陝西省旅行記2014秋4 漢中三国志遺跡

三国志聖地の勉県へ

西安から三国志遺跡の勉県へ

06:00頃、起床して出発の準備をする。同じドミトリーの中国人はまだ夢の中だ。廊下から英語が聞こえてくる。どうやら、欧米人の姉ちゃんたちも出発の準備をしているようで、朝の列車かバスで移動なのだろう。

準備を整えていると、同じドミトリー中国人が起きた。どうやら起こしてしまったようだ。と思ったらトイレへ行った。小便で目が覚めただけのようだが、Tシャツとパンツだけでトイレへ行くのはよくないだろ!

廊下は欧米人の姉ちゃんたちが出発の準備でいるんだぞ!Tシャツと赤ブリーフの野郎がうろついてたら、どう考えても変態だろ!朝から勘弁してくれよ。孔子や孟子たちが築いた伝統と格式ある中国が崩れていく・・・。

07:00頃、ユースホステルをチェックアウトして南門のバス停から46路のバスで西安の南バスターミナルの城南客運站へ向かう。今日は西安から漢中の勉県へバスで移動する。勉県は諸葛孔明や馬超の墓などの三国志遺跡が多数ある三国志ファンにとっては重要な場所だ。

07:40頃、南バスターミナルの城南客運站に到着する。まずは服務台へ行き、先日、自動券売機で購入した勉県行きの切符のお釣り0.5元が払ってもらえるか聞いてみたら、ちゃんとお釣り払い戻してくれた。

まあ当然だな!この服務台で釣り銭を受け取るという面倒な手続きの原因は、城南客運站の自動券売機は1元未満の釣り銭に対応しておらず、西安→勉県の運賃が109.5元なのだが、自動券売機では110元で購入となっている。

しかし、バスの切符の画像を見れば分かるのだが明細は票价108元、站务费1.5元となっているが、合計110元となっている。0.5元の差額が発生しており、自動券売機には「0.5元(5角)の釣り銭必要な人は服務台へ」と案内があるのだ。

釣り銭を受け取ったので待合室でバスを待つが、思ったより早く着いたので、まだ08:00発の勉県行きのバスが待機している。これなら09:10発でなく08:00発の勉県行きのバスでもよかったかな?

勉県のホテル

09:00頃、改札が始まり、09:10にバスが発車する。漢中の勉県まで約4時間半、315kmの道のりだ。バスはおそらく今までで一番豪華なバスでトイレ付きだ。

バスは高速道路を漢中へ向けて爆走し、10:00頃、秦嶺山脈の山岳区間へ入ってく。11:05頃、寧陝服務区でトイレ休憩となる。11:15頃、バスが出発して再び秦嶺山脈を爆走していく。13:50頃、バスターミナルの勉県汽車站に到着する。

いつもなら宿探しが始まるのだが、今回はeLongでホテルを予約してある。勉県には2007年に訪れたことがあるが外国人お断りの宿が多かったので、外国人でも大丈夫そうな所を初めから抑えておけば追い出されることもないと思い予約したのだ。

通りの和平中路を西へ歩き、勉県人民政府を通り過ぎて、14:00頃、予約していた聚仙楼大酒店に到着する。

部屋は1泊98元の1人部屋で4泊する。料金表には1人部屋は200元と表示されていたので、飛び込みだと足元を見られるようだ。

肝心の部屋だが設備が結構古い。テレビがブラウン管テレビだし、壁紙剥がれてるよ。招待所と比べれば悪くはないが、ホテルとしてはダメだな。

まあ、寝るのには問題ないし、外国人OKなので追い出される心配はないので、存分に三国志遺跡をめぐることが出来る。でも、1泊98元は高いよ!

勉県武侯祠

14:45頃、和平中路から3路のバスに乗車する。運賃は2元だ。15:00頃、武侯祠で下車する。武侯祠は諸葛亮を祀っているのだが、勉県武侯祠は中国で最も古い武侯祠だ。

観光開発されて駐車場や賓館があり、2007年に訪れた時とは大きく変わっていた。入場料も値上げされ足元を見られて60元になっている。

平日でも観光客が多くうるさく雰囲気台無しだが、団体客のいない所へ行けば静かな空間が広がっている。

「泣いて馬謖を斬る」など壁画とかもあったりして孔明ファンには嬉しい。

大殿には孔明の像がある。16:00頃、武侯祠を出て徒歩で馬超墓へ向かう。武侯祠から馬超墓までは遊歩道が整備されており観光整備が進んでいる。

馬超墓

16:10頃、馬超墓に到着する。

馬超墓は綺麗に整備されており、2007年に訪れた時は野ざらしの墓碑と塚だけだったのが、墓碑はガラスで保護されたり、立派な塚に変わっていたりと随分と馬超の待遇も改善されたものだ。

ちなみに馬超墓は入場料20元みたいなのだが、武侯祠から遊歩道を通って行ったら裏口から無料で見られた。

恐らく国道側の正面から入ると入場料を取られるのだろう。武侯祠から来る客は殆どいないから裏口には門番はいないのか?

漢征西将軍馬公超墓の墓碑

馬超墓と国道を挟んで対面にあるのが漢征西将軍馬公超墓の墓碑だ。馬超墓があるのに対面になぜかあるもう一つの馬超墓の墓碑だ。

この墓碑は清の乾隆年間に建立されたもので、2007年当時はゴミ捨て場になっていたが、今回訪れたら碑亭が作られて整備されていた。

漢丞相諸葛武侯墓

馬超墓から東へ100mほどの所にあるのが漢丞相諸葛武侯墓の墓碑だ。馬超墓の近くになぜかある武侯墓だ。武侯墓といっても墓碑がひとつあるだけなのだが、一体なぜ武侯墓があるのかは不明だ。
墓碑もかなり風化しているので建立された年代は不明だ。墓碑は野ざらしで荒れ放題で、馬超墓のような碑亭もなく待遇は劣悪だ。

GPSデータ

あくまで参考データです。
グーグルマップとGPS座標にズレが生じます。
実際に使用してデータが違っていたとか、公安に捕まった等の苦情は受け付けませんのであしからず!

西安湘子門国際青年旅舍
N 34°15’15.58″
E108°56’23.79″
城南客運站
N 34°11’13.91″
E108°55’59.28″
勉県汽車站
N 33°09’20.38″
E106°40’29.37″
聚仙楼大酒店
N 33°09’19.22″
E106°39’56.00″
勉県武侯祠
N 33°09’09.73″
E106°37’51.03″
馬超墓
N 33°09’20.02″
E106°38’09.08″
漢征西将軍馬公超墓
N 33°09’13.45″
E106°38’11.49″
漢丞相諸葛武侯墓
N 33°09’14.67″
E106°38’18.30″
本日の出費
項目 金額 備考
食費 17.2元
宿泊費 392元 1泊98元×4
バス 5元 路線バス
武侯祠 60元
合計 474.2元

三国広場の諸葛亮像

08:15頃、和平中路の東にある三国広場を訪れる。三国広場には諸葛亮像があるが、広場ではおばちゃんたちの集団が太極拳やダンスをしている。他には特にない。

それよりも、5路バスが武侯墓行きから定軍山東門行きになっていた。元々は5路が武侯墓行きだったのだが、武侯墓へは2路のバスで行けるようになっていた。

勉県の路線バスは1路、2路、3路、5路、6路、8路が運行されており、運行本数は3路が一番多く、次に1路、2路となるが、5路、6路、8路は運行本数が少ないので要注意だ。

馬超像と古陽平関

08:35頃、3路のバスに乗車して終点の水磨湾へ向かう。運賃は2元だ。水磨湾は古陽平関がある場所だ。

09:00頃、水磨湾に到着、目の前に馬超像がある。馬超像はとても格好良いのだが周りに電線があって撮影には向かない。せっかくの馬超像が・・・。

すぐそばの廃止されたガソリンスタンドの脇から吊り橋を渡るが、手入れされていないようで板が腐っている。吊り橋を渡ると古陽平関に到着だ。

古陽平関は前漢の蕭何が築いた蜀と漢の境界にある軍事上の要所だ。

馬超が諸葛亮の命を受けて陽平関の守備についているのだが、現在は復元された陽平関が三国志の舞台であったことを物語っている。陽平関の目の前は畑と農村があるだけの田舎だが、すぐ近くに国道が通っているので車のクラクションがうるさい。

国道はもちろん四川省へ続いており、成都までつながっている。勉県の観光案内図によると古陽平関の奥の山の上に張魯城遺址があるのだが正確な場所や距離が不明なので今回は探索はやめておく。

漢諸葛武侯読書台

09:40頃、古陽平関から漢諸葛武侯読書台へ向かう。吊り橋を渡り国道へ戻るが吊り橋に「危橋禁止通行」の表示があった。吊り橋から100mほど勉県側に戻ると古陽平関への案内標識があった。現在は吊り橋ではなく、こちらから古陽平関へ行かないといけないようだ。

国道を300mほど戻ると北側の丘に漢諸葛武侯読書台が見えてきた。といっても、ほとんど木に隠れているので初めて訪れる場合は見つけにくいだろう。

09:50頃、漢諸葛武侯読書台に到着する。石碑が2つあるが1つは勉県人民政府が建立したもので新しくそれほど価値があるとは思えない。価値がありそうなのは中華民国の頃に建立された石碑の方だろう。

諸葛孔明の墓・武侯墓

10:15頃、水磨湾から3路のバスで勉県へ戻る。運賃は2元だ。10:30頃、勉県の県城に到着し、和平中路にあるバス停から2路のバスを待つが来る気配がない。

11:15頃、徒歩で武侯墓へ向かい橋を渡り漢江を渡るが橋は車が通れないようになっている。そして、橋を渡りきると目の前の十字路を2路のバスが横切った。なぜ2路のバスが来ないか分かった。

橋が老朽化して車が通れなくなり、下流の新しい定軍大橋を通っていたのだ。これではいくら待っても2路のバスが来るわけがない。というか、バス停の表示を直せよ!チャイナクオリティに騙された。2路のバスは三国広場のある和平中路の東側で待たなければいけない。

昼も近くなってきたのでイスラム食堂で蛋炒飯を食べて、2路のバスに乗車する。終点の武侯墓に、12:30頃、到着する。武侯墓は諸葛亮の墓で三国志聖地だが、入場料が70元で完全に足元を見られた料金設定になっている。武侯祠と比べると観光客は少なく比較的静かだ。

これは山門。

三顧の礼とかの壁画。

ここは本殿にあたる大殿。

これが武侯墓の墓碑で明の万暦年間と清の雍正年間の2つの墓碑がある。

武侯墓の墓塚。

定軍山

14:20頃、定軍山の西の入口に到着する。観光開発はされているが、まだ入場料無料だ。長いこと放置されているような気配があり開発が止まっているようだ。開発業者の資金切れか?

定軍山を登っていくと廃墟と化した陣営があったりと荒れているが、定軍山の中心にやってくると農家楽とかがあり道路も通っており観光客がそこそこいる。2007年に定軍山を登ったときは道路は途中までしかなかったような・・・。

漢諸葛武侯井と督軍台

15:00頃、定軍山の石碑が見えてきた。ロンリー・プラネット陝西によれば山の上に新たな石碑が建立されているとあったので、ここのようだ。

そして、漢諸葛武侯井に到着する。なんと定軍山の石碑ではなく、全く知らない三国志遺跡に到着する。でも、綺麗に整備された井戸はあるけど、石碑の状態を見ると新しい感じがする。建立された年月もないし、由来の説明も何もないので、どうも、町おこしで勝手に遺跡を作ったような感じがする。

他にも督軍台とかいうのまであるが、古定軍山の石碑は見つからなかった。

黄忠刀劈夏侯淵

定軍山を降り始めると、黄忠が夏侯淵を斬る場面の像を見つける。

しかし、三国志テーマパークを途中まで開発したけど放置され荒れてしまうのは勿体無い。まあ、放置されたおかげで無料のままで見物ができるから別にいいかな?

15:30頃、定軍山を降りて、16:15頃、武侯墓まで戻り2路のバスに乗車する。
運賃は2元だ。

GPSデータ

あくまで参考データです。
グーグルマップとGPS座標にズレが生じます。
実際に使用してデータが違っていたとか、公安に捕まった等の苦情は受け付けませんのであしからず!

古陽平関
N 33°08’51.41″
E106°36’35.00″
漢諸葛武侯読書台
N 33°09’01.35″
E106°36’45.72″
武侯墓
N 33°07’34.33″
E106°38’59.32″
定軍山西入口
N 33°06’52.42″
E106°39’08.57″
漢諸葛武侯井
N 33°06’46.94″
E106°39’44.34″
定軍山北入口
N 33°07’21.06″
E106°39’52.84″
本日の出費
項目 金額 備考
食費 23.2元
バス 8元 路線バス
武侯墓 70元
合計 101.2元

張魯娘墓

07:00頃、起床してトイレでウンコしたら詰まりやがった。今までトイレが詰まるトラブルに遭遇した事がなかったのに詰まるとは・・・。初日からトイレの流れが悪いなとは思っていたのだが、とうとう詰まった。仕方ないので服務員のおばちゃんに助けを求める。

服務員のおばちゃんが吸盤の奴を持ってきて流れるようにしてくれる。助かった!
ありがとう!服務員のおばちゃん!

08:50頃、和平中路の西にある1路のバスの出発地点である勉県医院のロータリーの南で温泉行きの6路のバスに乗車する。運賃は2元だ。ここは6路と8路のバスの出発地点になっている。6路は張魯娘墓のある光明村、8路は諸葛亮制木牛流馬処の黄沙鎮に行く。

09:00頃、6路のバスが発車するが、県城の中心部を東西に横切る和平中路を通らず国道を通っていく。通りで和平中路のバス停に6路の案内が出ていても6路のバスが通らないわけだ。勉県のバス案内は要注意だ。

国道を通り県城の東で和平中路に入り、三国広場の前を通過していく。09:45頃、終点の光明村に到着する。7年ぶりに訪れたので道に少し迷ったが道を思い出し左へカーブしていく舗装された道路から前方の未舗装の道を進み集落脇を通り山の上に登っていく。

荒れた道教寺院があり奥へ進み、09:55頃、張魯女墓に到着する。張魯女墓は張魯の娘である琪瑛の墓だが文物保護単位の石碑にある説明には墓は西晋に建てられたとある。張魯女墓は手入れされておらず荒れ放題だ。

10:15頃、張魯女墓からバスの発着地点に戻る。10:30頃、6路のバスに乗車し勉県の県城を目指す。6路のバスは約30分間隔で運行されているようだ。

諸葛亮制木牛流馬処

11:15頃、勉県の県城に戻り、8路のバスに乗り換える。黄沙鎮までは3.5元だ。11:20頃、バスが出発し国道で道路工事の渋滞にはまる。12:20頃、黄沙鎮で下車し、バス停から50mほど歩いて右側に見えてきたのが諸葛亮制木牛流馬処だ。

道路沿いに面しているので8路のバスが目の前を通り過ぎていく。ここが諸葛亮が木牛流馬を作らせた場所とされており、清の同治年間建立の石碑が残されている。

碑亭の天井の梁には屯田兵や木牛流馬の絵が描かれており雰囲気を盛り上げてくれる。

劉備称漢中王設壇処

13:00頃、諸葛亮制木牛流馬処から楊修墓のある柳営村へ徒歩で向かうが、正確な場所が分からないので、とりえず道沿いにある墓を確認しながら向かう。楊修墓はレンガ工場に土の採取で消滅の危機にあったようなのだが、詳細な位置情報がなかったので断念して旧州村へ向かう。

橋近くのガソリンスタンドから南へ向かい突き当たりを右(西)へ向かうと劉備称漢中王設壇処があるのだが、自分は間違えて左(東)向かい30分くらい時間を無駄にする。

15:10頃、旧州村の劉備称漢中王設壇処に到着するが門が閉まっている。管理人が近くに住んでいるらしいのだが見つからず外から見物するだけにする。外から覗いた限りだと内部は清の光緒年間に建立された石碑はあるが荒れ放題で廃墟状態だ。

で、撮影していると村人の視線が痛い。恐らく「あ~、また三国志オタクが来てるよ!」とか思っているのだろう。15:50頃、劉備称漢中王設壇処を離れ国道へ出て1路のバスに乗車して勉県の県城へ戻る。運賃は2元だ。

GPSデータ

あくまで参考データです。
グーグルマップとGPS座標にズレが生じます。
実際に使用してデータが違っていたとか、公安に捕まった等の苦情は受け付けませんのであしからず!

6路、8路のバス発着点
N 33°09’14.36″
E106°39’47.63″
張魯女墓
N 33°07’21.70″
E106°46’25.22″
諸葛亮制木牛流馬処
N 33°08’16.45″
E106°47’45.96″
劉備称漢中王設壇処
N 33°09’03.14″
E106°42’19.04″
本日の出費
項目 金額 備考
食費 19.9元
バス 9.5元 路線バス
合計 29.4元

三国志遺跡 天蕩山

08:00頃、勉県の県城から解放路をひたすら北へ向かう。今日は曹操軍の陣営があった天蕩山を目指す。勉県の県城から見える塔のある山が天蕩山で、勉県の県城から4-5kmほどの距離がある。

大きな目印があるので塔を目指して歩いていけばよい。解放路を北に歩いて行き踏切を渡る。踏切周辺は畑があり開けているので撮り鉄にいいかもしれない。集落を通り過ぎて左(西)へ進むと広い道に行き着き天蕩山の牌坊が見えた。

天灯禅寺

天蕩山の牌坊を通り山を登っていき、09:00頃、天蕩山の中腹にある天灯禅寺に到着する。天灯禅寺は工事中の場所が多く、どうやら観光開発中のようだ。

でも、三国志に関連したものは一切ない。10:00頃、天蕩山の塔までやってきたが工事中で塔には登れず天蕩山を降ることになる。

中国は鉄道事故現場の写真で安全啓発

天蕩山を降りて勉県の県城へ戻る途中の踏切で撮り鉄をする。踏切には安全啓発のために事故写真を載せた看板があるが、事故現場の写真がそのまま載せてある。

これは文章で説明するよりも死体が転がっている写真とかを載せないと理解できずに平気で線路上を歩くということか?日本で同じ内容の看板立てたら抗議殺到の内容だ。


貨物列車を1編成撮影しておくが、長時間踏切に居座っていると踏切を警備しているおっちゃんに文句言われそうなので退散する。
11:30頃、勉県の県城に到着する。

GPSデータ

あくまで参考データです。
グーグルマップとGPS座標にズレが生じます。
実際に使用してデータが違っていたとか、公安に捕まった等の苦情は受け付けませんのであしからず!

天灯禅寺
N 33°11’15.40″
E106°39’59.12″
本日の出費
項目 金額 備考
食費 24.4元
合計 24.4元