宜昌に到着
03:00頃、一旦目が覚めるが船のエンジン音が聞こえないので宜昌に到着しているようだ。外は真っ暗で何も見えない。まあ、真夜中に追い出されずに朝まで寝ていられそうだ。05:50頃、起床する。06:00過ぎに船内放送があり宜昌に到着していることを確認する。外は未だに真っ暗で、この状況で追い出されると非常にまずい。夜が明けるまでか船を追い出されるまで船内に留まる事にする。
06:30頃、夜が明け始めてきたので下船する。宜昌港を出てバス停を探す。4路のバスに乗車して宜昌駅へ向かう。07:00頃、宜昌駅に到着する。まずは、宿を探さなければならないが相場の確認の為に宜昌駅の隣にある鉄路大酒店へ行く。一番安い部屋が1泊80元だったので当然ここには泊まらない。周辺の様子を伺いながら駅前の東山大道にあった宜建招待所に2人部屋を1泊 25元で宿泊する。
宜昌では三国志観光
09:00頃、宿を出て宜昌での三国志観光へ出かける。まずは10路と102路のバス停を探すのだが10路は宜昌港のバス停「三码头」から10路のバスが出ており宜昌駅からは夷陵広場か移動通信広場が近いことが分かっているので、とりあえず東山大道を歩いてみると102路のバスが通り過ぎる。
102路が駅前を通り過ぎるのを確認できたので、10路のバス停を探す。東山大道沿いに歩くと10路のバスを発見する。そのまま10路のバスに乗車して終点の三游洞へ向かう。途中で道路工事があり渋滞を通過するのにかなりの時間が掛かる。
三游洞で劉封城遺址、張飛擂鼓台
10:20頃、三游洞に到着。三游洞には劉封城遺址と張飛擂鼓台がある。三游洞の入場料は48元で高いのだが三游洞は唐の詩人・白居易、白行簡(白居易の 弟)、元稹や陸游らが訪れた地というのを前面に出しているので仕方ないだろう。劉封城遺址と張飛擂鼓台ならこんなに高いはずはない。
まあ、三游洞も見物することにして48元を支払う。恐らく、この旅行記を読んでいる人の中には「40元の張飛廟は見物せずにどうして48元の三游洞は見物するんだ?」と思う人もいるだろう。三峡下りで白帝城と張飛廟を見物しなかったのは三峡下りで日本人がけっこう訪れていそうだからだ。それに張飛廟は三峡ダム建設で移転して新しすぎる。それに予算の都合もあるので、どうせなら日本人が訪れそうもないような所を見物することにした。
白行簡、白居易、元稹の像。三游洞の主人公は唐代の詩人たちです。
まずは劉封城遺址から見物するが説明の石碑があるだけでがっかりする。でも、劉封城があったことは確認できた。
張飛擂鼓台には張飛がこの地で練兵をしていたそうで太鼓を叩く?張飛像がある。これはなかなか様になっている張飛像だ。
更にここには張飛擂鼓台だけでなく三峡の起点を示す石碑まである。ある意味貴重だ。
そして、三游洞は白居易達が訪れた場所なので宜昌では有名な観光地のようで観光客も多い。ここで白居易達が詩を詠んだらしいです。それに目の前に三峡の西陵峡が広がっている。
三游洞周辺には龍泉洞、白馬洞や嫘祖廟もあり宜昌の一大観光地のようだ。
猇亭古戦場
13:20頃、宜昌駅に戻り東山大道沿いにある宜昌長途汽車站のバス停から102路のバスで猇亭へ向かう。
14:15頃、猇亭古戦場の前をバスが通過する。すぐに停車してもらうように頼むが車掌が「どこで降りるの?」と聞くので「猇亭古戦場で降りる」というと 「もう少しすると正門だからそこで止める」とのことで正門で下車する。立派な入口があり、しっかり整備されているようで期待できそうだ。
入場料は40元で入場券を買うが何故か入場料は39元だった。料金表は40元とあるのだが一体どういうことだ?猇亭古戦場へ入るとそこは三国志テーマパークになっていたのだが客がいない。古戦場には関帝廟が2ヶ所ほどあったが1ヶ所は怪しげな坊さんがいるし、もう1ヶ所は荒れ果てて放置されていた。
というより、猇亭古戦場自体が荒れ果てており客がおらず何時潰れても不思議のない状態だ。
玄徳御営というのがあるが既に廃墟に・・・。他にも関興営などあるが同じく廃墟に・・・。
桃園結義の像があるが破壊されて杯が無くなっているし、廃墟となっている建物もあるし、草は伸び放題、典型的な潰れそうなテーマパークだ。ただでさえ長江の崖に作られているのだから作りっぱなしで整備されずにそのまま立ち入り禁止の場所まである。これでは、劉備や陸遜も悲しんでいるだろう。39元返せ!
当陽行き切符を購入
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 16.5元 | |
宿泊費 | 25元 | 宜昌→当陽 |
鉄道 | 5.5元 | |
バス | 8.5元 | 路線バス |
三游洞 | 48元 | |
猇亭古戦場 | 39元 | |
合計 | 142.5元 |
1166次、硬座で宜昌→当陽
10:45過ぎに宿を出る。宜昌駅までは坂道を登るが徒歩5分ほどで到着する。入口の荷物検査を通過するが、公安が人民たちに「身份证登记一下」と身分証 の確認をしている。しかも、全員ではなく怪しそうな人民に身分証提示を求めている。自分は声もかけられずにそのまま侯車室へ向かう。
今回乗車する1166 次は11:33発だ。既に改札口には列というか群れができている。自分もこの群れに加わり改札が始まるのを待つ。11:00過ぎに改札が始まるが大きな混乱もなく無事に改札を通過する。人民達の割り込みは当然あったが・・・。列車に乗車して11:33に定刻どおり列車は発車する。車内では幸い痰吐きは無かったがタバコを吸っている人民がおり乗務員に注意されていた。
12:25頃、当陽に到着するが案内の放送とかは一切無いのでホームに入線したところで 「当陽」の文字を確認して、すぐに下車する。やはり、停車駅についても案内が無いのが人民鉄路の基本のようだ。駅前から1路のバスに乗車して当陽市内へ向 かう。終点がバスターミナルのようなので、とりあえずバスターミナルで降りることにするが、ちょうどバスターミナルが趙雲像の目の前だった。いよいよ当陽 での三国志観光の始まりだ!
長坂坡
趙雲像の目の前で下車して、すぐ近くの雄風賓館に宿泊することにする。1泊20元だ。
少し休憩して1400頃、まずは趙雲像を見物する。ここの趙雲像は凄くかっこいい!
趙雲は当陽でも英雄のようだ。趙雲像の次はすぐ近くの長坂坡を見物だ。
長坂坡は趙雲が阿斗(劉禅)を救い出す趙雲ファンにはたまらない名場面の場所だ。
長坂坡は公園として整備されているが、それも長坂坡での趙雲の活躍を再現した三国志ファンの為の公園になっている。こちらはちょっとぼろい趙雲像。懐には阿斗を抱えています。
しかし、あまり手入れされていないようで各所で痛みが激しい。一部では既に廃墟と化している場所も・・・。それでも人民の憩いの場、そして、三国志ファン、特に趙雲ファンにはたまらない場所だ。
太子橋
15:00頃、太子橋に到着。太子橋は趙雲が曹操軍の包囲を突破して、劉備の元に阿斗を届けた場所だ。一応は公園というか広場として整備されているが太子 橋の石碑が無ければ気付かないだろう。ちょうど訪れた時は太子橋の石碑に地元の子供たちが群がっていた。
娘娘井を探すが・・・
太子橋の次は娘娘井へ行こうとするが、情報が少なくはっきりした場所が分からず途中で人民に聞いても「知らない」とか訛りがきつすぎて全く会話が成立しなかったりして諦めて宿へ戻る。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 7.5元 | |
宿泊費 | 20元 | |
バス | 1元 | 路線バス |
合計 | 28.5元 |
娘娘井を発見
今日は昨日発見できなかった娘娘井を再度探すことにして09:00頃、天気が雨で条件が悪い中、宿を出発する。昨晩、再度情報収集をしておりGoogle Earthでも確認できたので大体の場所は分かっている。09:20頃、当陽市畜牧局の裏手の路地にある娘娘井に到着。
石碑と井戸があるだけの広場だが、 ここで糜夫人が趙雲に阿斗を託して井戸に身を投げた場所だ。
周倉墓
当陽市内を散歩して昼過ぎに当陽市汽車客運站(客運中心とも呼ばれているらしい)から河溶行きのバスに乗車するが、售票厅で「两河行きの切符ください」というと「乗車してから切符買え」とのこと。バスターミナル内には河溶行きのバスが何台か停車しており、客が乗車しているバスを見つけ車掌のおばちゃんに 「两河へ行きますか?」と聞くと「两河?通るよ!乗って!」とのこと。
ついでに「周倉墓の近くは通りますか?」と聞くと「周倉墓、知ってるよ。周倉墓に行 くのね。」と、さすが地元民、周倉墓を知っていた。客が集まり12:45頃、当陽市汽車客運站を出発して1315頃、两河に到着。道の右には糜夫人像があった。
周倉墓はすぐ近くだ。糜夫人像を過ぎてすぐに周倉墓に到着しバスを降りる。周倉墓に到着したが特に「周倉墓」という看板とかは一切無い。門に閉ざされた墓があるので周倉墓というのはすぐに分かったが、門はしっかり鍵がかけられており中に入れないが撮影はできた。もし、管理人を探して鍵を開けさせると確実に入場料を取られるだろう。これ以上の深追いはやめておこう。
麦城遺址
周倉墓を見物したからには麦城遺址も見物しなければならないだろう。実は周倉墓は两河鎮にあるのだが、两河鎮麦城村にあるのだ。麦城といえば関羽が荊州を 奪われ逃れた地だ。周倉墓の東約1.5㎞に麦城遺址があるので周倉墓から糜夫人像の方へ少し戻った所にある東へ伸びる道を進む。
1400頃、麦城の脇を流 れる沮河に到着する。土手を登り周辺を見渡すがそれらしい石碑とかは見当たらない。とりあえず、周辺を探索してみる。周辺にはいくつか墓石があり麦城の石 碑かと思い見てみると墓石だったり、牛が放牧されているので、そこらじゅうが牛糞だらけ、雨で足元も悪く苦戦する。
15:00頃、近くに畑になっている丘の存在に気が付く。なんか怪しいので近づいてみると石碑があるではないか!文字は消えかかっているが麦城遺址の石碑だ。
ようやく麦城遺址に到着した。麦城遺址は遺跡ではなく人民の畑となっていた。石碑が無ければ地元民以外は分からないだろう。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 15.9元 | |
バス | 10元 | 当陽⇔两河 |
合計 | 25.9元 |
廻馬坡
07:50頃、宿を出てすぐ隣の当陽市汽車客運站長坂坡発車点で遠安行きのバスに乗車する。運賃は12元。08:20頃、客が集まったので発車する。関陵の脇を通り過ぎ80㎞以上で飛ばしていく。途中で土砂崩れがあり迂回するが09:30頃、遠安客運西站に到着する。
ここで真金行きか馬良行きのバスに乗換えるのだが真金行きが先に出発するので真金行きに乗車する。廻馬坡までの運賃は5元だ。バスがすぐに発車して沮河に沿って走っていく。徐々に山道に入って行き10:15頃、道路の左側に廻馬坡の碑亭を発見し下車する。橋を渡り碑亭に到着。
ここが呉の軍勢に関羽が捕らわれた場所だ。今はこの碑亭がひっそりと残っているが石碑は清の同治7年に建立され碑亭は1983年に建てられている。
山の中で誰もいないのだが廻馬坡を訪れる人はいるようだ。その証拠に落書きが多い。石碑はもちろん、何故か亭の天井にも落書きや破壊された跡がある。石碑をよじ登らなければ天井に落書きはできない筈だ。
優秀な中華民族にとって関羽は尊敬する人物のはずだが、廻馬坡の惨状は一体?中国人にとっては関羽はもはや尊敬の対象ではなくなってしまったのだろうか?中国政府は人民どもに文化財を大切にするようにちゃんと教育しろっ!
わざわざ天井にまで落書きとは・・・。さすが優秀な中華民族、自分はここまで思いつきません!
11:30頃、遠安客運西站に戻り当陽行きのバスに乗車する。11:50頃、遠安客運西站を発車、1300前に当陽市汽車客運站長坂坡発車点に到着する。
玉泉寺
長坂坡から2路のバスに乗車して13:20頃、玉泉路口に到着する。
ここから玉泉寺まで乗合タクシーが出ているが徒歩で向かう。14:20頃、玉泉寺の山門に到着するが遠くに「售票処」という文字の書かれた建物がある。有料らしいが建物には人の気配が無い。とりあえず山門をくぐり勝手に入っていく。售票処に人がいなくても別の場所で入場料の徴収をしている事があるので恐らく本殿の前とかで坊さんが待ち構えているのだろう。
玉泉寺は後漢の建安年間に普浄禅師により寺が開かれ、隋代には文帝より玉泉寺の名を賜る。北宋の天禧年間に最盛期を迎える。寺には北宋の嘉祐6年(1061)に建立された高さ16.9mの鉄塔が残っており、これは中国で最も保存状態の良い鉄塔である。
そして、忘れてはならないのが三国志演義の第77回で関羽の霊が出た場所でもある。
明の万暦年間に漢雲長顕聖處の石碑、清の嘉慶年間に最先顕聖之地の石碑が建立されている。
そして年代は不明だがが関公磨刀石が建立され現在も残っている。
三国志関連の遺跡を見物した後に玉泉寺を見物するのだが、あいにく工事中で見物できるような場所はわずかしかなかった。
まあ、1年もすれば新しい建物ができて観光客を呼び込むのだろう。
しかし、工事中の境内で見てはいけないものを見てしまった。鐘と鼎が無残に放置されている。いつの時代のものかは知らないが古そうだ。やはり中国はこういう部分はしっかり社会主義のようで宗教に対しての考えはこの程度の物なのだろう。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 10元 | |
バス | 2元 | 路線バス |
バス | 24元 | 当陽⇔遠安 |
バス | 10元 | 遠安⇔廻馬 |
合計 | 46元 |
張翼徳横矛處
07:45頃、長坂坡から1路のバスで当陽駅へ向かう。08:00頃、当陽駅に到着し駅前の通りを東へ歩き08:15頃、張翼徳横矛處に到着する。
張翼徳横矛處はここで張飛が立ちはだかり曹操軍を食い止めた長坂橋があった場所だ。今は橋は無く碑亭が残るだけで石碑は清の雍正9年に建立されたものだ。周辺を 見る限り長坂橋の名残は何も無い。この碑亭のみが語っていた。張翼徳横矛處を見物後は当陽駅で襄樊行きの切符を購入して1路のバスで長坂坡へ戻る。
関陵
08:50頃、長坂坡から4路のバスで関陵へ向かう。09:15頃、関陵に到着するが観光客の気配が無い。
当陽の関陵は関羽の胴体が葬られ、三大関帝廟のひとつの筈なのだが・・・。入場料30元払い中へ入るが、やはり観光客はいない。
しかし、見ごたえ十分だ。ほとんどの建物は明代に建設されたもので、さすがは三大関帝廟に数えられることだけはある。
久しぶりに入場料と内容に納得できる場所を訪れることができた。
1166次、無座で当陽→襄樊
11:00頃、荷物をまとめて宿を出る。1路のバスで再び当陽駅へ。侯車室で時間まで待つのだがハエが多いし、人民が痰や唾を吐きまくっている。おまけに手鼻を噛むおっさんもいる。
サルや原始人の人民たちと一緒に改札が始まるのを待ち12:15頃、改札が始まる。田舎の駅なので乗車する乗客が少ないので比較的混乱も無くホームへ出られた。列車が到着して乗車するが空席が結構あり簡単に席が確保でき定刻どおり12:27に発車する。
馬躍檀渓遺址
襄樊駅近くの実惠招待所に1泊20元で泊まることにして、すぐに駅前のバス停から15:25頃、14路のバスで環山路へ向かう。まずは馬躍檀渓遺址から見物するのだが馬躍檀渓遺址は蔡瑁に殺されそうになった劉備が的盧に乗り檀渓を飛び越え難を逃れた場所だ。
15:55頃、降りるはずだった環山路を何故かバスが通り過ぎてしまう。とりあえずそのまま行くことにすると道路右側に馬躍檀渓遺址があり通過する。ほどなくして次の終点の東風汽車電気公司に到着する。来た道を5分ほど戻ると馬躍檀渓遺址に到着する。
馬躍檀渓遺址には水は流れておらず、的盧が足をかけたとされる岩が残るだけではなく、ゴミ捨て場と化していた。そして、自分の背後には恐らく昔は檀渓だったドブ川が流れていた。人民はどうして文化財を大切にしないのだろうか?
バスターミナルを調査してみる
馬躍檀渓遺址を見物後は襄城汽車客運站に寄ってみる。水鏡庄や徐庶廟がある南漳行きのバスを確認するためだ。南漳行きは客が集まり次第出発するようなので頻繁に出ていそうだ。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11.5元 | |
宿泊費 | 20元 | |
鉄道 | 14元 | 無座 当陽→襄樊 |
バス | 8元 | 路線バス |
関陵 | 30元 | |
合計 | 83.5元 |
朝から雨・・・
07:00過ぎに起床するが雨が降っている。雨の日は外に出るとろくなことが無いのだが早く武漢へ移動したいので強行軍で南漳の徐庶故里と水鏡荘を見物しに行くことにする。08:15頃、駅前から14路のバスで襄城汽車客運站へ移動する。襄城汽車客運站で南漳行きのバスに乗車する。運賃は11元。客が集まり09:15頃に出発する。10:30頃、南漳のバスターミナルに到着する。
水鏡荘
バスターミナル脇に徐庶路があったので徐庶故里から見物しようと徐庶路を北へ歩くが見つからない。徐庶故里を後回しにしてバスターミナル前の通りを西へ歩 き水鏡荘を目指す。歩いていると道路左手に水鏡荘の牌坊を発見し、南へ進むと川に掛かる吊橋に辿り着く。
奥には水鏡荘が見える。吊橋を渡るが板が腐ってい たりして少々危険であったが11:15過ぎ、水鏡荘に到着する。
内部は司馬徽が隠棲していた建物が再現され裏の玉玺山と見事に融合し隠棲するには最高の地という雰囲気を出している。
あいにくの雨であったので観光客は自分ひとりだけであった。玉玺山にも登ってみたが雨が降っていたので何も見えず。山の中は霧が出ており仙人でも出てきそうな雰囲気でちょっと楽しい。
時間と体力の都合で山全体を調べることはできなかったがなかなか楽しめた。
徐庶故里
水鏡荘を後にして再び徐庶路に戻ってきた。バスターミナル近くに徐庶故里があるはずなので徐庶路をもう一度歩いてみると城関派出所の対面に怪しげな建物がある。近づいてみると・・・。徐庶故里であった。こんな近くにあるとは・・・。
まずは徐庶故里の右隣の博物館で入場料を払い門を開けてもらわなければならないのだが、博物館にいる犬に吠えられ管理人を探すことができない。犬を追い払っていると異常に気付き管理人がやってきた。管理人に徐庶故里を見物することを伝え入場料3元支払う。門を開けてもらい徐庶故里を見物する。
敷地は狭く建物も小さいが奥には徐庶像がある。入場料3元なら徐庶像があるだけで十分満足だ。
宿に戻るが・・・
水鏡荘、徐庶故里と南漳での目的は達成した。バスターミナルに戻り襄陽行きバスに乗車する。13:40頃、客が集まり出発する。14:25頃、襄城汽車客運站に到着。14路のバスで駅前に戻り宿に戻るが、何と部屋では雨漏りが発生しベットが水浸しになっていた。昨夜は天井裏を鼠が走っていたが、昼間は雨漏りか・・・。まだ、ベットがもう1つあるから何とかなる。この天気で宿を変えるのも面倒だし、頑張って、あと2泊乗り切ろう。武漢へ行けばユースホステルが待っている!
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 10元 | |
宿泊費 | 20元 | |
バス | 2元 | 路線バス |
バス | 22元 | 襄樊⇔南漳 |
水鏡荘 | 30元 | |
徐庶故里 | 3元 | |
合計 | 87元 |
漢口行きの切符を買って、襄陽城を見物
07:30頃に起床する。いつもより遅めに起きたが天気は曇りで雨は降っていないが寒い。08:30頃、襄樊駅で明日の漢口行きの切符を購入する。襄樊駅 は比較的大きな駅なのだが售票厅は空いており奇跡的に待ち時間無しで切符が買えた。次は襄陽城を見物するためバス停へ行こうとするが、售票厅の出入口付近で公安3人と床に座り込んで泣き出しそうな農民工1人を発見する。
農民工が何か事件を起こして逮捕されるのかと思い様子を伺うと、公安3人の口調が妙に落 ち着いて優しい。どうも農民工は逮捕される雰囲気ではない。むしろ保護されているようだ。農民工は半泣きで話をしているので何を言っているか分からなかったが、場所が駅だから切符でも失くしたのだろうか?
ここで撮影をしたいところだが、售票厅は人が少なく公安に見つかると面倒なことになりそうなので断念する。09:00頃、バス停へ行き1路のバスで東門口で下車し襄陽城の城壁へ登り歩いてみる。
仲宣楼は 劉表、曹操に仕えた王粲を記念して立てられた楼だ。10:00頃、襄陽城の中心にある鼓楼に到着し、北門へと歩く。
この辺は古い町並みが再現されているが、所々で裏にある普通のビルが見えたりして中途半端な街並みの再現だった。襄陽城も三国志の舞台になってはいるが、現在残っている城壁は明代のもので街並みも明代の街を再現しているのだろうか?
10:20頃、1路のバスで襄樊駅へ戻り512路のバスに乗換えて古隆中へ向かう。
古隆中
古隆中は「三顧の礼」の舞台で諸葛孔明が隠棲していた場所だ。バス停から奥の道を歩いていくと10分ほどで入口に到着。
入場料は60元で高い!完全に観光客の足元を見ている。不満ではあるが「三顧の礼」の舞台では引き下がる事はできない。仕方なく入場料60元を支払 う。
内部は草庵、三顧堂、武侯祠、畑などがあり、草庵は漢代の建築で再現されており孔明が晴耕雨読していた雰囲気が味わえるように観光整備されている。一部全く関係ない施設もあるが・・・。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 11元 | |
鉄道 | 40元 | 硬座 襄樊→漢口 |
バス | 4元 | 路線バス |
古隆中 | 60元 | |
合計 | 115元 |