監利→石首
07:20頃、宿を出て監利汽車客運站で石首行きのバスに乗車する。
石首には劉備と孫権の妹、孫尚香が結婚した場所である繍林山がある。三国志演義では甘露寺で挙式を行ったことになっているが実際は繍林山らしい。07:40になり監利汽車客運站を出発する。今回は珍しくバスが清潔で快適だ。しかも、いつもなら時間になってもある程度客が集まらないと出発しないのだが客が自分を含めて数人なのに出発した。
途中で客を拾いながら走り客が徐々に増えてくる。09:30頃、石首の三義寺汽車渡口に到着する。ここからカーフェリーで長江を渡るのだが30分ほど待つことになる。ちょうどフェリーが出た後でした。
長江を渡り石首の城区へ入りすぐに石首汽車客運站に到着する。石首では繍林山だけしか見ないし、まだ時間も早いので荷物をどこかに預けていく ことにする。バスターミナル内に「寄存包」の看板を見つけバックパックを預ける。料金は3元だ。
繍林山
10:30過ぎ、石首汽車客運站から繍林山へ向かうが事前調査で分かっているのは石首市第一中学の裏山という事だけだ。とりあえず、バスターミナル前の建設路を西へ歩いてみるが途中で道が細くなり南へ向かっている。
繍林山は長江沿いにあるから北へ行かないと駄目な気がするので別の道を探す。中山路へ出て北 へ向かうと建設路に戻ってきた。周辺を歩いてみると石首汽車客運站の西にあるロータリーから皇叔街が北へ伸びているのを発見する。皇叔街とは、如何にもという通りの名前だ。近くには三義街もあるし怪しい。
皇叔街を北へ進みT字路を左(西)へ進むと学校が見えてきた。石首市第一中学に到着だ。裏山が繍林山なので石首市第一中学の脇の道を北へ進むと繍林山の麓に辿り着き山を登る階段があったので登ると繍林山公園の入口に到着する。
入口は閉まっていたが管理人がいたので入場料1元を支払い中へ入る。11:30頃、山頂に到着し孫尚香像を発見!石首での目的は達成した。
石首→荊州
荊州行きのバスは40分間隔で出ているようだ。因みに荊州は沙市とも呼ばれており沙市は荊州の新市街を指しているようだ。これなら今日中にこのまま荊州へ行けるので切符を購入しようとするが窓口ですぐに出発するから乗ってから切符を買うように言われる。
預けておいたバックパックを回収して荊州行きのバスに乗車するが乗車時に運ちゃんに荊州まで幾らか聞くと「荊州まで20元だよ」といわれる。バスターミナルには28元と表示があったので不思議に思っていると「切符を買うと28元で乗ってからだと20元なんだよ」といわれる。なぜかバスターミナルで乗車しても先に切符を買うのと車内で支払うので運賃が違うとは・・・。このバスだけだろうか?謎だ。
12:20頃、石首汽車客運站を出発し再び三義寺汽車渡口から長江を渡るが長江を渡っている間に運ちゃんたちが弁当を食べているが食べ終わって空容器を長江へ投げ捨てた。中国では既に弁当の容器は生分解性プラスチックの為にポイ捨てしても大丈夫なようだ。さすがリニアなど最先端技術を導入している中国だ。ゴミのポイ捨てをしても自然に分解されるので問題無しのようだ。
日本も中国を見習わなければ・・・。そんなわけ無いだろっ!どうして、ゴミのポイ捨てをするんだ!弁当の容器は発砲スチロールだぞ。石油製品が生ゴミと違うのを中国人は理解しているのか?長江を渡り15:30過ぎに荊州古城内の荊一客中心車站に到着する。
江夏旅社と荊一客中心車站
まずは宿を探さなければならないのだがバスターミナル近くの江夏旅社に泊まることにする。1泊30元で珍しくトイレ付きだ。登記の際にパスポートを提示するが老板は何故か日本人と気付かず、「どこから来た?」と聞いてくるので「日本から来ました」と答えてようやく目の前に日本人がいることに気付いた。パスポートにちゃんと「日本国」と漢字で書いてあるのにどうして気付かないのだろう?
そして、今までの宿と同じように「パスポートの見方が分からない」「身分 証番号(身份证号码)はあるの?」とか聞いてくるのビザの欄を見せて「ビザの番号(签证号码)があります」と言って問題は解決する。登記の際に老板は签证 号码だけ控えていた。日本のパスポート番号を控えるより签证号码の方が信用力があるようだ。
荷物を置いて早速出かける。まずは荊一客中心車站でバスの運行状況を調査してみる。荊一客中心車站からは主に湖北省南部への路線が集中していた。
関帝廟
16:30頃、関帝廟に到着する。荊州古城の関帝廟は関羽の邸宅跡に建立された廟だ。明の洪武29年(1396)に建立され、1987年春に再建された。
廟内には立派な関羽像があり、さすが荊州の関帝廟と三国志ファンを喜ばせる立派さだ。そして何よりも珍しく建物が立派なのに入場無料という貴重な観光地だった。
荊州古城南門
16:40頃、関帝廟の正面にある南門を見物する。荊州古城の城壁は明・清代の物だが南門を見る限りは城壁の保存状態は良さそうだ。荊州古城の城壁は全長9.3㎞になるようなので明日以降城内を散策してみよう。
南門を見物後は昼食兼夕食を食べて散歩するが古城内は古い路地から新しいビルまであり新旧入り乱れた形になっている。
どうせなら古城内は全て明清街にして観光地化したほうがよいと思うのだが・・・。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11.5元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 20元 | 石首→荊州 |
繍林山公園 | 1元 | |
荷物預かり | 3元 | |
合計 | 65.5元 |
新東門と公安門
08:00過ぎに宿を出て荊州古城内の探検に出発する。まずは荊州古城南東にある公安門を目指す。公安門は当時の荊州城で唯一の水門であり荊州の南にある 公安県から劉備が荊州を訪れる際に、いつも船で水門を通っていたので公安門と名づけられた。公安門へ行く途中で新東門を見物する。新東門は道路を通すために作られた新しい門のようだ。
城壁沿いに南へ歩き08:30過ぎ、公安門に到着する。公安門の内側には刑務所があるので門外からの撮影だけにして退散する。
張飛一担土
張飛一担土は民間伝承で関羽と九仙女が築城競争をすることになり、関羽は城の東、九仙女は城の西 を築城する事になった。競争を知った張飛は公安から関羽の応援に土を担ぎ駆けつけたが既に関羽が競争に勝っており張飛は担いでいた土を捨てた場所が張飛一担土となった。張飛一担土に来てみたが小山というより草木が生えているだけで気付かない可能性が高い。
東門
09:30頃、東門にやって来た。この辺りは観光地化されており土産物屋もあり観光客も見られる。城壁の入場料は20元でちょっと強気の料金設定だ。東門から次は小北門へ向かうが小北門はそれほど大きくは無かった。
得勝橋と大北門
11:00頃、大北門に到着するが、まずは城外の得勝橋から見物だ。得勝橋は関羽が荊州城へ凱旋するときに通った橋だ。
北大門へ戻り見物するが城壁へ登るのは入場料10元になっているので下から見るだけにするが、ここで意外な物を発見する。
旧日本軍が「大日本バンザイ」と 城壁に刻んだ跡が残っているのだ。荊州にまで旧日本軍が来ていたとは驚きだ。説明には「大日本帝国万岁」と刻まれているとあるが見る限り「大日本バンザイ」と刻まれているだが・・・。帝国なんて文字はないぞ!説明が間違っているぞ。
三国公園、荊州博物館
北大門に続いて三国公園、関公削骨療毒地を訪れる。三国公園は有料なので入口から見える劉備、関羽、張飛の像を見るだけにして荊州博物館へ向かう。
11:30頃、荊州博物館を訪れる。入場料が30元と高いが見ていくことにする。
館内は撮影禁止なのだが展示物に前漢の銅祖とかいう秘密の宝貝が展示されていたのでこっそり撮影する。房中術の必須アイテムだったようだ。
そして、荊州博物館の目玉の前漢文帝の頃のミイラを見物する。ミイラといっても干乾びておらず新鮮な状態で展示されている。とても紀元前167年のミイラとは思えない。ちゃんと脳や内臓も摘出され一緒に展示されていた。
何も知らずに「現代人の死体」と言われれば何も疑わないだろう。それほど保存状態がよいのだ。撮影禁止で警備が厳重なので撮影できなかったのが残念だ。残念ついでにもうひと つ。外にある関羽像の青龍偃月刀が破損していた。
卸甲山
13:45頃、新南門に到着する。ここで城壁に卸甲山と書かれているのを発見する。卸甲山は関羽が甲冑を脱いだ場所らしい。
近くにある説明書きには城内に 卸甲山、松甲山、擲甲山があり荊州三山と呼ばれているらしい。卸甲山は山というよりただの城壁なのだが城楼が建設中で卸甲山を整備して観光地化する計画のようだ。
荊州は物価が安い
荊州に来てみて思ったのだが物価が安いのだ。店にもよるが炒飯が3元でも十分量がある。バナナは500gで1.5元が相場のようだ。ミカンは最安で500gが0.4元というのがあった。最近の中国は物価上昇が著しいが久しぶりに物価が安いと実感した。
謝家橋一号墓
宿に戻りテレビを見ていると荊州電視台で沙市にある謝家橋一号墓の発掘の様子を特番で生中継していた。昨日のニュースで知ったのだが謝家橋一号墓は秦漢の頃の墓のようだが、かなりの大発見らしい。遺跡には見物人が押し寄せ武警が警備するほどになっている。
特番でも武警だか軍のお偉いさんらしき人まで出ている。地元のテレビ局とはいえ遺跡の発掘を特番で生中継するのは凄い。日本では考えられない。地元の新聞も写真をカラーで紹介しているほどだ。宿の老板までこの話をしてくるし田舎とはいえ荊州は市区で100万人以上の人口を抱える都市、荊州市民は考古学に大きな関心があるようだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 9元 | |
宿泊費 | 30元 | |
荊州博物館 | 30元 | |
合計 | 69元 |
沙市駅へ行ってみるが
08:30頃、市委から18路のバスで沙市駅へ向かう。荊州にも鉄道が通っているのだが時刻表には載っていないので列車が運行されているかは分からない。そこで、現地へ行き沙市駅の現状を確認してくることにする。10:15頃、沙市駅に到着するが目に前には100万都市の荊州の鉄道駅とは思えないほどの小さな田舎の駅があった。どうやら、貨物列車しか運行していないようだ。
沙市汽車客運中心
11:00頃、沙市区の中心付近にある沙市汽車客運中心を訪れる。沙市汽車客運中心は沙市長途汽車站と並ぶ沙市区の主要バスターミナルだ。
沙市区には他にも大橋客運站などいくつかバスターミナルがあるが沙市汽車客運中心だけで十分間に合う。
沙市長途汽車站も十分使えるのだがちょっと建物が古いので新しい沙市汽車客運中心の方が便利だろう。
荊州古城内はいくつかバスターミナルがあったようだが今では荊一客中心車站しか見当たらない。
他のバスターミナルは城外へ移転させられているようで荊一客中心車站も城内に残るかは不明だ。因みに荊一客中心車站は江陵車站とも呼ばれている。
フェリー乗り場を探してみるが
夕方にフェリー乗り場を探しに長江へ行くが対岸への渡し舟は見つかったが武漢、重慶、上海へ向かう船の售票厅が見つからない。土手沿いに歩いていると售票 厅を見つけるが誰もいない。どうも、移転したみたいだ。フェリーが運行しているかの確認は結局出来なかった。
宿に戻りテレビを見るが、荊州電視台では昨日 に続き、謝家橋一号墓の特番をやっていた。新聞とかだと荊州博物館に展示されている前漢のミイラが発掘された鳳凰山168号墓よりも重要な発見になるかもしれないとか。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 7.5元 | 路線バス |
文房具 | 0.8元 | |
合計 | 49.3元 |