山西省旅行記2015
霊宝→運城
07:20頃、賓館というか民工宿をチェックアウトして霊宝駅へ移動。駅前では農民工のおっちゃんが「身分証がないと切符が買えない」と携帯でどこかと連絡を取っている。身分証持ってないと窓口のおばちゃんが切符売ってくれないのは当たり前だろ。というか、身分証不携帯でどうやって公安に捕まらずにここまで来たんだ?
駅入口で切符を身分証の照合があったのだが駅員パスポートの中身確認せず切符にハンコ押す。どうも朝からやる気無しのようだ。手荷物のX線検査を受けて待合室で待機。今日は08:52発、張家界→太原のK1887次で運城まで移動する。席は硬座、運賃は32.5元だ。
08:45頃、改札が始まるが田舎の駅なので乗車バトルはなく平和だ。混乱もなくのんびりとホームへ向かい列車の到着を待つ。
列車の到着が撮影でき乗車口へ。今回の機関車は和諧型電気機関車HXD3であった。
いつもの行先票を撮影して列車の乗車。7分遅れの08:59に発車となり運城へ向かう。河南省霊宝から山西省運城までは直線距離で60kmぐらいなのだが、鉄道だと大回りして陝西省華山を経由して運城へ入る。それでも、最短距離の三門峡経由のバスルートよりは安い。時間はかかるかもしれないが・・・。
乗車率は5割ぐらいで空いているので3列シート占領して寝ているおばちゃんがいたりといつもの光景だ。まあ、田舎を走る張家界→太原の列車なので空いているだろうなとは思ったが本当に空いていた。
でも、乗客にはおサルさんが混じっており対面のおっさんが床に痰を吐く。函谷関から西は中原の外なので中華文明の外ということか?中国はおサルさんが多くて困る。学校で習った中国とは全然違うじゃねえか。学校で習った中華文明はどこへ行けばあるのだ?
10:03に華山到着。ここで機関車を交換して進行方向が西から東に変わる。
山西省運城
駅を出ると駅前広場には黄金の関羽像が出迎えてくれる。やはり関羽の故郷なので三国志で町おこしということかな。
潞塩青年旅舍
駅からユースホステルまでは12路のバスで行くのが普通だが何となく歩いていくことにするが、ユースホステルまで意外と距離があり真夏の暑さにやられながら、13:10頃、ユースホステルの潞塩青年旅舍(潞盐青年旅舍/The Ancient Salt Youth Hostel)に到着する。
予約無しであったが部屋は空いており6人ドミトリーで1泊35元(会員料金)だ。
ドミトリーにはトイレ・シャワー付きで思ったより広い。エアコン、電気ケトル、ロッカーもある。各ベッドには照明が付いているがコンセントの数が微妙に少ない。まあ、OAタップ追加すればよいので大した問題ではない。Wi-Fiの電波は良好でネットの速度は問題なし。
屋上が開放されているので酒盛り可能で洗濯物も干せる。徒歩10分圏内には食堂やスーパーマーケットもありそこそこ便利だ。路地にあるのでちょっと分かりにくいが三国志観光の長期滞在拠点としては十分使える。
蛋炒飯
15:00頃、遅めの昼食にイスラム食堂で蛋炒飯(8元/約160円)を食べる。
食後はスーパーマーケットで特売品の冷えた雪花ビール330ml(2元/約40円)を購入。
山西省名物・刀削麺
夕飯はイスラム食堂で刀削麺(9元/約180円)を食べる。山西省といえば刀削麺なので山西省の端っこでも本場の味だろう。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 20.6元 | |
宿泊費 | 215元 | 1泊35元(会員料金)×7 |
合計 | 235.6元 |
土日は人気観光地を避ける
06:00頃に起床して解州関帝廟や常平関帝家廟へ行く準備をする。ctripで入場券を購入しておこうとしたが今日は土曜日ではないか!田舎とはいえ夏休み中の土曜日では解州関帝廟とか混雑しそうな予感がする。金払って人民の海に飛び込むのは嫌なので、予定変更で人気の無さそうな所へ行くことにする。
07:50頃、地鉱大楼のバス停から9路のバスに乗車。運賃は1元、08:15頃、終点の鼓楼小区で下車。池神廟へ向かうが一つ手前の運城二中のバス停の方が近かった。運城二中と市急救中心のバス停の間で21路のバスが停車しているのを見つける。21路のバスで常平関帝廟へ行けるので場所を覚えておく。
池神廟
08:30頃、池神廟に到着するが開門は09:00なのでしばらく待機。池神廟周辺は観光開発の真っ只中で楼閣やら牌坊やらが建設中だ。
09:00過ぎに池神廟を見物する。入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。
池神廟は中国有数の塩湖である解池の北側にあり解池の守り神として唐の大歴12年(777)に創建され修復を重ね、現在残っている三大殿は明の嘉靖年間に建立されたものであり、その他の建物は清代に建立された物になる。
廟自体は解池を見下ろすように建立されており、その規模から守り神としての風格が感じられるが、かなり寂れており参拝客は見あたらず。現在は廟というより解池や塩を中心とした運城の歴史を紹介する博物館として運営されている。
廟の近くでは楼閣の建設が行われており観光開発の真っ最中だ。唐や明の頃は広大な解池は城壁で囲まれ各王朝の重要な収入源となっており、城壁の一部を再現ということだろうか?
そして、この解池だが三国志の関羽ともいささか関係がある。伝説によると宋の大中祥符年間、解池に蚩尤が現れ災いをもたらすが、道士の張天師が伏魔大帝関羽を召喚し蚩尤を退治する。
しかし、よく晴れており暑い。でも、東京や大阪と違い乾燥した暑さだ。塩田には最適の気候なのだろうが、こちらは暑さにやられる。暑さを避けて北方を移動していたので、この本格的な暑さには体力の消耗が著しい。今日はこれ以上の行動は無理そうなので、10:00頃、池神廟を離れ9路のバスで地鉱大楼のバス停へ戻る。運賃は1元、10:30頃、ユースホステルに戻り寝込む。
蘑菇炒牛肉蓋飯
16:30頃、イスラム食堂で夕飯に蘑菇炒牛肉蓋飯(11元/約220円)を食べる。ご飯の上にキノコと牛肉の炒めものが乗っている。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 16元 | |
バス | 2元 | 路線バス |
合計 | 18元 |
三皇五帝の舜帝陵へ
07:40頃、地鉱大楼のバス停から9路のバスに乗車する。運賃は1元、運城二中で下車して、08:00頃、地神廟近くの停車場から3B路のバスに乗車。バス車内では運ちゃんたちが雑談中。日本なら休憩所で雑談だろうが、中国はどこで雑談しようがお構いなし。終点の舜帝陵まで運賃は1元だ。
09:05頃、舜帝陵に到着するが目の前で徳孝古鎮とかいう古鎮が建設中。そして、テナント募集中であった。これって古鎮とは呼べないのでは・・・。
塩湖区博物館
バス停から入口まで神道が整備されそこそこの距離があり、途中の塩湖区博物館に寄って見物する。博物館は無料で見学者そこそこいる。
展示内容は舜と塩湖の解池が中心という感じだ。屋外展示に周辺で出土した石像、石碑や墓誌がある。
舜帝陵
09:50頃、舜帝陵入口に到着。入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。
舜帝陵は伝説上の三皇五帝の一人である舜の陵墓であり夏の禹により創建され、唐の開元26年(738)に廟が建立され、北魏から明、清まで1400年以上の間、歴代帝王から庶民にいたるまで祭祀が行われてきた。
入口には舜の石像があるが作りが雑で残念状態だ。もう少しかっこいい石像に仕上げてくれれば・・・。
山門を通ると舜帝陵に到着。三皇五帝だから巨大な陵墓を想像していたのだが予想外に小さい。
陵墓には石碑が2つあり上が明の万歴年間の石碑になり万歴の文字が読みとれる。
下は元代の石碑になるが風化しているせいなのか元号の文字は確認できず・・・。
舜帝陵・関公祠
陵墓の隣には関公祠がある。舜帝陵にも関帝廟があり伝承によると関羽も舜帝陵を幾度も参拝しており、後世の人たちが関羽を記念して建立されたそうだ。1100年以上の歴史があるらしいが、はっきりした記録が残っているのは清の康熙年間(1717)に修復された記録である。
しかし、この関公祠は本殿よりも関公祠書廊の壁画が重要である。関羽にまつわる故事が多数ある。
さらにはマイナー武将だけど一度聞いたら忘れない名前の卞喜を斬る場面。
11:00頃、舜が祀られている養頤宮(寝宮)の前で、この旅行記を打ち込んでいるが、金持ち中国人の団体客がやってきた。そして、舜像の前でおっちゃんたちが痰を吐いた。
・・・。
このおっちゃんたち中国人ではないな。中国に生息する服を着たおサルさんに違いない!中国人が三皇五帝の前で痰を吐くなんてあり得ない。中華民族の復興には服を着たおサルさんの駆除が最優先だな。
中心汽車站
12:00頃、3B路のバスに乗車する。運賃は1元、12:40頃、中心汽車站で下車する。運城中心站は名前の通り運城に3つあるバスターミナルで中心となるバスターミナルだ。
省内外へのバスや近郊へのバスが発着している。ただし、内部のカオス度が少々高めだ
太平興国寺塔
13:00頃、12路のバスに乗車する。運賃は1元、魏豹城の前を通り過ぎて、13:40頃、安邑鎮で下車する。バスを下車する前から仏塔が見えていたので予定変更で仏塔目指して歩く。13:50頃、太平興国寺塔に到着する。
太平興国寺塔は唐の貞観年間(627-640)に建立された仏塔で明の嘉靖34年(1555)と万暦年間の地震により塔が裂けた状態になった。訪問時は修復工事が行われており一般公開はまだまだ先のようだ。
魏豹城
14:30頃、安邑の南にある魏豹城へ行ってみる。魏豹城は楚漢戦争の遺跡になり間接的に項羽と劉邦の舞台になる。この魏豹城での主役は西魏王の魏豹と漢の大将軍である韓信だ。韓信に魏豹城は攻め落とされている。
現在は植物園と山西水利職業技術学院があり、まずは植物園の警備のおっちゃんに聞いてみるが魏豹を知らず会話が成立せず。隣の学校の警備のおっちゃんに聞いたら魏豹城を知っており、既に無くなっているとの事。ただし、石碑が残っているとか残っていないとか・・・。この石碑の話ははっきりしなかった。でも、魏豹城はここであっているということであった。
禹都停車場
魏豹城の西側に近郊へのバスが発着している禹都停車場がありバス情報を確認する。ここは夏県へのバスが出ている。司馬光墓へ行く場合は夏県へのバスに乗車だ。14:40頃、8路のバスに乗車する。運賃は1元。15:00頃、ユースホステルへ戻る。15:30頃、遅めの昼食に韮菜鶏蛋蓋飯(8元/約160円)を食べる。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 13.9元 | |
バス | 5元 | 路線バス |
合計 | 18.9元 |
うちの母さんは山西水利職業技術学院の教師です。気まぐれ検索してみたらこのブログが発見しました。生まれ育った町をこういう風に記録されたのは不思議です。
日本に帰国しました。ネットの速度の速さにびっくり。まあ中国政府が意図的に止めているサイトはすぐにわかりますね。
日本はネットの速度速いですよね。
中国は国内は速いが海外は激遅なので明らかに嫌がらせですよね。
やはり、関羽が劉備と出逢う前、塩の密売人だったという”三国志”の雑記は、本当だったのかな?
ここの塩を売ってたのでしょうね。
何らかの関わりがあっても不思議はないですね。