N853次で銀川→嘉峪関
昼に宿を出て銀川駅へ向かう。荷物検査を終えると公安に呼び止められる。いつもの通り身分証確認だ。パスポートを提出すると「日本人か?」とちょっと驚かれる。写真を見て「これお前か?」と聞かれたり、「中国語話せるのか?」など色々聞いてくる。パスポートも入国スタンプの確認までしており今まで出一番厳しい身分証確認だった。
まあ、身分証確認だから本来はこれくらいやってもらわなきゃ、せっかく菊の御紋の入ったパスポートを出すのだし。パスポートの中身も確認しないで終わりという冷たい対応よりはるかに面白い。身分証確認が終わり待合室で約5時間待つことになる。
2時間ぐらいすると北京西行きのK178 次と同じ待合室だったので小学生の団体で混雑してくる。1600過ぎにK178次の改札が始まり1640頃に改札が終わる。次はN853次なので改札口に早々に並ぶ。珍しく一番乗りで改札を待つ。
1700過ぎに改札が始まり1番ホームへ向かう。非空調の緑皮車なので「いつもの民工御用達か」と思いつつ乗車すると予想外にも車内は別世界、「これが緑皮車か?」と思うぐらい綺麗で装備も新しい。車両を見てこの時は「民工御用達か」と思っていましたが乗車すると別世界でした。
乗客まで「很干净!(とても綺麗だ)」と呟いていた。緑皮車の中がこれほどの装備になっているとは・・・。
今迄で最高の非空調の車両で定刻どおり1725に発車する。遠くの景色を眺めながら夕食に回族の店で買ったパンを食べる。
乗務員の質が高い
今迄で非空調の緑皮車では最高の装備だが乗務員もしっかりしている。
トイレは綺麗に掃除されているし、車内の掃除もこまめにしている。扇風機も壊れているのは無く全部稼動している。もちろん蛍光灯も全部点いている。これは本当に凄い。
問題は乗客の方だ。多少は民度の低い乗客が混じっており窓からゴミを投げ捨てている。さすがにビール瓶やカップ麺の容器を捨てているのは見なかったが、ペットボトルやリンゴ、桃が投げ捨てられていた。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 5.5元 | |
合計 | 5.5元 |
嘉峪関に到着
0530頃に起床して外の景色を見ていると0600頃に换票证と切符の交換をする。酒泉と嘉峪関で下車する乗客は同時に交換している。酒泉から嘉峪関までは30分ほどしか時間が無いから早めに交換しないと間に合わないのだろう。0700過ぎに嘉峪関到着。
駅の外にはタクシーの運ちゃんが待ち構えていたが無視して1路のバスに乗車する。
嘉峪関賓館のドミトリーは高すぎ
1路のバスで嘉峪関賓館の前で下車する。事前に調べた情報だと嘉峪関賓館と雄関賓館にはドミトリーがあるそうなので値段を聞くことにする。嘉峪関賓館は見るからに高そうなホテルでドミトリーがあるか疑問なのだがフロントで聞いてみるとドミトリーがあることが判明。1泊いくらか聞くと123元。ドミトリーにしてはボッタクリで、細かい料金設定だ。とりあえず部屋を見せてもらうと3人部屋でドミトリーにしては綺麗だ。部屋は文句なしだが料金は文句ありだ。貧乏人の自分はすぐに退散する。
こうなると雄関賓館も高そうだ。まあ、やはり鉄ちゃんは駅前で招待所を探すのが無難のようだ。駅前に戻り迎賓招待所で1泊60元を 55元に値切って2泊することにする。久しぶりに招待所でテレビ・トイレ・シャワー付きの部屋にした。理由は1週間近く体を洗っていないし洗濯をしていな いからだ。自分でも異臭を放っているのが分かるほどの有様だ。
自転車で嘉峪関へ
1030頃、市の中心地にある雄関賓館の近くの自転車屋で「租自行车」の看板を見つける。店のおっちゃんに聞くと1日20元、保証金400元ということな ので借りることにする。
自転車はマウンテンバイクだがブレーキがいまいちで、サドルが硬くベルが無いのでその辺のボロ人民チャリと大して変わらない性能 だった。店のおっちゃんが「韓国人か日本人でしょ?」と聞くので「日本人ですよ」と答えると後ろにいた店のおばちゃんが「日本人なの?どこかの田舎の人だと思ってたよ」とか言ってくる。嘉峪関も十分すぎるほど田舎だと思うのだが・・・。
自転車を借りて1050頃に嘉峪関へ出発。1130頃、嘉峪関に到着するが開いている門から入ったら、何故か外に入場券売り場があり入口の中にいる。。
とりあえず、見なかったことにして中へ進むと嘉峪関の近くまで来たが目の前に2つ目の入口がある。これ以上は入場券がないと入れないようだ。買うか迷ったが次の懸壁長城へ向かうことにする
灼熱のシルクロードでも遠くの祁連山脈に雪が残っており雪解け水がオアシスを支えているのだろう。懸壁長城は場所がよく分からないので持ってきたガイドブック「新・個人旅行」を見ながら前日調べたグールアースを思い出しGPSで位置を確認しながら行くが、工業地域に突入してしまった。どうやら迷ったようだ。長城の烽火台は途中で見つけたが懸壁長城は後で全く違う場所にあることが判明する。
魏晋磚壁画博物館
懸壁長城を探してさまよっていると「嘉峪関魏晋墓」の標識を発見する。ここは予定変更で嘉峪関魏晋墓へ向かうことにする。自転車で標識の指し示す道をひたすら進むが全く到着する気配が無い。引き返すか迷っていると目の前に魏晋磚壁画博物館が現れた。しかも、この道路の終点が博物館だ。標識から7kmぐらい離れているぞ。
とにかく1500頃に到着!まずは見学しなければ!入場31元払い見学する。周辺には魏、晋の古墓がおよそ1000もあり、そのうち18ヶ所が発掘され1ヶ所が公開されている。
墓自体は小さかったが地下へ降りていくと約1800年前の壁画が残っており当時の彩色も残っていた。しかも、普通ならこういった貴重な墓はガラス越しとかで見学になるのだがそのまま見られるようになっている。というか触れる状態になっている。
もちろん触ってはいけません。監視がしっかり付いているので、ばれたら生きて帰れるか分かりませんので・・・。周辺は荒地が広がっていましたが未発掘の場所があるので保護区になっ ており開発禁止というか石や土砂の持ち出しも禁止されていました。1545頃、魏晋磚壁画博物館を離れ1800過ぎに市内に戻り自転車を返却する。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 17.7元 | |
宿泊費 | 110元 | 1泊55元×2 |
バス | 4元 | 路線バス |
魏晋磚壁画博物館 | 31元 | |
レンタサイクル | 20元 | |
合計 | 182.7元 |
嘉峪関へ再び
0800頃、駅前から4路のバスで嘉峪関へ向かう。昨日気付いたのだが4路のバスは嘉峪関が終点で行き先表示は「城楼」となっており初めは気付かなかったが嘉峪関城楼を意味していた。
0840頃、嘉峪関に到着する。昨日は正面入口から少し南にある門が開いていたのでそこから入ったが今日は入場券を買って入ることにする。入場料は100元だ。はっきり言って高い。世界遺産だから調子に乗っているようだ。あいにく今日は土曜日で観光客がやたらといる。東門のそばにある2つ目の入口は団体客で大混雑だ。
昨日はここで断念したが今日は入場券を持っているので堂々と通過して嘉峪関へ入る。古い長城も少し残されている が大部分は修復されている。中には関帝廟があったので見物するが、何か土産物屋が目立っている。商売の神様だからこういうのもありなのかな?
関帝廟の前は土産物屋が・・・。やはり商売の神様だからこういうのもあり?
周辺を歩きながら0930頃に西門から外へ出る。嘉峪関の西側には荒野が広がっている。
昔はここから西域へ商隊が向かったのだろう。西門は観光客も少ないほうで写真もゆっくり撮れる。そして、ここであることに気付いた。嘉峪関の南を走る国道から長城に沿って徒歩で来ることが出来るではないか!嘉峪関の西側には特に柵も何も無い。嘉峪関の西は荒野が広がるだけです。
西門では一応門番が門票の確認のためにいるが一切確認せずに皆自由に出入りしている。それに西門から新たな客が来ることは考えていないので入場券売り場やちゃんとした入口も無い。これなら逃票が可能ではないか!100元も取るくせに管理はいい加減だ。
西門から再び嘉峪関へ入り城壁へ上り見ていると係員が 「門票を見せて」と言ってくる。門票をリュックから出そうとすると「いいよ!いいよ!」といってどこかへ行ってしまう。内部では逃票防止の巡回をしているようだ。巡回する前に西門をちゃんとしたほうが良いと思うのだが・・・。城壁を歩いた後は東門へ抜け長城博物館を見学する。1100に昨日開いていた門を見に行くと開いていた。逃票が自由にできそうな感じだ。
万里長城第一墩
嘉峪関を見学した後は万里長城第一墩と懸壁長城へ行くことを考えていたが自転車だとさすがに昨日あれだけ移動したので体力が持ちそうに無い。バイクタクシーを使うことを考えたが嘉峪関はバイクタクシーが少ない。代わりに三輪自転車が多い。これはついに普通のタクシーを使うしか無さそうだ。
タクシーを捕まえ万里長城第一墩と懸壁長城の2ヶ所を回るといくらぐらいか聞くと90元との返答だ。万里長城第一墩と懸壁長城は嘉峪関からそれぞれ直線距離で7~8kmなので嘉峪関→万里長城第一墩→懸壁長城→嘉峪関の経路で60~70元を想定していたがちょっと高い。ここで懸壁長城は諦めて万里長城第一墩だけに決め る。運ちゃんが「往復?片道?」とか聞いてくるので「片道」と答えると運ちゃん驚いて「あそこは車来ないよ!普通は往復だよ!どうやって帰るの?」とか聞いてくるので「歩いて帰ります。」と答える。
運ちゃん驚きっぱなし。今まで片道の客なんていなかったのだろう。約9㎞の道のりを進むが初乗り運賃が6元で3㎞、1㎞ごとに1.8元が加算されていった。タクシーの運賃はやはり原油高の影響を受けているようで新・個人旅行の情報と違っていた。入口に到着して入場券売り場で入場券を買うが駐車場代2元を請求される。「タクシーは降りたらすぐに帰るから駐車場代要らないでしょ」といっても駄目だった。どうやら駐車場代というのは嘘で通行料のようだ。
入口を通過して1200に駐車場到着。運ちゃんに15元を支払う。駐車場の目の前に万里長城第一墩がある。ここで万里の長城が終わっている。
まあ、時代によって万里の長城は西端も東端も変わっているので更に西にも長城はあるけど・・・。しかし、眺めは凄い。万里長城第一墩は崖の上にありすぐ下には北大河が流れている。すぐ近くには撮影用のオープンセットがあり当時の様子が再現されている。
万里長城第一墩から徒歩で嘉峪関へ
1230頃に万里長城第一墩から嘉峪関へ長城に沿って歩いていく。まあ、はっきり言って夏のこの時期に万里長城第一墩から嘉峪関まで歩くなんて頭が狂っているとしかいえないだろう。普通はタクシーで帰るだろう。長城に沿って歩いて1300頃に柵に行く手を阻まれる。逃票防止の柵だが少し歩くとやっぱりありました。有刺鉄線が切れていた。
柵を越えて再び長城に沿って歩くと貨物列車が西へと走っていくのが見える。
線路を渡り再び道路をはずれて長城沿いに歩いて行くとまた線路がある。しかも柵付だ。柵付きということは重要路線の蘭新鉄路ということだ。
長城の奥に見えるのが祁連山脈です。祁連山脈の向こうは青海省です。
国道が見えてくると長城が低くなっている所があったので長城に登ってみるが見晴らしは大して変わらないのですぐ降りて国道を横断する。嘉峪関まであと少しの所まで来た。嘉峪関の観光客も見えてきた。
そして、1420頃に嘉峪関の西門に到着。国道から実際に嘉峪関の西門まで来られる事が確認できた。次は西門から内部へ入れるかの確認だ。入場券は持っているのだが西門から出ておらず国道から来ているのでどうだろうか?西門を通るが何も無く嘉峪関に入れた。やはり西門は客の出入りを把握していないようだ。これはかなりの確率で逃票が出来そうだ。再び嘉峪関の中を通り長城博物館の前を通過して北門から出る。帰りは再び4路バスに乗り市内に戻る。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 19.4元 | |
鉄道 | 23元 | 嘉峪関→敦煌 |
バス | 2元 | 路線バス |
タクシー | 15元 | |
嘉峪関 | 100元 | |
万里長城第一墩 | 21元 | |
駐車場墩 | 2元 | |
合計 | 182.4元 |
7527次で嘉峪関→敦煌
0600過ぎに宿を出て嘉峪関駅へ向かう。早朝で田舎の駅なので改札はあまり混んでいない。改札を抜けてホームへ向かう。利用客が少ないようで客車は4両しか連結されていない。それでも、乗車できるのは1~3両目までで4両目は使用していなかった。
定刻から2分遅れの0632に発車する。約6時間半の旅だが車内は空席があり乗客は自由に座っている。
嘉峪関が遠くに見えて昨日柵を超えて線路を渡った場所を通り過ぎる。
途中で時刻表に載っていない河東など幾つかの駅で停車して乗客が乗り込んでくる。それでも車内には空席がある。敦煌へ近づくと砂が車内に入ってきて窓を閉める。今日の敦煌の天気は曇りと思っていたが雲ではなく砂が巻き上げられ曇っているように見えただけだった。この細かい砂はデジカメにとっては脅威だ。これから先はデジカメをあまり使えないな。
駅舎が建設中のためにプレハブ小屋のような仮駅舎を出ると予想通りあいつらがいた。タク シーの運ちゃんたちが待ち構えていた。しかし、駅前の駐車場には路線バスが停車している。もちろんタクシーの運ちゃんは無視だ。
路線バスで約10㎞離れた市区へ移動する。真っ直ぐ南へ行けば莫高窟だ。市区までの運賃は3元だ。市区へ到着するとバスの車掌が賓館を案内してくれたが1泊300元とかで高くて泊 まれない。50~70元で無いか聞くと招待所を案内してくれた。棉花公司接待中心という招待所で1泊60元だ。シャワー無し、トイレ共同だが、ここに泊ま ることにする。
タクシー使ったけど失敗だった
1400頃、インターネットで情報収集していると部屋のドアを叩く音がする。タクシーの運ちゃんが莫高窟まで往復80元で乗らないか誘いに来た。市区から 莫高窟まで27㎞あることが分かっているので往復80元は運ちゃんを待たせることも考えれば妥当な料金だ。まだ、1400過ぎなのでタクシーで莫高窟へ行くことにする。
タクシーに乗り莫高窟へ向かうが途中で市区→敦煌駅→莫高窟への路線バスが通るのを見つける。この瞬間、「しまった!」と後悔してしまう。 路線バスがあったのだ。運ちゃんとの契約を破棄するわけにも行かないのでこのまま莫高窟へ向かう。
世界遺産 莫高窟はボッタクリ&懐中電灯必須
1450過ぎに莫高窟到着。入場券売り場を見て驚く。値上げと外国人料金があるのだ。中国人は160元だが外国人はガイド料込み180元になっている。外国人は完全に舐められています。ここは当然ガイドはいらないので、ちょうど160元出して入場券を購入する。窓口のおばちゃんには気付かれずに中国人料金で無事購入する。この時は「中国語を勉強してよかった」と思った。
これが莫高窟のボッタクリ料金表です。外国人料金があるとは・・・。世界遺産だからって調子に乗るな!
入場券売り場から入口へ向かうがカメラ持ち込み禁止になっているのだが普通にデジカメ持って入って撮影していたら警備員にカメラを預けてくるように言われる。荷物を預けて再び入場する。実際に見学してみると石窟内は一部を除き照明が無い。おかげで団体客と一緒にガイドがライトで照らす部分を見ることになる。
しかも、珍しく中国人観光客が写真撮影をしていない。今までなら少林寺の武術表演など撮影禁止でも構わず撮影していたが莫高窟では大人しくしている。これには何か裏があるに違いない。きっと見つかると無事には帰れないとかあるのだろう。 しかし、中国人が大人しくすることは無かった。携帯のカメラで隠れて撮影していた。でも、照明の無い石窟は撮影しても意味無いだろう。
団体客と一緒に行動していたが静かに見学したいので離脱する。見学者のいない石窟もあったのだが公開されている石窟が少ないのですぐに見終わってしまう。 途中で日本人観光客がガイドの説明を受けていたので「日本人ですか?」と声をかける。日本人観光客は「おひとりですか?」とか聞いてくるので「1人ですよ」と言ってその場を離れる。まあ、ガイドがいなければいけないのに日本人1人は不思議に見えたのだろうか?
入口に戻る途中で扉の開いていたいくつかの石窟に入ろうとすると追い出されてしまう。別料金で見られる石窟だった。入口に戻り外へ出て預けていた荷物を受け取り外から写真撮影をする。
莫高窟といえば、ここがお約束の場所ですね。正直言って莫高窟は写真撮影禁止なので160元出して見学する価値があるとは思えなかった。入場券を買わずに入口や周辺から撮影するだけで十分だった。
莫高窟から戻る際に路線バスの運ちゃんに市区まで幾らか聞くと8元ということが確認できた。市区から莫高窟まで8元、往復だと16元だ。タクシーは往復80元。これは、もう・・・。
敦煌市内を散歩する
タクシーで市区へ戻る途中で敦煌駅に寄り明後日のトルファン行きの切符を購入する。宿に戻り夕飯を食べるついでに散歩に出る。
市区を歩いてみると色々と新しいことが分かってきた。市区から月牙泉、鳴砂山は3路のバスで行けることが判明。莫高窟へのバスは敦煌賓館の前を通ることも分かった。
それと、敦煌汽車站と外国人がよく泊まるらしい飛天賓館の周辺には英語や日本語が表示されたレストランがあり値段も高い。値段が高いのはここだけではない。夜市が開かれ観光客が集まる沙州市場にある店も観光地料金になっていた。どうも、敦煌の物価は高い感じだ。もともと田舎だから商品の輸送 費も掛かっているのだろう。普通に敦煌を観光するなら敦煌賓館と飛天賓館が無難なようだ。敦煌賓館は周辺に旅行会社や民航があるので航空券、列車の切符や 莫高窟などのツアーの申し込みが出来る。
飛天賓館は正面に敦煌汽車站があり、旅行会社もある。それと、土産物屋とか見ていると時計が1時間遅れているとこ ろがある。調べると北京時間から1時間遅れの敦煌時間があるらしい。ウルムチ時間とか新疆時間というのは聞いたことがあるが敦煌時間は初めて聞いた。敦煌 時間なんてローカル時間が本当に存在するのか疑わしいが確かに敦煌汽車站の時計は故障の可能性もあるが1時間遅れだった。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 3元 | |
宿泊費 | 120元 | 1泊60元×2 |
鉄道 | 120元 | 硬座 敦煌→トルファン |
バス | 3元 | 路線バス |
タクシー | 80元 | |
莫高窟 | 160元 | |
合計 | 486元 |
鳴砂山・月牙泉はボッタクリ
0800頃に宿を出て鳴砂山へ徒歩で向かう。市区の南5㎞に鳴砂山がある。3路のバスに乗って行く事も出来るがのんびりと歩いて向かう。途中で敦煌では滅 多に降らない雨が降ってくるが数分で止む。0930頃、鳴砂山に到着する。
観光客で賑わってはいるが土産物屋には客がいない。まずは入場券売り場で入場料の確認をするが事前に調べたとおり120元だった。砂漠と泉だけで120元も取るとはふざけた料金設定だ。もちろん砂漠を歩くのに120元払う気は無い。
タクラマカン砂漠に行けばいやになるほど砂漠を歩けるので外から写真撮影をして引き返す。
敦煌歴史博覧園(中国敦煌性文化展覧園)
<鳴砂山を見た後は徒歩で来た道を戻る。1000頃、戻る道の途中で今日の目的地である敦煌歴史博覧園に到着。
ここは敦煌の歴史を紹介する博物館敦煌の歴史を人形で再現しているが、実は中国敦煌性文化展覧園というやたらと怪しい名前も持っている。これは実際に見て確認して見なければならないだろう。この時点で思考能力は馬鹿中学生と同程度になっている。入口で入場料30元を払い中に入ると小姐が館内を案内してくれる。ここは1人で見学でもガイド付きのようだ。
色々と展示はあるのですが説明を聞いてもほとんど分からないので説明書きを見て理解してました。
人形で敦煌の歴史を再現しており説明を聞きながら写真を撮る。ここまでは普通の博物館と同じだ。一通りの見学が終わるとついにやって来ました。未成年立ち入り禁止の展示室です。撮影禁止なのだが1枚だけ撮影する。
小姐は淡々と説明しているが展示されている絵はモロに描写されていて中国の法律に触れているのではと思うぐらいだ。それにしても、仕事とはいえ小姐はよく平気で説明しているな。ある意味これってセクハラじゃないか?1040過ぎに敦煌歴史博覧園を出て3路のバスで市区へ戻る。
飛天賓館の周辺はバックパッカーの溜まり場?
1900頃に夕飯を食べるために出かける。バックパッカーの溜まり場となっている飛天賓館周辺を歩いてみるが英語、日本語、韓国語の表示がやたらと多い。 おまけに間違っているし。飛天賓館のすぐ近くにある旅人の家という店に入ってみる。インターネットで調べる限りこの店は日本人と韓国人バックパッカー御用達の店らしい。確かに日本語と韓国語が目立つ店だ。入ってメニュー表を見ていると店の老板が話しかけてきた。
すぐに日本人と分かってしまった。さすがバッ クパッカーの溜まり場の店、老板の眼力も凄い。メニュー表は中国語と日本語が表示されているが値段が高い。9割ぐらいが10元以上の料理だ。炒飯が6元だったので注文するがかなり高い。甘粛省に入ってからは炒飯など中華料理は比較的高くなっているので5元前後でも仕方ないだろう。しかし、出された炒飯はやけに少ない。「これで6元かよ!ボッタクリだ!」というのが感想である。北京では鶏蛋炒飯が3元で倍の量はあった。バックパッカーの溜まり場として有名な店だが普通の外国人料金の店であった。
老板は評判どおり日本語で話しかけてきて自分は中国語で返答していた。老板の日本語能力も比較的高そうだ。どこで 覚えたのだろうか?老板曰く「今日は韓国人が12人来て、日本人は2人だけ」だそうで最近は日本人が少ないらしい。ただ来週になれば夏休みで学生がたくさん来ると予想していた。旅人の家を出て周辺を調査するが炒飯少なくて満腹にはならない。
仕方ないので旅人の家から徒歩1分ほどの食堂で牛肉麺を食べる。値段は3元だ。炒飯と牛肉麺の違いはあるが徒歩1分の距離で値段が倍違う。やはり、日本語や英語表記のある店は入ってはいけない。金持ちのバックパッカーならよいが貧乏人には痛い出費になる。
こちらはバックパッカー御用達の飛天賓館だが敦煌の高級ホテルでもある。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 12元 | |
バス | 1元 | 路線バス |
敦煌歴史博覧園 | 30元 | |
合計 | 43元 |