2039次で商丘から合肥へ
08:00前に糞招待所を抜け出す。深夜3時半に売春の斡旋に来るな!商丘駅の待合室で時間を待つ間周辺の乗客を観察してみた。主に民工と呼ばれる出稼ぎ労働者はスーツケースなどが買えないので尿素などの化学肥料の袋に生活用品を詰めて運んでいる。改札が始まり列車に乗り込む。車内は満席になったのだが珍しく網棚が空いている。
列車は約6時間かけて14:50頃に合肥到着。出口ではいつもながら切符を持たない連中が 強行突破を試み駅員に捕まっていた。
宿は慎重に選ぶ
昨日は愚かにも売春を斡旋する宿に宿泊してしまったので、今日は慎重に選ぶ。何軒か外から様子を伺いつつ料金を確認する。何件か回るうちに何とか今日の宿を決めた。1泊30元でちゃんと窓と格子がある部屋だ。20元の部屋もあったが窓の無い暗い部屋だったのでやめておいた。
いつもながら登記の際は宿のおばちゃんが日本のパスポートを見て少し驚く。おまけに読み方が分からないとか言うから査証の部分を見せても分からないとか言う。査証は広東省公安庁発給だぞ!おばちゃんに連れられ別に部屋に行くとおばちゃんの家族(たぶん姉妹と婆ちゃん)が4人ぐらいいた。家族総出でパスポートを見るが分からないとか言うので査証を見せて「これがパスポート番号で、こっちが査証の番号」というと1人が「査証の番号を控えれば大丈夫だよ」という。まあ何とか登記は済んだ。査証を見ても分からないということは自国のパスポートを見ても分からないのかな?
包公園へ行くが
16:00頃に駅前から226路で包公園へ向かう。ここには包公墓があるのだが入場料が包公墓だけなら25元、包公園だと50元と高い。しかし、ここなら50元の価値がありそうな気がするが デジカメの電池切れで明日出直すことにする。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 8.5元 | |
宿泊費 | 30元 | |
雑貨 | 3.9元 | 電池 |
合計 | 42.4元 |
逍遥津公園
合肥に来たからには三国志ファンお約束の逍遥津公園を訪れるべきだろう。07:00過ぎに801路のバスで逍遥津到着。
門をくぐると張遼像がお出迎えであ る。張遼像の後は張遼衣冠塚を見に行くが湖の小島にあるが橋が架かってないので渡れない。張遼衣冠塚は諦め張遼墓へ向かう。
張遼墓は綺麗に整備されており小さいながらも神道まで作られている。
張遼墓の隣には三国歴史文化館があるのだが、朝早くに来たからだろうか閉まっていた。帰り際にやはり張遼衣冠塚を見たいので貸しボートで張遼衣冠塚まで行くことにする。
この時間貸しボートを利用しているのは自分だけである。30過ぎのおっさんがアヒルボートで張遼衣冠塚の周辺を行ったり来たりしているので周囲の人民から「あのおっさん朝から頭おかしいんじゃねえか?」と思われただろう。
明教寺
ここは曹操軍500人の兵に弩の訓練をしたという教弩台があった場所だ。
教弩台の跡には南北朝の頃に寺が建立され今は明教寺として参拝客でにぎわっている。
普通の寺院と化しているが教弩台の石碑と屋上井が三国志関連の遺跡である。
紫蓬山で李典墓探索に失敗
昼頃に紫蓬山へ行くがバスの運ちゃんが終点のひとつ手前で運行を打ち切ってしまった。どうやら昼飯が食いたいらしい。他の客と共にバスを降り徒歩で紫蓬山へ向かう。
この時から不運が始まっていたのだろう。紫蓬山へ入り李典墓を目指すが案内標識や門票に書かれた地図がいい加減で山の中で道に迷う。
途中幾つかの集落に迷い込んだりして引き返したりしながら、2時間かけてようやく李典墓の標識を見つける。標識に従い進むが途中いくつもの分かれ道があり山中で再び道に迷う。山道を突き進みようやく舗装された道路に出たものの既に疲れ果てもはや李典墓を探す体力・気力もない。GPSを頼りにバス停の方角を歩くが暑さで5kmの道は辛い。16:30頃に何とかバスに乗り合肥市内へ戻る。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 8.7元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 3元 | 路線バス |
バス | 10元 | 西門換乗中心→紫蓬山 |
逍遥津 | 5元 | |
紫蓬山森林公園 | 10元 | |
合計 | 66.7元 |
三国新城遺址公園
06:00に駅前から801路のバスで城隍廟へ向かう。城隍廟で下車して50mほど進むと安徽省博物館の前に路線バスのバスターミナルがあるので、ここで 300路に乗車して約1時間の道のりを進む。三国新城遺址公園で下車して徒歩10分ほどで三国新城遺址公園に到着するが開園は09:00で到着したのが07:45過ぎだった。
09:00になりようやく入場する。目の前には土塁が残っており正にここに城があったことが分かる。園内は各所で工事が行われており、どうやら発掘跡に当時の建物を再現するつもりのようだ。1年経てば大きく変貌しているだろう。
切符を買うがスリに遭う
14:00過ぎに合肥駅で明後日の1019次の東莞東行きの硬臥切符を購入に行く。切符売り場は大混雑で1時間待ちを覚悟したが30分ほどで購入できた。 待っている間は割り込みの人民と保安との戦いを見ながらだったので退屈はしなかった。この混雑の中でも保安が民度の低い人民を摘み出しているのには頭が下がる。たちの悪い人民だと保安と公安で外に摘み出す徹底振りだ。
切符購入後に包公園へ行くためバス停で待つ。今日は昨日に続き運が悪く、ここでスリに遭遇する。バスが来た時、いつもながら人民は並ばず我先に乗車しようとするがこの乗車の際の混乱に乗じてスリがデジカメを盗んだ。すぐに気が付いて「小偷!」 と叫んだら地面にデジカメが落とされた。スリは現行犯逮捕を逃れるためデジカメを放棄した。スリが誰かはおおよそ見当が付いているがデジカメを盗んだ瞬間を目撃していなかったので逮捕には踏み切れなかった。もっとも武装している可能性もあるので非武装の自分では太刀打ちできない。
まあ、少し傷ついているが デジカメは戻ってきた。やはり、バスに乗る際は注意が必要だ。今回スリに遭った原因はデジカメを腰に付けていたのとリュックを抱えて如何にも観光客という姿だったのが最大の原因だ。春や冬は上着の内ポケットにデジカメや地図を入れていたのだが夏はTシャツ1枚で仕方なくリュックを抱えたりデジカメを腰に付けたりしたが対策を練らなければ。この件で中国人(知識層、富裕層は除く)が信用できなくなってきた。
包公園
スリからデジカメが戻り226路のバスで包公園へ向かう。15:30頃まずは包公墓から見学することにする。合肥に来た最大の目的はこの包公墓を見学するためである。
神道を通り享堂の奥に包公墓がある。ようやく念願の包公墓を見ることが出来た。
包公墓を見たので後は包公祠へ行くだけかと思ったら、墓室や夫人たち一族の墓まであるではないか!これは予想外の収穫だ。
特に墓室は凄い。発掘調査で包拯の遺骨まで出土している。ただ、出土品は運び出され現在は何も残されていなかった。
包公祠は名前の通り包拯を祀った祠だ。金色の包拯と馬漢、張龍、趙の像が祀られていた。公孫策と展昭が居ないのがちょっと不満だ。
最後に清風閣を見物するが登って合肥市内が一望できるだけだと思っていたら地下に包公故事の人形展示があるではないか!
しかも、暗い地下という場所で不気味な人形たちがお出迎えだ。鳥盆記の一場面。犯人の処刑場面です。
いくら包公故事の場面を再現しているとはいえお化け屋敷と大差が無い。題名は忘れましたが包拯があの世の乗り込んで裁判をする故事です。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 7.8元 | |
宿泊費 | 30元 | |
鉄道 | 183元 | 硬臥 合肥→東莞東 |
バス | 4元 | 路線バス |
三国新城遺址公園 | 25元 | |
包公園 | 50元 | |
合計 | 299.8元 |
李鴻章享堂
今日はどうも天気が悪い。外に出るか迷ったが少し日が差してきたので李鴻章享堂へ向かうことにする。駅から226路のバスに乗り包公園で6路に乗り換え李 鴻章享堂で下車する。事前に李鴻章享堂については何も調べておらずバス停の標識に「李鴻章享堂」の文字を見つけて見に行くことを決めた程度だ。バス停から少し戻ると李鴻章享堂に到着。説明を読むと李鴻章享堂には李鴻章墓があることが分かった。
これは意外な収穫になりそうだ。しかし、また雨が降り始める。入場券を購入すると窓口のおばちゃんが傘を貸してくれた。
これでずぶ濡れにならずに済みそうだ。まずは李鴻章夫妻の墓から見物することにする。
墓を見た後は享堂を見学だがなかなか綺麗で故建築の雰囲気も出ている。
展示品には李鴻章が下関条約締結前に狙撃された時に着ていた服があり血の跡が残っている。天気が悪い中でも来てみたが15元ででこの内容なら文句はないが相変わらず天気が怪しいのでこれで宿に戻ることにする。李典墓にも再挑戦したかったが次の機会があれば再挑戦だ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 7元 | |
宿泊費 | 30元 | |
バス | 4元 | 路線バス |
李鴻章享堂 | 15元 | |
日用品 | 1.1元 | 石鹸 |
合計 | 57.1元 |