内へ戻る。運賃は1元だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13元
バス 2元 路線バス
嘉峪関 60元
万里長城第一墩 21元
合計 96元

懸壁長城

07:30頃、4路のバスで関城景区へ向かう。運賃は1元で、07:50頃、関城景区に到着する。今日は嘉峪関の北7.5kmほどの場所にある懸壁長城へ向かう。天気は晴れだが昨日の黄砂の影響で遠くの祁連山脈はよく見えない。昨日の朝は雪山がはっきり見えたのだが・・・。

とりあえず道なりに北へと歩いていく。道路標識には懸壁長城があるので迷わずに行けそうだ。途中の分かれ道で左(北西)へと進んでいくと人民解放軍のトラックが隊列を組んで走り去っていく。

09:30頃、懸壁長城に到着する。入場料は21元だ。

懸壁長城は嘉峪関から北へ約7.5kmの場所に位置している。シルクロードと万里の長城が交差する場所であり、その歴史は明の嘉慶19年(1540)に粛州兵備道の李涵によって築かれたところから始まる。長城は黒山の山麓に築かれ鉄壁の懸空ともいわれ、懸壁長城と呼ばれるようになった。他にも険しい地形にあるため西部八達嶺とも称される。

懸壁長城は観光客は少なく静かでゆっくり見て廻ることができる。
黒山の山麓に沿って急勾配の懸壁長城を登っていく。長さは1kmほどでそれほど長くはないが階段がきつく疲れる。

長城を登っていると東側に人民解放軍の射撃場があり射撃訓練をしている。さきほどのトラックは射撃場へ向かっていたようだ。10:20頃、懸壁長城を離れる。

万里の長城に沿って嘉峪関を目指すが風が強くなり砂埃が酷い。

長城に沿って歩いていると途中で長城が消滅していた。そのまま南へ歩くと嘉峪関が見えてきた。昼頃、嘉峪関に到着し、4路のバスで市内へ戻る。運賃は1元。

HDDデータ吹っ飛ぶ

ホテルへ戻ってHPのノートPCをいじっていると何やら調子が悪い。以前から動作が不安定で怪しいとは思っていたが1年近くOSの再インストールをしていないので調子が悪くても当然だろう。

仕方がないのでOSをリカバリーすることにするが、リカバリーの途中でエラーが出てリカバリーに失敗してしまう。再度リカバリーを試みても復旧せずPCが再起不能に・・・。
これは緊急事態だ!HDDの中には画像データやWEBサイトのデータとかが入っているのだ。いろいろ試してもエラーが出て復旧しない。

このままでは旅が続けられないので急遽予定変更で日本へ戻ってノートPCを直すことにする。17:00頃、嘉峪関駅へ行き明後日の上海行きの切符を購入する。賓館へ戻ってからは上海→大阪のフェリーの予約や補給物資をアマゾンで購入したりと忙しい。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
バス 4元 路線バス
懸壁長城 21元
鉄道 542.5元 嘉峪関→上海 硬臥
合計 582.5元