バスで蘇州→周荘
10:00頃、103路のバスで蘇州駅へ向かう。蘇州駅から徒歩で蘇州北汽車站へ行く。今日は上海、蘇州近辺で最も有名だと思われる水郷古鎮の周荘へ行くのだ。蘇州北汽車站には旅游集散中心があり周荘、甪直、錦渓、同里への旅游バスが運行されている。
そして、旅游集散中心だとバスの切符と各古鎮の入場券の 割引セット販売もされているが「裏口から入るから入場券いらへん」という場合はバスの切符だけ買えばよい。因みに蘇州駅の南のドブ川を渡った平四路にある 路線バスターミナルからも周荘、甪直、錦渓、同里への旅游バスが運行されている。で、もちろん自分は周荘行きのバスの切符だけ購入する。
旅游バスは 11:05発なので30分ほど時間があり待合室で待つ事になる。11:00頃、改札が始まりバスに乗車するが乗客は自分を含め8人だけで乗車率半分以下だ。途中で甪直古鎮に寄るが客は居らず、そのまま周荘へ。
運賃表と時刻表を見つけ確認すると周荘汽車站からは上海、蘇州、昆山、青浦などへバスが運行されている。
そして、周荘汽車站から周荘古鎮までは少し離れており汽車站と古鎮の間を路線バスが運行されていた。でも、自分は1元をケチって徒歩で古鎮へ向かう。ついでに周囲の状況確認もしておきたいし・・・。
周荘古鎮
12:30頃、周荘古鎮の正面入口に到着するが入口では地元のおばちゃんが見張り番として目を光らせている。入場券売場には「100元」の文字があるし・・・。入場券100元は高いな・・・。中国の最高額紙幣と同じ金額だよ。日本で言えば観光地の入場料が福沢諭吉1枚という事だよ。中国の観光地はぼったくりやん!まあ、文句を言っても意味が無いので、裏口を探す事にして歩く。
そして、水路沿いに入れそうな場所を見つけて進んで行くと別の入口に到着する。入口には明らかに見張り番だと分かる地元の姉ちゃんがいたが、試しにそのまま通ってみる事にする。
入口を通過するが姉ちゃん何も言わず無事に周荘古鎮に入ってしまった。これは見張り番の姉ちゃんがやる気無しという事か?それとも自分が観光客には見えなかったのか?まあ、とにかく周荘見物開始である。
周荘には元、明、清代に架けられた14の橋や明清古建築の宅院が100以上保存されている。
古鎮内には水路が張り巡らされており中国第一水郷とも称されている。
周荘を歩いてみるが土産物屋が多く見られしっかり観光地化されている印象を受けたが電線はすべて地中に埋められているので電柱は見当たらず景観の保護には 力を入れているようだ。あとはエアコンの室外機を何とかしないとな・・・。
観光客は多く訪れ平日でも賑わっており土産物屋は儲かっていそうな雰囲気だ。それに欧米人もそこそこ見かけた。
世界文化遺産への登録を目指しているようだが今のままだと麗江の様になりそうな・・・。
13:30頃、周荘古鎮を離れて周荘汽車站から昆山行きの路線バスで錦渓へ向かう。
錦渓古鎮
14:05頃、錦渓汽車站に到着する。錦渓汽車站の前にあるバス停からは蘇州行きのバスが出ているようだが2時間に1本なので時間が合わなければ周荘へ戻って蘇州行きのバスに乗車しないといけないようだ。でも、バス停には何時にバスが来るかが表示されていない。
錦渓→蘇州のバスは期待できないと判断していたが錦渓汽車站でバスの路線を確認しようとしたら黒板に蘇州行きのバスの時刻表が書かれていた。どうやら、次のバスは千灯を15:00に発車するようだ。そうすると、15:00までに錦渓古鎮を見物し終えれば蘇州行きのバスに乗れそうだ。
14:10頃、錦渓汽車站を離れて「錦渓」と書かれた牌坊をくぐり古鎮へと向かう。
普慶橋。清の雍正11年(1733)に架けられ乾隆年間に修復されている。
14:25頃、錦渓古鎮の入口に到着する。錦渓古鎮の入場料は50元なのだが入場券を買わずにそのまま入口へ。
入口には保安(警備員)がいたのだが地元民との世間話に忙しいようで特に何もなし。錦渓古鎮に入り見物開始!錦渓古鎮は周荘ほど知名度は無いので観光客はやや少なめだ。
錦渓は二千年以上の歴史があり、明、清代に架けられた36の石橋が保存されており古鎮内には26の石橋が保存されている。
錦渓は陳墓と呼ばれていた時期があり南宋の第二代皇帝孝宗の陳妃が隆興2年(1163)に錦渓で病死して錦渓の南にある五保湖に水葬され800年間、錦渓は陳墓と呼ばれてきた。
錦渓はそれほど観光開発が進んでいないのと水路沿いに長廊があったりするので周荘より写真撮影に向いているような気がする。
そして、錦渓を散歩していると通りに出てしまった。どうやら入口は正面の1ヶ所だけのようで裏というか脇道からは自由に出入りできるようだ。でも、「入場 券買えよ!」という看板があった。
14:45頃、錦渓古鎮から錦渓汽車站の前のバス停へ向かう。15:00までにバス停に戻り暫くすると蘇州行きのバスが 到着する。千灯からは乗客がいなかったようで自分を含め錦渓で乗車した3人だけで蘇州へ向かう。16:00頃、蘇州駅前の平四路の路線バスターミナルに到着する。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 13元 | |
バス | 2元 | 路線バス |
バス | 17元 | 蘇州→周荘 |
バス | 2.5元 | 周荘→錦渓 |
バス | 14元 | 錦渓→蘇州 |
合計 | 48.5元 |
同里古鎮
10:15頃、蘇州駅前のドブ川を越えた所にある平四路の路線バスターミナル(平四路首末站)に到着。
同里行きのバスの切符(8元)を購入して10:30頃に出発。途中で右側に宝帯橋が見えた。
帰りのバスの状況を確認すると蘇州駅へのバスは大体15分間隔で運行されているようだ。青浦、朱家角行きのバスも同じように15分間隔のようだ。
そして、同里汽車站から5路のバスで静思園にも行ける様になっている。今回は同里古鎮だけの見物で静思園には行かないのだが、ついでに静思園について説明しておこう。
静思園は江南最大の個人所有の園林として知られており、陳金根という超金持ち企業家が1993年から10年の歳月をかけて造り上げた庭園だ。今では国家AAAA級旅游景区にもなっておりかなり凄いらしい。
でも、中国で性格が屈折した自分に言わせれば「どうして、おっさんの庭を50元払って見なきゃいけないんだ?超金持ちなら無料で見せてやるくらいの度量は無いのかよ!自分の趣味で庭を造っておいて更に金儲けかよ!」である。
同里汽車站を出て右(北西)へ進むと同里古鎮の 入口がある。ここから更に行くと入場券売場とかの本当の入口があるのだが同里古鎮の入場券は80元だ。
世界文化遺産の退思園とかを見る場合は必要なのだが、自分は見る気は無いので入場券を買う気は無い。
正面入口には見張り番の地元民がいるので迂回して別の入口から潜入する。見張り番らしきおばちゃんがいたのだが昼時だったので昼食の支度で忙しいようで何もなし。
同里古鎮は千年古鎮とも言われるほどの歴史があり古鎮内には水路が張り巡らされ49の石橋があり水郷古鎮にもなっている。
そして、同里古鎮は南宋の淳祐4年(1247)から清朝末期までに状元1名、進士42名、文武挙人93名の数多くの人材を輩出している。
因みに同里古鎮には中華性文化博物館という博物館があり、ここは別料金で20元になっている。館内は撮影禁止なのだが中国五千年の秘密の宝貝や房中術とかが公開されているのかもしれない。
自分としては初めは見物する価値ありと思ったのだが撮影禁止だったので止めた。でも、白人さんたちが20名以上の団体様御一行で館内へ入っていった。
同里古鎮には世界文化遺産の退思園があり外国人観光客も多く訪れる観光地という事だけあって電線は地中に埋められて変圧器はうまく隠されている。
同里古鎮自体を世界文化遺産に登録しようとしている様なので景観保護については力を入れているようだ。でも、土産物屋が多いので麗江と同じで一大商業地になりそうな気がする。1245頃、同里古鎮を出て同里汽車站へ戻る。
同里汽車站の対面にイスラム食堂を発見して昼食に葱油拌面(6元)を食べる。
王四酒家で乞食鶏を食べる
15:00過ぎに蘇州浮生四季国際青年旅舎へ戻るとスタッフの兄ちゃんから蘇州先生が訪ねて来られた事を知らされる。そして、蘇州先生から電話があり夕食に連れて行って貰う事になる。17:30頃、蘇州先生が来られて夕食に出発する。蘇州料理の乞食鶏(叫化鸡)をご馳走してくれるとの事で1745頃、観前街にある王四酒家に到着する。
ここは蘇州の有名店で相当有名らしい。自分は乞食鶏は知っていたが王四酒家は全く知らなかった。因みに王四酒家は清の光緒13年(1887)に常熟で創業した老舗だ。
乞食鶏を食べながら蘇州先生から「何故銀行の中に両替屋がいるのか?」「上海や蘇州の不動産事情」などを教えてもらう。そして、お会計で蘇州先生が服務員 に領収書を頼む。で、持って来たのが↑の領収書。このレシート型の領収書だと店のレジと税務署(税务局)の端末がオンラインになっており常に税務署が売り 上げを把握しているそうだ。
しかも、売上に課税さるとの事。利益でなく売上という所が凄い。何故利益で無く売上に税金なのかというと客のほとんどが領収書の発行を頼まないので売上があっても売上に計上されないという事になる。即ち「領収書を発行しない→売上に計上されない→税金を誤魔化す→脱税」という事になる。
なので、領収書が発行されずに脱税されるのを前提にして利益でなく売上を課税対象にしているようだ。ちゃんと売上と利益が申告されるようすれば税の捕捉がしっかり出来て税収が増えてちゃんと貧困対策の予算を確保できるだろうに何故中国政府は制度改革をやらないのだろうか?やはり役人が賄賂に目が眩んでいるのか?
王四酒家を出て続いて蘇州先生お勧めのラーメン屋へ連れて行ってもらう。同得興という店で「世界ウルルン滞在記」でも紹介されてかなり有名らしい。しかし、営業が終わっており代わりに19:30頃、朱鴻興(朱鸿兴)というもう1軒の有名店へ連れて行ってもらうが、レジのおばちゃんの接客態度が悪くて蘇州先生は少々ご立腹のご様子。ここでは燜肉麺(焖肉面)をご馳走になる。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 8元 | |
宿泊費 | 100元 | 週末35元×2、平日30元 |
バス | 2元 | 路線バス |
バス | 16元 | 蘇州⇔同里 |
合計 | 26元 |
蘇州の有名ラーメン屋「同得興」
朝から雷が鳴り雨が降っている。今日は外へ行かない方が良いようだ。昼前には太陽が出て天気が良くなってきたので、昨日行った王四酒家と朱鴻興を見てから同得興へ行く。
こちらは昨日、燜肉麺を食べた朱鴻興。
では 雪菜肉絲麺(雪菜肉丝面)(5元)を食べるが、久しぶりに美味しいラーメンを食べた。同得興は素直に蘇州に行ったら訪れる価値のある店だと十分思える。これはお世辞ではない!
例えるなら四川省成都の陳麻婆豆腐で話のネタとして麻婆豆腐を食べるのは一度で十分だが、蘇州の同得興は2度、3度でも足りないだろう。同得興は麺だけなくスープも美味しかったし、時間があれば数度訪れて色々な麺を食べる価値が十分あるだろう。
四川料理の川福楼
夕方になりHPを読んでくれているbatayan先生が訪ねて来てくれた。更に先日、日本料理屋へ連れて行ってくれたkunshan先生とも合流して20:00頃、batayan先生とkunshan先生と一緒に観前街へ向かう。
そして、川福楼という四川料理の店で晩御飯を御馳走して頂くことになるのだがbatayan先生が広西チワン族自治区の徳天瀑布へ 行った時に購入したというベトナムのタバコを見せてもらう。パッケージにイラクのサダム・フセイン大統領が描かれているがベトナムではこういったタバコを製造・販売しても大丈夫なのか?もしかしたらビンラディンのタバコもあるのかもしれない。
それと、「中国关税未付」(中国の関税払ってません)と表記さ れているが、表記していても意味無しだと思う。
川福楼では貧乏バックパッカーには縁の無い高級料理が目の前に並び凄い事になっている。batayan先生、kunshan先生と話しながら食べ始める が、batayan先生の北の国がらみの武勇伝や週末旅行に上海から飛行機とバスを駆使して中越国境のモンカイ・東興を越えて上海へ戻ったりと興味深い話が聞けた。
そして、日本人駐在員や中国の上流階級の人たちがどのような物を食べているかが分かった。満腹になって余った料理を打包(折詰にして貰う)して貰い3人で外へ出るのだが、店の外には中国の格差社会を思い知らされる光景が待っていた。
それは、乞食や客引きが待ち構えていたのだ。それも乞食は金を貰う為ではなく打包した料理まで狙っていたのだ。もちろん、折詰を持っていた自分も乞食の標的であったが包囲網を突破する。
そして、3人で観前街を歩いていたのだが次は子供の乞食が出現する。batayan先生とkunshan先生は子供の乞食をかわすが自分は折詰を子供の乞食に掴まれる。この時、「折詰くらい あげてもいいかな」なんて考えてしまったが、batayan先生が子供の乞食を追っ払う。さすが10年以上中国に住んでいるだけの事はある。
そう、子供の乞食と言えども甘やかしてはいけないのだ!そもそも乞食が存在しない筈の社会主義国の中国に乞食がいるというのがおかしいのだ。共産党は何をしているんだ!子供の乞食を保護して衣食住を与えて、義務教育を修了させるまで、しっかり責任を持って育てろよ。
素人考えだが中国は1年間に4万件も汚職事件が発生しているから汚職役人から財産没収すれば児童福祉施設の建設費から運営費まで賄えるのではないか?23:00頃、3人でユースホステルに戻る。batayan先生 とkunshan先生はここに1泊して、明日3人で昆山の千灯古鎮へ行くのだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 5元 | |
合計 | 5元 |
千灯古鎮
08:00頃に目が覚める。今日は自分、batayan先生、kunshan先生の3人で昆山の千灯古鎮へ行くのだが09:00-11:00に出発予定なのだが09:00頃、kunshan先生が呼びに来てくれて出発となったがbatayan先生とkunshan先生は部屋の蚊が五月蝿くて05:30頃には起きていたとか・・・。
そうと知っていればもっと早く出発できたな。千灯古鎮への経路はkunshan先生が知っており、蘇州汽車北站→昆山新客運站→千灯古鎮へと移動する。まずは蘇州汽車北站へバスでと思ったらタクシーでの移動に・・・。 何やら凄い事になっている。そして、蘇州汽車北站で昆山行きのバスに乗車して30分ぐらいで昆山新客運站に到着。
昆山新客運站からは113路のバスで千灯古鎮へ行けるのだが、何故か路線バスなのにバスターミナルの切符売場で切符を買う必要がある。
kunshan先生は以前訪れた事があるそうで千灯古鎮は小さい古鎮だとか。
でも、古鎮内の観光地に入らなければ入場券を買わなくても見物出来るという事なので見張り番の地元のおばちゃんたちとかを気にする必要は無いのだ。
3人で千灯古鎮を見物して回るがkunshan先生が言っていた通り小さな古鎮なのですぐに古鎮の外れに到着。まだ、入口周辺しか観光開発されていないので奥の方は未開発というか地元民の住宅街だ。
古鎮の外れにも古い石橋があるのだが文物保護単位の石碑は破壊されて放置されたままで奥の方を観光地化する為の予算は組めていないようだ。電線の地中化も出来ていないから本格的な開発はまだまだ先かな?
ここで千灯古鎮について説明しておくが、千灯古鎮は二千年以上の歴史がある水郷古鎮であり昆劇(昆曲)の発祥地として知られている。
昆劇は世界無形遺産に登録されている。千灯古鎮を見物し終わって3人で昆山市内へ戻り昼食となったが移動手段は白タク・・・。運賃は50元。50元で白タクに乗ってしまうのだ!自分なら白タク=ボリタクなので絶対に路線バスで移動だ。batayan先生とkunshan先生は凄すぎる。日本人駐在員にとってはタクシーとか当たり前なのだろうか?自分の知らない世界があるようだ。
そして、日本料理屋へ入り焼肉定食をご馳走になる。こんなに贅沢をして良いのだろうか?ここ数日間、人様から普段食べていないというか食べた事の無い物ばかりご馳走になっている。
昼食を終えて13:45頃、kunshan先生と別れてbatayan先生と新客運站へ向 かい蘇州行きの切符を購入。batayan先生は上海へ戻るのでここでお別れとなる。今日の千灯古鎮見物では1元も使っていない。いや、1分も使っていない。batayan先生とkunshan先生に奢って貰ったのだ。
夜はレストラン
19:30頃、HPを読んでくれている猫先生とI先生がユースホステルを訪ねて来てくれて観前街のレストランでご馳走になる事になる。猫先生は元バックパッカーで中国各地を回っていた様で大理の菊屋の立ち上げにも関っていたという。大理の菊屋と言えば日本人の溜まり場として有名な店だ。その立ち上げにも関っていたとなるとかなりの猛者だ。
I先生は将来、湖南省の張家界から南へ下り広西チワン族自治区まで旅したいと言っており機会を窺っている様だ。I先生はミャオ族 やトン族、チワン族などの少数民族マニアか?食事をしながら色々と話をしたが猫先生とI先生は酒に強いようで青島ビールをかなり飲んでいた。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
バス | 1元 | 路線バス |
バス | 15.5元 | 昆山→蘇州 |
合計 | 16.5元 |