K382次、硬座で漢口→南京
1700過ぎにユースホステルを出てバスで漢口駅へ向かう。今回は2008発のK382次に乗車するのだが夜に列車に乗車するのは天津北駅で大同行きの2062次に乗って以来だと思う。夜発の列車は出来れば避けたかったが南京行きの列車がこれしかないのでどうしようもない。
584路と603路を乗り継いで1830頃、漢口駅に到着する。
漢口駅は子供のスリたちがいるので用心して歩くが見当たらない。夜だから帰ってしまったのだろうか?
1935頃に改札が始まるが先頭にいたので余裕で4番ホームへ向かう。
今回は硬座なので車両はYZ25Gだ。もちろん空調付きだ!自分にはかなり豪華な車両であり乗り心地もそこそこ良い。列車は定刻どおり2008に発車するが外は真っ暗で起きていても意味が無いので寝ることにするがここで思わぬ落とし穴が・・・。乗り心地がそこそこ良いYZ25Gだったが寝ようとすると尻が痛くなって眠れない。中国の車両は新しくても眠れるほど乗り心地は良くないようだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 12.5元 | |
バス | 2.7元 | 路線バス |
合計 | 15.5元 |
南京到着
尻が痛くても少しだが眠れたが0530頃に目が覚めた。外はまだ真っ暗だ。0600過ぎにようやく夜が明けてきたが車内放送が始まり列車が遅れていることを知らされる。寝ている間に列車が遅れていたようだ。
久しぶりの南京駅だが駅舎が新しくなっておりホームも近代的で凄い。以前は工事の真っ最中だったが今は南京の玄関口としての立派な駅になっている。しかし、ここで驚いている場合ではなかった。出口を出ると地下鉄があり、路線バスターミナルも新しくなっており以前の南京とは全く違っていた。変わってないのは1元の路線バスが相変わらずのオンボロバスだったぐ らいだ。
南京国際青年旅舎、南京大学
南京での拠点は南京国際青年旅舎と決めているので13路のバスで五台山北站へ向かう。南京大学の近くなのでおおよその場所の見当は付いている。
0840頃、五台山北站で下車すると目の前に看板が出ていたので地図を確認することも無く南京国際青年旅舎に到着する。とりあえず、3泊することにするが、更に10泊することはほぼ確定している。
南京は物価が高い
昼頃、近くの餐厅で昼食を食べるが物価が高いように感じる。確かに内陸部と比べれば高いのだが留学していた時はもっと安かったような気がする。でも、当時は毎日果汁100%のジュースを飲んでいたりと今では考えられない贅沢をしていたから基準が今と比べるとかなり曖昧だな。
昼食を食べた後は13路のバスで莫愁湖公園へ向かうのだが以前南京を訪れた際に購入した公交IC卡を試しに使ってみたら普通に使えた。確か当時は最後の補充日から2年が利用期限だった筈だが問題なかった。唯一違っていたのは割引率が4割から2割になっていたことだ。これは調べてみると原油価格高騰が原因らしい。それと、自分が持っている 公交IC卡は旧式で今月中に現在流通しているのに交換しないといけないようだ。旧式は地下鉄で使えないとか・・・。
1250頃、13路のバスで莫愁湖公園に到着する。莫愁湖公園は南京でも有名な公園なのだが入場料が15元もするので当然ながら入口を見るだけにする。
南京大虐殺紀念館
莫愁湖公園まで来たのだからついでに南京大虐殺紀念館も見ていくことにするが当然まだ工事中だ。
12/13新装オープンなのだがどうなっているかだけ確認しに行くが道路工事の真っ最中だった。
敷地内もまだ工事中で期限までに間に合うのかと思ってしまうが、いざとなったら徹夜で仕上げるのだろう。
石頭城、駐馬坡
1415頃、石頭城に到着する。石頭城は孫権が建業に築いた城壁の址であり現在は公園となっている。以前は城壁の内側は有料の公園である国防園だったが今 回訪れてみたら無料になっていた。この後訪れた清涼山公園、烏龍潭公園も無料化されていた。
1440頃、石頭城に程近い清涼山公園を訪れる。ここには諸葛 孔明が呉を訪れた際に馬を停めて「帝王の地・・・」だとか言った場所だ。駐馬坡を訪れる前に用足しにトイレに行ったのだがここで予想外の光景を目撃することになる。公園のトイレと言っても無料で扉付き、水もちゃんと流れるのだがおっさんが扉を閉めずに脱糞中だった。どうして、扉があるのに開けたままで糞を しているんだ?まさか、中国には脱糞中の姿を人に見てもらいたい変態がいるのか?
このおっさんは南京人だろうか?いや絶対違う!きっと農村から来た農民工だろう。おぞましい光景を目撃しながらも用足しを済ませ駐馬坡を見物する。
烏龍潭公園の諸葛飲馬處が撤去されていた
1500頃、烏龍潭公園に到着する。以前は有料なのに人気の無い汚い公園だったが訪れてみたら綺麗に整備され散歩する人民がいるではないか!無料になってこんなに綺麗になっているとは凄い。
しかし、諸葛飲馬處の石碑が見当たらない。公園が綺麗に整備された際に石碑が撤去されてしまったようだ。三国志遺跡がひとつ消滅してしまった。公園はまだ整備中なので復活してくれれば良いのだが・・・。
ゴミ箱にあった広告
南京のゴミ箱にはこんな広告があった。中絶の広告のようだで「3分钟无痛终止(3分で痛み無し)」とあり料金は450元だ。中国には中絶や性病の広告がや たらと多い。それだけ後先考えない輩が多いのだろう。
そして、この広告には処女膜修復が400元というのまである。う~ん、処女膜修復しないと都合の悪い人たちがたくさんいるという事なのだろうか?それにしてもこういった広告が学校や幼稚園の傍とか所構わずそこらじゅうにある中国は色々な意味で凄い。日本だと場所を限定して包茎手術の広告で精一杯だろうか?
同じドミの大学生は・・・
宿に戻りHP作成中に同じドミの大学生2人が戻ってきた。この2人はこちらが日本人だということを知っていたのだがA女史は日本語を勉強しているようで日本語が少し話せる。もうB女史は英語が専攻なのだがこちらは英語が全く分からない。2人は大学は別々で就職活動か旅行で南京に来ていた。
B女史は西安の大学生でA女史は聞いて無いので分からない。どうやら2人は南京に1人で旅行に来ている日本人が珍しいようで「今までどこを見てきたの?」とか色々聞いてくる。A女史には日本語のちょうど良い練習相手のようだ。西安に行ったことを言うと西安の大学生であるB女史が話に喰らい付いてきた。
B女史が「兵馬俑は行ったでしょ?他にどこ見てきた?」というので、「張学良公館、楊虎城紀念館とか」というと「大学に日本人の友人がたくさんいるけど、張学良や楊虎城を知っている日本人に会うのは初めてです」と驚いた様子で話してきた。確かに張学良や楊虎城を知っている日本人は多いとはいえないだろう。
そして、中国の話題から日本の話題へと移るとB女史が「うちの先生が日本に行った事があって日本の新幹線は高いって言ってたけどどうなの?」とか、A女史が「渋谷は若者の 街なんでしょ」とか聞いてくる。2人とも日本には興味があるようだ。今回宿泊のドミトリーは6人部屋だが外国人は自分一人で、残りは大学生5人だった。
そして、部屋にはエアコンが付いているのだが温度が30度に設定されていた。温度高すぎだろっ!それに自分にとってはエアコンは必要ないので停めておいても、いつの間にか稼動している。中国の大学生はお坊ちゃんやお嬢様ばかりで暑さや寒さを気合で乗り切るということは出来ないようだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 17.7元 | |
宿泊費 | 90元 | 1泊30元×3 |
バス | 2.6元 | 路線バス |
合計 | 110.3元 |
阮籍墓
0930頃、宿を出てまずは阮籍墓へ向かう。バスで集重門近くまで行き1000頃、南京市第四十三中学に到着する。中学校の敷地内に阮籍墓はあるので、門番のおっちゃんに阮籍墓の見学許可を貰い敷地内へ入る。
以前来た時は荒れ放題だったのが綺麗に整備されているではないか!南京で数少ない三国志遺跡でしっかりと保存されている。因みに阮籍は竹林の七賢のひとりで白眼、青眼の語源になった人物だ。阮籍墓を見物後は近くで遅めの朝食に3元で炒飯を食べる。この周辺は古い建物が多く安食堂が残っており物価が安かった。
公交IC卡を交換、地下鉄に乗車
地下鉄の乗車するのと公交IC卡を交換する為に来たのだが、試しに持っていた旧式の公交IC卡を改札機に当てても何の反応も無かった。確かに旧式は使えなかった。そのまま窓口で交換の手続きをして地下鉄に乗車するが安徳門だと地上を走っている。
列車に乗車し発車するとVVVF音が聞こえてくる。車両はALSTOMの車両を元に南京で生産されています。
車内は清潔で液晶テレビもある。路線バスのようにゴミは散らかっていない。利用客は都市部の人ばかりで農民工は1人だけいた。尿素と書かれた袋を抱えていたので遠くからでもすぐに分かった。地下鉄は運賃が高いのでほとんどの農民工は路線バスを利用するのだが・・・。自分も特に理由が無ければ地下鉄でなく運賃の安い路線バスを利用する。
南京駅は最先端の駅
昼頃、南京駅に来てみたが雨が降っている。これでは外から撮影できないし午後はどこへも行けない。今日は售票厅だけ見て帰ることにする。
南京駅の售票厅は 一言で言って凄い。窓口はたくさんあり電光掲示板に表示される切符の状況も見やすい。今まで利用してきた駅の中で最も利用しやすくなっている。中国で最先端の駅と言ってもよいだろう。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 12元 | |
地下鉄 | 2.85元 | |
バス | 3.2元 | 路線バス |
合計 | 18.05元 |
中山陵園風景区年票を購入
0900頃、20路のバスで明孝陵へ向かう。今日は孫権墓を見るのと世界文化遺産の明孝陵を見るのが目的だ。0930頃、明孝陵に到着するが以前訪れた時と大きく変わっていた。以前は神道の一部が無料で見られたのだが完全に整備され入口まで変更されており入場しないと見られないようになっている。道路も変わりバスの経路も変わっていた。
明孝陵の入場料は70元で、明孝陵、中山陵のセット券(套票)は130元なのだが、一般の観光客は2つのどちらかを購入するのだろうが、自分は南京へ来た当日に道端の掲示板に張られていた南京日報の記事やインターネットで2008年版の年票が発売されていることを知っている。(元ネタ)
2008 年版の年票は明孝陵(70元)、中山陵(80元)、美麗宮(15元)、白馬公園(10元)、中山植物園(50元)、紫金山天文台(15元)、山頂公園(4 元)が2008年末まで何度でも利用できるという、まあ簡単に言えば年間パスポートだ。年票は毎年発売されており今年は150元での販売になっている。1年間利用し放題だが各景区に1回行けば元が取れるのでかなりお得だ。
年票の存在を知ってしまうと1回しか使えない套票なんて馬鹿らしくて買おうとは思わな いだろう。入場券売場には年票についてのお知らせは一切無い。一般の観光客が年票の存在を知ってしまったら通常の入場券や套票が売れなくなってしまうからだろう。
で、早速入場券売場で年票を購入するのだが窓口のおばちゃんにちょっと待つように言われる。どうやら端末の設定中らしい。ベンチに座って待っていると関係者が5人ほど集まって設定している。おばちゃんに呼ばれて、ようやく手続き開始だ。まずは年票に貼る写真を渡して、偽造防止の為に指紋登録をする。最後にラミネート加工して年票の完成だ。
入口には年票専用のゲートがあり、ここを通るのだが端末の設定をしていた技術者が周辺の係員を呼んで年票の取り扱いの説明を始める。説明が終わり年票のバーコードをゲートに読ませて指紋確認をするとゲートが開いた。無事に入場をするのだが、考えてみると12/1から2008年版の年票が利用開始になったとはいえ本来は事前に係員に年票の取り扱い方法を説明していなければならないのに何故自分が説明の為の実験台に なっているんだ?
世界文化遺産 明孝陵、孫権墓
ここは下馬坊遺址公園。ここで文武百官は下馬して徒歩で明孝陵へ向かいました。
1000頃、明孝陵景区に入ったが最初に神道の入口を目指すとどうやら文武百官が下馬していた明孝陵の当時の正式な入口があった下馬坊遺址公園まで遊歩道が整備されているようだ。一旦出入口を出てしまうが年票なので気にすることは無い。
徒歩で下馬坊遺址公園まで行くと下馬坊遺址公園も大きく変わっていた。新たに出土した石碑などが展示され、当時の軍営まで再現されているでは無いか!3年 ほどでこれほど整備されるとは・・・。下馬坊遺址公園から再び神道を通り途中の梅花山にある孫権墓を訪れる。
孫権墓と言っても正確な場所は分かっていないようで現在は孫権像が建てられている。
昼頃になってようやく金水橋までやって来た。以前はここに入場券売場があり道路はバスが行き交っていたが今は遊歩道になり売店があるだけだった。
明楼の裏の山が宝頂で朱元璋と馬皇后が眠る地下宮殿がある。ちゃんと明太祖之墓とあり朱元璋の墓というのが分かります。
明楼に登ると落書きが酷い。よく見るとハングルの落書きまで ある。これは韓国人が書いたのだろうか?それとも韓国語を勉強している中国人か?もっと想像力を働かせると北の将軍様の秘密指令で中韓関係悪化を狙って韓国人旅行客の仕業に見せかけて世界文化遺産に北の工作員が落書きをしたのかも知れない。
美齢宮
1515頃、美齢宮に到着する。美齢宮は元の名称を国民政府主席官邸と呼び、蒋介石と宋美齢が過ごしていた場所だ。特に宋美齢がこの場所を気に入っていたので美齢宮と呼ばれるようになった。
美齢宮を訪れてみたが運悪く団体客が訪れていたのと時間が遅かったので後日改めて見学することにする。年票を持っていてよかった。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 12.5元 | |
バス | 1.6元 | 路線バス |
中山陵園風景区年票 | 150元 | |
合計 | 164.1元 |