7411次で大足→重慶
06:00頃に起床する。今日は大足→重慶へ鉄道で移動するので11:00前に宿を出ればちょうど間に合うだろう。10:00ぐらいまでインターネットで情報収集をした後に11:00頃、宿を出る。重慶大足汽車站で郵亭行きのバスに乗ろうとしたがちょうどこの時間帯はバスが無いといわれる。でも、その辺の通りを郵亭行きのバスが走っているのでヒッチハイク形式で郵亭行きのバスの乗車する。
地元民で大混雑のバスで郵亭に向かうが途中で公安のパトカーを見つけると立っている乗客たちが一斉にしゃがんで身を隠す。どうやら、定員オーバーで検挙される可能性があるようだ。席に座っている自分からすると一斉にしゃがんで身を隠す行動にかなり笑えた。
12:15頃、郵亭に到着する。大足駅前の通りで下車して駅まで3分ほど歩く。切符売場で切符を買おうとしたが窓口は閉まっている。窓口には昼から切符を販売するという内容の紙が張られていたので窓口のガラスを叩くが反応なし。どうやら乗車してから清算するようだ。
12:30頃、列車が到着して乗客が一斉にホームへ移動するが到着時刻が早すぎる。列車を良く見ると大足には停車しない昆明→重慶の2650次が対向列車の通過待ちで停車しているだけだった。このままホームで7411次を待っていたが中国人は待っているでは終わらなかった。駅員が連絡事項でもあるのか2650次に乗込んで乗務員話をしていたが乗込む際に開いたドアから7411次の乗客が2650次に乗車している。
本来は乗車できないので乗務員が追い払 おうとするが強引に乗車していた。逆に窓から下車している乗客もいた。明らかに乗客たちは2650次が大足に停車することを知っているようだ。これらの行動に驚くのと民度がやはり低いと再認識した。
12:50頃、7411次が大足に到着する。乗車して車内精算をしていると一昨日乗車した7411次で知り合った乗務員と再会する。今日の7411次は一昨日と同じ乗務員のようだ。面識のある乗務員が他の乗務員にわざわざ「彼は日本人だよ。大足石刻を見に行ってきたんだよ。」と教えるので予想通り乗車率の低い車両では乗務員たちが暇つぶしに話しかけてくる。
そして、今回は「日本円は持っていないのか?」と聞いてくるので10円硬貨を見せてあげる。更に乗務員たちが「日本円を人民元と交換しよう」とか言ってくるので、さすがに「紙幣は持っていない。全部人民元に両替してある」と答えて断る。銀行以外での両替は胡散臭いし人民元は十分持っている。
それに彼らは円相場が乱高下する可能性を知らないのだろうか?でも、記念なのか投資なのかは知らないが乗務員まで外貨を欲しがるとは・・・。それに今日の乗務員は何故か日本語で「よーし!」と連呼する。いつもなら中国人は 「飯」を日本語で「ミシ、ミシ」と間違った発音で言うのだが、今日は質問して答えを聞くと「よーし!」を使っている。これも抗日ドラマで覚えた日本語なのだろう。
車内に乗客がほとんどいない7411次だったが永川で状況が一変した。永川で乗車率は7割以上に急上昇し、その後の停車駅でも乗客が増えてくる。重慶に近づくにつれ混雑してきた。18:28に重慶駅到着。
重慶純真年代国際青年旅舎に宿泊
重慶では10/1~10/7の国慶節の民族大移動をやり過ごすために10/7ぐらいまで滞在しようと思うのだが、まずは滞在拠点を決めなければならない。 幸い重慶にも国際青年旅舎が2件開業したのでそのうちの1件、重慶純真年代国際青年旅舎を拠点にすることにする。重慶駅から808路のバスで終点の磁器口まで移動するが道路工事の渋滞で20:00頃、磁器口に到着する。
磁器口は昔の港で現在は当時の雰囲気を再現した観光地になっている。磁器口の牌坊をくぐり再現された古い街並みの中を進み階段を下り埠頭のすぐ近くまで歩くと重慶純真年代国際青年旅舎を発見する。1泊20元のドミトリーに宿泊することにして、まずは食事に出かけるが観光地の真っ只中ということでどこも高い店ばかりだ。
少し離れた所に食堂があったのでそこで今日初めての食事を食べることにする。食事を終えて21:00過ぎに重慶純真年代国際青年旅舎へ戻り、6日ぶりに体と服を洗う。部屋に戻るとエアコンが稼動しており同じ部屋の中国人たちは重慶の蒸し暑さには耐えられないようだ。
エアコンが稼動して涼しいのだが外の声がはっきり聞こえるのでカーテンを開けると窓が開けっ放しになっている。窓を閉めると静かになったのだが、こういう浪費をする中国人は地球温暖化や資源の効率的利用を考えたことは無いのだろうか?
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 9元 | |
宿泊費 | 20元 | |
鉄道 | 15元 | 無座 大足→重慶 |
バス | 3元 | 路線バス |
バス | 6元 | 大足→郵亭 |
合計 | 53元 |
磁器口を散歩
07:40頃に起床するが重慶は朝から蒸し暑い。今日は今まで滞っていたHP作成に取り掛かる。途中で食事を兼ねて磁器口を散歩する。
磁器口は古鎮として紹介されているようだが実際は観光用に古い街並みが再現されているだけだが成都の洛帯よりは遥かに雰囲気は良い。
多くの土産物屋や飲食店が立ち並んでいるが観光客も多く賑わっている。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 7.5元 | |
宿泊費 | 235元 | 9/28-9/30 20元×3 10/1-10/7 25元×7 |
合計 | 242.5元 |
重慶駅で切符を購入
11:00過ぎ、国慶節の後に備えて重慶駅で切符を購入しようとするがやはり混雑していた。まずは窓口に並ぶ前に臨時列車などの公告を確認しようするが公告が見当たらない。いつもなら切符売場の片隅にあったりするのだが重慶駅では見つけられなかった。
でも、電光掲示板に臨時列車の運行情報が出ておりL208次が国慶節の期間中は隔日で重慶⇔西安を運行することを知る。ちゃんと出発予定の10/8にも運行されるので、まずはL208次を第一候補とする。駄目な場合は1726次で崋山の手前の渭南まで行き西安行きの列車に乗換える計画だ。窓口は混雑していたが珍しく早く順番が回ってきた。
係員に L208次の切符を頼むと重慶訛りなのかでよく聞き取れなかったが「停運」が聞き取れ運行停止というのを理解する。確かに端末で確認してもらっても表示されなかった。電光掲示板には運行情報が出ていたのだが予想外にも運行停止だった。やはり人民鉄路は日本の旧国鉄以下なのだろうか?仕方ないので10/8の1726次、渭南までの硬臥の切符を購入する。切符を購入したので10/8までは重慶で観光をしながら過ごす事になる。
重慶朝天門汽車站、重慶港
昼頃、重慶駅から120路のバスで朝天門へ向かう。朝天門には重慶朝天門汽車站と重慶港がある。
重慶朝天門汽車站は長距離バスターミナルで特に今回はそれほど重要視していないが、重慶港は重要である。
朝天門は長江と嘉陵江の合流地点です。左が嘉陵江、右が長江上流、正面が長江下流です。合流地点なので境目では川の水の色が分かれています。
重慶港からは三峡下りのフェリーが出港する港であり、観光用の航路もあれば旅客用の航路もある。船で長江を下ってみたいので、この重慶港からの船の運行状 況を調べる。朝天門に到着してまずは重慶朝天門汽車站を調べるが予想通り成都、宜賓、豊都、宜昌など各方面のバスが発着していた。
重慶朝天門汽車站から徒歩で5~10分ほど離れたところに重慶港があり、船の運行状況を確認する。三峡下りの船は観光用と旅客用があったが宜昌まで旅客用の4等上段で249元と鉄道よりかなり高い。
桂園
重慶港から重慶朝天門汽車站に戻り602路のバスに乗車して上清寺で下車する。5分ほど歩いて13:15過ぎ、桂園に到着する。
桂園は国民政府軍事委員会政治部部長であった張治中の公館であり、敷地内に桂花樹があった為に桂園と呼ばれるようになった。
会客室。中国共産党の代表団と各界に有識者たちが会談した場所。1945年10月10日に国民政府と中国共産党との間で「双十協定」の署名が行われた場所でもある。
1945年8-10月に毛沢東、周恩来らが桂園に滞在し国民政府と交渉した重慶談判の場所でもある。建物自体は綺麗に整備され毛沢東、周恩来が滞在した部屋は当時の様子が再現されている。
入場料も2元と格安で貧乏人から金持ちまで見物できるようになっており共産党関連の観光地にふさわしい料金設定だ。でも、観光客は少なめで中にまで入って見物する観光客がおらず貸切状態で見物する。
曽家岩50号
桂園から更に徒歩5分ほどの所にある曽家岩50号に13:40頃到着する。曽家岩50号は正式名称を「八路軍重慶弁事処旧址-曽家岩50号-」と呼び日中 戦争時に八路軍重慶弁事処が置かれ周恩来が執務を執っていたために周公館と呼ばれるようになった場所である。
入口には周恩来の銅像があり、いかにも革命遺址の雰囲気がある。ここも入場料は2元と格安である。保存状態もよく周恩来、董必武の執務室も再現され保存されている。
過庁。曽家岩50号(周公館)の秘書官や副官が寝泊りした場所。
紅岩村革命紀念館
14:00頃、曽家岩50号を離れ紅岩村革命紀念館へ向かうために上清寺のバス停で紅岩村行き143路のバスを待つが来る気配が全く無い。143路のバス を諦め別ルートで行けないか他のバス停を探し彷徨うと1500前、重慶中国三峡博物館と人民大礼堂の前に来てしまった。
重慶中国三峡博物館は有名な観光地のようで白人が記念写真を撮っていた。人民大礼堂の近くのバス停から紅岩村行きのバスがあったので乗車する。
15:30頃、紅岩村に到着する。紅岩村は日中戦争時に中国共産党中央南方局と八路軍重慶弁事処が置かれ毛沢東も滞在した場所である。
紅岩革命紀念館
重慶の革命遺址の中心的な場所であり広い敷地に当時の建物が紀念館として保存されている。
陳麻花
16:30頃、紅岩村を離れ808路のバスで磁器口へ戻る。17:00頃、磁器口に戻ってきが昨日、見つけた行列の出来ている麻花(小麦粉を練ってねじって油で揚げたお菓子)の店を通りかかるが相変わらず行列が出来ている。
雰囲気から午前中から行列は途切れていない様子だ。この店の名は陳麻花と呼ぶのだ が、隣や周辺にも同じ名前の陳麻花があり紛らわしいのだがこの店は陳建平の陳麻花だ。
日本で同じ名称の店が隣接していたら裁判沙汰になりそうだが中国ではそういうことはお構いなしのようだ。
ちなみに隣は同姓の陳さんが経営する古鎮陳麻花なので知らなければ間違える可能性ありだ。行列が出来ている人気店なので陳建平の陳麻花に並ぶ。30分ほどして麻花を一斤(500g)7元で購入する。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 13.1元 | |
鉄道 | 113元 | 硬臥 重慶→渭南 |
バス | 10元 | 路線バス |
桂園 | 2元 | |
曽家岩50号 | 2元 | |
紅岩村 | 15元 | |
合計 | 155.1元 |
沙坪壩駅とカルフールへ行く
13:00過ぎにバスで15分ほどの沙坪壩へ向かう。ここには沙坪壩駅とカルフールがあるのだが沙坪壩駅はかなり傷んでいる駅なのだが駅の外はフランス系スーパーマーケットのカルフールがあったりと商業地として発展している。
しかし、沙坪壩駅の上には陸橋が架かっており撮り鉄には使える場所の可能性もある。
カルフールでは久しぶりにビールを買ってみた。もちろん、地ビールは外せないので山城啤酒を購入する。山城啤酒と言っても京都の山城ではない。重慶には山城という別名があるので山城啤酒なのだ。
ついでにカルフールのプライベートブランドの醇和啤酒も買ってみた。
ドミトリーにベットが増やされていた
夕飯を食べて部屋に戻るとベットが1つ増えていた。どうやら、6人ドミから7人ドミに変更になったようだ。明日から国慶節の民族大移動の期間に突入するの でどこの宿も繁盛するからこういったことは当然だろう。夜は2階の上網区でいつもHP作成をしているのだが今日は宿泊客のおっさんに服務員と間違われて 「部屋のシャワーが冷たい」などと文句を言われる。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 13.2元 | |
バス | 2.5元 | 路線バス |
合計 | 15.7元 |