タシュクルガン行きの切符を買う
0845頃、国際汽車站に到着するが国際バスの切符売り場はまだ閉まっていた。0950に窓口が開き切符を購入する。1200発だが満員になったらすぐに出発とのことだが中国で時間前に乗客全員集まるかは疑問だ。
1045頃、チニワク賓館をチェックアウトする。1100頃、国際汽車站に到着する。パキスタンの吉尔吉特(Gilgit)行きの国際バスに乗車してタシュクルガンまで行くようだ。荷物を爺さんが車内に運んでくれて時間まで待つ。既にこの時点で乗客のほとんどが集まっていた。しばらくすると荷物を運んだ爺さんが2元を要求してくる。別に運ぶのを頼んだのではないので払わず無視する。他の客もほとんどが払わなかった。
1153に乗客全員が集まり出発する。出発して間もなく後ろから訛りのある日本語が聞こえてくる。外国人同士で日本語で会話しており、ちゃんと意思疎通が取れている。どこの国の人か気になったがそのままにして外の景色を見る。この外国人たちは途中の休憩で台湾系アメリカ人とパキスタン人と判明する。
盖孜公安検査站
1430頃、盖孜公安検査站に到着する。ここで乗客全員降車して身分証確認が行われる。
以前は身分証確認がなかったようで公告によれば今月から始まったようだ。
身分証確認の間にカナダ人やアメリカ人たちは周辺を撮影している。周辺には雪山があり撮影には確かに良い。全員の身分証確認が終わり1500頃に出発する。
カラクリ湖
ここで休憩になり旅行客とパキスタン人たちは写真撮影やカザフ族から民芸品を買っている。カラクリ湖は標高3600mに位置する世界で2番目に高い湖だそうだ。カラクリ湖には観光客が大勢訪れており賑わっている。台湾系アメリカ人は「明日カラクリ湖で宿泊する」といっていたが既に十分撮影もできたし別に宿泊しなくても良いのではと思った。
この時、日本語を話す外国人がパキスタン人だと判明する。彼はアジスと名乗っていた。カラクリ湖を出発してタシュクルガンへ入るがGPSは標高4082mを表示する。多少の誤差があるにしても4000mを越えた後は道を下っていき途中でタジキスタンへ向かう卡拉斯口岸への道を通り過ぎる。
タシュクルガン
バスは交通賓館に停車して乗客のほとんども交通賓館に宿泊する。自分も4人部屋のドミトリーが15元なので泊まる事にする。荷物を置いて周辺の調査に出かける。まずは石頭城を調査してみるが観光客はそこそこいるが入場料が16元と微妙な料金設定だ。
紅其拉甫路を南に歩いてみる。タシュクルガンの町外れには検問所がありこれ以上は進めないようだ。諦めて戻ると日本語を話す台湾 系アメリカ人とパキスタン人のアジスに遭遇する。どうやら色々と見て回っているようだ。交通賓館へ戻ると4人部屋に新たに3人のパキスタン人が来た。4人 部屋を1人で占領かと思ったがパキスタン人3人と日本人1人になってしまった。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 16元 | |
宿泊費 | 15元 | |
バス | 63元 | カシュガル→タシュクルガン |
合計 | 94元 |
石頭城
0800前、石頭城を訪れる。券売所は閉まったままなのでそのまま入っていくが運悪く石頭城で管理人に遭遇してしまう。仕方なく16元を払おうと思ったが嫌がらせで100元札で支払う。管理人は小銭を持っていなかったので更に嫌がらせで早くするように急かす。管理人がパキスタンルピーで釣銭を出そうとする ので文句を言って結局管理人の家まで行って釣銭を受け取る。
しかし、ここでは終わらない。管理人の家で入場券をよこすように要求する。「今は入場券がない」というのでしつこく要求すると管理人に連れられ入場券売り場へ戻るが渡されたのが入場券ではなく入場証明だった。入場券は印刷されていなかったのだ。 ここで更に「どうして入場券がないんだ。入場券買えって言ったじゃないか!」と追い討ちをかける。
管理人が切れ気味になってきたのでこのあたりで嫌がらせはやめて石頭城の見物をする。タシュクルガンで唯一の観光地といわれる石頭城だが特に見ても感動はなかった。この頃に雨が降り始めて夏なのにやたらと寒くなってきた。
カシュガルへ戻る
0900頃にバスターミナルへ行くが既に午前のバスは満席で午後のバスは北京時間5時発と言われるが切符の販売はしていなかった。仕方ないので交通賓館へ戻りHP作成をして時間を潰す。1100頃、昼飯を食べようと外へ出ると台湾系アメリカ人に遭遇。カラクリ湖へ行くはずがまだタシュクルガンにいる。バスは夕方まで無いと教えて一緒にバスターミナルへ行き切符を買おうと思ったが閉まっていた。昼休憩か?
ここで台湾系アメリカ人が「タクシーだとカシュガルまで80元だから、あと2人集めて行こう」と提案してきた。確かにここに夕方までいても確実にバスに乗れるかは分からないのでカシュガルへ行く人民か旅行客を探すことにする。バスターミナルの出入り口で台湾系アメリカ人が人民の一人に声を掛けている。カシュガルへ行く人民だった。この人民もバスでカシュガルへ戻るつもりだったがバスターミナルが閉まっているのを見て一緒に行くことになった。
人民はタクシーの集結場所を知っており一緒に行く。集結場所といっても町の中心地だった。ここで運ちゃんに2人がカシュガル、1人がカラクリ湖へ行くことを告げると乗るように言ってくる。あと1人は運ちゃんが探してきてくれて出発となった。
道中は運ちゃんと台湾系アメリカ人がネタ切れになることなく話しを続けており、話の中で台湾系アメリカ人が弁護士で年収25万ドルということが分かった。さすが弁護士高収入だと思ったが運ちゃんたちは25万ドルが人民元でいくらになるかは知らなかった。まあ、知らないほうが幸せかな?1300頃、カラクリ湖に到着して台湾系アメリカ人と分かれる。
1400頃、盖孜公安検査站に到着。身分証確認をしてカシュガルへ向かう。
1600頃、色満賓館に到着。80元を支払い運ちゃんたちと別れる。色満賓館では20元ドミトリーに1泊することにする。噂には聞いていたが共同トイレは本当に汚かった。1700頃、カシュガル客運站で明日のホータン行きの切符を購入する。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 16.1元 | |
宿泊費 | 20元 | |
バス | 92.5元 | カシュガル→ホータン |
バス | 2元 | 路線バス |
タクシー | 80元 | |
石頭城 | 16元 | |
合計 | 226.6元 |
カシュガル→ホータン
0900前にカシュガル客運站に到着しホータン行きのバスに乗車する。切符には座席番号があったが席は自由だった。
0930過ぎに出発する。ほぼ定刻どおりだ。途中でバスターミナルに寄りながらホータンへ向かう。
道中は土漠だけでなくある程度の規模の町に差し掛かると胡楊林の中を走り抜けます。ほとんどが土漠と町を通過するの繰り返しでしたが1300頃に状況は大きく変わる。
人民解放軍の車列とすれ違うのだが、これがとんでもなく長い大名行列になっていた。恐らく100台 以上の規模でノロノロ運転で車列の後ろを一般車両が続いていた。普段は交通ルール無視の中国人がおとなしく追い越しをせずに運転をしていた。
相当、人民解放軍が怖いらしい。そして、10分後ぐらいに自分が乗るバスも人民解放軍の車列に捕まってしまう。車列の後ろにくっついてノロノロ運転で走る。しばらくして人民解放軍の車列は別の道を行ったので再び100㎞以上で飛ばして行く。
途中通過する町ではバザールが開かれていたりするのでそれを見ながら走っていく。
ホータンは宿の確保が難しい
ホータンに到着して宿探しを始めるが予想以上に苦戦する。招待所、旅館、旅社ではことごとく断られ、賓館でも「外国人は止められない。外国人用の賓館に行ってくれ」と言われる。外国人が泊まりそうな賓館は高いので避けていたがとりあえず2件当たるが1泊140元と高かったり、身なりを見て「部屋がない」と追い出される始末だ。
3時間ホータン市内を彷徨って15件以上断れている。事前の調査では楽勝だと思ったが安宿は全て「公安局が・・・」と同じ答えで 断ってきた。どうやら公安が厳しく取り締まっているようだ。結局、バスターミナルである和田公路客運中心の交通賓館で1泊100元の部屋に宿泊することに なる。今回の旅で一番高い部屋だ。部屋は100元に相当する綺麗な部屋だったがトイレの流れとシャワーのお湯の出がいまいちだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 15.1元 | |
宿泊費 | 100元 | |
バス | 1元 | 路線バス |
合計 | 116.1元 |
ホータン河を見に行く
0800頃、交通賓館から徒歩でホータン河へ向かう。グーグルアースで調べると距離は5~6㎞なので徒歩でいけないこともない。バスもあるようなのだがどのバスがホータン河を渡るのかが分からない。途中で東郊客運站を発見して発着するバスを確認する。
ニヤ(民丰)など近場のバスが発着しているがニヤ行きは1100発の一本だけになっていた。コルラ、ウルムチ、カシュガルなどの長距離は客運中心から発着と分けているようだ。でっかいバスターミナル作ってひとつにまとめたほうが効率よさそうなのだが・・・。東郊客運站を後にして道沿いに歩く。
0900頃に玉龍大橋に到着する。ようやくホータン河を見ることが出来た。
川岸では玉探しをしている地元民が見かけられた。自分は玉探しをせずに写真撮影である。撮影後に河に手を入れてみるとホータン河の水はやはり雪解け水なので冷たかった。
帰り際にウイグル族のおっちゃんが玉を売りつけに来たが無視して10路のバスでバザールへ向かう。バザールはまだ時間が早かった為にやっておらず諦めて交通賓館へ戻る。
砂漠公路を通りホータン→コルラ
昼に交通賓館をチェックアウトしてバスターミナルの和田公路客運中心で1300発コルラ行きのバスに乗車する。バスはエアコン無しなので発車直前まで外で待機する。1300過ぎに発車するがいつもの通り途中で客を拾いながらのノロノロ運転だ。
いくつかのバスターミナルで休憩しながら2100頃ようやくニヤ (民豊)に到着する。ニヤ(民豊)からは沙漠公路に入るが石油輸送で国家の重要道路であるにもかかわらず道路状態はあまり良くない。道路状態が良くないが運ちゃんは構わずにバスを80㎞以上で飛ばして行く。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
バス | 1元 | 路線バス |
バス | 160元 | ホータン→コルラ |
合計 | 161元 |
塔中で休憩してコルラへ
深夜で周囲の様子は分からないが餐厅は客が大勢見受けられる。砂漠のど真ん中で深夜にもかかわらず賑わっているとは、石油が採掘されると想像以上に潤うようだ。
0730過ぎにコルラに到着するがバスターミナルでなく、どこか分からない道路で下ろされる。乗客は皆、タクシーで駅へ向かっているが自分はバスターミナルへ行かなければならない。不本意ながらその辺のへぼタクシーでバスターミナルへ行くがすぐに到着する。気合を入れれば歩いていけない距離ではなかった。泣く泣く5元支払う。どうもタクシーがらみだといつも損している様な・・・。
コルラ→クリチャリク
0800前にチャルクリク(若羌)行きの切符を購入。昨日は食事をしていないので葡萄と桃を購入して待合室で食べる。1日ぶりの食事の後に糞をしにトイレに行くが予想通りの扉無し。順番待ちをしているとある重大なことに気が付く。何と糞をした人民のほとんどが流さずにやり逃げをしているのだ。次に糞をする 人民が流したり、流さずにそのまま脱糞してやり逃げして便器に糞がたまるという光景が見られた。やはり、中国ではトイレで水を流すをいう習慣はないらしい。で、自分は人民の糞を流してからようやく用足しである。0900頃、バスに一度乗車して1000直前まで外で待つ。
ウイグル族の老太太に財布を掏られる
1000になり定刻どおりバスは発車するが、隣に座ったウイグル族の老太太が曲者だった。ホータン(和田)→コルラ→チャルクリク(若羌)と強行軍だったためうっかり1時間ほど居眠りをしてしまう。途中でウイグル族の老太太が下車をして1600過ぎ、チャルクリク(若羌)到着時に財布がないことが発覚する。
初めは落としたと思ったが座席周辺にはない。やはり掏られた。運ちゃんに公安を呼んでもらい、一緒にパトカーに乗車して派出所へ直行する。まずは公安の質問にインチキ中国語で答え、状況説明をする。財布は掏られたがパスポートは無事であったため身分確認がすぐに出来たので椅子にしばらく座って待つ。
運ちゃんは公安に呼ばれて外でかなりの時間だが話をしている。事件が発生すると運ちゃんにも罰則でもあるのだろうか?話が終わると派出所の2階で運ちゃんと 自分の供述調書の作成である。運ちゃんの供述調書はすぐに完成したので運ちゃんは帰ることが許された。
自分は覚えている単語を駆使して状況説明をする。公安も3人ぐらいで話を聞いて理解をしてくれたので公安からの質問も分かりやすかったので意思疎通は何とかできた。本当は通訳がいたほうが良いのだろうけ ど、この田舎じゃどうしようもないし、幸いこちらがある程度中国語が分かるので時間が掛かるが供述調書作成にはそれほど問題はなかった。質問の中には日本の住所、学歴とかの他に「民族は大和族で良いのか?」とか聞かれたりしながら調書作成が行われる。
で、作成された供述調書の確認をする。まあ、閲読に関しては以前受験したHSKで閲読だけは7級だったので問題なく調書の内容は大体理解できた。1900頃、調書に署名、捺印をして被害届けは受理された。
この後は泊まる所を聞かれて、まだ決めていないのとお金がないので安い所でないと泊まれないことを伝えるとパトカー(中国のパトカーは日本と違い無線機が 搭載されていなかった)に乗せられてバスターミナルである若羌客運站にある康達賓館に送り届けられる。宿の人は公安に連れて来られた日本人にちょっと驚い ていたが公安の事情説明を聞いて理解してくれた。
宿の登記が終わると公安が帰るのでお礼を言って分かれた。恐らく明日には若羌の公安のほとんどが日本人がスリに遭った事を知っているのだろう。若羌の人民も知っているだろうな!それと、被害届けのコピー貰うの忘れてた。まあ、貰っても何にもならないけど・・・。今回は良い勉強が出来たと思っておこう。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 20元 | |
宿泊費 | 15元 | |
バス | 74元 | コルラ→チャルクリク |
タクシー | 5元 | |
スリ | 1000元 | ウイグル族の老太太に財布を掏られる |
合計 | 1114元 |
若羌→石棉矿
0800過ぎに若羌客運站で青海省方面のバスを探すが切符の価格表には記載がない。窓口で聞くと外に停まっているバスが青海省方面のバスだと教えてもらう。バスの乗客に聞くと青海省方面へ行くと言うのですぐに康達賓館に戻り荷物を持って出ようとするがフロントに誰もいない。大声で呼んでも反応無し。しょうがないのでそのまま出てバスに向かう。
バスには行き先が石棉矿となっており運ちゃんにどの辺りまで行くか地図を見せながら聞くと依吞布拉克まで行くことが判明する。運賃は100元なので、そのまま乗車する。この時、運ちゃんが乗客に韓国人が1人いると教えてくれた。韓国人バックパッカーは英語が話せるが 中国が話せなかったが意思疎通は何とかできる。道中の良い仲間になりそうだ。
さらにもう1人韓国人がおり、こちらはコルラかニヤ方面へ行くそうだが、妙に日本の地名を知っており中国語と日本語を交えて今まで日本に10回以上観光に行っていると語り始めた。0930頃に出発するが給油したり客を拾ったりして 若羌を出たのは結局1000過ぎになってしまう。途中で米蘭に立ち寄り乗客をさらに乗せ定員超過で未舗装の山道へ入っていく。
しかし、国道といっても干上がった川底を走ったりともはや国道とは呼べない道路状況であった。この悪路を突き進み3900m以上の峠を越えていく。
1600頃になり石棉矿に到着。埃が舞う道路を進み客を降ろしながら1630過ぎに依吞布拉克に到着。
韓国人バックパッカーと夕飯
運ちゃんが韓国人バックパッカーと一緒に宿に案内してくれて明朝0900に青海省方面のバスが発車と教えてくれた。部屋に荷物を置いて韓国人バックパッ カーと地図を見ながらどこへ行くとか話をしていると、パキスタンから入国して天津から飛行機で帰るとのこと。
パキスタンではK2のトレッキングをしてきたとか言っておりかなりの兵のようだ。夕飯を一緒に食べに行くがメニューが読めないようで自分に一任され肉丝面と酸辣土豆丝を食べる。食後は依吞布拉克を散 歩するが何もない田舎だった。
石棉矿はアスベスト採掘現場だった
グーグルアースで旅の経路を作成しているときに重大なことに気がついた。石棉矿がアスベスト採掘現場だったのだ。普通なら石棉(日本語だと石綿)=アスベストで気付くはずなのだが時すでに遅し!すでにアスベストの採掘現場脇をバスで通過しており、埃と一緒にアスベストを吸い込んでしまっている。
30年後ぐらいに肺の病気を発症して死亡するのが確定しただろう。依吞布拉克の人民はアスベスト採掘現場と工場の危険性を知っているのだろうか?もし、新疆ウイグル自治区と青海省を結ぶ国道315号を通るのなら経路変更をすることを強くお勧めする。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 7元 | |
宿泊費 | 10元 | |
バス | 100元 | 若羌→石棉矿 |
合計 | 117元 |