河南省商丘 商丘古城

河南省旅行記2015秋

開封→商丘

11:40頃、ユースホステルをチェックアウトする。3泊したけど10人ドミトリーを1人で占領してしまった。供水総公司のバス停から4路のバスに乗車。開封駅まで1元だ。

12:15頃、開封駅に到着。入口で切符と身分証の確認あるが駅員はパスポートの中身確認せず。外人相手にするのは面倒なのか見なかった事になっているようだ。続いて手荷物のX線検査を済ませて待合室へ。

今日は13:53発、洛陽→商丘の4714次で商丘へ移動する。席は硬座、運賃は18.5元、約2時間の乗り鉄だ。午前中にも商丘への列車があるのだが、特快や快速でなく数字4桁の普快は外せないだろう。しかも、洛陽→商丘という微妙な運行区間では地元民しか乗車しないだろうから尚更乗車しておかなくては!

1時間半ほど待機になるが隣のガキは又割れズボンでチンコとケツ丸出し。ウンコや放尿イベントの可能性があるので要警戒だ。

13:12頃、イベント発生。ガキが目の前で放尿しやがった!五千年の歴史を誇る中国のイメージが崩壊していく。孔子や孟子たちが築いた中国は何時からこんな国になってしまったのだ。

これでは欧米人たちがサル扱いするわけだ。まあ、日本もタバコのマナーが悪いからサル扱いされるけど、さすがに駅でガキの放尿はないわな。週末に酔っぱらいがゲロ吐くのはあるけど。

13:45頃、改札が始まりホームへ移動。列車が入線してきて乗車バトルに突入だ!

乗車バトルに参戦する気はないので行先票を撮影しておく。行先票を見るとウルムチ南と表示されている。どうやらウルムチ南が本来の運行路線で洛陽-商丘は時間調整の運行という感じかな。

で、乗降口は相変わらずのカオス状態。一列に並べよ!乗車すると通路に無座の乗客が溢れ、荷物棚には肥料袋で農民工列車であった。カオス度の高い車内で自分の座席へ行くにも一苦労だ。幸い荷物棚は空いており荷物置き場は確保。13:53に定刻通りに列車が発車する。

商丘

15:45頃、終点の商丘駅に到着。商丘駅は東西南北から隴海線京九線が交差する交通の要衝なのだが高速鉄道の鄭徐旅客専用線が建設中で駅舎が大改造中だ。

現在の駅舎はかなり傷んでいるので高速鉄道開業となれば新駅舎が出来るだろうから便利になるだろう。

駅前で路線バスの確認をしておく。16:00頃、駅の南西にあるeLongで予約しておいた宿へ向かう。

商丘凱旋大酒店

16:20頃、バスターミナルの商丘汽車総站の斜め向かいの商丘凱旋大酒店に到着する。レセプションで予約確認書を見せて、まずは登記するがレセプションのお姉ちゃんとおばちゃんは外国のパスポート見たこと無いようで3カ所に電話して確認している。派出所に登記しに行く必要があるからパスポートのコピー取るため一時預かりという事になる。まあ、Qunar.comでは外人OKになっていたし。

部屋は1泊106元の標準間に2泊する。正直言って高いし、部屋広くて設備過剰だ。

駅前で農民工用の招待所とかで節約というのも手ではあるが最近は公安が厳しいので突撃するのも面倒だ。

部屋の設備はテレビ、電気ケトル、電話、トイレ・シャワーだ。部屋は無駄に広く半分以下の広さでもまだ広い。

16:45頃、おばちゃんが部屋までパスポート返却しに来てくれた。登記は無事完了である。

番茄鶏蛋蓋麺

夕飯はイスラム食堂で番茄鶏蛋蓋麺(10元/約200円)を食べる。麺の上にトマトと卵焼きが乗っている。トマトが多めだ。

ウォルマート

商丘にもウォルマートがあり立ち寄ってみるが客が少ない。どうも儲かっているようには見えない。

で、売上貢献のためにウォルマートのPB品のビールを購入。ライチビール330ml(1.5元/約30円)だがライチ果汁は入っていない。

桃ビール330ml(1.5元/約30円)

パイナップルビール330ml(1.5元/約30円)

これもパイナップルビール330ml(1.5元/約30円)だが、こちらは2007年に旅した時に既に見かけたデザイン。いづれのビールもアルコール度数が0.6-2.5%で低い。ちなみにペプシコーラ330ml缶は1.9元で売られていた。コーラよりビールが安い。

魚香茄子蓋麺

食べ足りないので魚香茄子蓋麺(12元/約240円)を食べる。魚香茄子のナスが美味い!

本日の出費
項目 金額 備考
食費 28元
宿泊費 212元 1泊106元×2(eLong)
バス 1元 路線バス
合計 241元

商丘汽車総站

07:30頃、餐庁で朝食を食べる。珍しく朝食付きだったので有り難い

08:20頃、ホテルの斜め向かいの商丘汽車総站を訪れる。バスの時刻表を確認しておく。駅前の中心汽車站と汽車総站の時刻表があり、毫州行きのバスが出ているの中心汽車站になる。汽車総站は長距離もあるが近距離がメインのようだ。

こちらは汽車総站の時刻表。

こちらは駅前の中心汽車站の時刻表。

商丘古城

08:30頃、ウォルマート前から1路のバスに乗車して商丘古城の北門へ向かう。運賃1元、08:55頃、終点の北門口で下車する。

商丘古城は帰徳府城とも呼ばれ明の正徳6年(1511)に建設が始まり、城郭、城河、内城が保存され500年の歴史を持つ。現在ある南城壁は唐代の北城壁になり千年以上の歴史を持つ。

古城を通り南門を通り抜けて、09:30頃、南湖にある游客服務中心に到着。ここで古城内や周辺観光地のセット券を購入するのだが陝西旅游年票を使い100元の通票(セット券)を無料で受け取る。

八関斎

09:40頃、八関斎に到着。入口に誰もおらず勝手に見物。

この石碑が八関斎で正式名称は宋州八関斋会報德記。唐代の石碑のようだ。

応天書院

10:00頃、応天書院に到着。入場料は20元。
応天書院は嵩陽書院、岳麓書院、白鹿洞書院と共に中国四大書院に数えられる。北宋の大中祥符2年(1009)に真宗皇帝より応天府書院の院額を賜り応天書院と呼ばれるようになる。
慶暦3年(1043)に応天書院は国子監に昇格する。四大書院の中で国子監に昇格したのは応天書院のみなので四大書院の筆頭と称されるようになる。

で、実際見物してみたが正直期待はずれであった。現在の応天書院は新しく再建されたもので古い建築物は一切残っていない。

本殿の崇聖殿は孔子とその弟子たちの像が安置されており孔子廟といった感じだ。他には講堂があるが閉まっており見物できるのは崇聖殿のみだ。これで中国四大書院の筆頭で入場料20元というのは・・・。10:40頃、応天書院を離れる。古城の南西にある商祖祠へ向かう。

商祖祠

11:25頃、商祖祠に到着。入場料は45元。華商始祖である王亥を記念して建てられた。王亥は夏朝諸侯国のひとつである商国第七代諸侯王であり、商(殷)王朝の祖先である。

王亥を祀っているが建物は新しく観光用に建設された物ばかりである。

閼伯台

商祖祠の奥には閼伯台があり、四千年以上前の天文台跡になる。閼伯台は火神台、火星台とも呼ばれ閼伯が祀られている。

燧皇陵

12:30頃、燧皇陵に到着。入場料は15元。

燧皇陵は木から火を起こした「火祖」燧人氏の陵墓である。12:50頃、燧皇陵を離れる。古城へ戻るが途中で雨が降り始める。天気予報だと夜から雨になっていたのだが・・・。

張巡祠

13:40頃、張巡祠に到着。入場料は10元。

張巡は唐代の武将で安禄山の乱で活躍した人物である。睢陽城(商丘)を守っていたが睢陽は陥落する。商丘古城の南に張巡を祀る祠と墓がある。14:05頃、張巡祠を離れる。

14:15頃、南城門に到着。入場料は10元。

城門に登ってみるが観光用の大砲が置いてあるだけであった。14:25頃、南城門を離れる。

14:35頃、壮海堂と侯恂故居に到着。入場料は20元。

特に見るものはなかった。14:50頃、侯氏故居を離れる。

15:20頃、北城門に戻ってきた。入場料は10元。城門に登って周囲を眺めるだけで他には何もない。

街並み見て終わりである。他にもいくつか観光地が残っているが期待できないので商丘古城の見物は終了。15:40頃、1路のバスに乗車して終点の商丘駅へ移動。運賃はエアコン付きなので2元。

商丘汽車中心站

16:10頃、商丘駅に到着。駅前の商丘汽車中心站で長距離バスの確認をする。

時刻表あったので撮影しておく。

デニス

16:50頃、ホテルから10分ほどの所にあるデニスにやってきた。自分の知る限りでは河南省で品揃え、値段が一番のスーパーマーケットだ。

インスタントラーメンと饅頭を購入しておく。

刀削麺

夕飯はイスラム食堂で刀削麺を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18.3元
バス 3元 路線バス
合計 21.3元

河南省開封 開封府・延慶観・包公祠・劉少奇在開封陳列館

河南省旅行記2015秋

少林寺を離れる

05:30頃、今日も武僧たちの修行の掛け声で目が覚める。今日は少林寺を離れ開封へ移動する。出発の準備を整えるが宿泊している3人ドミトリーはチェックアウトまで1人で占領となった。やはり少林寺は閑散期は狙い目だな。08:40頃、功夫客桟をチェックアウトする。

坂を下り08:50頃、少林寺山門に到着。金持ち中国人観光客たちが記念撮影中だ。

武術館の近くでは朝の修練中だ。

登封→鄭州

09:05頃、少林景区を出る。09:10頃、登封行きのバスに乗車してすぐに発車、運賃5元で登封汽車客運総站へ向かう。汽車西站までなら3.5元だ。09:30頃、汽車西站に到着、ほとんどの乗客が鄭州行きなので下車していく。続いて登封汽車客運総站へ向かう。

09:50頃、登封汽車客運総站に到着、開封行きのチケットを購入しようとするが次のバスが12:30という事で、まず鄭州駅前の鄭州旅游汽車站へ行き開封行きのバスに乗り換えることにする。鄭州までの運賃は27元。これなら汽車西站で降りて鄭州行きのバスに乗車すればよかったな。

バスに乗車して発車を待つ。10:00頃、バスが発車して鄭州へ向かう。

11:45頃、鄭州駅前の鄭州旅游汽車站に到着する。

駅前広場は相変わらず人多いが乞食のおっちゃんたちもお椀を持って営業中だ。まあ乞食といっても職業乞食で夜になれば家に帰って酒盛りなのだろう。中国はまじめに働くより乞食の方が儲かる社会なので外見でだまされてはいけない。

鄭州→開封

鄭州駅で開封行きの列車を調べたら、12:30にあるのでバスでなく鉄道で行くことにする。やはり鉄っちゃんは鉄道での移動になるのだな。

切符売場へ行くと混雑しているが窓口多く開いているので5分ほど列に並ぶだけで切符購入完了。そのまま切符と身分証の確認、手荷物検査を済ませて待合室へ。今回乗車するのは鄭州→温州のK1240次だ。運賃12.5元、座席は硬座、開封まで45分の乗り鉄になる。

既に改札口が開いておりホームへ移動。

ホームには列車が停車しておりちょっと急ぐ。

いつもの行先票を撮影。12:10頃、列車に乗車して発車を待つ。列車内は無座の乗客が多くカオス度が高い。荷物置き場の確保は難しいかと覚悟していたが運良く近くの乗務員の助けで荷物棚が空いて置き場所を確保。12:30に定刻通り発車する。

13:15に定刻通り開封に到着。

13:30頃、駅前から4路のバスに乗車し予約しているユースホステルへ向かう。運賃1元、供水総公司(供水总公司)で下車。来た道を50mほど戻ると路地にユースホステルの看板が見える。

開封輝煌国際青年旅舍

14:00頃、開封輝煌国際青年旅舍(开封辉煌国际青年旅舍/Kaifeng Huihuang Youth Hostel)に到着する。レセプションでお姉ちゃんに予約確認書を見せて登記を済ますが、予約しておいた一番安いトイレ・シャワー共同の8人ドミトリー(1泊45元/会員料金)だがシャワーのお湯が出ないということでトイレ・シャワー有りの8人ドミトリー(1泊50元/会員料金)へ変更。

8人ドミトリーの部屋はこんな感じで結構広い。窓もちゃんとあるし、これで50元なら文句はないな。Wi-Fiもちゃんとつながるので問題なし。

トイレ・シャワーは細かい所にツッコミどころがあるがこの水準なら許容範囲内だ。熱いお湯もちゃんと出る。

牛筋麺

昼食というか3時のおやつになってしまうが牛筋麺(5元/約100円)を食べる。で、お碗にはビニール袋が被せてある奴で農民工用の食堂だったようだ。

蘑菇炒肉蓋飯

夕飯はイスラム食堂で蘑菇炒肉蓋飯(10元/約200円)を食べる。ご飯にキノコ、ピーマンと牛肉の炒め物が乗っている。キノコが美味い!

近くのコンビニで雪花の錦綉中原ビール560ml(2.5元/約50円)を購入して、饅頭屋で饅頭4個(2元/約40円)を購入。これが今日の夜食だ。

錦綉中原ビール

雪花の錦綉中原ビールは鄭州と商丘が生産地になっているので名前の通り河南省周辺で流通しているビールだろう。中国最大手の雪花でもこれは地ビールに該当するだろう。値段が2.5元だったがコカ・コーラ500mlが2.8元だったので、これはどう考えてもビールを買えということだな。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 19.5元
宿泊費 96元 1泊50元(会員料金)×3:予約時54元支払い済み
バス 5元 少林寺→登封
バス 27元 登封→鄭州
バス 1元 路線バス
鉄道 12.5元 硬座 鄭州→開封
合計 161元

開封府の包青天ショー

今日の天気は曇り、大気汚染もひどく遠くが霞んでいる。そして、電動バイクに乗った地元民の中にはマスクをした姿も見られる。08:35頃、4路のバスに乗車、運賃1元、泰山廟で下車して徒歩で開封府へ。

08:55頃、開封府に到着。2007年に見物したことがあるが再び来てみた。ここは北宋の開封府を再現したテーマパークで入場料は60元。

毎朝9時から入口でイベントがあるので見物だ。既に金持ち中国人が集結しています。

09:00になるとイベントが始まる。イベントは包青天の鍘美案という話です。

包大人がお出ましだ。

皇帝からの詔を受けます。

ここの包大人は顔が黒くないけど、ちゃんと額には三日月の傷があります。

ここでお約束の直訴です。訴えたいのは公主の夫である駙馬ということで難事件の気配が・・・。

開封府へ戻り裁判が始まります。

続きは開封府で!09:30開廷だから入場券買って見に来てね!ということで、金持ち中国人たちは隊列の後を追って入場していきます。天気が良くて青空なら中を見物してもよいのだが今回は朝のイベントだけ。まあ、開封に来たら一度は見物しておきたい場所だ。09:20頃、開封府を離れ300m北の延慶観へ向かう。

延慶観

09:30頃、延慶観に到着。入場料30元だがQunar.comにて28元で購入済み。入場券を受け取り見物する。

延慶観は全真教の創始者である王重陽を記念して建立された道教寺院であり、「中原第一道観」とも称される。創建は金代になり、当時は重陽観、元代に朝元宮、明代に延慶観と改名し現在に至る。

金の大定9年(1169)に王重陽は弟子である全真七子の馬鈺、譚処端、劉処玄、丘処機の4人を連れ陝西へ戻る途中で汴京(開封)に立ち寄り、太寧坊王家飯店(現在の延慶観一帯)に滞在し布教したが、ほどなくしてこの地で王重陽は世を去る。弟子たちは王重陽を陝西省戸県に埋葬するが、太寧坊王家飯店に王重陽を記念して重陽観を建立する。

王重陽や丘処機たちがこの一帯に滞在していたので武侠小説ファンにとっては延慶観は重要な場所ともいえるだろう。この古木は全真七子合和桐と呼ばれている。10:30頃、延慶観を離れ包公祠へ向かう。

包公祠

10:45頃、包公祠に到着する。入場料は30元。

土曜日なので観光客がやたらと多い。やはりドラマで不動の人気を誇るので包公祠も人気だ。

包公祠は包公湖西畔に位置しており、北宋の名判官である包青天とも呼ばれる包拯を祀っている。開封府と並ぶ定番観光地である。

まあ、現代中国は汚職がひどいので清廉潔白の包拯の人気は尚更高いのだろう。

こちらが包拯、包大人の像です。

蝋人形の展示もあったりする。11:30頃、包公祠を離れる。

開封博物館

11:35頃、開封博物館に到着。パスポートを提示して入場券をもらい見物する。

展示物は少ないが宋代の展示に力を入れている。

土曜日という事もあり見学者は多い。昼頃、開封博物館を離れる。

山陝甘会館

13:00頃、山陝甘会館に到着。入場料30元だがQunar.comにて25元で購入済みなので入場券売場で発券する。

山陝甘会館は清の乾隆41年(1776)に山西、陝西、甘粛三省の商人たちが資金を出し建設され200年以上の歴史を持つ。

商人たちの会館であるが中身は関帝廟となっている。

関羽が商売の神様にもなっているので、まあ不思議はないな。13:30頃、山陝甘会館を出る。

劉少奇在開封陳列館

13:40頃、劉少奇在開封陳列館に到着。入場料無料でパスポートを提示して見物する。

国家主席であった劉少奇が文化大革命で失脚し開封で死去した場所が陳列館として公開されている。正直言って共産党にとってはあまり来て欲しくない場所だろう。無実の罪で国家主席だった人物を殺してしまったのだから。共産党の黒歴史とも言える場所だ。しかし、訪れる者は意外にも多い。

ここが劉少奇が無くなった部屋。1969年11月12日、午前6時45分に劉少奇はこの場所で無実の罪を着せられたまま世を去る。

花が添えられたりして英雄扱いしているけど、大躍進運動で疲弊した経済を立て直そうとして走資派とか突き上げられて非業の死を遂げた劉少奇は草葉の陰でどう思っているのだろうか。打倒劉少奇とかやっていて後からにヨイショされてもね・・・。14:10頃、劉少奇在開封陳列館を出る。

魚香肉絲蓋麺

昼食はイスラム食堂で魚香肉絲蓋麺(10元/約200円)を食べる。イーシャンロースを麺に乗せています。イーシャンロース・スパゲッティってところかな?

アサヒビール激安1元

開封には丹尼斯はないのだが大潤発がある。大潤発も台湾系のスーパーマーケットだ。

アサヒビール320ml(1元/約20円)とビール320ml(1.5元/約30円)を購入。アサヒビールが1元ってどういうこと?コカ・コーラより激安だ。日本ではあり得ない価格設定だ!

新彊拌麺

夕飯はイスラム食堂で新彊拌麺(12元/約240円)を食べる。金属トレーに乗って出てきたのだが、皿で出したほうが見た目がいいと思うのだが?具材は牛肉、キクラゲ、玉葱、ニンニクの芽、ピーマン、トマトの炒めものだ。器のせいで見た目が悪いが量は多くて美味い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 24.5元
バス 2元 路線バス
延慶観 28元
包公祠 30元
山陝甘会館 25元
合計 109.5元

繁塔

08:45頃、4路のバスに乗車して、運賃1元で開封駅へ移動。今日は開封の南東にある繁塔へ向かう。09:25頃、開封駅で12路のバスに乗り換え、運賃1元で禹王台西門へ。

09:30頃、禹王台西門で下車して地下道を通り線路を越えて09:35頃、繁塔に到着。入場料は30元だがQunar.comにて25元で購入済み。入場券売場で発券して見物する。

繁塔は北宋の開宝7年(974)に創建され、元の名称は興慈塔であり、北宋の四大皇家寺院の天清寺内に建立され、故に天清寺塔とも呼ばれ、更に繁台の上に建てられていたので繁塔とも呼ばれた。繁塔は開封地区最古の建築物であり1100年以上の歴史を持ち、北宋早期の典型的な六辺形仏塔であり、高さ36.68m、塔内部と外壁に7000近くの仏像が彫られたレンガが使用されている。

天清寺は明末期に李自成の農民反乱軍に破壊され、清の康熙年間に再建されるが道光21年(1841)の黄河決壊により被害を受け繁塔のみが残り現在に至る。

10:30頃、バス停へ戻り開封駅へ移動。11:45頃、駅斜め向かいの開封汽車站をバス情報を調査。

まずはバス時刻表を確認、自動券売機でもバスを確認するが開封汽車中心站と表示されている。

11:00頃、開封駅で明日の商丘行きの切符を受け取る。ちょうど空いていた窓口があったので待ち時間なしであった。

土下座型乞食(病人付き)

11:10頃、観光1号線のバスに乗車、運賃1元、相国寺で下車する。途中の交差点で職業乞食二人組を見かける。一人はひたすら土下座、一人は交差点で病人という設定で寝込んでいる。中国ではよくあるパターンだ。

「家族が病気なので助けてください」という設定のようだ。殆どの通行人は無視しているが、たまに1元とか恵んでいたりする。相国寺の近くでやっているから悪く言えば慈悲の心に付け込むということだろう。良く言えば功徳を積ませてあげるということかな?

相国寺

11:30頃、相国寺に到着。入場料は40元。

相国寺の創建は北斉の天保6年(555)、元の名称は建国寺になり、1400年以上の歴史を持つ千年古刹になる。元々は戦国四公子の信陵君の邸宅跡地である。

712年、唐の睿宗が皇位に就いた記念に建国寺から大相国寺に改名する。北宋時期には皇帝の庇護を受け数千人の僧侶が修行する大寺院になり中国での仏教の中心地となる。

日曜日という事もあり観光客が多い。観光客が多いと自然とおサルさんが紛れ込んでくる。境内ではおサルさんが所構わず痰を吐いている。相国寺という中国を代表する寺院の境内でだ!

40元という高額の入場料が払えるのに仏様の前で痰を吐く。仏罰を恐れないおサルさんたちには相国寺の威光も全く無意味だ。中国は何時からこんな風になってしまったのだ?偉大な中国のイメージが崩壊していく。

相国寺は水滸伝の魯智深が修行していた寺であり、境内には魯智深像がある。12:40頃、相国寺を離れる。

昼食はイスラム食堂で青菜拉麺(6元/約120円)を食べる。

今日も台湾系スーパーマーケットの大潤発で夜食にアサヒビール330ml(1元/約20元)と饅頭、南瓜発糕(カボチャ蒸しパン)を買い込む。

夕飯はイスラム食堂で青椒土豆絲蓋麺(8元/約160円)を食べる。麺の上にピーマンとジャガイモ炒め物を乗せた中華風スパゲッティで定番の麺料理だ。結構量が多いので一皿で満腹だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 25.5元
鉄道 18.5元 硬座 開封→商丘
繁塔 25元
相国寺 40元
合計 109元

河南省登封 世界遺産・少林寺 塔林掃墓法会&少林景区宿泊

河南省旅行記2015秋

登封→少林寺

08:25頃、ユースホステルをチェックアウトする。一本南の中岳大道へ徒歩で移動。08:40頃、西バスターミナル前で少林寺行きバスに乗車する。少林寺までは運賃は3.5元、発車まで少し待機だ。

今日の天気は天気予報だと朝から晴れなのだが実際は曇り。中国の天気予報は当たらない。08:50頃、バスが発車するが濃霧で見通しが悪い。これのどこが晴れなんだ?

少林景区

09:10頃、少林景区に到着するが濃霧に包まれ視界が悪い。

入場料はボッタクリ100元で泣く泣く入場券を購入。景区に入り少林寺へ向かう。

途中で武術学校の練習場があり少林拳の修行が行われている。

09:35頃、少林寺の山門に到着。朝なのでまだ観光客は少なく比較的平和だ。

ここから予約しておいた宿の登封少林寺功夫旅館へ向かうのだが少林寺向かいの十方禅院の脇道を上って少林旅游度假村へ向かう。少林旅游度假村には賓館や客桟とかの宿が数軒あり、食堂や商店もある。他にも武術学校もあり少林拳の修行も行われている。

功夫客桟

09:50頃、住所を確認しながらeLongで予約しておいた登封少林寺功夫旅館に到着するが実際の看板は功夫客桟であった。まあ、名称が幾つもあるのは中国ではよくあることのようなので特に驚くことはない。ここは少林景区内にある宿なのでゲートが閉まった後の夜やゲートが開く前の早朝に誰もいない少林寺の山門を見物したり、観光客が来る前に初祖庵や達磨洞へ向かうことが出来るのだ。で、中に入るが誰もいない。どこかへ出かけているようなので老板が戻ってくるまで待つことにする。

10分くらい待っていると老板が帰ってきたので登記を済ます。宿泊費は予約時にネットで決済しており部屋は1泊50元のドミトリーで4泊する。部屋はドミトリーといっても3人部屋で元々は1人部屋だったようでテレビとかがある。しかもテレビは今時珍しいブラウン管だ。共同のトイレ・シャワーは少し古めだが広い。でも、寒いからシャワー使わなさそう。

世界遺産 少林寺

11:00頃、少林寺へ向かうが周辺では武僧が修行をしている。これは雰囲気的に良い。11:15頃、少林寺に到着。

少林寺は北魏の孝文帝の治世である太和19年(495)に建設が始まり、孝文帝がインドより来た高僧の跋陀のために創建された。少室山の麓に生い茂る林の中に建立されたために少林寺と名付けられた。

北魏の孝昌3年(525)に達磨大師が南天竺より来訪し少林寺で9年面壁し禅宗を創り、少林寺は「禅宗祖庭」と呼ばれるようになり、達磨大師は「東土禅宗初祖」と称される。

南北朝の北周の武帝による廃仏で少林寺は被害を受けるが静帝の治世である大象2年(580)に復興し陟岵寺と改名する。

隋の文帝の頃に再び少林寺に名を戻し唐代初期に少林十三棍僧が後の唐太宗である秦王 李世民を助け「天下第一名刹」の名誉を得る。

山門の門額にある「少林寺」の三文字は清の康熙帝による御書である。

冬の閑散期に突入しているので観光客は少なめだが欧米人の団体もおりそれなりに賑わっている。少林寺には2回見物しているが繁忙期は観光客が多く混雑しており寺を見物に来たのか人の波を見に来たのかという状況になる。天気が濃霧であったが昼過ぎになるとようやく日が射すようになってくる。

世界遺産 塔林

14:30頃、少林寺を出て塔林へ向かう。西へ約300m歩き塔林に到着。

塔林は少林寺歴代高僧の墓地である。現存する仏塔は唐、五代、宋、金、元、明、清から現代まで248基あり現存するものでは中国最大規模になる。世界文化遺産にも登録されている。

言い方が悪いのだがこれらは坊さんの墓なんだよな。それを観光客が記念撮影する。自分も撮影しているけど、墓で眠る歴代の高僧たちは自分たちの墓が観光地になっている事をどう思っているのだろうか・・・。

香菇麺と鶏蛋炒米

夕飯は客桟近くの菜館で香菇麺(15元/約300円)と鶏蛋炒米(10元/約200円)を食べる。

観光地価格なのは覚悟していたが結構高い。まあ仕方ないな。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 25元
バス 3.5元 登封→少林寺
少林景区 100元
合計 128.5元

朝の少林寺

05:30頃、武僧たちの掛け声で目が覚める。夜明け前だが既に修行が始まっている。掛け声や「阿弥陀仏」の声が聞こえてくる。

07:15頃、客桟を出て少林寺へ向かう。朝の修練をしていた武僧たちは朝食のようで宿舎へ戻っていた。天気予報だと今日の天気は曇だ。天気は良くないが雨が降らなければ良しとしよう。07:30頃、少林寺山門に到着。

まだ山門は閉じられ掃除のおっちゃんだけで貸切状態で撮影かと思ったら、金持ち中国人の団体が近づいてきた。声がでかいので遠くからでも分かる。朝の静寂に包まれていた少林寺であったがカオス度急上昇である。成金に山門を占拠される前に急いで撮影しておく。ゆっくり撮影するにはもっと早く来ないといけないな。

07:45頃、塔林に到着。ここは掃除のおっちゃんと売店のおばちゃんぐらいで観光客おらず。静寂の中で撮影をして、塔林から更に奥へと進む。

三皇寨景区

08:05頃、三皇寨景区に到着。三皇寨は少室山西麓に位置しており嵩山の一部であり世界ジオパークに認定されている。

09:00頃、少林索道の降り場に到着。天気は濃霧であるが雲海が見える。

09:15頃、三皇桟道を通る。断崖絶壁に作られた桟道だがこれはかなり勇気がいる。

10:00頃、連天吊橋に到着。谷底まで100m以上の深さのようだが眺めは大変よい。

10:30頃、三皇殿に到着。名前の通り三皇が祀られている。

嵩山禅院

10:40頃、嵩山禅院に到着する。

嵩山禅院は修道場で禅の修行が行われている。11:10頃、嵩山禅院を出て来た道を引き返して少林寺へ戻る。

ゴミのポイ捨て

この時間になると観光客が増えてくるがゴミのポイ捨て、痰を吐いたり、歩きタバコをするおサルさんにも遭遇する。まあ、山の中なので山猿が生息していても不思議はないのだが歩きタバコには正直いって閉口する。世界ジオパークの嵩山で山火事なんか起きたら一大事なので三皇寨にも武警を配置して害獣駆除をした方がいいだろう。

12:50頃、少林索道まで戻ってきた。13:50頃、三皇寨景区の入口まで戻ってきた。この頃になると雨が降り始める。今日も天気予報が外れた。これほど天気予報が外れるとはチャイナクオリティはある意味すごい。

14:30頃、少林寺まで戻ってきたが雨は本降りで観光客はほとんどいない。14:45頃、客桟近くの食堂で不味い炒飯(15元/約300円)を食べる。昨日の菜館で麺食べたほうが良かったな。夜はネットで開封での宿を予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
宿泊費 54元 予約:開封輝煌国際青年旅舍
合計 69元

少林寺山門

05:30頃、今日も武僧たちの掛け声で目が覚める。で、もう一度寝るが起きたのが07:00頃だ。これはいかん!急いで準備を整えて少林寺へ向かう。

07:25頃、少林寺に到着するが既に今日も静寂を破る集団が来ている。山門を撮影して早々に退散する。もっと早く来ないと静寂に包まれた少林寺は見られないようだ。成金の金持ち中国人の団体は山門前でポーズを取って記念撮影。朝の静寂とかはどうでもよいらしい。

世界遺産 初祖庵

今日は初祖庵と達磨洞を目指す。登山道を歩いて08:00頃、初祖庵に到着。

初祖庵は少林寺から北西2kmの少室山の五乳峰の麓に位置しており北宋の宣和7年(1125)に達磨大師を記念するために建立された。

初祖庵大殿は初祖殿とも呼ばれ、北宋の宣和7年(1125)に創建される。中原に現存する最古の木造建築になる。

初祖庵には尼さんと掃除のおっちゃんだけで自分が観光客で一番乗りであるが伝内の壁画にはおサルさんたちの落書きがある。中国の宝が・・・。

続いて達磨洞へ向かう。登山道を歩いていくが山の上に見える達磨像が五乳峰の山頂で、あの近辺に達磨洞があるのだろう。ひたすら階段を上っていくが途中に売店があったりして既に営業中だ。

達磨洞

08:25頃、達磨洞に到着。

達磨洞は嵩山少室山の五乳峰中腹にある洞窟で伝説によれば527年から536年まで達磨大師が、この洞窟で9年間の面壁を行った。これによりこの洞窟は「初祖九年默認玄処」「達磨洞」「達磨面壁洞」と呼ばれるようになる。一番乗りで来たのでまだ扉が閉められたままだ。とりあえず先に山頂へ向かう。

嵩山ゴミのポイ捨て

山頂周辺はゴミのポイ捨てがひどい。五岳のひとつである嵩山は中国人にとって重要な場所のはずだが。世界遺産や世界ジオパークでも中国ではゴミのポイ捨ては大したことではないようだ。

それに崇山は少林寺の縄張りだ。ある意味で少林寺の敷地と言ってもいいくらいだ。その嵩山でゴミのポイ捨てとは・・・。

世界に名を轟かせる少林寺の威光も中国人観光客には通じないようだ。少林寺を怖れない中国人観光客がある意味で一番恐ろしい。

達磨像

09:00頃、達磨像に到着するが周囲は濃霧で視界が悪い。

遠くは濃霧に包まれ近くしか見えない。

再び達磨洞

09:25頃、再び達磨洞にやってきた。

今度は扉が開いており内部を見ることができた。でも、撮影禁止でおっちゃんとおばちゃんが念仏唱えて監視中だ。

山を下りるが昨日雨が降ったので滑りやすくなっており降りる方が危険だ。途中で掃除のおっちゃんとすれ違うが登山道には菓子の袋、ちり紙、ペットボトル、空き缶とゴミだらけである。掃除のおっちゃん大変だわ。これが世界遺産の実態ということか。

10:40頃、塔林に到着。今日は特に撮影はせずに素通りだ。このまま二祖庵へ向かうが、二祖庵へは徒歩かロープウェイの嵩陽索道で行くことになる。嵩陽索道は往復で50元、かなり高いので徒歩で向かうが登山道の標識は一切出ていない。まあ、観光客から金を巻き上げるためには登山道の存在はなるべく伏せておきたいのだろう。

昨日、三皇寨へ行くときにそれっぽい山道があったので入っていく。しばらくすると石段が見えてきた。やはりここが二祖庵への登山道だ。登山道は観光客には利用されたくないようで整備はされず放置されている。登山道をひたすら歩いて、11:40頃、嵩陽索道の降り場に到着。

二祖庵

少し休憩して、11:50頃、二祖庵に到着。二祖庵は少林寺の南西にある少室山鉢盂峰の山頂に位置している。北宋後期に二祖慧可を記念して創建された。

二祖庵は工事中で新しい山門や堂が建設中だ。何かイメージとずいぶん違う。

12:15頃、鳳凰台に到着。濃霧で何も見えない。
13:00頃、嵩陽索道まで戻ってきた。ここから再び登山道を下っていく。
14:00頃、塔林まで戻ってきた。ここでしばらく休憩だ。

休憩するがおサルさんたちが塔林の前で頻繁に痰を吐いている。ここは世界遺産なのだが・・・。それ以前に少林寺の高僧たちの墓地だぞ。どうやら中国の金持ちたちにとっては世界遺産の墓地で痰を吐くのが流行であり金持ちのステータスのようだ。おサルさんたちに仏罰は下るのだろうか?いや仏罰より武警を配置して害獣駆除をした方が世界遺産を守れるな。

夕飯は近くの菜館で香菇青菜(15元/約300円)と米飯(3元/約90円)を食べる。炒め物の香菇青菜はいいとして、ご飯3元というのは高い。夜は台北(桃園)→成田の航空券を購入しておくが、帰国は来年2月なのでもう少し中国滞在だ。それと台湾へ移動だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 18元
合計 18元
本日の出費
項目 金額 備考
航空券 2950台湾ドル 台北(桃園)→成田
合計 2950台湾ドル

寒衣節

05:00頃、今日も武僧たちの掛け声で目が覚める。武僧たちは既に修行に励んでいる。そして、遠くで爆竹の音がする。今日は少林寺に来た最大の目的である寒衣節の塔林掃墓法会がある日だ。毎年、旧暦10月1日の寒衣節に塔林で塔林掃墓法会が行われるので、それを見物するのだ。爆竹は塔林掃墓法会に関連する行事か?

07:05頃、少林寺にやってきた。山門の前に爆竹の跡があり掃除のおっちゃんが片づけている。

07:15頃、塔林の方から爆竹の音がする。これはもしかして・・・。急いで塔林へ向かう。

塔林掃墓法会

07:20頃、塔林に到着。やはり塔林掃墓法会の真っ最中であった。早朝に行われるとは予想外であった。

塔林の前に少林寺の僧侶たちが集まっている。

そして、小僧さんたちも集まっています。

この塔林掃墓法会は少林寺の年間行事のひとつであるが見物に来ている観光客が少ない。まだ少林景区の入口が開く前なので景区内に宿泊している観光客しか見物に来ないというか、早朝に行われるのと行事自体が知られていないようなので見物人は非常に少ない。観光客は自分を含め10人いるかいないかだろう。

塔林の前で焚き火をしているのだが寒衣節では紙銭や紙でつくった衣服などを燃やして先祖に送るそうだが、歴代の高僧たちにも衣服を届けるようだ。

塔林の前だけでなく中でも焚き火をしている所があり重要な仏塔なのだろうか?

07:30頃、塔林掃墓法会が終了する。

少林寺の武僧たち

少林寺での目的は達してしまったので、このまま客桟へ戻る。宿周辺では武僧たちがランニング中だ。

余裕で走っている武僧もいれば、半泣き状態で走っている小僧もいた。小僧さんたちの中には幼稚園児くらいじゃないかというのもいたりする。そういえば武僧たちは義務教育で学校へは行かないのか?

客桟の部屋からは武僧たちの修行が見えたりもする。

酸辣土豆絲

昼食は酸辣土豆絲(18元/約360円)と米飯(3元/約60円)を食べる。ご飯ボッタクリだな思いつつ食べて勘定で21元払ったら1元負けてくれた。まあボッタクリだから安くしてくれてもいいだろう。

少林寺武術ショー

14:00頃、少林寺の武術ショーを見物。

閑散期でもここは観光客が多い。欧米人も結構いたりする。

武術ショーは相変わらず凄いの一言だ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 48元
合計 48元

河南省登封 五岳嵩山と世界遺産 嵩陽書院・会善寺・中岳廟・太室闕・観星台

河南省旅行記2015秋

朝から精神的打撃が大きい

05:30頃に起床し荷物をまとめて出発の準備を始める。07:00頃になると宿泊客たちが起き洗面台が混雑しているというか痰吐きの音が鳴り響く。チェックアウト前にウンコしにトイレへ行くが、洗面台で黒ブリーフ一丁の兄ちゃんが歯を磨いている。寒くないのか?ここは農民工専用の招待所か?朝から精神的打撃が大きい。設備はそこそこ良い宿なのだが客層が・・・。

南陽→登封

08:00頃、宿をチェックアウトして南陽汽車站(南陽西站)へ移動。

08:05頃、待合室でバスを待つが改札口が開きっぱなしなので乗客たちは目的地へのバスを見つけて乗車していく。なので自分も登封行きのバスを探す。

08:15頃、登封行きのバスに乗車する。今日は少林寺のある登封へ移動する。
08:40頃、バスが発車する。登封には13:00過ぎ到着予定だ。
09:10頃、南陽の北東にある大庄汽車站で客を乗せる。
09:25頃、高速の料金所手前の港湾汽車站に寄る。
09:30頃、高速道路に入るのかと思ったら料金所を通り過ぎて省道を走っていく。

10:20頃、方城汽車站に到着。
10:40頃、蘭南高速に入り爆走していく。許昌から南陽へ移動した時の高速道路だ。
11:05頃、旧県で高速を降りる。
11:30頃、叶県で再び高速に乗る。
昼頃、蘭南高速から永登高速に入る。

登封

13:25頃、バスターミナルの登封汽車客運総站に到着するがボリタクの運ちゃんしつこい。

運賃1元で3路のバスに乗車し崇高路崇福路口で下車し崇福路を北へ歩き大禹路を西へ。

登封藏経閣国際青年旅舎

15分ほど歩いて、14:00頃、予約しておいたユースホステルの登封藏経閣国際青年旅舎に到着。1泊35元(会員料金)で4泊する。yhachina.comでの予約時に予約金を支払っているので残金124元を支払うが、1泊40元(会員料金)で予約し残金144元のはずなのでレセプションの兄ちゃんに予約確認書を見せたのだが1泊35元(会員料金)で処理される。まあ、高くなるわけではないのでいいのかな?

部屋は2Fの4人ドミトリーで各ベッドにコンセントと照明あり。ロッカーも人数分ある。WiーFiは電波弱めで部屋では使い物にならない。共同のトイレ・シャワーはシャワーの方は問題ないがトイレが2Fには2つしかないのだが1つは鍵が壊れていて小の方しかできない。大は踏ん張っている最中に開けられてしまう危険性がある。

肉絲麺

少し遅めの昼食を沙県小吃で食べる。沙県小吃はイスラム食堂と同じように中国各地で見かける食堂だ。福建省沙県が発祥の地らしい。安食堂なのだが麺類は手打ちでないので正直言って味はイスラム食堂より劣る。

で、食べたのが肉絲麺(6元/約120円)だが麺がインスタントなので美味しくない。

15:30頃、西バスターミナルの汽車西站を訪れる。汽車西站からは少林寺や鄭州行きのバスがある。その他は周辺の農村へのバスもある。路線バスだと石油公司のバス停が最寄りになり1路と9路のバスが停車する。

スーパーマーケットを見つけて特売品で牛歌ビール純生325ml缶(0.9元/約18円)を購入。ちなみにコカ・コーラ500mlは2.5元だったので絶対ビールが買いだ。ビール滅茶安だ。

青菜蓋飯

夕飯は四川料理の食堂で青菜蓋飯(10元/約200円)を食べる。シンプルに青菜と唐辛子の炒め物がご飯に乗っている。夜はネットで嵩陽景区の入場券を購入しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 26.9元
宿泊費 124元 1泊35元(会員料金)×4
バス 1元 路線バス
嵩陽景区 65元
合計 216.9元

嵩陽景区

06:00頃、起床し準備を整える。
07:00頃、ユースホステルを出て嵩陽景区へ向かう。

嵩陽景区の入場料は嵩陽書院30元、太室山景区50元になる。合計80元だが昨晩qunar.comで入場券は購入済みでネットでの価格は65元だ。本当はctripで購入したかったのだが二代身分証がないと購入できないようになっていたので、仕方なくqunar.comで購入。

入場券売場で発券し景区内へ。まずは08:00に一番乗りで嵩陽書院へ入る。

世界遺産 嵩陽書院

嵩陽書院は江西省廬山の白鹿洞書院、湖南省長沙の岳麓書院、河南省商丘の応天府書院と共に中国四大書院のひとつに数えられる。

嵩陽書院は元は嵩陽寺と呼ばれ創建は北魏の太和8年(484)になり、隋代に嵩陽観と呼ばれ、宋の景祐2年(1035)に修復され嵩陽書院の院額を下賜される。2010年8月に世界文化遺産に登録される。

嵩陽書院一番の記念撮影スポットである大唐碑は修復工事中であった。

これは将軍柏。前漢の元封元年(紀元前110)に武帝から将軍柏に封じられ樹齢4500年以上になる。08:25頃、嵩陽書院を出て嵩岳寺塔と法王寺へ向かう。

08:50頃 、分かれ道の牌坊に到着。

世界遺産 嵩岳寺塔

09:00頃、嵩岳寺塔に到着する。

嵩岳寺塔は北魏の正光4年(523)に建立され、中国に現存する最古のレンガ塔になり「華夏第一塔」とも称される。塔の高さ36.8m、直径10.6mになり塔身は12角形になり外側には石灰で塗り固められている。2010年8月に世界文化遺産に登録される。

嵩岳寺塔の西側には嵩岳寺遺址があり、嵩岳寺は北魏の永平2年(509)に創建される。元々は北魏の宣武帝と孝明帝の離宮であったが北魏は仏教を深く信仰しており離宮を寺院へと変えた。現在は古木が残るだけとなっている。10:00頃、嵩岳寺塔を離れ法王寺へ向かう。

法王寺

10:15頃、法王寺に到着する。

法王寺は登封市北西5kmの太室山南麓の玉柱峰下に位置している。創建は後漢の明帝の永平14年(71)になり中国でも最も早い時期の仏教寺院のひとつであり、洛陽の白馬寺の創建から3年後となり、少林寺の創建より424年早い。

現存する建築物は山門、未来佛殿、天王殿、大雄宝殿、地蔵殿、西方聖人殿、臥佛殿七進院落になる。寺の裏山には隋の文帝の仁寿2年(602)に建立された十五層正方形舎利塔があり、他にも唐代のレンガ塔が3つある。

奥の方では少林拳の修行が行われていた。

よく見ると欧米人も修行に参加している。

修行に参加しているのは子供が多い。寺の僧侶ではなさそうなので近隣の武術学校の生徒か?

これが裏山にある隋の文帝の仁寿2年(602)に建立された十五層正方形舎利塔。修復されているので年数の割には綺麗である。

11:25頃、法王寺を離れ登山道の入口を目指す。

五岳嵩山

12:15頃、太室山の入口に到着。今日一番の目的である嵩山の太室山へ登る。頂上まで距離がありそうなので結構大変な登山になりそうだ。

12:30頃、老君洞の無極殿に到着。

13:00頃、峻極宮に到着。既に足がガクガクだ。

13:20頃、中岳行宮に到着。

13:45頃、休憩。昨日買っておいた焼餅を食べて体力回復である。頂上は標高1492mで現在は1115mまで登ってきた。まだ300m以上登らないと行けない。
14:00頃、再び登山開始。

14:50頃、五岳・崇山の太室山の主峰である峻極峰に到着。ここが五岳・崇山の頂上である。
石碑には標高1491.73mとある。15:05頃、山を下る。

ここから山を下るのだが来た道を戻るのではなく盧崖瀑布景区へ抜ける東山麓への登山道を進む。

15:30頃、盧崖瀑布まで6.5kmの地点まで来た。日没まで残り2時間だがたどり着けるか?

16:35頃、老母殿に到着する。ここで休憩し焼餅を食べて体力回復、16:50頃、老母殿を離れる。

一線天

盧崖瀑布景区に入るが一線天と呼ばれる高さ約100m、長さ約170mの崖の隙間に道幅約1mの階段が有る。この崖の隙間の細い階段を降りていく。

かなりの絶景とも言えるし伏兵置かれたら絶対に逃げられない地形だ。山を降りて行くが景区内でボリタク運ちゃんたちが下山してくる登山客を狙って待ち構えていた。ボリタクなんて使う気無いので無視。

盧崖瀑布に到着するが滝なのに水がほとんど流れておらず。これで入場料取るのは詐欺ではないか!17:34が今日の日没時間だ。盧崖瀑布景区を出る前に日没時間を迎えてしまった。17:55頃、景区を出るが辺りは暗くなり街灯すらない。ひたすら道なりに歩いて2路のバスが通る少林大道を目指す。

18:26頃、中岳廟の東にある林業局のバス停に到着。

2路の秋期の最終バスは18:30なので何とか間に合った。18:32頃、2路のバスに乗車するが、18:40頃、市区の入口で運転打ち切りやがった。他の乗客と一緒に降ろされる。最終バスなのに途中で運行打ち切りってどうなっているんだ?チャイナクオリティ全開である。市区まで来たので歩けば何とかなるのでとりあえず歩く。

で、昨日のスーパーマーケットで特売の牛歌ビール325ml(0.9元/約18円)と不夜城ビール325ml(1元/約20円)を5本づつ購入。缶ビール10本でも9.9元(約198円)だ。コカ・コーラは500mlが2.5元、330mlが2.2元なので、これはビールを買えということだな。20:00頃、ユースホステルに戻ってきた。ビール飲んで寝る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 17.7元
バス 1元 路線バス
合計 17.8元

永泰寺

08:10頃、西バスターミナルへやって来た。少林寺行きのバスに乗車して発車を待つ。今日は少林寺へ行くが入口だけ見物で少林景区内は明後日から見物というか滞在する。08:15頃、バスが発車する。運賃は3.5元だ。

08:30頃、永泰寺路口で下車。牌坊をくぐり寺へ向かう。2012年に一度訪れているのだがもう一度訪れてみる。

08:45頃、永泰寺に到着する。寺の規模の割に入場料60元でボッタクリなのだが歴史的にはかなり重要な千年古刹の尼寺だ。

永泰寺は元の名称は転運庵と呼び北魏の文帝の娘である転運公主が修練していた。南朝時期に梁の武帝の娘である蕭明練により拡張され明練寺と改名する。北魏の正光2年(521)、孝明帝の妹である永泰公主が出家してからは永泰寺と改名する。

永泰寺は太室山西麓の子晋峰下にあり、転運公主、明練公主、永泰公主の3人がこの寺で出家し修行しており嵩山唯一の尼寺であり中国でもっとも古い尼寺とされる。

寺の規模は小さいのだが入場料ボッタクリなので駐車場とかがある程度は整備されている。

少林寺から3-4kmほどの場所にあるのだが観光客は少なめで静かだ。09:50頃、永泰寺を離れ少林寺の停車場へ向かう。

少林寺の入口

10:20頃、少林景区の停車場に到着。まず入口の武僧像を見物。

入口の牌坊では観光客が記念撮影中。入場料は100元で相変わらず高い。少林景区は1日の入場者数が60000人に設定されており10時現在の入場者数は1086人となっていたので意外と少ない。閑散期の平日だからこの程度で済んでいるのだろう。

10:45頃、登封へのバスに乗車。運賃3元、11:00頃、会善寺路口の交差点で下車する。

世界遺産 少室闕

11:05頃、少室闕に到着。2012年に一度訪れているのだが当時は非公開で外から保護しているボロい小屋を眺めるだけであった。今回は建物が新しくなって無料で公開されていた。

少室闕は漢の延光2年(123)に建立され、中岳漢三闕のひとつである。壁画と銘文の歴史的価値は高く、2010年8月には世界文化遺産に登録されている。建物内は撮影禁止なので眺めるだけである。

団体の観光客がいたがすぐに自分一人の貸し切り状態になる。建物には管理人のおっちゃんが常駐しており落書きされないように目を光らせていた。11:25頃、少室闕を離れ会善寺へ向かう。

世界遺産 会善寺

11:55頃、会善寺に到着。入場料40元になっているが入場券売場のおっちゃんに昨日の嵩陽景区の入場券を見せて使えるか聞いたら「入っていいよ」という事で見物。本当は入場券は当日限りの有効だが2日目でもOKだった。

ちょうど団体客がいたがすぐにいなくなり会善寺も自分一人だけになり貸し切り状態。会善寺は世界遺産だが見物できるのが大雄宝殿と乾隆御碑などの石碑ぐらいしかなく入場料は高い。

会善寺は太室山南麓の積翠峰下にあり、元は北魏の孝文帝の離宮であった。隋の開皇年間に会善寺の名を賜る。少林寺、法王寺、嵩岳寺と共に嵩山四大寺院と称され、道安、普寂、浄藏らの高僧が修行をしている。唐の則天武后は会善寺を訪れ道安禅師を国師に任命している。13:00頃、会善寺を離れる。

世界遺産 啓母闕

14:20頃、啓母闕に到着する。啓母闕は中岳漢三闕のひとつであり世界文化遺産である。少室闕みたいに公開されているかなと期待していたが扉は閉まっており非公開のままだ。と、思ったら建物内から人の声が聞こえる。扉の南京錠に鍵が差してあるので掃除かなんかしているのかな。

建物を回り裏側に来たら裏口の扉が開いている。明らかに観光客とガイドのおばちゃんだ。で、おばちゃんに見物していいか聞いたら説明が終わったら閉めるからそれまでOKということで啓母闕を見物。普段は非公開なので大収穫だ。そして、他のおっちゃんたちも便乗して見物。

外へ出てしばらくすると扉は再び閉じられ非公開となる。普段非公開でも旅行会社で手配すれば見物できるのかもしれない。14:50頃、啓母闕を出てユースホステルへ戻る。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(6元/約120円)を食べる。具材にネギとモヤシ、胡麻ダレが掛かっており混ぜて食べる。

食べ足りないので別の店でも熱乾麺(6元/約120円)を食べる。こちらは具材がネギと漬物になっている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16元
バス 3.5元 登封→永泰寺路口
バス 3元 少林寺→会善寺路口
永泰寺 60元
合計 82.5元

中岳景区

07:00頃、qunar.comで中岳景区の入場券を購入。65元を支付宝で支払っておく。

07:30頃、嵩山路の党校のバス停から2路のバスに乗車。運賃1元、中岳廟で下車する。今日の天気は雨のようだがまだ雨は降っておらず青空が見える。雨が降る前に中岳廟と観星台を見物しなければ。

世界遺産 太室闕

08:00頃、中岳廟の南に位置する太室闕に到着する。

太室闕は後漢の元初5年(118)に建立され、中国で最も古い闕のひとつである。2010年8月には世界文化遺産に登録されている。太室闕は管理小屋があり管理人が住んでいるのだが番犬が3匹いて吠えられる。

肝心の太室闕は扉が閉ざされ非公開になっているが窓に穴が開いており覗けるようになっている。

窓に開けられた穴から除くと太室闕の約1900年前の壁画が見える。これで中岳漢三闕を全て見ることが出来た。

08:30頃、中岳廟にやってきたが天気悪く雨が降りそうだ。視界も悪く近くでも靄がかかった状態だ。これで中岳廟を見物するのは勿体ないので少林景区から戻ったら改めて見物しよう。入場券は年末まで有効なのでまだ発券する必要もないな。

08:45頃、中岳廟を離れ歩いて市区へ戻るが市区東の入口にある迎仙公園の山に登る。

09:15頃、頂上の迎仙閣に到着。

頂上から登封市内が一望できるはずなのだが天気が悪いのと大気汚染の影響で市内は真っ白だ。

早く雨降って汚染物質を洗い流して欲しいものだ。

熱乾麺

夕飯は今日も熱乾麺(6元/約120円)だ。胡麻ダレがいい感じで美味い。「毎日熱乾麺で飽きねーのかよ!」とツッコミが入りそうだが値段が牛肉麺や刀削麺より安いし味に関しても問題ないので熱乾麺がこれからの主食になりそうだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 8元
バス 1元 路線バス
中岳景区 65元
合計 74元

旅行家青年旅舎

昨晩から雨が降っていたが朝になっても天気が悪い。11:30頃、登封藏経閣国際青年旅舎をチェックアウトして次の宿へ徒歩で移動する。雨は止んでいたがいつ降り出すかわからない状況だ。

11:55頃、eLongで予約しておいた旅行家青年旅舎に到着するが閉まっている。このパターンだと昼食に出掛けているか買い出しだな。待っていればそのうち帰って来るだろう。ということでユースホステルの前で少し待つ。5分ほど待っていたらお姉ちゃんが帰ってきた。やはり昼食の買い出しであった。

で、登記の方は問題なし。部屋は1泊30元の10人ドミトリーに3泊します。10人ドミトリーだが部屋は広めだがベッドにはコンセントが有ったり無かったりでロッカー無しだ。Wi-Fiは問題なくつながり使える。共同のトイレ・シャワーに関してトイレは招待所レベル、シャワーはお湯の温度低いということで空いていた個室のシャワーを利用する。

熱乾麺

昼食は近くの食堂で熱乾麺(6元/約120円)を食べるが御碗にビニール袋が被せてある。農民工仕様ということか?

砂鍋雑烩

夕飯は砂鍋雑烩(8元/約160円)を食べる。砂鍋は土鍋料理で小さな土鍋で色々な料理が作られる。定番の中華料理で冬に寒い時期には欠かせないだろう。今回は雑烩なので「雑」とあるから色々入っているのだろうと予想していたが具材には昆布、キクラゲ、青菜、油揚げ、シイタケ、豆腐干絲、卵などが入っていた。タコ焼きのタコ無しみたいなのも入っていた。何やら具材が多く入っていたが結構美味い!

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
宿泊費 90元 1泊30元×3(eLong)
合計 105元

世界遺産 中岳廟

朝から天気は曇りだが昨日の雨で汚染物質は洗い流されたようで視界は良好だ。08:30頃、中岳廟にやってきた。入場料は30元だが入場券売場で一昨日ネットで購入しておいた中岳景区セット券を発券する。

セット券は65元だが、中岳廟、観星台、盧崖瀑布が見られる。盧崖瀑布は嵩山を下山する時に通っているので特に見る必要はない。もっとも滝の水がないので見る価値が無い。

中岳廟は太室山南麓に位置しており、東周元年(770)に周の平王が鎬京(陝西省西安)から洛邑(河南省洛陽)へ遷都し嵩山を中岳に封じ太室祠を建立する。北魏は太室祠を嵩岳廟に改め道教寺院とする。

唐の玄宗皇帝の治世で中岳廟に改められ現在に至る。中岳廟は歴代帝王たちの中岳嵩山での祭祀を行う場所であり歴代王朝により大規模な修復が行われてきた。現存する建築物は明清時期の建立された物になる。

これは宋代鉄人、北宋の治平元年(1064)に鋳造され、高さ3m、重量3tになる。芸術珍品とされ中岳嵩山の鎮山之宝とも称される。

東岳殿、西岳殿、南岳殿、北岳殿がありそれぞれの神像が安置されている。大抵は東岳廟とかで独立してるので東岳殿から北岳殿まで揃っているのは珍しく中岳廟の格を物語っている。

それぞれの殿内には壁画がある。

これは境内にある瓢箪。

休日の土曜日であるにもかかわらず観光客は少なめだ。天気は曇りだが観光シーズンが過ぎているので静かに見物できる。

規模の大きい道教寺院なので神像の並ぶ回廊がある。

登封→観星台

10:00頃、中岳廟を出て2路のバスで市内へ戻り、バスターミナルの登封汽車客運総站の向かいにある登封市城郷客運総站へ移動。

次の目的地である観星台へは徐庄行きのバスに乗車する。

観星台(告成鎮)まで運賃は3.5元、10:35頃、バスが発車する。10:53頃、観星台の脇で下車する。

世界遺産 観星台

11:00頃、観星台に到着する。入場料は40元。

観星台は河南省登封市の南東7.5kmにある告成鎮に位置している。北に嵩山、南に箕山という場所にあり、古代陽城の所在地でもある。観星台は世界最古の天文台であり照壁、山門、垂花門、周公測景台、大殿、観星台、螽斯殿などからなる。

元の天文学者である郭守敬が元の至元13年(1276)に建設、当時、中国各地の北緯15度-65度の間に27の観測所が設けられ観星台は観測の中心地であった。郭守敬、王恂らの観測により至元18年(1280)、当時としては最も正確な暦である「授時暦」が使用された。現在使用されている「グレゴリオ暦」とは1太陽年が同じ365.2425日であるが授時暦の方が300年以上早く制定されている。2010年8月に世界文化遺産に登録されている。

これは周公測影台で周の文王の四男である周公が洛陽を建設した時に、この場所で太陽の影を観測し四季の変化を調べたとされる。唐の玄宗の開元11年(723年)に太史監の南宮悦がこの地に測影台を建てて今も残っている。11:10頃、観星台を離れ安食堂を探す。

土豆絲拌麺

昼食はイスラム食堂で土豆絲拌麺(12元/約240円)を食べる。麺の大盛り(加面)が無料だったので大盛りで注文。珍しく麺と具材が別々で出てきた。さらにこの後に大盛りの分の麺が追加で来た。初めから麺は一緒でいいのでは?具材はジャガイモ、ピーマン、玉葱の炒めものだ。

12:50頃、登封行きのバスに乗車。運賃は3.5元。13:07頃、登封市城郷客運総站に到着。向かいの登封汽車客運総站から1路のバスに乗車。運賃1元、双渓園(双渓园)で下車してユースホステルへ戻る。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(6元/約120円)を食べる。

1元ビール

近くのスーパーマーケットで特売の金小麦ビール320ml(1元/約20円)とパンを買って夜食とする。金小麦ビールは山東省平原県のビール会社が製造している。平原県と言えば劉備だな。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 3元 路線バス
バス 3.5元 登封→観星台
バス 3.5元 観星台→登封
合計 30元

城隍廟

11:00頃、城隍廟を訪れる。城隍廟は明代初期に創建された道教寺院である。

参拝客は殆どおらずかなり寂れているといった感じだ。

建物も結構傷んでいる。歴史はあるのだろうが特にこれといったものはない。

牛肉炒飯

昼食はイスラム食堂で牛肉炒飯(8元/約160円)を食べるが牛肉ほとんど入っていない。

メインの具材はピーマンと人参、これなら青椒炒飯とかではないか?で、炒飯を食べるのだが客に服を着たおサルさんが紛れ込んでおり牛肉麺喰いながら床に痰を吐いている。しかも、痰吐きの回数は2回3回では済まなかった。まあ、少林寺があるとはいえ中国の田舎なのでこういったおサルさんが生息していても不思議ではない。

紙くずの人民元

今日は城隍廟だけでなのでネタをひとつ紹介。これは中国の紙幣なのだがメチャ汚いしボロボロの紙くずになっても紙幣として流通しているのだ。日本ではありえへん状況だ。中国人民銀行は紙くずを回収する気はないのだろう。これがチャイナクオリティというやつだな。

でも、一番恐ろしいのはウンコしても手を洗わないおサルさんたちの手を介して流通していることだ。大腸菌とかの数は物凄いのだろう。紙幣であるがある意味で細菌兵器とも呼べるだろう。

排骨砂鍋麺

夕飯は排骨砂鍋麺(8元/約160円)を食べる。骨付き豚肉と麺の土鍋という感じかな。

1元ビール

食後は近くのスーパーマーケットで百奥ビール320ml(1元/約20円)を購入。明日から少林寺なので一応非常食も購入しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 29.8元
合計 29.8元

河南省南陽 三国志遺跡 南陽武侯祠・黄忠故里・宛城遺址

河南省旅行記2015秋

許昌→南陽

06:30頃、賓館をチェックアウトしてバスターミナルへ向かう。06:40頃、許昌汽車站(許昌中心站)に到着。今日は07:20発のバスで南陽へ移動する。チケットは昨日既に自動券売機で購入済みだ。南陽までの運賃は53元だ。待合室へ移動すると既に南陽経由襄陽行きのバスが待機していたので運ちゃんに聞いてみたら、06:50発で07:20発は次ということで暫し待機となる。

07:00頃、南陽経由内郷行きバスが来た。バスのおばちゃんに聞いたら07:20発ということで乗車する。昨日の朝にチケットを購入しているので座席は1番で先頭なのだが車内には座席番号がない。どうやら早い者勝ちのようだ。

07:20頃、バスが発車、乗客7人、乗車率は2割ぐらいになる。途中で客を乗せながらの運行なので昼過ぎには到着かな?

07:35頃、南バスターミナルの許昌汽車南站に到着。客待ちをするが乗客おらず、07:45頃、発車し許昌を離れる。許昌を出ると道路上で次々と客を乗せ、08:30頃にはほぼ満席になる。

09:15頃、蘭南高速に入り高速道路を爆走していく。09:30頃、サービスエリアの平頂山服務区でトイレ休憩。乗客のオバハンがゲロ吐いている。なぜ中国ではゲロ吐きイベントが多いのだ?運ちゃんの運転が乱暴だからか?それとも車に乗る機会が少ないのか?

09:40頃、再びバスが爆走し高速の料金所ごとで高速を降りて乗客を降ろし再び高速に入っていく。2007年頃は高速道路上で乗客の乗り降りが当たり前であったが法律が厳しくなり、ちゃんと料金所を出て乗客を降ろすようになったようだ。それと地元民が高速道路上で葡萄やリンゴなどの農産品の販売とかも見あたらなくなった。やはり危険だから禁止が徹底されたのだろう。

南陽到着

11:20頃、南陽の大庄汽車站で降ろされる。駅前の南陽汽車站までは行かないので、3路のバスで南陽駅まで行くことになる。大庄汽車站はバスターミナルでも南陽経由のバスのための降車場といった感じだ。ここから乗車する価値はなさそうだ。

11:25頃、大庄のバス停から3路のバスに乗車、運賃1元で終点の火車站へ向かう。

12:30頃、南陽駅に到着。駅前の新城百楽商務大廈に予約してある宿があるので向かう。

虫虫客桟

12:35頃、eLongで予約しておいた駅前の虫虫客桟に到着。外国人OKか心配であったが大丈夫であった。1泊38元で3泊する。

部屋は8人ドミトリーでベッドはカプセル式だ。

カプセルホテルの親戚かな?電源はコンセントとUSBがついている。

それとIPTVもありテレビが見られる。これは凄い!

共同のトイレ・シャワーに関してはトイレ2つしかないので不足気味。シャワーは個室になっていないので同志たちと裸のお付き合いになってしまう。

洗面台はご覧の通り設備は問題ないのだが客層がおサルさんのようで歯ブラシ等のゴミが転がっている。掃除のおばちゃん大変だわ。

焼腐竹木桶飯

13:15頃、近くの四川料理の食堂で焼腐竹木桶飯(10元/約200円)を食べる。木桶飯は名前の通り木桶にご飯と具材入っている。今回の具材は腐竹(湯葉)、唐辛子、麦菜か青菜が乗っている。

13:40頃、南陽駅から3路のバスに乗車、運賃1元、車站路臥龍路口北で下車し5分ほど歩く。

三国志遺跡・南陽武侯祠

13:55頃、南陽武侯祠に到着。入場料は60元でここまで来たら後には引けず痛い出費だ。

南陽武侯祠は諸葛廬とも呼ばれ、諸葛亮を記念して建立された祠堂である。創建は魏、晋の頃になり、元の大徳2年(1258)に再建され、清の康煕51年(1712)に増築され1700年以上の歴史を持つ。現在残る建築物は清代の物になる。

大拝殿には諸葛亮像があり、ここまでは各地にある武侯祠と同じであるが南陽武侯祠の特徴は諸葛亮像の両脇のある武将の像である。

こちらは諸葛亮の子である諸葛瞻像。

こちらは孫の諸葛尚像。南陽武侯祠には諸葛亮の子と孫まで祀られているのだ。これは興味深い。

大拝殿の天井には色々と額が飾られえいる。

こちらは諸葛草廬。15:15頃、南陽武侯祠を出る。

牛雑麺

夕飯は駅近くの食堂で牛雑麺(8元/約160円)を食べる。牛雑は牛のホルモンを意味しており具材にホルモン、モヤシ、香草などが入っている。

食後は丹尼斯百貨へ行く。南陽にもデニスがあるのだ。

地下のスーパーマーケットでサントリーの缶ビール330mlの6缶セット(10.9元/約218円)を購入。デニスはビールが安くてありがたい。夜は少林寺のある登封での宿を予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 31.9元
宿泊費 114元 1泊38元×3(eLong)
宿泊費 16元 予約金:登封藏経閣国際青年旅舍
宿泊費 200元 予約金:功夫客桟
路線バス 2元 路線バス
南陽武侯祠 60元
合計 423.9元

三国志遺跡・黄忠故里

今日の三国志遺跡は黄忠故里から攻略していく。06:50頃、駅前から5路のバスに乗車する。運賃2元で終点の新店郷公交站まで移動する。途中で博望と大占头村へのバスとすれ違ったので夏餉鋪村の近くまで行けるだろう。

07:40頃、終点でバスを降りて郷道14号を道なりに歩く。道が曲がりくねっているが気にせず歩き橋を渡り新店を出たら北へ3kmほど歩く。GPSと高徳地図で確認しながら北へ向かう。川が見えてきたら橋の向こうが黄忠の故郷とされる夏餉鋪村だ。

08:20頃、夏餉鋪村手前のドブ川になっている白桐幹渠の橋に到着。

橋の手前が十字路になっており標識があり夏餉鋪村の位置関係が何となく分かる。高徳地図で確認すれば問題ないけど。

橋を渡り100mほど歩くと右手に黄忠故里が見えてきた。

黄忠故里に到着。

蜀の五虎大将である黄忠は夏餉鋪村の出身とされ黄忠を祀る黄忠祠がある。

祠の前には石碑があり祠内には黄忠像が安置されている。

黄忠の両脇には配下の陳式、張著の像が安置されている。こちらが陳式。

こちらが張著。

雨が降り始めたので、08:50頃、夏餉鋪村を離れる。雨は徐々に強くなり新店に着く頃には本降りになる。天気予報だと昼間は曇りで夜には晴れる事になっているのだが・・・。中国の天気予報は当たらない。

途中、夏餉鋪村の北にある魏莫庄村、周営村と秦王廟村へのバスとすれ違う。http://www.hn96520.comで調べたのだが東バスターミナルから周営行きのバスが5元で出ているのを見つけるがバスの本数は少ない。

09:35頃、新店郷に戻り5路のバスに乗車するが隣の爺さんが頻繁に床へ痰を吐く。なぜ黄忠の故郷にサルがいるのだ?蜀の五虎大将を輩出しているのに、現在はおサルさんが住み着き黄忠のような御老体はいないようだ。三国志遺跡はあったが偉大な中国のイメージは崩壊させられる。運賃2元で10:40頃、南陽駅到着。雨は降ったままなので今日は動けず宿へ戻る。

炒豆芽木桶飯

昼食は重慶料理の食堂で炒豆芽木桶飯(8元/約160円)を食べる。具材はモヤシ、唐辛子、生姜の炒め物だ。

牛肉扯麺

夕飯は牛肉扯麺(9元/約180円)だ。扯麺は山西省、陝西省、甘粛省あたりの麺料理で幅広麺なのが特徴だ。

夜は買い溜めしておいたビールを飲みながらテレビを見ていたのだがウンコしたくなってトイレへ行くが何かやたらと臭い。まだウンコしていないのに・・・。またやり逃げかと思ったら、ちゃんと流してあった。とりあえずウンコしてスッキリするが、ちょっととなりを覗いてみたら茶色いバナナが・・・。いやバナナを上回る鳴門金時のウンコがやり逃げされていた。何で中国はウンコやり逃げのおサルさんたちが多いのだ?

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 7元 路線バス
日用品 12.9元
合計 39.9元

客層がおサルさんの宿

出発の前にウンコしにトイレへ行く。中国では外で緊急事態になるとトイレが少ないので野糞か漏らすかの究極の選択に追い込まれる可能性がある。出発前には必ずトイレへ行かないといけない。

で、ウンコしていたら隣で小便している奴がいたが水流さねえだろうなと思っていたら予想通りやり逃げしやがった。何で中国はおサルさんが多いのだ?水の流し方知らないのか?

ちなみに宿の客層がどうなっているかというと、この画像の通りだ。おサルさんたち歯を磨くことは知っているようだが、後方にあるゴミ箱にゴミを捨てるということは知らないようだ。

こちらはおばちゃんが掃除した後の洗面台。宿の設備はそこそこだがおサルさんだらけである。カプセル式なのでおサルさんと目を合わせる確率は低いが站吐きの音は響いている。

登封行きのチケット購入

南陽汽車站(南陽西站)で明日の登封行きのチケットを購入する。窓口が混んでいたので誰もいない自動券売機で購入。現金非対応だったのでキャッシュカードで支払う。

ちなみに南陽からは新彊ウイグル自治区アクスへのバスが毎日1便運行されている。料金確認したら980元で3日先まで完売であった。鉄道の方が楽だと思うのだがバスの需要もあるようだ。どのような客層なのか気になるしイベント満載のような気がする。

路線バスの注意書き

人民公園へ向かう途中で路線バスの車内にあった注意書きに驚く。

手書きで「痰吐くな」「ポイ捨てするな」「飲食禁止」とある。そして、「小便するな」ともある。ここは四大文明のひとつに数えられる中国だが、これはどういう事?孔子や孟子もびっくりであろう。五千年の歴史を誇る中国の偉大なイメージが崩壊していく。

三国志遺跡・宛城遺址 望仙台

11:00頃、人民公園にやってきた。

11:10頃、公園北西の角にある宛城遺址 望仙台に到着する。

城壁というか土塁の跡になり、公園の一部として整備され望仙台が再建されている。

日曜日なので地元民が多数押し寄せている。

これが再建された望仙台。

11:30頃、3路のバスで南陽駅へ戻る。宿の近くの床屋で坊主頭にしてもらう。理髪代は15元(約300円)だ。

炒土豆絲木桶飯

昼食は昨日の重慶料理の食堂で炒土豆絲木桶飯(8元/約160円)を食べる。この店は油少なめなのでジャガイモの炒め物が美味い。

紅焼鶏塊木桶飯

夕飯は紅焼鶏塊木桶飯(12元/約240円)を食べる。お馴染みの木桶飯。具材は骨付き鶏肉の醤油煮込みとピーマン、ネギの炒め物になり味付けは甘辛い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20元
バス 3元 路線バス
バス 65元 南陽→登封
理髪 15元
合計 103元

河南省許昌 三国志遺跡巡り

河南省旅行記2015秋

石家荘→許昌

10:45頃、宿をチェックアウトして石家荘駅へ向かう。駅の隣の区画に宿があるので5ー10分歩いて到着。まずは入口でいつもの切符と身分証の確認、手荷物のX線検査を済ませて待合室へ。

石家荘駅は北京南駅のように巨大だ。利用客はそれほど多くはないので巨大待合室はかなり空いている印象だ。待合室にはケンタッキーやマクドナルドもあったりして食べるのにも困らない。駅の規模に対し利用客が少ないので設備過剰にも思える今後利用客が増える見込みか?

今日は河北省石家荘を離れ河南省許昌まで南下する。許昌は許都とも呼ばれ曹操の本拠地であり後漢の都でもあり三国志遺跡満載の都市だ。11:27発、北京西→昆明のZ53次で許昌まで乗り鉄、席は硬座、距離494km、4時間33分の乗車予定だ。

改札口は既に行列というか群れができており乗車バトル確定だ。列車が遅延しており、11:25頃、改札が始まる。自動改札機があるのだが何故か自動改札機は使用せず有人改札になる。自動改札機は故障ではなく稼働しているのに有人改札、原因不明だが相変わらずのチャイナクオリティだ。

ホームへ降りると発車ベルが鳴っているが当然ながら全員乗車できていない。行先票だけ撮影してホームを走り乗車するが車内は無座の客であふれてカオス度高い。既に列車は発車しているが、こちらは席に未だたどり着けず。荷物置き場は席から離れたところに何とか確保。

無座の乗客が多いのでZ列車なのにカオス度が高い。Z列車で無座切符なんか販売するなよ。元々Z列車は特快や快速とは格が違うはずなのだが、どうも和諧号が登場してから扱いが悪くなっている。

石家荘を出てから停車駅ごとに乗車率は下降する。安陽を過ぎる頃にはカオス度が低下し平和になる。石家荘では天気は曇りであったが南下していくと天気は雨に変わる。天気予報だと許昌は雨のようなので明日の天気が気になる。

15:27頃、15分遅れで鄭州駅に到着。停車時間は6分、鄭州は河南省の省都なので、ここでほとんどの乗客が下車して入れ替わる。程なくして鄭州からの乗客が一気に乗車してきて乗車バトルの戦場と化す。乗降客多いのに停車時間6分というのはダイヤに無理があるだろう。

そして、停車時間の6分を越えて遅延する。15:42頃、定刻より24分遅れで鄭州駅を発車する。車内は乗車率100%でカオス度上昇である。

16:27頃、27分遅れで許昌に到着する。ここも下車する乗客が多く半分ほどが下車となる。

許昌の天気は曇りで幸い雨は降っていない。16:40頃、許昌駅からQunar.comで予約しておいた宿へ向けて北東へ歩いて行く。

16:50頃、許昌黎園賓館に到着。外人OKの賓館を予約しておいたので追い出されずに登記は問題なし。1泊58元の部屋に2泊する。

部屋はかなり広く半分以下の広さでも十分だ。設備はテレビ、エアコン、電気ケトル、電話がある。Wi-Fiはパスワード掛かっておらず速度はまあ普通かな。

トイレ・シャワーは扉が完全に閉まらないが、この辺は許容範囲内だろう。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(6元/約120円)を食べる。胡麻ダレと漬物がいい感じで麺と絡み合って美味い。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 13.2元
宿泊費 116元 1泊58元×2(Qunar.com)
合計 129.2元

春秋楼

09:25頃、賓館を出て春秋楼へ向かう。昨夜は雨が降っていたのだが今日は晴れており三国志観光には条件がよい。09:35頃、春秋広場近くで赤兎馬像を撮影。

09:40頃、春秋楼に到着。入場料は25元だが陝西旅游年票を使い無料で見物。

春秋楼は関羽が曹操の元に居た時の邸宅跡だ。

ここは春秋楼で創建は元の至元年間になり、関羽が春秋を呼んでいたとされる場所になる。楼内には春秋を読む関羽像が安置されている。

こちらは関聖殿。

殿内には巨大関羽像が安置され、両脇にはおなじみの関平、周倉もいる。

そして、ここには寥化、王甫の像もあり珍しい組み合わせだ。これは周倉と寥化。

これは関平と王甫だが、いつもニコニコ顔の関平がここでは笑っていない。

関聖殿の東にあるのが甘糜二后宮。甘夫人と糜夫人が住んでいたとされる場所だ。

関聖殿の西にあるのが文廟で許州文廟とも呼ばれ大成殿には孔子が祀られている。

大成殿の創建は元代になり明代に再建され清代には修復がされている。11:00頃、春秋楼を出て曹丞相府へ向かう。この頃には青空が曇り空に変わっていた。

曹丞相府

11:15頃、曹丞相府の西隣にある魏武帝広場に到着。曹操像がお出迎え。

続いて曹丞相府を見物する。入場料は60元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。入場料が高額なので観光客は少なめで静かだ。

曹丞相府は丞相府の遺跡上に復元された三国志テーマパークだ。ここに丞相府があったとなると関羽の屋敷からかなり近い。

三国志テーマパークといってもパネル展示が多くテーマパークというより資料館に近い。パネル展示でも色々と見てしまうが蝋人形もあったりする。ここは官渡の戦いでの軍議のようだ。

こちらは曹洪と夏侯惇。12:20頃、曹丞相府を出て西湖公園へ向かう。

徳星亭

12:25頃、西湖公園に到着し公園内を歩き、12:35頃、徳星亭に到着。

徳星亭の前には9体の像が見えてきた。陳寔が荀淑を訪れる場面で右側が荀家、左が陳家で両家の賢人9人が集う場面である。

荀淑の息子8人は「荀氏八龍」として知られ、次男の荀緄の子が荀彧になる。13:00頃、西湖公園を離れ許昌駅へ向かう。

許昌汽車站

13:30頃、許昌駅の東隣にあるバスターミナルの許昌汽車站(許昌中心站)に到着。窓口のおばちゃんが怖そうなので運賃表撮影できず、とりあえず一部運賃のメモだけ。

鄭州18元
開封32元
少林寺32元
登封28元
南陽53元

自動券売機は現金とキャッシュカードに対応しており身分証は必要なし。ただし、読み取り機能はあるのでテロとかがあると身分証必須になるだろう。

許昌豪華汽車站

13:45頃、許昌駅の南隣の許昌豪華汽車站に到着。豪華と言っているが建物はプレハブ小屋みたいなので豪華ではない。
とりあえず時刻表だけ撮影しておく。長距離は北京、上海、深圳、青島、昆明などが1日1本運行されている。短距離は開封が30分毎、洛陽が20分毎に運行されている。

灞陵橋公園

14:05頃、許昌汽車站近くの火車站のバス停から5路のバスに乗車する。運賃1元、14:20頃、灞陵橋公園で下車する。

灞陵橋公園の入場料は20元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。しかし、雨が降ってきた。今日はこのまま引き上げて明日以降訪れようかと思ったがとりあえず見ておく。まだ夕方ではないのだが既に薄暗く撮影には向かない。関羽が曹操に別れを告げた灞陵橋を渡る。

許昌関帝廟を見物して今日は撤退する。明日以降もう一度だな。15:15頃、1元の5路のバスに乗車して戻る。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(7元/約140円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14.4元
バス 2元 路線バス
合計 16.4元

董妃墓

07:40頃、賓館を出て許昌駅へ移動。朝から天気は快晴だ。駅前で2路のバス停を探すと許昌汽車站の近くにバス停を発見。07:54頃、火車站、汽車站のバス停から2路のバスに乗車する。運賃1元、08:15頃、許昌迎賓館で下車する。

許昌迎賓館の隣にある貴妃苑へ入る。

公園内を歩き、08:20頃、董妃墓に到着する。

董妃墓は献帝の貴妃であり後漢の車騎将軍 董承の娘である董琳の墓である。父親の董承が曹操殺害を計画したために曹操に殺害され、董妃も殺害されている。

墓周辺は公園として整備されている。08:50頃、董妃墓を離れ漢荀氏八龍塚へ向かう。

09:10頃、董妃墓の東を通る魏文路の移動公司のバス停から7路のバスに乗車する。

漢荀氏八龍塚

運賃1元、09:25頃、陳庄で下車する。目の前の牌坊を潜りゴミだらけの道を東へ歩き路地に入り北へ歩く。

09:30頃、漢荀氏八龍塚に到着するが地元民が集まってお参りしている。てっきり誰もいないと思っていたのだが予想外である。今日は何かの日だろうか?

漢荀氏八龍塚は荀淑墓であり塚の上には伝説によれば荀淑の死後に息子たちが柏の木を一株づつ植えたとされ八龍塚は八柏塚とも呼ばれている。現在は柏の古木が6本残っているが樹齢千年以上あるようには・・・。荀淑墓の上には廟が建てられおり地元民がお参りをしている。

とりあえず地元民が去るのをひたすら待つ。余所者は大人しく待ちます。そして空いた所で撮影。廟内には像が安置されているが荀淑像か?

王允墓

10:00頃、漢荀氏八龍塚を離れ王允墓へ向かう。清潩河の西岸の遊歩道を歩いて魏都区人民政府の裏手辺りに来ると王允墓が見えてきた。10:35頃、王允墓に到着する。

後漢の司徒である王允は董卓殺害の首謀者で貂蝉の養父でもある。許昌にある王允墓は献帝が許昌に遷都してから造営された衣冠塚である。

10:45頃、王允墓を離れ、11:05頃、清潩河東側の文峰路にある市広播電台のバス停から4路のバスに乗車。運賃1元、11:30頃、火車站、汽車站で下車する。

11:40頃、許昌豪華汽車站で繁城行きの301路のバスに乗車する。劉庄路口で下車するのだが自分は四声が下手くそなので乗務員のおばちゃんに言葉通じず。スマホで「刘庄路口」と表示して見せるがおばちゃん老眼で見えないので隣のお姉ちゃんに読んでもらいようやく通じる。

ただでさえ余所者で目立つのに更に目立ってしまった。まあ、おかげで乗客全員が「この田舎者は劉庄路口で下車する」と覚えたので乗り過ごしの危険性はなくなった。運賃は3.5元、省道を南下して12:10頃、劉庄路口で下車し東へ歩く。

伏皇后墓

12:20頃、伏皇后墓に到着する。

伏皇后は名を伏寿と呼び、徐州琅邪東武(山東省諸城)の出身になり後漢の興平2年(195)に献帝の皇后となるが曹操暗殺計画が露見し伏皇后は殺害され、2人いた皇子も殺害される。

墓の前には廟があり廟内には伏皇后像が安置されているが扉には鍵がかけられている。扉の脇に管理人の名前と電話番号が記されているので連絡して開けてもらうのだろう。

廟には伏皇后祖母娘、伏皇后殿、祖母娘墓と記されており伏皇后は祖母娘とも呼ばれているようだ。

陵墓は劉庄村の外れにあり周辺は畑である。12:55頃、伏皇后墓を離れ次は西へと向かう。

徐母墓

来た道を戻り省道を渡り、そのまま西へと歩くと、道の左手に石碑が見えてきた。13:05頃、徐母墓に到着する。

徐庶の母の墓で許昌県志に記載されている。おなじみの劉備の軍師だった徐庶が偽手紙により曹操に仕えることになってしまうが、徐庶の母は不忠不孝を嘆き自殺してしまう。

1952年秋に村民がサツマイモを掘り起こし収穫していると墓室の扉に当たり開けてみると円形のレンガ造りの墓室があった。しかし、文化大革命で墓室は破壊され現在残っているのは墓前にある清の乾隆21年(1756)に建立された「漢大賢徐母之墓」と書かれた石碑のみである。13:37頃、徐母墓を離れる。

徐母墓から60mほど離れ所にある歇馬殿を訪れるが門が閉まっている。門の隙間から内部を見るが関帝廟というところまでは確認できた。内部に入れないのでは仕方がないので省道へ戻る。

13:50頃、301路のバスに乗車、運賃3.5元で14:20頃、許昌豪華汽車站へ戻る。14:30頃、火車站、汽車站のバス停から5路のバスに乗車する。運賃1元、14:50頃、灞陵橋公園で下車する。

再び灞陵橋公園へ

昨日雨が降ってきて引き上げたが、今日は晴れており再び訪れる。陝西旅游年票を使い無料で入場。まずは曹沖称象処から見ていく。曹操の息子である曹沖が孫権から贈られてきた象の重さを量るという場面だ。

続いて灞陵橋を見ていくがこの橋は新しいので素通り。この橋の勾配では馬車通れるのか?

許昌関帝廟

許昌関帝廟の創建は清の康熙28年(1689)になり、三進院九殿一閣の建築様式になる。

許昌関帝廟の特徴は関羽と共に曹操も祀られており関羽が馬上から錦袍を受け取る場面が再現されており他の関帝廟とは一線を画している。

これは曹操像。

奥の碑廊には元々あった灞陵橋が移設されている。これも清代の橋で新しいのだが、まあこちらは勾配がなく馬車が通れるから本物の灞陵橋に近いだろう。

で、碑廊で石碑を物色します。

碑廊で何かないかと探していたら「漢荀氏八龍塚」の石碑を見つける。「大清道光元年許州牧」とあるが「中華民国22年」「重立」とも刻まれており中華民国の頃に再建された石碑のようだ。こんな所にも掘り出し物があった。

15:50頃、灞陵橋公園を出て5路のバスで市内へ戻る。賓館に戻り延泊の手続きをしておく。1泊58元で3泊延長だ。

鹵肉熱乾麺

夕飯は鹵肉熱乾麺(7元/約140円)を食べる。具材に胡麻ダレが掛かりモヤシや漬物の他に鹵肉(煮込み豚肉)が乗っている。

撈麺

撈麺(8元/約160円)を食べる。麺の具材にインゲン、モヤシ、キクラゲ、トマト、卵焼き、レタスが乗っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15元
宿泊費 174元 1泊58元×3
バス 5元 路線バス
バス 3.5元 許昌→劉庄路口
バス 3.5元 劉庄路口→許昌
合計 201元

許昌→張潘

08:50頃、許昌豪華汽車站で201路のバスに乗車。盆李までは運賃5元、チケットをもらい保管。今日は許昌の東にある張潘鎮周辺の三国志遺跡を廻る。

張潘の手前でチケット確認があり提示する。張潘を通り過ぎて、道路左側(北)に廟が見えてきた。09:50頃、盆李の小さな関爺廟(関帝廟)の前で降ろされる。

とりあえず関爺廟を見物しておく。

徐晃墓

まずは約2km北東にある城角徐村の徐晃墓を目指し、GPSと高徳地図で確認しながら北へ進む。

10:35頃、徐晃墓に到着する。徐晃墓は許昌県張潘鎮城角徐村に位置している。徐晃は曹操配下の武将で「五子良将」の一人である。

墓は畑の中にあり遠くから文物保護単位の石碑が見えたので楽に到達できた。墓の北側には高速道路が通っていた。

郄慮墓

10:45頃、徐晃墓を離れ北西約1kmにある郄庄村の郄慮墓へ向かう。高速道路を越えて畑のあぜ道を歩いていく。村の中に入るが村人の視線を感じるというか村人たちはこちらをガン見だ。目を合わせても目をそらさないし・・・。

11:25頃、郄慮墓に到着。郄慮墓は許昌県張潘鎮郄庄村の村内南西に位置している。

郄慮は献帝の御史大夫を務めた人物で曹操暗殺計画が発覚し曹操に殺害され、この場所に葬られた。11:40頃、郄慮墓を離れ南西約3kmにある門道張村の漢張公祠へ向かう。

漢張公祠

12:30頃、門道張村の漢張公祠に到着する。

漢張公祠は張飛廟とも呼ばれ許昌県張潘鎮門道張村の西に位置している。創建年代は不明だが、明清代に幾度か修復が行われている。漢張公祠は村人たちが匪賊から身を守るために砦の機能を持たせているため小山の上に建設されている。

殿内には北宋の名判官である包拯の像があり、包公寨とも呼ばれていた。現在は砦はなくなり現存するのは山門、張公殿、包公殿などになる。

張公殿などは鍵が掛けられており殿内には入れず。隙間から張飛像を見物する。

こちらは包公殿の包拯。

包公殿には包拯と関羽が一緒に祀られていた。2人とも中国では人気が高いのでかなり興味深い組み合わせだ。13:20頃、漢張公祠を離れ南東約1.5kmの古城村にある漢魏許都故城へ向かう。

漢魏許都故城

13:55頃、漢魏許都故城に到着。道路北側の脇に河南省文物保護単位の石碑がある。

道路南側には牌坊と全国重点文物保護単位の石碑があり南に毓秀台がある。

漢魏許都故城は別名で張潘故城とも呼ばれ、後漢の建安年間の都城、魏の東都である。元々は周代の許国の都城遺址である。

牌坊をくぐり700mほど南へ行くと左(東)に廟が見えてきた。14:20頃、毓秀台に到着する。

毓秀台は献帝が祭祀を行った場所で小山になっている。

現在は毓秀台の上には天爺廟があり道教寺院となっている。14:55頃、毓秀台を離れ北西約2.1kmにある伏完墓へ向かう。

伏完墓

15:40頃、伏完墓に到着する。伏完墓は許昌県張潘鎮劉庄村の東に位置している。

伏完は後漢の侍中を務め、桓帝の長女 陽安公主である劉華を妻に娶る。娘の伏寿は献帝の皇后となる。皇后 伏寿は曹操を恐れ伏完に曹操暗殺の手紙を送るが伏完は行動を起こさず世を去る。伏完の死後、この事が露見し建安19年(214)に曹操は皇后を廃し伏寿と2人の皇子、伏徳ら伏氏100人余りを殺害する。

15:55頃、伏完墓を離れ南西約1kmある張潘鎮の漢愍帝陵を目指す。

漢愍帝陵は門番手強い

16:20頃、張潘鎮の漢愍帝陵のある政府跡地に到着。许昌县惠民现代农业合作社などが入っており入口で交渉か・・・。門番のおっちゃんに「見せてーな」と交渉するがダメであった。「単位規定」ぐらいしか聞き取れなかったが交渉不成立というか、おっちゃんの訛がわからず会話自体成り立たず。おっちゃんは門に南京錠掛けて小屋に籠もってしまう。しつこく優しく呼びかけて粘ってみたがやっぱダメ。中国だから賄賂渡さないとダメなのかな?
17:15頃、201路のバスに乗車し許昌豪華汽車站へ戻る。張潘鎮から許昌までの運賃は4元。

熱乾麺

夕飯は熱乾麺(6元/約120円)を食べる。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 6元
バス 5元 許昌→盆李
バス 4元 張潘→許昌
合計 15元

南陽行きチケット購入

08:10頃、許昌駅前の許昌汽車站(許昌中心站)で明日の南陽行きバスのチケットを購入。今回は窓口でなく誰も利用していない自動券売機で購入してみた。二代身分証は必要ないので外人でも問題なく購入。窓口は列ができているのだが、なぜ誰も自動券売機を使わないのだ?

許昌汽車西站

08:15頃、火車站、汽車站のバス停から8路のバスに乗車。運賃1元、西バスターミナルへ向かうが運ちゃんの朝食購入でバスが途中小休憩。日本ではありえん。08:40頃、客運西站で下車する。

許昌汽車西站のバス時刻表を確認。

華佗墓

08:45頃、許昌汽車西站から308路のバスに乗車。張月庄まで運賃は4元。

09:10頃、張月庄で下車し金属製の村の牌坊をくぐり東への道を約1.5km歩く。村の入口には華佗墓の標識がある。

GPSと高徳地図で華佗墓を確認するが高徳地図にも華佗墓が載っていたので楽勝だ。張月庄村を抜けると未舗装の農道になり畑が広がる。

09:25頃、橋の手前左側に華佗墓園の入口が見えてきた。

楽勝で華佗墓到着。

華佗墓は許昌県蘇橋鎮石寨村の南西、張月庄村の東に位置している。墓の北には石梁河、東隣には穎汝干渠が流れている。墓前には清の乾隆17年(1752)の石碑があり、この地の医者たちが資金を出し合い石碑を建立した。華佗は言わずとしれた後漢の名医で曹操に殺されている。誰もいないと思っていたが意外にも墓園には地元民がお参りをしている。

墓はかなり立派で墓前には石碑が多数建立されているが墓の保護のために周囲は柵が設けられて近づけないようにしている。これは落書き防止か?それとも墓の土持ち去り防止か?華佗墓だから病気に効くとかいう迷信があるのだろうか?楊貴妃墓の土が持ち去られるのと似たような事があっても不思議ではないな。

墓園には廟もあり道教寺院となっている。

廟には白い巨大華佗像がある。

他にも華佗と関羽の像が一緒に祀られていたりしてなかなか良い雰囲気だ。10:10頃、華佗墓を離れ張月庄へ戻る。10:30頃、張月庄からバスに乗車。運賃4元で、11:00頃、許昌汽車西站に到着。8路のバスに乗り換え市内へ戻る。

許昌文峰塔

11:50頃、許昌塔文化博物館に到着。入場料無料、塔に登るのは10元。

許昌文峰塔は文峰塔、文明寺塔とも呼ばれ、明の万歴43年(1615)に許州知州であった鄭振光の指揮により創建される。高さ51.3m、八角形、13層の楼閣式レンガ塔で、地下宮、基座、塔身、塔刹の4部分からなる。塔文化博物館ということなので塔に関する展示があったので見物して、12:30頃、許昌塔文化博物館を出る。

雑醤熱乾麺

昼食は雑醤熱乾麺(8元/約160円)を食べる。具材に醤、モヤシ、キュウリ、ネギが入っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 14元
バス 2元 路線バス
バス 4元 許昌→張月庄
バス 4元 張月庄→許昌
バス 53元 許昌→南陽
合計 77元

河南省鄭州 三国志遺跡 虎牢関&北宋皇帝陵

鄭州旅行記2015

河南省鄭州到着

06:25頃、18分遅れで鄭州駅に到着する。鄭州駅前は相変わらず人が多い。

07:00頃、2路のバスに乗車する。運賃は1元で農業路の関虎屯(关虎屯)のバス停で下車するはずだったのだが、農業路が陸橋工事で封鎖されており別のバス停で下車となってしまう。鄭州市動物園の脇を通りデニスへ向かう。

8090潘多拉青年旅舎

錦綉正弘国際公寓デニスの隣にある錦綉正弘国際公寓(锦绣正弘国际公寓)に予約しておいたユースホステルの8090潘多拉青年旅舎(8090潘多拉青年旅舍/8090 Pandora Youth Hostel)がある。正面の門が閉まっているので脇(東)へ行くと車の出入口があるので保安に聞いてみたら「そこの階段上がったところ」ということで階段を上り、08:10、鄭州8090潘多拉青年旅舎に到着。

8090潘多拉青年旅舎1泊45元で8泊する。Booking.comにも掲載されているユースホステルだ。eLongで予約時に支払いは済ませてあるので登記のみだが、パスポートの写真欄だけ確認してビザや入国日は確認せず。
鄭州の公安は結構緩いようだ。

鄭州8090潘多拉青年旅舎部屋は10人ドミトリーで狭めだ。各ベッドにコンセント有りで照明は有ったり無かったり。Wi-Fiの電波は問題なしだ。共同のトイレ・シャワーは一体型の奴だけど広いからまだマシだな。

デニス立地条件は最強に近い。隣がデニスなので食糧補給は全く問題無しだ。カルフールも5分圏内にあるし。

武漢名物の熱乾麺

熱乾麺の店通りがかった食堂で遅めの朝食に熱乾麺(6元/約120円)を食べる。

熱乾麺熱乾麺は今まで食べたことのなかった麺料理だ。いつも牛肉麺ばかりだったので今回は新規開拓である。熱乾麺は湖北省武漢の名物麺料理だ。麺の上に乗っている芝麻醤、ネギなどをかき混ぜてから食べる。タレの芝麻醤が美味い。

河南博物院

河南博物院13:50頃、河南博物院を訪れるが本館が改修工事中で別の建物で展示が行われていた。

河南博物院商代の青銅器の展示が中心であるが、漢、隋、唐、宋の展示もある。

河南博物院内容は中原の王朝に力を入れているが、本館の展示物と比べると序の口程度の内容だろう。博物院前の農業路が陸橋工事中なのでそれに併せて本館の改修工事を行っているのだろう。

デニスで会員カード作る

デニス14:40頃、デニスで買い物をしていくといってもユースホステルの隣のデニスではない。ユースホステルの隣にあるデニスは丹尼斯百貨でデパートの方になる。もちろんデパ地下がある。それとは別に徒歩5分ぐらいの所にもう1軒デニスがあるのだ。こちらはスーパーマーケットになっている。

デニス会員カード丹尼斯百貨はデパートなので地下の食料品売り場にしか用はないが、スーパーマーケットの方は重要度が高い。デニスは河南省ではウォルマートやカルフールを凌ぐ人気を誇る台湾資本のスーパーマーケットだ。全国展開せずに河南省に特化しているので台湾資本だけど地場スーパー化している。値段品揃え共に文句無しで自分もいつも利用している。

で、今回会員カードを作ってみた。カードの発行には身分証が必要、あと携帯の電話番号もだ。もちろん中国のだ。服務台のおねえちゃんは日本のパスポートなんか出されたので面倒臭そうにしてたけど無事に発行。

これで特売品が会員価格で購入できる。今までは会計時に後ろに並んでいるおばちゃんのカードを借りて読み込ませて誤魔化してたけど、河南省ではいつも利用しているので発行してもらった。

米酒とビール今回購入したのは米酒218ml(1元/約20円)とサントリービール特爽330ml(1.9元/約38円)だ。デニスは日系メーカーのビールが安い。青島とかは高いけど。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 15.7元
バス 1元 路線バス
合計 16.7元

キャッシュカードの暗証番号間違える

蛋炒飯13:15頃、近くの中国工商銀行のATMで現金を引き出そうとするが暗証番号間違えてカードが使えなくなる。とりあえずイスラム食堂で昼食に蛋炒飯(9元/約180円)を食べてから再び銀行へ。

中国工商銀行国慶節の連休中でも銀行は営業しており運良く窓口は空いていた。おばちゃんにキャッシュカードとパスポートを渡して端末を叩いてもらう。暗証番号を再設定して15分ほどで手続きが完了する。

国慶節は動くべからず

デニス14:45頃、デニスでサントリービール超純500ml(3元/約60円)、公爵黒ビール500ml(2.2元/約44円)とバナナを購入。

サントリービール超純、公爵黒ビール国慶節でどこも人だらけなのでユースホステルへ戻り酒盛り。完全にダメ人間である。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 21.8元
ATM手数料 12.5元
合計 37.3元

鄭州→虎牢関

08:10頃、30路のバスに乗車して西バスターミナルへ向かう。
国慶節の大型連休中だが今日は三国志遺跡の虎牢関へ向かう。虎牢関なら一般人にとってはマイナー観光地だろうから空いているだろう。

鄭州→上街のチケットバスの運賃は1元で08:50頃、鄭州西バスターミナルの汽車西站に到着。ちょうどバス停に上街行きの鄭上1路のバスが来たので乗車する。上街までの運賃は6元だ。8年前の2007年に虎牢関を訪れたことがあるのだが路線バスなんてあったかな?まあ、路線バスで上街へ向かう。

09:35頃、途中の滎陽で汜水行きのバスに連絡していたので、滎陽で汜水行きのバスに乗り換えてもよいだろう。

上街汽車站09:50頃、上街汽車站に到着。

上街汽車站時刻表とりあえず時刻表を撮影しておく。

上街→汜水のチケットここで滎陽から来る汜水行きの102路のバスに乗り換える。運賃は2元、10:25頃、汜水鎮に到着する。ここから道なりに西へと歩く。

三国志遺跡 虎牢関

虎牢関石碑10:40頃、虎牢関に到着する。三国志遺跡の虎牢関は洛陽の東を守る要衝で関羽が華雄を斬った場所であり、劉備、関羽、張飛が呂布と戦った場所でもある。

虎牢関石碑虎牢関はきれいに整備され広場となっている。2007年当時は碑亭があったのだが、碑亭はなくなりガラスで保護されている。おサルさんたちが落書きしたりするので仕方がないだろう。それでも清の雍正9年の石碑なのでこれぐらい厳重にしていてもよいだろう。

関聖殿(三義廟)虎牢関には石碑の他に関聖殿がある。関帝廟であり三義廟でもある。しかし、殿内には関羽、関平、周倉の像だけでふつうの関帝廟だ。劉備や張飛の像は見当たらない。連休中なので虎牢関のようなマイナー観光地にも観光客が来ておりやかましい。

黄河うるさいのは嫌なので11:10頃、虎牢関の西にある呂布城と点将台を目指す。といっても、事前に正確な場所を確認しておくのを忘れたので、とりあえず西へ行ける道を進む。昼頃、黄河の畔までやってきた。近くまで来ているはずなのだが石碑とかがないので分からず。歩いて汜水へ引き返す。

汜水→上街のチケット12:40頃、汜水鎮で102路の上街行きのバスに乗車する。運賃は2元、13:00頃、上街汽車站に到着。

熱乾麺

熱乾麺昼食に近くの食堂で熱乾麺(6元/約120円)を食べる。武漢名物の熱乾麺は北京の炸醤麺、山西省の刀削麺、河南省の烩麺、四川省の担担麺とともに中国五大麺料理とされている。今回の熱乾麺は胡麻ダレが麺と絡み合って美味い。

鄭州行きチケット13:20頃、上街汽車站で鄭州行きのチケットを購入し鄭上1路のバスに乗車。

鄭上1路のバス運賃は6元でチケット買わずに乗車後の精算でもOKだった。

汽車西站14:25頃、汽車西站に到着、30路のバスに乗り換える。運賃は1元、関虎屯のバス停へ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 17.1元
バス 18元 路線バス
合計 35.1元

鄭州→鞏義

鄭州汽車西站時刻表07:45頃、30路のバスで西バスターミナルの汽車西站へ向かう。運賃は1元、08:30頃に汽車西站到着。まずはバスの時刻表を確認。今日は鄭州の西に位置する鞏義市の北宋皇帝陵が目的地だ。と言っても、市内にある2つの陵墓だけ見て郊外の陵墓は情報不足で今回は見送る。

鄭州→鞏義のチケット鞏義(巩义)までの運賃は26元、チケット購入時にパスポート必須だ。バスに乗車して発車を待つ。09:00に発車して高速道路を爆走していく。

鞏義汽車站10:40頃、鞏義汽車站に到着、バスの情報を確認しようと思ったが時刻表は鄭州行きのみで他は見当たらず。

鞏義の路線バス近くのバス停で路線バスの確認をしておく。

鞏義博物館

鞏義博物館西へ歩くと鞏義博物館があったので何かないか念のために見物していく。北宋の皇帝陵についての資料展示に力を入れている感じだが出土品の展示は少ない。
11:15頃、鞏義博物館を出る。

北宋皇帝陵・永昭陵

永昭陵11:20頃、永昭陵に到着する。永昭陵は北宋の第4代皇帝である仁宗の趙禎の陵墓である。有名な伝説の狸猫換太子に出てくる太子である。包青天を見ている人にはお馴染みの話だ。

永昭陵公園として整備されており地元民の憩いの場となっているようだ。

永昭陵永昭陵の神道は開放されていたが奥の門は閉ざされ見物できないようになっていた。隙間から覗くとゴミが散乱しているのが見えるので内部に入れる日もあるようだ。11:50頃、永昭陵を離れる。

北宋皇帝陵・永厚陵

永厚陵12:10頃、永厚陵に到着する。北宋の第5代皇帝である英宗の趙曙の陵墓である。永厚陵は整備されておらず市内に位置しているにも関わらず林になっている。夜になると変質者とかが出そうな雰囲気だ。

永厚陵林の中に神道があり奥へ進む。

永厚陵永厚陵はほぼ手つかずで整備されていない。いや、地元民が畑を作っており農地にもなっている様子だ。12:25頃、永厚陵の宝頂に登る。周囲は林で市内に位置しているにも関わらず静かだ。

法輪大法好石像を見ていると文官像であるものを発見する。文官像の背中にスプレーで落書きがあり消えかかっているが「法輪大法好」と落書きされている。これは共産党が邪教として弾圧している法輪功ではないか!弾圧されても地下で活動しているようだ。
これは興味深い。13:00頃、永厚陵を離れる。

石窟寺

13:15頃、永昭陵の公園南門のバス停から南河渡と表示された旅游専線のバスに乗車する。念のため運転手のお姉ちゃんに石窟寺へ行くか聞いたら通ると言うことで大丈夫そうだ。運賃は1元、13:45頃、お姉ちゃんにここで下車と言われ石窟寺の標識の方向へ歩く。新しい道路を通っていたのでバスの経路が少し変わっていた。

石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)14:00頃、石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)に到着、入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)は北魏の孝文帝の治世に創建され、東魏、西魏、北斉、隋、唐、宋の歴代王朝により開削されてきた。創建当時は希玄寺と呼び、隋、唐では浄土寺、後に石窟寺と改名された。現存する石窟は5つで各種塑像が7700体余り保存されている。

石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)洛陽の龍門石窟と比較すると規模は非常に小さいが、マイナー観光地なので穴場ともいえる。

石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)石窟の保存状態はあまりよくなくほとんどが破損している。顔の部分まで残っている仏像は数える程度しかない。

石窟寺(鞏県石窟、北魏石窟)連休中なので観光客が少しいるが比較的マナーがよいようでやかましくない。14:40頃、石窟寺を離れバス停標識の無いバス停へ戻る。地元民が集まっているので、そこがバス停だと分かる。15:00頃、バスに乗車、運賃は1元、15:20頃、交通賓館のバス停で下車して鞏義駅へ移動。

鉄道で鞏義→鄭州

鞏義駅15:25頃、鞏義駅に到着、切符売場で鄭州行きの切符を購入。

K870次の切符15:36発、成都→鄭州のK870次だ。席は無座、運賃は12.5元だ。無座の立ち席だが1時間くらいの乗り鉄なので大したことはないだろう。発車時刻が迫っているので切符と身分証確認、手荷物検査を済ませて待合室に入る。改札口では既に乗車バトルが始まろうとしていた。

成都→鄭州のK870次列車が遅れており15:43に改札が始まる。K870次が到着して乗車バトルが始まる。

成都→鄭州 K870次の行先票自分はバトルに参戦する気はないので行先票を撮影して群れの後ろで待機。

15:54頃、乗車し、15:56に列車が発車する。車内は通路に無座の客が溢れカオス度が高い。

16:15頃、車内検札があるが乗務員8人で車内検札だよ。ものすごい非効率なような気がするが切符を持たない暴れん坊のおサルさんが紛れているかもしれないので大人数なのだろう。たぶん・・・。

16:52に鄭州駅到着、17:10頃、29路のバスに乗車。運賃は1元で花園路豊産路(花园路丰产路)で下車してユースホステルへ戻る。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 12.5元
バス 4元 路線バス
バス 26元 鄭州→鞏義
鉄道 12.5元 無座 鞏義→鄭州
合計 42.5元

熱乾麺

熱乾麺今日は朝から引き籠りだ。昼頃に近くの食堂で熱乾麺(6元/約120円)を食べる。最近は蘭州名物の牛肉麺でなく武漢名物の熱乾麺にハマっている。今日の店はタレが醤油系、具材が大根の漬物、モヤシ、薬味にネギとなっていた。食後はデニスで饅頭買い込んで宿に籠もる。夕方に北京での宿をネットで予約しておく。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 10.5元
宿泊費 12元 予約:北京炮局工廠青年旅舍
宿泊費 50元 予約:北京富山国際青年旅舍
合計 72.5元

熱乾麺にハマってます

熱乾麺昼頃に近くの食堂で熱乾麺(6元/約120円)を食べる。この店は醤油系スープ多めで、モヤシ、ネギ、漬物が乗っており胡麻ダレがかけてある。

熱乾麺具材と麺を混ぜて食べます。

熱乾麺夕飯も熱乾麺(6元/約120円)を食べる。醤油系スープに具材はモヤシ、ネギ、漬物が乗っており胡麻ダレがかけてある。

小籠包熱乾麺だけでは物足りないので別の店で小籠包(5元/約100円)を食べる。黒酢を付けて食べる定番の小吃だ。でも、量は少な目なので包子屋で肉包を買ったほうが多いだろう。鄭州は意外と物価が高いかも。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 17元
合計 17元

お椀にビニール袋

熱乾麺(民工仕様?)今日も昼食は熱乾麺(6元/約120円)だ。ただし、今日の店はお椀にビニール袋が被せられている。洗うのが面倒だから袋が被せられているのだが、そのビニール袋が食品用なのかという疑問がある。

熱乾麺で、夕飯も熱乾麺(6元/約120円)だ。こっちは行きつけの一番美味い店。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 17.5元
合計 17.5元

今日も熱乾麺

食堂今日も昼食は熱乾麺(6元/約120円)だが食べ足りない。たまには新規開拓で別の店に寄ってみる。で、地元民用の食堂に立ち寄る。

メニュー表メニュー表を確認して、たまには熱乾麺以外も食べてみる。

鶏蛋麺今回は鶏蛋麺(7元/約140円)を食べる。具材に玉子とトマト、香草が入っている。普通の麺料理だ。

熱乾麺夕飯はまた熱乾麺(6元/約120円)だ。ちょっと遠出して違う食堂で食べてみたがお椀にビニール袋が被せてあるよ。一番下のランクの食堂に入ってしまったようだ。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 22元
合計 22元

関羽の故郷・山西省運城 池神廟・舜帝陵

山西省旅行記2015

霊宝→運城

霊宝駅07:20頃、賓館というか民工宿をチェックアウトして霊宝駅へ移動。駅前では農民工のおっちゃんが「身分証がないと切符が買えない」と携帯でどこかと連絡を取っている。身分証持ってないと窓口のおばちゃんが切符売ってくれないのは当たり前だろ。というか、身分証不携帯でどうやって公安に捕まらずにここまで来たんだ?

K1887次の切符駅入口で切符を身分証の照合があったのだが駅員パスポートの中身確認せず切符にハンコ押す。どうも朝からやる気無しのようだ。手荷物のX線検査を受けて待合室で待機。今日は08:52発、張家界→太原のK1887次で運城まで移動する。席は硬座、運賃は32.5元だ。

08:45頃、改札が始まるが田舎の駅なので乗車バトルはなく平和だ。混乱もなくのんびりとホームへ向かい列車の到着を待つ。

和諧型電気機関車HXD3列車の到着が撮影でき乗車口へ。今回の機関車は和諧型電気機関車HXD3であった。

K1887次の行先票いつもの行先票を撮影して列車の乗車。7分遅れの08:59に発車となり運城へ向かう。河南省霊宝から山西省運城までは直線距離で60kmぐらいなのだが、鉄道だと大回りして陝西省華山を経由して運城へ入る。それでも、最短距離の三門峡経由のバスルートよりは安い。時間はかかるかもしれないが・・・。

乗車率は5割ぐらいで空いているので3列シート占領して寝ているおばちゃんがいたりといつもの光景だ。まあ、田舎を走る張家界→太原の列車なので空いているだろうなとは思ったが本当に空いていた。

でも、乗客にはおサルさんが混じっており対面のおっさんが床に痰を吐く。函谷関から西は中原の外なので中華文明の外ということか?中国はおサルさんが多くて困る。学校で習った中国とは全然違うじゃねえか。学校で習った中華文明はどこへ行けばあるのだ?

10:03に華山到着。ここで機関車を交換して進行方向が西から東に変わる。

山西省運城

運城駅12:15頃、運城駅に到着する。山西省運城までやってきた。

関羽像駅を出ると駅前広場には黄金の関羽像が出迎えてくれる。やはり関羽の故郷なので三国志で町おこしということかな。

潞塩青年旅舍

潞塩青年旅舍駅からユースホステルまでは12路のバスで行くのが普通だが何となく歩いていくことにするが、ユースホステルまで意外と距離があり真夏の暑さにやられながら、13:10頃、ユースホステルの潞塩青年旅舍(潞盐青年旅舍/The Ancient Salt Youth Hostel)に到着する。

潞塩青年旅舍予約無しであったが部屋は空いており6人ドミトリーで1泊35元(会員料金)だ。
潞塩青年旅舍ドミトリーにはトイレ・シャワー付きで思ったより広い。エアコン、電気ケトル、ロッカーもある。各ベッドには照明が付いているがコンセントの数が微妙に少ない。まあ、OAタップ追加すればよいので大した問題ではない。Wi-Fiの電波は良好でネットの速度は問題なし。

潞塩青年旅舍屋上が開放されているので酒盛り可能で洗濯物も干せる。徒歩10分圏内には食堂やスーパーマーケットもありそこそこ便利だ。路地にあるのでちょっと分かりにくいが三国志観光の長期滞在拠点としては十分使える。

蛋炒飯

蛋炒飯15:00頃、遅めの昼食にイスラム食堂で蛋炒飯(8元/約160円)を食べる。

雪花ビール食後はスーパーマーケットで特売品の冷えた雪花ビール330ml(2元/約40円)を購入。

山西省名物・刀削麺

刀削麺夕飯はイスラム食堂で刀削麺(9元/約180円)を食べる。山西省といえば刀削麺なので山西省の端っこでも本場の味だろう。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 20.6元
宿泊費 215元 1泊35元(会員料金)×7
合計 235.6元

土日は人気観光地を避ける

06:00頃に起床して解州関帝廟や常平関帝家廟へ行く準備をする。ctripで入場券を購入しておこうとしたが今日は土曜日ではないか!田舎とはいえ夏休み中の土曜日では解州関帝廟とか混雑しそうな予感がする。金払って人民の海に飛び込むのは嫌なので、予定変更で人気の無さそうな所へ行くことにする。

07:50頃、地鉱大楼のバス停から9路のバスに乗車。運賃は1元、08:15頃、終点の鼓楼小区で下車。池神廟へ向かうが一つ手前の運城二中のバス停の方が近かった。運城二中と市急救中心のバス停の間で21路のバスが停車しているのを見つける。21路のバスで常平関帝廟へ行けるので場所を覚えておく。

池神廟

08:30頃、池神廟に到着するが開門は09:00なのでしばらく待機。池神廟周辺は観光開発の真っ只中で楼閣やら牌坊やらが建設中だ。

池神廟09:00過ぎに池神廟を見物する。入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

池神廟池神廟は中国有数の塩湖である解池の北側にあり解池の守り神として唐の大歴12年(777)に創建され修復を重ね、現在残っている三大殿は明の嘉靖年間に建立されたものであり、その他の建物は清代に建立された物になる。

池神廟廟自体は解池を見下ろすように建立されており、その規模から守り神としての風格が感じられるが、かなり寂れており参拝客は見あたらず。現在は廟というより解池や塩を中心とした運城の歴史を紹介する博物館として運営されている。

池神廟廟の近くでは楼閣の建設が行われており観光開発の真っ最中だ。唐や明の頃は広大な解池は城壁で囲まれ各王朝の重要な収入源となっており、城壁の一部を再現ということだろうか?

そして、この解池だが三国志の関羽ともいささか関係がある。伝説によると宋の大中祥符年間、解池に蚩尤が現れ災いをもたらすが、道士の張天師が伏魔大帝関羽を召喚し蚩尤を退治する。

しかし、よく晴れており暑い。でも、東京や大阪と違い乾燥した暑さだ。塩田には最適の気候なのだろうが、こちらは暑さにやられる。暑さを避けて北方を移動していたので、この本格的な暑さには体力の消耗が著しい。今日はこれ以上の行動は無理そうなので、10:00頃、池神廟を離れ9路のバスで地鉱大楼のバス停へ戻る。運賃は1元、10:30頃、ユースホステルに戻り寝込む。

蘑菇炒牛肉蓋飯

蘑菇炒牛肉蓋飯16:30頃、イスラム食堂で夕飯に蘑菇炒牛肉蓋飯(11元/約220円)を食べる。ご飯の上にキノコと牛肉の炒めものが乗っている。

本日の出費
項目 金額 備考
食費 16元
バス 2元 路線バス
合計 18元

三皇五帝の舜帝陵へ

07:40頃、地鉱大楼のバス停から9路のバスに乗車する。運賃は1元、運城二中で下車して、08:00頃、地神廟近くの停車場から3B路のバスに乗車。バス車内では運ちゃんたちが雑談中。日本なら休憩所で雑談だろうが、中国はどこで雑談しようがお構いなし。終点の舜帝陵まで運賃は1元だ。

09:05頃、舜帝陵に到着するが目の前で徳孝古鎮とかいう古鎮が建設中。そして、テナント募集中であった。これって古鎮とは呼べないのでは・・・。

塩湖区博物館

塩湖区博物館バス停から入口まで神道が整備されそこそこの距離があり、途中の塩湖区博物館に寄って見物する。博物館は無料で見学者そこそこいる。

塩湖区博物館展示内容は舜と塩湖の解池が中心という感じだ。屋外展示に周辺で出土した石像、石碑や墓誌がある。

舜帝陵

09:50頃、舜帝陵入口に到着。入場料は30元だが陝西旅游年票を使い無料で見物する。

舜帝陵舜帝陵は伝説上の三皇五帝の一人である舜の陵墓であり夏の禹により創建され、唐の開元26年(738)に廟が建立され、北魏から明、清まで1400年以上の間、歴代帝王から庶民にいたるまで祭祀が行われてきた。

舜帝像入口には舜の石像があるが作りが雑で残念状態だ。もう少しかっこいい石像に仕上げてくれれば・・・。

舜帝陵石像は残念だが山門は清代の様式で立派に作られている。

舜帝陵山門を通ると舜帝陵に到着。三皇五帝だから巨大な陵墓を想像していたのだが予想外に小さい。

舜帝陵陵墓には石碑が2つあり上が明の万歴年間の石碑になり万歴の文字が読みとれる。

舜帝陵下は元代の石碑になるが風化しているせいなのか元号の文字は確認できず・・・。

舜帝陵・関公祠

関公祠陵墓の隣には関公祠がある。舜帝陵にも関帝廟があり伝承によると関羽も舜帝陵を幾度も参拝しており、後世の人たちが関羽を記念して建立されたそうだ。1100年以上の歴史があるらしいが、はっきりした記録が残っているのは清の康熙年間(1717)に修復された記録である。

関公祠殿内にはおなじみの関羽、関平、周倉の像が祀られている。

関公祠しかし、この関公祠は本殿よりも関公祠書廊の壁画が重要である。関羽にまつわる故事が多数ある。

関公祠

関公祠桃園の誓いより前の関羽は何と髭無しの関羽だ。

関公祠他にもおなじみの華雄や顔良を斬る場面。

関公祠さらにはマイナー武将だけど一度聞いたら忘れない名前の卞喜を斬る場面。

関公祠黄忠との一騎打ちもある。舜帝陵の関公祠は重要度高めだ。

舜帝陵11:00頃、舜が祀られている養頤宮(寝宮)の前で、この旅行記を打ち込んでいるが、金持ち中国人の団体客がやってきた。そして、舜像の前でおっちゃんたちが痰を吐いた。
・・・。

このおっちゃんたち中国人ではないな。中国に生息する服を着たおサルさんに違いない!中国人が三皇五帝の前で痰を吐くなんてあり得ない。中華民族の復興には服を着たおサルさんの駆除が最優先だな。

中心汽車站

中心汽車站12:00頃、3B路のバスに乗車する。運賃は1元、12:40頃、中心汽車站で下車する。運城中心站は名前の通り運城に3つあるバスターミナルで中心となるバスターミナルだ。

中心汽車站省内外へのバスや近郊へのバスが発着している。ただし、内部のカオス度が少々高めだ

中心汽車站

太平興国寺塔

13:00頃、12路のバスに乗車する。運賃は1元、魏豹城の前を通り過ぎて、13:40頃、安邑鎮で下車する。バスを下車する前から仏塔が見えていたので予定変更で仏塔目指して歩く。13:50頃、太平興国寺塔に到着する。