四川省旅行記2015春2 昭化古城・三国志遺跡巡り

広元・昭化古城

広元→昭化

07:30頃、宿を出て南河汽車站へ向かう。バスターミナルまで25分ほど歩くのだが途中の横断歩道で姉ちゃんが痰を吐いていた。広元は朝からハイレベルだ。

07:55頃、南河汽車站に到着するが窓口には誰もいない。別の場所に臨時のチケット売場が設置されている。機材の更新だろうか?臨時の窓口で昭化行きのチケットを購入するために並ぶが、朝からおサルさんたちが割り込みをして鬱陶しい。

昭化行きのチケットは乗車時購入ということだったので、そのままバスに乗車する。昭化までの運賃は9元だ。08:15頃、昭化行きのバスが発車する。

昭化古城

09:00頃、昭化古城に到着する。

昨日ctripで予約しておいたので、游客中心の入場券売場でのショートメッセージの画面を見せて入場券を購入する。

通常の入場料は58元だがネット割引で39元になる。額面は58元だが入場券には「旅行者专用票」のスタンプが押されている。入場券の裏面を見ると有効期間は2日間となっている。

昭化古城自体は入場券を買わなくても見物できるのだが、三国志遺跡の敬侯祠(費褘墓)のためだけに入場券を購入した。

まずは古城内を散策してみるが第一印象は観光開発された古鎮である。

城門の瞻鳳門をくぐり古城内を歩いて行く。

09:45頃、城隍廟に到着する。

古鎮には必ずと言っていいほど城隍廟があるが、昭化古城の城隍廟は文化大革命で破壊されており、現在の城隍廟は2008年に再建されたものだ。

新しい城隍廟なので綺麗に整備されている。

そして、奥の本殿には管理人がおり、「可以拝托」とか言っている。だいたいここで拝むと御布施を要求されるのが定番なので無視しておく。

10:10頃、城隍廟を出て古鎮を歩くが土曜日なので観光客が多くなってきた。

敬侯祠(費褘墓)

10:20頃、昭化古城の西にある敬侯祠(費褘墓)に到着する。入口にいるお兄ちゃん暇そうでスマホをいじっていたが、自分が入口で写真を撮り始めたら起立してちゃんと仕事を始めた。一応はサービス業なんだし、暇でも表ではちゃんとしていてほしいな・・・。

費褘は諸葛孔明亡き後の蜀を支えた重臣だ。

費褘墓の創建時期は不明だが明代に最大規模を誇っていたことは分かっているが文化大革命で破壊され現在の墓は2008年に新しく再建されたものだ。

新しく再建されたものとはいえ昭化の重要な三国志遺跡だ。

かろうじて墓碑が清の光緒33年の物で、これが現在の費褘墓で最も古いものだろう。

臨清門と戦勝壩

11:00頃、敬侯祠(費褘墓)を離れ、すぐ近くの昭化古城の臨清門にやってきた。

臨清門は明代の完成した城門で現在でも残っている。明代の城門といっても綺麗に修復され古さは感じられない。この臨清門の前の広場が戦勝壩と呼ばれ張飛と馬超が一騎打ちをした場所である。

この戦勝壩の脇にある観光施設で「張飛戦馬超」や「三英戦呂布」というアトラクションをやっており入場料は38元だ。

で、こんなのが見られるらしい。

漢城博物館

11:40頃、漢城博物館を訪れる。

清の乾隆年間に建てられた龍門書院の場所に建てられた博物館で後漢の古代墓から玉や陶器が展示されている。パスポート必須であるが無料で見物できる。古代墓は一見の価値ありだ。

三国時代の剣も展示されており三国志関連で見学するのもよい。

漢城墙遺址

12:15頃、漢城博物館を出る。12:20頃、昭化古城の南城壁の漢城墙遺址に到着。

ここには古い城壁がそのまま残されており昭化古城で数少ない歴史を感じさせる場所だ。

剣刀壩君臣園

城壁から古城を歩き、12:40頃、剣刀壩君臣園に到着。

入場券を買っているのでとりあえず中へ入ると、何と三国志テーマパークであった。竹林の中に劉備や昭化に関わる蜀の重臣たちの像がある。しかも、像の出来がなかなかよい。ここは全く期待していなかっただけに予想外の収穫であった。

黄忠

龐統

姜維

費褘

関索

鮑三娘

霍峻

魏延

張飛

馬超

劉備と的盧

昭化県署

13:00頃、剣刀壩君臣園を出て、古城内を歩く。13:10頃、昭化県署に到着する。昭化の行政府であり、唐代に昭化県署が置かれ戦乱で幾たびも破壊されたが、明の洪武8年と清の道光3年に再建されているが文化大革命で破壊される。

現在の昭化県署は2008年に再建されたものである。新しく建てられた県署なので博物館として見学するにはよいだろう。ただし、他の古鎮にある県署と構造はほぼ同じといった感じだ。15:50頃、昭化県署を出る。

科挙の試験場・考棚

15:55頃、文廟と考棚に到着。まずは考棚から見物する。

考棚は科挙の試験場で案内の看板によれば清の同治年間に建てられたが長年放置され大部分が破損して2008年に修復されたそうだが門にはスローガンが描かれ残っているので、本当は文化大革命で破壊されたのではと疑ってしまう。

文廟

14:20頃、続いて文廟を見物する。

孔子を祭っているが、本殿の大成殿以外は2008年に建てられたものだ。

戦火で古い建物はなくなってしまったようだが、文化大革命で一番破壊されたのではと疑ってしまう。

清の嘉慶22年に建てられた大成殿が唯一古い建物である。

城壁に登るが特に見るべき物は・・・。まあ、漢の旗と城壁から見下ろす戦勝壩ぐらいだろうか?

城壁ではカップルがいちゃついている真っ最中だ。張飛と馬超は夜通し一騎打ちしていたというのに・・・。

15:30頃、広元行きのバスに乗車する。運賃は9元だ。15:45頃、バスが発車する。16:20頃、渋滞にはまるが、1台のフォルクスワーゲンのMAGOTANが反対車線を突進して路線バスの行く手を阻んでいる。そして、交警がやってきてとっちめられている。同乗者が車から降りて飛行機に遅れるようなことを喚いている。こちらのバスの中にまで叫び声が聞こえている。しかし、交警に命令されて車はバックしていく。空港へは時間に余裕を持って行かないとな・・・。

16:30頃、バスが動き出しゆっくりと進む。そして、前方には公安の車両が停車しており、ほどなくしてレッカー車が見えてきた。交通事故が渋滞の原因であった。17:00頃、広元の南河汽車站に到着する。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14.5元
バス 18元 広元↔昭化
昭化古城 39元
合計 9元

広元観光最終日

鮑三娘墓を探すが・・・

07:00頃、宿を出て南河汽車站へ向かう。昨夜は雨が降っていたが今日は朝から晴れている。07:30頃、昭化行きのバスに乗車して客が集まるのを待つが、昨日は乗車後に運賃を払っていたのだが、今日は窓口でチケット購入となっていた。一体どうなっているんだ?まあ、とにかく窓口へ行ってチケットを購入、昭化までの運賃は9元だ。

今日は昨日忘れた昭化古城の西にある鮑三娘墓へ行く。その後は広元へ戻り皇澤寺、千仏崖を見物する。08:08頃、満席になりバスが発車する。08:50頃、昭化古城に到着する。

昭化古城を通り抜け臨清門から西へと歩いていくが道を間違えて嘉陵江沿いの道を進んでしまうが、なぜか道路左脇(嘉陵江側)に戦勝壩の石碑がある。臨清門の前が戦勝壩のはずだが、ここは門からかなり離れている。石碑自体は新しく価値はないが、一体どういうことだ?

道を間違えたので引き返して牛頭山方面への山道を進む。グーグルマップによればこの先の蜀道涼亭農家楽の近くに鮑三娘墓がある。

そして、蜀道涼亭農家楽近くに到着するが、ここは涼亭子と呼ばれる場所で昔から東屋があったようで周辺には清の光緒22年に建立された石碑があるが鮑三娘墓は見あたらない。地元のおっちゃんに聞いてみると山の上でなく山の下にあるようなのだが見つからない。

グーグルマップで示された場所に到着してもただの斜面で何もなかった。今回は鮑三娘墓はあきらめて昭化古城へ戻る。11:35頃、広元行きのバスに乗車する。運賃は9元だ。

皇澤寺

12:30頃、バスターミナルの南河汽車站に到着し、20路のバスに乗り換えて皇澤寺へ向かう。12:50頃、皇澤寺に到着する。

入場料は50元だが、昨日ctripで予約購入しているので割引料金で40元だ。入場券売場でスマートフォンに届いているショートメッセージをお姉ちゃんに見せたら入口で処理ということで入口の保安に聞いたら端末叩いて処理してくれて、そのまま入場となった。入場券とかは特に発券されなかった。皇澤寺は中国で唯一の女帝である則天武后を祀られている寺である。

広元は則天武后の故郷であり皇澤寺には則天武后にまつわるものが多く残っている。

皇澤寺の寺自体の歴史は北魏に始まり、元の名称は烏奴寺である。則天武后の即位後に皇澤寺と改名される。北魏から明清までの彫られった石窟の皇澤寺摩崖造像が残っており、特に唐代に彫られた大仏窟が有名である。

皇澤寺の建物自体は新しく古い建物は残っていないが石窟が残っている。

石窟に残る仏像が古代中国の優れた技術を物語っている。

皇澤寺は寺であるが僧侶はおらず博物館として運営されている。

千仏崖と剣門蜀道遺址(金牛道)

14:20頃、皇澤寺を出て20路のバスに乗車する。運賃は2元だ。14:30頃、バスが発車して建設路で女皇温泉行きの5路のバスに乗り換え千仏崖へ向かう。運賃は2元だ。

14:55頃、千仏崖で下車する。観光地として綺麗に整備されており土産物屋や茶楼もある。入場券売り場へ行き、昨日ctripで入場券は予約購入してあるのでスマートフォンに届いているショートメッセージを窓口のお姉ちゃんに見せて入場券を受け取る。入場券といっても感熱紙に印刷されたレシートだが・・・。レシートは入口で回収されて、そのまま見物となった。


ちなみに入場料は50元でネットでの購入は30元である。入口を抜けると北魏後期に創建された大雲寺がある。現在の本殿は清の乾隆19年(1754)に建て直されたものになる。

三国志遺跡・剣門蜀道遺址(金牛道)

千仏崖は名前の通り嘉陵江沿いの崖に掘られた多くの石窟が残っている。元々は蜀から漢中へ抜ける剣門蜀道の金牛道が通っていたが、1935年に国民政府が川陝公路を建設する際に崖を切り開き金牛道や千仏崖を破壊してしまったために、現在ではわずかに金牛道遺址が残るのみである。

わずかに残っているとはいえ、ここも立派な三国志遺跡である。この金牛道を蜀軍が北伐のために通っているのだ。

嘉陵江沿いの崖に北魏から清まで1192の石窟があり、最も盛んに彫られたのが唐代である。

破壊されてしまった物もあれば保存状態が良好な石窟もある。

嘉陵江沿いに石窟があり、石窟の下を金牛道が通っていた。

金牛道はほとんど残っていないが石窟はある程度残っており修復作業も行われている。

そして、これはお年寄りが柵を越えて記念撮影しているところ。

もちろん柵を越えての撮影は禁止になっている。

年寄りには立入禁止とかは関係ないようだ。

柵で入れないようになっているのだが年寄りには関係無いようだ。金牛道も歩いており羨ましい!自分は木道の上から金牛道を見るだけです。

16:50頃、千仏崖を出て5路のバスで広元市内へ戻る。夕飯は素ラーメン(5元/約100円)と牛肉炒飯(8元/約160円)だ。

19:30頃、宿をチェックアウトする。20:00頃、広元駅でインターネットで予約購入しておいた西安行きの切符を受け取り待合室へ移動する。待合室の手前ではいつもの切符と身分証の確認、手荷物のX線検査がある。切符と身分証の確認では駅員は外国人には関わりたくないようでパスポートの中身は確認しなかった。

夜行列車で広元→西安

今回乗車する列車は成都→鄭州のK870次で西安へ移動する。21:14発なので、21:00頃には改札が始まるだろう。今回は硬臥で楽をしたりせず硬座で移動する。広元→西安の運賃は75元だ。

待合室で1時間ほど待機になるが、椅子を3つ占領して寝ているおっちゃんとかがおりカオス度が高い。13億人でサバイバル真っ最中のようだ。

20:25頃、予想より早く改札が始まるが広元駅の駅員はやる気があるようで、乗客たちを一列に並ばせている。いつもならカオス状態で乗車バトルが始まるのだが、広元駅には秩序という言葉が存在していた。でも、乗客の中には床に痰を吐いているおサルさんが紛れ込んでいる。

20:34頃、K870次が入線してきた。

20:40頃、ホームへ移動するが、ここでも秩序が存在しており、最初に2号車の乗客から並んで移動する。自分も2号車なので移動する。ホームへ移動して乗車口でも一列に並んで乗車となった。

20:45頃、乗車する。今まで何度も中国の鉄道に乗車したが初めて秩序のある乗車に遭遇した。今年最大の奇跡だ。調教師・・・。いや、駅員たちのやる気があれば文明乗車は中国でも可能なようだ。

でも、車内は無座切符の乗客で溢れカオス度が高い。8時間ぐらいで西安到着だから硬座で楽勝だと思っていたが、この状況からして寝台の硬臥にしておけばよかった。民工列車はレベル高すぎだ。

21:14に定刻通り列車が発車して、広元から西安までは523km、11時間51分の旅の始まりである。車内はエアコンの利きが悪いのか、おっちゃんたちの熱気が凄いのかで暑い。車内はTシャツでも汗が吹き出るほどだ。西安まで無事に到着できるだろうか?

暑さで眠れず体力の消耗が激しい。乗客の中には窓を開けようとするが鍵が掛かっているので開けられず。乗務員はやる気がなく窓を開けたりエアコンの温度調整をしたりといったことをしない。なので、車内に裸族が出現し始める。ただの民工列車だと思っていたがサバイバル仕様の民工列車であった。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13元
バス 18元 広元↔昭化
バス 8元 路線バス
鉄道 115元 西安→西寧
合計 154元