内蒙古賓悦大酒店国際青年旅舎に最後まで驚かされる
今日はフフホトを離れて鉄道で黒龍江省チチハルを目指す。でも、内モンゴル旅行記が終わったわけではない。内モンゴルの扎兰屯(ジャラントン)へ鉄道で行くには一旦、吉林省と黒龍江省を通過しなければならないのだ。
1023発の1816次に乗車するために0840頃、内蒙古賓悦大酒店国際青年旅舎をチェックアウトするが最後の最後でもここでは驚かされた。何と頼んでもいないのに領収書を発行してくれるではないか!今まで宿泊した宿は領収書の発行を拒否したり面倒くさそうに発行したりと明らかに嫌がっていた。ところがここではちゃんと発行してくれるではないか!というか、領収書はちゃんと発行するのが当たり前なのだが・・・。とにかく、4星級ホテルが運営するユースホステルは凄い。
1816次でフフホト→チチハル
ユースホステルを出て34路のバスでフフホト駅へ移動する。0940頃、フフホト駅に到着する。
侯車室で改札が始まるのを待ち、1000頃に改札が始まる。
ここから並ばない乗客たちと一緒に改札を突破してホームへ降りる。1015頃に1816次が到着して、ここからが本当の戦いが始まる。今回は硬座でチチハルまで移動するのでいつもより厳しい移動になる。フフホトまでの乗客が下車すると同時に乗客が我先にと乗車しようとする。駅員や乗務員が注意しても誰もいう事を聞かない。
大混乱の中で何とか乗車するが次は車内で自分の座席へ移動するのに一苦労だ。座席まで辿り着いても荷物の置き場所を確保しなければならない。幸い1816次はフフホトで降りる乗客が多かったので荷物の置き場所には困らなかった。1023に定刻どおり発車してチチハルを目指す。
集寧南で1813次に列車番号を変更
1240頃、集寧南に到着する。ここで進行方向が変わる為に機関車を連結しなおすが進行方向が北京方向から北京から離れる方向に変わるので列車番号も 1816次→1813次に変更になる。1250過ぎに集寧南を発車する。列車は内モンゴルの平原を走り途中の正鑲白旗で停車時にホームに降りてみる。
再び列車に乗り込み外の景色を眺めるがここで気付いたのだが、この列車の乗務員は発車時には次の駅と到着時刻、到着前には駅名を告げているし車内の清掃もこまめにやっている。今まで緑皮車だとほとんどこんな事は無かったので、この列車の乗務員の質は高いよう だ。乗客は幸い床に痰を吐いたりしていないので多少は快適に列車での移動が出来そうだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
バス | 1元 | 路線バス |
合計 | 1元 |
深夜の1813次は空いていた
今回乗車した1813次はチチハル、ハルビンまで走る長距離列車であるが内モンゴルの田舎を走る間は乗車率は9割ぐらいだったが夜になると乗客は減り深夜には更に減り通遼に到着すると横になって寝る乗客が多数目撃できるほどになっていた。
通遼到着時にはホームに降りてみるが発車前の合図の笛がなると乗務員が一斉に動き始める。こんな真夜中でも軍隊のように統率の執れた動きに感心する。
吉林省を抜け黒龍江省チチハル到着
通遼を発車して内モンゴルを一旦出て吉林省白城を経由して1030頃、約10分遅れで黒龍江省チチハル(齐齐哈尔)に到着する。
チチハルに到着したのだ が、このまま1519発の6255次でジャラントン(扎兰屯)へ行ってもよいのだがそうするとジャラントンは1915着で夜になってしまう。
夜に宿を探すのは嫌なのとジャラントンへはすぐに行かなくても大丈夫なので今日はチチハルに宿泊し明日ジャラントンへ向かうことにする。先に售票厅で明日のジャラントン行きの切符と29日の包頭行きの切符も購入しておく。
切符を購入して宿を探すが何件か料金を聞くと30元ぐらいでそこそこの部屋があると分かり駅の近くの陽光招待所に1泊する事にする。
龍沙公園
とりあえずチチハルに来たので龍沙公園が有名らしいので1230頃、駅前から15路のバスで第一医院下車する。すぐ目の前に龍沙公園があり見物していく。 龍沙公園は清朝により1907年に造営された公園で国家AAA級旅游景区に指定されている。こちらは光緒33年(1907)に建設された望江楼。
関帝廟は清の乾隆4年(1739)に建立され公園より歴史が古い。
園内は労働湖や関帝廟、遊園地、動物園などがある。それに何故 か周恩来、朱徳、劉少奇、鄧小平が視察時に搭乗した航空機Ah24Aが展示されている。因みに説明にはカンボジアのシアヌーク殿下(当時)がハルビン訪問時に搭乗したとある。
清真寺
1400頃、龍沙公園の北東にあるイスラム寺院の清真寺を訪れる。ここは清の康熙23年(1684)に建立され黒龍江省最大規模の清真寺である。
入場料は分からないが有料の看板があったので、とりあえず外から見るだけにしておいた。チチハルでの観光はこれで終わりだ。チチハルで最も有名な観光地といえる丹頂鶴で有名な扎龍自然保護区は既に観光時期は過ぎているようなので行かない。というよりもお金が無くて行けない。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 3元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 2元 | 路線バス |
鉄道 | 12元 | チチハル→扎兰屯 |
鉄道 | 102元 | チチハル→包頭 |
合計 | 149元 |
6235次でチチハル→ジャラントン
0600前に起床して招待所を出る。駅に着くと既に改札が始まっており列車に乗り込む。
田舎を走る普慢なので乗客は少ないと予想していたが見事に予想は外 れた。乗車率100%を超えていた。0654に定刻どおりチチハル駅を発車する。混雑した車内だったが4駅目の富拉尔基に到着すると車内はかなり空いてきた。ここからは駅に到着するたびに乗客が降りていく。空いているのと乗客の質もそこそこ良いようでゴミのポイ捨て痰吐きは無い。但し、3人掛けシートで横になって寝ている乗客がいたが空いている席もあるし特に害は無いので問題なし。普慢で快適な旅が続く。
途中でチンギス・ハン駅(成吉思汗)に到着しホームに降りてみる。今回この列車に乗車した目的のひとつがチンギス・ハン駅を見る事だったが、ただの田舎の駅で完全に名前負けしていた。正直がっかりした。チンギス・ハンの名前を駅名にするのだからチンギス・ハンの銅像とか豪華なモンゴル風の駅舎を想像していたが普通の田舎の駅で周辺には何も無かった。
がっかりしながら再び列車に乗車してジャラントンへ向かう。1115頃、ジャラントン(扎兰屯)に到着する。
ジャラントンでも乗客は並んでいない。並んだ方が早く乗れると思うのだが・・・。
ジャラントンは有名な観光地らしいが・・・
ジャラントンに到着したのは良いがド田舎に来てしまったような気がする。インターネットでジャラントンについて調べたら中国優秀旅游城市、国家重点風景名 勝区と紹介されていたので観光で発展しているのかと思い込んで訪れてしまった。ジャラントンには10/28まで滞在するので、まずは宿を探さなければならないが幸い駅前には招待所、旅社が多数あるのですぐに宿は決まった。
藍天招待所に1泊10元で宿泊することにする。部屋は今までで一番狭く1畳半ぐらい広 さの部屋でテレビとベットがあるだけだけなのだが、老板がすぐ近くに同じ料金でもう少し広い部屋があるというので対面のアパートに移動する。こちらの部屋 は少し広く日の光が入るのだがベランダを改造した部屋だった。アパートの部屋に宿泊することにするが後に包间(貸切)の客が現れ元の狭い部屋に移動する。
ジャラントンを散歩する
昼頃にジャラントンの街を散歩してみる。まずは駅周辺なのだが、あまり人がいない。
比較的賑わっているのは駅の南西だ。ジャラントンに到着した時はド田舎と思ったが商業地がちゃんとあるのでそこそこの規模の都市と再認識する。でも、田舎かな?
ジャラントンに来た理由
ジャラントンでは10/28にNHKの「関口智宏の中国鉄道大紀行」の中継があるので、それを見物するために来たのだが、まだ日数がある。そこでジャラントンでどう過ごすかだ。郊外には旅游景点がいくつかあるのだが興味があったのは30㎞ほど離れた所にある金長城だけだが路線バスは出ていない。ぼったくり タクシーは危険だし・・・。まあ、ジャラントンでの観光はやめておこう。
代わりに関口さんのジャラントン到着を見物することを計画する。時刻表と番組のHPを確認して满洲里、海拉尔方面の牙克石から来るようで関口さんの行動パターンを調べると昼間の到着が多いようなので6236次か4192次を利用する確率が 高そうだ。それに夜の移動だと内モンゴルの大草原とかが撮影できないだろうし。で、肝心の到着日が何時かが問題だ。恐らく10/26までには到着するはずなので番組HPを確認しながら毎日駅前で網を張ってみよう!
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 8.3元 | |
宿泊費 | 10元 | |
合計 | 18.3元 |